消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

ギリシャ哲学 22 ディオゲネスとディオゲネス・ラエルティオス

2006-12-14 23:22:42 | 古代ギリシャ哲学(須磨日記)

 いつも私のブログに貴重なコメントを寄せてくださる田淵太一氏からつぎのようなメールが届いた。氏の許可を得ぬままここに転載させていただく。

 「『古代ギリシャ哲学・消された伝統』を拝読しました。ピタゴラスのような消された伝統を復権させることが絶大な現代的意義をもっていることを,あらためてよく理解できました。そして『目の前のクライシスを無視し、とくとくと形式論理を振り回す、自称<理論家>への不信と怒り』を共有したいと、強く感じました。
 ディオゲネス・ラエルティオス著『哲学者列伝』という不思議な書物に、若き日のニーチェも魅了され、やがて文献学をかなぐり捨てることにつながっていったようですが、御論旨の通り、ディオゲネス・ラエルティオスが何者なのかにかかわらず、形式論理や文献的詮索を排して、『異論の余地のないもの』を原理としてそれを平明に語る、という立脚点に立つことの重要性は、疑い得ぬものだと存じます。(通常、ディオゲネス・ラエルティオスは3世紀ごろの哲学史家だとされていますが、私の漠然とした印象では、プラトン主義を痛烈に批判した犬儒派のディオゲネスに共感して名乗ったペンネームのような気がいたします。『哲学者列伝』で、犬儒派のディオゲネスにかんする記述が共感に満ちて生き生きとしていて、しかもエピクロスの項目に次いで長いからです)。とり急ぎ感想を申し上げます」。

 うれしいことである。田渕氏とともに京大で学んだ記憶が鮮明に蘇る。幸せな日々であった。師弟ではなく、戦友であった。いまは正統派、昔は教条派との戦いであった。

 それはともかく、氏のコメントを掲載させてもらったのは、前回の私の紹介があまりにも稚拙であったことに気づいたからである。さすがに田淵氏。それとなく私の不十分さを指摘してくれた。

 正確に紹介しなおす。前回に引用した文章は、ディオゲネス・ラエルティオスのものではなく、ディオゲネス・ラエルティオスが紹介した本家ディオゲネスのものである。

 ディオゲネスは紀元前3世紀前半にミレトス市民が黒海西沿岸に建設していたアポロニアで活躍していた「アリストテレス以前の哲学者」であった。クレタにも同名の都市があるがそこではないというのが通説である。紀元前440~前430年がもっとも活躍した時期であるとされている。

 新プラトン学派の哲学者たちは、彼のことを「アポロニアのディオゲネス」と呼んだ。自然学で著名であった。医師でもあったと言われている。彼の考え方は先行諸理論の折衷である。したがって書誌学的に軽く見られがちであったが、先行者よりもはるかに平明に、広範囲の適用可能な統一性をもった世界理論を構築した。そして、彼よりも800年も後の反新プラトン主義者のディオゲネス・ラエルティオスが惚れ込んでしまったのである。

 ディオゲネス・ラエルティオスは、後3世紀前半の小アジアキリキア地方のラエルテ出身で、著作は『哲学者列伝』しか発見されていない。

 元祖のディオゲネスは、年周・日周・季節等々の規則性に感嘆し、生物の諸器官の有機的統一性にも感動していた。そして、そうしたことを見出せる思惟の力を重視していた。

 彼は、海の塩辛さは太陽が真水を蒸発させるからであると説明し、夏期にナイルが氾濫するのは、太陽が大地から出る放散物をそこに向けるからであると考えた。万物の運動の濃淡があらゆる物質を生み出すという宇宙観をもっていた。生命としての機能と知性(知覚)としての機能の相互作用に運動と思惟の連動を見ようとしたのである。