それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

論文、人形、僕

2010-03-20 16:46:58 | 日記
そろそろ日本語で次の論文を書かなければならないらしい。

やばい。

一時帰国後、資料の不足を補うには、大学に通わなくてはならない。

少しずつ道筋はできてきていると思うが、一次資料分析のノートがまだ十分にたまっていない。

先行研究との関係で、新しいところまで行くのはまだだ。

ちょっときついけど、そこが面白いところなのだ・・・。



この半年、ロンドンと地元で母親リクエストの人形を探してきたが、見つからず。

彼女が何をイメージしているのか、息子だからさすがに分かる。絵にかけるほど分かる。

しかし、その問題の人形の影も形もない。

インターネットですら探したけど、見つからない。

案外、アフリカにあったりして。



最近、こちらは初夏の暑さと匂い。とにかく、気持ちがいい。でも、研究がタイトでなかなか外にも出られませんが。

外では芝をがんがん刈っています。そのせいなのか、なんなのか、フラットメイトが突如の花粉症的症状を発症。芝症(cf. 花粉症)的なものがあるそうです。こわいです。

でも、僕。一時帰国しますから・・・。



昨日、彼女と就活関係のことを話す。

論文の話もその流れで出てきました。

主体的にやらないと困る。

そして、何度も難しい選択をしなくては。これはずっと先生に言われてきたこと。

すなわち、「これから、何度も難しい選択を迫られるんだ、お前は」という先達からのメッセージ。

先生の言葉はいくつも心のなかに残っています。

「研究すること。とにかく、研究していれば大丈夫だから。それが報われる世界だから、ここは。」

僕はそう信じているし、自分がこの世界にいる意味だと少し思っているのであります。

僕は、「僕」になります。

それは本当に小さい頃から目指していたこと。

「僕」になること。