読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【読了本】『自分でつくるセーフティネット』 前を向いて生きる勇気が湧くIT時代の生き方指南

2014-08-18 16:09:01 | 本のお噂

『自分でつくるセーフティネット 生存戦略としてのIT入門』
佐々木俊尚著、大和書房、2014年


なんだかぜんぜん先行きが見通せないなあ、という不透明かつ不安定な世の中になって久しいものがあります。
「なんのなんの、何があろうとワシは先々も安泰じゃからのう、むはははは」などという恵まれたヒトなんてごくごく一部でありましょう(いや、むしろほとんどいないのかも)。不安定な身分の中で日々働かなければならない非正規雇用の人たちはもちろんのこと(わたくしもその端くれなのですが•••)、正社員ですら先々はどうなるかわからないというご時世です。急激に変わっていく社会のありように対応できないまま、のんべんだらりと現状維持されている年金や医療といった公的セーフティネットも、実に心もとない状況です。
そんな、どちらを向いても心配と不安ばかりの世の中を生き抜くためのヒントが詰まっているのが、IT分野に強いジャーナリストである佐々木俊尚さんの新著『自分でつくるセーフティネット』であります。

会社や地域といった強固な共同体が崩壊し、グローバリゼーションという「超強烈な『理の世界』」が広がっていくという状況からは後戻りできない、という前提のもと、佐々木さんは「新しい『情の世界』をつくって、それをいま進行しているグローバリゼーションという『理の世界』とうまくかみあわせる」ための具体的な方法論を語っていきます。そのための戦略において重要なツールとなるのは、FacebookをはじめとするSNSです。
「きずな」という言葉に象徴されるような強固な結びつきは安心や安定をもたらしてくれますが、同時にそれは「みんなで仲良く」という同調圧力からくる息苦しさ、ひいては「いじめ」のような排除の論理にもなりえます。そこで佐々木さんが提案するのが、SNSで「ゆる~くつながる」人間関係の構築です。
FacebookなどのSNSの本当の意味は、主に食事や旅行の投稿にみられる「人生充実自慢と、それをひがむ人同士のサービス」などではない、二つの意味があると言います。

「第一は、人間関係を気軽に維持していくための道具。
第二は、自分という人間の信頼を保証してくれる道具。」


たとえ遠隔地に住んでいて会う機会がない人たちとも、「いいね!」一つの「ささやかな意思疎通」により人間関係を維持できる道具。そして、自らの日常や人間関係をさらけ出すことで、自らの人間性と信頼度を担保することができる道具。それが、Facebookの本当の意味なのだ、と。

SNSを通して、自らの日常や人間関係などが見えてしまうという社会の到来。本書ではそれを「総透明社会」という言葉で表します。
「総透明社会」になるということは、いくばくかのプライバシーを犠牲にすることでもあります。しかしそのことにより自らへの信頼が得られると同時に、有益な情報も得ることができる、と佐々木さんは説きます。
確かに、プライバシーをさらけ出すことにはデメリットも伴いますし、自分のプライバシーは一切他人には知られたくない!という向きもおられるでしょう(それはそれでよく理解もできます)。どうしても知られたくない事柄を、ことさら開示する必要はないとも思います。
でもちょっと考えると、他者から信用されるためにはいくらかの自己開示を必要とするというのは、リアルの場における人間関係とも共通することだったりするんですよね。まして、互いに顔が見えないネットでのこととなれば、人間関係の構築のために自らをさらけ出すことの重要性はより増すであろうことには納得がいきます。
さらに佐々木さんは、その人の人間性がさらけ出される「総透明社会」においては、悪意とともに善意も丸見えとなり、「何かを言った瞬間に、その言った内容で人は評価され」「評価の対象にくみこまれてしまう」と述べています。これもまた、納得のいく話ですよね。他者に対して悪意ある罵倒や皮肉ばかり言っているような向きよりも、善意を発揮する人たちを高く評価し、お付き合いしたいと思うのが、ネットでもリアルの実社会でも共通する人情というものではありませんか。

そう。まさに本書における主張の勘どころは、酔い、もとい、「善い人」であることが見知らぬ人との信頼を築き、ひいては将来にも役に立ってくる「弱いつながり」をもつくり出していくことができる、というところにあります。
佐々木さんは、裁判員裁判における厳罰化問題にみられるように、われわれ日本人は見知らぬ他人に対して「実はけっこう苛烈で残酷である」ことを指摘します。それを認めた上で、他者を「悪人」と決めつけてあら探しや非難をするような「善人」ではなく、見知らぬ他人に対しても寛容になり、さまざまなものや知識を与えることができる「善い人」になることが、宗教や道徳を超えた生存戦略になってきた、と述べていきます。
自らの人間力に磨きをかけ、それを武器にして「弱いつながり」をつくっていくことが、ひいては社会全体が良くなっていくことにもつながっていく•••。そう考えると、なんだかとても希望と勇気が湧いて前向きな気持ちになってくるではありませんか。
他にも、Facebookの上手な活用法や、有用な情報は「強いつながり」よりも「弱いつながり」を伝って流れてくることが多い、といった話なども、わたくしにいろいろなヒントを与えてくれました。

とても親しみやすい語り口により述べられていく、本書の「生存戦略としてのIT入門」。それは小手先の技術論などではない、ある意味でとてもシンプルな生き方指南です。
それは、ITの進展でさまざまなことが変わっていく中でも変わることのない、人間としての大切なことでもありました。そのことに、わたくしは大きな希望と勇気を感じることができました。ネットであれリアルの実社会であれ、人と人とが関わり合うことで成り立っていることに、なんら変わりはないわけですからね。
ITが社会のインフラとして浸透してきている時代に必読の前向きな生き方指南、ぜひとも多くの方に読んでいただきたい一冊であります。