読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

2月刊行予定新書新刊、個人的注目本10冊

2014-01-30 22:21:01 | 本のお噂
2014年が明けたぞー!と思っていたら、もう1月も終わりなのでありますよ。いやほんっと、月日の経つのは早いものですねえ。こうしてあっという間に歳をとってあっという間に死•••というのはいつかも言ったと思うので繰り返しませんが(笑)。とにもかくにも、来月2月に刊行予定の新刊新書の中から、いつものようにわたくしの興味を惹いた書目を10冊選んでピックアップいたしました。何か皆さまにも、引っかかる書目があれば幸いに存じます。
刊行データや内容紹介については、書店向けに取次会社が発行している情報誌『日販速報』の1月27日号、2月3日号とその付録である2月刊行の新書新刊ラインナップ一覧に準拠いたしました。発売日は首都圏基準ですので、地方では1~2日程度のタイムラグがあります。また、書名や発売予定は変更になることもあります。

『東北を聴く 民謡の原点を訪ねて』 (佐々木幹郎著、岩波新書、20日発売)
「詩人が、津軽三味線の二代目高橋竹山とともに、東日本大震災の被災地の村々を『門付け』して歩いた旅の記録」と。民謡の原点を探ることで、東北の歴史と営みが見えてくるような内容になっているのでしょうか。個人的には、2月刊行予定の中で一番の注目本であります。

『「農民画家」ミレーの真実』 (井出洋一郎著、NHK出版新書、8日発売)
「ミレーのフランス画壇を震撼させた革新性、農民画に留まらない画業の多様性を明らかにしながら、毀誉褒貶に満ちた『清貧の農民画家』の真の姿に迫る」と、内容紹介を読むだけでも興味を惹かれるものが。わたくしも、ミレーについてはある種の固定的なイメージがありますので、それを打ち破るような一冊になるのか否か。

『変わる鉄道計画』 (草町義和著、交通新聞社新書、15日発売)
「工事開始後に計画が変更されたり、開業時とはまったく異なる路線になることが多い鉄道。路線計画変転の歴史から、鉄道建設の裏側を紹介」と。確かに鉄道建設は、当初の予定からガラリと変わることが多いように思っておりましたので、そのあたりにどこまで迫っているのか興味が湧きます。

『図解 内臓の進化』 (岩堀修明著、講談社ブルーバックス、20日発売)
「陸上進出、植物食などの激動で、呼吸器、消化器、生殖器etcは原始的なものからいかに進化したか、豊富で詳細な図版をもとに一望」。ふだん付き合っている内臓たちに、どんな進化の歴史とドラマが刻まれているのでしょうか。面白そうです。

『高学歴女子の貧困(仮)』 (大理奈穂子、栗田隆子ほか著、光文社新書、18日発売)
「『高学歴ワーキングプア』問題が注目される以前から存在していた、女性博士の就職難にスポットをあてた」と。女性の場合、就職などにあたっては男性以上に、さまざまな困難が立ちはだかることがあるのではないか、と察します。はたして、その実態はいかなるものなのでしょうか。

『ヴァティカンの正体 究極のグローバル・メディア』 (岩渕潤子著、ちくま新書、5日発売)
「ヴァティカン2000年のメディア戦略を俯瞰し、特に宗教改革、対向宗教改革における生き残り策から日本が学ぶべきことを検証する」。メディア戦略からヴァティカンを捉えるというのは、なかなか面白いものがありそうですね。そして、そこから日本が学ぶべきポイントとはいかなるものなのでしょうか。

『禁欲のヨーロッパ 修道院の起源』 (佐藤彰一著、中公新書、25日発売)
「性欲・金銭欲など自らの欲求を断ち切り、克服する。キリスト教における禁欲の思想はいつ生まれ、どう変化していったかを問う意欲作」とのこと。欲多き(?)われらが現代人に、ヨーロッパの禁欲の歴史が示唆するものとは。こちらも注目の一冊です。

『かなづかいの歴史 日本語を書くということ』 (今野真二著、中公新書、25日発売)
中公新書からもう一冊を。「『お・を』の使い分け、長音『ー』、促音『っ』。『正しいかなづかい』はいつ決まったのか。『揺れる日本語』の歩みをたどる」と。かなづかいの歴史と変遷というのも、わからないことがたくさんありますから、これも読んでみたいです。

『100語でわかる西洋中世』 (ネリー・ラベールほか著、高名康文訳、白水社文庫クセジュ、中旬)
「『薔薇の香りと血の匂い』とが交じり合う中世独特の雰囲気をキーワードから解説。中世を生きた世界として感じる解説書」と。中世の西洋というのも、なかなか興味深く魅力的な磁場を持つもの。なんだか手元に置いておくと楽しそうな感じがいたします。

『スネ夫はなぜジャイアンとつるむのか(仮)』 (中川右介著、PHP新書、14日発売)
なんだか妙に気になる書名。「政権交代、フェミニズム、スクールカースト。現代日本のあらゆる問題が『ドラえもん』に書かれていた。前代未聞の社会学的マンガ論」という内容説明にも、「えっ?そんなこと出てたっけか、『ドラえもん』に」という感じがするばかりで。果たしてどんな分析がなされているのか。ちょっと楽しみでありますねえ。

上記の10冊の意外に気になった書目は、以下の通りであります。

『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳 いま、この世界の片隅で』 (林典子著、岩波新書、20日発売)
『キャラクター・パワー ゆるキャラから国家ブランディングまで』 (青木貞茂著、NHK出版新書、8日発売)
『絶望の裁判所』 (瀬木比呂志著、講談社現代新書、18日発売)
『ユーロ版 バイオテクノロジーの教科書(上)』 (ラインハート・レンネバーグ著、小林達彦監修、講談社ブルーバックス、20日発売)
『あの歌詞は、なぜ心に残るのか Jポップの日本語力』 (山田敏弘著、祥伝社新書、3日発売)
『定年後の起業術』 (津田倫男著、ちくま新書、5日発売)
『戦後経済史を読み解く 21世紀日本の源流をたどる』 (日本経済新聞社編、日経プレミアシリーズ、中旬)
『「フリー」「シェア」後の世界(仮)』 (小林弘人著、PHP新書、14日発売)
『危機の時代の宗教』 (佐藤優著、文春新書、20日発売)
『思い出のアメリカテレビ映画』 (瀬戸川宗太著、平凡社新書、14日発売)


これも雑誌だ! ~マイナー雑誌大探検~ 第2回 『舗装』の巻

2014-01-26 17:10:42 | 雑誌のお噂

『舗装』
発行=建設図書 B5版 月刊 定価861円(ブログ掲載時)


毎年年度末あたりになると、あちこちの道路で工事が始まる。まあ、それぞれが必要な工事であろうことはひとまず理解するものの、なんでこうわざわざあちらこちらで一斉にやらなきゃならんのか、といつも疑問に思う。
クルマでの外回りを仕事にしている身としては、特に忙しいときにそこここで出くわす、工事にともなう交通規制による時間のロスはアタマの痛いところであり、これからまたそういう時期を迎えるのかあと思うと、ちとユーウツになってくるのである。
とはいえ、暑い日であれ寒い日であれ、交通規制による渋滞に苛立つドライバーからの「ったくこっちが急いでるというのにこんなコージなんぞやりおって。こんなのに税金使うくらいならもう税金なんて払ってやんないからなブツブツブツブツ」という憎悪のこもったマナザシに晒されつつ、せっせと仕事に励む工事関係の人たちには、ひたすらアタマの下がる思いがするのである。
そんな道路工事に携わる人たちの必読誌といえる雑誌(たぶん)なのが、今回紹介する『舗装』という月刊誌である。前回(つっても昨年の2月末、ほぼ1年近く前のハナシなのだが•••)取り上げた『月刊公民館』同様、何をテーマにした雑誌なのかが一目瞭然、まず絶対間違えようがないという、シンプルにして力強い誌名が実にいいではないか。

手元にあるのは2013年12月号。その巻頭言ともいえる「舗装考」のページに掲載されているエッセイのタイトルは、なんと「過度な自動車依存からの脱却」という、一見舗装を専門としている雑誌とは思えないような意外なもの。
鹿島道路の執行役員でもあるという筆者の方は、近年日本の大都市圏で自転車と歩行者との事故が多発していることや、ヨーロッパでは自転車や歩行者にも配慮した道路づくりがなされていることに言及。その上で「東京やその周辺の都市では、自動車の利用が不便になるようにすればよい」と主張するのだ。そのことで空気がきれいになり、皆が体を動かすことで医療費の負担が抑えられ、自分の街の魅力も再認識できる、と。
もちろん、自動車文化を否定するものではない、という前提はあるものの、道路にかかわる企業人がこのような問題意識をきちんと持っている、ということに、なんだかすごく唸らされるものがあり、個人的には拍手パチパチものであった。

この12月号の特集は「質疑応答特集」。創刊号より半世紀近く継続しているという恒例の企画だそうで、舗装技術に関する読者からの質問にQ&A方式で答えていくものだ。
空港舗装と一般道路舗装の構造設計の違いや、アスファルトの種類や使い方、施工における注意点などについての質疑応答が並んでいるのだが、これらの多くは「弾性係数」や「マーシャル安定度」、「ポーラアスファルト舗装」などなどの用語も頻出するかなり専門性の高い内容ばかり(専門誌なのだから当たり前なのだが)。ズブズブズブのもひとつズブの素人であるオレの貧弱アタマではなかなか理解できない項目が多く、中には読みこなすことすら困難な項目もあった。
その中でもちょっと興味を惹かれたのは、最近各種の道路資材で取り入れられているという「再帰性反射」という反射のメカニズムについての項目だった。光が入ってきた方向とは違う方向に反射する通常の反射とは異なり、入ってきた方向と同じ方向へ光が反射していくというのが「再帰性反射」。このメカニズムを活かして、ドライバーへの注意喚起を目的とした道路標識や路面表示、ガードレールなどに再帰性反射材が使用されているんだとか。
また、居眠り運転や脇見運転などによる車線逸脱への抑制効果がある工法は?という質問には、「ランブルストリップス」という工法が紹介されている。路面に凹状の溝を刻みつけるというこの工法、冬期の正面衝突事故が多い北海道から施工が始まり、施工された路線における正面衝突事故が約54%、それによる死亡者も68%減少したとか。しかも材料が不要などのメリットにより費用対効果も高いそうで、近年急速に普及しているそうだ。
公共インフラの老朽化を踏まえ、舗装の維持や修繕についても、いろいろと関心が向けられているようであった。質疑応答とは別のページであったが、舗装内部の空洞などを探査するための、電磁波レーダや赤外線サーモグラフィについての解説記事もあった。

2002年から約10年間にわたって実施されたという、日本の舗装技術をモンゴルの生活道路整備に移転する事業についての報告もなかなか興味深かった。近年経済発展が著しいモンゴルも、地方の生活道路はまだまだ土ばかりのものが多いとのことで、日本からの技術移転とその現地での基準化の意義は大きいようだ。しかも、現場に従事する作業員には地元の失業者を雇用する、という仕組みにも、戦後の日本における失業対策が活かされているんだとか。ふーん、そうだったのかあ。

広告ページはけっこう多めで、舗装用資材をはじめ、寒冷地での凍結抑制舗装、路面を探査するための測定システムや点検用のハンマーなんてものの広告もあったりした。
雑誌の発行元である建設図書の出版物の広告もいくつかあった。中でもちょっと興味をそそられたのは、全3巻の『漫画で学ぶ舗装工学』シリーズ。舗装の歴史から基礎、舗装の種類などを、「すべての人に分かるよう、易しく解説」したものだそうな。これなら、オレにでも舗装の基礎から勉強できそうである。が、やはり専門的な内容からなのか、定価が約3~4000円近くするのであるが•••。

「読者の声」という、読者からの投書を載せるページもちゃんとあった。そこに、建設会社勤務という方からの投書が出ていた。それにはこうあった。

「私の周りでは、道路工事や土木の仕事というと、『年度末に同じ道路を掘り返している』とか、『税金を無駄に使っている』といった言葉がよく聞こえてきます。特に、土木業界にかかわりが薄い人たちがそのようなイメージを持っているように見えますが、ほとんどが新聞などの見出しをそのまま口にしているだけに思えてしまいます。専門分野だからなのか、一般の社会資本ユーザーとのギャップを感じてしまいます。」

うーむ。外回りであちこち走り回ったりしている身としては、年度末の道路工事の多さは必ずしも「新聞などの見出し」を口にするだけではない実感があるのだが•••。とはいえ、現場で頑張っている中で、自分のやっていることと一般人とのギャップに悩んでいる人がいるのだなあ、ということには、ちょっと考えさせられるものがあった。
一般的なイメージだけではつかみきれない、それぞれの世界で生きる人たちの考えや思いに触れることがあるのも、専門誌をはじめとしたマイナー雑誌の良さ、ではないかと思う。

まあ、ズブズブズブのもひとつズブの素人にとってはいささか難しいところもあった『舗装』であったが、舗装技術が高度な理論や計算のもとに成り立っていて、その技術や工法の革新にも目覚ましいものがある、ということは、おぼろげながらわかったような気がした。
これで、年度末の道路工事に出くわしてもイライラすることが減る、かなあ。

【読了本】『つながらない生活』 「つながり過ぎ」で見失った自分を取り戻す、思索と知恵に満ちた一冊

2014-01-19 12:38:01 | 本のお噂

『つながらない生活 「ネット世間」との距離のとり方』
ウィリアム・パワーズ著、有賀裕子訳、プレジデント社、2012年


のっけから「告白」いたしますが、わたくしはつい3年くらい前まで、ネットにおける発信やコミュニケーションからは、遠く距離を置いた生活を送っておりました。
それが、スマートフォン(わたくしはiPhone)を手に入れ、ふとしたことからTwitterを始めてみたことを契機にして、劇的に変わりました。多種多様な情報に接することのできる重宝さに加え、発信することの面白さに病みつきとなりました。
その後、ブログやFacebookも始めることとなり、ネットでの情報収集と共有、発信は、すっかりわたくしの生活においても欠かせないものとなりました。その中で知り合い、つながることのできた方々は、今やわたくしにとっては財産ともいえる存在です。
しかしながら、それは良い影響ばかりをもたらしたわけではありませんでした。洪水のように溢れる情報や、時折目にするげんなりするような書き込み、はたまた「議論」とは名ばかりの罵倒合戦などに、いつしか疲れを覚えるようにもなっていきました。親しくさせていただいている方々の書き込みは逃しちゃいけないという、ある種の強迫観念も強く芽生えました。
読書量も減りました。ことに、多少込み入った内容の本を読むことがなくなっていき、それとともに自分がより一層薄っぺらい存在になっていくような思いが募ってきてもいました。
これではいけないのではないか•••。そう悶々としていた中で知ったのが、この『つながらない生活』という本です。

朝起きてすぐツイートしますか?
休日もメールを見ますか?
フェイスブックの書き込みが気になりますか?
毎日、充実していますか?


本書のオビに記されていた上のことばに、ハッとさせられるものがありました。多くの人たち、そしてわたくし自身が置かれている「つながり過ぎ」の状況を、あらためて突きつけさせられたような思いがいたしました。

本書の著者、ウィリアム・パワーズさんは、ワシントン・ポスト紙でテクノロジー担当記者を務めたこともある著述家です。
パワーズさん自身、テクノロジーがもたらした「つながり」により、恩恵と利便性がもたらされた一方で、それによって生み出される忙しさにも振り回されるという状況が生じました。それも、テクノロジーにより忙しくさせられるというより、自らの意思により忙しい状況を作り出したりもしているのです。そのことで、自分と向き合うために必要な余裕や、奥深い体験といったものが失われていることに、パワーズさんは気づきます。

「わたしたちはみんな、特殊なつながりの世界に夢中になるあまり、別のつながり方すべてを脇に追いやっている。なぜなら、誰かのそばで時間を過ごして相手に十分に注意を払うには、そのあいだ、世界中に散らばる大勢とのつながりを断たなくてはならないからだ。考え、感情、人間関係がうまく根づくように、〝ゆとり〟や〝あそび〟を生まなくてはいけないのである。」
「一つのツールが、おびただしい長所と途方もない短所を併せ持っている。長所を伸ばし、短所を減らすことができたなら、つながりに満ちた暮らしの可能性はとめどなく広がるはずである。スクリーンは自由、成長、最良の絆をもたらすだろうし、そうであるべきだ。」

そのような考えのもと、パワーズさんは歴史上に名高い7人の賢人たちの生き方や思索から、「つながり過ぎ」を打開するヒントを求めていきます。
その7人とは、プラトン、セネカ、グーテンベルク、シェイクスピア、ベンジャミン・フランクリン、ヘンリー・ソロー、マーシャル・マクルーハン。いずれの人物も、それぞれの時代にコミュニケーションのあり方が劇的に変容するようなイノベーションに接しながら、それによって生じた新たな「つながり」の中で迷い、悩み、思索を重ねた人びとでありました。

まずは哲学者のプラトン。彼が残した対話篇『パイドロス』の中から、パイドロスがソクラテスを誘って街中から離れた静かな場所でじっくりと語り合った、というエピソードが紹介されます。ここでは、大勢の人びととの「ほどよい距離」を見つけることの大切さが語られていきます。

「この本の趣旨にひきつけて述べるなら、プラトンは『パイドロス』において、デジタルのつながりにおいて新しい発想をするうえでの基本原則を示している。「慌しい世の中で深みと満足を得るには、まずは人混みから離れることだ」と。(中略)人生という名の馬車をよい方向へと駆っていくには、喧騒に満ちたこの社会でひしめき合う数々の馬車とのあいだに、いくらか隙間を設けることが欠かせないのである。」

逆に、喧騒から離れられない中であっても、自己の内面を深めることができることを教えるのが、古代ローマの哲学者であったセネカ。興隆していくローマ帝国で、慌しい喧騒と情報の洪水の渦中を生きたセネカは、狂騒の只中にあっても、自らの心を平穏に保つ術を身につけていました。セネカは書簡でこう記します。

「わたしは自分の考えに没入して、それ以外のものに気が散らないよう、強く自戒しています。心が平穏でありさえすれば、騒々しさはいっさいやり過ごせるのです」

ここでは、内面世界を深く旅することで、現実世界と距離をとることの意義が語られます。

3人目の賢人はグーテンベルク。そう、活版印刷の発明という、歴史に残るようなイノベーションを成し遂げた人物であります。
グーテンベルクが生きていた時代、本を読める人はごくわずかで、多くの人びとは本の中身を「音読」によって知るだけでした。そこへ生み出された活版印刷により、本の大量生産への道が開かれ、外界から影響や制約を受けずに内面世界を旅することができる「黙読」の文化が広まったのです。パワーズさんは、「今日わたしたちが尊ぶ自由や平等といった理念が根づいたのも、読書と、そこから生まれた考える習慣のおかげである」と、その意義を評価します。
同時に、本の中身とデジタル世界のあいだを交互に行き来したりもできる電子書籍リーダーを「つながりの絶えない書籍」とし、「ある意味これは、グーテンベルクの発明以前、一人で黙読する姿が怪訝な目で見られた時代への回帰ではないだろうか」とも述べています。
電子書籍についてはさまざまな考え方がありますし、それによって新しい本とのつきあい方ができるようになったことも事実ですが、このような視点からの考察は初めて目にしました。個人的には、いろいろ考えさせられるものがありました。

次に登場するのはシェイクスピア。代表作の一つ『ハムレット』の中で、印象的な形で登場する書き直し可能な手帳を取り上げたパワーズさんは、それが不要なものを消し去り、大切なテーマだけを残しておけることにより、心の重しを取り除く働きをしていたと指摘します。

「『悩まなくてもよい』。ハムレットの垢抜けた手帳はこう囁いた。『すべてを知っている必要はない。大切ないくつかの事柄さえ知っていればそれでよいのだ』」

さらにパワーズさんは、手帳の「形あるものとしての存在感」に魅了される、といい、「デジタル機器の強み(大勢とのつながりを容易にする力)が弱みでもあるのと同じく、紙の弱みは強みにもなりえる」と、ここでも紙であるからこそ持ち得る利点を述べています。

5人目の賢人は、事業、政治、科学などの多方面で活躍したベンジャミン・フランクリン。
さまざまなことに手を広げていくチャレンジ精神と社交性を持ち合わせていたものの、それゆえに生じた混沌や悪しき習慣を克服すべく、フランクリンは「13の美徳」を自らの行動原理として課しました。それらは「儀式が効果を生むためには、当人たちがその威力を信じなくてはいけない」との考え方のもと、いたずらな禁則ではない、前向きな面を強調したものとなっていました。

「自分の好ましくない点、改めたい点に目を留めただけでなく、なぜそれを改めたいのか、改善につながる内面の理由にも着目したのだ。そのうえで、自分で考えた儀式に従い、目標に向けて行動を変えはじめた。最初に理由を納得すると、前途は大きく開けてくる。」

「節制する」「余計なことは言わない」「中庸を得る」などといった、このフランクリン流「13の美徳」は、われわれ現代人にとっても、大いに参考にできる普遍性があると感じました。

次は、ナチュラリストのバイブル的な書物『森の生活(ウォールデン)』を著した、著述家のヘンリー・ソロー。パワーズさんは、ソローが社会から隔絶し、テクノロジーを否定するような「世捨て人や仙人」といったイメージ(実はわたくしもそうした印象を持っておりました)とは違うことを述べます。森の中に建てた小屋とはいっても都市部からさほど離れていない場所に位置していたことや、家業でもあった鉛筆製造でも画期的な成果を上げていた、とか。
その上で、世間との多面的な関係を途絶させることなく、少し距離をとって思索にふけり、内面へと回帰できる場所をつくる大切さを語ります。そしてそれは、何も世間から離れた特別な場所である必要はない、というのです。

「大切なのは場所ではなく哲学なのだ。人混みのなかでも晴れやかな気持ちでいるためには、誰もがささやかなウォールデンを必要とする。」

最後に取り上げられる賢人は、メディアの変容と人間との関係を考察し続けた文学者で評論家のマーシャル・マクルーハン。本書に登場する賢人たちの中で唯一、コンピュータの誕生後を生きた人物であります。
「あまりに理屈っぽく、いらだたしいほどもったいぶっている」がゆえに難解さを持つマクルーハンの言説から、「人間の心はテクノロジーからかつてなく大きな影響を受けているが、依然として自分の心であることに変わりはない」という洞察を得ます。

「何より大切なのは、主体性を持ち、経験は常に自分がかたちづくるものだと意識しておくことだ。四六時中キーボードを叩いてネット上での用事ややりとりに対処しているなら、それがあなたの人生である。それで幸せかもしれないが、そうでないなら別の選択肢もあるはずだ。」

こうして、7人の賢人たちの思索から得た知見とアイデアをもとに、パワーズさんは土、日の2日間はすべてのデジタル機器との接続ができないようにしたのです。そうして世間からいくらかの距離を置くことで、家族が揃っているときにも、そして一人で過ごすときにも、心豊かに過ごせるような環境をつくりだすことができた、と。この「前向きな儀式」につけられた名前は「インターネット安息日」ーー。

•••と、いつも以上に長ったらしく、いささか紹介し過ぎの感もある文章となってしまいました。まことに恐縮でありますが、本書はそれほど、わたくしにとって心に響くものがあり、しかも「つながり過ぎ」に対処する上でも有益な思索と知恵に富んでいました。
もとより、パワーズさんはテクノロジーの進歩と、それがもたらす「つながり」自体を、一概に頭から否定するようなことはせず、記述はきわめてバランスのとれた思考から綴られております(念のために申し上げますと、わたくし自身も「つながり」で得ることができた財産を、みすみす手放すようなつもりは毛頭ございません)。だからこそ、パワーズさんの語る内容は大いに説得力を持って響いてくるものがあります。
7人の賢人たちから導き出された「『つながり断ち』7つのヒント」にしても、「これらは提案であって処方箋ではない。置かれた状況は一人ひとり異なるので、万人向けの特効薬などない」と慎ましやかに提示されます。ですが、それぞれの状況に合った無理のない「つながり過ぎ」へ対処するための知恵とヒントが、本書にたくさん詰まっているのは間違いありません。
これからも、「つながり」の中で、疲れや悩みを覚えることもあることでしょう。そのたびに手に取って立ち返り、自分を取り戻していくよすがとなる一冊になりそうです。「つながり」を完全になくすのではなく、より良いかたちで「つながり」を活かし、発展させていく知恵を得るために。

最後に、本書の装丁にも触れておきたいと思います。落ち着いた色合いとデザイン、そしてピカピカしたツヤを出すことなく、サラサラした手触りが心地よい表紙も好きであります。これこそ、紙の本でなければ得られない良さ、といえましょう。



【今週の箸休め本】『ヘンな特許100連発』 斜め上のアイデア物件の数々に爆笑&苦笑

2014-01-13 20:21:49 | 本のお噂

『ヘンな特許100連発』
鉄人社、2012年

常に何冊かの本を、そのときの気分やアタマの働きに合わせて並行しながら読み進めているわたくし。
その中に、「箸休め本」という位置づけで読んでいる本がございます。かっちりした本を読む合間などに、気楽に読むことができる本のことでありますね。
「箸休め本」というと、なんだか見下した感じを受けるかもしれませんが、決してそういうつもりはございません。軽く楽しめつつも、好奇心を満たしてもくれる「箸休め本」はなかなかありがたい存在ですし、面白いものも少なくはないのであります。
そんな面白かった「箸休め本」を軽~くご紹介していこうというのが、この「今週の箸休め本」コーナーであります。•••ただし、「今週の」とは申しましても、必ずしも毎週書くというわけでもない、という点、あらかじめご承知おきいただければ幸いであります。

この『ヘンな特許100連発』は、実際に出願され公開もされながら、いまだ商品化に至っていない日本と海外の珍物件100点を、出願者が書いて提出したイラストの再現図とともに紹介していく本であります。これがまた、「こんなんじゃ商品化されないのもムリないなあ」としか思えない、斜め上の発想から考案された抱腹絶倒なシロモノっぷり。
たとえば「漬け物入り団子」。噛み切り難い繊維質の多い漬け物を高齢者や幼児、さらには多様化した食習慣を持つ現代人にも食べさせたい、という趣旨は素晴らしいのですが•••できれば漬け物と団子は別々にいただきたいもので。
また、「全天候型の、照明器具、三脚、スチールカメラ、ビデオカメラ、モニター、照明、クレーン、レフ板、ドリー(台車)、編集コンピューターとハードディスク、マイクが搭載され、人件費を大幅に抑制」できるという触れ込みの「映画製作ロボット」。そりゃ万が一実用化された暁には人件費は抑えられるかもしれませんが•••当面はコイツを開発&実用化できるだけのお金で、ちょっとした映画の一本は製作できるような気もするのですが•••。

海外発の特許にも、スゴい物件がいろいろとありますねえ。
落ち込んでいる時などに友達がいなくても背中を叩いてもらえるという「背中を叩いてくれる装置」。自分自身に「罰」を与えるため、という趣旨の「自分でケツを蹴れる装置」。一人でのスポーツ観戦でもハイタッチできるという「ハイタッチしてくれるマシン」。さらには一人だけでもギッコンバッタンと遊べる「一人用シーソー」。以上4点はいずれもアメリカ発の出願特許です。•••アメリカ人、どんだけ寂しいんだか(苦笑)。

版元が雑誌『裏モノJAPAN』を出しているところということもあってか、シモ系エロ系の物件もちょいと多めに揃っております。•••まあ、これらについては、あえてここで触れることはいたしません(笑)。とはいえ、「エロ画像自動探知システム」や「性欲電気変換装置」などといった妙ちきりんなアイデアの出願を、特許庁の皆さまがたは真面目な顔をしながら受理し、公開していってるのであろうか•••と想像すると、それにも笑いがこみあげてくるのであります。

ほとんどが商品化されることもなく埋れている物件ばかりなのですが、中には数点、商品化されているものもあるとか。でっかいマカロニのような物体を股間に挟んで使用する「カップホルダー付き浮き輪」や、飼いヘビを犬のように散歩させられるという「ヘビの散歩用首輪」あたりがそうなのですが•••商売として成り立っておるのか、となるとはなはだ疑問に思わざるを得ないのでありますな。

ニンゲンの想像力と発想力をいかに使うべきなのか、そして特許や知財管理のあり方についてスルドイ問題提起を投げかける一冊•••てなことは一切まったく全然ないのですが(笑)、けっこう笑えて楽しむことができた一冊でありました。

【読了本】『未来力養成教室』 若い世代はもちろん、未来への想像力を枯渇させた大人たちにもオススメ

2014-01-13 20:20:42 | 本のお噂

『未来力養成教室』
日本SF作家クラブ編、岩波書店(岩波ジュニア新書)、2013年


近頃はめっきり、小説を読まなくなってしまいました。
読む本といえばノンフィクション系のものばかりとなってしまったわたくしですが、10代後半から20代にかけては小説もそこそこ読んでいた時期がありました。中でも一番好きなジャンルだったのが、SFでありました。大ファンだった星新一さんや筒井康隆さんの作品を中心に、内外のSF小説をせっせと読んでおりました。
現実の世界とはまったく違う世界観の中で展開される、ワクワクするような夢と冒険の物語。はたまた、現実の合わせ鏡のような「あり得るかもしれない世界」を舞台にして、人間や社会のあり方に警鐘を鳴らした物語•••。SF作家たちが想像し、創造した物語の数々は、わたくしにも少なからず影響を与えてくれました。
小説からだいぶ離れてしまってからも、SF界の動向はおりに触れ、気にかかるものがありました。そんなわけで、設立から50年を迎えた日本SF作家クラブが編んだ本書『未来力養成教室』が出たと知って、これはやはり押さえておこうという気持ちが湧いたのであります。
本書は、「想像力」を使いこなしながら未来を切り開くための秘訣を、想像力の使い手であるSF作家たちが若い世代に向けて語っていくという趣向の一冊です。
ベテランから新鋭まで9人の方々が、自らの体験をもとにしながら「未来力」をつけるためのアドバイスとエールを贈っています。登場するのは新井素子さん、荒俣宏さん、上田早夕里さん、神坂一さん、神林長平さん、新城カズマさん、長谷敏司さん、三雲岳斗さん、そして夢枕獏さん。

幼稚園の頃から「あんまり現実に適応するのが得意な子供ではなかったらしい」という新井素子さんは、「ああ、ちょっと今、私精神的にきついかも知れない」と思うときに入っていけるように、心の中に誰も入れない自分だけの〝部屋〟を作り、そこで空想力や想像力を育むことを勧めます。
確かに。人と人との関わりの中で疲れを覚えることも多い現代の社会で、自分だけの〝部屋〟を持つということは大事だなあ、って思いますね。•••それにしても、新井さんの語り口が以前とまったく変わりなかったというのが、個人的にはなんかちょっと嬉しかったりして。

想像力っていっても、そういうのは特別な才能の持ち主でないとうまく発揮できないんじゃないかなあと、貧困なる想像力しか持ち合わせのないわたくしなんぞも思ったりしておりました。ところが、『M.G.H』や『アース・リバース』などの作品で知られる三雲岳斗さんは、「想像力」=「特別な才能」説を否定します。

「生憎だけれど、想像力とは、そんな得体の知れない『才能』などではない。
想像力というものは、むしろ集中力や暗記力などに近い、身体的な能力だ。
そんなことをいうとがっかりする人もいるかもしれないが、生まれつきの才能ではなく、身体能力の一種だということは、適切なトレーニングを行えば鍛えることができる、ということでもある。」


おお。だとすれば、「自分は想像力なんてものとは無縁のつまんない凡人だもん。ムリなんだもん」などとあきらめがちな向きにとって、これは希望ともいえるのではないでしょうか。オレも頑張って鍛えなければな。

とはいえ、「想像力」は夢のある素敵な面だけを持つものではありません。
子どものときに出会った、小松左京さんの『日本沈没』などを引き合いにしながら、「『美しい夢』だけでなく、『悪夢』を想像する力も、人間には必要ではないか」と語るのは、『華竜の宮』で日本SF大賞を受賞した上田早夕里さん。上田さんはさらに、想像力の「両刃の剣のような一面」に注意を喚起しつつ、こう述べます。

「想像力を働かせるとき、ひとつだけ、気をつけて欲しいことがあります。その想像によって得られるものは、果たして、本当の意味で人間や社会をしあわせにするのかどうか。特定の人間の利益のためだけに、他人のしあわせや権利を踏みにじる可能性を孕んでいないか。これを、繰り返し繰り返し、常に問い続ける必要があります。」

同じように、想像力の持つ「副作用」について注意するよう述べているのが、『円環少女』シリーズなどを書いている長谷敏司さんです。

「想像力という友人と向き合うとき、必要なのは、信じることではなく上手く付き合うことです。その手段を身につけるには、積極的に学ぶことです。学ぶことで、予断や幽霊のような想像力の副作用から、どれを受け取るか選り分ける能力を養うことができます。」

いたずらに、好き勝手に、想像力を振り回すことが他者を傷つけ、場合によっては死をももたらすような結果につながるという実例は、悲しいことにまま見られます。ゆえに、想像力の持つ負の側面もきちんと踏まえながら、それを適切に使いこなしていく大切さを伝えている上田さんと長谷さんの一文は、とりわけ印象に残るものがありました。

やはり想像力は、前向きな未来を作っていくために活かしていきたいものです。その意味で共感したのは、『スレイヤーズ』シリーズで知られる神坂一さんの一文でした。
手塚治虫さんの『鉄腕アトム』に憧れた何人もの人たちによる研究の末、二本足ロボットが生み出されたことを引き合いにしつつ、神坂さんは憧れの物語を見つけ、それをみんなで共有していこうと呼びかけます。

「普通に日々をしっかりと生きて、誰かが作った未来が来るのを待つ。それが悪いとは言いません。
けれど。
いろんな物語に触れて、その良さをいろんな人と共有し、同じ未来をともに夢見るだけで、ほんの少しであっても未来を作る力になれるのなら。
そっちの方が面白いと思いませんか?」


最初は一人だけの想像であっても、それをみんなと共有することが未来を作る原動力になる•••。神坂さんの前向きな姿勢には、なんだか励まされるような気持ちがいたしました。

先々に対する不安ばかりが煽られ、増幅されている昨今にあっては、若い世代はもちろん、大人たちからも、前向きに未来を作っていこうという話がなかなか聞こえてきません。
それを考えると、若い世代に向けて編まれた本書は、夢や希望を見失い、未来に対する想像力を枯渇させた大人たちにも読まれて欲しい気がする一冊でありました。