うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

札幌帰着

2010年04月04日 22時28分05秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
港からの連絡バスは高速道路をかなり飛ばしたのか、予想よりも早く、22時前には札幌駅バスターミナルに到着しました。
通常の苫小牧駅前行き連絡バス利用より、1時間近く早く札幌に到着でき、しかも料金も安く済んだので、連絡バス様々です。

その後、地下鉄東豊線で自宅最寄駅まで乗り、18日ぶりに自宅アパートに帰り着きました。

私用パソコン、研究用パソコン、旧私用パソコンの3台、計10kgをリュックに詰めて持ち帰ってきたので、どこかの山に登山してきたかのような疲労感です。

明日は早速研究室に出る予定(掃除当番なので)なので、とっとこ寝ることにしよう・・・。

札幌行き連絡バス乗車中

2010年04月04日 20時58分18秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
フェリー「すいせん」は、ほぼ定刻の20時35分に苫小牧東港に到着しました。

無事に着いてホッと一息です。
津軽海峡に入って以降は、うねりも治まり、快適な航海でした。


ごらんあれが・・の竜飛岬です。昼間に船上から見たのは初めてで、岬の全貌がよく見えました。


函館山です。左舷遠くに望めました。函館山には「臥牛山」という別称がありますが、確かに牛が臥せている様に見えますね。

プロムナードデッキで竜飛岬や函館の写真を撮っていたら、一人旅の初老の男性に話し掛けられました。先週から徳島や名古屋を観光してきた帰りだそうで、デジカメや旅行の話しで盛り上がり、結局2時間ほど喋りました。
そういえば、往路のフェリー「あかしあ」でも、ニセコでリゾートアルバイトをしているという若者に話し掛けられ、一日中色々と話しました。
こういった出会いも、時間がゆっくり流れる船旅ならではの出来事ですね。

その初老の男性と話している間に、ちょうど日の入りを迎えました。
亀田半島の山蔭に沈む夕陽は、今朝の日の出と同じく、真ん丸で赤く、見とれてしまいました。


今は港から札幌への連絡高速バスの中です。終点の札幌駅まではおよそ1時間半の道のりです。

岩木山沖を航海中

2010年04月04日 15時45分52秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
今日は波は低いものの、ややうねりが高い海況で、「すいせんは」敦賀出航からずっとそこそこの揺れを伴って航海を続けています。
眠れるか心配しましたが、意外に良く眠れて、日の出までぐっすりでした。


今日の日の出は午前6時前で、右舷側、能登半島の山々からお日様が出てきました。
とても美しい日の出でしたが、やはり私以外にデッキに出てきた人は見かけませんでした。

朝食、昼食もしっかり食べて、姉妹船「すずらん」との反航もばっちり撮影、昼からは映画「おくりびと」(またもや)を鑑賞し、過ごしました。


朝食の「洋定食」(1000円)。クロワッサンがとても美味しく焼けていました。ドリンクバー付きなので、朝の営業が終了するまでゆったりとコーヒーでも飲みながら過ごせます。


昼食はビーフカレー(700円)。肉がほどよくとろけていて美味でした。


佐渡島沖ですれ違う「すずらん」。今回は案内放送もあったので、数名の乗客が窓際に集っていました。初の北海道旅行にはこの船に乗って行ったのです。

能登半島沖の舳倉島沖通過以降、9時間ほど陸地からかなり離れたところを航海していましたが、秋田沖から徐々に陸地に近付き、今は青森県の岩木山が右舷に見えています。ちょうど、往路の日の出を見た辺りです。
まもなく津軽半島を回り込んで、津軽海峡へと入っていくことになります。
苫小牧まではあと5時間ほどの航海です。

乗船しました。

2010年04月03日 23時46分54秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
というわけで、ただ今フェリー「すいせん」に乗船しました。
何故かウェルカムミュージックとして、「甘き死よ、来たれ」(エヴァンゲリオン旧劇場版の挿入歌)が船内で流れています。私はこの曲は名曲だと思いますが、ほとんどの乗客は元ネタが分からないはず・・。この選曲、アニメ好きの船員さんがいるのでしょうか・・?

2等寝台は2段ベッドが並ぶ20名定員の相部屋ですが、私の寝台は通路側の壁に面していますし、上の段も空いているようなので、ちょっとした個室感覚で利用できそうです。

上の写真の大階段がこの船の特徴ですね。
船の階段といえば、螺旋階段や踊場が付いた折返し階段が多いのですが、「すいせん」(と「すずらん」)は珍しく2つ連続した直階段を採用しています。なかなか良い雰囲気でしょう?

明日、苫小牧東港到着後は、春休み期間限定の札幌直通バスが出ているそうなので、それを利用しようと思います。

快適な航海を祈ります。

-おまけ-
今回の帰省で乗った他の船の階段たち


新日本海フェリー「あかしあ」の階段
3層吹き抜けの中に折返し階段が設置されています。


商船三井客船「にっぽん丸」の階段
スタンダードな折返し階段です。限りある船内の空間を有効に使うため、大概の船で用いられる形式ですね。


阪九フェリー「せっつ」の階段
螺旋階段ですね。


名門大洋フェリー「きたきゅうしゅう」の階段
折返し階段です。奥の壁は全面鏡になっています。

こうして比べて見ると、やはり「すいせん」の大階段の開放感は抜きん出ていますね。



ちなみに「すいせん」の階段を上から見ると、こうなっています。
床に絨毯が敷かれていたり、壁にオブジェが飾られていたりと、貨物中心の航路に就航している船の中とは思えない豪華な内装です。また、就航から15年を経ても、手入れが行き届いていて古さは全く感じません。



敦賀新港にて

2010年04月03日 23時02分22秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
現在、敦賀新港の新日本海フェリーターミナルにいます。

サンダーバード43号で敦賀駅に21時37分に到着。予定では22時35分の連絡バスで港に行くつもりでしたが、一本前の21時55分の連絡バスに間に合ったので、それに乗りました。乗客は少なく、2名のみでした。(他の徒歩客は後のバスを利用するのかな・・)
港到着後、すぐに乗船手続きをしました。今日は2等寝台利用です(学割9360円)。今日の船は2等の設定が少ないので、寝台の方がゆったり使えるかと思います。

今日の船は、「すいせん」です。往路で乗った「あかしあ」の先輩に当たる船で、航海速力29.4ノットの超高速大型フェリーです。全長は199.5mで、「あかしあ」よりはやや小さいですが、それでも日本最大級の大きさです。(重さでは「あかしあ」より重い)
実は、2001年に祖母と初めて北海道へ渡ったときに使ったのが、この「すいせん」の同型船、「すずらん」でした。きらびやかな装飾、エントランスから真っ直ぐに伸びた大階段、シアタールームなど、瀬戸内海航路の船にしか乗ったことが無かった、当時の私には驚きでいっぱいの船でした。
昨日運航スケジュールを見たところ、4月3日は「すずらん」の就航日だったので、久々に思い出の船に乗れると思っていたのですが、実は敦賀出港が午前1時で、運航日は4月4日扱いになるのだそうで、今日は「すいせん」の日だったのでした。
まぁ、内装は違えど同型船ですから、多少は思い出に浸れることでしょう。
23時30分から乗船となります。
早くケータイを充電したい・・。

実家を出発・・

2010年04月03日 19時47分17秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
まず最初に、一週間にわたって更新出来ず、ごめんなさい。

この間に起こったことをメモしておくと、
・九州旅行の太宰府から後の話
(大分県に行き、日本の全都道府県踏破を達成しました)
・研究作業一段落(ブログが更新できなかったのは、この作業のため)
・エイプリルフール(超大作を用意していたのに、当日更新できなかった・・orz)
・大阪駅周辺の再開発現場の散策(凄まじく変貌していました)
・さらば、我が愛車!
・イオンモール大和郡山に行った(激しくでかかった)
といった面白そうな出来事が目白押し・・。
必ずや、近日中にアップいたします。

さて、標題の通り、私はさきほど実家を出発し、現在近鉄の京都行き急行に乗車中です。このあと京都でJRに乗り換え、特急サンダーバードで敦賀へ、そして敦賀から新日本海フェリーで一路北海道は苫小牧へと戻る予定です。
いつも飛行機利用のところ、今回の帰省では資金節約のため、往復フェリー利用、にっぽん丸と九州旅行を含めれば、この約2週間で5回も船に乗っています。つくづく変わった春休みでしたね。

九州旅行その後・・

2010年03月30日 10時32分17秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
太宰府の祖父の家に着いたのは、実は予定よりも1時間近く早い時間で、祖父母は共に買い物に出掛けていたため、帰りを待ちました。途中で甘木の大叔母(祖母の妹)も合流し、近況報告などをしていると、ちょうど予定していた時間に祖父母が帰ってきました。
半年ぶりに祖父母と会ったのですが、大学院進学に際して多大なる支援を頂いているので、まずはそのお礼と、やはり近況報告をしました。例の、先日アメリカの論文誌に受理された論文の概略も見せましたよ。
本当に、祖父母には私が恩返しできるようになるまで、まだまだ長生きしてもらわないと・・と思います。
薩摩隼人の祖父はいつも通りのツンデレっぷりで、「お前が来るとご飯代が高くついて困る!」と言いつつ、この日も近所の鮮魚店のお寿司を2人前×7つも用意してくれて(祖父母と大叔母、母と私の5人しかいないのに)、今回も満腹にしていただきました。(後の運転が大変だ・・)

計3時間ほど祖父の家に滞在した後、甘木の大叔母の家に、祖母と一緒に向かいました。大叔母の車の先導で、裏道を走ったのですが、インサイトは5ナンバー車なので、割と細い道でもそれほど緊張せずに走れました。
30分ほどで甘木に到着。平成の大合併で、甘木市も朝倉市甘木となっていました。大叔母の邸宅にお邪魔し、まずは去年秋に亡くなった大叔父の仏壇を拝んだ後、再びそれぞれの近況などの世間話に花が咲きました。

ここでも2時間ほど滞在した後、祖母と大叔母と別れ、熊本方面に向かいました。
夕暮れまでに墓参りを済ませたかったので、山鹿市近郊(旧三加和町)の父方の先祖の墓へ急いで参りました。この辺は、ここ20年間ほとんど変わらない、いわゆる田舎の風景が残っている地域で、いかにも「田舎に帰ってきた」という感覚を味わえます。
いつもの商店に車を停めさせてもらい、その店でお供え物を買って、数百mほど離れたお墓へ歩きました。途中、田圃に菜の花が咲いていて、春らしい光景を楽しめました。1年半前のお彼岸以来の参拝で、お墓の現状が気になっていましたが、どうやら先客がいたようで、草取りなどはちゃんとされていました。それでも枯れ枝などが散らばっていたので、軽く箒で掃いてから、拝みました。


お墓の近くの菜の花畑。左手の森は城跡で、その麓に堤家累代の墓があります。

お墓を後にした我々は、植木町の父方の親戚の家(祖母の骨が納骨されている墓がある)に向かいました。植木町は、つい先日の今月23日に熊本市と合併し、熊本市植木町となりました。西瓜の名産地で、温泉地でもあるのどかな町でしたが、合併により来年4月からは
政令指定都市の一角となります。変わるものですねぇ・・。
この日はここで泊めさせてもらいました。

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翌朝、8時半に植木の親戚の家を出発、佐賀県鳥栖市の叔母(母の姉)の家へまずは向かいました。去年、息子さん(つまり私の従兄弟)が結婚された(一応、このブログでも書いたのですが、途中で終わってる・・)のですが、この度赤ちゃんが生まれたそうで、写真を見せてもらいました。お父さん似だったかなぁ・・。従兄弟は高校からラグビーを始めたのですが、めきめきと頭角を現し、花園で準優勝、大学でもラグビーを続け、今は神戸製鋼に勤めています。私と4歳違いで、まだまだ現役選手として活躍するものだと思っていたのですが、なんと子供が出来たのを期に、今回現役を退いたそうです。ラグビーの引退の年齢としてもかなり早い方ですが、今後は後進の指導で活躍したいとのこと。私の4年後といったら、まだ博士号を取得できるかどうかで、ようやく社会にデビューするかも・・といった年ですから、世界の違いをひしひしと実感します。(良いんです、私は大器晩成型だそうなので・・)
叔母の家で道路地図を借り、この後の行動を考えました。当初の目論見では、長崎へ行くつもりだったのですが、この日の大阪へ戻る船の出航時間は17時。小倉駅北口から港への無料送迎バスは15時40分に出発することになっていたので、レンタカーの返却時間などを考えると、この時点で残り時間は5時間弱しかありませんでした。長崎へもし行ったとしても、滞在時間は1時間も取れず、ご飯を食べるくらいしかできません。仕方が無いので長崎へ行くのは諦めるとして、このまま北九州まで真っ直ぐ帰るのも面白くありません。どこか良い寄り道先が無いかと考えていて、思い出しました。私はこれまで日本全国47都道府県の内、46都道府県を既に踏破しましたが、未だ未踏の県がすぐ近くにあったのです・・。それが「大分県」です!鳥栖から最寄の「大分県」である日田市までは30分ほど。往復して九州自動車道に戻っても、十分フェリーの時間に間に合います。
善は急げ、早速叔母の家を出発し、インサイトで走り出しました。

途中、うっかり高速道路を乗り間違えて、大分へ行くつもりが長崎自動車道に乗ってしまうミスがあったものの、1つ目のインター(十数キロ先でした)でUターンし、なんとか方向修正し、予定通り30分ほどで大分県境に至りました。


大分自動車道の福岡・大分県境。実は、母の実家は以前朝倉郡杷木町(現朝倉市)にあったので、日田市は目と鼻の先でした。私も何度も杷木へは行ったことがあるのに、大分県が最後の未踏県になるとは、因果なものです。
ともあれ、この県境を越えた時点で、私はついに日本全都道府県を踏破したわけです。

道が空いていたので、もう少し足を伸ばして、かねがね一度行ってみたいと思っていた、湯布院を目指すことにしました。


そして鳥栖出発から1時間半、湯布院に到着しました。(写真は由布岳PAから撮影)
とりあえず湯布院インターの目の前にある、道の駅に入りました。
この時点の時刻は12時20分。せっかくなので温泉に入りたいところですが、ちょっと時間に余裕が無いので、断念。


道の駅からも由布岳が綺麗に見えていました。


昼ご飯は道の駅の露店で購入した「地鶏唐揚げ(柚子胡椒味)」と「とりめし」でした。
唐揚げと柚子胡椒はあいますねぇ。自分でも今度作ってみようと思いました。

お土産なども買い、40分ほどで道の駅を出発。
九州自動車道へは戻らず、このま大分道を東進して九州東海岸側へ出て、日出ジャンクションから宇佐別府道路に乗り換えて北へ転進、宇佐からは国道10号線で北九州を目指すルートで走ることにしました。カーナビの予想到着時間は3時間後の16時頃ですが、タイムリミットは残り2時間。正直間に合うのは難しいかと思いつつも、路上の人になりました。

走り始めると、大分道、宇佐別府道路ともに空いていて、他の車の速度もかなり速かったため、湯布院から僅か30分で国東半島を縦断して宇佐まで至りました。さらに下道に下りてからもほとんど信号に引っかからなかったため、平均速度40キロ程度で走り続けることができ、結局小倉駅北口にはカーナビの予想よりも1時間早い、15時前には到着できました。
その後指定ガソリンスタンドで給油し、レンタカーを返却しましたが、送迎バスには十分余裕を持って間に合うことができました。これだけスムーズに走れたのも、インサイトのおかげかもしれません。


帰りの船は、名門大洋フェリーの「フェリーきたきゅうしゅう」。
全長160m、9350総トンで、阪九フェリーの船よりはやや小柄な船です。就航は1992年で、既に18年を経過しているため、同じ会社の2便(20時発)で使われる船と比べてかなり古さが感じられます。(もう新造船に代わってもおかしくないのですが、燃料費高騰などの影響で、なかなか余裕が無いようです)
今回は高校の剣道部や少年サッカー、バスケットボールのグループが多く乗船していたため、船内はかなり汗臭い感じでした・・。
この船には安価な1人部屋は設定されていないため、特2等(8人相部屋)を利用しました。(あまりむさ苦しかったので、乗船後に母は女性専用部屋に変更しました)


新門司港をほぼ定刻に出航後、すぐに右舷側に新北九州空港が見えてきました。
ちょうど、この空港を拠点とするスターフライヤーの飛行機が降りてきました。

今日は結構長いこと運転して疲れたので、周防灘に出た辺りで、早々に寝入りました。


翌朝、つまり今朝は午前2時に起床。ロビーで研究作業(持参したPCで)を行って、大阪南港入港まで過ごしました。

大阪南港には午前5時半入港。甲板でその様子を見ていたのですが、夜明け間近の空の色にしばし見入りました。


その後、ニュートラムと近鉄、自家用車を乗り継ぎ、9時頃に三重県伊賀市の実家に帰りつきました。
近畿地方では前夜から雪が降ったらしく、3月末だというのに珍しく雪が積もっていました。

今回の九州旅行のまとめ、
・インサイトは良い車だ。
・大分はまたゆっくり行ってみたい。



太宰府にて

2010年03月28日 09時32分01秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
フェリー「せっつ」は定刻6時に新門司港に入港しました。
韓国人ツアー客がやや騒がしかった以外は、まあ快適な船旅でした。船内で研究作業(今月中にパソコンでデータ処理しないといけないのです)もできましたし、やはり船にして良かったと思います。

港からは無料送迎バスで門司駅(再開発でたいぶ景観が変わりましたね)まで出て、JRで小倉へ。


現在の門司駅。立派な橋上駅になっていて、北側にはタワーマンションもできていました。


小倉駅南口のビルは何度見ても面白い構造ですよね。誰が考えたのでしょうかね。門型のビルからモノレールが飛び出して来るなんて・・。

小倉駅北口のオリックスレンタカーで車を借り、九州自動車道で太宰府に至りました。
今日のレンタカーは、一昨日夜に急遽インターネットで予約した、格安プランSクラス(ホンダ・フィット相当)のはずでしたが、レンタカー会社側の都合で車がアップグレードし、なんとあのハイブリッド車、インサイトになりました!
プリウスには以前試乗会で乗ったことがありますが、インサイトはなかなかそんな機会もなかったので、どこかで一度乗れたらなと思っていたのです。

運転席の情報画面によれば、小倉から太宰府までの燃費は22km/L(!)で無給油での航続可能距離はなんと1000kmとのことでした。東京まで行けちゃいますがな・・。
ハイブリッド車、おそるべし・・。

それにしても、インサイト、格好良いですねぇ。

フロントから。


メーター。デジタル表示となっており、定速走行がし易くなっています。
中央の情報画面は、エンジンとモーターの出力状況や、瞬間燃費、航続可能距離などの切り替えが可能です。


途中のPAで新型プリウスと並んだので、比較用に一枚・・。かなりよく似たデザインの両者ですが、フロントマスクはインサイトの方が私の好みに合っています。インサイトは旧来の車の正統発展系という感じでしょうか。ハイブリッドのシステムや内装的にも、プリウスは未来の車というイメージが強いです。


後ろから見ると、さらにそっくりな両者。私はこれまで見分けがつきませんでしたが、今回、ようやく差が分かりました。テールランプの上下方向の長さで区別が付きますね。

出航

2010年03月27日 18時00分17秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
ただ今、阪九フェリー「せっつ」の船内にいます。

今日から母と二人、3泊4日で九州を旅行してくる予定です。
遅いお彼岸みたいなもので、熊本(父方)や福岡(母方)の親戚の家及びお墓にお参りします。

今しがた、船は泉大津港を出航しました。明日の朝5時半には北九州・新門司港に到着する予定です。
その後は小倉でレンタカーを借り、一路太宰府の祖父の家に向かうつもりです。
往復フェリー利用なので、実質36時間ほどの九州滞在ですが、効率良く廻ろうと思います。


阪九フェリー「せっつ」
全長189m、全幅27m、15200総トンの大型フェリーで、瀬戸内海では最も重いフェリーです。阪神淡路大震災の年、95年の12月に就航したため、当初は「We Love KOBE」という文字が船体に大きく描かれていました。総トン数の割に船室はコンパクトにまとまっています。

今日の船室はこちら。↓

今日は2等指定A室を利用しています。一人部屋の個室です。
他のフェリー会社の場合、一人部屋は大概1等相当の船室で、お値段もお高くなってしまいますが、阪九フェリーでは2等相当に当たり、学割も適用されますから、私もよく利用しています。おまけに今日は高速道路割引に対抗して、土日25パーセント割引になっているため、7000円でチケットを買えました。

写真の通り、カプセルホテルに机と通路が付いたような構造になっていて、鍵もちゃんとかかります。
テレビはベッドの天井に埋め込まれています。
夜行バスよりも安くて、この設備なら、なかなか良いではないでしょうか。

実家到着

2010年03月19日 01時59分52秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
敦賀から2時間半、長浜と草津で乗り継いで、実家近くにある柘植(つげ)駅に到着しました。
敦賀で予定より早い電車に乗れたおかげで、特急列車を使わずに済んで良かったです。

駅には家族が迎えに来てくれていて、家の車で実家に帰り着きました。
実家のある伊賀地方は、今夜は薄く霧が出ていて、なかなか幻想的でした。霧は春先に出やすいものです。昨日の夜、札幌を出発したときは雪景色でしたから、高速フェリーに乗って、季節の境を越えて来たんだな・・と一人感じ入りました。

僅か二ヶ月ぶりの再会ですが、やっぱり普段離れ離れで生活していると、久しぶりに生身で接するのは嬉しいものですね。



草津線の車両は、懐かしの湘南色の113系でした。通勤路線として定着しているようで、草津からしばらくはほぼ満席でした。


車内も古典的ボックスシート。この車両も近々引退するとの噂が流れています。

敦賀駅にて

2010年03月18日 21時10分36秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
船は定刻の午後8時30分に、敦賀新港に到着しました。
荒天での定時運航、船と船員さんにはご苦労様と言いたいですね。


徒歩での下船客は8人のみで、駅への連絡バスはすぐに出発しました。
駅までは20分弱の道のりで、目当ての9時10分発の米原行きに十分間に合いました。


6年ぶりの敦賀駅です。改札が自動化されていなかったり、ホーム配置が不思議なこと(4番線が5番線の先にあり、150mほどホームへの階段から歩かなければならない)になっていたりで、なかなか個性的な駅です。

このまま乗り継げば、終電よりも一つ早く実家近くの駅に着けそうです。

石川県沖を航行中

2010年03月18日 19時19分10秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
その後、うねりを伴った横波に大きく揺さぶられつつも、「あかしあ」は順調に日本海中央部を疾走し続け、無事に石川県沖まで至りました。
あと1時間強で敦賀入港です。
敦賀からはJRで実家の近くの駅に向かう予定ですが、船が定刻に着いたとしても、終電に間に合うかどうかが微妙なところです。

今日の日中は、プロムナードデッキで海を眺めたり、シアターで映画(「おくりびと」と「オーマイゴースト」)を観たりして過ごしました。

ケータイも圏外ですし、日頃のせわしなさから解放されたひと時でした。

途中、午前10時30分頃には、敦賀から苫小牧へ向かう僚船の「すいせん」(「すずらん」と同型姉妹船)とすれ違いました。
やや海が荒れていたためか遠距離でのすれ違いで、特に船内放送もなく、他の乗客は気付いていませんでした。


船首に大波を受けて進む「すいせん」。船室のカーテンもほとんど閉まっていますし、あちらも乗客は少なそうです。


お互い超高速航行中で、相対速度約120キロでのすれ違いなので、ほんの数分ほどで視界から去っていってしまいました。




午後1時からは映画タイムで、6階のコンファレンスルーム(シアター)で「おくりびと」と「オーマイゴースト」の2本立てで上映されました。
題名からお分かりのように、2本目は幽霊ネタのコメディ映画でした。なかなかセンスを感じるチョイスです。
「おくりびと」は、昨年春に映画館で観て以来でしたが、今回も泣かされてしまいましたよ。やはり名作だと思いました。
観客は私を含めて5名程度でした。



船上の日の出

2010年03月18日 06時30分59秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
津軽海峡通過後、津軽半島を回り込むように日本海を進む「あかしあ」。
ほぼ正面からうねりを受けているため、上下動が大きく、身体にかかる重力が常に変動しています。

午前5時頃から空が徐々に白けはじめてきました。
朝の気配が感じられます。


「あかしあ」は高速なため、通常の船のように甲板に自由に出られません。「あかしあ」で唯一外の空気を味わえる場所は、5階(客室や公室は船の4階から6階にあたります)の後部オープンデッキのみです。今回、日の出を拝むため、私はこのオープンデッキに1時間以上出ていました。
外は恐らく氷点下で、雪が時折舞い込んできます。
凍りつきそうになる手を、時折ポケットに入れて温めながら、日の出を待ちました。
案内所に日の出の時間が掲示されていましたが、船体動揺のためか、私以外に甲板に出ている人はいませんでした。

そして、午前6時頃、ついに日の光が雲の隙間から差込みました。
心が洗われるような光景でした。



ロッド・スチュワートの「セイリング」を思わず口ずさんでしまいました。

津軽海峡通過中

2010年03月18日 04時00分58秒 | えぞ日記(北海道編)・・旅
現在、「あかしあ」は津軽海峡を通過中です。

寝た記憶はなく、うとうとしながら1時間くらい経過しただろうかと思って時計を見たら、すでに出航から4時間経っていました。お酒の効果みたいです。


この海域は波高3メートルとシケており、船のあちこちから軋む音が聞こえ、時折船首に波が当たる「ドーン」という音も響いています。しかし、揺れはほとんど感じません。フィンスタビライザーを展開しているのと、やはり大きな船だからでしょうか。
今日の日中は、徐々に波も低くなってくるので、そこそこ快適なクルーズが楽しめるはずです。

今はたまたま陸地に近いところを航行しているため、電波は通じていますが、これから日本海のかなり沖合まで進んでいくので、間違いなく圏外になります。というわけで、今の間に更新しておこうと思ったわけです。

ほろ酔い加減って気持ち良いですねぇ・・。