読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

閑古堂の酔眼亭日乗、八月四日及八月五日

2014-08-06 23:54:19 | 美味しいお酒と食べもの、そして食文化本のお噂
八月四日。陰一時雨。二日前の土曜日に開催が予定されるも、台風の影響による雨で順延となっていた宮崎市の納涼花火大会がようやく開催の運びとなれり。午後、一時雨が降るも夕刻にはやみ、無事開催に至ったことは喜ばしいことなりけり。
会場となった市中心部を流れる大淀川河川敷の周辺では露店が軒を並べ、平日夜にもかかわらず多くの人で賑わいし。
露店の一軒で地鶏炭火焼を購い、「盆地男」と「かあちゃん」と落ち合う。この日は1歳半になる「かあちゃん」の孫とその母も一緒なり。
会場とは川を挟んだ対岸の堤防上にて缶ビールを開け、「かあちゃん」が用意した唐揚や冷奴、サラダなどの酒肴、それに余が購いし地鶏炭火焼を広げて酒盛りを始める。それとともに花火の打ち上げが盛大に始まれり。





ほぼ真下にて眺める花火の華麗さと、臓腑に響く炸裂音の迫力に、余も思わず小児の如く歓声を挙げし。今回初めて花火を間近に見物したという「かあちゃん」の孫は大きな炸裂音に驚いた様子なれど、それでも時々ちらと花火を覗こうとする仕草が実に愛らしいものあり。
見物客の歓声に包まれる中、一時間後に花火大会は終了となれり。周囲を見渡せば、酒盛りをしながら見物していたのはただ我々の一団のみ。よくよく野外での飲食が好きな己が一団の習性を顧みて思わず苦笑せり。其の後は堤防の近くにある「かあちゃん」の自宅に移り、焼酎を飲みながら歓談せり。
「盆地男」も「かあちゃん」も、同じ職場に勤めし頃から数えるにもう20年近く、何かにつけて親しくしてくれる無二の存在なり。余はこの二人との知遇を得しことを改めて喜ぶなり。


八月五日。陰一時雨。前日同様、湿度の高き空気に包まれた蒸し暑さに閉口せり。
仕事を終え、百貨店にて知人への中元を選んだのち帰宅。すると、もう十数年の付き合いになる別の知人から余に宛てた中元あり。開けて見るに山形県の日本酒「出羽桜」の吟醸酒と、同じく山形産で牛蒡を牛肉で巻いて煮付けた酒肴「八幡巻」との組み合わせ。早速晩酌で味えり。

「出羽桜」吟醸酒は、清涼なる芳香と風味が実に暑気払いに最適な佳吟なり。「八幡巻」も牛蒡の中まで染みた味が格別で酒を進ませし。
贈り主の知人も、何かにつけて世話になっている好人物なりし。余はつくづく、人に恵まれているということを喜ぶばかりなり。

【閑古堂アーカイブス】この時期に読みなおす、2冊の原爆記録写真集

2014-08-06 21:36:15 | 本のお噂
きょう8月6日は広島原爆の日。そして3日後の9日は長崎原爆の日です。あの悲劇から、もう69年の歳月が流れました。
この時期になると、必ずといっていいほど読みなおす2冊の原爆記録写真集があります。一冊は『原子爆弾の記録 広島・長崎』です。

『原子爆弾の記録 広島・長崎』
子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会・平和博物館を創る会=編、平和のアトリエ、1984年

1970年代後半から80年代にかけて、原爆関連の写真や絵画を収集するとともに、アメリカの国立公文書館や国防総省に眠っていた記録写真やフィルムを発掘し、それらをもとにした原爆記録映画を製作・上映する「10フィート運動」を展開していた団体により編纂、発行されたのが、この写真集です(ちなみに「10フィート運動」により、3本の原爆記録映画が製作・上映されました)。1978年に発行され、何度か版を重ねたのち、1984年に装いを新たに刊行されて以来のロングセラーとなっております。
本写真集の特長は、なんといってもその網羅性の広さにあるでしょう。
当時中国新聞のカメラマンであった松重美人氏によって撮影された、8月6日当日の広島市内の状況を捉えた数少ない写真をはじめ、陸軍報道班員として原爆投下翌日の長崎市内の惨状をつぶさに記録した山端庸介氏の写真群、さらには戦後になって丹念に記録された広島・長崎両市の破壊の状況など、原爆による被害の実態を記録した重要な写真のほとんどが、この写真集に収められているといってもいいでしょう。
また、被爆した方々の手によって描かれた絵画の数々も、すべてカラーで収録されています(おそらくそのほとんどは、1970年代半ばに描かれ、収集されたものと思われます)。さらに、山端庸介氏とともに原爆投下翌日の長崎を記録した山田栄二氏によるスケッチも収められています。
写真や映像のほとんどが、原爆投下後いくらかの日時が経ってからの(それも可視化された範囲のみの)記録であるのに比べ、それらが記録し得なかった被爆当日の生々しい状況を描いた絵画の数々は、原爆がもたらした恐ろしい惨状を我々に強く訴えかけてくるものがあります。
税込みで9000円を超える大判の写真集ですが、原爆による被害の全体像をしっかりと伝えてくれる得難い写真集だと思います。
ちなみにわたくしは、この写真集を20数年前に広島の原爆資料館に併設されている売店にて購入いたしました。帰りの荷物が若干重くはなったものの、やはり買っておいてよかったと思っております。
なお、1980年には本写真集の姉妹編ともいえる『原子爆弾の記録 ヒロシマ・ナガサキ』が刊行されております。日本人により撮影された写真や絵画をまとめた『広島・長崎 原子爆弾の記録』とは対照的に、こちらは戦後に米軍によって記録された写真を中心に編纂されたものです。

『原子爆弾の記録 ヒロシマ・ナガサキ』
子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会=編、三省堂、1980年

徹頭徹尾、調査と記録のために撮影された写真群から、その破壊の大きさが伝わってくるものとなっていますが、こちらのほうはすでに品切れとなっているのが残念です。

もう一冊、この時期に読みなおす原爆記録写真集は『写真集 原爆をみつめる』です。

『写真集 原爆をみつめる 1945年 広島・長崎』
飯島宗一・相原秀次=編、岩波書店、1981年

こちらは、先に触れた松重美人氏や山端庸介氏の写真を含め、23人の日本人カメラマンによる記録写真300枚を収録した写真集です。
本書の特長は記録性・資料性の高さでしょう。収録された写真のすべての撮影地点が地図上に示されるとともに、撮影したカメラマンたちの証言も豊富に織り込まれていることで、撮影された当時の状況をカメラマンたちの視点から辿ることができます。そのことで、原爆による被害の実態がリアルに伝わってきます。
解説文には、被爆した人びとによる手記や記録も適宜引用されていますが、総じて記述は客観的に被害の状況を伝えることに徹していて、写真に添えられたキャプションも簡潔です。そのことが、記録としての本書の価値を高めているように思います。
残念ながら、本書は現在品切れとなっております。版元には、可能な限り入手できるようにしていただけたらと願いたいところです。

これらの写真集には、正視することが辛い写真も多数収められております。ですが、原爆投下から69年の歳月が流れ、被爆した方々の高齢化が進む現状を思うと、おりに触れてこれらの記録に接することの重要性は、これからさらに増していくのではないかと思います。
機会があれば、ぜひこれらの記録写真集をお手にとってご覧になっていただけたら、と願います。