デルポイの神託、
「汝自身を知れ」をそのまま実践したのが、ヘラクレイトスである。
「私は、自分自身を探求した」
(プルタルコス『コロテス論駁』第20章より)。
「人の性格は、その者にとってのダイモーン(守護神、運命)である」
(ストバイオス『精華集』第4巻第40章より)。
「傲慢は、大火よりも消さなければならないものである」
(ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』第9章第2節より)。
「市民は、歳の城壁を守るために戦うように、法を守るために戦わねばならない」
(ディオゲネス・ラエルティオス、同上、より)。
「国家が法によって強化されなければならないのと同様に、知も万有に共通のものによって強化されなければならない。それは、法による国家の強化以上の水準で強化されるべきである。人間の法のすべては、神の唯一なる法(=知)によって養われているからである。神の法は、望まれるすべてを支配し、すべてのものに及び、それを凌駕している」
(ストバイオス、同上、第3巻第1章179節より)。
私は、無条件にヘラクレイトスを賛美しているのではない。彼には度し難い大衆蔑視感があった。
「もっとも優れた人は、すべてのものでなく、ただ一つのものを選ぶ。死すべきものに代えて不滅の栄誉を選ぶ。しかし、大多数の者たちは、家畜のように腹一杯むさぼり尽くしているだけである」
(クレメンス『雑録集』第5巻第59章第5節より)。
「たった一人の人でも。もし最上の者であれば、一万人に値する」
(同上)。
衆愚政治に対する彼の強烈な侮蔑にも拘わらず、事物の中心的な法則を発見しようと試みることが知であり、道徳と倫理を自然学に溶け込ませようとした彼の姿勢には共感すべきものが数多くある。
ダイモーンとは、神によって支配されているものではなく、自分自身の力で制御することができるものである。
人間の行為は、外的な世界における変化と同様に、ロゴスによって支配されている。魂は世界秩序の一部である。自然と一体化すること、ここに人の目指すべき方向がある。
しかし、こうした自然を指向する方向は、エレア派、ソクラテス、プラトンによって意識的に拒否されてきた。ギリシャ本土の東方と西方にあった「老人の智恵」はアポロン的アテネで拒否され続けたのである。