読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【読了本】『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』 人を食った語り口で探る生物進化の妙

2013-04-29 21:58:03 | 本のお噂

『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』川上和人著、技術評論社(シリーズ 生物ミステリー)、2013年


1990年代以降、羽毛を持っていた恐竜の化石が次々と発見されるなどして、恐竜と鳥類には密接な類縁関係、すなわち恐竜が進化して生まれたのが鳥類である、ということが共通認識となってきています。
ならば、鳥類学者も「恐竜学者」といっていいのではないか?ということで、鳥類の研究を手がけている著者が「鳥類と恐竜の緊密な類縁関係を拠り所とし、鳥類の進化を再解釈することと、恐竜の生態を復元すること」を主題として書かれたのが、本書であります。
しかし、お固い研究書を想像しながら読み始めると、その先入観は「はじめに」で早々に、完膚なきまでに、いやというほどにぶち壊されます。

「この本では断片的な事実から針小棒大、御都合主義をまかり通すこともしばしば見受けられる。あくまでも、鳥の研究者が現生鳥類の形態や生態を介して恐竜の生活をプロファイリングした御伽噺だと、覚悟して読んでほしい。」 (「はじめに」より)

そして本文の至るところには、いささか人を食ったユーモアがちりばめられています。たとえば、恐竜の生活を探るためのよすがとなる足跡化石について述べたあとの締めの文章は、こんな調子。

「足跡化石は、本人の化石が残っていないゆえになおさら想像力を刺激する。なにしろ、織田信長の足跡すらみたことのない現代人が、1億年も2億年も前に恐竜が歩いた痕を、目の当たりにできるのだ。このことにロマンを感じる人は、ぜひ未来の古生物学者にも同じ感動を味わわせるため、今すぐにでも近所の沼地の泥の上にて裸足でスキップをするとよいと思う。」 (第3章より)

とまあ、前編こんな調子のユーモラスな文章が頻出していて、生真面目な向きは読んでいて怒り出すかもしれません。
ある種の脱力感があふれる人を食った語り口に、わたくしはユーモア系紀行エッセイなどで知る人ぞ知る存在である宮田珠己さんと通ずるものを感じました。え?宮田さんをご存知ないですと?そういう向きは今からでも遅くないので、宮田さんの衝&笑撃のデビュー作『旅の理不尽 アジア悶絶編』(ちくま文庫)を読むべし。•••えーと、何を話していたんだっけ。

人を食った語り口で大いに笑わせつつも、本書は化石などの残された手がかりをもとに、大胆な仮説と合理的な議論を展開しながら、恐竜の生態に迫っていきます。
恐竜は「トカゲの尻尾切り」をしたのか?身体の色が真っ白な恐竜がいたのか?鳴き声はどんなだったのか?毒を持つ恐竜はいたか?いかにして子育てをしていたのか?
その多くは断片的な形で発見される化石から得られる情報には、おのずから限界があります。そこに自由な想像の余地もあるのですが、著者の川上さんは絶妙なバランス感覚で、想像の向こうにある恐竜の実像に分け入っています。
そして、恐竜から鳥類へと至る道をたどることで、生物進化の妙と面白さをあらためて気づかせてくれます。
空を飛ぶという新たな能力を獲得することで、それまで重宝していたはずの腕や尾などを失っていった鳥たち。その一つ一つには、そうなるべき理由があったのです。
なにより、子どものころに図鑑や特撮ものなどで目にしていた恐竜たちのイメージがいまだ根強くあるわたくしにとって、近年の知見がもたらした恐竜像にはかなり新鮮な驚きがありました。これからさらに、新しい恐竜像が見えてくるかもしれないと思うと、すごくワクワクしてくるではありませんか。

本筋とは別のところで強く印象に残ったのは、以下のくだりでした。少し長くなりますが引用を。

「改めて考えると、恐竜の化石がなんの役に立つのだろう。なぜ私たちは、こんなに恐竜に熱狂してきたのだろうか。恐竜化石でダイエットに成功する。否。恐竜化石で病気が治る。否。恐竜化石で女性にモテる。否。恐竜化石でクリーンエネルギーができる。否。正直なところ、恐竜化石は実利的にはなんの役にも立たない。世界恐慌や第二次世界大戦の時代に、恐竜学が停止したのは、その証拠である。恐竜学は、生活に余裕がないと発展できない、平和のバロメータのような分野なのだ。」 (序章より)

そうなんですよね。実利一点張りの余裕のない社会になってしまっては、恐竜学の進展も、そこからもたらされる楽しさもなくなってしまうんですよね。恐竜を愛する者の端くれとしては、平和で余裕のある世の中が続いていくことを願うばかりです。

人を食った笑いに、好奇心と想像力がめいっぱい詰まった本書。自信をもってたくさんの人に「読むべし!」と声を大にしてオススメしたい、エンタメ系恐竜本の快著であります。

【映画】『遺体 明日への十日間』 ~真摯な姿勢で描かれた鎮魂のドラマ

2013-04-28 23:07:11 | 映画のお噂

『遺体 明日への十日間』(2013年、日本)
監督・脚本=君塚良一、製作=亀山千広、原作=石井光太『遺体 震災、津波の果てに』、音楽=村松崇継、製作=フジテレビジョン
出演=西田敏行、緒形直人、勝地涼、國村隼、酒井若菜、佐藤浩市、佐野史郎、沢村一樹、志田未来、筒井道隆、柳葉敏郎


2011年3月11日、未曾有の大地震と巨大津波に襲われた岩手県釜石市。
混乱を極める中、廃校となった中学校の体育館が遺体安置所として使われることになった。続々と運び込まれてくる遺体。その数の多さと凄惨な状況に、市の職員も衝撃を受け、戸惑うばかりだった。
警察からの依頼を受け、遺体の検案・検歯を引き受けた地元の医師、歯科医とその助手の3人は、時折襲ってくる余震の中でいつ終わるともしれない検案・検歯を続けていく。つとめて冷静に職務にあたる彼らだったが、自分が受け持っていた患者や、親しかった友人や知人の遺体に接し、慟哭することも。
その遺体安置所を訪れた民生委員の相葉は、混乱の中で遺体が「物」のように扱われていることに衝撃を受ける。かつて葬儀の仕事に就き、遺体の扱いや遺族への対応を心得ている相葉は市長に嘆願し、安置所の世話役としてボランティアで働くことになった。
生きている人と同じように、尊厳を持った存在として遺体に接する相葉は、一体一体の遺体に優しく語りかけていく。それを目にした市職員たちは、はじめは戸惑いつつも遺体へ語りかけ、遺族たちを支えていくようになった。火葬場も停止し、遺体が増え続けていく中、相葉たちは一人でも多くの遺体を家族のもとへと帰すために懸命に働くのだった。
相葉の知人である僧侶は安置所を訪れ、ささやかながら設けられた祭壇を前に読経を始めた。あまりの惨状に声を詰まらせながらも読経を続ける僧侶。それを耳にして、居合わせていた相葉たちや、収容にあたっていた消防団員や警察官、そして遺族は自然と手を合わせるのだった。
やがて、葬儀社のはからいによって棺が用意され、遺体はそれに安置されていった。火葬場もようやく再開し、少しずつ遺体は見送られていった。
震災から2ヶ月後、遺体安置所は役目を終え、閉鎖された。しかし、遺体はその後も見つかり続けている•••。

原作となったのは、震災直後の釜石市に取材し、多くの方々の証言をもとに書き上げられた石井光太さんのルポルタージュ『遺体 震災、津波の果てに』(新潮社)。それをもとに、ドラマ『ずっとあなたが好きだった』(1992)『踊る大捜査線』シリーズ(1997~)などの脚本を手がけ、『誰も守ってくれない』(1998)などで映画監督業にも進出した君塚良一さんが監督と脚本を兼任し、釜石への現地取材を重ねた上で映画化を果たしました。
観ている途中から、ずっと涙を止めることができませんでした。
亡くなった娘の遺体からずっと離れようとしない母親。苦しい表情のままになっていた父親を、穏やかな表情にしてあげてほしいと相葉に懇願する息子。母親の遺体をきれいにしてあげたいと化粧を施す娘•••。
あの震災で奪われた数多くの命、そのひとつひとつがいかにかけがえのない存在だったのかを、映画に織り込まれたエピソードはしっかりと伝えるものになっていました。
同時に、自ら被災しながらも過酷な職務にあたった、市の職員をはじめとした人たちの心労と使命感にも思いをめぐらせました。
映画では勝地涼さんが演じていた若い市職員。住んでいたアパートを津波で流された上、親友の行方もわからない状況での遺体安置所の役目に耐えられなくなり、体育館の中にも入ろうとはしなくなりますが、やがて自らの使命を自覚し、遺体と遺族のために尽くすことになります。
この職員のように、自らも被災して辛い状況にありながらも、亡くなった方々とその家族、被災した人びとのために尽力された方々が、被災した地域には数多くおられたことと思います。そういった方々にも、ひたすら頭が下がる思いが湧きました。

驚かされたのは、想像していた以上に、遺体安置所における悲惨な状況をリアルに再現していたことでした。
おそらく、実際にはもっとひどい状況だったのだろうと察するのですが、それでもあえて、真正面から安置所で起きたことを商業映画の中で描いたことに、震災を風化させてはならないという作り手の真摯な姿勢を感じました。人情味あふれる民生委員を全身全霊で熱演した西田敏行さんをはじめとした俳優陣も、それに見事に応えていたと思います。
震災にかこつけ、ことさらに何事かを主張するようなことは一切せず、事実を伝えるための描写に徹したことで、本作は震災で亡くなった方々への真摯な鎮魂の思いが込められたものとなりました。そのことが、観ている我々にも深い思いをもたらせてくれたように感じました。

あらためて、本作を作り上げた君塚監督と、その思いに応えたキャストとスタッフに敬意を表したいと思います。
この映画が末長く多くの人たちに観られ、震災を後世へと語り継ぐための礎となっていくことを、願ってやみません。

『遺体 明日への十日間』は、宮崎では宮崎キネマ館にて5月3日まで上映予定です。


『SWITCHインタビュー 達人達』 ~異なる分野の達人の語り合いが生む面白さ

2013-04-28 17:26:28 | ドキュメンタリーのお噂
『SWITCHインタビュー 達人達』
毎週土曜日午後10:00~11:00、NHK・Eテレにて放送


今月から放送が始まった新番組『SWITCHインタビュー 達人達』。
異なる分野で活躍している「達人」2人が、途中から聞き手をスイッチ=交代しながら、互いの生き方や仕事の流儀について語り合うというトークドキュメント番組であります。
異なる世界に生きる人間同士の語り合いから、それぞれの世界を垣間見ることができるとともに、意外な共通点や響き合いなどが見られたりもして、なかなか興味深く面白い番組となっています。放送が始まって以降、けっこうハマって観続けております(といいつつ、昨夜放送されたアスリート・為末大さんと、移植外科医・加藤友朗さんの回は飲みに出かけていて観られませんでしたが•••)。
きょうの午後、第1回放送(初回放送は4月6日)となった格闘家・アントニオ猪木さんと心臓外科医・天野篤さんの回が再放送されました。お二方の話はけっこう面白かったので、あらためて再放送を観ました。

昨年、天皇陛下の心臓手術を執刀した天野篤さん。難易度の高い冠動脈バイパス手術を得意とし、年間400件、通算で6000件もの手術を手がけてきた「手術の鬼」です。
その天野さんが尊敬してやまないのがアントニオ猪木さん。猪木さんから贈られた「危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし」とのことばが、天野さんを支えているといいます。
プロレスと心臓手術、それぞれの分野で闘ってきた2人の男の語り合いには、あらためて心に響いてくるものがありました。•••こうして番組の内容を思い返していても、なんだかテンションが上がってきそうな気が(笑)。
天野さんは、自らが行ってきた手術を振り返りつつ、こう語ります。
「思いつきでうまくいったというのは認めない主義。物事がうまくいくときには根拠がある。高い再現性をもって、手術が完成していく」
猪木さんはこれまでの経験から、戦わずして勝敗がわかってくるようになった、と言います。
「人の試合を見ていても、どっちが勝つかよくわかる。顔を見ていればわかる。いくら意気がっていても隠している部分がある」

「信頼関係」をめぐるお二人のやりとりも興味深いものでした。天野さんは、患者の身体を傷つけることになる手術にあたっては、「患者になりきる力『患者力』が大事。医者と患者、お互いの率直な気持ちのやりとり」が、互いの信頼関係を築くことになる、と語ります。
それを受けた猪木さんは、1989年に旧ソ連のレスラーを招聘したときのことを語り出します。
猪木さんは、旧ソ連のレスラーたちに、プロレスで大事な“4つの柱”について話したといいます。それは「ケガをしないための受け身」「攻めの技術」「感性と表現力」そして「戦いを超えた信頼関係」だった、と。それは、旧ソ連のレスラーたちの気持ちをも動かした、といいます。

もっとも心に残ったのは、“一歩を踏み出す”ことの大切さをめぐる話でした。
天野さんは、自分ができることをやらなかったことで後悔することが怖い、といい、
「一歩を踏み出す勇気が、今ほど必要だと思えるときはない」
と語ります。
そして猪木さんは、これまでのレスラー人生や、興行やビジネスを通じての海外との結びつきを振り返りながら、こう言います。
「お客さんより意表を突く冒険心がなければ。猪木の常識=非常識」「一歩を踏み出そうという意識を持っていないと」
昨年観た『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、その生き方と哲学に深く魅せられた天野さんのことばにあらためて頷かされるとともに、猪木さんという方もなかなか興味深く面白い人だなあ、と認識を新たにしたのでした。

第2回(4月13日放送)は日産とルノーのCEOであるカルロス・ゴーンさんと、宇宙飛行士の山崎直子さんでした。
ともに異文化が混じり合う場で仕事をしているお二方。異文化コミュニケーションについての話で山崎さんが、
「文化が違うからこそ、言うべきことをちゃんと口に出さなければ」
と語ると、ゴーンさんは、
「共通の目標さえあれば、多様性は強みだ」
と言います。
さらにリーダーシップをめぐるやりとり。ゴーンさんはこう言います。
「(リーダーの下す決断は)チームにとって予想外の決断であってはならない」
そして、山崎さんはこう言います。
「誰が決定し、責任を持つのかを明確にしておくことが必要」

第3回(4月20日放送)は、『ジョジョの奇妙な冒険』で知られる漫画家・荒木飛呂彦さんと、作曲家・千住明さん。
キャラクターの詳細な“身上書”まで準備して、魅力的なキャラクターを創り上げていくという荒木さん。
「極端なことをいえば、いいキャラがいればストーリーもいらないし、絵も下手でいい」
と言います。
そして千住さん。父親から教わったという、「すいている電車に乗れ、というパイオニア精神」という話や、
「一番大切なのは、いろんな人たちから影響されること」
ということばが印象に残りました。

次回(5月4日)は構成作家・脚本家の小山薫堂さんと、アートディレクターの佐藤可士和さんの組み合わせ。どんな興味深いお話が聞けるのか、すごく楽しみであります。



NHKスペシャル『家で親を看取る その時あなたは』

2013-04-22 07:18:27 | ドキュメンタリーのお噂
NHKスペシャル『家で親を看取る その時あなたは』
初回放送=4月21日(日)午後9時00分~9時49分、NHK総合


超高齢化が進むわが国。病院で亡くなる人が8割にのぼる中、国は医療の効率化を促すとともに、最後を看取る場を病院から「家」へと転換する政策を進めています。しかし、在宅医療を支えるためのインフラやサービス、制度は、まだまだ十分に整えられているとはいえません。
番組は、人口に占める高齢者の割合が全国一という神奈川県横浜市で、愛する家族が最後を迎えようとしている中で戸惑い、苦悩する複数の家族の姿を記録しました。

85歳の父親と、84歳の母親を介護している女性。肺に疾患を抱えている父親は、容体が安定したとして今年1月に病院から退院、女性は実家でヘルパーの助けを借りながら父親の介護をしていました。
医療ソーシャルワーカーから、現在は国の方針として病院から在宅での看取りが進められていることを聞かされた女性。医療の心得がない中での看取りという話に「どうしたらいいか分からないですね。怖いです」と戸惑うのでした。
やはり肺を患っていた母親は入院中でした。母親が入院していた病院は、入院患者に占める75歳以上の高齢者が半数を超えるという中での病院経営に、患者の早期退院を迫らねばならないという苦渋の判断を強いられていました。
入院期間が長引くごとに診療報酬が減っていくという現在の仕組み。病院の院長は、「急過ぎる流れに、われわれ医療者も含めて戸惑っている」と語るのでした。
退院して帰宅したときには「ほっとする」と嬉しそうだった父親でしたが、やがて食べ物がのどを通りにくくなり、体力は落ちていく一方でした。
父親が絞り出すように言いました。
「生きてるっていうのは大変だよ。最近やっとそれがわかった」

自宅で94歳の母親を介護する女性。母親は脱水症状を起こして以来、食べることができなくなり、胃に穴を開けて栄養を供給する「胃ろう」を受けていました。
かつては社交的ではつらつとしていた母親が憧れだったという女性。しかし、今は意思の疎通もままならない母親の状態に苦悩を抱えていました。
「生かされているのが見るに耐えない。終わりがない苦しみ、どうにかしてあげたい」
女性は、診察に訪れた在宅医の男性に心情を吐露し、胃ろうの中止を願い出ました。
「楽にしてあげたい。首を締めようかと思った、一瞬」
女性の訴えを受けて、在宅医は医師仲間に相談をします。ガイドラインにより主治医の判断で胃ろうの中止はできるのですが、それは法的に定められたものではありませんでした。
「ガイドラインは結局は指標、指標は法じゃないから怖い」「はたして世の中は受け入れるのか」
家族や在宅医、ヘルパー事業者などを集めた話し合いが持たれました。そこでも、女性は苦しい胸の内を吐露します。
「人間のやる行為ではないとはわかっていても、私はそれをやらざるを得ない、見ていられない」
長きにわたり苦しい中での介護を続けていた女性の思いを受ける形で、胃ろうの中止が決まりました。しかし、胃ろうの中止を前にして、母親は風邪により亡くなりました。
女性がつらそうに振り返ります。
「私が早まったことをしないように、母が自分で引き際を考えてこうなったのでは•••」

両親の介護を続けていた女性。実家で介護していた父親の体力は落ちていく一方でした。
「自信はない部分もあるけど、何とかなる、何とかしたい」。看取りをする決心を固めた女性は、少しでも長く父親のそばにいたいと、実家に泊まり込んで介護を続けていました。
もし入院している母親が一時帰宅できたら会いたいか、と女性に問われた父親は、やっとの思いで会いたいと言い、続けてこう口にしたのです。
「看護••••••」
妻の身をずっと案じ続け、入院する前には自身で妻の看護をしていた父親は、今はそれをすることができないから•••というのです。
「そんなことを考えてるとは思わなかった•••」と言い、涙ぐむ女性。
その数時間後、父親は急に呼吸が弱くなり、そのまま息を引き取りました。
「(亡くなるとき)ありがとうって言ってくれたの。それだけでも嬉しい•••」という女性。それから1ヶ月後、入院していた母親も亡くなりました。
女性が振り返ります。
「両親をちゃんと見送ることができた充実感はあるけれど、本当にこれで良かったのかな、という思いもある」

できれば考えたくはないことなのですが、自分の親もいつかは最後の時を迎えることになります。その時、自分はどう考えて、どのような選択をすべきなのか。その時にならなければわかりませんし、想像することも難しいのですが、登場した家族それぞれの思いと苦悩は、切実なものとして伝わってきました。
その時を迎えるための心構えを、少しずつでも自分の中につくっていかなければならないのだろうな、という思いを持ちました。
同時に、看取りを病院から在宅へ、という国の方針転換は、あまりにも急過ぎるのではないか、という思いもしました。
昨今の医療をめぐる状況を考えれば、ある程度の合理化は止むを得ないことかもしれません。しかし急ぐべきは、在宅で家族を介護し、その最後を看取る人たちをサポートする制度や仕組みづくりなのではないか。そう強く思いました。
重い問いが心に残ったドキュメントでありました。


【読了本】『円谷プロ全怪獣図鑑』(円谷プロダクション監修、小学館) ~50年のイマジネーションを集大成

2013-04-16 22:37:34 | 本のお噂

『円谷プロ全怪獣図鑑』円谷プロダクション監修、小学館、2013年


1963年、特撮の父(もしくは神様)、円谷英二監督により創設され、今月12日で創立50周年を迎えた円谷プロダクション。ウルトラシリーズをはじめとした、職人的こだわりによる高いクオリティと、卓越したイマジネーションにより創り上げられた作品群を生み出し、日本特撮を代表するブランドであり続けています。
本書は、その円谷プロにより製作された『ウルトラQ』(1966年)から、最新作『ネオ・ウルトラQ』(2013年)に至る作品群に登場した、怪獣や怪人、宇宙人、ロボット、そしてヒーローといったキャラクターを一堂に集めた、大人のための図鑑です。

収録されているのは2500体以上。それらを作品ごとにオールカラーによる写真(モノクロ作品の『ウルトラQ』などを除く)と、身長・体重や特徴などをコンパクトにまとめたデータにより紹介しています。また、別形態や使用した円盤があるキャラクターについては、それらサブ情報もしっかり写真で紹介されています(写真はかなり小さいのですが)。補足情報をフォローした囲みコラムも多数設けられていて、なかなかの充実ぶりであります。
特筆すべきは、ウルトラシリーズ以外の作品に登場したキャラクターも、ほぼ完璧な形で網羅していること。
『ミラーマン』や『ジャンボーグA』『電光超人グリッドマン』などの巨大ヒーローもの。『トリプルファイター』や『プロレスの星 アステカイザー』といった等身大ヒーローもの。『快獣ブースカ』や『チビラくん』といったコメディもの。『怪奇大作戦』などの怪奇もの。『猿の軍団』や『スターウルフ』などのSFもの、等々。
ウルトラシリーズに登場したキャラクターは、これまでも様々な出版物で取り上げられてきましたが、それ以外の作品群のキャラクターについては、取り上げられる機会がなかなかありませんでした。それだけに、それら不遇なキャラクターたちにも光が当てられたことは、特撮好きにとっては誠に嬉しいことであります。
怪獣コメディ『チビラくん』のページでは、レギュラーのキャラはもちろん、ゲストキャラの面々までしっかり写真で網羅(ウルトラシリーズに登場した怪獣たちが形を変えて出てきていたり)。SFもの『猿の軍団』の猿キャラや『スターウルフ』の宇宙人キャラといった、どマイナーな面々もかなりフォローされていて、その徹底ぶりには感服いたしました。
驚いたのは、1970年代に円谷プロが手がけた、ナショナル掃除機「隼」のCM(掃除機をキャラクター化した巨大ヒーローとゴミ怪獣が戦うという内容)も、場面写真とともに紹介されていたこと。このCMはまったく知らなかったので、個人的には嬉しいサプライズでありました。

ウルトラシリーズのほうも、テレビや映画、オリジナルビデオはもちろんのこと、本シリーズから派生したミニ番組やアニメ作品、怪獣人形劇に登場したキャラクターもとことん網羅。さらには、イベントやステージショーのみに登場したキャラまで紹介されていて、こちらの徹底ぶりにも目を見張りました。
バルタン星人やゴモラ、ゼットン、レッドキングなどといったお馴染みのキャラにも、実にいろいろなバリエーションが。バルタン星人については、怪獣格闘ミニ番組『ウルトラファイト』に登場した、手がハサミではないヤツ(しかも木の棒を持って戦ったという)までが証拠写真つきで紹介されていて、ちょっと笑いました。

さすがにわたくしも全ての作品を観ているわけではないので、本図鑑で初めて知ったキャラも数多くあり、なかなか楽しめました。
通読してみて、1体1体の怪獣たちのデザインや設定の多彩さと、そこから生み出されるキャラクター性の強さを、あらためて感じました。
人類やヒーローに敵対する存在でありながら、ある意味ではヒーロー以上に愛され、親しまれ、観た者の心にずっと残り続ける怪獣や宇宙人たち。
怪獣たちを単なる化け物扱いにはせず、愛すべき存在として世に送り出した円谷英二監督の思いは、時代の移り変わりの中で形を変えながらも受け継がれているのだろうな、と思います。だからこそ、円谷プロの怪獣たちは長きにわたり多くの人びとに、世代を超えて愛される存在となり得ているのでしょうね。
同時にこの図鑑は、円谷プロが50年にわたって創造してきた空想・ファンタスティック系作品の総覧でもあります。日本におけるこのジャンルに、豊かなイマジネーションや実験的な試みで彩りを与えてきたその功績にも、あらためて思いをめぐらせました。
特撮好き座右の書として、末長く大事にしていきたい図鑑であります。