消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

本山美彦 福井日記 56 交 換

2007-01-23 00:25:52 | 社会(福井日記)


 本来、経済は社会の一部分でしかない。ポランニーPolanyi, Karl, 1886-1964)が指摘したように、社会から市場を突出させ、社会の様々な制度を市場に従属させているのが現代である。

 市場は、多様な生産物を交換させることによって、生産・流通・消費といった経済の循環を司る場であると教科書的には語られている。

 
しかし、現実には、商品化されてはならない労働や土地などの生活空間が強引に商品にさせられてしまうことによって、社会は大きく軋む。このような弊害を市場経済は社会にもたらす。

 もともと、生産は、生活資料を得るための行為であった。人は多様な物を自らの労働で手に入れていた。労働は自分自身の多面的な能力を向上させる機能を発揮していた。

 しかし、市場は、生活のためではなく、カネ儲けのために存在するようになった。

 
労働は、生産性を向上させるべく、細分化され、資本に奉仕する姿に変えられてしまった。時間で計られ、金銭的報酬を得るだけの次元に変えられることによって、労働は、具体的な内容を奪われ、抽象的な次元のものとして、人を資本の部品にしてしまう。



 カール・マルクスKarl Heinrich Marx, 1818-1883)のいう「抽象化された人間の労働」(menshliche abstrakte Arbeit)である。

 生活資料を得るための営為からカネ儲けのための営為に人間の営みを変容させてしまった市場は、金融取引市場として、巨額の金銭を得る最高の手段となる。

 最大の金銭的利得を得るために、市場は資本取引に大きく傾斜する。物を生産して売るよりも、企業自体の売買、先物取引などの投機、つまり、カネでカネを売買するという金融経済が市場を支配するようになった。生産から遠ざかり、資本を売買するという行為に社会は突進している。結果的にごく限られた少人数の、巨大な投機家が、大多数の人間を貧困に叩き落とすことになった。

 社会から突出してしまって、社会を危機に陥れている市場を、社会に埋め戻すというポランニーの「生活資料」(Livelihood)論の重要性が、いまやますます認識されるようになった。

 等価ではない交換

 交換は、テキスト的には値打ちの等しい交換(等価交換)であると、説明される。しかし、多くの場合、交換は不等価な交換である。

 
交換の担い手が対等の力関係にないからである。強い立場にある組織が交換を有利に運ぶ。強いブランド、巨費を投じる宣伝、目立つ売り場、等々の優位をもつ強者は、それらをもたない弱者に対して、不等価な交換を強いることができる。身の回り商品ほど特定の企業が圧倒的なシェアを占めているという日常的にありふれている現状が、そうした事態を示している。経済的交換が、貧富の差、資本蓄積の不平等を再生産している。



 もはや現代社会には、等価交換など死滅していて、社会を組織する様式でなくなっていると強調したのは、ジャン・ボードリヤールBaudrillard, Jean, 1929-)であった。構造的な窮乏感を演出することで、現代社会のシステムが維持されているというのである。



 コミュニケーションとしての交換の最重要のものは言語である。この重要な言語の交換にすら不平等があるといったのがピエール・ブルデュー(Bourdieu, Pierre)である。

 標準語は、元来が方言の一つであったのに、その方言を使う政治権力の中枢者が作り上げたものである。政治的権力の裏付けをもつ標準語が、他の方言に対して優位な地位にある。

 
英国ではイングランド南部のパブリック・スクールの言葉が上流階級の言語となっている。日本では山の手の上流階級の言葉が権威をもつ。米国でも東部の標準語が高い地位を得る手段である。標準語を修得すべく、地方の若者たちが中央に集まる。これは世界の共通の傾向である。そして、グローバル社会の成立とともに、世界中の若者は米国の大学に行き、米国以外の大学は周辺化させられつつある。

 コミュニケーションの本来の役割は、互報的に認識を深めていくものであるはずなのに、人々は自己の交換価値を高める手段としてコミュニケーションを使う。言語が価値の階層化を作り出してしまうのである。

 ポトラッチ=贈り物の儀式

 私達は、贈り物を通して人間関係を築いている。とくに、祭礼の際に贈り物をやり取りする。狩猟採集民が、祭礼においてやり取りする贈り物の儀式をマルセル・モースMauss, Marcel, 1872-1950)は「ポトラッチ」(Potlatch)と名付けた。ポトラッチは、北太平洋沿岸の北米インディアンの一部族のクィクヮスチヌーク族(Qwi-qwa-su-tinuk tribe)の言葉で、贈与という意味である。

 彼らは、頻繁に祭礼を行い、様々な交換を行っていたが、そうした行為の目的は相手を圧倒することであった。ついには、自分のもつ最高の価値物を相手の目の前で破壊することまでするようになった。紋章入りの銅板の破壊やソリ犬の殺害などがそうした対象になる。こうした贈り物を断ることは、宣戦布告を意味していた。

 このような行為は、未開社会だけではなく、現代社会にも、クリスマス・プレゼント、お中元、お歳暮などの形で日常的に見られる。受け取った以上は注意深く丁寧にお返しすることによって、人間関係が維持される。虚礼だとして遠ざけてしまっては、人間関係を壊しかねない。



 日本では芸術家の岡本太郎(1911-1996)が、ポトラッチの重要性を早くから指摘していた(1965年)。



 蕩尽(とうじん)も重要な交換であると指摘したのが、ジョルジュ・バタイユBataille, Georges Albert Maurice Vicor, 1897-1962)である。

 
日常的な秩序の中で、人は、生産的労働にいそしむが、特定の儀式の際に、一気に富を蕩尽して、めくるめく陶酔感の中で精神の高揚を得ることがしばしばある。そうして他人と精神的な高揚感を交換するというのである。世界中の祭に同じような光景が繰り広げられている。その意味においても、交換はコミュニケーションの一種である。

文献

Marx, Karl, Das Kapital. Band I, 1864, Dietz Verlag, 1962; 今村 仁司・鈴木 直・三島 憲一訳、『資本論<第1巻(上)>、筑摩書房、2005年。


Polanyi, Karl, The Livelihood of Man, ed. by Pearson, H. W., Academic Press, 1977. 玉野井芳郎・栗本慎一郎訳『人間の経済』岩波現代選書、1980年、所収。


Baudrillard, Jean, La Societe de Consommation, Editions Denoel, 1970. ;今村仁司・塚原史訳、『消費社会の神話と構造』、紀伊国屋書店、1979年。
Bourdieu, Pierre, Ce que parler veut dire, Libération, 1982.
Mauss, Marcel, Essai sur le don, publié dans L'Anné'e sociologique, 1924.
岡本太郎「ポトラッチの経済学/贈り物」『岡本太郎の眼』朝日新聞社、1966年。
Bataille, Georges, Œuvres complètes, Gallimard, t.Ⅰ∼Ⅻ, 1970-1988.