消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(441) 韓国併合100年(80) 日本のキリスト教団(3)

2012-09-24 21:19:19 | 野崎日記(新しい世界秩序)

 二 米国における海外布教組織の形成

 

 一六三六年に、牧師と入植地指導者を養成するためにハーバード・カレッジ(
Harvard College)が創設された。これは、会衆派教会牧師のジョン・ハーバード(John Harvard, 1607~1638)の名にちなむ(9)。




 一六三五年、英国国教会から聖職者としての権利停止処分を受けていた(10)リチャード・マザー(Richard Mather, 1596~1669)が、嵐に遭うという困難な航海の末、ボストンに辿り着いた。すでに説教能力において令名を馳せていたリチャード・マザーは、プリマス、ドーチェスター(Dorchester)、ロクスベリー(Roxbury)といった入植地の政治指導者から現地で宗教的指導者になるように招請されたが、結局はドーチェスターに入った。しかし、ここの教会は、信者の多くがコネチカットのウィンザー(Windsor)に移住してしまっていたので、事実上廃屋になっていた。そこで、彼は、現地の会衆派クリスチャンたちの協力を得て、ドーチェスター教会(会衆派教会)を再興し、自らは、「教師」(teacher)の席についた(11)。一六六九年に死ぬまで、彼はこの職に留まった。

 彼は、ニューイングランドの会衆派クリスチャンのリーダーとなり、一六四八年には、信仰において、長老派との妥協を図りつつ、教会運営方法からは長老主義は採らないとした「ケンブリッジ綱領」(Cambridge Platform)を採択させた。ただし、彼の起草案では、「半途契約」(Half-way Covenant)が強く打ち出されていたのだが、これは外された。これは、悔悛、信仰告白、そして洗礼といった教会の正式メンバーになるための一連の儀式や決まりを踏まなくても、教会の正式のメンバーの子供であれば、幼児洗礼を受ける簡便な儀式だけによって、正式の教会メンバーの資格を持つようにするという措置である。

 これは、信仰心を持たない入移民が激増し、それまでの厳格な生き方を強制する教会のやり方では、教会員の数を維持することができなくなったことの教会側の妥協の産物であった。そして、この「半途契約」は、リチャード・マザーの強い意志によって、一六五七年のボストンの牧師会議によって採用された。ちなみに、彼の息子たちは、いずれもハーバードカレッジ関係者で、エリートであった(12)。


 一七世紀末、教会員になる資格条件を緩和する動きは、ニューイングランドでますます活発になり、そうしたことを標榜したブラトルストリート教会(Brattle Street Church)が一六九九年に設立された。設立者は、トーマス・ブラトル(Thomas Brattle, 1658~1713)である。やはり、ハーバード・カレッジ卒で、ボストンの富裕な商人であった。同カレッジの財務委員でもあった(http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Brattle)。初代牧師として招聘されたのが、ベンジャミン・コールマン(Colman (1673~1747)で、彼の下で、「半途契約」が一般化し、この教会がボストン会衆派の中心になったのである(http://www.britannica.com/EBchecked/topic/77982/Brattle-Street-Church)。

 しかし、同じ会衆派であっても、厳格なカルヴァン主義者からすれば、ハーバード・カレッジ関係者たちが推し進める「半途契約」は、教会の堕落以外の何ものでもなかった。そこで、より厳格な会衆派の樹立を目指して、コネチカットに創設されたのが、牧師養成学校、エール・カレッジ(Yale College)である(13)。教師連は、ハーバード・カレッジの卒業生たちであった(曽根[一九九一]、九三~九四ページ)。

 米国の長老派の活動は、一七〇六年のフィラデルフィア長老派会議の開設に始まる(http://opc.org/nh.html?article_id=51)。米国の長老派教会の多くは、ハーバード・カレッジ、エール・カレッジの卒業生たちによって設立されたものである(増井[二〇〇六]、二一〇ページ)。一七四六年、長老派によって創設されたのが、プリンストン大学(Princeton University)の前身である(14)。

 一八世紀に入って、英国で急速に伸張していた「メソジスト」(Methodist)派も米国の独立戦争前後に米国にも拡大した(15)。厳格な生活スタイル(メソド=Method)を守ることから「厳格な生活を行う几帳面な人たち」という意味でメソジスト(Methodist)と呼ばれる。この派は、北米のコロニーでは、ジョージ・ホイットフィールド(George Whitefield,  1714~1770)によって広められた。一七四二年にカンバスラング(Cambuslang)の大野外集会の成功によって、一挙にメソディスト派は勢力を拡大したと言われている。この集会は「復興会合」(revival meeting)と呼ばれた。フィラデルフィアで開かれたホイットフィールドの集会には、ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin, 1706~1790)が通い、ホイットフィールドの説教の力強さに感銘を受けたという(http://www.christianitytoday.com/ch/131christians/evangelistsandapologists/whitefield.html)。

 米国の独立戦争時、英国国教会から除名されたメソジスト(Methodist)派は、一七八四年、「バルチモア・メソジスト監督教会」(Baltimore Methodist Episcopal Church)を設立した。同協会は、以後、米国のメソジスト派の中心となっている。「監督教会」という名称を冠しているように、これは英国国教会から継承した教会の統治形態で、長老派や会衆派と異なり、教会の聖職者の中に、教会を監督する立場の人がいて、彼が教会や教区を監督統治するというシステムである。

 米国には、主流の教会が信者を増やそうとして世俗化の度合いを顕著にすると、すぐさま、より厳格な牧師養成機関(カレッジ)や神学校が新しく設立されるという宗教的傾向がある。一八〇七年に創設されたアンドーバー神学校(Andover Theological Seminary)は、そうした厳格な牧師養成機関の中でもとりわけ目立った存在であった。同志社大学の創設者・新島襄(にいじま・じょう)がこの学校を卒業したことでも著名な神学校である。大学院を持つ神学校としては、米国最古のものである。設立者たちは、世俗化の度合いを強めていだけでなく、イエス・キリストの神性を否定し、イエスを偉大な伝道師であるとするユニテリアン主義(Unitarianism)が幅をきかしていたハーバード・カレッジから逃げ出して、大学院の神学校を設立したのである(http://www.andovertowntwinningassociation.hampshire.org.uk/index_files/andover.htm)。

 この大学院の神学者たちが、一八〇三年に設立されていた「マサチューセッツ会衆派教会全体協議会」(General Association of Congressional Churches of Massachusetts)を動かして、米国最初の海外伝道団体「アメリカ海外伝道協会理事会」(American Board of Commissioners for Foreign Missions、以下、アメリカン・ボードと略称する)。

 

 設立に貢献したのは、コネチカットの会衆派教会牧師・サムエル・ジョン・ミルズ・ジュニア(Samuel John Mills Jr, 1783~1818) であった。彼は、ウィリアム・カレッジ(William College)卒業後、一八一〇年、アンドーバー神学校に進学し、ただちにアメリカン・ボード設立運動を開始し、当時、エール大学学長・ティモシー・ドワイト(Timothy Dwight,1752~1817)の協力を得て、一八一二年に設立が認可された
(http://archives.williams.edu/williamshistory/biographies/mills-samuel-j.php、http://timothy-dwight-iv.co.tv/)。ミルズは、ウィリアム・カレッジ在学中にインド伝道を決意していたとされている。そして、アンドーバー神学校が海外伝道を志す神学生たちの訓練の場となっていた(小笠原[一九八七]、一八三ページ)。

 

 一八一九年には、メソジスト監督教会派の牧師たちが、「メソジスト監督教会伝道協会」(Methodist Episcopal Church Missionary Society)を、一八二〇年には、プロテスタント監督教会派が、「プロテスタント監督伝道協会」(Protestant Episcopal Missionary Society)を、一八三三年には長老派教会が、「海外伝道長老派理事会」(Presbyterian Board of Foreign Missions)を、相次いで米国に設立し、米国のプロテスタントの海外伝道熱が一挙に高まった(http://www.probertencyclopaedia.com/cgi-bin/res.pl?keyword=William+Carey&offset=0)。

 


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