消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

ギリシャ哲学 27 ヘラクレイトス1

2007-01-17 00:51:12 | 古代ギリシャ哲学(須磨日記)

  古代ギリシャでは、40歳を「アクメー」(盛年)といい、なにか大きな出来事があった年をその人のアクメーとする、その際、本当の年齢など無視される。この点についてはすでに説明した。エペソスのヘラクレイトスは、第69オリュンピア祭期(前504501年)をアクメーとされている。


 彼は、後世の哲学者からつねに揶揄の対象にされてきた。
 
大衆への批判的言辞があったことを捉えて「極端な人間ぎらい」、菜食主義者であったことを捉えて、「山中で草木」を食べる、「魂にとって水となることは死である」を捉えて水腫にかかったとなり、死体は糞尿よりも価値がないという一句を捉えて、糞尿に身を埋めたとなった。


 プラトンは『クラテュロス』で、万物流転を説くヘラクレイトスは「カタルを煩った人である」と侮蔑し、アリストテレス『ニコマコス倫理学』では憂鬱症と決め付けられている。


 ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』第
91節では、

 「ヘラクレイトスはブロソンの子で、第69オリュンピア祭期にアクメーを迎えた。とりわけ気位が高く、人を見下す態度をとっていたことは、彼の著作からもあきらかである。・・・ついに彼は人間嫌いとなり、世間から遠ざかり、山中で草や木の葉を食べて生活していた。それがもとで水腫に罹ってしまし、街へ降りてきて医者に謎かけした。多雨から日照りにすることができるか?と尋ねた。だが彼らには通じなかったので、牛の堆肥中に実を埋めて、堆肥熱で体内の水分を蒸発させようとした。しかし、それもうまくいかず、60歳でその生涯を閉じた」とある。

 あのディオゲネス・ラエルティオスですらこんな酷いことを書いたのである。いかに、ヘラクレイトスが馬鹿にされていたかをこれは示している。

 そもそも、万物は流転するという説をヘラクレイトスが流布したというプラトンは悪意のあるヘラクレイトスの捏造である。


 
ヘラクレイトスは「変化の普遍性」を表現しようとしたのである。つまり、変化には本来的に尺度がそなわっている。変化を通じて持続し、変化を制御する安定的な尺度が存在する。


 
変化の全課程を通じて浮かび上がる安定性、これをヘラクレイトスは明らかにしようとしたのである。ところが、プラトンはそれを「万物は流転する」という次元のものに曲解した。それをアリストテレスがそのまま受け入れた。
  アリストテレス『形而上学』
A巻第6章はそうであった。


 アリストテレスは自己の2項対立による論理学に固執して、ヘラクレイトスが、相対立するものを「同じ」であるとして矛盾率を否定したと決め付けている。

 
そうではない、ヘラクレイトスは、相反するものが、「同じ」ことではなく、「本質的に異なったものではない」と言いたかったのである。ヘラクレイトスは、立場の違いによって、説明される仕方が異なることを強調していたのである。彼は、変化の仕組みよりもそれらの基礎にある統一的実在性に関心を寄せていたのである


 例えば、「海水はきわめて清浄だが、別のものにとってはきわめて汚い。魚にとって、精米を保たせる清浄な水でも、人間にとっては飲めない汚いものである(ヒッポリュトス『全異端派論駁』第9巻第10章)。

「登り道と下り道は同じ一つのものである」(同)と。