おわりに
米国の金融関係の政府高官には、ゴールドマン・サックス(以下GSと表記する)出身者が多い。これは、少なくとも正常なこととはいえない事態である。
ルービンはもとより、子ブッシュ政権時代の財務長官、ヘンリー・ポールソン(Henry Paulson)は一九九九年から〇五年までゴールドマン・サックスの会長兼CEOであった(http://search.bloomberg.com/search?q=Henry+Paulson&site=wnews&client=wnews&proxystylesheet=wnews&output=xml_no_dtd&ie=UTF-8&oe=UTF-8&filter=p&getfields=wnnis&sort=date:D:S:d1)。
同じくブッシュ政権下の財務次官補、ニール・カシュカリ(Neel Kashkari)もGS出身。インド系米国人である。ポールソン財務長官は、〇八年一〇月六日、緊急金融安定化法(緊急経済安定化法とも呼ばれる。Emergency Economic Stabilization Act of 2008)で定められた七〇〇〇億ドルの実行のための不良資産買い取り業務の責任者として、カシュカリを財務省・金融安定化担当次官補に任命した。カシュカリは、この時点で三五歳という青年であった。〇六年七月、ポールソンが、財務省入りをしたときに、GSでの部下であったカシュカリを同行させたのである。GS時代には、サンフランシスコで、IT証券投資銀行業務、M&A業務を統率していた(http://indonews.jp/2008/10/gs.html)。
子ブッシュ大統領の首席補佐官(White House Chief of Staff)ジョシュア・ボルトン(Joshua Bolton)もそうである。
元USTR(通商代表部=US Trade Representative)で、世銀理事のロバート・ゼーリック(Robert Zoellick)もGS出身である(http://www.alor.org/Volume44/Vol44No40.htm)。
ニューヨーク連邦銀行議長(Chairman of New York Reserve Bank)のスティーブン・フリードマン(Stephen Friedman)も、長年GSに勤務し、一九九〇から九二年までは共同会長、一九九二~九四年の単独会長であった。フリードマンは、〇二~〇五年、子ブッシュ政権下の経済政策の大統領補佐官(United States Assistant to the President for Economic Policy)、NEC理事(Director)、ブルッキングズ研究所理事、CFR(外交問題評議会=Council on Foreign Relations)のメンバーでもある。GS社外重役も長年務めていた( http://www.ibtimes.com/articles/20090507/ny-fed-chairman-stephen-friedman-resigns.htm)。
そもそも、ガイトナーをニューヨーク連銀総裁に推薦したのは、ジョン・ホワイトヘッド(John C.Whitehead)である(http://www.democraticunderground.com/discuss/duboard.php?az=view_all&address=389x5609368)。
しかし、〇九年五月四付『ウォール・ストリート・ジャーナル』(Wall Street Journal)が、〇八年九月のGS救済に疑惑があると報じた。GSは、経営危機回避策として財務省からの銀行持株会社(bank holding company)への模様替え勧告を直ちに受け入れ、預金銀行形態に転換し、FRBから一〇〇億ドルの資本注入を受けた。投資銀行形態なら、FRBのからの資本援助を受けることができなかったからである。しかし、ここで問題が生じた。フリードマンが、現役のGS重役であったうえに、GSの大株主であったからである。預金銀行監督機関であるFRBの幹部が、監督対象である預金銀行の経営者であるということになると、法的な問題が生じる。FRBの基本線が崩されてしまう。まさにこの渦中で、フリードマンが、〇八年一二月と〇九年一月に大量のGS株を購入していたことが、発覚した(http://online.wsj.com/article/SB124139546243981801.html)。
フリードマンは〇八年一二月に三万七三〇〇株ものGS株を購入した。その後、一年期限の辞職勧告をFRBから受けたのであるが、勧告を受けた直後の〇九年一月さらにGS株を買い増した。これはSECによって明らかにされた。FRBの救済を受けたGSの株価が反騰し、フリードマンはこの二度の購入で三〇〇万ドルもの利益を帳簿上であるが得たことになる。『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙とのインタビューで、彼は、〇九年末にはニューヨーク連銀を辞める意向であることを明かしたが、株式購入については、自分は連銀の政策を決定する立場にはないので、自分のGS株購入にはなんらの不都合はないとも開き直っていた。
しかし、これは屁理屈である。一九一三年の連銀法では、FRB参加の一二の地域準備銀行は公的と私的利益の折衷である。各銀行の理事会は九人の理事からなる。三人は加盟銀行出身、三人は公人から、そして三人はワシントン本部のFRBの指名である。フリードマンは、ワシントン本部の指名による理事であった。したがって、彼は政策決定の当事者だったのである。
結局、フリードマンは、〇九年五月七日、ニューヨーク連銀議長を辞任した(http://abcnews.go.com/Business/wireStory?id=7532268)。
『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙(〇九年五月八日付)で、ジョン・ヒルセンラース(Jon Hilsenrath)とケイト・ケリー(Kate Kelly)が、「ニューヨークFed議長、疑惑の渦中で辞任」(Chairman of N.Y. Fed Quits Amid Questions)という記事を書いた。
フリードマンは、ニューヨーク連銀議長として、二〇〇九年一月二四日に財務長官に転身したティモシー・ガイトナー(Timothy Geitner)の後任として、ウィリアム・ダドリー(William Dudley)をニューヨーク連銀総裁(President)に選んだ(15)。このダドリーを採用したのはガイトナーであったが、ダドリーもまたGS出身者である。
ガイトナーは、ニューヨーク連銀のリスク分析担当にE・ジェラルド・コリガン(E. Gerald Corrigan)をすえたが、このコリンズもまたGSの副会長であった。
〇八年決算で米国史上最大の九九三億ドルの赤字であったのに、経営陣に高額のボーナスが支払われると物議を醸したAIG(
American International Group)の会長、エドワード・リディ(Edward Liddy)もGS出身者である。〇三~〇八年にGSの重役であった。AIGのCEOに就任する前は、オールステート(All State)会長(Chairman)であった。彼をオールステート会長とAIGのCEOに推薦したのはポールソンである(Eisenberg, Carol, "Former Allstate Chairman Edward Liddy tapped (again) by Paulson," http://news.muckety.com/2008/09/18/former-allstate-chairman-edward-liddy-tapped-again-by-treasury-secretary/5092)。
〇八年六月一五日、CEOのマーチン・サリバン(Martin Sullivan)が過去最大の損失を出したことから辞任し、後任にはロバート・ウィルムスタッド(Robert Willumstad)会長(Chairman)が就任した(CEO兼任)。しかし、経営危機がさらに深刻になり、巨額の公的支援が決定したことから、〇八年九月一八日に、ロバート・ウィルムスタッドはCEO兼会長を引責辞任し、後任にエドワード・リディが就任したのである(http://people.forbes.com/profile/edward-m-liddy/165)。
さらに、AIG取締役(Director)のスザンヌ・ノラ・ジョンソン(Suzanne Nora Johnson)もGS出身である。〇七年に辞めるまでに彼女は二〇年以上、GSに勤務し、最後は副会長(Vice Chairman)であった(http://www.reuters.com/article/pressRelease/idUS229558+16-Jul-2008+BW20080716)。
〇八年一〇月七日、米下院で開かれた公聴会の席上で、AIGの保険子会社であるAIG・米国ン・ゼネラル(AIG American General)の幹部が、公的資金の投入による救済が決定した一週間後の〇八年九月二二日から三〇日にかけてカリフォルニア州南部オレンジ郡の高級リゾート地で、総額四四万ドルもの豪勢な会合を開いていたことが判明した。ホワイトハウスも「卑しむべき行為」と異例のコメントを出した。当初、AIG側は、「保険業界では常識的なことである」と正当性を主張していたものの、最終的には当時のウィルムスタッド会長が「もし開催を知っていれば中止させた」と弁明した(http://sankei.jp.msn.com/world/america/081008/amr0810080941001-n2.htm)。
今度は、〇九年三月一五日、AIGが幹部社員に対して総計一億六五〇〇万ドルものボーナスを支給したと報じられた(New York Times, March 15, 2009)。『ニューヨーク・タイムズ』紙によると、三月一三日に四〇〇人の幹部にその額が支払われた。うち、七三人が各一〇〇万ドル超を支給された。そのうち一一人はすでに退社した。支給額二〇〇万ドル超は二二人いた。最高額は六四〇万ドルであた。これに対してオバマ大統領は、「あらゆる手段を駆使してこれを阻止する」と宣言したが、阻止できなかった。AIG側は「ボーナス支給は危機前の契約で決定されたもので、支払わないと法的責任が生じる」と弁明した。米メディアは高額ボーナスを受け取ったこれら幹部・元幹部を「AIGボーナスベイビー」と揶揄している(渡部恒雄「AIGボーナスベイビー-深刻な財務省の人手不足」〇九年三月二六日、http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/772)。
〇九年三月一八日、この問題をめぐってリディ会長が米議会公聴会での証言を求められ、ボーナス支給は、AIGを破綻寸前に陥れた住宅ローン担保証券に絡むデリバティブ取引を処理する人材の流出を防ぐためやむを得なかったと釈明。ボーナスを受け取った社員の情報開示要求にも、「従業員、家族が死の脅迫を受けている」と断固拒否した。議員の追及も空回りした。政府が八〇%の株式を保有しながら、税金の流用に等しい高額ボーナス支給を制止できなかったのである。
リディ会長は支給計画をFRBに事前に報告したと主張した。しかし、ニューヨーク連銀総裁として〇八年九月のAIG救済に携わりながら、ガイトナー長官が知ったのは支給の三日前の〇九年三月一〇日であった。「法的権限は政府にない」として、財務省は支給を撤回させることができなかった。
また、実際に支払われたボーナスは、一・六億ドルレベルではなく、四・五億ドルであったとの『タイム』(Time)の報道もある(http://www.correntewire.com/wsj_aig_bonus_figure_450_million_not_165_million_times_stated)。 AIGに投入された資金は、〇九年四月末時点で総額一八〇〇億ドルにものぼる(http://gensizin2.seesaa.net/article/115554693.html)。
シティグループ(CitiGroup)に救済買収される前のワコビア(Wachovia Bank)のCEOは、GS出身のロバート・スティール(Robert King Steel)であった。
ルービンがGS会長であったことは付け加えるまでもない。
このように、米国の政治と経済はウォール街によって牛耳られている。さらには、ゴールドマン・サックス出身者が、強力なネットワークで米国の金融界に君臨しているのである。これでは、米国発の金融危機の元凶である米国型金融システムの根本が改革されないはずである。
FRBへの批判も多くなった。FRBは十分の吟味時間を経ずに、あわてて、ベアー・スターンズ(Bear Stearns)やAIG(American International Group)に一兆ドルもの救済資金を注ぎ込んだ。その内容も具体的に開示されているわけではない。少なくともFRBの姿勢が問われているのである(http://online.wsj.com/article/SB124173340275898051.html)。