読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【読了本】『「弱くても勝てます」』 「弱いからこそ」できることがある。

2014-06-29 20:01:09 | 本のお噂

『「弱くても勝てます」 開成高校野球部のセオリー』
高橋秀実著、新潮社(新潮文庫)、2014年(元本は2012年、新潮社より刊行)


毎年200人近くが東京大学に合格するという「日本一の進学校」開成高校。
その一方で、スポーツの世界での知名度はほとんどなかったというこの高校が、やにわに注目を浴びることになったのが平成17年夏のこと。この年の全国高校野球選手権大会の東東京予選で、開成高校の硬式野球部はベスト16にまで勝ち進んだのです。
しかしながら、開成野球部がグラウンドで練習できるのは、わずか週1回。それも3時間ほどの練習です。さらには、選手たちのプレイは異常なまでに下手でエラーだらけ。にもかかわらず、のベスト16進出だったのです。
「なんで開成が?」という驚きとともに、その「強さ」の秘密を探るべく開成野球部を取材したのが、独特の面白さを持ったノンフィクションで人気のある本書の著者、高橋秀実さんです。
本書は、開成野球部の監督による、野球の常識を覆すような独創的なセオリーと、下手でありながらも生真面目に野球に打ち込む選手たちの姿を、絶妙な笑いを誘う筆致で描いたノンフィクションです。

一般的な野球のセオリーは「確実に取り、確実に守る」というものですが、開成野球部のそれは相手の不意を突いて大量点を取るという、監督いわく「ドサクサに紛れて勝っちゃう」「ハイリスク・ハイリターンのギャンブル」。なので、勝つときも負けるときも大量点差のコールドゲームで「開成の野球には9回がない」のです。
一般的な野球のセオリーと同じ、普通のことをしていたらウチは絶対に勝てない、という監督に高橋さんは「開成は普通ではないんですね」と言います。すると監督は「いや、むしろ開成が普通なんです」と返して、このように語ります。

「高校野球というと、甲子園常連校の野球を想像すると思うんですが、彼らは小学生の頃からシニアチームで活躍していた子供たちを集めて、専用グラウンドなどがととのった環境で毎日練習している。ある意味、異常な世界なんです。都内の大抵の高校はウチと同じ。ウチのほうが普通といえるんです。」

わたくしは読んでいて、この言葉に妙に頷けるものがありました。
高校野球やスポーツ全般はもちろん、それ以外の分野においても、常に勝ち続けて上に行くような「勝ち組」なんてほんの一握り。その他大勢は普通、もしくは弱くて目立たない存在でしょう。そのような弱くて目立たない存在が、常勝組と渡り合うためには、普通のやり方ではダメなのだ、という考え方はとても腑に落ちるものでした。
普通のセオリーとは違うゆえ、監督は多少のエラーがあろうと動揺したりはしませんし、小賢しい野球をしようとせずに思い切って勝負にこだわることを選手たちに求めます。
「野球には教育的意義はない、と僕は思っているんです」ときっぱりと言う監督は、このように続けます。

「野球はやってもやらなくてもいいこと。はっきり言えばムダなんです」
「とかく今の学校教育はムダをさせないで、役に立つことだけをやらせようとする。野球も役に立つということにしたいんですね。でも果たして、何が子供たちの役に立つのか立たないのかなんて我々にもわからないじゃないですか。社会人になればムダなことなんてできません。今こそムダなことがいっぱいできる時期なんです」
「ムダだからこそ思い切り勝ち負けにこだわれるんです。じゃんけんと同じです」


これらの言葉も、なんだか胸に沁みてくるものがありました。ムダを排斥し、“教育的意義”なるものを強調しすぎる学校教育、さらには社会のあり方が、ともすれば子どもたちを狭い価値観の中に押し込めているのではないか•••。そんなことにも思いを巡らせてくれました。

独創的なセオリーを持つ監督のもとに集まっている選手たちも、一人一人がまた実にユニークな存在なのです。
さすが「日本一の進学校」だけあって、選手たちも頭の良い子揃いだなあ、という印象なのですが、やたら考え過ぎなところがあったりして「なにもそんなコトまで考えんでも•••」と思ってしまったりします。
「僕は球を投げるのは得意なんですが、捕るのが下手なんです」という内野(ショート)の選手に、高橋さんは「苦手なんですね」と相槌を打ちます。すると件の選手は「いや、苦手じゃなくて下手なんです」と応じます。どういうこと?と首を傾げる高橋さんに答えていわく••••••

「苦手と下手は違うんです。苦手は自分でそう思っているということで、下手は客観的に見てそうだということ。僕の場合は苦手ではないけど下手なんです」

かくのごとく珍妙なやりとりが至るところに出てくるので、読んでいて笑いを抑えることができないのですが、選手たちの野球に取り組む姿勢はあくまでも生真面目。その姿勢には素直に好感が持てます。そして、そんな選手たちの中からも、ハッとさせられるような言葉が飛び出したりします。
将来はプロ、それもメジャーリーガーになりたいという夢を語る長身の選手。「あんまりプロ向きの高校ではないよね、開成は」という高橋さんに、その選手はニヤリと笑って「逆に、開成に来たからプロになりたいと決意できたんです」と答えるのです。そのココロは••••••

「プロになる環境としては、ここは最悪じゃないですか。設備もないしグラウンドも使えないし。でもなんていうか、ここで頑張れたら、この先どこでもやっていける感じがするんです。(中略)プロって自己管理が大切だと思うんです。その点、開成はすべて自分で管理しなきゃいけない。人間関係とかじゃなくて、本当の野球の厳しさがここにあるんです」

実にまっとうな考え。これにもまた「むむむ」と唸らされましたね。ここにもまた、マイナスの状況を強みに変えようとするしたたかさがありました。

弱くても、というより「弱いからこそ」、できることがあるんだなあ。
本書を読んで、そのようなことにあらためて気づかされ、なんだか勇気が湧いてくるようでありました。
しかしそれより何より、本書は場外ホームランのようにめったやたらと面白いのです。初めから終わりまでずーっと、大笑いと含み笑いを抑えられなかったくらいで。実のところ、わたくしは高橋さんの本を読んだのは本書が初めてだったのですが、この一冊ですっかり、気になる書き手の一人となりました。
正直、こんなヘタッピな紹介文では、本書の面白さの10分の1、いや100分の1も伝えきれていないなあと、忸怩たる思いなのであります。
「とにかく面白くて楽しめることは間違いないのでどうぞお願いだからお読みくだされ!」
結局のところは、その一言に尽きるのであります。

まもなく、高校球児たちの夏が始まります。開成高校野球部にとっての2014年の夏は、いかなるものとなるのでしょうか。ちょっと楽しみな気がいたします。

【読了本】『仕事に効く教養としての「世界史」』 過去と現代を見通すための活きた教養が身につく一冊

2014-06-29 20:00:53 | 本のお噂

『仕事に効く教養としての「世界史」』
出口治明著、祥伝社、2014年

ライフネット生命保険の会長兼CEOとして、ビジネスの第一線で活躍しておられる出口治明さんは、無類の読書家としてもつとに知られております。また、読書欲をそそるような卓抜なブックレビューを、ビジネス誌などに発表しているレビュアーでもあります。
とりわけ得意としておられるジャンルが歴史書。簡潔な文章の中に、歴史についての深い教養と識見がギュッと詰まった出口さんの歴史書レビューは、それ自体教えられるところが多くあります。•••もっとも、紹介された本がついつい欲しくなって思わぬ散財をしてしまう、という副作用もあるのですが(笑)。
その出口さんが初めて、歴史をテーマにして出版された本が、この『仕事に効く教養としての「世界史」』であります。
その書名から、ビジネスパーソンに向けたありがちなノウハウ本的内容を想像される向きもあることでしょう。確かに冒頭では、グローバルになったビジネスの世界で、日本の文化や歴史についても問われる機会が増えてきているであろう、ビジネスパーソンたちを意識した言葉が並んでおります。ですが、本書は親しみやすい語り口と、歴史の見方が変わるような新鮮な切り口により、ビジネスパーソン以外の方々にも面白く読めるものとなっています。

本書の基本的なコンセプトは、「日本が歩いてきた道や今日の日本について骨太に把握する鍵」を、世界史の中に見出していく、というもの。総論的な第1章において、出口さんはこう言います。

「世界史の中で日本を見る、そのことは関係する他国のことも同時に見ることになります。国と国との関係から生じてくるダイナミズムを通して、日本を見ることになるので、歴史がより具体的にわかってくるし、相手の国の事情もわかってくると思うのです。すなわち、極論すれば、世界史から独立した日本史はあるのかとも思うのです。」

そのことを示す例の一つとして、出口さんは幕末におけるペリーによる日本への開国要求を挙げます。
学校の歴史の授業では、捕鯨船に使う石炭や水の補給基地として開国を求めた、と教えられたりしていたわけですが、アメリカに残る文書によれば、クジラがどうのこうのというのは「どうでもいい」んだとか。
当時のアメリカのライバルだったのが、対中国貿易をめぐって争っていた大英帝国。新たなルートを開拓して中国と直接交易しない限り、大英帝国には勝てない、ということで、これまでの大西洋航路に替わる太平洋航路の有力な中継地点として、ペリーは日本に開国を迫った、というのです。なるほど、そういうことだったのか!
一国の史実を見ているだけではわからなかった、歴史の持つ大きなうねりやダイナミズムというものが、はっきりと見えてきたように思いました。

以後の章では、「神はなぜ生まれたのか。なぜ宗教はできたのか」や「中国を理解する四つの鍵」「交易の重要性」などのテーマから、過去と現代を見通すための視点が提示されていきます。
「中国を理解する四つの鍵」の章では、四つの鍵の一つである「諸子百家」をめぐる記述に興味深いものがありました。
国を治めるための文書行政に役立ち、中国を動かしていた法家。BC500年代、中国の高度成長の追い風を受けて広まっていった、孔子の教えをもとにした儒家。それに対抗するように、自然との共存と脱成長を指向して「秘密教団的」に支持された墨家。そして、そういった光景を「どっちもどっち」とクールに見つめていた知識人たち。
出口さんは、それらの諸子百家は必ずしも対立していたのではなく、棲み分けていたのではないか、と見ます。

「老子と孔子が対立していたのではなく、それぞれのポジションをきちんと取っていた。法家は霞ヶ関、儒家はアジテーション、墨家は平和デモ、それを冷ややかに見ている知識人は道家というように、棲み分けていたのではないか。」

そして、古代の始皇帝から同じシステムでずっと国が続いているという、世界でも冠たる長さを誇る中国の安定性の秘密は、こういった各種思想のいろいろな棲み分けの賢さにあるのではないか、とします。この見方には目からウロコでしたし、これまであまりよくわかっていなかった、諸子百家を代表する思想のポジションというものも、いくらかはわかったように思いました。

「アメリカとフランスの特異性」という章では、過去からの伝統を断ち切って、理念先行により生み出された「人口国家」としてのアメリカと、フランス革命後のフランスの歴史の流れを追っていきます。そして、アメリカが「グローバルスタンダード的」な「普通の国」ではなく、「とても変わっていて特異かつ例外的」であることを論証していきます。この章も、アメリカという国を理解し、付き合っていく上で、とても重要な視座を提供してくれているように思えました。
この章では、人間の理性を信じたイデオロギー優先のフランス革命やアメリカ建国の精神に対して、
「人間は賢くない。頭で考えることはそれほど役に立たない。何を信じるかといえば、トライ・アンド・エラーでやってきた経験しかない」
との懐疑主義のもと、近代的保守主義が生まれた、との話も面白かったですね。ここでは、理念先行型の国づくりの限界とともに、日本における「保守主義」のあり方についても、考えさせられるものがありました。

膨大な読書量と、豊富な海外経験に裏打ちされた出口さんの歴史に対する見方は、自国中心主義に凝り固まることもなければ、西洋史観におもねることもなく、とてもバランスが取れています。なので、本書からは歴史と人間を知り、現代を見通すための幅広い視座、そしてお飾りではない活きた教養への手がかりを得ることができました。
欧米の方ばかりを向いているような「グローバル」が幅を利かせる中、本当の意味でグローバルなものの見方が、本書にはあるのではないでしょうか。
本書を起点にしながら、さまざまな歴史書に進んでいけば、さらに深みのある歴史の見方ができそうですね。

「歴史を勉強するうえでは、1192(イイクニ)年に鎌倉幕府が成立したのか、いやもっと早かったのか、などという年号のことは、じつはどうでもいい。人間のやってきたことを大きな目で眺めて、将来を考えるよすがや、その視点を得ることが歴史を学ぶ意義であると思います。」

このような出口さんの考え方は、いまやビジネスパーソンのみならず、幅広い立場の人たちにも必要とされているように思います。それだけに、多くの人たちに幅広く読まれて欲しい一冊であります。




【読了本】『京都大学人気講義 サイエンスの発想法』 アイデアで世の中を楽しく、住みやすく!

2014-06-22 16:14:45 | 本のお噂

『京都大学人気講義 サイエンスの発想法』
上杉志成著、祥伝社、2014年


iPS細胞をはじめとする、ノーベル賞級の発見や発明を成し遂げる研究や、日本のアカデミズムを代表するような人材を輩出している京都大学。その中でも今、特に人気があるというのが、本書の著者である上杉志成(もとなり)さんによる「生命の化学」の講義であります。
人気があるだけではなく、その講義は国際オンライン教育機関(edX)に日本から初参加し、全世界に配信されるという、世界からも認められている名講義でもあるのです。その名講義のエッセンスを詰め込んだのが、この本です。

上杉さんの講義は、化学と生物学を融合させた領域での研究を題材にしながら、アイデアを出すための考え方を養おうというもの。それは、「歴史の表面をなぞるだけではなく、実際の研究の裏にある人間の考え方を推理」するものでもあります。

「結果だけを積み重ねた知識は、すぐに色あせる。私たちの心に響くのは、誰が何を考えてどう行動したかだ。
どんな偉大な科学者でも生身の人間。悩みながら、苦しみながら、楽しみながらアイデアを出している。先人の例にヒントを得ながら、いろいろな方向からモノを見て、自分でいろいろなアイデアを考えてみる。こういった知識生産の考え方や物の見方は、将来どんな仕事をしていても、困ったときに助けてくれるだろう。」


このような考え方のもとに展開される上杉さんの講義。まず縦軸として、DNAや化合物の構造やメカニズムがわかりやすく解説され(中には若干込み入ったところもありますが、もしわからなくても著者が言うように「流し読みしながら、先へ」進んでも「ついてこられます」ので、心配はご無用です)、それらがいかにして発見され研究されてきたのかが、さまざまなエピソードとともに語られます。
そこに、文学や音楽、芸術、ビジネスなどといった、サイエンスとは関係のなさそうな分野の話題が組み合わさります。一見唐突に、雑談っぽく語られるこれらの話題ですが、それらは講義の横軸として、巧みに本筋のDNAや化合物の発見・研究の話題と融合され、ユニークなアイデアを出すためのヒントに結びつけられていくのです。
例えば、アメリカの研究者であるキャリー・マリス博士が思いついた、DNAの増幅技術である「PCR」についての話。
PCRは、温度の上げ下げを繰り返していくことで、特定の遺伝子を何百万倍にも増幅することができるという技術で、これにより病気の診断や遺伝子鑑識技術などへの応用が実現することになりました。別荘へと往復するドライブの中で思いついたというこのアイデアにより、マリス博士はノーベル化学賞を受賞しました。
上杉さんは、このPCRの仕組みや、それを活用した応用事例について解説したあと、話題をミュージカル『オペラ座の怪人』へと転じます。
そこでは、ミュージカルにおいてテーマとなる曲が作品中で何度も繰り返されることにより、「ひとつ前の感情が次の感情を引き起こす」ことを指摘。それは「結果が原因となって連鎖」することによる記憶の増幅である、といった形で、PCR発見の話へと結びつけられます。そして、「結果が原因」となる考え方が新しいアイデアを生み出す上で重要なものである、という結論へと収斂させていくのです。
他にも、多様なペプチドや化合物を作り出して、後から望みのペプチドや化合物を選ぶという手法からAKB48との類似性を見出すなど、いろいろな分野を自在に跨ぎながら、巧みな比喩とともに語られていく講義は、大いに頭を刺激してくれます。
幅広い分野に対する好奇心や教養を持つことが、いかに新しいアイデアを生み出していく上で大事なことなのかを、上杉さんの講義は教えてくれるような気がいたしました。

「サイエンス力とは説得力のこと」という話も興味深いものがありました。
他者に対して説得力を発揮させるためにまず大切なのが「客観性」。論理をわかりやすく正確に説明するためには「プレゼン力」もしくは「コミュニケーション能力」が重要。そして、多くの人たちに自らの論理を広めることができるのが「文章力」•••。
上杉さんが言うように、これらは何もサイエンスのみならず、どんな商売においても人を説得する上で必要なノウハウであったりいたします。それだけに、すごく教えられるところがありました。
「苦手なものの中にチャンスやアイデアがある」
「新しいアイデアは『変だな』『どうなってるんだ』という『問い』から生まれるもの」
「やりつくされたのではないかと思える分野でも、まだまだアイデアは出るのです」
などなど、これまたサイエンス以外にも役に立ちそうな言葉が、本書にはたくさん散りばめられていて、これらにもまた、大いに気持ちを刺激させられました。

上杉さんの講義の底に一貫して流れているもの。それは、それぞれの分野で新しいアイデアを出すことによって多くの人を助け、世の中を楽しく、住みやすいところにしてほしい、という願いです。
本書の中で特に強く印象に残ったのは、以下のくだりでした。

「世の中には、文句ばかりを言って自分では何もしない人がいます。(中略)議論ばかりで、優れたアイデアを思いつく能力もなく、何も実行できない。実行や解決に結びつかない議論をして一体何になるのでしょう。
やりたいことはあるけれど、できないことを世の中のせいにし、できないときの言い訳だけを考え、だらだらと生きている人は多い。これを打破しなければいけません。(中略)
自分に能力がないことをさておいて、不満を言っていても何も変わりません。優れたアイデアを出して、それを実行し、問題を解決しなければなりません。」


このくだりには、なんだかオノレの鈍いアタマを殴られたような思いがいたしましたね。間違いなくわたくし自身も「だらだらと生きている人」の一人ですから。
社会が抱えるさまざまな問題や課題を、評論家づらして批判するばかりでは、進歩することなどあり得ませんし、やりたいことができない言い訳ばかり考えていては、自分自身の人生を好転させることも、またあり得ません。
自分自身の人生を前向きに切り開き、そのことが人を助け、世の中を楽しく、住みやすいものにすることに繋がったら•••。そんなささやかな勇気を、本書からいただいたように思いました。

単なる「お勉強」で終わるだけではなく、自らの人生を切り開き、社会を楽しいものにしていくためのヒントや勇気を与えてくれる一冊であります。

ETV特集『鬼の散りぎわ ~文楽・竹本住大夫 最後の舞台~』

2014-06-22 09:04:03 | ドキュメンタリーのお噂

ETV特集『鬼の散りぎわ ~文楽・竹本住大夫 最後の舞台~』
初回放送=2014年6月21日(土)午後11時00分~11時59分、NHK・Eテレ
語り=國村隼 製作=NHK大阪放送局


人形浄瑠璃文楽で長年活躍した、人間国宝の竹本住大夫さん、89歳。
勇ましい武将から貧しい町人、老婆から生娘まで、あらゆる人物を一人で語り分ける名人にして、自他ともに厳しい稽古を課す「文楽の鬼」でもあった住大夫さんは、この春の引退公演をもって舞台生活に幕を下ろしました。
住大夫さんは一昨年前、脳梗塞により倒れ、再起を絶望視されながらも、執念のリハビリにより奇跡の復活を遂げました。そして、引退公演を自身の芸の集大成としてやり遂げるべく、最後の力を振り絞ります。
番組は、最後の舞台に挑みながらも、文楽を次の世代へとつないでいこうとする、住大夫さんの引き際の姿をみつめていきます。

文楽一筋に生きてきた住大夫さんに転機が訪れたのは、2012年7月のことでした。大阪市が突然、文楽への補助金を削減することを打ち出し、その対策に奔走していた最中でした。
「もう泣いたで、はじめは。これはもう辞めなならん、て」と、当時の思いを語る住大夫さん。その後回復はしたものの、復帰はほぼ絶望視されていました。そんな中でも住大夫さんは地道に発声練習やトレーニングを重ね、引退公演にすべてを賭けようと奮闘していました。
今年3月。まだ右半身にマヒが残る住大夫さんが発声練習に励んでいました。発語にもまだ不自由さが残っており、「ラ行が言いにくい」と言います。
発声練習とともに、1kmのウォーキングを週2回重ねていた住大夫さんは、取材者にこう語ります。
「ここまで回復したのは奇跡っていわれますがね、せやけど、もうちょっとね、上に行きたいね」

住大夫さんが引退公演に選んだ演目は『菅原伝授手習鑑』。菅原道真の失脚を題材にしたこの演目は、住大夫さんが長年かけて磨き上げてきた愛着のあるものでした。住大夫さんが語るのは、その山場である“桜丸切腹の段”。
浄瑠璃において、「音」がいかに大切なのかを、住大夫さんは熱っぽく語ります。
「『音』で伝えたらお客さんに伝わって、泣いたり、笑うたりしはる」
会場の隅々にまで届くような、豊かな声量とメリハリを取り戻すことができるのか。それが、住大夫さんの課題でした。

大正13年、“お初天神”のそばで生まれた住大夫さん。父は、文楽で初の人間国宝となった六世・竹本住大夫でした。住大夫さんは、その父のもとで日常的に浄瑠璃に接し続けていました。
「(父は)布団の中でも笑いの稽古をしていたし、便所の中でも浄瑠璃を語っていた」
当時の大阪では、人形浄瑠璃は庶民にとって娯楽の王座でした。日常の会話にも浄瑠璃の言葉が入っていて、それだけ庶民の間にも普及していた、と住大夫さんは当時を振り返ります。

引退公演の20日前。三味線を入れての稽古に臨む住大夫さんは、いつになく弱気になっていました。いざ稽古に入っても腹に力が入らずに声が伸びず、息も長く続きません。「ああしんど」「息が続かへん」と、その口からも弱音がこぼれます。
「ああやろうこうやろうと、そんなこと思ってたらあかん。そんなもんと違う、これは」と、台本を叩きながらもどかしい気持ちをぶつける住大夫さん。そして、弱々しい声でこう言います。
「情けないわ、ほんまに、情けないわ。こんな浄瑠璃語ったら」
住大夫さんは、89歳の体に鞭打ってトレーニングに励むことにしました。腹の力を取り戻し、伸びやかな声を出すためのトレーニングでした。住大夫さんは言います。
「舞台出たら息を出して声をぶつけるぐらいじゃないと、お客さんは感動しない」

先輩から代々受け継がれてきた芸を、次の世代へと引き継いでいこうとする住大夫さんは、引退公演の稽古と並行して、3人の弟子へ稽古をつけていました。
浄瑠璃歴30年の中堅どころの弟子に、住大夫さんは厳しく稽古をつけます。特に厳しく注意をするのは、やはり音遣いのことでした。
「音が高い!なんで音上げんねん。しっかりせえ!」
弟子を叱り飛ばす住大夫さんのものすごい気迫。恐ろしくなるほどの鋭い眼光。額から汗を流しながら、必死に師匠の要求に応えようとする弟子。真剣勝負の稽古は、みっちり1時間半に及びました。
住大夫さんは、文楽の裾野を拡げようと、カルチャースクールで一般の人たちへの浄瑠璃読みの指導も行なっていました。引退に伴い、そちらのほうも辞めるということを聞かされると、涙ぐむ参加者の姿も。
しかしいざ練習に入ると、住大夫さんは一般の人たちだからといって手加減はしません。「本読みが足らん。もっと本読みをしないと」と参加者を叱り飛ばす姿は、弟子に対してよりは幾分ソフトにも見えましたが、それでもかなり厳しいものでした。こちらのほうも、エネルギッシュに2時間をこなす住大夫さんでした。
練習の終了間際。引退公演に臨む住大夫さんの体調を気遣った参加者が、もうそろそろ切り上げては、というのに対して、住大夫さんは「まだ時間あるがな」と続ける気まんまん。そんな自らの性分を、住大夫さんはこのように言います。
「やっぱり、根が(浄瑠璃)好きやねん。なんでも好きにならないかんな」

引退公演の前日。大阪の会場である国立文楽劇場で通し稽古が行われました。会場の隅々にまで声が届いているのかどうか、息はちゃんと出ているのか、一つ一つ念入りに確かめる住大夫さん。
「浄瑠璃って難しいわ。だから、一生懸命練習すんねん」
その日、満開となった自宅の前の桜の花を妻とともに眺める住大夫さん。これまで、公演の稽古などもあって、こうしてゆっくりと桜を眺めたことはなかった、と言います。
住大夫さんいわく「ええ評論家、ええ批評家」として、厳しく、そして温かく住大夫さんの芸を見てきた妻は言います。
「お稽古をしてきてくれたおかげで、ここまでこれたと思いますね」

4月。大阪での引退公演初日。
チケットは早い時期から売り切れとなり、会場は大入り満員。楽屋には、住大夫さんに別れを告げるお客が引きも切りませんでした。
共演する人形遣いの人間国宝、吉田簑助さんが楽屋を訪れます。60年、苦楽をともにしてきた住大夫さんの引退に「寂しい」と言い涙ぐむ簑助さん。住大夫さんも「寂しい•••一緒に苦労してきた仲やねん」と言い、涙ぐむのでした。
公演が始まり、やがて山場の“桜丸切腹の段”にさしかかります。住大夫さんが登場すると、会場は一際大きい万雷の拍手。そして「待ってました!」という掛け声。
声に張りを取り戻した、住大夫さん渾身の「情」に溢れた語りは悲劇を引き立たせ、観客の涙を絞ったのでした。
終幕後、舞台で挨拶した住大夫さんは、観客にこう語りました。
「ほんまにね、私ね、いい星の下に生まれましたわ」
「大阪で生まれ育った文楽を、これからもよろしくお願いします」
そして、人形を前にして「おおきに、ありがとう」と、声を詰まらせて涙したのでした。

引退公演の終了後、取材者は住大夫さんを自宅に訪ねます。
「ほっとした反面、寂しいわ」と心境を語った住大夫さん。しかし、そのあと臨んだのは弟子への稽古。文楽を次につなぐべく、弟子たちへの稽古は従前通り続けていたのです。
弟子を叱り飛ばす声も、鋭い眼光も、引退前と何も変わることはありませんでした。
「しっかりせえ!」

芸一筋に生き、芸を磨き上げてきた名人の気迫と執念に、ひたすら圧倒される思いがいたしました。
とりわけ、弟子を叱り飛ばすときの恐ろしいほどの眼光の鋭さには、鬼気迫るものすらありました。「文楽の鬼」という異名は、けっして大げさなものではありませんでした。
そこには代々受け継がれ、守ってきた芸を、次へとしっかり繋いでいこうとする強烈な意思をじんじん感じました。
長年の芸道人生に裏打ちされた、住大夫さんが語る言葉の一つ一つにも、実に味わい深く胸を打つものがありました。やはり根っこのほうで「好き」だと思う気持ちが大事なんだな、ということを教えられたように思います。
また、文楽が歌舞伎などにも強く影響を及ぼしているということも、この番組で知ることができました。300年にわたって連綿と続いてきた、文楽の底力を認識させられた次第です。
文楽という伝統芸能について、もっといろいろと知りたくなってまいりました。機会があれば、劇場でも鑑賞してみたいですね。

第20回宮崎映画祭プレイベント みやざき自主映画祭「第4回MIFF ~投げ銭映画祭~」観覧記

2014-06-15 23:20:10 | 映画のお噂
今年で節目となる第20回目を迎える宮崎映画祭(映画祭の公式サイトはこちら)。7月5日の開幕を3週間後に控えたきょう(6月15日)、そのプレイベントとして宮崎県内外の自主製作映画を集めての「みやざき自主映画祭 第4回MIFF ~投げ銭映画祭~」が、宮崎市中心部の商業施設、カリーノ宮崎にて開催されました。


今年で4回目となったこの自主映画祭。これまでは映画祭初日の前日夜に、文字通り「前夜祭」という形で短篇作品の上映をメインとして開催されておりました。今回は映画祭本体の開幕3週間前の日中に、長篇作品の上映やトークショーを交えての、6時間余りというボリュームでの開催となりました。

まず最初の上映作品は、東京藝術大学大学院映像研究科の映画専攻を修了した学生による作品2篇でした。それぞれ114分に75分という、堂々たる長篇作品です。

『バイバイ、マラーノ』 (監督=金允洙、114分)
婚約者が妊娠している最中に、勤めている会社が倒産してしまった青年。そんな現実から逃避するかのように、コンビニに停めてあった車を盗んで当てもなく走らせていく。車中で夜を明かして目を覚ますと、そこはどことも知れない広場。そこには4人の男女が共同生活を送っていた。乗れない自転車の練習に余念がない初老の男。近くに住む老人たち相手に怪しげなセミナーを開いて金を取る中年男。中学生の少女と交際している童貞の若い男。そしてワケありげな商店の女主人。かくて、それぞれ一癖ある4人と青年との、奇妙な共同生活が始まったのだった•••。
『友達』 (監督=遠藤幹大、75分)
映画出演を目指してオーディションを重ねるも、役らしい役を得られないまま時折エキストラをこなすばかりの主人公の男。ある日、先輩の役者から「俳優」としての仕事を紹介されるが、それは客の要望に合わせたシチュエーションを演じることで客に満足を与えるという「フレンドショップ」での勤務であった。男はその店での勤務を続ける中で、テロリスト気取りの女子高生の相手をすることに。最初のうちは、女子高生の突拍子もない言動に距離を置こうとしていた男であったが•••。

いずれの作品も、現代の社会と人間との関わりから覗く断面を、ちょっと変わった物語の中に描き出した作品でありました。ことに『バイバイ、マラーノ』は、独特のユーモアを交えた語り口の面白さと、役者たちのしっかりした演技に目を見張りつつ、大いに楽しませてもらいました。

次に上映されたのは、2009年から福岡県で開催されている「福岡インディペンデント映画祭」で過去に上映された作品の中から選りすぐられた、4本の短篇作品でした。

『FACE TRIP』 (監督=大野祐輝、2分45秒)
監督自身が、約1年間のアジア放浪の中で撮り貯めたセルフショットを連続して繋いでいくことで、自身が変わっていった様子を表現したセルフドキュメンタリー。
『姉と妹』 (監督=田村専一、3分38秒)
「将来の夢」についての作文を書こうと苦心している妹の前で、アイドルになるのが夢だったという姉はちょっとヘンテコなダンスを踊る。それを見ていた妹は•••。
『おっさんスケボー』 (監督=新井健市、4分20秒)
公園でスケボーに興じる若者に、新潟に住む病気の父親のところに行きたいのでスケボーを売れ、と迫るおっさん。舌戦の末スケボーを譲り受けたおっさんは、一路新潟へ向けてスケボーを走らせるのであった•••。
『ひびり』 (監督=新井哲、19分)
ある日突然、自宅へと身を寄せてきた姉を迎える妹。母親の話では、姉は夫から暴力を受けているという。眠っている間に確かめた姉の体は、至るところ傷だらけであった。初めはお互いに距離を感じていた姉妹は、共に暮らす中で少しずつ気持ちを近づけていくのだったが•••。

自身で撮り貯めたセルフショットを、一人でPhotoshopを使いながら仕上げたという『FACE TRIP』は、デジタル時代の映画の一つの形を示したユニークな作品として印象に残りました。『姉と妹』と『おっさんスケボー』は、ひたすら素直に笑えて楽しめました。そして『ひびり』は、20分弱という短い時間の中で、姉妹の心が通いあっていく過程を実にしっかりと捉えていて、心を打つものがあった佳作でした。

最後のパートは、宮崎の市民作家による自主映画2作品でした。

『死んだ女2』 (監督=ギルド#10、30分)
夢の中に出てきた、戦争中に死んだという女の面影を取り憑かれたように追い求める男子学生。後輩の女子学生はそんな彼の態度にイライラさせられながらも、思いを寄せるのであった•••。
『花恋 ~最後のお願い~』 (監督=蛯原達朗、40分)
恋人とのドライブ中に事故に遭い、昏睡状態の若い女性。その命を死の世界へと連れて行こうとする黒天使から彼女を守り、最後の願いを成就させるべく、妹や友人たちの奮闘が始まる•••。

みやざき自主映画祭の常連として、毎年作品を発表しているギルド#10監督の最新作『死んだ女2』は、昨年の『死んだ女』の続篇。宮崎弁での語りとともに、ユーモアを交えながらの語り口にはこなれたものが感じられ、素直に楽しめる出来となっておりました。また、演劇畑の蛯原達朗さんが初めて監督した『花恋』は(メインの出演者も演劇人)、初めてゆえ語り口にいささか未熟な面があったのは否めませんでしたが、それなりに楽しめました。

上映の合間にはトークショーが2つ盛り込まれました。
「自主映画製作者と自主映画について考える集い」と題されたトークショーは、福岡インディペンデント映画祭会長の西谷郁さんと、『花恋』の監督である蛯原達朗さんがゲスト。西谷さんは、自主映画の裾野を拡げていくために、観る人と作り手の双方を育てることの必要性を語りました。また蛯原さんは、初めての監督経験で知ることになった、演劇とはまた違った映画づくりの大変さを振り返りました。
一方で、地元宮崎からの自主映画作品の応募がほとんどない、という現状にも話は及びました。自主映画に取り組む人の数自体が少ないからなのか、はたまた潜在的な作り手はいるものの、発掘がなされていないということなのか。
映画というものの形が変化していく中で、宮崎の映画文化、ひいては映画界全体の裾野を拡げていくための取り組みが、これからどのようになされていくべきのか。わたくしも注目していきたいと思います。

もう一つのトークショーは、宮崎映画祭20年の歴史を、記録写真とともに振り返っていくというものでした。
第1回の永瀬正敏さんを筆頭に、余貴美子さん、相米慎二監督、豊川悦司さん、押井守監督、香川照之さん、黒木和雄監督、宮崎あおいさん、原恵一監督、富野由悠季監督などなどといった、錚々たる顔ぶれのゲストに彩られた歴史から、出来れば忘れてしまいたいであろう(笑)失敗談まで。いろいろと苦労はあったことと思いますが、よくぞこれだけのことをやってきたもんだよなあ、と感慨が湧きました。
とはいっても、わたくしがこの映画祭に足を運ぶようになったのは、せいぜいここ7~8年程度に過ぎません。それでも、この映画祭がいかに地元に価値ある機会を提供してくれているのか、よく理解しているつもりです。
だからこそ、これからも自分に出来ることで、この映画祭を応援していきたいと、映画祭の歴史を振り返ってあらためて感じた次第であります。

6時間の長丁場でしたが、けっこう楽しませてもらいました。映画祭本体の開催が、より一層待ち遠しくなってきました。