読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

中島春雄さん追悼読書・・・怪獣と特撮の仕事を愛した男が、プロ根性と誇りに満ちた半生を語り尽くした『怪獣人生』

2017-10-22 13:15:05 | 映画のお噂

『怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄』
中島春雄著、洋泉社(新書y)、2014年
(親本は2010年に洋泉社より刊行)


2017年も、さまざまな分野で一時代を築いた方々の訃報をたくさん耳目にしておりますが、ゴジラの初代スーツアクター(ぬいぐるみ役者)をお務めになった元俳優・中島春雄さんが、8月7日に88歳で逝去されたという訃報は、わたしにとってとりわけショックで悲しいものでした。
中島さんはゴジラシリーズ第1作目の『ゴジラ』(1954年)から、第12作目の『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972年)まで、18年にわたってゴジラ役を演じたほか、ゴジラシリーズ以外の東宝特撮映画や初期のウルトラシリーズでも、多くの怪獣を熱演してこられました。また、特撮映画以外でのさまざまな映画でも、端役として出演をしておられました。
中島さんの功績を偲ぶべく読んだのが、今回取り上げる『怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄』です。80歳を越えた中島さんが、怪獣役者として、そしていわゆる「大部屋俳優」として生きた自らの半生を初めて語った2010年刊行の単行本に新たなコメントを追加して、2014年に新書版として再刊されたものです。

昭和4(1929)年の元旦に、山形県酒田市で生を受けた中島さん。子どもの頃から大の飛行機好きだったこともあり、13歳で海軍を志願して空母や航空隊に配属。敗戦後は進駐軍のドライバーなどの職を転々とする中で俳優学校に応募し、その卒業とともに東宝へ入社することに。
当時の東宝に所属していた俳優たちは、スター級の「Aホーム」と、いわゆる大部屋俳優が属する「Bホーム」に分かれていて、中島さんが属していたのはBホームでした。映画の中では特に目立つこともない端役の仕事のみならず、「ケレン師」と呼ばれる危ない役を引き受けることもあったBホームの役者たち。中島さんも、1953年の戦争映画『太平洋の鷲』(翌年『ゴジラ』を手がけることになる本多猪四郎監督と円谷英二特技監督の初タッグとなる作品)で、日本では初めてとなる火だるまのファイヤースタントを演じたりしておりました。
1954年の夏。そんな中島さんのもとに、表紙に『G作品』とだけ記された台本が届けられ、そこに登場する「怪物の役」に指名されます。それがのちに『ゴジラ』となる企画でした。中島さんはこの作品で初めて、“特撮の神様” 円谷英二と会うことになります。
「キツい仕事だけど、やれるかい?中島くん」と円谷監督に念を押されながら、G作品こと『ゴジラ』の現場に飛び込むことにした中島さん。「キツい仕事でもゴジラ役をやり遂げる覚悟はあった」とはいえ、まだ誰も見たことがない空想上の怪獣をどう演じたらいいのか悩んだ中島さんは上野動物園に出向き、ゾウやクマなどさまざまな動物の動きを観察し、研究を重ねました。
そして始まった『ゴジラ』の特撮現場はやはり過酷なものでした。分厚いゴムで作られていたゴジラのぬいぐるみはかなりの重さで、しかも固くて動きにくいものだったとか。しかし中島さんは持ち前の体力と「必ずやり遂げる」という熱意と覚悟で、ゴジラ役の仕事をこなしていったのです。
はじめのうちは、分厚いぬいぐるみの中に閉じ込められることで「孤独」を感じていたという中島さん。しかし、現場が続くうちに「孤独」という気持ちは薄らぎ、ゴジラを演じることが「気持ちがいい」と感じるようになったといいます。

「広々としたセットにビルや道路が細かく作られている。見渡すと、本当に自分が巨大な体になったような気がしてくる。三台のキャメラが自分を狙っている。Bホームの俳優は、キャメラ一台が自分にまともに向くことも滅多になかった。それが三つだ。ゴジラは堂々たる主役だ。本番になって『スタート!』と、キャメラが回り出すと、大怪獣ゴジラの気分で暴れることができた」

そう。ゴジラは紛れもなく映画の主役であり、たとえ自分の素顔が画面には映らなくとも、中島さんにとって晴れの舞台であることに変わりはなかったのです。
全身全霊でゴジラ役に挑んだ中島さんの覚悟と熱意は報われ、映画『ゴジラ』は大ヒット。円谷監督の絶大なる信頼を得た中島さんは、以後の東宝特撮映画でゴジラをはじめ、ラドンやモスラなどのスター怪獣を熱演していくことになります。本書『怪獣人生』には、中島さんが怪獣を演じた数々の東宝特撮映画や、端役として顔出し出演した黒澤明監督の作品などにまつわるエピソードがふんだんに語られていきます。

本書を読んでいて強烈に感じられたことは、中島さんの怪獣役者としての徹底したプロ意識でした。
『ゴジラ』の大ヒットを受けて製作された『ゴジラの逆襲』(1955年)以降、中島さんは円谷監督からゴジラや対戦相手の怪獣のアクションをつけるという、時代劇における「殺陣師」の役割を全部任されるようになりました。 “オヤジさん” こと円谷監督は、「人をやる気にさせたり任せるのが上手だった」と中島さんは振り返っていますが、それだけ中島さんのプロ意識に絶大なる信頼を寄せていたということだったのでしょう。
怪獣を演じる役者として必要な心構えを、中島さんはこのように語っています。

「ぬいぐるみの役者ってのは、監督のいいなりになっていて、務まるもんじゃないとは思うね。結局、オヤジさんにだってぬいぐるみがどう動けるか、わからないんだもの。わかるのは入っている本人だけ。だから、怪獣の立ち回りを面白くするのは、役者に全部かかっているわけ」

セット入りの時、中島さんはぬいぐるみを着ないすっぴんの状態で取っ組みあいを考えたり、セットの中を歩いては歩幅やミニチュアの位置関係をカンで動けるくらいに覚えこんだ、といいます。円谷監督は、本番前のテストでの中島さんたちの動きを見て、その場で本番を撮影するときのカット割を組み立てていたといい、操演(人の入らない怪獣やミニチュアなどを操作すること)スタッフもテストの時の動きをよく見て、細かい打ち合わせなしで本番の動きに合わせてくれていたのだとか。映画黄金期の東宝特撮映画が、熟練した技術と高いプロ意識を持ったスタッフのチームワークによって支えられていたことがよくわかります。
中島さんはこうも語ります。

「怪獣の芝居は、こけたら終わり、はい、カットじゃいけないと思う。最近の怪獣は役者が寝たら、もう起きられないから仕方なくカットしてるんじゃない?怪獣は役者に工夫がないといけないね。自分で色を点けないと面白くないよ」

中島さんは、最近の特撮ものにおける怪獣の芝居が物足りない原因を、自分で考えた芝居ではない「真似」だからだ、と語ります。そして、自分の役者人生を振り返ってみて自慢できることがあるとしたらただ一つ、「真似しなかった」ということであり、それは、何もノウハウがないところから特撮を考えた円谷監督にしても、怪獣映画の本編ドラマの演出をゼロから考えた本多猪四郎監督にしても同じだ、と。
スタッフと演者が試行錯誤を重ねつつ、ゼロから築き上げていったノウハウによって創り上げられた『ゴジラ』をはじめとする東宝特撮映画。だからこそ時代を超えて生き続け、さらには国境を超えて愛される存在になったということを、つくづく感じます。
本書の最後のほうで、中島さんはこう語っておられます。

「映画のことを『総合芸術』っていうでしょ。撮影。美術。照明。録音。いろんな技術のプロや役者が集まって、監督の命令で一本の作品を作り上げるのが映画っていう意味だね。
特撮映画は子供も大人も楽しめる娯楽映画だよ。でも、全員の力を合わせて造るって意味では、最高の総合芸術じゃないかと僕は思うよ」


ともすれば「子どもだまし」だと軽く扱われがちな特撮・怪獣映画。しかし、それを創り上げる仕事に一貫して抱き続けた、中島さんの強い誇りとプロ意識が溢れているこのお言葉には、強く強く胸を打たれました。

中島さんの渾身の芝居でいきいきと生命を吹き込まれた、ゴジラをはじめとする怪獣たち。それらはこれからも末永く時代を超えて生き続け、国境を超えて愛される存在となっていくことでしょう。
中島さん、本当にありがとうございました。そして、どうかゆっくりとお休みになってください・・・。

『アートで見る医学の歴史』 優れたアート作品集にして、最良の医学史入門書

2017-10-14 22:57:30 | 本のお噂

『アートで見る医学の歴史』
ジュリー・アンダーソン、エム・バーンズ、エマ・シャクルトン著、矢野真千子訳、河出書房新社、2012年


8月にアップした記事で取り上げた『描かれた病』(リチャード・バーネット著、中里京子訳)を版元の河出書房新社から取り寄せたとき、同じく河出から出版されていた、やはり医学とアートの境界をテーマにした作品集を一緒に取り寄せ、購入しておりました。それが今回ご紹介する『アートで見る医学の歴史』です。
数千年にわたる医学の歴史を物語る貴重な資料であり、かつ芸術としても素晴らしく面白い絵画や書籍、彫刻、工芸品、さらには電子顕微鏡写真など400点を一堂に集めて紹介したこの本。2012年に刊行されたときにも、かなり気になってはいたものの、その判型の大きさと価格の高さ(税別5700円!)から、おいそれとは購入できずにおりました。『描かれた病』を注文するとき、ふとこの本の存在を思い出し、えーい版元がおんなじなんだしここは思い切って買っちゃえ!ということで、清水の舞台から飛び降りるつもりで(いや、実際はそこまでおおげさではございませんでしたが)取り寄せて買いました。
2冊合わせると1万円近くになる大きな買いものでしたが、結果として得るものも大きい、いい買いものとなりました(自宅に持ち帰るときがちょいと一苦労だったけど・・・)。

購入して初めてわかったことなのですが、『描かれた病』も本書『アートで見る医学の歴史』も、イギリスの「ウェルカム・コレクション」という、医学の歴史を物語る芸術作品や物品、標本を集めた、膨大なコレクションをもとにまとめられた書物でありました。『アートで見る医学の歴史』の序章ではウェルカム・コレクションと、それを集めた人物であるヘンリー・ウェルカムの事績が詳らかにされております。
19世紀の後半にアメリカで生まれ、やがてイギリスに渡って製薬会社を起こして大成功したウェルカムは、医学の歴史を物語るための博物館の開設に着手。信頼できる収集家によるチームが組まれ、「料理本から槍、顕微鏡、魔除け袋、切断術用のこぎり、ピンクちらしまで、ありとあらゆるもの」を集めさせたといいます。医学にとどまらず、人類生存の歩みに関するあらゆるものを含む歴史を語るコレクションは100万点を超え、それは「ヨーロッパ屈指の国公立博物館の収蔵物に匹敵する規模」になっていたのだとか。ウェルカムの死後、遺言をもとに彼の名を冠した財団ができ、ロンドンの中心部にはそのコレクションを展示する文化センターが開設されているそうです。
医学以前には人類学に興味を持っていたというウェルカム。本書に収録されている品々も、そんなウェルカムの関心領域の広さを物語るように多種多様です。西洋医学に関するもののほかにも、インドの伝統医学「アーユルヴェーダ」の男性図、象皮病にかかった男を象ったナイジェリアのブロンズ像、亀の形をしたアメリカ先住民のお守り、さらには日本の鍼治療の人体模型や、神道と仏教の神66体を飾った神棚なんてものまであって驚かされます。

本書には、アート作品としても面白く興味深い作品が豊富に収録されているのもさることながら、作品を解説したキャプションや、それぞれの項目ごとに記されている概説といったテキスト部分も充実していて、アート作品を楽しみながら医学史にまつわるさまざまな事象を知ることができます。
たとえば解剖学。古代においては人体の解剖はほとんどなされておらず、14世紀になってようやく、人体解剖により人体の構造を理解することの重要性が認識され始めたのですが、当時使われていた解剖図は、動物の解剖に基づいた古代のものの引き写しだったとか。そんな中で少しずつ、実際に切開作業をした解剖学者による解剖図も出版されていきます。
その代表ともいえる一冊が、イタリアの解剖学者ヴェサリウスが1543年に出版した図解つきの解剖学教科書『ファブリカ』。実際に人体を観察することに基づいた解剖学の基礎を確立したという、この書物に掲載された版画による挿絵は、人体の筋肉や骨格の構造が隅々まで緻密かつ正確に描かれていて出来栄えも実に美しいのですが、その構図がなかなかユニーク。あたかも生きた人間のように、筋肉や骨格をむき出しにした人体がポーズをとっていて、中には墓石に頬づえをつき、何やら思索にふけっているかのような骸骨の図、なんていう、ちょっと笑えるようなのも。
『ファブリカ』の挿絵を紹介したページには、ヴェサリウス自身によるこんなことばが記されています。

「絵は大いに理解の助けになる。文章がどれだけわかりやすく書かれていても、ひと目見るだけで理解させられる絵にはかなわない」

まさしく、誰の目で見ても理解することができる絵によって、多くの人びとが医学の成果や知識を共有し、それらを引き継いで発展させていくことができたということが、本書に収められた数多くの図版を見るとよくわかります。
人体の構造を探究しようとしたのは、解剖学者などの医学者だけではありません。本書には、ドラクロワやミケランジェロの手になる、腕や脚の筋肉の構造をスケッチしたものも掲載されております。彼ら芸術家の作品にみられる豊かな人物表現の背後には、解剖学的な知見に基づいた人体への探究心があったということがよくわかりました。

アート作品としても見ごたえがあるものの一つが、16世紀半ばのバイエルン地方の医師だったレオンハルト・フックスが出版した薬草集『植物誌』の挿絵。美しく彩色された版画によるそれらの挿絵は、植物の特徴を子細に描きながら、デザインの面でもセンスが感じられて見事なものです。この『植物誌』の最後には、挿絵を手がけた3人の画家の肖像画も載っているのですが、挿絵画家の肖像画が本に載ることはめったにないことだったとか。
現代の進歩した電子顕微鏡の技術により、卵子や胚、血液や血管、 がん細胞や病原体などのミクロの世界を捉えた画像もまた、アートとしてもなかなか見ごたえがあるものばかりです。とりわけ、アスピリンやビタミンCの結晶を捉えた画像の美しさたるや、見ていてため息がでるくらいでありました。また、豚インフルエンザやHIVのウイルスを無色ガラスの彫刻で表現した作品も、禍々しさと美しさを併せ持った魅力を感じました。ジェームズ・ワトソンとともにDNAの構造を見出したフランシス・クリックによる、二重らせんのスケッチも紹介されております。
その一方でちょっと笑ってしまったのが、中世後期の外科学の文献に載せられていたという「負傷人体図」とよばれるイラストの数々。身体に受けるであろうあらゆる外傷を一覧できる図で、戦争で負傷した兵士たちの治療に際しての利便性も高かったとのことですが・・・身体中に矢や剣、ナイフが刺さっている上に、ごていねいにも足元を犬に噛まれたりしながら突っ立っているヒトの図、というのがなんだかシュールすぎて、オドロキを通り越して笑いがこみ上げてきてしまったのでありました。

医学の進歩に貢献した医師たちの業績を物語る図版も、数多く掲載されております。その中でも特筆すべき存在といえそうなのが、ルネサンス期外科医の第一人者として称賛を集めたというパリの外科医、アンブロワーズ・パレでしょう。
軍医としても活躍していたパレは、因習的な方法に従わず、新しい治療法を試みた革新的な外科医だったとか。傷口に焼きゴテをあてるか煮え油を注ぐという、それまで切断術後の傷口をふさぐ方法として用いられていた「焼灼」(しょうしゃく)に代わり、パレは結紮糸(けっさつし)を使って血管を封じることで、切断術の成功率を向上させたといいます。また、当時としては画期的であったであろう、金属製の義足や機械仕掛けの手のデザインまでやったりしていて、その先駆性に驚かされます。
称賛を集める医師がいる一方で、時流に乗じて高価な薬や治療を処方することで批判や嘲笑にさらされる医師たちもいたわけで、本書には医師をテーマにした風刺画の数々も収められています。その中の一つである日本の歌川国芳による浮世絵は、天然痘になった顔に特殊な蒸気をあてたり、太った女の脂肪を木槌とのみで削ろうとしたり、果てはろくろ首の長〜い首を短くしようとしたり・・・などという難病治療の光景を、いきいきとしたユーモアとともに風刺的に描いた傑作です。

医学の進歩の過程には、病に対する不十分かつ非科学的な認識からくる、さまざまな悲劇や偏見があったということも、また事実でしょう。
精神疾患の患者たちを収容する病院であるロンドンのベスレヘム病院は、かつては病院というより監獄に近く、金持ちが入場料を払って監禁されている人びとを「見物」に訪れるような場所だったとか。本書には、当時のベスレヘム病院に収容されていた患者を描いた、金属の拘束金具をつけさせられ、鎖で繋がれている男性の絵が収録されています。精神疾患に対する無知無理解と、偏見の歴史の一端をあらためて見せつけられる衝撃的な一枚です。
また、夫を精神錯乱に追い込む「常軌を逸した性格」を有する「女性の頭部を再形成し再研磨する」鍛冶屋を描いた風刺画は、絵柄といい書き込まれた文章(巻末には書き込まれたすべての文章の和訳が記されております)といい、精神疾患のみならず女性に対する強い偏見が感じられて、まことにグロテスクなものがありました。
そんな病に対する認識の不足を埋める、患者側からの観点を反映させたアート作品も、本書は紹介しています。中でも、精神疾患の治療やセラピーを受けながら、そのときどきの内面を水彩により描き続けたロンドンの芸術家、ボビー・ベイカーの絵日記は、精神疾患の当事者の体験や思いを理解する上でも貴重な作品だといえそうです。

近代的な医学や科学の外にある、伝統的かつ呪術的な医学を物語る資料にも、面白く興味深いものがいろいろとありました。
北米の先住民族であるナバホ族の医術師や儀式を記録した、1900年代初頭のセピア色の銀塩写真は実に美しく、しばし惚れ惚れとしながら見入ってしまいました。また、人物の絵を囲むようにアラビア語による呪文が記されている、マレーの黒魔術の紙片も実にユニークなものがございました。
そのほか、病気の治癒や健康のまじないのために作られた彫像や面、お守りといった品々にも土着的な美しさがあり、民族&民俗学の観点からも興味深い資料になるように思いました。

古代から現代に至る医学の進歩の歴史と、伝統的かつ呪術的なものを含めた多様な医学の側面を物語る、数多くの貴重な作品や資料を網羅した『アートで見る医学の歴史』。優れたアート作品集としても楽しめるのはもちろん、最良の医学史入門書としても、まことに学ぶところの多い一冊でありました。

『子どもを本好きにする10の秘訣』 本に対する確かな哲学に好感が持てる、読書教育指南&ブックガイド

2017-10-09 16:20:28 | 「本」についての本

『子どもを本好きにする10の秘訣』
高濱正伸・平沼純著、実務教育出版、2016年


「もう小学生になったんだから、絵本は卒業ね」「読み終わったの?じゃあ、どんな話で、どう思ったのかを説明してみて」「途中でやめるの?一度読み始めたんだから、最後まで読みなさい」「またそれ読んでるの?いい加減、ほかのを読んだら」・・・
本好きな子どもになって欲しいがために、ついつい口にしてしまう上のようなことば。実はこれらのなにげないひと言こそ、子どもをかえって本嫌いにさせてしまう「NGワード」なのだということを、本書『子どもを本好きにする10の秘訣』は冒頭で指摘します。その上で、本好きな子どもに育ってもらうために必要な考え方やノウハウを、親しみやすい語り口で伝えてくれます。
学習教室「花まる学習会」を主宰するかたわら、さまざまなメディアに登場して教育、子育てについてのアドバイスを送っている高濱正伸さんと、「花まる学習会」の一員で読書・作文指導のエキスパートである平沼純さんの共著という形になっていますが、実質的な著者は平沼さんのほう。本書の記述には、豊富な読書量と教育現場での実践に裏打ちされた、平沼さんの本と読書に対するしっかりした哲学が感じられて、子どもがいない・・・どころか結婚できる見通しすらない(笑)わたしも、読みながら共感したり頷いたりすることしきりでありました。

冒頭に挙げたようなことばが、子どもを本嫌いにさせてしまう原因について、著者は「本というものをあまりにも短絡的に、何らかの学習の手段=『教具』として考えすぎてしまっているからだ」と指摘します。
そして、重い障がいを持って生まれながらも、たくさんの絵本を両親から与えられ、それらを楽しんだことで高い言語能力を伸ばすことができたニュージーランドの少女、クシュラの例を引きながら「あくまで『楽しさ』を根底に据えてこそ、結果的に学びとなるものが多くなる」と説き、読書を何かの「手段」ではなく、それ自体を「目的」として、子どもと一緒になってひたすら楽しむことに徹することを提案します。この姿勢に、まず強く共感いたしました。

子どものための本選びについても、実に有益なアドバイスを与えてくれます。
たとえば「おやつの本」と「ご飯の本」の話。「おやつの本」とは、「見た感じはなんとも人目を引くような作り」で「中身はたしかにさまざまな事件や出来事が起きて勢いよく読める」けれども「一生ものの栄養になるようなものは得られない」本のこと。それに対して「ご飯の本」は、「子どものためにとことん考え抜かれた作りになっていて、物語世界にどっぷりと浸ることができ、一生の栄養になるような骨太な力を得られる本」であると定義します。
その上で、「ときには『おやつの本』があってもいいと思います。しかし、大切なのはバランス」だとして、時代を越えて読みつがれてきた、歯ごたえのあるロングセラーである「ご飯の本」の楽しさを子どもたちに知ってもらいたい、と熱っぽく語ります。
また、大人目線での「泣ける話」を子どもに押しつけないで、という主張にも共感いたしました。大人の側が「子どもに大切なことを教えるために本を読ませよう」と意気ごむことで、本を読むことが途端に「道徳的義務」と化してしまい、その結果子どもは本からますます遠ざかっていく、と著者はいい、「子どもたちに必要なのは『感傷』ではなくて『感受性』」だと力説します。
わたしも、ことさら「泣ける話」を求めようとして本を読もうとしたり、それを他者に勧めたり押しつけようとしたりすることには強い違和感がありましたので(これは映画などの映像作品についても感じていることなのですが)、この主張には大いに頷きました。

子どもに向けて本を読んで語る「読み聞かせ」の重要性も、本書は熱心に説いています。
本を読んでいる人との心の結びつきが生まれるということが「読み聞かせ」の最大の効用、という著者は「読み聞かせ」についても具体的で適切なアドバイスを伝授してくれます。中でも「なるほど」と感じたのが、読み聞かせは何歳でも構わない、という項でした。
小学校高学年や中高生、さらには大人であっても、「誰かの語りを聞くことで、自分ひとりで読むときには気づけなかったことを感じ、イメージを広げ、深い理解がもたらされる」という説明には、また違った形で本を味わうためのヒントもあるように思いました。

最後の章では、読書によって身につく「9つの力」について詳しく述べられています。インターネット検索では得られない時空を越えた「知恵」や、見えないものをイメージする「想像力」、自分とは違う多様な価値観への気づき・・・。とりわけ、「一冊の本をとおして、直接的にも間接的にもさまざまな『つながり』が生まれる」という話には、しみじみと希望が湧いてくるのを感じました。
そういった、読書によって得られるものの大切さを説く一方で、著者はあえて「本とは決して『読まなければならない』ものではない」とも主張します。「『読書のための読書』になるのは避けるべきであり、『いい本を読む』よりも『いい人間になる』ことのほうがはるかに大切なのは、言うまでもありません」と、ある種の「読書万能論」への戒めを述べるところにも、著者の読書に対する確かな哲学を感じて好感が持てました。そう、本を多く読むことが必ずしも「偉い」というわけではない、というバランス感覚を持つこともとても大切なことだと、わたしも自分を省みて思う次第であります。

そして本書の目玉ともいえそうなのが、著者の平沼さんが「自信をもっておすすめできる」という291冊の絵本、児童書を8つの分野に分け(一部を除いて)表紙の写真や簡単な概要とともに紹介したブックリストです。
日本と世界の昔話や神話、『ピーターラビットのおはなし』『はてしない物語』『あしながおじさん』『西の魔女が死んだ』といったド定番作品から、知る人ぞ知る名著まで。いずれの作品も、子どもはもちろん大人も楽しめそうなラインナップとなっていて、本選びの参考になりそうです。わたしも読んでみたい作品に印をつけながら読み進めたのですが、気づけば全体の3分の1近くに印がつくというありさまでした。さあこりゃ大変だ(笑)。
291冊のブックリストのみならず、本文においてもたくさんの本が紹介されておりますので、ブックガイドとしても大いに役立つのではないでしょうか。

読書教育の指針としてだけでなく、本と読書に対する確かな哲学に裏打ちされた読書論やブックガイドとしても読むことができる本書。子どものいる親御さんはもちろん、子どものいない方にもオススメしておきたい一冊であります。
余談ながら、本書の存在を教えてくれたのは、わが勤務先である書店の親愛なる同僚女子であります。日々子育てに励む母親として、そして本好きの一人として、この本を見出した彼女に敬意を表するとともに、本書の存在を教えてくれたことに感謝したいと思います。

第23回宮崎映画祭観覧記 ④(最終回)黒沢清監督の、怖ろしくてせつないロマンティック・ホラーの秀作『ダゲレオタイプの女』

2017-10-02 00:00:08 | 映画のお噂
16日から9日間にわたって開催された第23回宮崎映画祭も9月24日、ついに最終日を迎えました。
最終日は、カンヌ国際映画祭などを通して海外での知名度も高い、現代日本を代表する映画作家にして、これまでの宮崎映画祭でもたびたび、ゲストとして来てくださっている黒沢清監督を迎えての特別プログラムでした。上映されたのは、黒沢監督もインタビュー出演しているドキュメンタリー『ヒッチコック/トリュフォー』と、黒沢監督がフランスで撮り上げた『ダゲレオタイプの女』の2作品です。

『ヒッチコック/トリュフォー』(2015年 アメリカ・フランス)
監督=ケント・ジョーンズ
インタビュー出演=マーティン・スコセッシ、デヴィッド・フィンチャー、ピーター・ボグダノヴィッチ、ウェス・アンダーソン、黒沢清ほか(ドキュメンタリー)

サスペンス映画の巨匠、アルフレッド・ヒッチコックの映画技法や映像哲学に、ヌーヴェルヴァーグの新鋭であったフランソワ・トリュフォーがインタビューで迫った書物『ヒッチコック/トリュフォー』。日本でも『定本 映画術』のタイトルで晶文社から刊行されている、この書物のもととなったインタビューの音源と、ヒッチコックから影響を受けた映画人たちのインタビューから、ヒッチコック映画のテクニックと魅力を紐解いていくドキュメンタリー作品です。もちろん、デビュー作となった『快楽の園』(1925年)から、遺作となった『ファミリー・プロット』(1976年)に至る、ヒッチコック作品の映像フッテージもふんだんに盛り込まれておりました。
サイレント映画としても観ることができる、というヒッチコックの映画。出来事を俯瞰からの映像で見つめる、いわゆる「神の視点」によるカットをはじめとして、緻密な計算による力のある映像によって作り上げられているということがよくわかり、あらためてヒッチコックの作品を観直したくなってきました。
インタビュー出演している映画監督は、『タクシー・ドライバー』(1976年)のマーティン・スコセッシや、『セブン』(1995年)のデヴィッド・フィンチャー、『ペーパー・ムーン』(1973年)のピーター・ボグダノヴィッチなどといった錚々たるメンツ。ヒッチコックと彼の『映画術』が、いかに多くの映画人に長きにわたり強い影響を及ぼしているのかが窺えて、その存在の大きさを思いました。
そして、日本の映画人として唯一登場しているのが、黒沢清監督。黒沢監督は「ヒッチコックは映画の極北だった人であり、その作品は誰も真似のできないものだと思う」といった趣旨のことを語っておられました。

『ヒッチコック/トリュフォー』の上映が終わり、休憩のために外に出ると、ロビーには宮崎空港から駆けつけてこられたばかりだったという黒沢監督の姿が。一瞬目が合って会釈してくださった黒沢監督に、わたしは深々とお辞儀してお手洗いへと向かったのでありました。あ〜、ドギマギしたわ〜。
休憩を挟んでの『ダゲレオタイプの女』の上映前に、黒沢監督の挨拶がありました。フランスで撮った作品だったためか、本作を取り上げてくれたのは東京国際映画祭とこの宮崎映画祭だけだとか。「普通の娯楽映画なので、どうか楽しんでいただけたら」という黒沢監督のお言葉のあと、上映が始まりました。

『ダゲレオタイプの女』(2016年 フランス・ベルギー・日本)
監督・脚本=黒沢清 撮影=アレクシ・カヴィルシーヌ 音楽=グレゴワール・エッツェル
出演=タハール・ラヒム、コンスタンス・ルソー、オリヴィエ・グルメ

パリの郊外にある古い屋敷に住む写真家、ステファンの助手として働くことになった青年ジャン。ステファンは、銀盤に直接画像を焼き付ける170年前の撮影技法「ダゲレオタイプ」を再現して写真を撮ることに執心していた。ステファンは娘のマリーを被写体にしてダゲレオタイプでの撮影を続けるが、それは特殊な器具により被写体を長時間にわたって拘束しながら行われる過酷なものだった。父のためにそれを受け入れつつも、いつかは自分の人生を生きることを望むマリーに、ジャンはだんだんと惹きつけられていくのだが、父娘の背後には秘められている事実が・・・。
黒沢監督がパリを舞台に、フランス人のキャストとスタッフで固めて撮りあげた、ホラー映画にしてラブストーリーでもある本作。実際に観てみると、想像以上に正統派の「怪談映画」といった仕上がりで、結構楽しめました。コケおどしのような場面を一切出さず、ひたひたと迫ってくるような緊張感と怖さを醸し出していたのはさすがでした。パリに実際に立っていたという古い屋敷も、作品の雰囲気によく合っておりました。
そしてラブストーリーとしても、「ああ・・・やっぱりこうなるしかなかったんだろうなあ・・・」という気持ちがじんじんと胸を打つ、美しくも切ない展開に魅了されるものがありました。

上映後には再び、黒沢監督を迎えてのトークショーが行われ、映画製作の舞台裏などが語られました。フランス人キャストとスタッフとの協働については、先方との言葉の壁はもちろんあったものの、「監督の望むことを実現させるのが役目であり誇りでもある」という意識が浸透していることもあって、むしろ日本よりやりやすいところがあった、とか。
また、特にそう指示したわけではなかったのに、出来上がってきた劇中音楽が思いのほかヒッチコック映画調になっていたので驚いた・・・と、はからずも表に出てしまったヒッチコック映画の影響について、苦笑いしつつ語る一幕も。ここでもまた、ヒッチコックが与え続けている影響の大きさを感じました。
トークショーの最後に、宮崎映画祭が今年度から創設した「金のはにわ賞」の監督賞が黒沢監督に授与されました。宮崎県産の杉材を使った台座の上に、馬を象ったはにわ像が乗っかったトロフィーを、黒沢監督は少々照れ臭そうにお受け取りになったのでありました。
トークショー終了後、黒沢監督は宮崎市内の別の映画館で始まった、最新作『散歩する侵略者』の舞台挨拶に向かわれたとか。わたしの好きなジャンルであるSF映画ということで、そちらのほうも観てみたいところであります。

こうして、9日間にわたって開催された第23回宮崎映画祭は幕を閉じました。
今年はしょっぱなから台風の接近に振り回されたりして、運営にあたった皆さまもいろいろご苦労があったのではとお察しいたします。ですがプログラム自体は、バラエティ豊かなラインナップでとても充実したものとなったように思います。運営にあたったスタッフの皆さま、本当にお疲れ様でした。
わたしが今回の期間中に観た映画は、全14作品中9本。ここはあと1本観てフタ桁台に乗せておけば良かったかなあ、と思わなくもないのですが、それでも大いに満足しております。
ここしばらく、じっくり映画を観ることから離れていたわたしでしたが、今回の映画祭でまた、映画の楽しさを再認識できたように思います。書物を読むことで得られる楽しさと喜びは何ものにも替え難いのですが、映画を観ることで味わえる楽しさと喜びもまた、人生を豊かで充実したものにしてくれるということを、あらためて感じることができました。
これからちょこちょこ時間をつくって、いろいろな映画を楽しんでいこうと思っております。お楽しみはこれからだ、といったところでしょうか。

来年の宮崎映画祭も、大いに楽しみにしております!