読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

自分を見失い気味だったわたしをラクにしてくれた3つの記事

2017-06-24 11:01:10 | この記事はいいぞ。
紙の本と雑誌をこよなく愛するわたしではありますが、Webメディアから発信されている記事の中にも、紙の媒体に負けず劣らず質が良く、学ぶところの多いものが多々ございます。
ともすれば、情報の洪水の中で一過性のものとして忘れられてしまいがちなそれらの良記事を、少しでも広く長く共有したいということで、当ブログでは「この記事はいいぞ。」というカテゴリを設けて、これから時々、それらを取り上げてご紹介していくことにしたいと思います。
その第1回は、このところ自分を見失い気味だったわたしの気持ちに響き、ラクにしてくれた3本の記事をまとめてご紹介していきたいと思います。

まずはじめは、今月(6月)に著書『自分を好きになろう うつな私をごきげんに変えた7つのスイッチ』(KADOKAWA)を刊行された作家・岡映里さんと、同書の漫画パートを手がけた漫画家・瀧波ユカリさんの対談記事「『朝のニュースは見ない』 ネガティブ思考のやめ方」(日経WOMANオンライン「この人に聞きたい!」、6月15日掲載)であります。
「うつ」状態と、その対極の「躁」状態を繰り返す双極性障害と診断された岡さんと、昔から落ち込みやすい癖があったという瀧波さんが、互いの経験から生み出した、心をラクにする秘訣や考え方を語り合った対談記事の前編です。

母親の闘病などもあり、気持ちが沈みがちだったという瀧波さん。落ち込みやすい癖を変えるべく「ネガティブ思考をやめよう」と決意した瀧波さんは、「『今、自分が考えるべき問題』以外からは距離を置くようにしました」といいます。

「ニュースに振り回されるのが、心底嫌になったんです。で、もうやめようと。もちろん日々のニュースの中には考えるべき課題もたくさんあるけれど、差し迫って自分の今日や明日には関係ない。なんでもかんでも深く考えて落ち込むのをやめよう、って」

それを受けて、岡さんも次のように語ります。

「私も、朝のニュースを見るのをやめたんです。テレビをつけると、遠く離れた場所で起きたつらい事件の情報とかがワーっと入り込んでくるじゃないですか。テレビがなければ知り得ないような遠くのつらい事件とか。それを考え出すと、すごく心が疲れるんだと分かって」

瀧波さんはさらに、このように語ります。

「自分の世界の中に、無理やりつらいことを入れずに、うまく距離を取ればいいんですよね。そのためには、『自分を一番大事にする』という気持ちを真ん中に持つこと。『今、私はその話を聞きたくないから』と言えることが重要じゃないかなと」

お二人のこの一連のお話に、わたしは大いに共感いたしました。
もちろん、社会や政治の動きにしっかり関心を持つことはとても大事なことですし、幅広いことへの好奇心を持つことも、生きる上での大切な知恵であることは間違いありません。
しかし、日々洪水のごとく流れてくるニュースや情報(その中には、深刻でつらく悲しいことや、腹立たしくなってくるようなことも少なくありません)に気持ちを揺さぶられることは、それなりにストレスとなるのも事実でしょう。むろん個人差はあるのですが、気持ちが疲れ切り、参っている方にとってはなおさら、強い精神的な負担となるのではないでしょうか。
だから、日々流れてくるニュースや情報の洪水から、時には適切な距離を置いて自分の気持ちを守る、ということも、自分を見失わないために必要な、大切な生きる知恵だとわたしも考えます。そもそも、いかに重要な問題であろうとも、そのことに関心を持つことを押し付けがましく無理強いされるいわれはないのですから。
そんなこともあり、昨日(23日)に日本中を駆け巡った、フリーアナウンサーの若すぎる逝去のニュースについての過剰報道にも、努めて距離を置くようにしております。亡くなったご本人、そしてご家族などの当事者がつらい思いをなさっておられるであろうことはわかりきったこと。そっとしておいた上で静かに悼みたい、と思うのです。

対談記事の後編「自分の嫉妬心に気付いたら 体育会系の対処法がいい」(6月16日掲載)にもまた、実に有益なアドバイスがいっぱいです。岡さんの、

「自分を大事にすることは、得意なことや才能を謙遜せずに認めることだと思うんです。そして、欠点を受け入れて、できないことや恵まれなかったことで自分を裁くのをやめること」

というお言葉と、瀧波さんの、

「『誰とでも仲良くしよう』って無理に思う必要はないですよね。自分と合わない人には必要以上に接触しないと決めることができれば、『誰にでもいい人』でいる必要はなくなるし、嫌な相手を遠ざけることもできる」

もまた、自分を見失い気味だったわたしを勇気づけてくれました。


もう1つご紹介するのは、ライフネット生命の会長(今期限りで退任されるとのことですが)兼CEOにして、書評家としてもご活躍の出口治明さんが、さまざまなお悩みに答えるという「おしえて出口さん!」(Wedge)6月16日掲載の相談へのご回答です。
「人は生まれながらにして境遇に差がある」という意識から、「他人と自分を比較する」ことが避けられない、という相談者の方に、出口さんは、

「『済んだことを愚痴る。人をうらやましいと思う。人にほめてほしいと思う。人生を無駄にしたければ、この3つをたくさんどうぞ』という言葉がとても好きです」

と前置きした上で、

「比較する時間があったら、人は人、自分は自分ということですから、自分が楽しい人生を送るためにはどうしたらいいんだろうかと、自分の夢のほうに考えを集中するほうが、人生を幸せに送れると思います」

とアドバイスを贈っておられます。このお言葉にも、とても気持ちがラクになりました。
職場などでの顔の見える人間関係に加えて、SNSにおける不特定多数とのつながりの中で、ついつい他人を意識しすぎて窮屈になり、あげく自分を見失っていたところが、このわたしにもありました。それだけに、「人は人、自分は自分」というお言葉が、すごく気持ちに響いてまいりました。

そう。人は人、自分は自分。これからはもっと自分を大事にしながら、やりたいことやるべきことに集中していきたいと思っております。よりよい未来をたぐり寄せるためにも。

鹿児島・オトナの遠足2017(最終日)愛しの桜島が、最後の最後で・・・

2017-06-14 07:00:32 | 旅のお噂
5月6日。2017年の鹿児島旅も、あっという間に最終日となってしまいました。
朝起きて、ホテルの窓から外の様子を伺うと、空はどんよりとした曇り。未明のあいだには雨も降っていたようで、路面はしっかりと濡れておりました。やれやれ、今回は最初から最後まで、天気には恵まれずじまいのようだなあ・・・。
ちょっとテンション下がり気味になりそうだったわたしでしたが、気を取り直して朝食をお腹いっぱいいただくと、連泊していたホテルを早めにチェックアウトして、桜島へと渡ることにいたしました。


「サクラジマ アイランドビュー」で桜島の見どころを巡る

桜島は、わたしが鹿児島へ出かける少し前から火山活動が活発となっていて、前日にもちょっと大きめの噴火があったばかりでした。でもね、鹿児島に来たらやっぱり、桜島には渡っておきたいのでありますよ。別に渡航が制限されてるわけじゃなし、噴火をいちいち怖がってて薩摩焼酎が呑めるか!
ということで意気揚々とフェリーに乗り込み、桜島を目指したわたしでありましたが・・・

どんよりした曇り空の下、桜島はすっぽりと靄がかかっていて、やはりきれいには見えないのでありました。愛しの桜島は最後の最後まで、わたしにつれない態度をとるのでありましょうか・・・。うう。

桜島に上陸したわたしは、桜島港から発着しているバス「サクラジマ アイランドビュー」に乗り込みました。桜島の西部にある展望スポットなどを1時間ほどで回る周遊バスであります。
いくつかの観光施設に立ち寄ったあと、最初の展望スポットである烏島(からすじま)展望所に到着いたしました。ここからは、錦江湾を挟んで鹿児島市街地を一望することができます。晴れていればもっと、いい眺めとなったのでしょうが・・・。ううう。

ここはかつて、桜島の沖合500メートルに浮かんでいた小島でありました。しかし、大正3(1914)年の大噴火で流れ出た溶岩によって、烏島は20メートル下まで埋もれてしまったのだとか。当時の火山活動の凄まじさを、あらためて実感させられる場所であります。
展望所の桜島を眺める側には、かつて烏島がこの場所の下にあったことを、今に伝える石碑が立てられておりました。

次にバスが立ち寄ったのは、かつての採石場跡に設けられた赤水展望広場であります。

やはり鹿児島市街地を一望することができる、このなだらかな広場で、2004年8月にご当地出身のミュージシャン、長渕剛さんが「桜島オールナイトコンサート」を開催しました。地元はもちろん、全国から7万5千人ものファンが集まり、桜島は熱気に包まれたといいます。それを記念して2年後の2006年に、この地にモニュメントが建立されました。それが「叫びの肖像」です。材質はもちろん、桜島の溶岩であります。

いかにも長渕さんを象徴するのにふさわしい、天を仰いで叫ぶオトコの表情が、なんかこうホレボレするくらいパワーに満ち溢れていていい感じなのでありますよ。わたしは像の正面に回り、その叫ぶ口元のアップを写真に収めたくなりました。・・・いえ、別に格段のイミがあるわけでもございませんが。

最後に立ち寄った展望スポットは、湯之平展望所。海抜373メートル、桜島の4合目に位置する展望所で、桜島の威容を真近に眺めることができる上、鹿児島市街地はもちろん霧島連山や開聞岳まで一望できるという絶景スポット・・・なのですが。


まことに残念ながら、イマイチな天気のせいで絶景も台無しというありさま。つくづく、わたしは鹿児島の空模様と相性が悪いオトコなのでありましょうか・・・。うううう。
そんな運の悪いオトコであるわたしを慰めるかのように、展望所のそばでツツジがきれいに咲きほこっておりました。

「サクラジマ アイランドビュー」での周遊を終えると、わたしは桜島港の近くにある国民宿舎「レインボー桜島」にある天然温泉「桜島マグマ温泉」に浸かりました(「サクラジマ アイランドビュー」の乗車券には、ありがたいことにマグマ温泉の割引入浴券もついておりました)。大浴場の大きな窓から錦江湾を眺めつつ、かすかに硫黄の匂いがする濁ったお湯に浸かると、桜島の豊かな恵みがじんわりと、カラダに沁みわたってくるように感じられるのでありました。


椋鳩十も愛したうなぎで最後の昼酒を

桜島から、ふたたび鹿児島市街地へと戻ってまいりました。
時刻はもうお昼どき。今回の鹿児島旅最後の昼食ということで、ちょっとゼイタクをさせていただこうかのう、ということで、前から気になっていた天文館のアーケード街にあるお店「うなぎの末よし」に入りました。

うなぎの生産高が全国一という鹿児島。この「末よし」もけっこう老舗のお店だそうで、動物文学者の椋鳩十も、ここのうなぎをこよなく愛していたのだとか。こちらも人気店のようで、わたしが入ったあとも続々とお客さんがやってきて、店内はほぼ満席状態。
ここ何年か、うなぎを食するのは1年に1回か2回程度というわたし。せっかくの機会なのでここはもうゼイタクさせてもらいます!と、思い切ってうな重の「松」を注文いたしました。

うなぎの肝が入った味噌汁もついたうな重の「松」は、炭火で焼かれたうなぎが実に香ばしく、それでいて中の身はふわりとしていて旨味もたっぷり。一緒に注文した瓶ビールもグイグイ進みます。
ふとテーブルの隅を見ると、「うなぎで呑む焼酎」という心惹かれるPOPが。それはぜひ呑んでみようかのう、ということでいそいそと注文し、呑んでみました。クセのない味わいがうなぎとも好相性で、なかなか美味しゅうございましたねえ。

こうして最終日の昼食でも、しっかりと昼酒を楽しんだわたしなのでありました。ぐふふふ。


名勝・仙巌園と世界遺産・尚古集成館で日本近代化の足跡を辿る

昼食を終えたあと、わたしは路線バスに乗って仙巌園(磯庭園)へと向かいました。
万治元(1658)年、島津家19代光久によって築造された島津家の別邸で、桜島と錦江湾を借景としたスケールの大きな庭園で名高い仙巌園は、国指定の名勝であります。
また仙巌園に隣接して、幕末に島津斉彬によって造られた機械工場の建物を活用した、島津家と日本近代化の歩みを振り返る資料館「尚古集成館」がございます。こちらのほうは一昨年(2015年)、8つの県にまたがる「明治日本の産業革命遺産」を構成する1つとして世界文化遺産に登録されました。
これまで数回訪れたことがある、鹿児島を代表する名所でありますが、世界文化遺産に指定されてからの訪問は初めて。この日は連休中ということもあり、中国や韓国方面の方々を含めた多くの観光客の皆さんで賑わっておりました。

受付で入園券を買って中に入り、まず目にするのは石積みの反射炉跡。大砲を鋳造するために鉄を溶かしていた西洋式の施設で、現在残っているのは基礎部分のみ。上に登って炉床の構造を見ると、当時としては先進的だったその仕組みを知ることができます。

反射炉の前には、そこから生み出された鉄で造られた150ポンド砲が、当時の資料をもとに復元されております。これがまあ、見上げるような大きさ。重さ約68kgもある鉄製の丸い砲弾を約3㎞先まで飛ばす威力があったってんですから、たいしたものであります。

反射炉跡を過ぎると、いよいよ庭園の中に入っていくわけなのですが、その通路にこのような物件が展示されておりました。

鹿児島市内ではよく見かける、桜島からの火山灰を集めて回収するために使う「克灰袋」。それがなぜ、こんな名勝の敷地内にわざわざ展示されているのか、ちょいとフシギな感じがいたしましたが・・・。
そばに立てられていた説明板には、この「克灰袋」の由来が記されておりました。以前はストレートに「降灰袋」と呼んでいたそうなのですが、それでは受身的な印象を感じさせるということで、「降灰に強い快適な都市を目指し、積極的に降灰を克服しようという意欲」を示すべく、1991年に「克灰袋」に改称したとのこと。ううむなるほど、そのような実に前向きな思いが込められておったのだなあ、「克灰袋」には。

仙巌園に来たらぜひ食べたくなるのが「両棒(ぢゃんぼ)餅」。武士が腰に刺していた大小に見立てた2本の竹串に刺したお餅を焼き、甘辛いタレを絡めた素朴なおやつで、仙巌園内の売店で販売されているほか、園外にも何軒かの専門店が立ち並んでおります。
わたしも散歩じたくに腹ごしらえということで・・・つっても、ついさっきお昼ごはんを食べたばっかりなのでしたが・・・園内の売店で買って食べました。タレはしょうゆ味と味噌味の2種類。しょうゆ味もいいのですが、コクのある味噌味がまた、こたえられない美味しさなのであります。

散歩じたくも済んだところで、庭園内をじっくり散策。

御殿の前に広がる庭園には、端午の節句ということで島津家伝統の「五月幟」が風に揺られておりました。しかし、その向こうに見える桜島は、相変わらず曇り空のもとでハッキリとは見えず。ああ、これが晴れ渡った空だったら、なお良かったんだろうけどなあ。ううううう。

とはいえ、園内の池ではこの時期ならではの菖蒲や藤の花がきれいに咲いていて、天気運の悪い哀れなオトコ(わたしのことね)の目を慰めてくれました。


仙巌園には、日本的な美を感じさせる庭園のところどころに、琉球や中国の影響を受けた要素が見られたりいたします。桜島と錦江湾の絶景を一望できる「望獄楼」の建物は琉球国王から献上されたもの。また、背後の山肌に文字を刻んだ「千尋厳」は中国の影響を受けたものです。


さらに園内にはもう1つ、近代化を象徴する事跡がございます。明治時代、仙巌園を照らす電気を得るために造られた水力発電用のダム跡で、これは日本における草創期の水力発電施設なのだとか。

日本的な庭園美のそこここに感じられる、琉球や中国からの影響。そして近代化へと向かう日本を象徴する事跡。それらが渾然一体となった仙巌園は、実に面白い場所なんだなあ、とあらためて思いました。

仙巌園にはもう1つ、違うイミで面白い場所がございました。「猫神」であります。

17代島津義弘が朝鮮に出兵した際に従軍した猫を祀った小さな祠で、義弘が陣中で猫の瞳孔の開き具合を見て時刻を推測したという言い伝えにちなんで「時の神様」といわれているそうな。
とはいえ、祀られているのが猫様ということで、そばにたくさん掛けられていた絵馬(いえ、描かれているのが猫ということで “絵猫” とでも申しましょうか)に記されている願いごとも、多くは自分の飼い猫についてのことでありました。それらからは、大切な家族の一員でもある猫の無事を願う気持ちが伝わってきて、しみじみ暖かな気持ちになったのでありました。

「猫神」の隣にはしっかり、いろいろな猫グッズなどを販売している売店もございました。猫好きの皆さま、鹿児島にお出かけの節はどうかくれぐれもお見逃しなく。

仙巌園の散策を終えたあと、尚古集成館の見学に移りました。
島津家の足跡を振り返る史料の数々や、薩摩藩の重要な輸出品であった「薩摩焼」や「薩摩切子」についての展示、さらには、欧米列強による植民地化に対抗して強く豊かな国づくりを進めようとなされた「集成館事業」の歩みを物語る機械類なども多数展示されております。
これらの展示を見ていくと、「一の太刀を疑わず」と教えられる示現流剣術などで武士としての精神に磨きをかけつつ、西洋やアジアでの最新の動きにも目を配り、有用な技術を貪欲に取り入れて国づくりに役立てていった、島津家のまさしく「和魂洋才」ぶりがしっかりと伝わってまいります。
そのような島津家、そしていにしえの薩摩の人びとの知恵と哲学は、いまの日本でも大いに見直されるべきなのではないか・・・つくづく、そんな思いを抱いたのでありました。


最後の最後に、桜島が・・・

そうこうしているうちに、鹿児島を去らねばならない時が迫ってまいりました。わたしは仙巌園からバスに乗り、鹿児島中央駅を目指しました。
駅へと向かう途中、バスの窓から天文館通りが見えてきました。連休も残すところ1日という土曜の午後、天文館はやはり多くの人で賑わっておりました。
大好きなこの街を離れなければならないのは実に寂しく名残りも尽きないのですが、仕方がございません。また絶対、この街に還ってくるからな、と心の中でつぶやきながら、天文館を通り過ぎました。

宮崎へと向かう特急列車が、定刻通りに発車いたしました。わたしは列車の窓から桜島に目を向けました。天気がだいぶ良くなってきているようだし、少しはきれいに見えてくれればいいんだけどなあ・・・と思いつつ外を眺めると・・・

な、なんと!旅のあいだずーっときれいに見ることのできなかった桜島は、ケムリにもモヤにもジャマされることなく、その美しいお姿を見せてくれていたのでありました。・・・とはいえ、列車の窓ガラスが少々汚れてはいたのですが・・・それでも、ずーっとつれない態度だったわが愛しの桜島が、旅の最後の最後で優しく美しい表情を見せてくれて、実に嬉しい気持ちになりました。
過ぎ去っていく桜島をずっと目で追い続けながら、この次来るときにはもっといっぱい、その美しいお姿を見せてくれるようにと願ったのでありました。
わたしは一息つくと、駅で買ってきた「天文館むじゃき」のベビー白熊を開けて食べ始めました。通常の白熊よりは小さいサイズとはいえそこそこボリュームがあって、フルーツもたくさん入っておりました。

そう、今回わたしはちゃんとした白熊を食べることができませんでした。白熊発祥のお店という「天文館むじゃき」の店先にはいつも行列ができていて、結局食べ損ねてしまったのであります。
うむ、今度の鹿児島旅ではしっかり、ちゃんとした白熊を食べなければな。久しぶりに大好きなヨーグルト白熊が食べたいなあ。いやまてよ、今度は奮発してソフトクリームかプリンをトッピングしたやつにしてみようかのう・・・。
宮崎への帰路につきながらも、わたしはさっそく、次の鹿児島への「オトナの遠足」に向けての野望を燃やしはじめたのでありました。

(終わり)

鹿児島・オトナの遠足2017(2日目)ありがとう串木野・・・オレが悪かった。

2017-06-05 20:09:37 | 旅のお噂
鹿児島旅行2日目の5月5日、こどもの日。宿泊していたホテルの窓から空を見ると、やはり曇り空でした。ですが、ひとまず雨の心配はしなくて良さそうに見えました。
この日は串木野へと足を伸ばす予定でありました。実はわたくし、いままで薩摩半島の西、東シナ海側には一度も行ったことがございませんでした。昨夜は、南部にあるカツオの街・枕崎へと行ってみたい気がちょっと湧いたりはいたしましたが、ここはやはり浮気などはせず、一途にいちき串木野市を目指すことにしたのであります。
朝食を食べたあと、部屋のキーをフロントに預けて鹿児島中央駅へと向かいました。駅の入り口で「おはよーございまーーす!」と、えらく元気に出入りする人びとに挨拶している、笑顔も過剰なおにいちゃんおねえちゃんの集団に迎えられつつ駅の構内に入ると、わたしは8時少し前の普通列車に乗り込んで、一路いちき串木野市へと向かったのでありました。


カラダとココロを癒してくれた、海を眺める絶景露天風呂

鹿児島中央駅から40分ほどで、列車は串木野駅に到着いたしました。
列車を降りて駅を出ると、駅の前に広がっていた光景は・・・率直にいってずいぶん静かで、閑散とした印象でありました。わたしと一緒にドヤドヤと列車を降りた、どこかの学生さんたちの一群がタクシーに分乗して立ち去ったあとは、余計ヒトケもなくなってしまって寂しいくらいになってしまいました。前日の夜、居酒屋「はる日」のママさんが口にしていた「串木野?なんかいいところ、あったかねえ」という、これまた率直すぎるコトバが思い出されました。
ううむ、これはやはり枕崎を目指したほうが良かったかのう・・・まことに失礼ながら、そのような思いが脳裏をかすめたのではありましたが、せっかく来たのだからここは串木野を楽しまなければ、と思い直すと、わたしはやってきた路線バスに乗り込んで、町の中心部から少し北のほうにある白浜海岸に向かいました。乗客は、わたし一人だけでありました。

バスに揺られること20分ほどで、白浜海岸に到着いたしました。バスを降りてすぐ目の前に広がっていた砂浜からは、生まれて初めてじかに目にする東シナ海の光景が。空こそ曇ってはいたものの、なかなかいい眺めでありました。


砂浜には、車で遊びにやってきた家族連れの楽しそうな姿が。ああ、こういう場所で家族とともにに休日を過ごすというのも、いいもんだろうなあ。
わたしはしばし砂浜からの眺めを楽しむと、砂浜の真向かいの高台にある天然温泉「くしき野白浜温泉」にお邪魔いたしました。露天風呂や大浴場をはじめ、家族風呂や食事処もあり、宿泊もできるという温泉施設であります。さらには、挽きたての豆で入れるコーヒーが売りというカフェも設けられておりました。

大人330円という、銭湯よりも安いくらいの手頃な料金で入浴券を買って、さっそく浴場へ。広々とした浴槽の向こうには、窓を隔てて海の景色が見えます。わたしはカラダを洗ったあと、浴槽になみなみと溢れるお湯に身を沈めました。うう〜、極楽極楽〜〜。
大きな浴槽の隣には小さめの浴槽が2つ並んでいて、そこには「源湯」との札がかかっておりました。源泉そのままのお湯、ということでしょうか。お湯は幾分濁っていて、確かに「効きそう」な感じがいたしましたね。あつ湯とぬる湯に別れていたので、ひとまずぬる湯のほうに浸かってみますと、ぬる湯とはいえそこそこの熱さ。ほどなくカラダがアツアツになってまいりましたので、わたしは早々に「源湯」を出て露天風呂に移りました。
露天風呂からは、さきほど砂浜から眺めた東シナ海の景色を一望することができました。聞こえてくる波の音と、潮の香りを運んでくる海風に吹かれながらの入浴は実に気分が良く、カラダとココロをしっかりと癒してくれました。ううう〜、より一層の極楽極楽〜〜〜〜。わたしは何度も出たり入ったりしながら、西の果ての風景の中で温泉に浸かる(こちらは “つかる” )ヨロコビに浸り(で、こちらは “ひたり” )ました。いやー、これはやって来た甲斐があったなあ、としみじみ思いました。
露天風呂の隣には歩行浴用の浴槽もあり、そこではおじさんが一人、黙々と歩行浴にいそしんでおられました。それが終わると、おじさんは露天風呂の縁に腰かけて、何かにじーっと目を落としている様子。見ると、おじさんはハードカバーの本を持ち込んで、それをせっせと読んでおられたのでありました。うーむ、こういう温泉の楽しみ方もいいもんだなあ。

「くしき野白浜温泉」から再び町の中心部に戻ろうとしたのですが、バスは本数が少なく、ちょうどいい時間帯にはやって来ません。やむなく、温泉のフロントにタクシーを呼んでいただき、それに乗って町まで戻ることにいたしました。
乗り込んだタクシーの運転手さんは、まことに気さくで話好きのお方でした。バスの本数が少ないことを話題にすると、運転手さんは「このあたりはもうすっかり高齢化が進んでしまってましてねー、それでバスの利用客も高齢者ばかりで本数も少なくなってるし、タクシーを利用するのもほとんどが高齢者なんですよ」と説明してくれました。
「昔は串木野だけでも人口が3万人はいたんだけど、今は合併した隣の市来を合わせて、3万になるかならないか、なんですわ、ええ」と運転手さん。・・・ああ、ここいちき串木野市も、いまの地方が抱えている共通の問題に晒されているんだなあ。
「でもね、わたし以前京都に住んでたことがあるんですけどね、あすこじゃなかなか、美味しい魚が食べられなかったんですよ。でもね、地元のこっちに帰ってきてからは、いつでも美味しい魚がいっぱい食べられるし、そういうところはホント、ありがたいなあって思いますわ、ええ」
そう語る運転手さんのことばからは、地元の串木野をこよなく愛する思いがじんわりと伝わってきて、なんだか胸が熱くなるのを感じたのでありました。


あっさりながらも旨味たっぷりのご当地グルメ、まぐろラーメンに舌鼓

再び、串木野の中心部へと戻ってまいりました。昼食を食べようと立ち寄ったのは、ラーメンと中華料理のお店である「味工房みその」さん。ここで、いちき串木野のご当地グルメである「まぐろラーメン」をいただきました。
ここ串木野で水揚げ量の多いまぐろを活かし、スープのダシやトッピングにまぐろを使用したのが「まぐろラーメン」であります。市内ではいくつかのお店が、それぞれに工夫を凝らしたまぐろラーメンを提供しているんだとか。この「味工房みその」は市の内外でよく知られている人気店のようで、わたしが入店したあとも続々とお客さんがやってきて、店内はずいぶん活気がございました。

運ばれてきたまぐろラーメンをさっそく賞味してみると、まぐろからダシをとったスープはあっさりしていながら旨味もしっかりあって、それがちぢれ麺によく絡んでなかなかの美味しさでありました。トッピングされていたまぐろのヅケもよく味が染みていて、そのままでも良し、添えられたワサビをつけて食べてもまた良しで、生ビールのいいおつまみになってくれました。・・・ええ、また真っ昼間から呑んでたのでありますが。

一緒に注文したジューシーな黒豚餃子もまた、生ビールの良きおともとなってくれたのでありました。

昼食後、しばし串木野の町を散策してみました。確かに観光地っぽさがあまりなくて静かではありますが、歩いていると人びとの暮らしの息づかいがしみじみと感じられてきました。なんだか、噛めば噛むほど味わいが出てくる町、とでも申しましょうか。ああ、これはこれでなんだかいい感じだなあ、と思いました。


「薩摩金山蔵」で生まれて初めてのトロッコ体験にワクワク

お腹が満たされたわたしは再びタクシーを拾い、町の北のほうにある「薩摩金山蔵」を訪ねました。

かつては金を採掘するために設けられていた坑道を利用して、焼酎を製造している地元の酒造メーカー「濱田酒造」が運営しているテーマパーク。呼びものは、トロッコ列車に乗って地下にある焼酎の仕込みと熟成貯蔵の現場を見学し、合わせてここの金山の歴史を辿っていくという約1時間コースのツアーであります。
入場料を払って中に入ると、トロッコの出発時刻までまだ1時間程度ございました。わたしはまず、イベントスペースのような場所で行われていた盆栽の展示を見て歩きました。手のひらサイズの小さいものから、子どもの背丈くらいありそうな大作まで、おそらくは地元の愛好家が丹精込めて作り上げたのであろう盆栽の数々は、いずれも見事でありました。

続いて売店を覗いてみると、ここで生産している焼酎をはじめ、日本酒、リキュール類がズラリと並んで販売されておりました。前日の夜に天文館で呑んだ「篤姫」も、ここの商品だったんですねえ。
そして売店の隅にはしっかり、焼酎の試飲コーナーもございました。

金山にちなんで金箔が入った銘柄など、全部で3種類の焼酎を順ぐりに試飲させていただきました。どっしりした味わいの芋焼酎から、軽快な飲み口の麦焼酎まで、それぞれ個性ある美味さでよかったですねえ。トロッコに乗る前から、もうすっかりほろ酔い気分になってしまいましたです、ハイ。
そうこうするうちに、トロッコ列車の発車時刻となりました。わたしはほろ酔い気分のカラダをのそのそと、トロッコ乗り場へと運ばせたのでございました。

乗り場にはけっこう人が集まっておりました。家族連れやカップルなどのグループがほとんどで、一人客はワタクシくらい。でも、生まれて初めてのトロッコ体験でありましたから、もうワクワクものでしたよ。おまけに焼酎ですっかりほろ酔い気分でしたし。ハハハ。
集まったお客さんが全員乗り込んだところで、トロッコは警笛を鳴らしつつガッタン・・・ゴットン、ゴットンと動き出し、坑道へと突入いたしました。

いやあ、なかなかいい雰囲気でしたねえ。トロッコということで、映画『インディ・ジョーンズ 魔球の伝説』あたりを思い出したりなんかして、ワクワク感がさらに高まってきたのでございます。・・・いえ、別に映画のように猛スピードで走り回ったりなんぞはしないのですが、それでもやっぱりワクワクしてきたのであります。
しばし地下に潜ったトロッコは、ホームのような場所に停車いたしました。ここで乗客が全員下車して、係の方の案内による金山蔵探訪のはじまりであります。外は蒸し暑さを感じるくらいでしたが、地下はまことにヒンヤリとしていて、半袖では少々寒く感じるくらいでありました。
300年の歴史があるという串木野の金採掘。江戸時代には薩摩藩の財政を支え、明治から昭和にかけては近代日本が発展する礎のひとつでもあったといいます。坑内には、そんな金採掘の歴史を物語る施設が当時のまま保存されておりました。



係の方の説明によれば、金鉱自体は閉山したわけではなく、やろうと思えばまだまだ、金は採掘できるといいます。ただ、金の採掘や精錬にかかるコストがかかるために、現在は採掘を休んでいる状態だとか。
ちなみに、トロッコの貨車に乗せられている金の鉱石は正真正銘のホンモノだそうですが、貨車いっぱいの金鉱石から取れる金は、わずかに小指の先程度くらいなもの、とのこと。ふー。それじゃあなかなか、採算が合わんわけだわなあ。
そんな、金山の歴史を物語る施設を過ぎたところで、焼酎の製造と熟成が行われておりました。



坑道だった場所には、焼酎を詰めた大きな甕がズラーッと並んでいて、静かに出荷される時を待っておりました。係の方の説明では、この中にはサントリーやセブンイレブンといった大手からの注文分も含まれているんだそうな。
それにしてもこの案内係の男性、語り口がまことに流暢で、かつ無性に面白いのでありますよ。お客さんの中に小さい男の子がいると見てとるや、
「はーいボク、ちょっとお仕事手伝ってね〜」
と、その子に焼酎の製造過程を説明したジオラマのボタンを押すよう促したりするのですよ。で、ボタンを押すとジオラマが動き出すものだから、その男の子も喜んで何度もボタンを押したりなんかして、まわりのお客さんからドッと笑いが起きておりました。いやあ実に見事な進行っぷりだなあと、わたしも大いに楽しい気持ちになりましたよ。

坑内にはほかに、金鉱石がご神体という小さな神社や、坑内の安全を祈願するために建立されたという「黄金の観音像」なんて “パワースポット” があったりして、けっこう楽しい坑内めぐりとなったのでありました。

1時間ほどのトロッコによる見学が終わり、金山蔵を後にしようとした時、受付のところにさきほどの案内係の男性がいらっしゃいました。
「ご説明、すっごくわかりやすくて面白かったですよ!」
わたしがそう声をかけると、その方はちょっと照れ臭そうな笑顔で「あ・・・どうもありがとうございます」と応じてくださいました。その表情が、まことにいい感じでございました。

こうして、初めて訪ねた串木野で立ち寄った場所では、いずれも楽しい思い出をつくることができたのでありました。ありがとう串木野。そして、やっぱり枕崎のほうがよかったかなあ・・・なんて思ってしまって悪かった。すまぬ。


お気に入りの酒場でゆっくり過ごした、天文館呑み歩き第2ラウンド

串木野から再び、鹿児島市内へと戻ってまいりました。連泊していたホテルでシャワーを浴びたあと、呑み歩き第2ラウンドに臨むべく、暮れなずむ天文館界隈へと出陣したのであります。この日の天文館も、たくさんの人で活気づいておりました。
わたしは最初、この日の呑み歩きは前夜とは別のお店に行くつもりでおりました。でも、もういっそのこと自分が心からくつろげるお気に入りのお店でゆっくり過ごそう、と方針転換。前夜も訪ねた「味の四季」に入りました。

まず生ビールとともに味わったのは、地鶏とキビナゴの串焼き。キビナゴは刺身でも美味しいのですが、焼いて食べるとより一層美味しさが際立って生ビールがグイグイと進み、おもわずビールをお代わりしてしまいました。

焼酎を進ませてくれたのは、揚げたてアツアツのさつま揚げ。見た目はドテッとしていて不格好でしたが、すり身本来の旨みがストレートに口の中に広がってこたえられませんでした。

そしてやはり、このお店に来たらおでん。前夜味わっていなかったタネを注文して、また違った美味しさを堪能させていただきました。焼酎もいつの間にか、2杯3杯と重なっていきました。
お客さんで活気づく店内も、お店の方のお心遣いも前夜と変わることがありませんでした。やっぱり、このお店が自分の性に合ってるんだなあということを、心地酔い、もとい、心地良い気分の中で再確認したのでありました。

「味の四季」を出たあと、前夜お客さんでいっぱいだったので入ることができなかった、別のお気に入りのお店へと足を運びました。しかし、なんということでしょう。そのお店はこの夜、お休みだったのでありました。まあ、こういうこともあるのは仕方がないところではあるのですが・・・でも、昨夜カオを出した時に、せめて明日はお休みだということくらい伝えて欲しかったなあ・・・。
ちょっと寂しい気分になったわたしは、このあとどうしようかと考えあぐねておりました。時刻はまだ7時台でしたが、ひとまずここでラーメンでも食べるとするか・・・と「らーめん小金太」というお店に入りました。


こちらのラーメンのスープは一見、こってりした感じがするのですが、豚骨のほかに魚介系のダシも加えているそうで、あっさりしていながらもいろいろな旨味が凝縮されていて実に美味しく、これまたスープをあらかた飲み干してしまいました。チャーシュー麺ではない普通のラーメンを注文したにもかかわらず、チャーシューが5枚も入っているというところにも、なんだか男気を感じてうれしゅうございました。

さてどうしようかなあ・・・美味いラーメンも食べたことだし、もういっそのことホテルに戻って早めに寝ようかなあ・・・そんな思いがチラリと、わたしの頭をかすめました。
そんなわたしの目に飛び込んできたのは、「らーめん小金太」の目の前にある天文館公園の噴水でした。


色とりどりにライトアップされたその噴水は実に華やかで、わたしはしばし惹きつけられるように眺めておりました。眺めていると、なんだかまた楽しい気分になってまいりました。
よし、天文館の夜はまだまだこれから、もう一軒行くぞー!わたしは再び、さんざめく天文館界隈へと足を進めたのでありました。
しばし繁華街を散策したわたしが最後にたどり着いたのは・・・

ハイ、こちらも前夜と同じく「はる日」でありました。もう今夜はとことん、お気に入りのお店でゆっくりしようということでありましたよ。

鹿児島ならではの酒肴である、カツオの腹皮焼きをつつきながら、ママさんに串木野はけっこう楽しかったですよ〜、などと報告いたしました。ママさんはニコニコしつつ、わたしの話に耳を傾けてくださいました。
この日の「はる日」は、前夜以上に多くのお客さんで賑わっておりました。前夜もお見かけした常連の男性が、お仲間さんを連れて再びお越しになっておられました。そしてわたしは、隣り合った佐賀から来た青年と、地元の常連さんである看護師の女性と言葉を交わしつつ、焼酎の杯を重ねました。
少し離れたところから、これまた地元の常連さん同士の会話が聞こえてまいります。
「新聞をとっとかないと、もし孤独死してもわからないからねえ」
「いままで新聞は毎日(新聞)をとってたんだけど、やっぱり南(地元鹿児島のローカル紙「南日本新聞」のこと)のほうがいいのかなあ、って。死亡欄は南のほうがいいみたいだし」
・・・ううむ、なんだか切実感のある話題ではありますが、こういう話題を耳にできるのも、旅先での一人呑みの醍醐味だったりするのでありますよ。
次々に舞い込む注文をせっせとさばきつつも、こちらのコップに焼酎があるかどうかをさりげなく確かめるというママさんの気くばりは、この夜も変わることはありませんでした。
ああやっぱりここも、オレの性に合ったお店なんだなあ・・・。わたしは再び心地酔い、もとい(くどいって)、心地良い気分になりつつ、そんなことを思っていたのでありました。


(最終日につづく)