≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
主催 NPO法人ふるさと案内・かも
鎌倉時代の偉業を見て、その役割の大切さを実感しながらウォーキングしましょう。
「ふ~ん、真っ暗な隧道を歩くんやね~どんなんかなぁ・・・」
と言う思いが募って、その真っ暗な隧道を歩く会に参加してまいりました。
JR加茂駅から恭仁大橋を渡り加茂の町を通り和束町まで歩き和束川にある大井手用水路の井手枕(取水口)まで遡り、そこから大井手用水路に沿って千本枕(用水路の終点)まで歩き恭仁京跡で解散。
この日のハイライトはなんと申しましても隧道(ずいどう)歩きです。
大井手用水路の左側を用水路に沿ってず~っと歩くのですが途中、真っ暗な隧道(トンネル)を歩きます
隧道の長さは約250m
高さは人が真っ直ぐには立てない高さでした、ちょっとかがまないと頭が天井にあたってしまいます。
巾は1.8m
所々、水が溜まっているそうです、それで、隧道の入り口で長靴に履き替えました。
隧道の中は真っ暗です、懐中電灯は必携です。
真っ暗な隧道を歩く実況中継です
真っ暗な隧道の中を懐中電灯のささやかな光を頼りに歩いていると、
「カーブありで~す、こっから左へカーブしてま~す、ここら辺はまだ、天井は大丈夫で~す」と先頭集団から・・・
「は~い」と、後ろの方から返事があります。
「ここら辺は少し天井が高くなってまぁ~す、天井の高いとこで、ちょっと腰を伸ばしといて下さいよ~~、これからまだまだですからねぇ~~」
順番に立ち止まって腰を伸ばしてホッ!
「これって自然のままのトンネルなんですか?」
「いえいえ、掘ってるんですよ、ほらほら、アタマの上、岩岩岩でしょ」
「は~い、こっから腰を落としますよ~ハイ腰かがめてくださ~い」
頭上に岩がビュンと出てます
「コレは当たったら痛いでぇ~」
「まぁ、2~3回くらいはゴ~ンと当たりますよ~」
「雲母がキレイねぇ」懐中電灯を向けると、頭上の岩がキラキラ光ってるんですよ、
「ハイこの後、急に低くなりまぁす、かがんで下さ~い」
「オーケーで~す」
「ここね、初めて通ったときねぇ、コウモリが居やへんか、ヒルは?蛇なんかも居やへんかねぇ、心配でしたわ~~」
「おぉアタマ打ったぁ」
「これが、250mあるんだけど、250mって長いねぇ・・・」
所々、自然の岩のままだったり、また、所々鉄の型枠がはめてあったりします。
「この辺りは足元が乾いてますが、ちょっと行くとドボッと深くなるところもありますから、気ぃつけて下さいよ~~」
「あんまり湿気た臭いはしませんねぇ」
「ハイ、意外としませんねぇ」
「足元、気ぃ付けてくださいよ~ボコッと石が飛び出てるところもありますからね~」
「この辺りは水がドボドボですなぁ」
「ハイ頭打ちますよう、かがんで下さ~い」
とかなんとかワイワイ言いながら先頭から最後尾の人まで一本のロープでつながっていました。
「明かりが見えて来たよ~」
「もうすぐ出口ですよ~明かりが見えてきましたよ~~」
「ハイここ段差あり~」「段差あり~~」「は~い段差あり~」「オーケー段差あり~~」と、お口で連絡網
「着いた着いた、ハイ終わりですよ~」
「はぁ~ずっとかがみっぱなしだったんで、腰に来ましたなぁ・・・」
隧道を出たところで、長靴からトレッキングシューズに履き替えて足元もホッとしました。
「田んぼに水を入れるために・・・ですよね?」
「あぁ スゴイなぁ~~」
真っ暗な隧道を一人で、って言われたらアカンやろなぁ、30数人でワイワイ言いながら一緒だったから歩けたんやねぇ
「立春のこだま隧道抜けてくる」 田山諷子
↑道草さんからいただきました。
また、大井手用水路に沿って千本枕(終点)まで歩きました。
ここでは、用水路が二手に分かれていました。
「昔、ここは、流れてきた用水路の水を二手に分けたい為に松の杭を打って並べたと言われている所です」
ちょっと時雨模様の中を恭仁京跡を通りJR加茂駅まで歩きました。
恭仁京跡を通りかかったときから急に時雨が雪に変わり、寒かったぁ・・・
【おまけ】
大井手用水路
瓶原(みかのはら)は恭仁京の頃から水利の便が悪く、畑ばかりで米の収穫が殆どないところでした。
農家は旱魃(かんばつ)の被害を受け困窮しました。
鎌倉中期(1222)海住山寺慈心上人の努力で和束川から水を引き、10数年かけて約7㎞の大農業用水路(大井手用水路)を造りました。
当時は機械などなく、全て人手で山肌を拓き、岩を削る大変な工事でした。
これにより瓶原(みかのはら)の米の収穫量は約600石から江戸時代には2500石までになったと言われています(約90トン⇒約375トン)
昭和28年、南山城大水害で一部損壊しましたが、800年経った今もその当時の基本的な仕組みは変わることなく、大切な農業用水として利用されています。
①用水路の長さ 6755m
②用水路の幅 約1.8m
③勾配 1/1250(1250mで1mの高低差)
④用水の放流時期 5月初旬~9月中旬
こんな景色に遭遇しました
主催 NPO法人ふるさと案内・かも
鎌倉時代の偉業を見て、その役割の大切さを実感しながらウォーキングしましょう。
「ふ~ん、真っ暗な隧道を歩くんやね~どんなんかなぁ・・・」
と言う思いが募って、その真っ暗な隧道を歩く会に参加してまいりました。
JR加茂駅から恭仁大橋を渡り加茂の町を通り和束町まで歩き和束川にある大井手用水路の井手枕(取水口)まで遡り、そこから大井手用水路に沿って千本枕(用水路の終点)まで歩き恭仁京跡で解散。
この日のハイライトはなんと申しましても隧道(ずいどう)歩きです。
大井手用水路の左側を用水路に沿ってず~っと歩くのですが途中、真っ暗な隧道(トンネル)を歩きます
隧道の長さは約250m
高さは人が真っ直ぐには立てない高さでした、ちょっとかがまないと頭が天井にあたってしまいます。
巾は1.8m
所々、水が溜まっているそうです、それで、隧道の入り口で長靴に履き替えました。
隧道の中は真っ暗です、懐中電灯は必携です。
真っ暗な隧道を歩く実況中継です
真っ暗な隧道の中を懐中電灯のささやかな光を頼りに歩いていると、
「カーブありで~す、こっから左へカーブしてま~す、ここら辺はまだ、天井は大丈夫で~す」と先頭集団から・・・
「は~い」と、後ろの方から返事があります。
「ここら辺は少し天井が高くなってまぁ~す、天井の高いとこで、ちょっと腰を伸ばしといて下さいよ~~、これからまだまだですからねぇ~~」
順番に立ち止まって腰を伸ばしてホッ!
「これって自然のままのトンネルなんですか?」
「いえいえ、掘ってるんですよ、ほらほら、アタマの上、岩岩岩でしょ」
「は~い、こっから腰を落としますよ~ハイ腰かがめてくださ~い」
頭上に岩がビュンと出てます
「コレは当たったら痛いでぇ~」
「まぁ、2~3回くらいはゴ~ンと当たりますよ~」
「雲母がキレイねぇ」懐中電灯を向けると、頭上の岩がキラキラ光ってるんですよ、
「ハイこの後、急に低くなりまぁす、かがんで下さ~い」
「オーケーで~す」
「ここね、初めて通ったときねぇ、コウモリが居やへんか、ヒルは?蛇なんかも居やへんかねぇ、心配でしたわ~~」
「おぉアタマ打ったぁ」
「これが、250mあるんだけど、250mって長いねぇ・・・」
所々、自然の岩のままだったり、また、所々鉄の型枠がはめてあったりします。
「この辺りは足元が乾いてますが、ちょっと行くとドボッと深くなるところもありますから、気ぃつけて下さいよ~~」
「あんまり湿気た臭いはしませんねぇ」
「ハイ、意外としませんねぇ」
「足元、気ぃ付けてくださいよ~ボコッと石が飛び出てるところもありますからね~」
「この辺りは水がドボドボですなぁ」
「ハイ頭打ちますよう、かがんで下さ~い」
とかなんとかワイワイ言いながら先頭から最後尾の人まで一本のロープでつながっていました。
「明かりが見えて来たよ~」
「もうすぐ出口ですよ~明かりが見えてきましたよ~~」
「ハイここ段差あり~」「段差あり~~」「は~い段差あり~」「オーケー段差あり~~」と、お口で連絡網
「着いた着いた、ハイ終わりですよ~」
「はぁ~ずっとかがみっぱなしだったんで、腰に来ましたなぁ・・・」
隧道を出たところで、長靴からトレッキングシューズに履き替えて足元もホッとしました。
「田んぼに水を入れるために・・・ですよね?」
「あぁ スゴイなぁ~~」
真っ暗な隧道を一人で、って言われたらアカンやろなぁ、30数人でワイワイ言いながら一緒だったから歩けたんやねぇ
「立春のこだま隧道抜けてくる」 田山諷子
↑道草さんからいただきました。
また、大井手用水路に沿って千本枕(終点)まで歩きました。
ここでは、用水路が二手に分かれていました。
「昔、ここは、流れてきた用水路の水を二手に分けたい為に松の杭を打って並べたと言われている所です」
ちょっと時雨模様の中を恭仁京跡を通りJR加茂駅まで歩きました。
恭仁京跡を通りかかったときから急に時雨が雪に変わり、寒かったぁ・・・
【おまけ】
大井手用水路
瓶原(みかのはら)は恭仁京の頃から水利の便が悪く、畑ばかりで米の収穫が殆どないところでした。
農家は旱魃(かんばつ)の被害を受け困窮しました。
鎌倉中期(1222)海住山寺慈心上人の努力で和束川から水を引き、10数年かけて約7㎞の大農業用水路(大井手用水路)を造りました。
当時は機械などなく、全て人手で山肌を拓き、岩を削る大変な工事でした。
これにより瓶原(みかのはら)の米の収穫量は約600石から江戸時代には2500石までになったと言われています(約90トン⇒約375トン)
昭和28年、南山城大水害で一部損壊しましたが、800年経った今もその当時の基本的な仕組みは変わることなく、大切な農業用水として利用されています。
①用水路の長さ 6755m
②用水路の幅 約1.8m
③勾配 1/1250(1250mで1mの高低差)
④用水の放流時期 5月初旬~9月中旬
こんな景色に遭遇しました