特集ドラマ『ラジオ』
原作=某ちゃん。 脚本=一色伸幸 演出=岸善幸 製作=NHK、テレビマンユニオン
出演=刈谷友衣子、豊原功補、西田尚美、リリー・フランキー、吉田栄作、安藤サクラ、新井浩文
初回放送=NHK総合にて3月26日(火)午後10時~11時15分
東日本大震災の津波により、町の8割の建物が失われ、1000人近い方々が亡くなった、宮城県女川町。
その女川町に、震災から1ヶ月後に臨時放送局として開設されたのが、「女川さいがいFM」。現在も放送を続けていて、地元の人たちから厚い支持を受けています。このドラマは、その女川さいがいFMに関わっていた女子高生のブログをもとに、震災後の女川に生きる普通の人びとを描き出した群像劇です。
脚本は、映画『私をスキーに連れてって』(1987年)、『病院へ行こう』(1989年)、『僕らはみんな生きている』(1993年)など、これまで多くの話題作を手がけてきた一色伸幸さん。実際に某ちゃん。やその家族などから話を聞き、脚本を書き上げたとのことです。
「某ちゃん。」と呼ばれている主人公の女子高生。震災から10ヶ月、仮設住宅に引きこもりながら、ギターをかき鳴らす日々を送っていた。
そんな某ちゃん。を案じた、兄貴分の蒲鉾店四代目・國枝。某ちゃん。を半ば強制的に、仮設のスタジオから放送を出している「女川さいがいFM」へと参加させる。メンバーはみなラジオは素人で、某ちゃん。と同世代の高校生もいた。さっそくマイクに向かった某ちゃん。だったが、ほとんど何もしゃべることができないまま終わってしまう。
挫折感を味わう某ちゃん。に、父親はブログを書くことを勧める。某ちゃん。は、震災後の女川の現状や、自分の思いを少しずつブログに綴っていくのだった。
ある日、某ちゃん。は手持ちのCDで、ザ・スターリンの『負け犬』を流す。それまでラジオでは流れなかったような、激しくて破滅的な歌。が、それをネット配信で耳にし、局へメールを寄せた人物がいた。東京で薬剤師として働く男性・飛松であった。ラジオで気持ちが伝わったことを知り、喜びを感じた某ちゃん。は、さいがいFMの仲間たちに支えられながら、積極的に番組づくりに関わっていくのだった。
そんな中、震災で生じた被災材(瓦礫)を広域処理するための受け入れに対して、放射能を理由に強い反対の声があることを知った某ちゃん。は、やりきれない思いをブログに綴る。
「本当に受け入れて欲しかったモノは、瓦礫じゃなかった•••心の奥にある、清らかなもののはずだった•••」
そのブログは多くの人に読まれることになったが、それが裏目に出て「炎上」することに。コメント欄に並ぶ、心ない批判や罵倒の数々•••。それに打ちのめされた某ちゃん。は、再び心を閉ざして引きこもってしまう。
さいがいFMの仲間たちは、そんな某ちゃん。にラジオを通して懸命にメッセージを送る。それを耳にして勇気づけられた某ちゃん。は、再びマイクの前に向かうのだった•••。
一色伸幸さんが震災後の女川を舞台にしたドラマを手がけた、ということ自体、強く惹かれるものがありました。が、実際に観た『ラジオ』は、想像を遥かに超えるほどに心を鷲掴みにし、激しく揺さぶるものでした。
ドラマの中に映し出されていた、「復興」からはまだまだ遠くにあるような女川の風景。「過去進行形ではない」被災した地域の日常を生きなければならない人びとと、それ以外の場所に住むわれわれの間には、圧倒的なまでに大きく深い溝が横たわっていることをあらためて突きつけられ、そのことにたじろぐ自分がいました。自分はぜんぜん、何もわかっていなかったんだ、と。
中でも気持ちをえぐられたのは、「瓦礫受け入れ反対」「子どもの命を守れ」という大義名分のもとで、某ちゃん。や被災した地域に「東北は甘えるな」だの「人殺し」だのといった残酷で心ない言葉が投げつけられる一連の場面。震災で痛めつけられた人たちに対して、わたしたち外の人間がどんな仕打ちをしたのかをリアルに描いていて、観ていて胸が苦しくなりました。
「すべての人に配慮するあまり、当たりさわりのないストーリーにすることだけは避けたかった」(『ステラ』3月29日号)
とインタビューで語った一色さん。「絆」なる言葉の裏側でまかり通っていた醜い現実を、あえて真正面から描き出したことに、ひたすら頭が下がる思いがしました。
そんな現実の中で戸惑い、打ちのめされながらも、一歩一歩自分の足で歩いて行こうとする某ちゃん。の姿とことばは、衒(てら)いがないだけに一層胸を打ちました。
それとともに、人びとの心を結びつけることができるラジオという存在の大きさにも、あらためて思いを馳せることができました。
某ちゃん。を演じた刈谷友衣子さんは初めて知った役者さんでしたが、難しい役を実にしっかりと演じておられました。ひとつひとつの表情もとても印象に残りました。
某ちゃん。を取り巻く人びとを演じた吉田栄作さんや安藤サクラさん、豊浦功補さん、西田尚美さん、そしてリリー・フランキーさんも、それぞれ素晴らしい演技を見せてくれました。
被災した地域に住む人びととの、大きく深い溝の存在にたじろぎながら、それでも被災した地域と、そこに生きる人びと、そして失われてしまった人びとの存在を意識しながら、これから先を生きていかなければ。
その意味ではわたくしにとっても、『ラジオ』はあらためて自分なりに考え続けていくためのきっかけを与えてくれたように思えます。
ドラマの最後で、某ちゃん。はこう言いました。
「某って何もかも不明で、だからどこにでもいるんです。どこにだって私はいます」
そう。女川町はもちろんのこと、宮城県全体や岩手県、福島県、さらには青森県、茨城県、長野県、新潟県等々にも、たくさんの「某ちゃん。」がいます。
それら「某ちゃん。」の発する声に、これからもずっと耳を向けていこうと思っています。
ぜひ、何回でも再放送して頂きたいドラマでした。そして、DVD化も切望です。
原作=某ちゃん。 脚本=一色伸幸 演出=岸善幸 製作=NHK、テレビマンユニオン
出演=刈谷友衣子、豊原功補、西田尚美、リリー・フランキー、吉田栄作、安藤サクラ、新井浩文
初回放送=NHK総合にて3月26日(火)午後10時~11時15分
東日本大震災の津波により、町の8割の建物が失われ、1000人近い方々が亡くなった、宮城県女川町。
その女川町に、震災から1ヶ月後に臨時放送局として開設されたのが、「女川さいがいFM」。現在も放送を続けていて、地元の人たちから厚い支持を受けています。このドラマは、その女川さいがいFMに関わっていた女子高生のブログをもとに、震災後の女川に生きる普通の人びとを描き出した群像劇です。
脚本は、映画『私をスキーに連れてって』(1987年)、『病院へ行こう』(1989年)、『僕らはみんな生きている』(1993年)など、これまで多くの話題作を手がけてきた一色伸幸さん。実際に某ちゃん。やその家族などから話を聞き、脚本を書き上げたとのことです。
「某ちゃん。」と呼ばれている主人公の女子高生。震災から10ヶ月、仮設住宅に引きこもりながら、ギターをかき鳴らす日々を送っていた。
そんな某ちゃん。を案じた、兄貴分の蒲鉾店四代目・國枝。某ちゃん。を半ば強制的に、仮設のスタジオから放送を出している「女川さいがいFM」へと参加させる。メンバーはみなラジオは素人で、某ちゃん。と同世代の高校生もいた。さっそくマイクに向かった某ちゃん。だったが、ほとんど何もしゃべることができないまま終わってしまう。
挫折感を味わう某ちゃん。に、父親はブログを書くことを勧める。某ちゃん。は、震災後の女川の現状や、自分の思いを少しずつブログに綴っていくのだった。
ある日、某ちゃん。は手持ちのCDで、ザ・スターリンの『負け犬』を流す。それまでラジオでは流れなかったような、激しくて破滅的な歌。が、それをネット配信で耳にし、局へメールを寄せた人物がいた。東京で薬剤師として働く男性・飛松であった。ラジオで気持ちが伝わったことを知り、喜びを感じた某ちゃん。は、さいがいFMの仲間たちに支えられながら、積極的に番組づくりに関わっていくのだった。
そんな中、震災で生じた被災材(瓦礫)を広域処理するための受け入れに対して、放射能を理由に強い反対の声があることを知った某ちゃん。は、やりきれない思いをブログに綴る。
「本当に受け入れて欲しかったモノは、瓦礫じゃなかった•••心の奥にある、清らかなもののはずだった•••」
そのブログは多くの人に読まれることになったが、それが裏目に出て「炎上」することに。コメント欄に並ぶ、心ない批判や罵倒の数々•••。それに打ちのめされた某ちゃん。は、再び心を閉ざして引きこもってしまう。
さいがいFMの仲間たちは、そんな某ちゃん。にラジオを通して懸命にメッセージを送る。それを耳にして勇気づけられた某ちゃん。は、再びマイクの前に向かうのだった•••。
一色伸幸さんが震災後の女川を舞台にしたドラマを手がけた、ということ自体、強く惹かれるものがありました。が、実際に観た『ラジオ』は、想像を遥かに超えるほどに心を鷲掴みにし、激しく揺さぶるものでした。
ドラマの中に映し出されていた、「復興」からはまだまだ遠くにあるような女川の風景。「過去進行形ではない」被災した地域の日常を生きなければならない人びとと、それ以外の場所に住むわれわれの間には、圧倒的なまでに大きく深い溝が横たわっていることをあらためて突きつけられ、そのことにたじろぐ自分がいました。自分はぜんぜん、何もわかっていなかったんだ、と。
中でも気持ちをえぐられたのは、「瓦礫受け入れ反対」「子どもの命を守れ」という大義名分のもとで、某ちゃん。や被災した地域に「東北は甘えるな」だの「人殺し」だのといった残酷で心ない言葉が投げつけられる一連の場面。震災で痛めつけられた人たちに対して、わたしたち外の人間がどんな仕打ちをしたのかをリアルに描いていて、観ていて胸が苦しくなりました。
「すべての人に配慮するあまり、当たりさわりのないストーリーにすることだけは避けたかった」(『ステラ』3月29日号)
とインタビューで語った一色さん。「絆」なる言葉の裏側でまかり通っていた醜い現実を、あえて真正面から描き出したことに、ひたすら頭が下がる思いがしました。
そんな現実の中で戸惑い、打ちのめされながらも、一歩一歩自分の足で歩いて行こうとする某ちゃん。の姿とことばは、衒(てら)いがないだけに一層胸を打ちました。
それとともに、人びとの心を結びつけることができるラジオという存在の大きさにも、あらためて思いを馳せることができました。
某ちゃん。を演じた刈谷友衣子さんは初めて知った役者さんでしたが、難しい役を実にしっかりと演じておられました。ひとつひとつの表情もとても印象に残りました。
某ちゃん。を取り巻く人びとを演じた吉田栄作さんや安藤サクラさん、豊浦功補さん、西田尚美さん、そしてリリー・フランキーさんも、それぞれ素晴らしい演技を見せてくれました。
被災した地域に住む人びととの、大きく深い溝の存在にたじろぎながら、それでも被災した地域と、そこに生きる人びと、そして失われてしまった人びとの存在を意識しながら、これから先を生きていかなければ。
その意味ではわたくしにとっても、『ラジオ』はあらためて自分なりに考え続けていくためのきっかけを与えてくれたように思えます。
ドラマの最後で、某ちゃん。はこう言いました。
「某って何もかも不明で、だからどこにでもいるんです。どこにだって私はいます」
そう。女川町はもちろんのこと、宮城県全体や岩手県、福島県、さらには青森県、茨城県、長野県、新潟県等々にも、たくさんの「某ちゃん。」がいます。
それら「某ちゃん。」の発する声に、これからもずっと耳を向けていこうと思っています。
ぜひ、何回でも再放送して頂きたいドラマでした。そして、DVD化も切望です。