消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.107 チュ 

2007-05-13 16:52:27 | 言霊(福井日記)

 前回、「天人」のことを書いた。前回では、「アマンチ」と表記した。しかし、別の資料を読むと、「アーマンチュ」と表記している。どちらも正しいのだろうが、沖縄方言では、「人」を「チュ」と発音するらしい。

 ただし、「人」と呼ばれるとき、人一般を指してはいない。特定の身分をあらわす場合にのみ、「人」が使われる。

 例えば、先ほどの「天人」がそうである。他に、「富貴人」(フヤキンチュ)、「士族」(ユカッチュ」等々である。

 身分以外に「チュ」を使わないことを示すものとして人数の数え方がある。「一人」を意味するときには、「ヒトゥイ」、「二人」は「フタイ」、「三人」は「ミタイ」である。つまり、「チュ」ではなく「イ」と発音している。「人」には特別の上流階級を指す言葉に限定される。実際、琉球では、普通の人間を指すとき、「人」(チュ)は使われていないようである(間違っているかも知れないが)。

 普通の人をあらわす琉球弁をいくつか拾ってみよう。
 前回、説明もせずに、「マミドー」を踊って「天人」を送ったと書いた。「マミドー」と素敵な言葉である。「マ」とは「真」。文字通り、「まことの」(真の)という意味である。「ミドー」とは「女人」である。つまり、「真の女」、「立派な女」、「女の中の女」、「働き者の女」「マミドー」である。

 竹富島では、「種子取祭」の舞踏として「マミドー」が位置づけられている。真栄里(まえざと)家に、じつに働き者の女性がいて、それに感動した「小底筑登之」(こ・そこ・ちく・どぅ・ん)が振り付けを作成したと言われている。1800年以前のことである(玉城憲文『竹富島仲筋村の芸能』オリジナル企画、1976年)。作物の生長を称える歌で振り付けられている。竹富島には、いくつかの「マミドー」のバリエーションがあるが、いずれも「働き者の女性」への賛歌である。マミドーの踊りは、女性が、畑を耕し、種を播き、雑草をむしる踊りが組み込まれている。

 竹富島では、「ホンジャー」の役割が重要である。ホンジャーは、奉納芸能を司る神であり、玻座間地区では、国吉家の当主の床の間に鎮座している。中筋地区では生盛家の当主の家に祀られている。

 初めて種子取祭で芸能を奉納する人たちは、このホンジャーという神に「新入り」の挨拶をして、「手、足、口の誤りもなくきちんと演じられますように」と祈る。当然、国吉家の当主、生盛家の当主の家を訪問する。

 「ホンジャー」の「ホン」は、「フン」の訛ったものである。「フン」とは、村よりも小さな地域を指す「組」の意味である(後述)。

 「ジャー」は「イイジャー」ではなかろうかと言われている。「イイジャー」とは「父」のことである。つまり、「玻座間ホンジャー」は、「玻座間組の父」のことである。「ホンジャー」および「ホンジャーを祀る」家は、政治的な支配関係を表現する言葉ではなく、あくまでも、奉納芸能を滞りなくこなせる力を与えてくれる神様に祈る家である。

 種子取祭には、「ホンジャー」という神様は必ず登場する。そのさい、国吉家や生盛家の当主が「ホンジャー」を演じることになっている。奉納劇の中で、ホンジャーは豊作を祈願し、役人に芸能を演じる許可を求め、許可を得た後は、子供たちに芸能を披露させますと言って、舞台から退場するシナリオになっている。

 玻座間の種子取祭で奉納される狂言は、4つの主要なものから成り立っている。「農機具の整備」、「荒地の開墾」、「種子蒔き」、「収穫」がそれである。

 「農機具の整備」をまとめた狂言は、「鍛冶工」(カザグ)である。鍛冶の親方、「鍛冶工主」(カ・ザ・グ・シュー)がまず登場し、部下の「鞴親父」(ヒ・イイ・ジャー、鞴は、現代語では「ヒ」と読み、「ふいご」のことである)「前打」(マイ・ウチ、大槌を打つ人)を呼び出し、鍛冶を行う儀式をする。鍛冶の「飾り口」(カザン・グチ、祝詞のこと)を唱え、「フイゴ」(鞴)、「カマド」(竈)、「ツチ」(槌)、「ハサミ」(鋏)、「カネドコ」(金床)、「モクタン」(木炭)のなどの鍛冶に必要な道具の名を列挙して、それぞれに宿る神に祈る。最後に鍛冶の大神様をお招きして、よい鍛冶ができますようにと祈る。そして、鍛冶の様子が演じられる。

 狂言と呼ばれるだけに、この演技に笑いが含められている。例えば、次のようなやり取りが行われる。

 「凹んでいるよ」(とーみどぅらー)、「叩いてみろ」(だっちぇーり)。
 「はい」(とー)、「盛り上がったよ」(ムレリッター)。

 これが可笑しい。へこんでいる所を叩いたら盛り上がったというのである。本当は、凸面を平らにするのが、槌で「叩く」という行為である。ところが、この狂言では、叩いたら凸になったというのである。

 農具ができると、劇中で、竹富島に鉄器が伝来した歴史的経緯が説明される。その後、豊作の歌を歌いながら、男たちの守護霊(女性)の「オナリ神」の待つ我が家への帰路を急ぐ様が演じられる。じつに、味わい深い狂言である。

 「鍛冶工」の狂言が終わると、「薄崩し狂言」(ススキ・クズシ・キョンゲン)という狂言が演じられる。「フンガシャ」(組頭)とも呼ばれている狂言である。「荒地の開墾」の場面がそれである。

 先に触れたが、琉球王朝時代、村は、さらに小集団の「フン」(組)に分けられていた。「フン」の代表者が「ガシャ」(頭)と呼ばれていた。それを「フンガシャ」(組頭)という。

 狂言では、組頭がまず登場して、農機具が整えられたので、今度は、畑を整地すべく薄(ススキ)を除去するという内容の口上を述べる。若者を呼び出し、歌い踊りながら農作業を面白、可笑しく演じる。農作業を終えた後、その作業に参加した若者たちが、口々に、いかに自分が他人よりもよく働いたかを言いつのる。このやり取りが観衆の爆笑を誘うのである。

 次に演じられるのが「種蒔き」の狂言である。
  「種子蒔き狂言」、「タニ・マイキ・キョウン・ゲン」)と発音される。「ユームチ」(世持)がそれである。

 「ユームチ」とは、村の代表者を指す言葉である。狂言では、まず、この「世持」が登場し、祝詞である口上(カザングチ=飾り口)を述べる。

 畑を耕し終え、恵の雨が降ってきた。そこで、まず私の畑に種を播く、その後、他の人もそれぞれの畑にも種を播くことにしようと宣言する。若者が集められ、種蒔きの歌と踊りが演じられ、農作業が終わると、「オナリ」神(くどいが、女性)の待つ我が家に帰る様の踊りが演じられる。

 そして、前回で説明した「収穫」の狂言、「ユーヒキ」(世曳き)が演じられる。

 素晴らし伝統文化ではないか。わずか300人程度の僧民がこの文化を守ってきたのである。

  今回も、全国竹富島文化協会の各種資料を参照した。

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