読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

バラエティ豊かな作品が揃う第23回宮崎映画祭、閑古堂的見どころポイント

2017-08-27 22:26:08 | 映画のお噂
映画をこよなく愛する人びとが集まって結成された実行委員会の手により、毎年宮崎市で開催されている「宮崎映画祭」。第23回となる今年は来月(9月)の16日から24日にかけて、市内中心部にある映画館、宮崎キネマ館を会場に開催されます。



上映作品の詳しい紹介やタイムテーブル、チケットや会場へのアクセスなどの情報は、こちらの映画館の公式サイトをご参照いただくとして、当ブログではあくまでもわたし個人の注目ポイントに沿って、今年の宮崎映画祭をご紹介してみることにしたいと思います。

今度の宮崎映画祭は、ここ1年の話題をさらった最新ヒット作から、知る人ぞ知るアート系作品、内外の秀作アニメーション映画、さらにはドキュメンタリーの特集上映までバラエティに富んだラインナップで、けっこう楽しめそうであります。ということでまずは、上映される14本のラインナップを。


『ダゲレオタイプの女』(2016年 フランス・ベルギー・日本)
監督=黒沢清 出演=タハール・ラヒム、コンスタンス・ルソー、オリヴィエ・グルメ

『ヒッチコック/トリュフォー』(2015年 アメリカ・フランス)
監督=ケント・ジョーンズ 出演=マーティン・スコセッシ、デヴィッド・フィンチャー、アルノー・デブレシャン、黒沢清(ドキュメンタリー)

『SHARING』(2014年 日本)
監督=篠崎誠 出演=山田キヌヲ、樋井明日香、河村竜也
(111分のロングバージョンおよび、98分の「アナザー・バージョン」を上映)

『この世界の片隅に』(2016年 日本)
監督=片渕須直 声の出演=のん、細谷佳正、稲葉葉月、尾身美詞
(聴覚・視覚に障がいを持つ方々向けの字幕および、スマートフォンを使っての副音声付きで上映)

ユーリー・ノルシュテイン監督特集『アニメーションの神様、その美しき世界』(1968年〜1979年、ソビエト)
監督=ユーリー・ノルシュテイン 上映作品『25日・最初の日』『ケルジェネツの戦い』『キツネとウサギ』『アオサギとツル』『霧の中のハリネズミ』『話の話』

『イレブン・ミニッツ』(2015年 ポーランド・アイルランド)
監督=イエジー・スコリモフスキ 出演=リチャード・ドーマー、ヴォイチェフ・メツファルドフスキ、パウリナ・ハプコ

『神のゆらぎ』(2013年 カナダ)
監督=ダニエル・グルー 出演=グザヴィエ・ドラン、アンヌ・ドルヴァル、ロビン・オペール

『ラ・ラ・ランド』(2016年 アメリカ)
監督=デイミアン・チャゼル 出演=ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、ジョン・レジェンド

『東京流れ者』(1966年 日本)
監督=鈴木清順 出演=渡哲也、松原智恵子、吉田毅、二谷英明

『ツィゴイネルワイゼン』(1980年 日本)
監督=鈴木清順 出演=原田芳雄、大谷直子、大楠道代、藤田敏八

『チリの闘い』第一部〜第三部(1975年〜1979年 チリ・フランス・キューバ)
監督=パトリシオ・グスマン(ドキュメンタリー)

『人類遺産』(2016年 オーストリア・ドイツ・スイス)
監督=ニコラウス・ゲイハルター(ドキュメンタリー)

『山田孝之のカンヌ映画祭』全12話(2016年 日本)
監督=山下敦弘、松江哲明 出演=山田孝之、山下敦弘、芦田愛菜(テレビシリーズ)

『メッセージ』(2016年 アメリカ)
監督=ドゥニ・ヴィルヌーヴ 出演=エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカー


今度のプログラムの中で、わたしがもっとも注目しているのは、ドキュメンタリー映画の特集上映であります。その目玉といえるのが『チリの闘い』。1973年にチリで繰り広げられた、アジェンデ大統領率いる当時の社会主義政権と、アメリカから支援を受けてクーデターを起こした軍部との戦いを記録した伝説的ドキュメンタリー作品です。本作の製作の過程は、ノーベル賞作家であるガブリエル・ガルシア=マルケスにより『戒厳令下チリ潜入記』(岩波新書)というノンフィクションにもまとめられております。
今回の宮崎映画祭では、全3部構成、総上映時間4時間半近くに及ぶ本作を、9月17日に1回限りで一挙上映いたします(途中休憩が2度挟まります)。これはちょっと体力勝負となりそうですが、またとない機会となりそうなので、体力をしっかり整えて観てみたいと思っております。

同じくドキュメンタリー作品である『人類遺産』は、話題となった『いのちの食べかた』(2005年)を手がけたニコラウス・ゲイハルター監督の最新作です。
『いのちの食べかた』は、やはり宮崎映画祭で上映されたときに鑑賞いたしました。野菜や果物、そして食肉といった食料生産の現場を淡々と、時に美しさを感じる映像で捉えたこの映画は、押しつけがましい解釈を誘うような音楽やナレーションなどを一切排して、観る側に判断を委ねるというつくりが新鮮な、実に優れたドキュメンタリー映画でした。
今回上映される『人類遺産』は、湖底に水没しながらも、干ばつによって地上に姿を現したアルゼンチンの町や、ハリケーンによって海に崩落したアメリカのローラーコースター、そして日本の長崎県にある「軍艦島」こと端島など、世界70ヶ所以上の「廃墟」にカメラを向けた作品です。淡々と、かつ美しく食料生産の現場を捉えたゲイハルター監督が、どのような映像で「廃墟」を捉えたのか。実はけっこう廃墟好きなわたしとしては、大いに楽しみな一作であります。

ドキュメンタリー特集ではもう一本、異色のプログラムが。『山田孝之のカンヌ映画祭』は、俳優の山田孝之さんと、『苦役列車』(2012年)などの作品で知られる映画監督の山下敦弘さんが、カンヌ映画祭に出品する映画を創ろうとする過程に密着した、テレビ東京系列で深夜枠に放送されたテレビシリーズです。今回の宮崎映画祭では、会期中にテレビシリーズ全12話を4回に分けて上映するという、実に無謀な(笑)プログラムが組まれております。山下監督とともにシリーズの監督を務めた松江哲明さんが、最終上映日の9月23日にゲストとして来場されます。

アニメーション映画の特集で注目しているのは、ソビエト=ロシアの巨匠、ユーリー・ノルシュテイン監督の代表作6本を集めた『アニメーションの神様、その美しき世界』です。日本の高畑勲監督も敬愛するアニメーションの巨匠ということは存じておりましたが、まだその作品を観たことがございませんでしたので、ぜひともしっかり観ておきたいところです。
アニメーション映画特集はもう一作。現在も各地の劇場でロングラン上映が続き、多くの人たちの熱い支持を得ている片渕須直監督の秀作『この世界の片隅に』が、初日のオープニングを含めて会期中3回上映されます。すでに2回観ているわたしですが、もし時間が合うようであればまた観るかも、です。

現代日本を代表する映画作家の一人として、海外からも高い評価を得ている一方で、宮崎映画祭にもこれまで何度もゲストとして来場されている黒沢清監督。今回はフランス・ベルギーとの合作により製作した最新作『ダゲレオタイプの女』をひっさげて、久しぶりに宮崎映画祭に来場されます。
170年前の写真撮影技法である「ダゲレオタイプ」に魅せられた写真家のもとに、助手としてやってきた青年が目にする写真家とその家族の秘密を描いた、妖しくも甘美な物語は、映画的な趣向をたっぷりと盛り込んだ作品という感じがして期待が持てます。映画祭最終日の9月24日、黒沢監督もインタビュー出演しているドキュメンタリー映画『ヒッチコック/トリュフォー』とともに、監督のトークを交えて上映されます。
黒沢監督が宮崎映画祭に来場されるのは、これでなんと5回目。世界的にも名高い監督でありながら、宮崎のような地方で行われる映画祭にも、こうして何度も足を運んでくださることは、宮崎の人間として実にありがたく、感謝にたえません。

上映される日本映画でもう1つの注目作は、『おかえり』(1996年)や『東京島』(2010年)などを手がけた気鋭の映画作家・篠崎誠監督の最新作『SHARING』。東日本大震災という未曾有の大災害を、映画的な文脈の中でどのように描き出しているのか気になります。
今回の映画祭では111分のロングバージョンとともに、98分の「アナザー・バージョン」も上映されます。後者は単に短いだけのバージョンではないとのことなので、可能であれば両方を観比べたいところです。9月23日には篠崎監督と、主演女優の山田キヌヲさんが来場されます。
今年2月に亡くなられた鈴木清順監督の回顧特集では、代表作の『ツィゴイネルワイゼン』とともに、日活時代に製作した『東京流れ者』が上映されます。後者では若き日の渡哲也さんが観られるというのも楽しみなところです。

そして、今年話題となった新しい作品の目玉といえるのが『ラ・ラ・ランド』です。今年の第89回アカデミー賞で、監督賞や主演女優賞など全6部門を受賞した、大評判の傑作ミュージカル映画です。実は本作のデイミアン・チャゼル監督がインスパイアされた映画が、今回の鈴木清順監督回顧特集でも上映される『東京流れ者』だということで、この2作もまた、観比べると面白そうですね。
テッド・チャンのSF小説『あなたの人生の物語』(ハヤカワ文庫SF)を原作とした『メッセージ』は、SF映画の名作『2001年宇宙の旅』(1968年)の原案も手がけたSF作家、アーサー・C・クラークの生誕100年記念企画として上映されます。こちらは、SF映画好きの端くれとしては観逃せません。

映画祭の本祭に先駆けて、プレイベントも予定されております。9月2日には、宮崎市内中心部にある商店街・若草通のアーケード街にて、屋外上映会や宮崎大学コンソーシアムによる映画製作のワークショップが開催されます。屋外上映会では、地元を舞台にした自主映画や、アカデミー短編アニメーション賞などを受賞した加藤久仁生監督の傑作短編アニメ『つみきのいえ』(2008年)が上映されます。
プレイベントの行われる若草通のアーケード街も、映画祭本祭の会場となる宮崎キネマ館も、宮崎市中心市街地のど真ん中。宮崎最大の繁華街、通称「ニシタチ」もすぐそばです。映画の前後にショッピングや飲食を楽しむというのも、またオツなのではないでしょうか。

ここ10年ほど、ささやかながらも宮崎映画祭を応援させていただいてきたわたしでありましたが、昨年は映画祭の会期と同じ期間に計画した熊本旅行を優先させたこともあり、観に行くのをパスするという不義理をおかしてしまいました。
それだけに、バラエティ豊かで面白そうな作品が揃った今年の宮崎映画祭を、心を入れ替えて(笑)応援したいと思うわたしなのであります。

今年も存分に堪能した、福島県須賀川市「阿部農縁」さんの美味しすぎる桃

2017-08-16 21:31:42 | 美味しいお酒と食べもの、そして食文化本のお噂
東日本大震災の翌年から、ほぼ毎年注文して取り寄せている、福島県須賀川市にある「阿部農縁」さんが生産している桃「あかつき」。今年の夏の注文分も、今週の14日に届きました。大きめサイズの特玉6個の詰め合わせです。


ここの桃を注文するようになった経緯は、2014年の夏に記した拙ブログ記事「コクのある甘みが絶品の福島県須賀川市『阿部農縁』産の桃に溺れる」を参照していただきたいのですが、カリカリサクサクした果肉に詰まったコクのある甘味のトリコになって以来、毎年夏には欠かせない風物詩となっているのであります。
お待ちかねだったこともあり、到着したその日のうちにさっそく2個平らげました。まずは皮を剥いて切り分けた果肉をそのままの状態で。ジューシーな甘さが香りとともに口いっぱいに広がって、もうたまりませんでした。そうそう、この美味しさを楽しみにしておったのだよ、うん。


次にヨーグルトをたっぷりかけた定番の食べ方で。合わせたのは、地元宮崎の「高千穂牧場」産のプレーンヨーグルトです。コクのある甘さとコクのある酸味が相まって、これまたクセになるような美味さでありました。


そして今年は、また新たな食べ方で味わってみることにいたしました。しばらく前にネットで見かけた、モッツァレラチーズと合わせたサラダであります。切り分けた桃とモッツァレラチーズを盛り付け、オリーブオイルと白ワインビネガー、塩、コショウで味つけして、刻んだレモンピールを散らして出来上がり。
これはワインによく合いそうな料理ということで、かなり久しぶりにワインを買ってきて飲むことにしました。ところが、なんということでしょう。コルクの栓を抜いている途中、栓抜きの針金がポキンと折れてしまったではありませんか。


ああ、やっぱり100円ショップで買ったやつはモロいのう、第一取っ手んところに錆が出てきているしなあ・・・っていうか普段やりつけないコトをやろうとすると大抵しくじるんだよなあオレ・・・などと動揺しつつ思うわたし。でも、せっかくの桃とモッツァレラチーズのサラダを前にして、このまま引き下がるワケにはまいりません。工具箱から引っ張り出してきたペンチで折れた針金やコルクの栓を掴み、少しずつ引っ張り上げた末、ようやく栓を開けることに成功したのでありました。ふう。よかった。


まあ、そんなバカげたてんやわんやがございましたが、なんとかワインとともに、桃とモッツァレラチーズのサラダにありつくことができました。


少しの塩気とピリッとした味をまとった桃は、またひと味もふた味も違った美味しさに。こちらも地元宮崎産「綾ワイン」の白が進んで進んで困るくらいで、お盆休みの夕べを嬉しいものにしてくれたのでありました。

阿部農縁さんから送っていただいた桃の箱の中には、須賀川市のガイドマップとともに、今月の26日に須賀川で開催される「釈迦堂川花火大会」の案内も入っておりました。須賀川市はもちろん、福島県を代表する大がかりな夏の風物詩だとか。今年のテーマは「笑顔と希望の未来に向かって 〜手と手を取り合って〜」。


内陸部である須賀川市も、東日本大震災では少なからぬ被害を受けましたが、そこから少しずつ立ち直り、未来へ向けての歩みを進めているということは喜ばしい限りです。すぐには足を運ぶことができないのが残念なのですが、いつの日かこの目で、須賀川の盛大な花火大会を見物してみたいなあ。
今年の花火大会も大いに盛り上がりますよう、願っております。

阿部農縁さん、今年も美味しい桃をありがとうございました!そして、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます!


阿部農縁さんのホームページ→ http://abe-nouen.com/

『描かれた病』 技巧を凝らした衝撃的な細密イラストの数々が物語る、病との格闘と知的探求の歴史

2017-08-14 22:22:41 | 本のお噂

『描かれた病 疾病および芸術としての医学挿画』
リチャード・バーネット著、中里京子訳、河出書房新社、2016年


まだ写真がなかった時代、さまざまな病の症状を記録し、伝達するための有力な手段だったのは、絵画でした。
現代に残る過去の時代の貴重な医学書から、それらの疾病を記録したイラストの数々を集め、医学と社会との関わりから解説していくのが、この『描かれた病』です。
疾病により生じた症状を、微に入り細に入り描いたイラストをこれでもかと集め、オールカラーで収録した本書は、見る人によってはかなり「悪趣味」なものに映ってしまうかもしれません。正直に白状すれば、わたしが本書をわざわざ取り寄せて購入した主な動機も、興味本位の「怖いもの見たさ」といったものでした。

表紙になっている、真っ青な顔色にどす黒い唇をした女性の肖像画は、1831年にヨーロッパで流行したコレラに罹患したヴェニスの23歳の女性を描いたもの。罹患する前の健康な姿と対比する形で描かれたこの絵からは、当時猛威を振るい多くの人々の命を奪ったコレラの恐ろしさが、端的に表れているように思えました。キャプションによれば、この絵は罹患1時間後の姿で、この4時間後に死亡したのだとか。
でも、これはまだほんの序の口程度。「皮膚病」の章では、全身が湿疹のようなものにビッシリと覆われている患者や、胴体から腕にかけて魚鱗癬(ぎょりんせん)による腫瘍が広がっている患者の姿を事細かに描いたイラストが出ていて、見ているだけで体がかゆくなりそうな気になってきました。
中には、皮膚をひっかくとその部位が腫れてかゆみをもたらすという「皮膚描記症」なる蕁麻疹の一種を記録したイラストもあり、体表には意図的につけられたとみられる模様や “UP” などの文字が浮き出ていたりしていて、そんな症状があったのかと驚くばかりでした。

「がん」の章では、中国の広東省で病院を開設したアメリカ人医師が中国人画家に描かせたという、体に腫瘍が生じた患者たちのイラストが出ています。首や胴体から巨大な腫瘍がぶら下がっていたりする、にわかには信じがたいような姿をした患者たちの姿にも、また驚かされました。また、乳がんにより乳房組織が壊死してしまい、中の胸筋や肋骨があらわになっている女性の姿も。
そして極めつけなのが「性感染症」の章。ここでは、梅毒によって生じる「牡蠣殻疹」により、文字通り体表が牡蠣の殻のような状態となっている患者の姿や、先天性の梅毒になってしまっている乳児の姿、さらには梅毒に罹患した男女の性器を描いたイラストまで収録されていて、さすがにこれには引いてしまいそうになりましたが・・・。
しかし、おぞましいだけではなく、奇妙に美しさを感じさせられるようなイラストも少なからずありました。結核やコレラ、がん、心臓病の章に収められた臓器の解剖図や組織の切片図は、いずれも精緻な色づかいがなされていたりしていて、なんだか妙に美しく思えるものがありました。

収録されている図版のほとんどが西欧の医学書からのものなのですが、その中で唯一東洋から選ばれているのが、17世紀から18世紀初頭にかけて日本で刊行された天然痘に関する書物『痘疹精要』の挿画です。ここでは体表に生じた天然痘を、紙の上に凹凸をつけるという独特な技法で表現していて、これまた驚かされました。
この図版のキャプションで著者は、「これらのすばらしい挿画(中略)は、視覚以外にも触覚を活用するという、非常に異なる疾病の記述方法を示している」と、その独自性を高く評価しています。うーむ、妙なところで発揮されるわが日本の独自性が、こういうところにも現れていたとは。

絵だけを取り出すとおぞましいだけにしか見えないような、細密に病態を記録した医学挿画の数々。それらの背景となった医学と芸術、そして社会との関わりを含蓄のある記述で解説していく著者は、これら医学挿画が「人体の形状と動作、そしてこれらを2次元の平面に、いかに説得力をもたせて表現できるかという点に共通の関心を抱いていた」解剖学者と芸術家とのコラボレーションの産物であることを語ります。

「身体構造の探求が簡単であったことは一度もない。人をモノ ーー解剖台に横たわる死体、瓶の中の標本、教科書の挿図ーー に変えるには労働を伴う。それも単に人体にメスを入れたり、標本を作成したり、保存処理を施したり、印刷用の版画を刻んだり、といった物理的な技術だけではない。それには、混乱と不完全さを理解可能な秩序のもとにまとめる知的労働、および生と死、人間性と物体、会話と沈黙、といった議論の多い領域を結びつける文化的労働も必要になる」

コラボレーションに加わるのは解剖学者や画家だけではありません。描かれた絵を正確に木版や銅板に起こす彫版工、文章と挿画のレイアウトを行う植字工、色鮮やかな印刷を手がける印刷工や、本の形を作り上げる製本工、そして完成した本を販売して世に広める出版社・・・。それぞれの段階において、一級の技巧や専門知識が凝らされた末に、これらの精緻な医学書の挿画が生まれたのです。
病の実態を正確に把握し、その知見を広く共有しようとした、近代における病との知的格闘。その歴史を語る一級の資料としてこれらの医学挿画を見直すと、また違った見え方がしてくるのを感じました。

とはいえ、病との格闘の歴史には「光」だけではなく「影」の部分もありました。本書はそんな「影」の部分もしっかりと掘り起こします。解剖図の「素材」(すなわち死んだ人間のなきがら)がどのようにして入手されていたのかについて述べたくだりでは、19世紀においては病院や救貧院で落命した引き取り手のない遺体の供与を受けたり、貧しい地区にあるアフリカ系アメリカ人の墓地から死体を入手したりもしていたということが語られます。
ハンセン病を取り上げた章では、道徳的堕落と身体の腐敗の双方を示すとされた患者たちに対する差別と偏見の歴史に触れます。中世の頃には、病院に入れなかった貧困患者は、自分が近づいていることを人々に知らせる鐘や鳴子と松葉づえ、それと物乞いに使う柄杓を持たされたといいます(本書にはそれらの実物および複製の写真も掲載されています)。19世紀に入っても偏見は根強く残り、「帝国の危機」を招く病というかたちで、植民地でのハンセン病の取り扱いに影響を与え続けたのだとか。
日本においても、ハンセン病の患者を強制的に隔離した悲しい歴史がありましたが、本書で初めて知ることになった、ヨーロッパにおけるハンセン病患者への偏見の歴史の一端も、実に衝撃的でした。

興味本位の「怖いもの見たさ」という動機で購入して読んだ本書でしたが、病をめぐる医学と芸術、そして社会のかかわりの歴史について、大いに有益な視点を与えてくれる一冊となりました。
本書の原書は、「ブリティッシュ・ブック・デザイン・アンド・プロダクション・アワード」なるブックデザイン関係の賞で最優秀作品賞を受賞したそうですが、日本語版のデザインやレイアウトもなかなかよくできていて、書物としても魅力的なつくりとなっていました。
今年の10月には、同じ著者が外科手術にまつわる医学挿画を集めて紹介した姉妹編『描かれた手術 19世紀外科学の原理と実際およびその挿画』が、これまた同じ訳者と版元により刊行予定とのこと。こちらの刊行も楽しみであります。

宮崎にとって、そしてわたしにとっても最高のプレゼントとなった、宮崎キネマ館の片渕須直監督舞台挨拶付き『この世界の片隅に』上映会

2017-08-13 22:42:33 | 映画のお噂
きょう8月13日、宮崎市内中心部にある映画館、宮崎キネマ館にて、アニメーション映画『この世界の片隅に』の上映会が、監督である片渕須直さんを招いての舞台挨拶付きで開催されました。


同館にて昨日(12日)から始まった、片渕監督のアニメーション映画の特集上映(18日まで)の目玉企画となったこの上映会、わたしも行ってまいりました。
この日の午前中からお昼にかけては、片渕監督の過去作である『アリーテ姫』(2000年)と『マイマイ新子と千年の魔法』(2009年)の2本立て上映会が、やはり片渕監督の舞台挨拶付きで開催されましたが、こちらのほうは残念ながら都合が合わずに参加することができず、午後からの『この世界の片隅に』の上映会のみの参加となりました。館内はお客さんでぎっしりの満員でした。
『この世界〜』を観るのは、3月に上映されたときに観て以来2回目でしたが(そのときに綴った拙ブログの記事はこちら)、人びとのいとなみと喜怒哀楽を丁寧に描いた内容と、主人公である「すずさん」と一体化しきった、のんさんによる声の演技にまたも引き込まれ、あらためて存分に堪能することができました。


映画の上映終了後に登壇された片渕監督は、一見ゴツい感じの容貌(ゴメンナサイ)でありながら、話しぶりにお人柄の良さが滲み出てくるような、実に素敵なお方でした。この作品のために重ねてきた舞台挨拶は、今回の宮崎キネマ館での上映でなんと101回目となるんだとか。会場からは思わず拍手が。
挨拶の中で片渕監督は、「戦争や原爆が描かれている作品ではあるけれど、その前から(主人公の)すずさんたちの暮らしは続いていて、その後もずっと続いていくんです。だから、戦争や原爆といったこととはかかわりなく、これからも作品を観ていただければと思います」といった趣旨のお話をされました。

片渕監督の挨拶に続いて、毎年宮崎市で開催されている宮崎映画祭(第23回となる今年は来月の16日から24日まで開催。『この世界〜』は映画祭においても、初日オープニングを含めて3回上映が予定されています)が今年から新たに設けた、第1回目となる「金のはにわ賞」の贈呈式が。映画の舞台となった広島県の呉市ご出身である河野俊嗣宮崎県知事から、金のはにわ像が片渕監督へ手渡されました。
河野知事によれば、かつてご自身が暮らしていたあたりの場所が、映画の中でもしっかりと描写されていて、懐かしさでいっぱいだったとのこと。実際の呉の光景をリアルに再現した片渕監督のこだわりっぷりが、知事のお話からも裏書きされることになりました。



さらには、つい先日の8月10日がお誕生日だったという監督に、バースデーケーキのプレゼントも。しきりに照れた様子にも人柄の良さが現れているようで、なんだか気持ちが和んだわたしでありました。




『この世界の片隅に』という素晴らしい映画を、片渕監督のお話と合わせて観るという、またとない機会となった今回の上映会は、宮崎のファンへの嬉しいプレゼントでした。そして私事ながら、きょう8月13日が誕生日であるわたしにとっても、最高のプレゼントでありました。
ご多忙の中、宮崎にお越しいただいた片渕監督、そして企画してくださった宮崎キネマ館さん、どうもありがとうございます!!

『俗語発掘記 消えたことば辞典』 改まった場で使えないことばだからこそ現れる、時代の素顔と巧みなユーモア精神

2017-08-12 15:47:04 | 本のお噂

『俗語発掘記 消えたことば辞典』
米川明彦著、講談社(講談社選書メチエ)、2016年


ことば、というのは生きものなんだなあ、ということをあらためて感じます。時代の流れとともにさまざまなことばが生まれ、消えていくとともに、ずーっと変わらないように見えながらも形を変化させたり、別の用法や意味合いを与えられたりすることばがあったりもいたします。
時代の流れをもっともよく体現していることばの代表といえるのが「俗語」です。きちんとした場所ではあまり使われない、文字通り「俗っぽいことば」であるからこそ、そのときどきの時代の価値観を強く反映させた、面白いことばが次々と生み出されては消えていきました。
明治から平成の世にかけて生み出され、一世を風靡しながらも、時代の流れとともに賞味期限が切れてすたれ、忘れ去られた(もしくは忘れ去られようとしている)ことばを五十音順に取り上げ、辞典風に綴ったのが、この『俗語発掘記 消えたことば辞典』です。
著者の米川明彦さんは、6300もの俗語を収録・解説した『日本俗語大辞典』や、さまざまな業界で独自に使われていることばを集めた『集団語辞典』(ともに東京堂出版)などなど、俗語に関する書物を数多く上梓しておられる、まさに俗語研究のスペシャリストです。本書は、それぞれの俗語がどのような背景で生まれ、世に広まり、そして消えていったのかを、豊富な文献から引いた用例とともに解説していきます。

「モダンガール」「アベック」「よろめき」といった古いものから、「アッシー君」「三高」「チョベリバ」といった割と新しいところまで。さまざまな「死語」が取り上げられている中で「あれ?」と思ったのが「ちゃりんこ」。今でも自転車を指すことばとしてよく使ってるけどなあ、と思いつつ読んでみると、ここでの「ちゃりんこ」は子供のスリを意味する犯罪者隠語で、転じて浮浪児や不良少年を指していたのだとか。ナルホド、それは初めて知りました。ちなみに、自転車の意味として使われるようになったのは1970年代の半ばからだそうです。
同じように、元の意味とはまったく違う意味で使われるようになったことばが「MMK」。かつては「もててもてて困る」の頭文字をとって生まれた、戦前の海軍士官の隠語だったのが、90年代になって女子高生の間で「まじムカツク切れる」や「まじムカツク殺す」といった意味で使われたそうな。同じことばなのになんという意味の違い・・・。

1979年、江川卓氏が「空白の一日」経て阪神から巨人へ移籍した事件から生まれた、だだをこねたりゴリ押ししたりすることを意味する「江川る」を紹介した項目では、このテの「人名+る」による造語法が戦前からあったことが語られます。古いところでは、1911年に日本で公開されてヒットしたフランスの怪盗映画の主人公・ジゴマの名をとって生まれた「ジゴマる」(悪いいたずらをするという意味)があるほか、イプセンの『人形の家』の主人公ノラから生まれた「ノラる」(妻が夫を脅すために家出をすること)なんてのも。
このように別のことばに「る」をつけて動詞化する「ることば」には、けっこう古い歴史と豊富な語があるそうで、「退治する」を縮めた「退治る」や、日本酒の「剣菱」を飲むことを指した「けんびる」などは、江戸時代の洒落本や滑稽本に登場することばだといいます。江戸時代は出版文化が盛んであったことに加え、職業が分化してそれぞれの集団社会特有の言い方がなされるようになったことで、明治以前では一番多く俗語が生まれた時代であった、とか。
明治以降、さまざまな外来語が入ってくると、「テニる」(テニスをする)や「デパる」(デパートに行く)といった「外来語+る」ことばが、昭和初期のモダニズムの時代を中心にして大量に生まれています。中等・高等教育の普及・拡大に加え、近代化を背景に「娯楽の手段」として生み出されたという「ることば」。そのほとんどはすでに忘れ去られ「死語」と化しております。今でも使われ、辞書にも掲載されているのは、大正時代に生まれた「サボる」をはじめ10語程度。
「ることば」という造語法から生み出されたことばからも、時代の移り変わりが見えてくるということが、本書を読むとよくわかります。

時代の移り変わりを如実に感じる俗語といえるのが、男と女をめぐることばの数々でしょう。
人間の要素が三分、化け物の要素が七分という意味を込めた、醜い顔の女性を嘲った表現である「人三化七」(にんさんばけしち)なる明治時代生まれのことばの次に紹介されているのが、定年退職後に妻に頼り切って離れないダメ夫を揶揄した「ぬれ落ち葉」。
男性があからさまに女性を卑罵した表現と、家のことを妻に任せっきりにしながら威張り、いい気になっている夫に「ノー」を突きつけたことばとの対比は、男と女をめぐるそれぞれの時代のありようと移り変わりを強く感じます。

本書から見えてくるのは、時代の移り変わりだけではありません。俗語によって発揮された、それぞれの時代の日本人による巧みな洒落っ気、ユーモア精神にも感心させられたりいたします。
饅頭を外国語のごとく言い表した「オストアンデル」の項目。ここには昭和初期に多く造られたという、実に多くの「外国語もどき」が紹介されているのですが、どれも遊びごころが溢れていてまことに楽しいのです。とりわけ「アリヨール」(=砂糖)や「シリニシーク」(=かかあ天下)、「デルトマーケル」(=弱い力士)などにはけっこう笑いました。
1970年代の終わり頃に流行した、話の中身がないことを表した「話がピーマン」の項目で紹介されている、数々の「話が〜」表現にも傑作が多くあります。「話がセロリ」は話の筋が通っていて、「話がキャベツ」は話が込み入っている、「話がメニコン」は話がよく分かる、「話がショットガン」は話があっちこっちに飛ぶ、「話が水戸黄門」は話が変わりばえしない、そしてアニメ『宇宙戦艦ヤマト』からきた「話がヤマト」は話が長い・・・。
平成生まれのことばにも傑作が。歌手の安室奈美恵さんのようなファッションを真似た「アムラー」をもじって、アムラーにまったくなりきれていない女子をからかって表した「アララー」や、キムタクこと木村拓哉さんを真似ながらもまったく似ていない男子を表した「キムタコ」も、なかなか上手い言い回しです。たった一文字変えただけで、正反対のズッコケ感たっぷりな意味合いにしているのですから。
本書で紹介されていることばの中で、個人的にニンマリしてしまったのが、骨と皮ばかりにやせた人をからかって言った「骨皮筋右衛門」(ほねかわすじえもん)。子どもの頃はガリガリにやせていたわたしも、親戚などからよくこう言われていたものです(本書の著者、米川先生も小学生の頃そう呼ばれていたそうな)。それから幾星霜、体型も若干変わってしまい、誰からもそんなことを言われなくなって久しいのですが・・・。
「骨皮筋右衛門」ということばで時代の移り変わりのみならず、図らずもオノレ自身の移り変わりにも思いを馳せた次第でありました。

巻末の「解説」では、俗語の定義や特徴をはじめ、俗語がどのような経緯で発生して広まり、消滅していくのかを言語学的な観点から類型化し、考察しております。
ここでは、インターネットや携帯電話、スマートフォンなどの普及により生まれて、広まっている現在の若者語の数々も取り上げられております。(笑)を意味する「Wまたはw」、グダグダを意味する「gdgd」といった頭文字表現。TwitterやLINEなどのSNSから生まれた「リプ」「ファボ」「飯テロ」「バカッター」「既読スルー」「リア充」といった独特の言語表現・・・。これらのネットやSNS独特のことばもまた、現代という時代を映し出す鏡のようなもの、なのでしょう。

改まった場ではおおっぴらには使うことのできない、一段低いものに見られがちな俗語の数々。しかしそこからは、大文字の歴史文献からは知ることのできないその時代その時代の素顔と、ことばを通して発揮される巧みなユーモア精神や洒落っ気が生き生きと伝わってまいります。
近現代の世相風俗がことばから見えてくる、楽しくて興味をそそる一冊であります。



【関連オススメ本】

『【難解】死語辞典』
別冊宝島編集部編、宝島社(宝島SUGOI文庫)、2014年
(親本は2013年に宝島社より刊行)
こちらは昭和戦後から平成にかけての、新しめの「死語」たちを網羅した(なので、けっこう懐かしいことばも多く載っている)一冊です。60代から30代の年代ごとによく使われる「死語」を、類似語や派生語も合わせて簡潔に紹介。それらのことばが使われたときのベストな対処法や、会話式の用例解説、最新語による言い換え例などもあり、オジサンたちとのコミュニケーションにも役に立つ、かもです。


『辞書には載らなかった 不採用語辞典』
飯間浩明著、PHP研究所、2014年
辞書への収録を前提に収集されながらも、最終的には収録を見送られた「不採用語」の数々を、『三省堂国語辞典』の編纂者が軽妙な語り口で解説した一冊です。辞書への収録が見送られたことばからも(不採用となった理由も含めて)時代のありようが見えてきます。拙ブログに綴ったレビューはこちらです。現在は残念なことに版元品切れのようですが・・・。