読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【読了本】『ドキュメント 豪雨災害』 語り継がれるべき紀伊半島豪雨の悲劇と教訓

2014-08-31 13:42:24 | 本のお噂

『ドキュメント 豪雨災害 そのとき人は何を見るか』
稲泉連著、岩波書店(岩波新書)、2014年


このところ、自然がわれわれに見せる相貌がひどく暴力的になってきていると感じることが増えました。
とりわけそれを感じるのが、各地で頻発するようになった局地的な激しい豪雨です。この夏は西日本を中心に、浸水や土砂崩れを伴う豪雨があちこちで発生しました。直近では、広島市に降った大雨が同時多発的な土砂崩れを生じさせ、70名以上もの命が奪われてしまいました。
そんな近年の豪雨災害で特に甚大な被害を受けたのが、東日本大震災と同じ2011年に発生した紀伊半島豪雨です。豪雨による災害から、ちょうど3年目となります。
ゆっくりと進んでいた台風12号の影響で、9月1日から4日間にわたって長時間降り続いた雨により、三重、奈良、和歌山の3県を中心に98名もの死者・行方不明者を出す大災害が引き起こされたのでした。
中でもかなり大きかったのが土砂崩れの被害です。紀伊半島全域で3000以上も発生した土砂崩れにより、観測史上最大の約1億立方メートル(東京ドーム80杯分)の土砂がほぼ一晩で崩壊。土砂で川の流れが堰き止められてできた「堰止湖」も5ヶ所に上ります。
こうした甚大な被害があったにもかかわらず、同じ年の東日本大震災の陰に隠れて忘れられている紀伊半島豪雨を記録に残すべく、ノンフィクション作家の稲泉連さんが紀伊半島の現場を歩いて書き上げたのが、この『ドキュメント 豪雨災害』です。

大量の雨水をスポンジのように吸い込んだ山が、奥深い地盤ごと一気に崩れる「深層崩壊」が各所で発生する被害を受けたのが、奈良県の中山間地域である十津川村です。先に触れた「堰止湖」も十津川村周辺に集中しています。Google Earthの画像で十津川村周辺を見ると、各所で発生した深層崩壊の規模がいかに大きかったかがよくわかり、慄然とさせられるものがあります。
崩壊した大量の土砂は川に流れ込み、その流れを変えました。ある集落では、大雨で増水した川に流れ込んだ土砂により押し出された川の水が「段波」となり、対岸にあった住宅を飲み込みました。そこで何があったのか、十津川村の村長が語ります。

「お宮さんの前から掘り出されるように助けられたお子さんに、後から担任の先生がこんな話を聞いたそうなんです。段波が来たのは彼らがちょうど食事をしておったときで、何か家がぐるぐるとまわって、その間に水が入ってきた、と。水に押されて、空中に飛び上がったようなんですね。その水でお父さんが流された、とその子は言うた。担任の先生はそう語る子を抑えて『わかった、もう言わなくていい』とそれ以上は聞かなかったそうです。そんな悲惨な、地獄のようなことが実際にあったんです」

中山間地域ゆえ、逃げ場も限られた中で人びとに襲いかかった土砂災害の恐ろしさ。それがイヤというほど伝わってきました。

紀伊半島豪雨で特に人的被害が多かったのが、和歌山県の那智勝浦町の二つの地区でした。ここでは町長の妻と娘を含めた23人が亡くなっています。あたりが夜の闇に包まれた中で、増水した川は集落に押し寄せ、家や車、そして人を容赦なく流していったのです。
特に被害がひどかった「那智谷」とよばれる地域では水害の規模があまりに大きく、外部から救援に入った自衛隊が住民たちの情報を得ることにも困難をきたしました。初動部隊として現地入りした隊員の証言です。

「捜索活動というものは、行方不明者の方がもといた場所が分からないと、ただやみくもに探すだけになってしまいます。しかし、那智谷では避難指示の遅れで、避難所にはほとんど人がいなかったんです。
発災当初には一軒一軒の家を全て回る時間も人員もありません。よって、行方不明者の捜索は本来であれば自治体が避難所に人を出し、名簿を作成することで特定するしかない。つまり避難所に人が来ないということは、行方不明者が特定できないことを意味するんですね。(後略)」


那智勝浦の町長は家族を失うという悲しみを押し殺して災害対応にあたりました。にもかかわらず、町役場と現場の住民側との連携は終始上手くいっていなかったといいます。しかしそれは、ひとり那智勝浦町に限ったことではなく、滅多にない大規模災害に直面したどこの自治体でもあり得る共通の課題であることを、著者の稲泉さんは指摘します。
そんな混乱の中、地域の区長が自宅前に急ごしらえで設けた、机一つの「対策本部」のもとで、地域住民や外から来たボランティアがまとまって災害対応にあたることができた•••という話には、多くの教訓があるように思いました。

本書では十津川村と那智勝浦町での災害の教訓を受けて、首都東京における豪雨水害への警鐘を鳴らします。
ここでは、戦後の東京においてもっとも大きな被害となるも、住民同士が助け合うことで乗り切ったという、1947(昭和22)年のカスリーン台風のことが、当時の資料や証言によって再現されます。
しかし、その後の高度経済成長期における都市化の進展でゼロメートル地帯や地下空間が広がり、大都市における水害のリスクはより一層高まっています。その上、長らく大きな災害を経験していない住民側の意識も変わってしまっているという中で、いかに減災への対策を打っていくべきなのか。これもまた東京にとどまらず、全国各地の都市圏に共通した課題なのではないでしょうか。

本書は、十津川村と那智勝浦町の人たちが、未曾有の豪雨災害から少しずつ、力を合わせて立ち上がろうとしていることも、しっかりと伝えています。
十津川村では、今から100年以上前の1889(明治22)年にも、大きな豪雨災害の経験がありました。ゆっくりと進む台風によってもたらされた豪雨により各所で土砂崩壊が発生したという、3年前とほとんど同じ形の災害により168人が亡くなった上、2600人もの村民が北海道への移住を余儀なくされるという壊滅的な被害でした。
しかし、北海道で「新十津川村」を築いた人たちは、厳しい自然環境に屈することなく、米づくりで有名になるような町を作り上げました。そして十津川村に残った人たちもまた、災害から立ち上がって復興を遂げてきたのでした。
そんな村の歴史を踏まえながら語った、十津川村の村長の言葉に深い感銘を受けました。少し長くなりますが、ぜひ引用させていただきたいと思います。

「私は台風12号で村が孤立する中で、そうしてこれまで営々とつながってきた十津川の文化、十津川人の魂を守らなければならないと強く感じました。山に入って木を切れば飯が食えた時代は終わり、山を捨ててネクタイを締めて会社に行く生活をする時代になったけれど、そのなかで失われた大切な何かが、この村の歴史の中にはある。
だからこそ、この村を俺は復興させなければならない、というのが後の私の思いでした。この村のような場所、この村で培われた精神に誇りをもって、再興に向かって努力をする。それは日本の様々な場所で自然災害が起こり、試練を与えられているいま、とても意味のあることだと信じるからです」


大きな自然の猛威にさらされながらも、自分の住む場所に誇りを持ち、力を合わせて立ち上がろうとする不屈の精神。それが、本書から一番学ばなければいけないことなのかもしれないな、と思いました。

これからは全国のどこにいても、豪雨をはじめとする自然災害と無縁ではいられないであろう日本という国。そこで生きていく上で忘れてはいけない、語り継がれるべき悲劇の記憶と教訓を伝えてくれる一冊です。

9月刊行予定新書新刊、個人的注目本12冊

2014-08-29 22:22:55 | 本のお噂
蒸し暑かった夏の日々もついに終わったようで、朝晩には涼しさを感じるようになってきましたね。
蒸し暑い時期にはなかなか読書も進まなかったりしてたのですが(なんせウチにはクーラーというものがございませんので、ええ)、涼しくなってくるとムクムクと、読書欲が頭をもたげてくるのであります。秋からはきっちり、夏のぶんを取り返すつもりでいろいろな書物を読んでいきたいものであります。
というわけで、9月に刊行予定の新書新刊ラインナップも出揃いましたので、また個人的に気になる書目を12冊ピックアップしてご紹介してみたいと思います。9月はけっこう面白そうな本がありそうなので、よろしければチェックしてみてくださいませ。
刊行データや内容紹介については、書店向けに取次会社が発行している情報誌『日販速報』の8月4日号~9月1日号と、9月1日号付録の9月刊行予定新書新刊ラインナップ一覧に準拠いたしました。発売日は首都圏基準ですので、地方では1~2日程度のタイムラグがあります。また、書名や発売予定は変更になることもあります。


『わらう春画』 (オフェル・シャガン著、朝日新書、12日発売)
「世界一の春画収集家である著者がコレクションのなかから変わったもの、珍しいものを紹介。人間の喜怒哀楽や文化、風俗を読み解く」
いきなり春画本かよ、と思われるかもしれませぬが•••。ですが春画って、単にエロというだけのシロモノではなく、江戸時代の世相風俗の貴重な資料でもあり、おおらかなユーモアを楽しめるれっきとしたアートでもあるんですよね。図版も豊富に入っているようですので、ちょいと覗いてみたい一冊であります。

『〈運ぶヒト〉の人類学』 (川田順三著、岩波新書、19日発売)
「二足歩行を始めた人類の〈運ぶ〉能力こそが、ヒトをヒトたらしめた?人類学に新たな光を当てる」
言われてみれば、離れたところにモノを〈運ぶ〉ことなしには、あらゆる文明も歴史も成り立ちはしなかった、とも言えそうな気がいたします。なかなか興味深い人類論のようですね。

『カラー版 国芳』 (岩切友里子著、岩波新書、19日発売)
岩波新書からもう一点を。「時代を超えて伝わってくる楽しい奇想の世界。新しさを求め続けた江戸っ子絵師の代表作70点余を紹介する」という本書。奇っ怪さと突き抜けたユーモアセンスとで、江戸時代の画家の中でも特異な存在の一人であった国芳作品の図版を見るだけでも、大いに楽しめそうな感じがいたしますね。

『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』 (伊藤剛著、星海社新書、25日発売)
「我々は、手塚以降の豊潤な時代に生きている。マンガ史の空白に突如として現れ、マンガ表現論の新地平を拓いた名著、ついに新書化」という本書は、2005年に刊行された単行本の新書化です。もうだいぶマンガからは遠ざかってしまっているわたくしではありますが、ツイッターなどでの活発な発言で気になる存在でもある伊藤さんの著書ということで、ちょっとチェックしておきたい一冊であります。

『誰が「知」を独占するのか デジタルアーカイブ戦争』 (福井健策著、集英社新書、17日発売)
「グーグルなど米国発の企業に世界の情報インフラは掌握されつつある。世界中を巻き込んだ『知の覇権戦争』の最新事情と、日本独自のアーカイブ整備の必要性説く」
確かにアメリカは情報インフラ先進国ではありますが、世界中すべての情報がアメリカ企業に掌握されているという状況はあまり好ましいとは言えないようにも思われます。それだけに、望ましいアーカイブのあり方を考える上でも気になる一冊です。

『なぜ時代劇は滅びるのか』 (春日太一著、新潮新書、13日発売)
「本書は死に瀕した時代劇への“檄文”である。技量不足の役者、説明ばかりの脚本、朝ドラ化する大河••••••衰退を招いたA級戦犯は誰だ!」と紹介文からしてかなり興味を惹くものがある本書。わたくしが子どもだった頃に比べても、時代劇の存在感が一層薄らいできているのは確か。この分野に精通した著者による、衰退の原因への切り込みには期待が持てそうですね。

『ブルーインパルスの科学 知られざる編隊曲技飛行の秘密』 (赤塚聡著、サイエンス・アイ新書、16日発売)
「純国産機・T-4の秘密、華麗なるアクロバットの全容、パイロットたちの素顔など、ブルーインパルスのすべてを一冊に凝縮!」
宮城県の松島基地に属し、復活へと向かう東北を象徴する存在の一つにもなっているブルーインパルス。その超絶的な飛行技術はどのようなものなのか、知りたい向きも多いのではないでしょうか。かく申すわたくしもそうですので、チェックしておきたい一冊です。

『つくられる病 過剰医療社会と「正常病」』 (井上芳保著、ちくま新書、8日発売)
「高血圧、メタボ、うつーー些細な不調がなぜ病気と診断されるのか。その原因である『正常病』と、過剰な管理を生む力の正体をさぐる」
もちろん、健康であることに越したことはないのですが、あまりにも神経質かつ、ある種の強制すら伴う「健康」への志向に、むしろ不健康なものを感じて仕方がないわたくしにとっては、すごく気になる本であります。

『反福祉論 新時代のセーフティーネットを求めて』 (金菱清・大澤史伸著、ちくま新書、8日発売)
ちくま新書からももう一点を。「福祉に頼らず生き生きと暮らす生活困窮者やホームレス。制度に替わる保障を発達させてきた彼らの知恵に学び、新しい社会を構想する」
わたくしも、福祉の大切さは大いに理解しつつも、同時にそれには限界も感じられるというところがあったりもいたしますので、本書でいかなる提言がなされているのか、これまたすごく気になります。

『ベスト珍書 このヘンな本がすごい!』 (ハマザキカク著、中公新書ラクレ、10日発売)
9月刊行分で一番楽しみなのが本書であります。「『葬儀写真集』に『職務質問入門』。数万点の新刊に潜む、誰が読むのかわからない、でもどこかが輝く本。それが『珍書』だ!」
ハマザキカクさんといえば、あまたの新刊の中から見つけ出した「珍書」たちを、ツイッターなどで紹介し続けておられる「珍書ソムリエ」(←わたくしが勝手に言っております)にして、編集者としてもユニークな目の付け所を持った本を生み出し続けている方。そんなハマザキさんが選りすぐった「珍書」のラインナップは、きっとシビれるほど面白いものになっているはずです。発売が待ち遠しくてなりません。

『異常気象が歴史を動かした』 (田家康著、日経プレミアシリーズ、10日発売)
「人類の興亡は常に気候変動や異常気象に動かされてきた。歴史的エポックとその背景に隠された気象の影響を明らかにする壮大な文明史!」
著者の田家さんは、これまでも世界史と気象との関係を見つめる本を出されている方。本書も気象という視座から、ひと味違う世界の歴史が見えてきそうで、知的好奇心をそそられるものがありますね。

『高齢初犯(仮)』 (日本テレビ「NNNドキュメント」著、ポプラ新書、上旬)
「昨年、日本テレビ系で評判となった番組の書籍化。堅実な人生を歩んでいた高齢者が、なぜ突然凶悪犯に?その恐るべき実態に迫る」
高齢者をめぐる問題の中でも、近年深刻さを増しているのが高齢者による犯罪。社会のひずみが現れているかのような「高齢初犯」の実態にどこまで迫っているのか。宮崎では『NNNドキュメント』が放送されていないので、本書に期待したいと思います。


そのほかに9月刊行予定の新刊で気になるのは、以下の書目です。

『ルポ 医療犯罪』 (出河雅彦著、朝日新書、12日発売)
『予言の日本史』 (島田裕巳著、NHK出版新書、11日発売)
『マントル対流と超大陸移動』 (吉田晶樹著、講談社ブルーバックス、18日発売)
『漢字の歴史』 (笹原宏之著、ちくまプリマー新書、8日発売)
『日本人の身体』 (安田登著、ちくま新書、8日発売)
『日本政治とメディア テレビの登場からネット時代まで』 (逢坂巌著、中公新書、25日発売)
『税金を払わない巨大企業』 (富岡幸雄著、文春新書、19日発売)
『世界のなぞなぞ』 (のり・たまみ著、文春新書、19日発売)
『作家のごちそう帖 悪食・鯨飲・甘食・粗食が名作をつくった』 (大本泉著、平凡社新書、12日発売)

NHKスペシャル『神秘の球体 マリモ ~北海道 阿寒湖の奇跡~』を観て

2014-08-25 07:39:36 | ドキュメンタリーのお噂

NHKスペシャル『神秘の球体 マリモ ~北海道 阿寒湖の奇跡~』
初回放送=8月24日(日)午後9時00分~9時49分
語り=柄本明、高橋さとみ
製作=NHK釧路・札幌放送局



かつては日本やヨーロッパを中心にした北半球のあちこちに群生していたものの、環境の変化により一気に群生地を減らしてしまった、マリモ。
そんな中で、いまや世界で唯一のマリモ群生地となったのが、北海道の阿寒湖北部の入り江です。なぜそこでマリモは群生し、かつ真ん丸な形をして生き続けているのか。番組は特別な許可のもとで水中に設置したカメラにより、長期にわたってその生態を記録し、マリモの謎に迫っていました。

そこからわかってきたことは、マリモはその場でくるくると回転しながら全体にまんべんなく日の光を浴びることで、均等に成長することができる、ということでした。また、真ん丸なカタチには、表面に寄生して光合成を阻害してしまう水草を取り除く効用もありました。群生している仲間たちとこすれ合いながら回転しているうちに、表面の水草が取れていく、というわけです。
カメラはさらに、これまで知らなかったマリモの生態をしっかり捉えていました。マリモは回転しながらときおり場所を移動させることで、下のほうに埋れている仲間たちにも日の光を「分かち合って」いたのです。そんなマリモたちの共生生活はかなり興味深いものでした。

そしてより興味深かかったのは、マリモは5~7年の周期で打ち上げられ、壊されたのちに再生していく、というサイクルを繰り返している、ということでした。
冬の時期に吹く強い風により打ち上げられ壊されたマリモは、朽ちたり白鳥のエサになったりしてしまった挙句、氷に閉じ込められます。しかしそれを生き延びたマリモの破片は、春になるともとの群生地へと戻っていき、そこで再び成長、再生していくのです。そんなマリモの生のサイクルには驚かされるとともに、ある種の感動も覚えました。

マリモの群生地である入り江は、光合成に必要な日光が豊富な夏に、風速7メートル前後の強過ぎず弱過ぎない風が吹き、5キロ離れた小さな湖の底から湧き出すきれいな水が流れ込むことで、マリモが生息しやすくなっているという場所でした。
番組では、かつては2000万個ものマリモが生息していたという、アイスランドの湖を取材していました。そこは工場からの排水により水質が悪化したことで、湖底の泥を固める働きをするユスリカの幼虫が激減し、そのことでマリモも球形になることができないまま激減したといいます。
ちょっとした環境の変化にも敏感で、下手をすれば一気に数を減らしてしまうというマリモにとって、阿寒湖は本当に貴重な場所だったのです。

マリモを育む阿寒湖の自然が、いかに絶妙かつ貴重なものなのかを再認識させてくれた番組でありました。
が、もっとも印象に残ったのは、釧路市でマリモを研究しておられる男性が真っ二つにしていたマリモが、その内部まで美しい深緑色をしていたこと、でした。
あの緑こそ、実に神秘的だったなあ。



【読了本】『自分でつくるセーフティネット』 前を向いて生きる勇気が湧くIT時代の生き方指南

2014-08-18 16:09:01 | 本のお噂

『自分でつくるセーフティネット 生存戦略としてのIT入門』
佐々木俊尚著、大和書房、2014年


なんだかぜんぜん先行きが見通せないなあ、という不透明かつ不安定な世の中になって久しいものがあります。
「なんのなんの、何があろうとワシは先々も安泰じゃからのう、むはははは」などという恵まれたヒトなんてごくごく一部でありましょう(いや、むしろほとんどいないのかも)。不安定な身分の中で日々働かなければならない非正規雇用の人たちはもちろんのこと(わたくしもその端くれなのですが•••)、正社員ですら先々はどうなるかわからないというご時世です。急激に変わっていく社会のありように対応できないまま、のんべんだらりと現状維持されている年金や医療といった公的セーフティネットも、実に心もとない状況です。
そんな、どちらを向いても心配と不安ばかりの世の中を生き抜くためのヒントが詰まっているのが、IT分野に強いジャーナリストである佐々木俊尚さんの新著『自分でつくるセーフティネット』であります。

会社や地域といった強固な共同体が崩壊し、グローバリゼーションという「超強烈な『理の世界』」が広がっていくという状況からは後戻りできない、という前提のもと、佐々木さんは「新しい『情の世界』をつくって、それをいま進行しているグローバリゼーションという『理の世界』とうまくかみあわせる」ための具体的な方法論を語っていきます。そのための戦略において重要なツールとなるのは、FacebookをはじめとするSNSです。
「きずな」という言葉に象徴されるような強固な結びつきは安心や安定をもたらしてくれますが、同時にそれは「みんなで仲良く」という同調圧力からくる息苦しさ、ひいては「いじめ」のような排除の論理にもなりえます。そこで佐々木さんが提案するのが、SNSで「ゆる~くつながる」人間関係の構築です。
FacebookなどのSNSの本当の意味は、主に食事や旅行の投稿にみられる「人生充実自慢と、それをひがむ人同士のサービス」などではない、二つの意味があると言います。

「第一は、人間関係を気軽に維持していくための道具。
第二は、自分という人間の信頼を保証してくれる道具。」


たとえ遠隔地に住んでいて会う機会がない人たちとも、「いいね!」一つの「ささやかな意思疎通」により人間関係を維持できる道具。そして、自らの日常や人間関係をさらけ出すことで、自らの人間性と信頼度を担保することができる道具。それが、Facebookの本当の意味なのだ、と。

SNSを通して、自らの日常や人間関係などが見えてしまうという社会の到来。本書ではそれを「総透明社会」という言葉で表します。
「総透明社会」になるということは、いくばくかのプライバシーを犠牲にすることでもあります。しかしそのことにより自らへの信頼が得られると同時に、有益な情報も得ることができる、と佐々木さんは説きます。
確かに、プライバシーをさらけ出すことにはデメリットも伴いますし、自分のプライバシーは一切他人には知られたくない!という向きもおられるでしょう(それはそれでよく理解もできます)。どうしても知られたくない事柄を、ことさら開示する必要はないとも思います。
でもちょっと考えると、他者から信用されるためにはいくらかの自己開示を必要とするというのは、リアルの場における人間関係とも共通することだったりするんですよね。まして、互いに顔が見えないネットでのこととなれば、人間関係の構築のために自らをさらけ出すことの重要性はより増すであろうことには納得がいきます。
さらに佐々木さんは、その人の人間性がさらけ出される「総透明社会」においては、悪意とともに善意も丸見えとなり、「何かを言った瞬間に、その言った内容で人は評価され」「評価の対象にくみこまれてしまう」と述べています。これもまた、納得のいく話ですよね。他者に対して悪意ある罵倒や皮肉ばかり言っているような向きよりも、善意を発揮する人たちを高く評価し、お付き合いしたいと思うのが、ネットでもリアルの実社会でも共通する人情というものではありませんか。

そう。まさに本書における主張の勘どころは、酔い、もとい、「善い人」であることが見知らぬ人との信頼を築き、ひいては将来にも役に立ってくる「弱いつながり」をもつくり出していくことができる、というところにあります。
佐々木さんは、裁判員裁判における厳罰化問題にみられるように、われわれ日本人は見知らぬ他人に対して「実はけっこう苛烈で残酷である」ことを指摘します。それを認めた上で、他者を「悪人」と決めつけてあら探しや非難をするような「善人」ではなく、見知らぬ他人に対しても寛容になり、さまざまなものや知識を与えることができる「善い人」になることが、宗教や道徳を超えた生存戦略になってきた、と述べていきます。
自らの人間力に磨きをかけ、それを武器にして「弱いつながり」をつくっていくことが、ひいては社会全体が良くなっていくことにもつながっていく•••。そう考えると、なんだかとても希望と勇気が湧いて前向きな気持ちになってくるではありませんか。
他にも、Facebookの上手な活用法や、有用な情報は「強いつながり」よりも「弱いつながり」を伝って流れてくることが多い、といった話なども、わたくしにいろいろなヒントを与えてくれました。

とても親しみやすい語り口により述べられていく、本書の「生存戦略としてのIT入門」。それは小手先の技術論などではない、ある意味でとてもシンプルな生き方指南です。
それは、ITの進展でさまざまなことが変わっていく中でも変わることのない、人間としての大切なことでもありました。そのことに、わたくしは大きな希望と勇気を感じることができました。ネットであれリアルの実社会であれ、人と人とが関わり合うことで成り立っていることに、なんら変わりはないわけですからね。
ITが社会のインフラとして浸透してきている時代に必読の前向きな生き方指南、ぜひとも多くの方に読んでいただきたい一冊であります。

みやざきアートセンターで「SNOOPY JAPANESQUE スヌーピー×日本の匠」展を見る

2014-08-15 21:53:04 | 宮崎のお噂
昨日(8月14日)、宮崎市内にあるみやざきアートセンターで開催中だった「SNOOPY JAPANESQUE スヌーピー×日本の匠」展を見に行きました。
(以下、画像は写真撮影可のスペースにて撮影したものです)

チャールズ・M・シュルツの漫画『ピーナッツ』の主人公であるスヌーピーは、現在でも世界中で愛され続けている名キャラクターですが、ご存知のように日本においても根強い人気を誇っております。
そのスヌーピーと、墨文字や陶磁器、友禅、漆器、木彫、和紙などの日本の伝統工芸とがコラボレーションした作品を集めて展示したのが、この展覧会です。
会期ももう末期になっていた昨日でありましたが、お盆休みの方も多かったためか家族連れやカップルなどで大いに賑わっておりました。

まず展示されていたのが、このプロジェクトの企画者であり、シュルツ氏夫妻と長年の親交があるというアーティスト・大谷芳照さん(YOSHI)の手になるグリフアートの数々でした。

大谷さんの作品は、「愛」「寿」「好」「祝」「絆」などの墨文字の中に、スヌーピーがはめ込まれているというものです。スヌーピーと日本の伝統工芸との融合という、この展覧会を象徴するかのような趣向がなかなか面白く、のっけから引き込まれてしまいました。

そのあとは、スヌーピーをモティーフにした全国各地の伝統工芸作品の数々が展示されていました。その数40作品。
伝統的な図柄の中にスヌーピーを描いた加賀友禅(石川県)や京友禅(京都府)。スヌーピーとチャーリー・ブラウンを、まるで「風神雷神」のごとく屏風に描いた金箔砂子(東京都)。黒塗りのスヌーピーの表面に細かな蒔絵を施した輪島塗(石川県)。富士山と松の木の間に腰掛けるスヌーピーとチャーリーを彫り上げた大阪欄間(大阪府)。スヌーピーをかたどった白い地肌に桜の花が鮮やかな有田焼(佐賀県)。などなど、どの作品もユニークではありながら、思いのほか違和感なく、スヌーピーを作品に取り込んでいることに感心させられました。
中でもお気に入りだったのが、こわもての鬼の頭の上にスヌーピーがのんきに寝そべっている三州鬼瓦(愛知県)と、美濃和紙で作られたスヌーピー型リーディングライト(岐阜県)でした。ことに後者は、和紙を透かした明かりが実に優しい感じで、これで本を読むといいだろうなあ、と思わず欲しくなってしまいました。
作品づくりに発揮された「匠の技」にも唸らされました。とりわけ、飛騨一位一刀彫(岐阜県)の5作品は、驚くほど細かなところまでしっかりと彫られていて、「よくぞここまで!」と圧倒されました。また、仙台箪笥(宮城県)も、飾り鉄金具が醸し出す重厚さが実に魅力的でした。

これまで培ってきた伝統の世界にスヌーピーを取り込む、というのは、それぞれを手がける工芸家の方々にとってはとてもチャレンジングなことだったと思われます。
しかし、伝統というのはただ昔のままに変わらないからではなく、新しいことや異質なものも取り込みながら、時代とともに変わっていくことによって、長きにわたって残っていくものなのではないか、と思うのです。
スヌーピーというアメリカ生まれのキャラクターをも、その作品世界の中にしっかりと取り込むことができた、これらの伝統工芸の底力をつくづく感じました。

観客の女性の皆さんからは、しきりと「かわいい♡」「かわいい♡」という声が上がっていたりして、ああほんとスヌーピーって人気があるんだなあ、とあらためて実感いたしました。
特にわたくしはスヌーピーのファンでも何でもないのですが、この展覧会を通じて、その人気の理由の一端がわかったような気がいたしました。これはやはり、見ておいて良かったですね。
思いのほか面白かったので、最初は買うつもりもなかった図録まで買うことになりました。


「SNOOPY JAPANESQUE スヌーピー×日本の匠」は、あさって17日まで開催されます。もうあと2日しかありませんが、お時間のある方はどうぞご覧になってみてくださいませ。