読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

3年ぶりの熊本がまだせ旅(第2回)地震から美しく甦った天下の名城・熊本城の勇姿に涙

2022-10-30 20:05:00 | 旅のお噂
お昼ごはんを済ませ、お腹もココロも満たされたわたしは、今回の熊本旅で最大の目的であった熊本城見学へと向かいました。
2回にわたる最大震度7の揺れが熊本を襲った、6年前の熊本地震は、天下の名城と謳われる熊本城にも大きな被害をもたらしました。天守閣は鯱瓦をはじめとする瓦の多くが落下し、石垣の一部が崩落。周囲にある櫓も石垣が崩落したり、建物そのものが倒壊するなどの被害を受け、242メートルに及ぶ長さの長塀も、80メートルにわたって無残に倒壊してしまいました。
地震のあった年の9月に熊本を訪れたわたしは、熊本城の生みの親である加藤清正公を祀った加藤神社から傷ついた天守閣の姿を目の当たりにし、痛ましい思いをいたしました。その後熊本を再訪したおり、大規模な修復工事が行われている最中の天守閣を見上げながら、復活する日を心待ちにしたものです。

(↑2016年9月撮影)
(↑2018年5月撮影)

そして昨年(2021年)の3月、天守閣は見事に完全復旧を果たしました。復活したその勇姿をぜひともこの目で見てみたい・・・と思いながらも、コロナ莫迦騒ぎによって世の中が錯乱する中で訪れることすらままならなかったことは、前回でお話したとおりであります。

上通りで昼食を済ませたわたしは、繁華街から城内に向かうべく、坪井川に沿って伸びている遊歩道に入りました。そして、対岸にある長塀を目にして思わず声を上げました。地震によって無残に倒壊していた塀が、きれいに復旧しているではありませんか!

遊歩道の傍に立っている説明板を見ると、長塀も昨年の1月に復旧工事が完了したそうで、修復にあたっては可能な限り元の部材を使用した上で、新たにステンレス製の筋交いを入れるなどの耐震・耐風対策を施した・・・とありました。いやはやお見事!この後に控える天守閣見学への期待感が、より一層高まってまいりました。

天守閣へ突入する前に、散歩じたくと昼食後のデザートを兼ねてなにか甘いものでも・・・ということで、まずは城内への出入り口付近にある観光施設「桜の馬場 城彩苑」に入りました。

熊本の美味しいものやお土産を商うお店が立ち並ぶ「桜の小路」の入り口には、〝ソフトクリームフェア〟なるイベントを告知する看板が。「熊本県産の素材を使ったこだわりのソフトクリームが勢ぞろい!」とあっては、ソフトクリーム好きとしては見過ごすワケにはまいりませぬ。

食べたい気持ちをそそられるような、気になるソフトクリームがいろいろとあった中で、蜂蜜専門店の「杉養蜂園」さんで売られていた「巣房蜜ソフトクリーム」を選びました。

ソフトクリームにトッピングされていたのは、なんとミツバチの巣の一部!驚くわたしにお店のお姉さんは「バリバリ食べちゃってください!」などとおっしゃいます。
生まれてはじめて食べた蜂の巣は思いのほか柔らかく、口の中でほろほろと崩れました。クリームに絡む蜂蜜も上質で、コクのある甘さと花の香りが口いっぱいに広がりました。いやはや、とても美味しゅうございました。
食べ終わって歩き出そうとすると、こんなソフトクリームの看板が目に飛びこんでまいりました。

ピリッと辛みが効いた辛子明太子をトッピングした「明太子ソフト」!一瞬、話のネタに食べておこうかという気もいたしましたが・・・そこから一歩踏み出す勇気は出ませんでした(笑)。

さあ、昼食後のお口直し兼散歩じたくも終わったところで、いよいよ天守閣に突入であります!
天守閣が復旧したとはいえ、周囲の石垣や櫓などはいまだ復旧工事の途上。ということで、それらを跨ぐように設えられた特別公開用の歩道を伝って、天守閣に向かいます。

午前中は曇りだった天気も回復して、気持ちのいい秋空からはさんさんとした陽の光が降り注いでいて、ちょっと暑いくらいになっておりました。歩道の上はたくさんの観光客で賑わっていて、ワクワクした気分がさらに高まってきます。
復旧の途中にある石垣の向こうから、天守閣が近くなったり遠くなったりしながら見えてきました。さあ、いよいよであります。


歩道は本丸御殿の下を潜る形で続いています。二つの石垣を跨いで建てられている御殿の下では、「闇(くらが)り通路」と呼ばれる地下通路が伸びているのを見ることができます。

そして、本丸御殿の下から再び地上に出てみると・・・威風堂々と聳え立つ天守閣の絶景が視界いっぱいに広がり、思わず「うわーっ!」と声が漏れました。

青空から降り注ぐ日の光を浴びながら、美しく輝いている天守閣。地震による大きな痛手から、よくぞこんなに美しく甦ったものだ・・・そんな感慨が湧き上がってきて、不覚にも涙ぐんでしまいました。復旧にあたった方々の尽力と、それを後押しした熊本の皆さんの熱意に、万雷の拍手を贈りたい気持ちになります。

ひとしきり感慨に浸ったあと、天守閣内部の見学に移りました。加藤清正公による創建、開城から、6年前の地震による被災からの復活に至るまでの城の歴史を、豊富な史料や模型、パネル展示によって学ぶことができます。
築城前後の歴史を伝える展示からは、川に囲まれた小高い場所という地の利や、当時の建築技術の粋を大いに活かしながら、防御と攻撃の両面で優れた城を築きあげていった清正公のこだわりっぷりに、つくづく感心させられます。
展示の中でもとりわけ目を引いたのが、昭和35(1960)年の天守閣復元にあたって製作された「天守軸組模型」。復元設計を行った東京工業大学教授・藤岡通夫氏の監修により製作された模型で、縮尺10分の1という大きなもの。城の内部構造まで作り込んだ緻密さは、ため息ものでありました。

明治10(1877)年の西南戦争によって消失する前の天守閣をはじめとした、近代の熊本城内外の風景を記録した貴重な写真の数々も印象に残りました。これらを撮影したのは、坂本龍馬などの幕末の志士を撮影した写真で知られる、長崎の上野彦馬に師事した冨重利平。冨重の写真が捉えた、屋根瓦や雨戸の一部が落下したりという荒れた姿の天守閣に、幕末から近代へと移り変わっていく時代の空気が現れているように感じられました。
西南戦争による火災は天守閣を焼失させただけでなく、城の内外に大きな爪痕を残しました。その激しさを物語る、焼けた木材や瓦の一部なども展示されていました。


城の歴史を辿っていく中で、熊本城はこれまでにも幾度となく災害に見舞われ、そこから甦ってきたということもわかりました。清正公に続く細川家の時代には、石垣だけでも少なくとも20回の修理の記録が残るそうで、そのうち半数近くは災害からの復旧のためだったとか。
中でも大きかったのが、明治22(1889)年7月28日に起こった大地震。6年前の熊本地震同様、深夜の時間帯を襲った地震により、石垣が崩落するなどの被害を受けたといいます。

熊本城の歴史は、たび重なる災害と闘い、そこから不死鳥のごとく復活を遂げてきた歴史でもあったということを知り、また新たな感慨が湧き上がってまいりました。
天守閣は見事に復活を遂げましたが、周囲の石垣や櫓の復旧はまだまだこれから。それは単なる復旧にとどまらず、これから起こりうる災害に対する備えを含めたものとなることでしょう。
熊本城の闘いは、これからも続きます。

天守閣の最上階に登りました。そこからは、熊本の街並みを一望のもとに見渡すことができます。天気が良かったこともあり眺めは最高。遠く見える山並みは、阿蘇の外輪山でありましょうか。





復活を遂げた熊本城の最上階から、この熊本の素晴らしい景色を眺めることのできる幸せを、しばしのあいだ噛み締めました。
天守閣から外に出ると、再びその外観をじっくりと眺めました。ああ、やっぱりいい城だなあ・・・という感慨を胸にしながら、天守閣をあとにしたのでありました。


天守閣をあとにして、再び「桜の馬場 城彩苑」に入り、その一角にある「熊本城ミュージアム 湧々座(わくわくざ)」へ。熊本城の歴史と文化を、楽しみながら学ぶことができる体験型の施設であります。
その2階で、2年前の豪雨によって大きな被害を受けた人吉・球磨地区を支援する写真パネル展が開催されていることを知り、覗いてみました。




被災当時の状況を伝える写真の数々に、あらためて悲痛な思いを抱いた一方で、復興に向けて進んでいこうとする人吉の風景と、そこで生きる地元の方たちを捉えた写真からは、これからも球磨川とともに暮らしていこうとする静かな決意が感じられました。
実は、今回久しぶりに熊本を訪れるにあたって、人吉にも立ち寄りたいと考えておりました。結果的には見送ることとなったのですが、この写真パネル展を見てふたたび、人吉への思いが湧き上がってまいりました。
次に熊本を旅するときには、ぜひ人吉にも寄らなければ・・・そう思ったのでありました・・・。


                            (第3回へつづく)

3年ぶりの熊本がまだせ旅(第1回)熊本の守り神・藤崎八旛宮、そしてレトロ感と生活感あふれる子飼商店街を散策

2022-10-18 23:36:00 | 旅のお噂
10月8日から10日にかけて、熊本へ出かけてまいりました。
熊本にお邪魔するのも3年ぶりのこと。熊本地震の被害から見事に甦った、熊本城の天守閣に感激したり、街歩きを楽しんだり、美味しいものをたっぷり食べたり飲んだり(おかげで、帰宅して体重を測ったら2キロばかり増えてしまっておりました・・・)と、久しぶりとなる熊本を存分に満喫いたしました。
これから何回かに分けて、3年ぶりの熊本旅のご報告を綴っていきたいと思います。

20歳のとき、当時の仕事の関係で1年ほど住んでいたことがありながら、その後長いこと足を運ぶことのなかった熊本に再び足を向けるきっかけとなったのが、6年前に起きた熊本地震であります。
当時、報道によってさかんに伝えられていた、熊本の被害の大きさに心を痛めたわたしは、自分にできることでなんとか、熊本に対して「がまだせ」(〝がんばろう〟という意味の熊本ことば)というエールを送りたいと考え、地震の起きた年の秋に熊本へお邪魔いたしました。天守閣の瓦が無惨に剥がれ落ち、周囲の石垣や塀が倒壊してしまっていた熊本城や、古くからあった住宅が倒壊寸前になっていたりといった地震の爪痕に、あらためて心を痛めました。
その一方で、美味しいものや素敵な方たちと出逢いつつ、熊本の街が持つ歴史や文化の奥深さを知ることができたことで、すっかり熊本の魅力に取り憑かれてしまい、それから年に一回は、熊本への「がまだせ旅」を続けてまいりました。傷ついていた熊本城が徐々に復旧されていくのを目にしながら、美しく甦るときを心待ちにしていたものです。
そんな「がまだせ旅」の機会を奪ったのが、かのいまいましいコロナ莫迦騒ぎでした。一昨年(2020年)の5月の連休にも熊本へ出かけるべく、ホテルや高速バスの予約も入れていたのですが、コロナ莫迦騒ぎで世の中が錯乱する状況を前にして、断念せざるを得ませんでした(あの時の悔しさはいまだに忘れられません)。それから2年半近く、熊本へ行きたくても行けないという腹立たしくも情けない日々が続きました。
そうした経緯があったので、3年ぶりとなる「熊本がまだせ旅」に出かける10月の連休が、もう待ち遠しくてなりませんでした。

ワクワクしながら迎えた10月8日(土曜)の早朝。無事に早起きすることができたわたしは、タクシーに乗り込んで宮崎駅へ向かい、そこから発車する熊本行きの高速バス「なんぷう号」に乗りこみました。そしてバスは予定時刻通りの6時5分、一路熊本へ向けて出発いたしました。
バスの窓から外を見ると、空模様は曇り。ですが、ひとまず雨の心配はなさそうでありました。わたしはホッとした気分とともに、コンビニで買ってきた缶ビールをプチンと開け、道中の無事を祈りつつ乾杯いたしました。・・・ハイ、旅に出るときには欠かせない〝儀式〟でございます。


バスの座席はほぼ満席状態。こうやって連休に出かける人たちがまた増えてきているというのは、実にいいことでありますねえ。
途中、2ヶ所のサービスエリアでの休憩を挟みつつ、3時間40分後の午前9時40分過ぎ、ついに熊本市の中心部に到着いたしました!

市電も走る広い通りの向こうを見ると、久しぶりに眺める熊本城の勇姿が垣間見えます。すぐにでもそちらへ向かいたくなってウズウズいたしましたが、お城の見物は午後にゆっくり行うことにしておりましたので、ここはウズウズする気持ちをハイドウドウと抑えつつ、まずは熊本の守り神・藤崎八旛宮へ向かいました。
1000年近くの歴史を誇る、熊本を代表する神社である藤崎八旛宮。毎年9月には秋季例大祭が行われ、その神幸式には御神輿や飾り馬などからなる行列が、街の中心部を練り歩きます。
熊本地震のあった年の9月に訪れたとき、その神幸式の行列を目にすることができました。まだ地震から日が浅かったこともあり、例年よりはずっと小さな規模で開催されたとのことでしたが、その行列からは復興に向かって力強く歩んでいこうとする熊本人の心意気が伝わってくるようで、大いに感銘を受けたものでした。今年の神幸式も9月18日に開催される予定でしたが、台風14号の接近によって延期となってしまい、今月(10月)の23日に開催されるとのことです。
賑やかな街の中心部から15分ほど歩き、藤崎八旛宮にやってまいりました。


地元の方らしき人をちらほら見かけたものの、境内はとても静かな雰囲気でした。熊本に着いて高まっていたワクワク気分をいっとき落ち着かせ、今回の旅の無事を祈願いたしました。
お参りを終えて立ち去ろうとすると、本殿の中から雅楽の調べが聞こえてまいりました。正式な参拝をされている方がおられたのでしょう。その優雅な響きに、気持ちが澄み渡るような思いがしたのでありました・・・。

藤崎八旛宮での参拝を終えたわたしは、そこからほど近いところにある子飼商店街へ足を伸ばしました。普段はクルマが入れない、400メートルの狭い道沿いに、大小40軒ほどのお店が軒を連ねている商店街です。熊本地震のあった年の秋にも一度立ち寄ったのですが、今回久しぶりに覗いてみたくなり、足を伸ばしたという次第であります。


九州を中心にチェーン展開しているスーパーマーケット「マルショク」の子飼店もあるものの、店舗のほとんどは小さな個人商店。八百屋さんの店先では、その日入った野菜や果物の美味しさを、やってきたお客さんに元気な声で説明している店主のおじさんの姿。肉屋さんの店先には、いかにも美味しそうな揚げたてのコロッケやメンチカツなどの揚げ物が並んだケース。そして、あちこちから聞こえてくる熊本ことばでの会話・・・。そのひとつひとつがとても懐かしく感じられます。まさしく、昭和の雰囲気を色濃く残す〝下町の人情商店街〟にして〝熊本の台所〟といった趣き。からし蓮根の専門店があったりするのも、熊本らしくていいですねえ。

商店だけでなく、飲食店もそこかしこにあったりします。関西風のお好み焼きや焼きそばのお店の店先には、「20年以上値上げなし」などと謳っている看板が。こういうのも、下町の商店街の底力を感じさせてくれますねえ。

元気よく頑張っているお店が立ち並ぶ一方で、通りにはシャッターを下ろしたままの空き店舗もちらほらと。6年前に訪れた時に立ち寄った小さな古本屋さんも、すでに店じまいしてしまっておりました。商店街を取り巻く現実には厳しいものもあるということを、あらためて感じさせられます。
しかし、長く続いている店舗に混じって、最近できたばかりと思われるお店も何軒か見かけることができました。古き良き風情を守りつつ、新しい息吹も取り込んでいこうとする、子飼商店街の底力を見る思いがいたしました。
新しい息吹といえば、商店街の中にはこんなボードやのぼり旗も。


イラストを手がけたのは、熊本在住の漫画家で、熊本のいろいろな場所をドライブして回る主人公を描いた『今日どこさん行くと?』(KADOKAWA刊。当ブログの紹介記事はこちら。→読むと熊本へ出かけたくなる漫画『今日どこさん行くと?』)で知られる鹿子木灯さん。こういったキャラクターを起用しての取り組みも、幅広い年齢層を取り込もうという商店街の意欲を感じて、なんだか嬉しくなりました。
(後になって知ったのですが、これは子飼商店街を舞台にした鹿子木さんの漫画の主人公〝こよみさん〟でした。商店街のホームページに作品の紹介と、作品が掲載されているe-bookへのリンクがあります。読むとほっこりする愛らしい作品ですので、こちらもぜひ。→子飼商店街|マンガ
商店街の中に立つお寺の入り口に、こんな張り紙が出ておりました。

「苦しいことから 逃げてはならない 楽しいことまで 遠ざかっていく」・・・いいことばですねえ。子飼商店街もまた、苦しい現実と戦いながら、これからも熊本の日常になくてはならない、楽しい場所として生き残っていくことでありましょう。次にお邪魔するときには食べ歩きでもしつつ、ゆっくりと時間をとって歩いてみたいと思います。
・・・そうそう。商店街の中には小さいながらも居酒屋やワイン酒場もありましたねえ。こういう庶民的な商店街の雰囲気に包まれながら一杯呑むというのも、なかなかオツでいいかもなあ。


そうこうするうちに、時刻はお昼どきとなってまいりました。中心街にある熊本の郷土料理のお店でお昼ごはんを・・・と考えていたのですが、電話で問い合わせるとすでに予約で満席とのこと。ううむ残念。
それならどこか別のお店に・・・ということで入ったのが、上通りのアーケード街にあるすき焼きの老舗店「加茂川」さんでした。熊本産の和牛を使ったすき焼きや鉄板料理もあるランチメニューの中で選んだのが、熊本の地鶏「天草大王」を使ったすき焼きです。もちろん、真っ昼間から生ビールもしっかりと注文。



濃厚な旨味がたっぷりと詰まった「天草大王」。焼いて食べてもタタキにしても美味しいのですが、すき焼きで食べてもまことに美味。お肉本体はもちろんのこと、その旨味が染みた野菜やうどんもまた美味しく、おかげでビールも進みましたねえ。
お腹もココロも満たされていく中で、午後からの熊本城訪問への期待感もまた、さらに増していったのでありました・・・。


                           (次回につづく)

小説や随筆とはひと味違う、永井荷風の抒情世界を味わい、堪能できる『荷風俳句集』

2022-10-03 21:14:00 | 本のお噂

『荷風俳句集』
永井荷風著、加藤郁乎編、岩波書店(岩波文庫)、2013年

小説や随筆の分野で数多くの名作、逸品を遺した文豪・永井荷風ですが、早くから俳句にも親しみ、折々に詠み続けていました。とはいえ、それらの多くは小説や随筆の陰に隠れて、それほど注目されることもありません。
文庫オリジナルの作品集である本書『荷風俳句集』は、荷風の自選による「荷風百句」を含む俳句836句をはじめ、狂歌や小唄、端唄、漢詩、そして俳句にまつわる随筆5篇がまとめられていて、見過ごされがちな荷風の短詩型文学の世界を通覧、堪能することができる一冊となっています。収録された句や歌、漢詩のすべてには詳細な注解が付されていて、作品をより深く味わうことができるようになっています。
2013年に刊行されたあと品切れとなっていたこともあり、入手できない状態が続いていたのですが、今年夏の岩波文庫一括重版のラインナップに入ったことで、ようやく手に入れることができました。

荷風の俳句は、折々の季節感と失われゆく江戸情緒、そして隠遁生活や色街を好む頽廃趣味が、十七音という短い中に込められ、結晶化しているところがとても魅力的です。
「荷風百句」は、荷風が自ら選んだ118句が、春夏秋冬の季節ごとに収められています。それぞれの季節から、お気に入りの句を引いてみることにいたします。まずは「春之部」から。

  永き日や鳩も見てゐる居合抜

「浅草画賛」の前書が付けられた一句です。居合い抜きなどの大道芸や見世物も出ていた、昔日の浅草の賑わいぶりが浮かんでくるようです。

  色町や真昼しづかに猫の恋

艶麗な華やかさの夜とは対照的な、静まり返った真昼の色町の中での「猫の恋」。色っぽいけど、どこかのどかで微笑ましくもある情景が、いいですねえ。
次は「夏之部」から。

  葉ざくらや人に知られぬ昼あそび

「向嶋水神の茶屋にて」という前書がついたこの句は、荷風俳句の中でもとりわけ一番のお気に入りであります。花街として賑わっていたという、向嶋(向島)の待合茶屋での芸妓との「昼あそび」を、初夏の季節感とともに詠んだこの句は、まさに荷風さんの面目躍如といえる名句です。

  八文字ふむや金魚のおよぎぶり

吉原の太夫たちが「花魁道中」のときに見せる、高下駄を履いた足で円弧を描くように歩く「八文字」(はちもんじ)を、金魚が泳いでいるさまに喩えたこの句もまた、荷風さんならではの名句といえましょう。
続く「秋之部」からは、「芝口の茶屋金兵衛にて三句」との前書が付けられた、以下の三句を。

  盛塩の露にとけ行く夜ごろかな
  柚の香や秋もふけ行く夜の膳
  秋風や鮎焼く塩のこげ加減

「金兵衛」とは新橋にあった料亭のこと。荷風さんが夕餉(夕食)をとるために通っていたお店であり、日記『断腸亭日乗』にもしばしば、その名前が出てまいります。お気に入りの料理屋で、秋の味覚に顔をほころばせている荷風さんの姿が目に浮かんでくるようであります。
そして「冬之部」。

  よみさしの小本ふせたる炬燵哉

こたつで暖まりながら書物に親しむ冬の情景、読書好きの琴線に触れますねえ。

  襟まきやしのぶ浮世の裏通

「浮世の裏通」で生きる人びとの姿に目を向け、作品に描き続けてきた荷風さんらしいこの句もまた、わたしの大好きな一句であります。

「荷風百句」に選ばれなかった数多くの俳句は、明治32(1899)年から昭和27(1952)年にかけての年次順に収められています。この中にも、お気に入りの句がたくさんあります。

  竹夫人抱く女の手のしろき

「竹夫人」とは、竹を編んで作られた枕型の抱き籠で、暑い時期に涼をとるために使われました。どこかなまめかしい雰囲気が、いいですねえ。

  冬の夜を酒屋(バア)に夜ふかす人の声

夜が長くなる冬の時期に、バーで憩う人びとが語り合う声が聞こえてきそうな一句です。

  大方は無縁の墓や春の草

「無縁の墓」とは、三ノ輪の浄閑寺にある吉原の遊女たちを葬った無縁墓のこと。引き取り手のない遊女たちの遺体を引き受け、「投げ込み寺」と呼ばれた浄閑寺を荷風さんは愛し、死後はここに葬られることを望んでいました。現在は荷風さんの詩碑と「筆塚」が建っているというこのお寺、一度訪ねてみたい場所であります。

年次順に配列された句の中には、その当時の時代の空気が詠み込まれたものもいくつか見受けられます。日本が米英に宣戦布告し、太平洋戦争が開戦した昭和16(1941)年の年末に詠まれたこの句からは、暗い時代に入っていく世の中の、息苦しい空気が伝わってきます。

  門松も世をはゝ゛かりし小枝かな

日本の敗色が色濃くなってきていた昭和19(1944)年には、その後の国の行く末を見通したかのような一句が詠まれています。

  亡国の調(しらべ)せはしき秋の蝉

そして昭和21(1946)年、敗戦直後の混乱の中で詠まれた次の二句からは、日本という国に対する、荷風さんの諦念のようなものが感じられてきます。

  戦ひに国おとろへて牡丹かな
  ほろび行く国の日永や藤の花

戦中から終戦直後に至る時期に詠まれた上の四句は、わたしの中では現在の日本のありさまとも重なるように思えてなりませんでした。現在の日本も、〝新型コロナウイルスとの戦い〟という〝戦時下〟の中で息苦しい世の中となり、さらには莫大な国富を〝コロナ対策〟という名目のもとで〝戦費〟として浪費したあげく、「おとろへて」「ほろび行く」第二の〝敗戦〟への過程にあるように感じられるがゆえに、です。
その一方で、荷風さんならではの諧謔精神が発揮された愉快な句も、そこここに見受けられます。上に引いた「亡国の調〜」と同じ昭和19年のところに仲良く並んでいた以下の三句には、思わず声を上げて笑ってしまいました。

  秋高くもんぺの尻の大(おほい)なり
  スカートのいよゝ短し秋のかぜ
  スカートの内またねらふ藪蚊哉

戦時下にあってもなお、人を喰ったようなユーモアと諧謔精神を忘れていなかったところもまた、荷風さんの魅力なのであります。
本書の編者である俳人の加藤郁乎氏は、荷風の俳句について「みずから恃(たの)むところ高き散木荷風には文事淫事を問わず市井人事のことごとくが四季とりどりの句となり得た」と、巻末の解説文の中で書いています。本書に収められた句の数々を読むと、そのことがよく納得できました。

「写真と俳句」の章では、荷風自らが撮影した写真に、俳句や狂歌、漢詩などを組み合わせた33点が収められています。
「物くへば夜半にも残る暑(あつさ)かな」の句に添えられているのは、〝牛めし〟や〝やきとり〟と書かれた暖簾を下げた露店の写真。「行雁や ふか川 くらき 二十日月」の句には、蒸気舟が煙を上げている深川万年橋の光景を捉えた写真。「秋晴やおしろい焼の顔の皺」の句には、小説『濹東綺譚』の舞台ともなった色街・玉の井の入り口の写真・・・。どこかの待合茶屋と思しき一室の窓際に腰掛けている、和服姿の女の後ろ姿や、荷風が住んでいた麻布の「偏奇館」の内外で撮られた写真も見られます。
すでに失われてしまった、かつての東京の風景をとどめた荷風の写真はそれ自体が味わい深いのですが、それらの風景写真と俳句などが組み合わされることで、より一層情緒をかき立ててくれます。この章の存在も、個人的には嬉しいものがございました。

荷風は漢詩、漢籍にも深い造詣がありました。そんな荷風が作った漢詩46篇も、本書には収録されているのですが、漢詩を読み慣れていない上に、漢籍についてもほとんど知らないわたしにとっては、いささか難解に感じられました。荷風が身につけていた、漢籍についての教養の深さを、ただただ思い知った次第であります。

小説や随筆とはまたひと味違った、荷風の抒情世界を味わい、堪能することができる一冊でありました。