読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

特集ドラマ『ラジオ』 ~たじろぎながらも、あらためて考え続けていくための一歩として。

2013-03-27 23:53:39 | ドキュメンタリーのお噂
特集ドラマ『ラジオ』
原作=某ちゃん。 脚本=一色伸幸 演出=岸善幸 製作=NHK、テレビマンユニオン
出演=刈谷友衣子、豊原功補、西田尚美、リリー・フランキー、吉田栄作、安藤サクラ、新井浩文
初回放送=NHK総合にて3月26日(火)午後10時~11時15分

東日本大震災の津波により、町の8割の建物が失われ、1000人近い方々が亡くなった、宮城県女川町。
その女川町に、震災から1ヶ月後に臨時放送局として開設されたのが、「女川さいがいFM」。現在も放送を続けていて、地元の人たちから厚い支持を受けています。このドラマは、その女川さいがいFMに関わっていた女子高生のブログをもとに、震災後の女川に生きる普通の人びとを描き出した群像劇です。
脚本は、映画『私をスキーに連れてって』(1987年)、『病院へ行こう』(1989年)、『僕らはみんな生きている』(1993年)など、これまで多くの話題作を手がけてきた一色伸幸さん。実際に某ちゃん。やその家族などから話を聞き、脚本を書き上げたとのことです。

「某ちゃん。」と呼ばれている主人公の女子高生。震災から10ヶ月、仮設住宅に引きこもりながら、ギターをかき鳴らす日々を送っていた。
そんな某ちゃん。を案じた、兄貴分の蒲鉾店四代目・國枝。某ちゃん。を半ば強制的に、仮設のスタジオから放送を出している「女川さいがいFM」へと参加させる。メンバーはみなラジオは素人で、某ちゃん。と同世代の高校生もいた。さっそくマイクに向かった某ちゃん。だったが、ほとんど何もしゃべることができないまま終わってしまう。
挫折感を味わう某ちゃん。に、父親はブログを書くことを勧める。某ちゃん。は、震災後の女川の現状や、自分の思いを少しずつブログに綴っていくのだった。
ある日、某ちゃん。は手持ちのCDで、ザ・スターリンの『負け犬』を流す。それまでラジオでは流れなかったような、激しくて破滅的な歌。が、それをネット配信で耳にし、局へメールを寄せた人物がいた。東京で薬剤師として働く男性・飛松であった。ラジオで気持ちが伝わったことを知り、喜びを感じた某ちゃん。は、さいがいFMの仲間たちに支えられながら、積極的に番組づくりに関わっていくのだった。
そんな中、震災で生じた被災材(瓦礫)を広域処理するための受け入れに対して、放射能を理由に強い反対の声があることを知った某ちゃん。は、やりきれない思いをブログに綴る。
「本当に受け入れて欲しかったモノは、瓦礫じゃなかった•••心の奥にある、清らかなもののはずだった•••」
そのブログは多くの人に読まれることになったが、それが裏目に出て「炎上」することに。コメント欄に並ぶ、心ない批判や罵倒の数々•••。それに打ちのめされた某ちゃん。は、再び心を閉ざして引きこもってしまう。
さいがいFMの仲間たちは、そんな某ちゃん。にラジオを通して懸命にメッセージを送る。それを耳にして勇気づけられた某ちゃん。は、再びマイクの前に向かうのだった•••。

一色伸幸さんが震災後の女川を舞台にしたドラマを手がけた、ということ自体、強く惹かれるものがありました。が、実際に観た『ラジオ』は、想像を遥かに超えるほどに心を鷲掴みにし、激しく揺さぶるものでした。
ドラマの中に映し出されていた、「復興」からはまだまだ遠くにあるような女川の風景。「過去進行形ではない」被災した地域の日常を生きなければならない人びとと、それ以外の場所に住むわれわれの間には、圧倒的なまでに大きく深い溝が横たわっていることをあらためて突きつけられ、そのことにたじろぐ自分がいました。自分はぜんぜん、何もわかっていなかったんだ、と。
中でも気持ちをえぐられたのは、「瓦礫受け入れ反対」「子どもの命を守れ」という大義名分のもとで、某ちゃん。や被災した地域に「東北は甘えるな」だの「人殺し」だのといった残酷で心ない言葉が投げつけられる一連の場面。震災で痛めつけられた人たちに対して、わたしたち外の人間がどんな仕打ちをしたのかをリアルに描いていて、観ていて胸が苦しくなりました。
「すべての人に配慮するあまり、当たりさわりのないストーリーにすることだけは避けたかった」(『ステラ』3月29日号)
とインタビューで語った一色さん。「絆」なる言葉の裏側でまかり通っていた醜い現実を、あえて真正面から描き出したことに、ひたすら頭が下がる思いがしました。
そんな現実の中で戸惑い、打ちのめされながらも、一歩一歩自分の足で歩いて行こうとする某ちゃん。の姿とことばは、衒(てら)いがないだけに一層胸を打ちました。
それとともに、人びとの心を結びつけることができるラジオという存在の大きさにも、あらためて思いを馳せることができました。

某ちゃん。を演じた刈谷友衣子さんは初めて知った役者さんでしたが、難しい役を実にしっかりと演じておられました。ひとつひとつの表情もとても印象に残りました。
某ちゃん。を取り巻く人びとを演じた吉田栄作さんや安藤サクラさん、豊浦功補さん、西田尚美さん、そしてリリー・フランキーさんも、それぞれ素晴らしい演技を見せてくれました。

被災した地域に住む人びととの、大きく深い溝の存在にたじろぎながら、それでも被災した地域と、そこに生きる人びと、そして失われてしまった人びとの存在を意識しながら、これから先を生きていかなければ。
その意味ではわたくしにとっても、『ラジオ』はあらためて自分なりに考え続けていくためのきっかけを与えてくれたように思えます。

ドラマの最後で、某ちゃん。はこう言いました。
「某って何もかも不明で、だからどこにでもいるんです。どこにだって私はいます」
そう。女川町はもちろんのこと、宮城県全体や岩手県、福島県、さらには青森県、茨城県、長野県、新潟県等々にも、たくさんの「某ちゃん。」がいます。
それら「某ちゃん。」の発する声に、これからもずっと耳を向けていこうと思っています。

ぜひ、何回でも再放送して頂きたいドラマでした。そして、DVD化も切望です。

NHKスペシャル『完全解凍!アイスマン ~5000年前の男は語る~』

2013-03-24 23:49:59 | ドキュメンタリーのお噂
NHKスペシャル『完全解凍!アイスマン ~5000年前の男は語る~』
初回放送=3月24日(日)午後9時00分~9時49分

1991年。イタリアとオーストリアの国境にあるヨーロッパ・アルプスの一角、エッツタール・アルプスの標高3210メートルの地点から発見された一体のミイラ。
解析の結果、ミイラは今から5300年前のものと判明。時はメソポタミア文明の初期であり、日本では縄文時代の頃にあたります。身長160cm、46歳前後の男性であるこのミイラは「アイスマン」と呼ばれ、人類の至宝として厳重に冷凍保存されてきました。
発見から20年後、アイスマンを解凍した上で徹底的に分析、調査する試みが行なわれました。番組はそこからわかってきた驚きの事実を伝えていきます。

解凍されたアイスマンからは、胃、脳、肺、腸をはじめとした身体の各所から、149点のサンプルが取り出されました。
腐敗を防ぐために内臓を取り除いて作られた、古代エジプトなどの人工的なミイラと異なり、すべてが死んだ時のままに残されてミイラ化した「アイスマン」は、まさにタイムカプセルでした。胃から取り出された200gの固形物には、アイスマンが死の直前まで食していた食べものの痕跡がしっかりと残っていました。
固形物を分析すると、まず目立ったのは動物の脂肪や毛。ヤギの一種であるアイベックスのほか、シカやウサギの肉も見つかりました。さらに、肉とともに見つかった植物はハーブの一種であることが判明。ミイラ研究者は、当時の人びとが「多様な食材をバランスよく、おいしく食べていた」といい、「5000年前の人間が、こんなにおいしい食事をしていたとは」と驚きます。
さらに、検出された小麦には煤の粒子が付着していました。どうやら、パンも焼いて食べていたらしいのです。
1万年前にメソポタミアにおいて生み出され、その2000年後には古代エジプトでも食べられるようになったパンは、アイスマンが生きていた5300年前のヨーロッパにも伝わっていたようです。当時はアルプス地方でも、すでに狩猟採集から農耕生活へと移行していたのです。

アイスマンの皮膚には、複数の平行線や十文字を描いた、煤によるタトゥー(いれずみ)がありました。これらは、なんと鍼灸治療におけるツボの位置と一致していました。X線による解析の結果、アイスマンは腰を痛めていたことがわかり、その治療のためにツボがある位置に印をつけたのでは、と研究者はいいます。
中国で鍼灸治療が確立したのが約3000年前のこと。それより2000年以上も前に、ヨーロッパでツボを刺激する治療が行なわれていた可能性が出てきたのです。これにはかなり驚かされました。

アイスマンが身につけていた衣類や持ち物からも、当時のアルプス地方に高い文明があったことが垣間見えます。
熊の皮などを使い保温性を高めた靴。2色の毛皮を縫い合わせ、思いのほか「おしゃれ」だったことを窺わせるマント。そして純度99.7%の銅で作られた斧は、高度な精錬技術の存在を物語ります。

なぜ、アイスマンは標高3000mという高い山で死んでいたのか。これまでは、雪山の中で遭難したのでは、とみられていましたが、解析から見えてきたアイスマンの死の真相も、また驚くべきものでした。
腸から見つかった複数の植物の花粉から、時間経過と現地の植生を割り出した結果、何かから逃げるために高度のある山中を登り降りしていたことがわかりました。一体、何から逃れようとしていたのか?
X線解析で、アイスマンの左肩のあたりに刺さっていた矢尻が見つけられました。それによる大量出血により、アイスマンは瀕死の状態だったといいます。さらに、脳のサンプル調査で見つかった赤血球から、即死につながるような脳内出血をしていたことも判明。
アイスマンは何者かによって矢で射られ、そのあと殴り殺された、というのです。
左腕を折り曲げ、うつ伏せになって死んでいたアイスマン。それも、アイスマンを殺した人物が矢を抜くために死体を動かした結果、といいます。
当時の矢は、狩りのときに誰のものかがわかるように、それぞれに特徴を持った「名刺」のようなものだったとか。そこで、殺したのが誰なのかわからないよう、いわば証拠隠滅のために矢を引き抜いていった、と。
アイスマンの徹底解析は、その死に至る生々しい状況をも、目に見えるかのように明らかにしたのです。

アイスマンを通して、5300年前の時代とそこに生きた人間の姿に迫っていく過程は、なかなかにエキサイティングでありました。
意外なまでに高度だったらしい古代のヨーロッパにおける文明のありようが、これからどのような形で明らかになっていくのか。今後の展開が楽しみになってきました。

【読了本】『江戸の食空間』(大久保洋子著、講談社学術文庫) ~現代につながる江戸の食の諸相

2013-03-24 12:36:24 | 本のお噂

『江戸の食空間 屋台から日本料理へ』
大久保洋子著、講談社(講談社学術文庫)、2012年(元本は1998年に『江戸のファーストフード』の書名で講談社選書メチエとして刊行)


屋台で売られるファストフードとして庶民からの絶大な人気を得ていた、すし、てんぷら、そば。富裕層が利用した料理茶屋で発展し、完成をみた日本料理。そして空前のグルメブーム。
本書は、数多くの文献や図版を引きながら、現代にも通ずる江戸の食の諸相を読み解いていく一冊です。

参勤交代の藩士や、都市建設や大火からの復興のために集まった職人たち、商店に住み込みで働くためにやってきた使用人、等々、江戸には多くの単身者が暮らしていました。
それらの人たちが、安い値段で手軽に口にでき、腹の足しになるような食べものとして工夫されたのが、てんぷら、すし、そば、鰻の蒲焼といったファストフードでした。さらに、食用油や醤油、砂糖の生産量が増え、庶民にも普及していったことが、これらの料理の隆盛を後押ししていきます。
タネを串に刺して揚げ、供されていた当時のてんぷらは衣が厚めで、油分もくどいものだったようです(まあ、今でもしばしばそういうモノに出くわしますが)。そのようなハイカロリー食品だったからこそ、特に肉体労働の職人たちにはうってつけだったのでしょう。
また、それまで「なれずし」や「生なれずし」といった、時間と手間のかかるすししかなかったところに登場したにぎりずし。「すぐできて、すぐ食べられる。しかも、一口サイズでいろいろな種類の中から選べ、食べる人の好み・量を調節することもできる」とあって、気の早い人びとから大いにもてはやされることになりました。
これら江戸のファストフードが盛んになったのは天明期(1781~1789年)以降とか。「庶民がそれなりに力をもち、封建制度の中でも比較的自由な気風になった」ことの象徴のひとつが、外食文化の発展だったというわけです。

一方、経済的に豊かだった人びとからの人気を得て、接待や歓談の場として繁盛していたのが、贅を尽くしたたくさんの料理を座敷で供した料理茶屋。それは、高級化していったてんぷらなどの庶民発の料理をも取り入れながら、本膳料理として発達していきました。
また、それに対してシンプルさと精神性を重視して茶席から生み出されたのが、懐石料理。2つの流れから、現代にも踏襲されている日本料理の形式が発達し、完成をみることになります。

そんな中で巻き起こったのが、本書の第4章で詳述される「大江戸グルメブーム」。生きるための食から楽しむための食への転換であります。さまざまな料理書や名店ガイドブックが盛んに出版されたのもこの頃のことです。
「嬶ァを質においても初がつおを食う」などという言葉が出てくるほど、より早く売り出されるものを尊んだ鰹(そういえば、ちょうど今くらいがその時期だなあ)。その風潮はさまざまな食品に及んだようで、寛文のころには幕府により、37品の食品の売買時期が定められるという事態に。そこには鰹や松茸はもちろん、鮎、なまこ、あんこう、鴨、つぐみ、生椎茸、土筆(つくし)、なすび、びわ、りんご、みかん等々まで含まれていて驚かされます。
さらに驚かされたのは、少しでも早く出して高値で売ろうと、室内に炭団(たどん)で火を起こしての温室促成栽培まで行われていたということ。いやはや、現代におけるグルメ狂想曲にも引けをとらない過熱ぶりであります。
そのように食が贅沢さへと傾き、食材本来の味が失われ、季節感がなくなってきたことを嘆き、批判する趣旨の文章も、当時の文献から引用されています。どうもこのあたりも、現代とほとんど変わらない感があります。

本書では、将軍や武士、町人、それぞれの食のありようにも触れています。
将軍の食事は、よりすぐった材料を使い毎日手作りされる贅沢なものながら、しきたりや形式に縛られるところも多々ありました。
特に「禁忌食」の一覧を見ると、獣類は一切ダメ(ただし鳥類扱いの兎を除く)なことをはじめ、ネギやにんにく、わかめ、ひじき、さんま(落語の『目黒のさんま』は、この禁忌が笑いにされているわけですが)、まぐろ、牡蠣、あさりもダメ。すいかや桃、りんごなどは見るだけで食べない、というのですから、著者の言うように「味気ない」という気がして仕方ありません。
また、武士の日常における食生活は意外につつましかったようですが、その一方で地方でも外食が盛んであったり、男子が料理をすることも珍しくはなかったというのには興味をひかれました。

食の諸相から江戸時代を垣間見ることができるのも楽しかったのですが、それら江戸の食が少なからず、現代にも通ずるものがあったことがよくわかり、まことに興味深い一冊でありました。
それとともに、著者の大久保さんが食べることを愛しているのが記述の端々に伺えて、それがけっこういい味付けになっているなあ、と思いましたね。たとえば、そばについて書かれたこのくだり。

「粋な江戸っ子は通ぶって、汁をあまりつけずに一気にすすって食べる。汁がおいしいのであの食べ方は筆者にはあわないが、読者のみなさんはいかがであろうか。」

また、饗応における本膳料理の豪勢な品書きを引いたあとの、この記述。

「立派に並べられたこれらの料理は、どんな味付けでおいしさはどうだったのかわからない。じつはあまりおいしそうにもおもわれない。形式重視になってしまった儀式料理は少し箸をつけるだけで、見る食事になっていったのである。」

こういった記述、個人的には実に好ましく感じられましたね。味を楽しみながら食べることが好きだからこそ、このように書けるわけで。
そういった意味でも、まことに味わい深い書物でありました。

NHKスペシャル『ロボット革命 人間を超えられるか』

2013-03-17 23:19:44 | ドキュメンタリーのお噂
NHKスペシャル『ロボット革命 人間を超えられるか』
初回放送=3月17日(日)午後9時~9時49分


まるで人間のように判断をし、作業をこなすことができるロボット、ヒューマノイド。
ホンダの「ASIMO(アシモ)」に代表されるヒューマノイドの開発は、これまで日本の独壇場の感がありました。しかし、2年前の東京電力福島第一原子力発電所の事故をきっかけにして、世界の主要な国ではより実用的なヒューマノイドの開発競争が始まり、その技術は飛躍的に進化してきています。番組は、内外で進むヒューマノイド型ロボット開発の最前線を追っていきます。

「人の役に立つロボット」を目標に、1986年から開発が始まった、ホンダの二足歩行ロボット「アシモ」。その能力は長足の進歩を遂げていました。
人工知能による「知的能力の進化」がはかられてきている「アシモ」。人の顔を識別したり、複数の人から発せられたそれぞれの言葉を理解し、判断することができます。また、指先につけられたセンサーにより物の硬さを感じ取り、握る力を加減することも可能です。
身体能力もかなりの進歩ぶり。走っているときには上半身でバランスをとり、両足が離れている瞬間でも転倒せずに走り続けることができるのです。「アシモ」は、登場から間もない頃のアイドル的存在を超え、人間に近い身体能力と知的能力を着実に備えてきていました。

2年前の原発事故後、「アシモ」を事故現場に投入するよう、たくさんの要望がホンダに寄せられたといいます。しかし、「アシモ」を事故現場に投入することはできませんでした。「アシモ」は平らな場所でなら行動可能なのですが、足場が悪い場所での行動はまだまだ無理だったのです。
なんとか事故現場でも使えるようなロボットを開発できないか•••。東京電力の依頼を受ける形で、ホンダは急ピッチで開発に取りかかります。
開発の結果生み出されたのが「作業アームロボット」。「アシモ」の足部分の技術を応用して作られたこのロボットは、強い力でプラント内のバルブを開閉することができるというもの。動作テストの結果も上々でした。しかし、東電側の方針転換もあり、バルブを開閉するためのアームの先はカメラに変更され、プラント内部の状況を探るのみ、という任務を与えられることに。

一方、アメリカの国防総省でも、原発事故を受けて災害用ヒューマノイド開発への動きを加速させていました。
国防総省の依頼を受けてヒューマノイド開発にあたる企業では、「アトラス」というヒューマノイドを生み出しました。これまで培った軍事用ロボットの技術を投入した「アトラス」は、油圧駆動による強力なパワーと、柔軟な関節を持つ高性能なもの。
国防総省は、「ロボティクスチャレンジ」なるヒューマノイド開発コンペを企画。これには世界中から100を超える企業や研究機関が名乗りを上げています。
その中には、軍事用予算を使った研究はできないから、と東京大学を辞めてベンチャー企業を立ち上げた研究者たちも。また、「アシモ」型のヒューマノイドを開発中の韓国の研究機関は、技術を公開した上で人工知能の開発をアメリカに依頼する、という形で開発を加速させ、「ロボティクスチャレンジ」を狙っています。

なんとか「作業アームロボット」の実用化に目処をつけたホンダ。その一方で、「アシモ」をさらに進歩させるための研究開発も着実に進めていました。
「求められているものを、求められているときに最速で出す」という考え方のもと、事故現場に対応できる形に作られている、新型「アシモ」の試作機。段差や溝を乗り越えることができるほか、横からの力を加えられても倒れないようにバランスをとることもできます。そして、赤外線センサーで暗闇での活動も可能に。
開発担当者はこのように語りました。
「日本で起きた災害なんで、夢を語っちゃいけない。そうしないと、人も救えないし役にも立たない」

番組を観る前は、ワクワクする夢のあるような内容なのかな、となんとなく考えていたのですが、観終わった後に残ったのは重い感慨でありました。
ヒューマノイド開発を加速させたのが、大震災とそれに続けて起こった原発事故という不幸な事態を受けてのことだったこと。そして、ヒューマノイドの進歩により、これまで人間がやってきた仕事が徐々に、ロボットに置き換えられつつあるという現実。それらが、観ていて重い感慨を抱かせました。
社会や人間の側が、果たしてロボット技術の進歩がもたらす変化の速度に追いついていけるのか。その未来像はまだまだよく見えないところがあります。しかし、その未来は意外と近いところにあるのかもしれません。そのとき、人間としてどうしていけばいいのか。
ヒューマノイド技術の進歩による「ロボット革命」は、人間とはどうあるべきなのか、人間としてどのように生きなければならないかを、否応なしに問いかけてくるのではないか、と思いました。

『二郎は鮨の夢を見る』 ~最高の鮨職人の「仕事の流儀」と人生哲学

2013-03-15 23:02:02 | ドキュメンタリーのお噂

『二郎は鮨の夢を見る』(原題『JIRO DREAMS OF SUSHI』2011年、アメリカ)
監督=デヴィッド・ゲルブ
出演=小野二郎、小野禎一、小野隆士、山本益博


東京・銀座の地下にある鮨店「すきやばし次郎」。カウンター10席だけの小さなお店ながら、内外の食通のみならず、ジョエル・ロブションなどのプロ料理人の舌をも唸らせた名店です。「ミシュランガイド東京」では最高の3つ星評価を、しかも6年連続で受け続けるという栄誉にも浴しています。
そんな名店を切り盛りするのが、小野二郎さん。80歳を越えてもなお、現役の鮨職人として腕をふるっています。そして、そんな二郎さんを師として尊敬し、少しでもその域に近づこうと切磋琢磨する2人の息子さん。
本作は、二郎さんの生きざまに魅せられたという若きアメリカ人、デヴィッド・ゲルブ監督が、二郎さんの「仕事の流儀」と人生哲学を、長期にわたる密着取材により描き出したドキュメンタリー映画です。

子どもの頃から家族旅行で日本を訪れ、鮨にも親しんでいたというゲルブ監督。本作は、単なるもの珍しさだけで描かれたものとは一線を画し、日本の職人文化への深い理解と畏敬の念が込められているように思えました。撮影当時26歳だったという、ゲルブ監督の真摯な姿勢に敬服しました。
そして、クラシック音楽をバックにして映し出される、職人たちの仕事を捉えた流麗な映像には、思わず身を乗り出して観ておりました。なにより、二郎さんの握る鮨の1つ1つが、まことに美味しそうに映像に収められていて、観ていてお腹が鳴ってきて困るくらいでありました(鑑賞したのが夕食前だったもので•••)。
「シンプルなんだけれど、余計なことを一切していない。シンプルを極めるとピュアになる」
二郎さんとゲルブ監督との橋渡しをつとめ、映画にも登場している料理評論家・山本益博さんがそのように評する二郎さんの鮨の精髄を、ゲルブ監督は見事な映像として表現していました。

映画の中で二郎さんが語ることばにも、印象深いものが多々ありました。
「自分の仕事に惚れこまなければダメだ。あれがダメ、これがダメと言っていては、いつまで経ってもまともなことはできない」
「大トロはどこで出しても同じだけど、中トロや小トロは微妙。だから味をみるなら中トロか赤身」
「いいネタを仕入れて握るのが職人。だから儲かろうが、儲からなかろうが、それはどうでもいい」
「うまいもんを作るのであれば、自分がうまいもんを食わなければいけない」
撮影当時85歳の二郎さんの口から語られる「仕事の流儀」や人生哲学。そして85歳にしてなお、自分の現状に満足することなく、さらに前を、上を目指そうとする姿勢。ひたすら唸らされ、圧倒されました。

そんな二郎さんをサポートしながら、やがて来る世代交代の時のために知識と技術を身につけようとしている長男の禎一さんと、今は独立して支店を構えている次男の隆士さん。2人の息子さんは、偉大な父であり師でもある存在を引き継ぎ、超えていこうとすることの重さを語ります。
さらに、乱獲や大量消費により、思うように魚が入らなくなってきている現状にも触れられます。「これからは商売のことを考えながらも、資源を守っていくようにしなければ」という、禎一さんのことばが響きました。
それでも、父への敬意と仕事への誇りを胸に、地道に信じる道を歩もうとする2人の息子さんの姿は、しみじみと感慨深いものがありました。

ゲルブ監督はさらに、二郎さんたちを支える人たちも印象的に描いています。ことに、築地市場の魚の仲買人や、シャリのお米を納入している業者さん、それぞれのプロフェッショナルぶりもなかなか見事なものがありました。
そして、二郎さんのお店で見習いとして働いている若者たちも。
「自分は卵焼きがうまく焼けると思っていたが、いざやってみるとなかなかうまくいかなくて。200回近く失敗したあと、ようやくうまく焼けたのを(二郎さんに)褒めてもらい、「職人さん」と呼んでもらえたときには涙がでて•••」
という、1人の見習いの若者が語った話には、ちょっとホロリとするものがありました。
エンドクレジットには、東日本大震災で亡くなった人びとを悼むことばが記されていて、そのことも印象に残りました。

想像していた以上に刺激を受け、心に響くものがたくさんあった作品でした。ぜひとも多くの人に観ていただきたい一作です。