読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

旅行に行けなかった憂さとウップンがいくらか晴れた、日南市への日帰りプチ旅行(後篇)

2020-09-22 21:57:00 | 旅のお噂
飫肥城内の散策は続いておりました。
飫肥城の本丸があった場所をあとにして、次に入ってみたのが「松尾の丸」でした。身分の高かった武将が住んでいたという武家屋敷を再現したものだそうですが、建物を説明する文に「全国各地に残る資料を参考に建てられた」とあり、飫肥にあった屋敷を忠実に復元した、というわけではなさそうでした。とはいえ、室内をみて歩くと当時の武家の暮らしぶりが想像されて、なかなか楽しいものがありました。
広々とした一室には、昔の飫肥藩が参勤交代の時に利用していたという「川御座船」の大きな模型が設えられておりました。凝ったつくりに豪壮さが窺えます。

そしてもうひとつの見ものが、当時の人びとが入っていた「蒸し風呂」の複製です。外のかまどに薪をくべ、熱した水から生じる蒸気を湯殿で受けるという、今でいうサウナであります。この複製が見られるのは九州ではここだけだとか。屋根がちゃんと、昔の共同浴場の屋根にも見られた唐破風づくりなのが面白かったりいたしますな。
「蒸し風呂」の入りごこち、はたしてどんなもんだったんでしょうかねえ。






飫肥城内で最後に入ったのは「飫肥城歴史資料館」。飫肥城の初代藩主・伊東祐兵(すけたけ)が着用していた甲冑をはじめ、飫肥藩の版図を示した地図など、飫肥藩と伊東家の歴史を物語るさまざまな史料が展示されています。

ここには、古い町並みを活かした飫肥の町づくりの過程を説明したパネルも掲示されておりました。それによると、昭和49年に市民ぐるみによる飫肥城の復元事業にとりかかった日南市は、同時に市議会において「文化財保存都市宣言」を行うとともに、高山市、倉敷市、南木曽町といった町並み保存の先進自治体と「町並み保存に関する要望書」を国に提出。それが3年後に九州で最初となる「重要伝統的建造物群保存地区」の指定へと繋がっていったとか。
この過程を初めて知ったわたしは、風情ある町の景観を守ってきた日南市の取り組みに敬意を抱くとともに、大好きな町のひとつである倉敷と、ここ日南とが結びついていたことにも嬉しい気持ちがいたしました。

飫肥城から外に出てみると、町はいつのまにか観光客で賑わいを見せておりました。家族連れや友人同士と思われる小グループが道を行き交い、車もけっこう走ったりしています。ナンバーを見ると地元宮崎のみならず、福岡や熊本といった近県からのものもチラホラ。
コロナ騒動からこのかた、宮崎を含めた全国各地の観光地はどこも大きな打撃を受けてしまい、宿泊施設や土産物屋さん、飲食店などが休業、さらには廃業へと追い込まれているという状況に、気持ちが痛む日々が続いておりました。それだけに、この日の飫肥の賑わいには嬉しくなりました。
これから日本全体が正気と正常さを取り戻し、みんなが気兼ねなく旅やレジャーを楽しめるようになることで、飫肥をはじめとする各地の観光地も賑わいを取り戻すことができるよう、心から願わずにはいられません。

そうこうするうちにお昼の時間帯。美味しい昼食をいただくときがやってまいりました。何軒かあった食事処の中から「武家屋敷 伊東邸」に入りました。

その名のとおり、武家屋敷の立ち並ぶ中にあるお店。建物自体、かつて武家屋敷だったものを改装しているとのことですが、中に入るとジャズが流れていてモダンな雰囲気。
わたしがこの日最初の入店客だったようで、一人客にもかかわらず4人がけの広いテーブルに通していただきました。恐縮しつつそこに座ると、大きな窓から庭が眺められていい感じであります。
宮崎牛やチキン南蛮、椎茸をトッピングしたカレーなど、美味しそうなメニューが並ぶ中から、「生まぐろ丼まぶし」を瓶ビールとともに注文しました。近くの油津港で水揚げされたまぐろを、刺身とまぐろ丼、そして茶漬けという三つの食べ方で味わうという料理です。





まずはお刺身。しっかり脂ののった切り身を口に運ぶと、とろけるような旨味がいっぱいに広がって格別の美味さ。これは絶好のビールのお供になりました。
お次はまぐろ丼。ごはんの上にまぐろの切り身をのっけて、その上に刻み海苔やネギ、わさびといった薬味、さらに生卵を重ねて、特製のタレをかけてかっこみます。まぐろの旨味と薬味、卵、そしてタレが渾然一体となった味わいは、もう感動ものでありました。
そして最後に、熱い出し汁をかけてお茶漬けに。出汁に溶け出したまぐろの脂が染みこんだごはんがまた、いうことなしの美味しさ。ここのところ、ごはんを食べる量を減らしているわたしですが、久しぶりにごはんをたくさんいただきました。食べ終わった食器を片づけに来られた給仕の女性に、こんなにごはんをたくさん食べたのは久しぶりですよ、と申し上げると「そう言っていただけるとこちらも嬉しいです」とおっしゃいました。
食後の口直しに、ご当地産「日南レモン」を使ったレモンソーダを。爽快な酸味が、五臓六腑をスッキリさせてくれました。
日南の美味しさをたっぷりと味わうことができて、大満足の昼食となりました。このお店もまた来たいなあ。


お腹を満たしたあと、再び町を散策。明治日本の外交の舵取りに尽力したご当地出身の傑物、小村寿太郎の生家を訪ねました。

もともとは別の場所にあった建物を、平成16年に飫肥城の隣に復元したものです。実際に見ると、想像していた以上に質素でこじんまりとしていることに、軽く驚きを覚えました。このこじんまりとした家から、あれだけの偉大なる功績を残した人物が生まれたのか・・・と。
ちなみに、もともとこの家が立っていた小村侯生誕の地はここからすぐ近くにあり、東郷平八郎の筆になる碑文が刻まれた、大きな石碑が立っております。


続いて、小村侯の残した事績を顕彰するとともに、現地における国際交流の拠点ともなっている「国際交流センター 小村記念館」へ。
ここには、日露戦争におけるポーツマス条約の調印や、不平等条約の改定などといった、小村侯の功績を伝える資料が多数展示されています。ポーツマス条約調印に関するコーナーには、当時の調印の席で使われたテーブルの複製も。

ここの入り口には、小村侯の実物大パネルが立っているのですが、156センチというその小柄なことに、また驚かされました。かくも小さな体軀の小村侯が、難しい時期の日本外交の舵取りを担い、大きな功績を歴史に残したということに、感慨深いものを覚えました。
そんな小村侯が大事にしていた価値観が「誠」。館内には、小村侯が青少年に向けて行ったスピーチの一節が掲示されていました。

         私が学生に望むことは「誠」である。
       私が人よりすぐれたところがあるとは思わない。
         もし私に万が一長所があるとすれば
         それは「誠」の一字につきると思う。

人と人との関わりあいにおいても、そして国と国との関わりあいにおいても、「誠」の姿勢を大事にすることが必要なのだ・・・小村侯の遺したメッセージは、現代に生きるわれわれが改めて噛みしめるべきことであるように、思われてなりませんでした。

小村記念館を見学したあと、本町通りにある「商家資料館」へ。明治3(1870)年に建てられた白漆喰壁の土蔵を移築復元し、当時使われていた秤などの商売道具や、昔の写真機、幻灯機などを展示しています。城下町であり商都でもあった、飫肥の生活文化の一端を知ることができました。




飫肥の歴史散歩を満喫したわたしは、海側にある港町、油津へと足を伸ばすことにしました。油津はかなり前に行った記憶はあるのですが、まだじっくりと歩いたことがなかったので、油津にも立ち寄っておきたいと思っていたのです。
タクシーに乗ること15分ほど、油津の中心部に降り立ったわたしがまず向かったのは、堀川運河でした。飫肥藩の第五代藩主・伊東祐実(すけざね)により、貞享3(1686)年に開削された堀川運河は、名産である飫肥杉の積み出しなどに利用され続けられましたが、戦後に入ると埋め立てが取り沙汰されることに。しかし、市民有志による保存運動が功を奏し、運河はかつての石積み護岸を残す形で保存され、油津を象徴する名所となりました。渥美清さん主演、山田洋次監督の「寅さん」シリーズ第45作目である『男はつらいよ 寅次郎の青春』(1992年)の舞台として、堀川運河が映し出されていたのをご記憶の方もおられましょう。


運河にかかる石造りの「堀川橋」を望む風景、そしてその堀川橋の上から眺める運河沿いの風景は、ノスタルジックな気持ちを掻き立ててくれます。飫肥が江戸の歴史を体感できる町なのに対し、油津は大正から昭和にかけてのノスタルジーを感じる町、でありましょうか。
堀川橋からほど近い住宅地にも、大正から昭和にかけてのノスタルジーを感じさせる古い建物がいくつか残っていました。大正10年に倉庫として建てられ、文化庁の登録文化財に指定されている「油津赤レンガ館」。かつては宿泊客で賑わっていたという旅館だった建物。昭和初期に建てられたという病院だった建物・・・。
そんな貴重な建物の数々が、地元の人たちの生活感が息づく住宅地の中で、静かに時を重ねているというのが、なんだかいいなあと思いました。






ノスタルジックな雰囲気が漂う油津はまた、セリーグの広島東洋カープのキャンプ地でもあります。
油津駅の外観は思いっきりカープ仕様ですし、待合室の中もカープ一色。また、油津の中心にあるアーケード街の中には、カープファンの交流拠点と思われる「油津カープ館」があるほか、アーケード街からキャンプ地である天福球場へと至る道は赤く塗られていて、「カープ一本道」と名付けられている、といった具合。カープファンの皆さまはぜひ、油津へとお越しになってみてはいかがでありましょうか。






そうそう。アーケード街のあたりは呑み屋街でもあるようで、居酒屋やスナックの看板もたくさん目につきました。日中は飫肥で歴史散歩を楽しんで、夜は油津に宿をとって呑み歩きを楽しむ・・・そんなプランも良さそうだなあ。

こうして、飫肥から油津に至る日南プチ旅行は終わりました。日帰りではありましたが、思っていた以上に楽しく、充実したものとなって満足でした。
今回のプチ旅行で、たとえ地元の近場であっても、ふだんは足を運ばないエリアをじっくりと歩くことで、けっこう旅気分が味わえるもんだなあ、ということを実感することができました。おかげで、遠くに出かけられなかったここ半年ちょっとの憂さとウップンが、いくらかは晴れました。これからもときどき、日帰りのプチ旅行の機会をつくってみようかなあ、と思っております。
ですがそのことで、遠くへの旅の機会をなくしてしまうというのも、やっぱりイヤであります。そのうちまた、遠くの地へと旅してみたい・・・そうも思うのです。

旅行に行けなかった憂さとウップンがいくらか晴れた、日南市への日帰りプチ旅行(前篇)

2020-09-21 23:23:00 | 旅のお噂
旅好き人間の端くれであるわたしにとって、ここ半年あまりは本当にフラストレーションが溜まりまくりでした。「新型コロナウイルス感染拡大防止」という大義名分のもと、他県への移動が制限されたことに加え、制限が解除になったあとになってもなお、コロナへの過剰な警戒心や怯えから、旅行やレジャーを楽しむこと自体が「罪悪」やら「キケンな行為」やらであるかのようにみなされる風潮が、いまだに根強くあったりするのですから。まことにいまいましい限りであります。
そんなわけで、当初は5月のゴールデンウィークだった予定を延期して、9月の連休に予定していた熊本への旅行は、再度延期という決断をいたしました。もう本当に残念ですし、悔しくてなりません。
とはいえ、連休中どこにも出かけないままというのも実につまらないことですので、せめてもの憂さ晴らしに近場まで日帰りのお出かけをやろうと思い立ちました。そんなわけで、9月21日(月曜)に宮崎県南部の日南市へと、日帰りプチ旅行に行ってまいりました。今回はそのプチ旅行のお噂を、2回に分けてご報告することにいたします。

当日の朝、早起きして窓の外を見るとけっこう濃い霧が。わたしは身支度を整え、配車してもらったタクシーに乗り込むと、濃い霧を突っ切って宮崎駅へと向かいました。そして午前6時40分過ぎ、日南線の普通列車で日南へと出発いたしました。
たとえ目的地が近場であっても、鉄道での旅の始まりというのはやはりワクワクするもの。わたしはホッとひと息つくと、駅構内のコンビニで買った缶ビールを、朝食がわりのハムカツサンドとともにグビリと飲んだのであります。・・・もうコレは、鉄道旅をはじめるにあたっての〝儀式〟みたいなもんで(笑)。
宮崎市南部の青島を過ぎたあたりから、窓の外に海の景色が見えてきて、いやがおうにも気分が高まります。

・・・ところがそれは長くは続かず、線路は内陸のほうへと入っていき、あまつさえ途中には長〜いトンネルまであったりして、海の風景はあまり見えなかったのであります。そう、日南海岸沿いは平地が少ないこともあって、日南線も内陸やトンネルを走り抜ける距離が長かったりするのです。実は日南線に乗るのが今回初めてで、乗る前までずっと「日南線=海」という勝手なイメージをもっていたわたしは、ちょっと拍子抜けでありました。
そんなわたしのマヌケな気持ちには関係なく列車は進み、宮崎駅を出発してから1時間20分ほどで日南市の飫肥駅に到着。そこから徒歩で飫肥の中心部に向かいました。



「九州の小京都」とよばれる町のひとつである飫肥は、かつて島津氏ともあい争っていた伊東氏が所領していた飫肥城のもとに築かれた城下町です。町には、城下町の歴史を物語る建物や石垣が多く残されていて、昭和52(1977)年には九州で初めて、国から「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されました。
広々とした国道222号線沿いの本町通りに入ると、往時を偲ばせる建物が目についてきました。


そして、本町通りから一歩奥の通りに入り込むと、そこには歴史を感じさせる石垣と建物が、細い道に沿って並んでいました。同じ宮崎に住みながら、これまで一度も飫肥を訪れたことがなかったわたしは、静かな風情を漂わせたその風景にたちまち魅せられました。もっと早く、ここを訪れておけばよかったなあ・・・そう思いました。



武家屋敷と石垣が立ち並ぶ細い道の脇には水路があって、そこには色鮮やかな錦鯉が泳いでいました。錦鯉もきれいなのですが、流れる水が澄みきっていることにも、目を見張らされました。
水面を覗き込むと、鯉たちがいかにもエサをねだるかのように口をパクパクさせながら集まってきたりして、可愛いのであります。なにかエサでもあげたくなるのですが、ここでは勝手にエサをやったりするのは一切ご法度。でも、そんな鯉たちの様子を眺めているだけで、気持ちが和みました。
やっぱりこの町に来てよかった・・・そんな思いがじわじわと、気持ちを満たしていくのを感じました。


飫肥の名物として名高いのが、厚焼き卵。SNSで飫肥に行くと言ったところ、TwitterとFacebookそれぞれの友だちから「ぜひ厚焼き卵を食べてみて」とのおススメがあったりしたので、まずはそれを賞味してみることに。わたしは、Twitter友だちから教えていただいていた本町通り沿いの厚焼き卵店「おびの茶屋」さんに入り、冷たい緑茶とともに焼きたての厚焼き卵を賞味いたしました。





炭火で1時間、じっくりと焼き上げてつくられる厚焼き卵。とろけるような口当たりは、まるでプリンのよう。そこから、卵のしっかりした味わいが口いっぱいに広がってきます。この美味しさにはすっかりやられました。
これはほんとプリンみたいな美味しさですね!と言うと、卵を焼いていた店主の男性は、「そうなんですよ、これは焼きたてよりも、冷やしてデザートみたいにして食べるともっと美味しいんですよ」とおっしゃいました。なるほど、確かにこれは冷やしていただくと、さらに違った美味しさになるのではないかと思えました。
小さいながらもよく知られているお店のようで、店内にはお店を取り上げた新聞記事などのコピーが貼られておりました。店内で賞味していると、近所にお住まいとおぼしきおばあちゃんが入ってきて、一包み買っていかれました。地元の皆さんにも親しまれているようです。
「今はもう、炭火でやっているのはウチだけになっちゃいましたね。でも、ウチはやっぱりこれでいきたいなと」と店主さん。そんな愚直なこだわりが、厚焼き卵の美味しさを一層高めているのではないかと、わたしには思えました。
すごく美味しかったです、また来ます!・・・店主さんにそう言って、わたしはお店をあとにいたしました。ほんと、ここはまた必ず立ち寄ろうと思っております。・・・というか、お土産に一包み買って帰ればよかったなあ・・・(激しく後悔中)。

厚焼き卵で散歩じたくを済ませたわたしは、いよいよ飫肥城址へと向かいました。

大手門前で入場券を購入すると、まずは城の外にある「豫章館」(よしょうかん)へ。廃藩置県により城に住めなくなった、旧藩主の伊東家が移り住んだ屋敷です。城を追い出されてやむを得ず移り住んだ屋敷とはいえ、ご当地産の銘木・飫肥杉を使って建てられた建物はなかなか立派な造りになっていて、庭も広々としております。





そしていよいよ大手門をくぐって城内へ。少し奥に進むと「しあわせ杉」と記された案内板が見えました。なんでも、4本の杉がつくる対角線の中心に立つと「幸せパワーがもらえる」んだそうな。ならば・・・と大体の見当をつけて、その中心に立ってみました。これで少しは運が良くなる・・・でしょうか。

そこからさらに奥に進むと、なにやら子どもたちの元気な声が。そのほうに目を向けると、城内にある飫肥小学校のグラウンドで、少年野球チームが練習に励んでおりました。そのさらに奥のほう、小高くなっている場所が、飫肥城の本丸があった場所です。
そこはいま、樹齢100年を越えるという杉の木が高々と聳える森になっています。その中に立つと、なんだかふっと気持ちが落ち着きました。

深閑とした杉林の中から、歴史をつくった者たちの息吹きが、子どもたちの元気な声に混じってかすかに感じられた・・・ように思えました。

(つづく)

『本よむ幸せ』 書名どおりの〝本よむ幸せ〟がたっぷり伝わる、福原義春さんの極上ブックレビュー

2020-09-19 22:44:00 | 「本」についての本

『本よむ幸せ』
福原義春著、求龍堂、2013年


大手化粧品メーカー・資生堂の名誉会長であり、経済人きっての読書家であり文化人でもある福原義春さんが、これまでに読んできた多くの本の中から103冊を選び、それぞれの読みどころを滋味たっぷりの語り口で綴った一冊です。
本書を読もうと思ったきっかけは、松岡正剛さんのブックナビゲーションサイト「千夜千冊」をもとに編集された『千夜千冊エディション 感ビジネス』(角川ソフィア文庫)に収録されていた、福原さんの著書『猫と小石とディアギレフ』(集英社)の紹介を読んだことでした。
この本には、福原さんが選んだ100冊の本が記録されているそうで、松岡さんがそれについて「こんな一〇〇冊を選べる企業人は、いや文化人は、いま日本に福原さんたった一人ではあるまいか」とまで述べているのを読み、是非ともそのラインナップが知りたいと思ったのですが、残念なことに『猫と小石と〜』は現在品切れ。そこで、代わりに何かないだろうかと著者検索して見つけたのが『本よむ幸せ』だった・・・というわけです。

『本よむ幸せ』でまず目を見張らされるのは、取り上げられた書物のジャンルの幅広さです。
カエサル『ガリア戦記』や司馬遷『史記』、鴨長明『方丈記』といった古典から、ジャック・ヒギンズ『鷲は舞い降りた』やアガサ・クリスティ『オリエント急行の殺人』などの冒険ものやミステリー、野村胡堂『銭形平次捕物控』などの時代小説、ジョージ・ガモフ『生命の国のトムキンス』などの自然科学書、ロラン・バルト『表徴の帝国』などの思想書、フィリップ・コトラー『非営利組織のマーケティング戦略』などのビジネス系の本、さらには馬場のぼるのロングセラー絵本『11ぴきのねこ』・・・。
さらに、小林信彦『ちはやぶる奥の細道』のような軽妙なパロディ小説や、映画の名セリフをイラストとともに紹介している和田誠『お楽しみはこれからだ』や、実在した飛行機の失敗作と失敗の原因を挙げていく、岡部ださく『世界の駄っ作機』といった楽しく読める本も何冊か選ばれていて、なんだか嬉しいものがありました。バラエティに富んだラインナップを眺めているだけでも、福原さんが偏りのない旺盛な好奇心の持ち主であるということが伝わってきます。
幅広いジャンルの本を読んでいることについて、福原さんは本書に収められているインタビューで、このように語っておられます。

「ぼくは本というのは、さあ読みましょうと言って難しい本ばかりを選んで読むのではなくて、ウフフと笑える本も楽しむべきじゃないかなと思うのです。同時に、難しくても大事だと思えば、逃げないで読んだほうがいいと思う。バランスを取ることは大切ですね。
例えば食べ物でも、おいしいからってスナック菓子ばかり食べていたら骨ができないし、好き嫌いを言っていたらちゃんとした体にならない。頭、つまり知能だって同じだと思います。だからたまには噛み切れないと思ってもあえて固いものを食べてみるとか、苦手でもちょっと頑張って試してみると、案外身につくものだと思うのです」

面白おかしい本ばかり読むのもいささか物足りないことではありますが、かといって難しい本ばかり読んでいるというのも、バランスが良くないことではそう変わりはありません。まして、特定の考え方に偏った本ばかりを読むことは、バランスが良くないどころか有害ですらあるでしょう。
幅広くいろいろなジャンルの本を楽しみながら、さまざまに異なる価値観や考え方に接することはとても大事だと思いますので、福原さんの読書観にはとても共感できますし、見習わなければならないなあとも思うのです。

ジャンルの幅広さに加え、本のチョイスにも並々ならぬこだわりが感じられます。ファーブルの本では、誰もが頭に浮かべる『昆虫記』ではなく『植物記』のほうを取り上げておりますし、いまも多くのビジネスマンに愛読されているドラッカーの本では、よく知られている『マネジメント』などではなく、ダイエー創業者である中内㓛との往復書簡集である『挑戦の時』『創生の時』をチョイスしています。こういうあたりにも、「ううむさすがだなあ」と唸らされます。

選りすぐられた103冊のラインナップにも目を見張りますが、その一冊一冊の読みどころを掬いとりつつ展開される福原さんの語り口が、また実に魅力的なのです。
「全ての遊びは人間の文化の源泉である。或いは文化の目的が究極の遊びであるのかも知れない」と語るのはバスの中での出来事を、99通りの異なる表現で書き分けるレーモン・クノーの『文体練習』の項。
今道友信の哲学論『今道友信 わが哲学を語る』の項では、「哲学は決して高踏で難解なものではなく、身近に入口がいくらでもあり、そこからゆっくりと入って、怠ることなく魂の世話と、手入れをすることなのである」と、ついつい構えがちになる哲学との付き合いかたを説きます。
さらに、植物の遺伝の法則を述べたメンデル『雑種植物の研究』の項では、「自然科学に限らず、現場-フィールド-のデータを正しく把握し、そこに理論の裏づけを当てはめることこそ肝要なのであって、その一つの典型がここにある」と、正しいデータの把握がいかに大切なのかを述べます。そして岡倉覚三『茶の本』の項では、「この時代の人々は江戸の時代に漢学、和の学を学び、そして英語を完全にマスターしていたので、今の時代の「英語屋」とは出来が違う」と痛言するのです。これらのことばからは、それぞれの分野に関するしっかりした識見に裏打ちされた真の教養が感じられ、そのことにもまた唸らされるのです。

実に幅広い分野へ興味と関心を向ける、福原さんのバックボーンが垣間見えるのが、西脇順三郎のシュールレアリスム詩集『第三の神話』の項です。西脇さんから進呈された『第三の神話』に大きな驚きを受けたという福原さんは、「異質の文化や異種の分野を私なりの価値観でまとめることが多いのは、もしかするとシュールレアリスムのショックの影響があるのかも知れない」と語り、こう続けます。

「シュールレアリスムの文学でも絵画でも、全く無関係なものが作品の中に散らばっているようだが、作者の美意識によって統一されて一つの作品となった時に、突然その完成度が高まるのだ」

さまざまな分野に目を向け、それらから吸収したことを組み合わせて活かしていくという福原さんの根っこに、シュールレアリスムがあるということは興味深いものでした。なるほど、一見難解なように思えるシュールレアリスム作品も、異質な文化を作者の価値観によって合わせることで生まれる化学反応として捉えると、なかなか面白いかもしれないなあ。

本書によって初めてその存在を知り、大いに興味を喚起させられた書物もいろいろありました。
その一冊がローレンス・J・ピーターほか『ピーターの法則 創造的無能のすすめ』。ある階層で有能さを発揮して昇進するも、ある無能なレベルに到達するとそれ以上は昇進せず、やがてあらゆるポストが無能な人間で占められるという法則について述べた上で、それに対する処方箋を提示していくというものです。そういえば、世の中のさまざまな組織にも、そのような実例がいっぱい見受けられるよなあと思い、とても興味が湧きました。1970年に刊行されたこの本、調べてみるとつい最近、2018年にも新装版が出ており、とても長きにわたり読まれているようです。
キリスト教や鉄砲の伝来、倭寇の話など、日本と海外との関わりの歴史を児童向けに語った、吉田小五郎『東西ものがたり』にも興味を引かれました。「ぼくの知識と興味のあり方を決定づけるものとなった」と福原さんが語るこの本、1940年に初刊されてからは1983年に中公文庫で再刊されたりしたものの、現在では刊行されておりません。どこかで復刊してくれないかなあ。
編集者である鶴ヶ谷真一による書物にまつわるエッセイ集『書を読んで羊を失う』や、ロンドンの古書店員との往復書簡の形式で書かれたヘレーン・ハンフ『チャリング・クロス街84番地』といった〝本に関する本〟も、なかなか楽しそうであります。

書名どおりに「本よむ幸せ」がたっぷり伝わってくる、福原さんの極上ブックレビューであります。


【関連おススメ本】

『だから人は本を読む』
福原義春著、東洋経済新報社、2009年
(2018年にリニューアル版『教養読書』が東洋経済新報社より刊行)

『本よむ幸せ』に収録されているインタビューで「人はなぜ本を読むべきなのか、どうしていろんな本を読んだ方がいいのかについて意見を言っています」と触れられているこの本は、いわば『本よむ幸せ』の姉妹本といったところです。
幼少期からの読書経験に基づき、読書によって育まれる教養が仕事を磨く上でも有益であることが熱く語られています。また、日本人の国語力が衰えている状況を憂い、良書が届きにくくなっている出版界への率直な苦言と提言も盛りこまれている後半は、刊行から10年近く経っていてもビンビンと響くものがあります。
2018年に改題・再編集の上で『教養読書』としてリニューアルされましたが、元の本にあった出版界への苦言や提言が削られているのが少々残念です。

角川ソフィア文庫で読む寺田寅彦随筆集(その2) 明晰な科学的考察と、鋭敏な四季への感覚が溶けあう『科学歳時記』

2020-09-08 21:39:00 | 本のお噂


『科学歳時記』
寺田寅彦著、KADOKAWA(角川ソフィア文庫)、2020年
(原本は1950年に角川書店より刊行)


今年の5月以降、角川ソフィア文庫から刊行が続いた寺田寅彦の随筆集。2冊目は『科学歳時記』です。
明治に書かれた初期の作品から、亡くなった年に書かれた晩年の作品まで、春夏秋冬それぞれの季節にまつわる39作品を歳時記風にまとめた本書は、寺田の明晰な科学的考察と、鋭敏な四季への感覚とが溶けあった一冊となっています。

本書を読んでいたのは夏真っ盛りという時期。例年以上に暑かった中にあって、とりわけ興趣をそそってくれたのが「涼味数題」という作品です。
「涼しさは瞬間の感覚である」という書き出しで始まるこの作品、まずは「涼しさ」にまつわる、いくつかの過去の記憶を辿っていきます。中でも印象的なのが、小学時代に高知の鏡川で開かれていたという納涼場の記述です。
河原の砂原に氷店や売店、見世物小屋が並び、「昼間見ると乞食王国の首都かと思うほど汚い眺めであったが、夜目にはいかにも涼しげに見えた」という納涼場。その露店で食した熱いぜんざいは「妙に涼しいものであった」と寺田は述懐した上で、露店の情景を描写します。縁台が並ぶ葦簾(よしず)囲いの天井からは星の降る夜空が見え、片隅では清冽な鏡川の水がさざなみを立てて流れ、ガラスの南京玉をつらねた水色の簾や紅い提灯に飾られていた・・・という露店の雰囲気を想像すると、読んでいるこちらにも涼しさが感じられてくるように思われました。
続いて、われわれ日本人が感じる「涼しさ」の感覚は、他の国とは違う日本ならではの微妙な感覚なのではないかということを、気候学や地理学の観点に加え、俳句の季題を例に挙げて述べていきます。このあたり、科学的なものの見方と文学的なセンスを融合させる、寺田の真骨頂といえましょう。
そのあと寺田は、「いろいろなイズムも夏は暑苦しい。少くも夏だけは「自由」の涼しさが欲しいものである」と語り、「涼しさ」に基づいた自由論を展開していきます。このくだりからは、社会と文明に対する寺田の鋭い批評眼が感じ取れます。

「自由はわがままや自我の押売とはちがう。自然と人間の方則に服従しつつ自然と人間を支配してこそ本当の自由が得られるであろう。
暑さがなければ涼しさはない。窮屈な羈絆(きはん)の暑さがない処には自由の涼しさもあるはずはない。一日汗水垂して働いた後にのみ浴後の涼味の真諦が味わわれ、義理人情で苦しんだ人にのみ自由の涼風が訪れるのである」

こう堂々と述べたすぐあとに、「涼味の話がつい暑苦しくなった」という一言が続いていて、思わずニンマリとさせてくれるのです。実にニクいではありませんか。このくだりの前にある「涼しい顔」についての話にも、寺田ならではのユーモアが感じられて楽しいものがあります。
科学的なものの見方と文学的センス、社会と文明への鋭い批評眼、そしてユーモア感覚が一体となった「涼味数題」は、わたしのお気に入りであります。

春を主題にした6篇の短い文章からなる「春六題」にも、寺田の鋭い批評眼が随所に光っています。
3月の平均温度についての話を取り上げた節では、平均温度というものが往々にして「その月にその温度の日が最も多い」という意味に誤解されたりする、ということがまず述べられます。その上で、「いわゆる輿論(世論)とか衆議の結果というようなものが実際に多数の意見を代表するかどうか疑わしい場合がはなはだ多い」「志士や学者が云っているような「民衆」というような人間は捜してみると存外容易に見つからない」と述べているところに唸らされます。
「多数派」による「世論」を絶対視したり、特定のイデオロギーによるフィルターに基づいて「民衆」を定義してしまうことで、社会や物事の実態が見えなくなってしまうようなことは、現在においてもしばしば見られることでしょう。ここでの指摘は、現代社会に対する教訓としても十分通用するように思います。

現代社会に対する教訓、あるいは警鐘としての価値を失わないもう一篇の作品が「颱風雑俎(ざっそ)」です。
昭和9年(1934)9月に日本を襲い、約3000人にのぼる死者・行方不明者を出した室戸台風の話題から始まるこの科学随筆は、古来の記録に残る台風の歴史を辿りながら、日本人が台風による体験を遺産として継承し、日本の国土に最も適した防災方法に基づいて耐風建築、耐風村落、耐風市街を建設していったことを述べていきます。
さらに、室戸台風の被害を受けた信州において、昔ながらの民家や村落が無事だった一方で近代的な造営物や集落に被害が集中していた見聞を語ります。その上で寺田は過去の経験を継承しながら、台風の被害を最小にとどめる建築や地の利を生かした町づくりをすることが重要であると説くのです。
ちょっと長くなりますが、寺田の主張を引いておきます。

「昔は「地を相する」という術があったが明治大正の間にこの術が見失われてしまったようである。颱風もなければ烈震もない西欧の文明を継承することによって、同時に颱風も地震も消失するかのような錯覚に捕われたのではないかと思われるくらいに綺麗に颱風と地震に対する「相地術」を忘れてしまったのである。
(中略)
地を相するというのは畢竟自然の威力を畏れ、その命令に逆わないようにするための用意である。安倍能成君が西洋人と日本人とで自然に対する態度に根本的の差異があるという事を論じていた中に、西洋人は自然を人間の自由にしようとするが日本人は自然に帰し自然に従おうとするという意味のことを話していたと記憶するが、このような区別を生じた原因の中には颱風や地震のようなものの存否がかなり重大な因子をなしているかもしれないのである」

先週末から今週はじめにかけて、非常に強い勢力をもった台風10号が沖縄、そして九州を襲いました。西洋流のものの考え方に慣れ切ってしまい、自然というものは自分たちの力でどうにでもできると思っているわたしたちですが、ひとたび自然の猛威にさらされるとただただ、無力な存在でしかないのだという事を、あらためて思い知らされることになりました。
西洋流の考え方に盲従するのではなく、日本の自然や風土を基本とした考え方を科学的知見と組み合わせて、台風や豪雨、そして地震への備えを構築していくことが大切なのでしょう。豪雨や地震といった災害が頻発する時代にあって、寺田の警鐘と訴えはますます大きく響いてくるものがあるように思います。

寺田の随筆では、どちらかというと初期の文学的なものよりも、後期に書かれた科学的随筆のほうが引き締まった読み味がして好きなのですが、本書にも収められている初期の随筆「団栗」は、あらためて読んでも実に深い感銘を与えてくれます。どんぐりを拾うことが好きだったという、若くして病死した最初の妻と、その忘れ形見である6歳の子どもへの愛惜が全編にあふれる本作は、まちがいなく初期寺田随筆の名作といえましょう。病気で入院していたときに耳にしたさまざまな物音を、自らの心象風景と重ね合わせながら鋭敏な感覚で描写する「病院の夜明けの物音」も、何度読んでも味わい深い逸品であります。
そしてもう一篇、本書の中でお気に入りなのが「年賀状」。子どもの頃から「新年」に対して恐怖の念を持ち、年賀状を書くことを「年の瀬に横たわる一大暗礁のごとく呪わしきもの」とまで思っていた寺田(文中では〝鵜照君〟なる友人のこととして書いているのですが)が、年賀状の効能とありがた味を感じるに至った気持ちの変化を、戯作調の語り口で書いている愉快な一篇。年賀状の効用を述べ立てる、どこか屁理屈じみた言い草の数々が大いに笑えるのであります。

(その1)でご紹介した『銀座アルプス』同様、寺田随筆のエッセンスと醍醐味をたっぷりと味わうことができる一冊です。

『読書の極意と掟』 稀代の文学者・筒井康隆をかたち作った豊かな読書体験に、知的好奇心と読書欲を刺激される一冊

2020-09-06 14:13:00 | 「本」についての本


『読書の極意と掟』
筒井康隆著、講談社(講談社文庫)、2018年
(原本は2011年に朝日新聞出版より『漂流 本から本へ』として刊行)


SFやドタバタナンセンス、実験的な純文学、さらには戯曲にライトノベルと、ジャンルの枠を軽々と越える、旺盛な執筆活動を続けている筒井康隆さんが、幼少年期から作家として大成するまでに読んできた、66の書物について語った本です。
田河水泡『のらくろ』に始まり、ハイデガー『存在と時間』に至るまで、それぞれの書物といかにして出会い、それらがどのような形で創作活動に影響を与えたのかを語った本書は、単なる読書遍歴にとどまらない「筒井康隆形成史」としても、尽きない興味を与えてくれる一冊でありました。

少年期の筒井さんを夢中にさせた書き手の一人が、のちに筒井さんの才能を見出して商業デビューのきっかけをつくった江戸川乱歩。その『少年探偵團(団)』は、舞台となる東京下町の住宅地が自らの住んでいる場所と重なり、悪夢のような怖さを覚えたと語ります。
当時はすでに戦意高揚が叫ばれる世の中となっていて、子供たちも戦争ものや冒険ものを飲んでいた中で、筒井さんはそれらの本を読むことはなかったとか。「正統派を好まぬ性格はこの頃からではなかっただろうか」と、筒井さんはいいます。
少年期に筒井さんが読んだ書物の中で面白そうなのが『西遊記』。おなじみの中国古典を、東京日日新聞の記者でもあった弓館芳夫という人物が訳したものですが、「とんでもないギャグがあり、講談調、落語調、漫才調と自由自在のくだけた文章」で綴られた、かなり奔放な翻訳だったようです。また、アプトン・シンクレア『人われを大工と呼ぶ』は、イエス・キリストが禁酒法時代のハリウッドに降臨したことで起こる騒動を描いた諷刺文学にして聖書のパロディで、これもかなり面白そうです(訳者は〝林不忘〟名義で『丹下左膳』を書いた谷譲次)。この2冊は、のちにナンセンスやパロディ作家として勇名を響かせる筒井さんにつながっているような感じがいたします。
ほかにも、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』や、手塚治虫の初期傑作『ロスト・ワールド(前世紀)』といったSFの古典的名作も少年期に読んでいて、すでにこの時点で筒井さんの根っことなる要素があらかた形成されていることに、驚きを覚えました。

本書を読んでもうひとつ驚かされるのが、筒井さんの研究熱心さです。
大学で文学や芸術学を学ぶ一方、劇団に入って役者への道を歩もうとしていた青年時代には、戯曲を含む海外文学の名作を読み漁るとともに、「実社会の体験なしにいろんな人物を演じることはできない」と、フロイドをはじめとする心理学関連の書物を精読したりしています。この過程で、ドタバタ喜劇とシュール・リアリズムと精神分析が結びついたことが、のちの作家活動を支える屋台骨となっていくことになります。
その後は、サラリーマン時代に次々と翻訳出版されていた海外SFをむさぼり読むことで、SF作家としての方向性を固めていきます。そして、作家として大成してからも、ラテンアメリカ文学などの最先端の文学作品を吸収して、現状に甘んじることなく新たな領域を切り開こうとするのです。まさしく、その時々における探究心と読書が筒井さんを形作り、さらなる進化を促していったということが、本書からしっかりと伝わってまいります。

本書に登場する書物の中には、残念ながら現在では絶版・品切れとなって図書館か古書をあたるしかない作品も多いのですが、その中にも興味をそそられるものがいろいろとありました。
たとえば、アルツィバーシェフというロシアの作家が書いた『サアニン』。「人生とは自分の欲望を自然のまま満たすことに他ならず、それ以外はすべて偽り」という考えの持ち主である、極端な合理的個人主義者である男を主人公にした物語はなかなか面白そうです。また、「死に方の中でいちばん自然なのは自殺であり、人類の滅亡が理想だという男」の感化を受けた主要人物のほとんどが自殺してしまうという、同じ作者の『最後の一線』も、なんだかスゴそう。筒井さんが「この二作からぼくが受けた影響は計り知れない」と言っておられる作品だけに、とても気になります。
東海林さだおの短篇漫画「トントコトントン物語」も面白そうです。いろんなところに押しかけて釘を打ちまくる男を描いたこの作品、あらすじを読んでも、わかるようなわからないようなナンセンスな内容で、東海林さんがここまでシュールな作品を描いておられたとは知りませんでした。雑誌に掲載されたのみで単行本には収められていないようなので、なんらかの形で再刊されるのを切望したいところです。

そして、とりわけ読んでみたいと思わされたのが、ブーアスティン『幻影の時代』。「マスコミが製造する事実」という副題をもつこの社会科学書は、「現代人の飽くことを知らぬ途方もない期待に応えようと、マスコミが、政府が、時にはわれわれ自身が生み出す作られた出来事」である〝擬似イベント〟をテーマにした一冊です。この本から「作品の大きなテーマを与えられた」という筒井さんは、擬似イベントテーマSFの傑作である短篇「東海道戦争」や、長篇『48億の妄想』を生み出すことになります。
いま日本を覆っている、新型コロナをめぐるいささか過剰なまでのパニック状況は、感染拡大という事実に根ざしているとはいえ、恐怖を煽り立てるニュースを売りにし続けるマスコミと、それを求める受け手による「作られたパニック」であるように思われてなりません。コロナパニック以外にも、マスコミと世論とのある意味「共犯関係」によって、本来はそこまで大事でもないはずの出来事が、社会を揺るがすような「世紀の大事件」であるかのように祭り上げられることは数多くあったりいたします。
そんな状況の中で、何かと示唆されることが多いように思われる『幻影の時代』、ぜひ一度読んでみたいと思うのですが・・・なんらかの形で復刊してほしいものです。

数多くの警察小説で厚い支持を得ている作家・今野敏さんによる巻末解説も、実にいい文章でした。今野さんは本書について、「読書好きに対するコンプレックス」を刺激し、知性に触れたということを実感できると評した上で、このように述べています。

「そう。知性は読書でしか磨かれないのだ。映画も絵画鑑賞も美食も重要に違いない。しかし、それは読書を補完するものでしかないような気がする。
人間の成長には実体験が何より重要という人がいる。それは認める。だが、人ひとりが生きていく上で、そんなに多くのことを経験できはしないのだ。読書による擬似体験も成長に大きく寄与するはずだ。
いや、あるいは読書のほうが影響が大きいということもあり得る。経験を言語化して理解し自分のものにするためにも読書はおおいに役に立つのだ」

まさしく。人間が成長していく上で、読書がいかに大きな影響をもたらすのかということを、本書からは実感することができます。そして若いときにとどまらず、生涯を通じて、読書を通じて成長、進化することができるのだ、ということも。そのことは、とても大きな励みともなってくれるように思いました。
稀代の文学者・筒井康隆さんの豊かな読書体験に触れ、大いに好奇心と読書欲を刺激される一冊でありました。


【関連おススメ本】

『創作の極意と掟』
筒井康隆著、講談社(講談社文庫)、2017年(原本は2014年に講談社より刊行)

「凄味」「破綻」「会話」「逸脱」「文体」などなど、31のキーワードをもとに、小説表現の秘訣を語り尽くした、面白くて興趣の尽きない創作論です。『読書の極意と掟』にも取り上げられているアプトン・シンクレア『人われを大工と呼ぶ』や、ガルシア=マルケス『族長の秋』などのいくつかの作品を、文学的技法の側面から詳細に論じており、こちらも必読であります。