それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

占拠、スト、聞き役

2010-03-13 01:41:10 | イギリス生活事件簿
最近、僕のいる大学は騒がしい。大学の歳出削減計画に刺激され、学生たちが盛んに「運動」をしている。

ついこの間、どこかの建物の屋上を占拠し、警察が出動するまでに。

どういうわけか、とうとう教員たちも自分たちが直面している問題に対応するため、ストライキを開始することに。

なんだか懐かしいような、それでいて、新しいような。彼らが信じている物語はなんなのだろう?

以前ここに書いたかもしれないけれど、院生研究会をやろうとしたら、ひとり知らない学生がいて、誰だい?と聞くと、「あれ?ここはアナーキスト研究会じゃないんですか?」だって。

あとで、みんな大笑いしました。そんなやつ、いるのか!

僕は昔読んだ、コンラッドの短編集に入っている、アナーキストの小説を思い出してしまった。アナーキストが、いかなる生き物かよく描かれています。

運動あり、占拠あり、アナーキストあり。この大学は、というか、この地方はちょっと面白い。



そんななか、今日も図書館前でデモ的なものがあるとか。そのわきを通り過ぎ、僕は知り合いの日本人とお茶をした。

その人、僕に今度提出するペーパーの要旨を聞いてコメントしてもらいたいという。

コース違いなせいで、門外漢な僕なんかで良ければと言って了承したが、本当に知らない分野。

それで、とりあえず、その人の言っていることを聞き、抽象化したり、分類したり、ロジックをチェックしたりして、おしまい。

それだけで、ずいぶん喜んでもらえたので良かった。

自分としては、これまで先輩に面倒みてもらったことを余所で返すつもりで、色々研究関係の相談を引き受けることにしている。

ただ、あんまり増えると大変である。

アカデミックの世界でずっと生きてきて、自分の思考パターンが他の業界の人とどのように違うのかよく分かるようになった。

大学にいれば、僕の思考パターンは良いでしょうが、他の世界に行けばずい分と違ってきてしまうだろうなあ、と思う。

そのアカデミックな思考を研ぎ澄まし、たたき上げ、刃のようになった人の回りで過ごしてきたから、今いる世界は業種が雑多な感じで少し面白い。

それでも、良質なアカデミックは大事、と僕は確信できるだろうか?

それは今すぐ答えなくてもいい。でも、問い続けなくては。