消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(275) オバマ現象の解剖(20) ハミルトン・プロジェクト(6)

2010-02-09 21:36:03 | 野崎日記(新しい世界秩序)


五 オバマ政権に入ったファーマンとその取り巻きたち


 オバマは、大統領選の最中の〇八年六月九日、上述のジェイソン・ファーマンを陣営の経済政策チームのスタッフに加えた。ファーマンは、一九七〇年生まれの青年である。クリントン政権時代のルービン財務長官の下で経済政策担当官の役職をこなし、ブルッキングズ研究所の財政問題専門家として活躍し、ハミルトン・プロジェクトの事実上の中心人物である。キム・チップマンとマシュー・ベンジャミンは、オバマが、ファーマンを陣営の参謀に任命したのは、ハミルトン・プロジェクトに没頭しているルービン一派の賛同を得たいためであるとの観測を打ち出した(Chipmen, Kim & Mathew Benjamin, "Obama Names Rubin Ally Furman to Economic Policy Post," http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601103&sid=aUEIoIsU8XR4&refer=us)。

 ファーマンは、二〇〇四年大統領候補、ジョン・ケリー(John Kerry)の選挙参謀も務めた。オバマの選挙参謀には、じつに多くの金融関係者が名を連ねている(10)。
 ファーマンは、オバマ陣営に参加させる金融界の大物として、ルービン、同じくルービンの後継者でクリントン政権時代の財務長官のローレンス・サマーズ(Lawrence Summers)、元FRB副議長のアラン・ブリンダー(Alan Blinder)、経済政策研究所(Economic Policy Institute)のジェアード・バーンスタイン(Jared Bernstein)、ジョーン・ケネス・ガルブレイス(John Kenneth Galbraith)の息子で、テキサス大学(University of Texas)経済学部教授のジェームズ・ガルブレイス(James Galbraith)を推薦したと上述のチップマンに語った。ただし、バーンスタインとガルブレイスは市場市場主義者ではない。おそらくは、政権のバランスをとろうとしたのであろう。

 いずれにせよ、ファーマンの招聘は、渦中にあるウォール・ストリートからの初の採用ということで、ジョン・エドワード(John Edward)の選挙参謀を務めたこともあり、ウォール街の政界への影響力を糾弾する著著(を『Sirota[2008})を著したジャーナリストのデービッド・シロタ(David Shirota)などはオバマを裏切り者扱いをしたほど、左側からの批判は厳しかった。『ワシントン・ポスト』(Washington Post)のベテラン記者、トム・エドソール(Tom Edsall)などは、党大会の議論で、ファーマンを通じるルービンのオバマ政権への影響力の強化を露骨に批判した(ABC News, "Obama Economic Adviser Draws Fire On Left," http://blogs.abcnews.com/politicalrader/2008/06/0bama-economic.html)。

 非営利消費者組織の「パブリック・シティズン」(Public Citizen)のローリ・ウォーラック(Lori Wallach)は、『ロサンゼルス・タイムズ』(Los Angeles Times)に語った。「労働者への嫌悪を著した著作、ウォルマート(Wal-Mart)擁護論、公正貿易論、等々に現れているように、彼はやっかいもの(liability)だ」。確かに、ファーマンは、ウォルマートの低価格商品が貧民を助けていると公然と語ったことがある(Furman, Jason,"Wal-Mart: A Progressive Success Story, November 28, 2005, http://www.americanprogress.org/kf/walmart_progressive.pdf)。同紙には、ユナイテッド・スティール(United Steel)労働者のマルコ・トルボビッチ(Marco Trbovich)の談話も載っている。「ファーマンは非常に明るい奴だ。しかし、我が国の製造業に対して破壊的な貿易政策に対しては、単純にして稚戯的なチアリーダーとして応援している」(Conda, Cesar, "Obama's Centrist Economic Team - Pro-free and pro-Wal-Mart are not enough," http://www.weeklystandard.com/Content/Public/Articles/000/000/015/363utibo.asp?pg=2)。

 ナオミ・クライン(Naomi Klein)が、"Obama's Chicago Boys Lookout"と題するエッセイを『ネーション』(Nation)紙(June 30, 2008)に投稿している。以下、紹介する。
 オバマは大統領選の遊説中、クリントン元大統領がウォルマートの外部重役を務めていたことを非難していた。そのオバマが、ウォルマートを「連続成功物語」(Progressive Success Story)と最大限に賞賛した論文を書いたファーマンを、経済政策のアドバイザーに任用したのである。ファーマンは、ウォルマートへの批判者たちこそが敵であると上記の著作で述べていた。オバマは繰り返し、自らを市場賛美者であると語ってきた。彼は一〇年間ほどシカゴ大学で法律を講じてきた。その意味では、シカゴ学派と無縁ではない。選挙キャンペーン中、経済政策顧問にシカゴ大学の経済学教授のオースタン・グールスビー(Austan Goolsbee)をすえたことはその現れであろう。しかし、グールスビーは、フリードマン信奉者たちと異なり、経済格差の存在が米国の大きな問題であるとした点で、オバマ陣営の中では左派に属する。ただし、グールズビーの解決策は教育である。それでも、グールズビーは、地元のシカゴで、シカゴ学派は単純なレーッセフェール(laissez-faire)ではないと弁明しつつ、オバマとシカゴ学派との人的結合を強めたいと語っている。

 オバマのシカゴにおける支援者に、青年実業家で億万長者のケネス・グリフィン(Kenneth Griffin)がいる。シタデル(Citadel Investment Goup)というヘッジファンドのCEOである。もちろん彼は献金上限額を寄付している。グリフィンは、ベルサイユ(Versailles)で挙式し、披露宴はマリー・アントワネット(Marie Antoinette)が使っていた劇場、太陽サーカス(シルク・ド・ソレイユ=Cirque du Solei)でおこなわれた。つまり、かなり派手好みの人である。

 彼は、ヘッジファンド経営者として当然のことながら、課税強化等々のヘッジファンドの締め付けに強力に反対している。またグリフィンは、米国政府が中国からの輸入攻勢に音をあげて中国との貿易制限措置の導入に反対している。さらに、中国官憲の武装用品が米国から流れてきたものであることに神経質になった政府が、流出を取り締まろうとしたときも、グリフィンは反対した。反対しただけでなく、彼は、民衆を監視・弾圧する中国の警備会社に多額の投資をおこなったのである。

 オバマのシカゴ・ボーイ(Chicago Boys)たちは、規制の動きを阻止すべく動くであろうか。かつて、ビル・クリントンが一九九二年の大統領選に勝利して正式に大統領に就任するわずか二週間前に、クリントンのNAFTA条約見直し改訂の試みは撤回された。ルービンの説得が功を奏したのである。当時、クリントンは、NAFTAにおける労働条件、環境保護、社会的投資において、重大な欠陥があるので、NAFTA条約改定にむけてメキシコ、カナダと交渉する決意をもっていた(11)。しかし、就任式の二週間前、クリントンは、当時、ゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)の会長であったロバート・ルービンの訪問を受け、NAFTA条約の無条件の受容を説得され、遊説中の反NAFTAの姿勢を撤回した。説得に成功したルービンは、PBS(Public Broadcasting Service)(12)に対してその成果を豪語した。「クリントン大統領は、執務室(Oval Office)に入る前の過渡期に経済政策において決定的な転換をしていた」と。

 事実、クリントンは、父ブッシュ前大統領が推し進めていたNAFTAの受容を民主党員に働きかけるように転換したのである。今回も、ファーマンやグールズビーが、市場規制に傾きかねないオバマを、市場原則主義者に誘導する役割を担うであろう。

 自由貿易、新自由主義に関する米国アカデミズムの雰囲気は、金融危機以後、激変した。新自由主義の威光が急速に衰えているのである。シカゴ大学では、〇八年五月中旬、同大学の学長、ロバート・チンマー(Robert Zimmer)が二億ドルを投じて、ミルトン・フリードマン研究所(Milton Friedman Institute)の創設を提唱した。それは、フリードマンが残した業績を深める経済研究センターであることが目指された。シカゴ大学はこのことで大もめにもめた。同大学のスタッフのうち、一〇〇人を超える人たちが設立に対する抗議文に署名した。その抗議文はいう。

 「最近の一〇年間で、経済学におけるシカゴ学派によって強力に押し進められた新自由主義的グローバルな秩序が実現した。しかし、その効果を正であると明確にいうことなどできない」、「世界の多くの人々にとって、その効果はマイナスであったという人は多い」。

 フリードマンは、二〇〇六年に逝去した。そのときには上記のようにあからさまにフリードマン批判をする経済学者はほとんどいなかった。オースタン・グールズビーなどは、『ニューヨーク・タイムズ』(New York Times, Novenmer 17, 2006)紙にフリードマン賛美のエッセイを寄稿していたほどである。

 それからわずか二年後、フリードマンの名前は、自らの本拠地(alma mater)の大学においてすら迷惑な存在(liability)とされるようになってしまった。このような情況なのに、オバマは、わざわざシカゴ学派の亡霊を呼び込むためにシカゴ・ボーイズたちを陣営に加えたのである。

 オバマは、遊説中に次のようにいっていた。「いまの経済危機は、長い間ワシントンを支配していた使い古され、誤った方向に人を導く哲学の理論的帰結である」と。その通りである。しかし、オバマは、ワシントンからフリードマン主義の悪弊を一掃する前に、イデオロギーに汚染された自らの家の掃除をおこなうべきである。クラインはそのようにオバマを批判した(13)。

 さて、ファーマンは、〇九年一月二八日、オバマ政権のNEC(国家経済会議=National Economic Council)副委員長(Deputy Director)に任命された。委員長は、サマーズである。ファーマンは、ハーバード大学院生であたときの一九九六年、ジョセフ・スティグリッツ(Joseph Stiglitz)に一年間契約で雇われたことがある。クリントン政権の経済政策、および、大統領経済諮問委員会(http://jp.truveo.com/christina-romer-wh-council-of-economic-advisers/id/1132941529)の特別助手であった。そして、スティグリッツが.世銀に移るとともに、ファーマンも世銀に移った。〇四年にはジョン・ケリー(John Kelly)大統領候補経済政策チーム理事になった。LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス=London School of Economics)で修士号(MSc)、ハーバード大学から経済学博士(ph.D)を授与されている(http://wagner.nyu.edu/faculty/facultyDetail.php?whereField=facultyID&whereValue=323)。

 また、グールズビーも一九六九年生まれの青年である。オバマによって大統領経済諮問会議の委員に任命されている。また、ポール・ボルカー(Paul Volcker)が議長となっている新設の大統領経済再生会議(President's Economic Recovery Advisory Board )(14)委員にも加わっている。

 グールズビーはエール大学でエリート・クラブのスカル・アンド・ボーンズ(Skull and Bones Yale University)に入会を許されていた。一九九一年経済学修士号(M.A.)をエール大学から、経済学博士号(Ph.D.economics)をMIT(Massachusetts Institute of Technology)から一九九五年に受けている。彼はオバマのイリノイ州における上院議員立候補を促し、ずっと選挙戦をともに戦ってきた。二〇〇四年の上院選挙、そして、二〇〇八年の大統領選挙ではともにオバマ陣営の首席経済顧問であった。


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