前記Dobsonは、「契約」(contracts)を第2章で展開する。
グローバルな金融社会では、金融に従事する人たちは、互いに接触することなく取引を行っている。見知らぬ相手が自分を裏切らないために、法的な「契約」が交わされる。
法的な契約は、取引が重要であればあるほど、膨大なものにならざるを得ない。不透明な世界で、しかも取引相手を個人的に知らないとすれば、法的契約を細かく交わすしかない。法的契約は、多様な個人、しかも、しばしば利害対立する個人と交わす。
結果的に、企業はまさに法的「契約の「かたまり」(nexus of contracts)そのものになってしまう。そうした法的契約を確実に実行することが金融ビジネスにとって重要なことになる。
法的契約を交わすさいに、企業は、自己の立場をなるべく有利にしようと試みるものである。違法にならないぎりぎりのところまで、法的な契約内容を自己に有利なものにしようと、あらゆる企業が努力する。
ときには、詐欺まがいの事項も法的契約に忍び込ませる。そして、法的な契約内容とその実施を巡ってトラブルが多発する。その場合、紛争の決着は司法当局に委ねられる。つまり、かなりのコストが必要になる。
法的契約は、当事者相互の信頼に基づいて結ざれるものではなく、企業の力関係の反映になってしまう。強い企業は、自己にとって有利な法的契約を、弱い企業に強制する。そこには、相互信頼の精神が、かぎりなく希薄化させられている。
契約には、「明白な契約」(explicit contract)と、「暗黙の契約」(implicit contrasct)がある。
明白な契約は法的なもので、相手が履行しないときには、裁判所が登場する。上記で、法的契約といったのは、この類の契約であり、表に出る文書契約である。
しかし、表に出ず、文書も交わされず、当事者たちの相互信頼の下に、暗黙裏に了解されている契約もある。それは、法的な拘束力がないのに、相手を裏切ることのないものである。
そうした暗黙の契約は、「金融のパラダイム」にどっぷりと浸っている組織や個人にとって、楽観主義的なものとして排除される。主流の「パラダイム」にとって、契約は、すべて法に則ったものでなければならない。契約とは、トラブルが発生したときに、司直の手が入るものでなければならない。
Dobsonは以下のように語る。
「信頼が、システムとして機能していないかぎり、信頼に基づく取引をするためには、当事者自身が信頼できる人にならなければならない。しかし、当事者たちは、自分の利益に直結すると意識したときでなければ信頼に足りる行動を起こさない。利益に直結しなければ、信頼などいつでも捨て去ってしまう。したがって、そうした信頼がつねに保証されるような信頼のシステム、「信頼のための信頼」(trust of Trust's sake)の構築が重要となる。しかし、金融のパラダイムに浸りきっている企業は、「信頼のための信頼」など馬鹿げたことだと見なすであろう。そうしたパラダイムに浸る企業は、信頼に基づく契約を重視してしまえば、儲ける機会をみすみす逃すと感じている。信頼を云々する組織は、馬鹿げたものに見えるであろう。・・・信頼そのものに価値を置く行為は、金融のパラダイムにとって、絶対になんの価値もないものである」(Dobson, op.cit., p. 14)。
企業は、自分たちがしていることへの信頼を得るべく、様々の宣伝を対外的に発信するものである。
企業の自己宣伝には、市場の信頼を得ることができるものと、できないものとがある。成功した宣伝の仕方をもつ企業は、それだけで有利な位置を占める。したがって、虎の子の宣伝方法を、他の企業から模倣されて、自己の地位を奪われないような仕組みが必要になる。
この成功した宣伝方法にコストがかからなければ、成功した企業は効率的に自己の恵まれた地位を保持し続けることができはずであるが、実際には、そんなことは起こりえない。
しかも、現実的にも、そうした宣伝方法にはコストがかかる。それでも、他の企業に自分の地位を奪われないようにするには、コストのかかる宣伝をし続けるしかない。
つまり、自己の信頼を得るために、宣伝がない場合に比して、企業の効率性は落ちる。これは、取引の当事者はもとより、相手方にもなんらの利益をもたらすものではない。できればなくしたいコストである。
そこでできることは、せいぜい、「その他の損失」(residual loss)を発生しないように、契約をさらに強化して、「次善の策」(second good)を目指そうとする。
しかし、真の信頼というシステムなしに、そうした契約の完全実施は可能なのだろうかと、Dobsonは問う。
そもそも、情報は不完全であるし、「非対称的」(information asymmetry)である。それに、「モラル・ハザード」(moral hazard)が加わる。そうした条件の下で、当事者同士が裏切らないという契約を、完全に履行することは不可能である。
信頼のシステムさえあれば、つまり、暗黙の信頼関係さえ作り上げられておれば、裏切りを阻止するためのコストのかかる契約など必要と「しないはずである。
金融のパラダイムに浸る理論は、だからこそ、信頼できるか否かの「評判」(reputation)が決定的な役割を担うようになるとする。
しかし、Dobsonはこれも機能しないという。
グローバルな金融社会では、金融に従事する人たちは、互いに接触することなく取引を行っている。見知らぬ相手が自分を裏切らないために、法的な「契約」が交わされる。
法的な契約は、取引が重要であればあるほど、膨大なものにならざるを得ない。不透明な世界で、しかも取引相手を個人的に知らないとすれば、法的契約を細かく交わすしかない。法的契約は、多様な個人、しかも、しばしば利害対立する個人と交わす。
結果的に、企業はまさに法的「契約の「かたまり」(nexus of contracts)そのものになってしまう。そうした法的契約を確実に実行することが金融ビジネスにとって重要なことになる。
法的契約を交わすさいに、企業は、自己の立場をなるべく有利にしようと試みるものである。違法にならないぎりぎりのところまで、法的な契約内容を自己に有利なものにしようと、あらゆる企業が努力する。
ときには、詐欺まがいの事項も法的契約に忍び込ませる。そして、法的な契約内容とその実施を巡ってトラブルが多発する。その場合、紛争の決着は司法当局に委ねられる。つまり、かなりのコストが必要になる。
法的契約は、当事者相互の信頼に基づいて結ざれるものではなく、企業の力関係の反映になってしまう。強い企業は、自己にとって有利な法的契約を、弱い企業に強制する。そこには、相互信頼の精神が、かぎりなく希薄化させられている。
契約には、「明白な契約」(explicit contract)と、「暗黙の契約」(implicit contrasct)がある。
明白な契約は法的なもので、相手が履行しないときには、裁判所が登場する。上記で、法的契約といったのは、この類の契約であり、表に出る文書契約である。
しかし、表に出ず、文書も交わされず、当事者たちの相互信頼の下に、暗黙裏に了解されている契約もある。それは、法的な拘束力がないのに、相手を裏切ることのないものである。
そうした暗黙の契約は、「金融のパラダイム」にどっぷりと浸っている組織や個人にとって、楽観主義的なものとして排除される。主流の「パラダイム」にとって、契約は、すべて法に則ったものでなければならない。契約とは、トラブルが発生したときに、司直の手が入るものでなければならない。
Dobsonは以下のように語る。
「信頼が、システムとして機能していないかぎり、信頼に基づく取引をするためには、当事者自身が信頼できる人にならなければならない。しかし、当事者たちは、自分の利益に直結すると意識したときでなければ信頼に足りる行動を起こさない。利益に直結しなければ、信頼などいつでも捨て去ってしまう。したがって、そうした信頼がつねに保証されるような信頼のシステム、「信頼のための信頼」(trust of Trust's sake)の構築が重要となる。しかし、金融のパラダイムに浸りきっている企業は、「信頼のための信頼」など馬鹿げたことだと見なすであろう。そうしたパラダイムに浸る企業は、信頼に基づく契約を重視してしまえば、儲ける機会をみすみす逃すと感じている。信頼を云々する組織は、馬鹿げたものに見えるであろう。・・・信頼そのものに価値を置く行為は、金融のパラダイムにとって、絶対になんの価値もないものである」(Dobson, op.cit., p. 14)。
企業は、自分たちがしていることへの信頼を得るべく、様々の宣伝を対外的に発信するものである。
企業の自己宣伝には、市場の信頼を得ることができるものと、できないものとがある。成功した宣伝の仕方をもつ企業は、それだけで有利な位置を占める。したがって、虎の子の宣伝方法を、他の企業から模倣されて、自己の地位を奪われないような仕組みが必要になる。
この成功した宣伝方法にコストがかからなければ、成功した企業は効率的に自己の恵まれた地位を保持し続けることができはずであるが、実際には、そんなことは起こりえない。
しかも、現実的にも、そうした宣伝方法にはコストがかかる。それでも、他の企業に自分の地位を奪われないようにするには、コストのかかる宣伝をし続けるしかない。
つまり、自己の信頼を得るために、宣伝がない場合に比して、企業の効率性は落ちる。これは、取引の当事者はもとより、相手方にもなんらの利益をもたらすものではない。できればなくしたいコストである。
そこでできることは、せいぜい、「その他の損失」(residual loss)を発生しないように、契約をさらに強化して、「次善の策」(second good)を目指そうとする。
しかし、真の信頼というシステムなしに、そうした契約の完全実施は可能なのだろうかと、Dobsonは問う。
そもそも、情報は不完全であるし、「非対称的」(information asymmetry)である。それに、「モラル・ハザード」(moral hazard)が加わる。そうした条件の下で、当事者同士が裏切らないという契約を、完全に履行することは不可能である。
信頼のシステムさえあれば、つまり、暗黙の信頼関係さえ作り上げられておれば、裏切りを阻止するためのコストのかかる契約など必要と「しないはずである。
金融のパラダイムに浸る理論は、だからこそ、信頼できるか否かの「評判」(reputation)が決定的な役割を担うようになるとする。
しかし、Dobsonはこれも機能しないという。