【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

~大和民族公園 ・ 奈良県立民俗博物館(みんぱく)めぐる ~2024.6.14.(金)

2024-06-18 | いきいき健康ウォーク
せいか365プロジェクト  いきいき健康ウォーク    2024.6.14.(金)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

コース : 近鉄新祝園駅→ 近鉄郡山駅(下車)→郡山城跡(立ち寄り)→矢田坐久志玉比古神社→ みんぱく(昼食)→近鉄郡山駅(解散 14:30頃の予定)
※状況により歩行コース、予定時間が変更される場合があります。
歩行 : 約9km、 約14,000歩、 実質歩行時間約2.5時間

大和郡山城  
郡山城址天守台の南下に、柳沢藩の開祖・柳沢吉保を祀る柳沢神社が鎮まります。桜シーズンの大和郡山お城まつりでは、金魚品評会などで賑わう神社として知られます。大和郡山城の本丸跡に建つ、風格漂うお社です。

柳沢神社 👇郡山高校 美術部一同

5代将軍綱吉の側用人として仕え、柳沢家中興の祖とも称えられる柳沢吉保公。金魚の養殖をはじめ、様々な恩恵を与えてきたその功績により、明治13年に旧藩士によって神社が創建されるに至りました。その際に植えられた数百株にも及ぶ桜の木が、今では多くの花見客の目を楽しませています。郡山城にお花見におでかけしませんか?こちら
👇郡山城絵図

天守台

この天守は逆さ地蔵の祟りや大和大地震で倒壊したという俗説が残っている。『郡山城と城下町』によると「現存している天守台に5層6階の天守は建築学上から考えて建てられること不可能」としている。しかし2013年(平成25年)から2017年(平成29年)にかけて調査・整備事業が行われ、礎石が確認された。この調査で、豊臣秀長時代あるいは増田長盛時代には天守が確実に存在し、後に二条城更に淀城へ移築された話も事実と確定された。平成29年3月26日から展望台施設が公開された。
天守台展望2013年(平成25年)から4年をかけて天守台の石垣の修復と展望施設の整備を実施、2017年(平成29年)から一般に公開されています。



標高82mで眺望がよく・奈良の春日山原始林、東大寺の大仏殿、興福寺の五重塔、薬師寺の二つの塔、唐招提寺の講堂等の世界遺産が遠望できます。

郡山高校の正門近くに、詩人で教育者の森口武男の詩碑「金魚とねこ」があります。

詩は次の通りです。
金魚が
鉢でおよいでいる
ねこがじっと見ている
どうしたの?
金魚は泳ぎをとめてきく
ねこはだまっている
あたいを写生?
金魚は
頬を鉢にすりよせる
そこで
ねこは
鉛筆と紙をさがしにいく
      森口武男
森口武男の詩碑「金魚とねこ」こちら

 
大正天皇ご即位記念に献ぜられたる青銅馬一体、先の太平洋戦争末期 供出の命を受け、国のため奉ぜらる。長く石鉄のみ残れるを痛み、之を再現す。平成二年九月吉日 今西康彰 中西佳男

【民俗博物館】


奈良県立民俗博物館は1974年(昭和49年)11月10日に開館した。奈良県(大和国)に暮らす人々がその風土の中で生み出し、改良工夫を重ねて伝えてきた生活用具など民俗文化財を通して生活文化を学ぶことができる博物館である。常設展示は大和の生業をテーマに、県北西部に位置する奈良盆地の稲作、県北東部に広がる大和高原の茶業、県南部を占める吉野山地の林業をその代表として取り上げ、地域で伝統的に培われてきた仕事の様子が理解できる構成となっている。また2013年(平成25年)からは「昔のくらし」として、大正から昭和期の一般家庭の家の中をイメージした展示や、実際に道具に触ったりできる体験コーナーなども設置されている。


【大和民俗公園】



奈良県立大和民俗公園は約26.6ヘクタールの敷地を有する都市公園で、民俗博物館は公園の一角、敷地の南東寄り中央に位置している。公園は「里山」を活かしながら梅林や菖蒲園などが整備されている。また、公園内には奈良県内各地から移築・復原した江戸時代の伝統的な家屋(民家・土蔵)など15棟があり、うち3棟は国指定重要文化財、10棟は県指定有形文化財となっています。
【矢田坐久志玉比古神社】

 
拝殿の扁額には【矢落大明神】と。

矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)は、別名「矢落(やおち)神社」。延喜式神名帳に記載されている大和国添下郡十座の筆頭社で式内大社。旧社格は、県社(昭和13年10月、郷社より格上げ)。『新抄格勅符抄(しんしょうきゃくちょくふしょう)』大同元年(806)の諸社神封の条に「矢田神二戸 大和」とあり、当社はそれ以前に創祀されていた古社であることがわかる。仁徳天皇の皇后である矢田皇女は、この地方の出身と考えられている。「当地方最大の古社として創建より六世紀前半までは畿内随一の名社として栄えた」と掲示板に記されている。祭神である櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)が天磐船(あまのいわふね)に乗って空を飛んだという、先代旧事本紀に記されている故事により航空祖神として崇められ、毎年9月20日に航空祭が行われる。実際に、戦闘機で使用されていたプロペラが奉納され、楼門屋根裏から吊されている。

このプロペラは「陸軍九一戦闘機」のもので、実際に軍用機として使用されたものを奉納したもののようです。
当社が航空の神として信仰されていることを端的に示すものです。

ここで解散でした、さて、「みなさぁ~ん、近鉄郡山駅まで徒歩で行くか近くのバス停で郡山行きのバスに乗るか、どっちにしますか?」「バスに乗りたいでぇ~す」少し歩くと《矢田東山》バス停が見えました。
ウチに帰って歩数計を見ると18224思わず「やったぁ!!」

タイサンボク(泰山木)モクレン科

 郡山城                民族博物館庭園
別名で、ダイサンボク、ハクレンボクともよばれる。ときに高さ20メートルになる大木であり、白い9枚の花被片からなる大きく碗状の花が上向きに咲く。花の形から「大盞木」(たいさんぼく、盞は「さかずき」)とされ、その後「泰山木」の字が充てられたともされる。北米南東部原産であるが、日本など世界中で広く植栽されている。

大和郡山市マンホール

大和郡山市の代表的な地場産業である「金魚養殖」の金魚が、金魚鉢の中を元気よく泳ぐ姿を図案化して製作したマンホール蓋。大和郡山市の金魚養殖は享保9年(1724年)、柳澤吉里候が甲斐から 大和郡山へ入部したことに端を発すると伝えられ、幕末には藩士の副業として盛んに行われるようになりました。 それ以来歴史を積み重ね、今では毎年4月上旬に金魚品評会が桜花爛漫の郡山城址内の柳澤神社で行われるほか、 8月下旬には金魚スクエアで「全国金魚すくい選手権大会」が開催されるなど、大和郡山の風物詩になっています。