読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

地域にお祭りがあることのありがたみと尊さをあらためて噛み締めた、3年ぶりの生目神社大祭

2023-02-11 19:25:00 | 宮崎のお噂
その名前から「目の神様」として親しまれている、宮崎市郊外の生目神社。2月4日から6日までの3日間にわたって、毎年この時期に開催されている縁日大祭が行われました。わたしは初日の4日に、散歩がてら出かけてまいりました。
昨年と一昨年はコロナ莫迦騒ぎの影響で中止となり、今年は3年ぶりの開催。まずまずの天候のもと、多くの人で賑わっておりました。

本殿の前には、参拝に並ぶ人たちの長い列ができておりました。その列に並び、コロナ莫迦騒ぎが一日も早く終わるよう、神様にお祈り申し上げました(思えば年明けの初詣のときにも、おんなじことをお願いしたんだったよなあ・・・)。
参拝を済ませたあと、参道にずらっと立ち並ぶ露店を見てまわりました。



露店のほうも、家族連れを中心にたくさんの人たちで大賑わい。たこ焼きや焼きそば、串焼き、唐揚げ、クレープ、フルーツあめ、焼とうもろこしなどなど、美味しそうな食べもののお店はもちろん、金魚すくいや射的ゲームといったお店が、お祭り気分を盛り上げてくれていました。そんな中で、子どもたちのグループが思い思いに食べものを買い求めては、それを道端で楽しそうに頬張ったりしております。いい光景だねえ。
オジサンのわたしも子どもたちに負けず、しっかりと買い食いを楽しみました。まずはフライドポテト(詰め放題で400円、ってやつですね)。まあ、屋台ならではのチープなフライドポテトではありますが、お腹が空いていたこともあって美味しかったのなんの。


そして、中のチーズがびよ〜んと伸びるチーズハットグ。コレもすっかり、お祭りの屋台ではおなじみの食べものとなりましたねえ。けっこうボリュームもあって、お腹いっぱいになりました。



お腹もいっぱいになったところで、おみやげを買って帰りました。ひとつは、地元商工会の出店で売られていた、手づくりのドーナツ。


そしてもう2つは、たこ焼きと中津からあげ。これらは晩酌の良きおともになってくれました。タコよりも生地の割合が圧倒的に多い(笑)たこ焼きもまた、屋台の食べものって感じがしていいんですねえ。中津からあげもしっかり味が染みていて、おかげでビールがぐいぐい進みました。




露店で買って食べた美味しいものとともに嬉しかったのは、かわいい犬さんを見かけたこと。かわいくてとてもおとなしかったのですが、そのカラダの大きかったこと。ちょっとした仔馬くらいの大きさはあったでしょうか。

その大きさに驚いて、思わず手にしていたiPadで写真を撮ろうとしたところ、おそらくはご近所にお住まいとおぼしき飼い主さんが、こうおっしゃいました。
「あ、写真ですか?どうぞどうぞ!きょうは特別に(撮影料は)2000円ってことで(笑)」
わはは、こりゃ一本取られたわい、とアタマ掻きつつ、撮影料はサービスしてもらった上で(笑)、タダで撮影させていただきました(飼い主さん、ご厚意感謝申し上げます!)。
こういう楽しいふれあいの一幕もまた、お祭りがあってこそでありましょう。

この3年間は、「感染拡大防止」という「大義名分」のもとで、こういったお祭りやイベントのほとんどが中止を余儀なくされました。そのことによって、露店で買い食いを楽しんだり、お祭りを通して人びとが交流する機会もまた、ことごとく奪い去られてしまったのです。それぞれの地域社会が蒙った損失の大きさ(経済的なことはもちろん、人びとの精神的な面においても)は、測り知れないものがあることでしょう。
しかし、すでに3年もの月日が過ぎる中で、新型コロナ(っていうか、3年も経ってるというのに、いつまで「新型」などと言い続けるんでしょうか?)は当初のような「恐るべき未知の感染症」ではなくなり、数多くの有益な知見が積み重ねられていることでしょう。5月からはようやく、感染症法における「新型」コロナの分類も「2類」から「5類」に引き下げられます(あまりにも遅すぎるのですが・・・)。恐怖煽りによって引き起こされるパニックに振り回され、社会と人心を壊すような愚を、もうこれ以上続けている場合ではないでしょう。
これからは、お祭りやイベントを心から楽しむことができる日常のいとなみを、毅然とした決意のもとで取り戻さなくてはならないと、心の底から思うのです。

3年ぶりとなった生目神社の大祭は、地域にお祭りがあるということのありがたみと尊さを、あらためて噛み締めさせてくれたのでした。

陰鬱になりがちな気持ちを和ませてくれた岩合光昭さんの写真展「こねこ」と、美味しい天ぷら定食のこと。

2022-02-27 17:20:00 | 宮崎のお噂
宮崎県総合博物館にて、先週末(2月19日)から開催中の、岩合光昭さんの写真展「こねこ」、本日(2月27日)観覧してまいりました(会期は4月10日まで)。




岩合さんが日本各地、そして世界各地で捉えた、数多くのこねこたちの写真を集大成した展覧会。県立博物館では2016年にも、岩合さんの写真展「ねこ」が開催されたことがあります(そのときのことは、こちらの拙ブログ記事に記しました)。今回も前回同様、午前中の早い時間帯に観覧したのですが、会場内は家族づれを中心に多くのお客さんで賑わっておりました。
岩合さんのカメラが切り取ったこねこたちの愛らしさに、猫好きのわたしは魅了されっぱなしでした。母ねこの頭上をぴょんと飛び越えたり、水面から飛び跳ねた瞬間を捉えた写真も実に見事で、まさに岩合マジックといったところであります。
こねこはどの表情も仕草も愛らしいのですが、とりわけ母ねこのそばで安心しきって目を閉じているときの表情(閉じた目が逆八の字型になってるのね)が、もうたまらなくってたまらなくって。目の前にいるこねこを、さも愛おしそうに眺めているイヌの写真にも、種族を越えた親愛の情が感じられてほんわかした気持ちになりました。一見いかつい感じのメキシコのおじさんが、こねこがクルマに轢かれないようにと見守っている写真にもほのぼの。
写真に映り込んでいる、各地の風景・風物との取り合わせも興味をそそりました。青森のりんご農園や、「猫島」として知られる宮城県・田代島の漁港。漁のときに腰掛ける「竹馬」が海面いっぱいに立てられているスリランカ・ゴールの海岸。スイスの山あいの村と草原。ペルーの湖に浮かぶ草を編み込んだ浮島。エジプトはルクソールの古代遺跡・・・。
それぞれの場所の風景と風土の中で生きるこねこたち(そして、彼ら彼女らとともに生きるヒトたち)の暮らしぶりに思いを馳せるのも、また楽しいのであります。こねこを抱きかかえて喜んでいるエジプトの少年の素敵な笑顔も、実に印象的でした。
いつまでもダラダラと続く「コロナ禍」ならぬコロナ騒ぎ禍やら、ウクライナでのキナ臭い動きやらで、ともすれば陰鬱になりそうな気持ちを、岩合さんが捉えたこねこたちが和ませてくれました。いろいろと難儀な世の中だけど、このこねこたちのようになんとか頑張って生きていかなくっちゃな・・・そういう思いが湧いてきたのでありました。



観覧後は、博物館から伸びる、街中とは思えない鬱蒼とした森の中の道を通って、久々に宮崎神宮へ参拝。早くコロナ騒ぎ禍が終わってまともな世の中に戻るよう、祭神である神武天皇に祈ってまいりました。きょうは天気が良かったこともあってか、神宮への参拝客も思いのほかたくさんおられました。

宮崎神宮へ参拝したあとは、神宮前の通り沿いにある天ぷらのお店「江戸っ子 神宮店」さんで、お昼ごはんをいただきました。


宮崎市中心部にある老舗の天ぷら専門店「江戸っ子」の姉妹店で、今回が初めての入店となります。けっこう人気のあるお店のようで、お昼どきの店内はお客さんで賑わいを見せておりました。カウンターの中には、注文された天ぷらのタネに次々と衣をつけ、テキパキと揚げておられるご主人の姿が。





カウンターについて天ぷら定食を注文。天ぷらはエビ2尾をはじめ、ふんわりした食感のハモ、大葉の香りが心地よいタイの紫蘇巻き、さらにかき揚げ、レンコン、まいたけ、ナスの全7品。それら揚げたての天ぷらひとつひとつがまことに美味で、ごはんも進むこと進むこと。「ごはんのおかわりどうですか?」というお店の女性の勧めについつい、かなり久しぶりにごはんのおかわりまでしてしまいました。ふと気づけば、カウンターのお隣で同じく天ぷら定食を召し上がっておられた女性客も、ごはんをおかわりしておられました。やはり美味しいものには男女を問わず、食欲が刺激されるものなんですねえ。
ついてきたお新香もなかなか美味しく、食を進ませてくれる名脇役といった感じ。おかげさまで、大いに満腹&満足いたしました。今度はぜひとも、一杯やりながら堪能してみたいものだのう。繁華街の路地の奥にある本店にも立ち寄ってみたくなってきたねえ。
美味しい天ぷら定食もまた、なんだかんだで陰鬱になりがちな気分を和ませてくれたのでありました。

飛行機に乗らなくても、休日に遊びに行く場所としてもいいんじゃないかなあ、と思えた宮崎空港

2021-02-16 22:19:00 | 宮崎のお噂
きょうは久しぶりに宮崎ブーゲンビリア空港、もとい、宮崎空港に行ってまいりました。・・・いえね、どうもいまだに〝宮崎ブーゲンビリア空港〟なる名称には馴染めないもんで(苦笑)。


きょうと明日の2日間、空港ビルへの納入業者向けの物産特売会が開催されるということで、仕事の合間を縫って訪れたというわけであります。
お菓子や畜産・水産加工品、生鮮食品、飲料などなど、宮崎をはじめ九州の物産品が市価よりも格安で買えるというこの特売会。訪れた時間帯が午後だったこともあってか、人気商品のいくつかはすでに売り切れてはおりましたが、それでも気になる商品を5品ほど、買ってまいりました。

それにしても、宮崎空港ってとくに飛行機に乗る用事がなくても、休日あたりに遊びに行くのにもいいんじゃないかなあ、ってあらためて思いましたねえ。
宮崎に伝わる神話を題材にした、藤城清治さんによるステンドグラスの大作が見下ろすロビーでは、さまざまな催しが随時行われていたり、絵画が展示されたギャラリーがありますし。




宮崎をはじめとする九州の美味しいものはいっぱい売られていますし、各種レストランでの飲食も楽しめますし。


航空大学での訓練に使われていた飛行機が展示されている展望デッキからの眺めもいいですし。
(ちなみにここで展示されている機体は、10年前の東日本大震災で仙台空港が被害を受けたため,訓練ができなくなった航空大学校の仙台分校に代わリ、本校である宮崎空港で訓練を行った時にも使用されたものだったとか)





それよりなにより、小さくても充実した品揃えの書籍・雑誌コーナーもありますしねえ。・・・ってここはウチの書店が納入してんだけど(笑)。


しかしながら、いつまでもダラダラ続くコロナヒステリーな世の中のせいで飛行機は減便されて利用客もガタ減りで、残念ながら空港内の利用客はまばらでありました(平日午後の時間帯ということもあったのでしょうが・・・)。何よりつらいのは、飲食店は軒並み短縮営業や休業を余儀なくされていることなんですよねえ・・・。
まったく、非日常と人の不幸が三度のメシより大好物なマスコミに脅され煽られるがまま、いつまでもコロナごときの「不安の奴隷」(発売中の『週刊現代』2月20日号に掲載されている、宮台真司さんと與那覇潤さん、宮沢孝幸さんによる対談記事に使われている言葉から。ついでながら、この対談はいまの全日本人必読だと思います)になったまま、「コロナ怖い怖いごっこ」にうつつを抜かしている場合じゃないでしょうよ。早くこんな狂った状況を終わらさなければ。
県内外の皆さまにおかれましては、早いとこ「不安の奴隷」から抜け出していただいて、宮崎空港をどんどん利用していただきたいものであります。花に囲まれた温水さんもベンチで待ってますので(笑)。




ということで今夜は、物産特売会で買ってきた、「新しき村」や「木城えほんの郷」で知られる木城町は石河内のお母さんグループ謹製の煮しめと、宮崎市にある奥松農園のミニトマト「恋とま」で晩酌いたしました。



地元・石河内で穫れた野菜を使ったという煮しめは、どの具にもしっかりと味が染みていて、まさに正統派のおふくろの味。何度でも食べたくなるような素朴な美味しさでした。「恋とま」も色がきれいな上に糖度も高く、大いに舌鼓をうったのでありました。

なにげない風景を写真で記録し続けることの意味を伝えてくれた「264時間の宮崎 写真展」

2017-08-02 07:34:18 | 宮崎のお噂
日本写真協会によって「写真の日」に制定されている6月1日。その同じ日に、宮崎で活動している写真家たちが集って「宮崎県写真家協会」が発足しました。1989(平成元)年のことでした。
その翌年である1990年、宮崎県写真家協会は6月1日の24時間の宮崎を写真で記録し、後世に伝えていこうというイベントを開催します。協会の呼びかけのもと、プロアマ問わず多くのカメラマンから、さまざまな宮崎の6月1日を記録した写真が寄せられ、それらは写真集として刊行されました。6月1日24時間の宮崎を21世紀まで記録し続けるという意味を込めて「264時間の宮崎」と名づけられたそのイベントは、2000年まで毎年6月1日に開催され、ひとまずの幕を降ろすことになります。

11年間にわたった「264時間の宮崎」で撮影された膨大な写真から選ばれた、約2000点の作品を一堂に展示した「264時間の宮崎 写真展」が、先週7月26日から30日の5日間、宮崎県立美術館で開催されました。わたしも最終日の30日に鑑賞してきました。
「264時間の宮崎」について早い時期から知り、初年度にまとめられた写真集も手元に持っているわたしでしたが、11年間の写真を通して見るのは今回がはじめてでした。




モデルさんを立てて撮影するなどの趣向を凝らした作品もわずかながらあったものの、そのほとんどは宮崎県内各地のなにげない風景と、そこに生きる人びとを淡々と捉えたフィルム撮影のモノクロ写真。それらには、もう失われてしまった懐かしい風景や、新しいスポットが生まれつつある過程など、21世紀を目前に控えて変わっていった宮崎の風景がつぶさに記録されていて、興味の尽きないものがありました。

まだ中心街にあった頃に馴染みだった映画館。青果業者らが繁華街の一角に集まって露店を開いていた通称「青空市場」と、その近くにあった商店街のレトロチックなアーケード。デパート前の歩道にいた靴磨きのおじいさん・・・。それらの、もう失われてしまった宮崎市内の光景を映し出した写真には懐かしさとともに、哀切さをともなった感慨がしきりに湧いてきました。
その一方で、いまの宮崎市を形づくっているスポットの数々が、1993年前後にかけて生み出されていく過程も記録されておりました。宮崎駅の新しい駅舎とその前後の高架化。リゾート施設シーガイア。宮崎公立大学や県立芸術劇場といった文教施設。宮崎銀行や宮崎観光ホテルの新館・・・。21世紀を目前にして、いろいろなものが一気に生み出されていたんだなあ、ということをあらためて知り、また違った感慨が湧いてまいりました。
変わりゆく風景の中でも変わることのない、そこに生きる人びとそれぞれのいとなみも、写真は生き生きと捉えていました。笑顔あふれる子どもたち、黙々と日々の仕事に励む人びと、飲食店で談笑する人びと、穏やかな表情のお年寄り、そして生まれてまもない赤ちゃんの寝顔・・・。

いつもは見過ごしがちな、自分の住む地域の日常の光景と人びとのいとなみ。それらを継続的に記録し続けたことによって、これらの写真はいまの目で見ると実に貴重な資料ともなっているということを、大いに実感いたしました。それとともに、フィルムによって撮影された写真が持つ、なんともいえない味わい深さも、存分に堪能することができました。



当時の撮影に使われていたフィルムカメラや、撮影された写真のチェックや現像に使われていた機材も展示されておりました。写真の機材についてはよく知らないわたしではありますが、これらのカメラや機材にもまた、なんともいえない味わいを感じました。



会場では、「264時間の宮崎」をリニューアルして3年前から始まった「photo264miyazaki」で撮影された「今」の宮崎を捉えたカラー写真も、あわせて展示されておりました。それらからは、撮影した写真家(「264時間の宮崎」にも参加された数名を含む)それぞれの視点や個性が感じられて、また違った意味で楽しめました。中には、360度パノラマ写真という「今」ならではのものも。
現在は写真家として活躍している、高校時代からのわたしの友人も、なかなか素敵な作品を寄せていたのが嬉しいところでした。

会場では、「264時間の宮崎」が始まってから5年目に至るまでの歩みを辿った、地元テレビ局MRT(宮崎放送)製作のドキュメンタリー番組も上映されておりました。
それによれば、「264時間の宮崎」の歩みは決して順風満帆だったわけではなかったようです。作品が思うように集まらなかったり、初年度には発行できた写真集もその後は刊行できずじまいだったり・・・。それを乗り越えて継続していったことで、21世紀を目前にした宮崎の生きた記録がしっかりと残されたということに、静かな感銘を覚えました。
関係者の方々の努力と志に、大いに拍手を贈りたい思いがいたしました。

それから20年足らずが経った現在。デジカメや携帯電話、スマートフォン、タブレットといったデジタル機器の普及で、誰もが簡単に写真を撮り、コミュニケーション手段として共有することができるようになっています。
「264時間の宮崎」をリニューアルした「photo264miyazaki」では、Facebookに設けられたページや特設サイトを通じて、プロの写真家だけではなく一般の方々にも広く呼びかけが行われ、多くの写真が投稿されていました。
(実はわたしも、上記の写真家の友人に誘われて初年度の2015年から参加していて、拙いながらもスマホやタブレットで撮った写真を投稿させていただきました。初年度に参加したときのことについては、拙ブログに記事としてまとめております。→「なにげない街の風景や人びとの写真で記録する『24時間の宮崎』。 ~『写真の日』のイベントに参加して~」
「photo264miyazaki」のFacebookページや特設サイトにもまた、「今」だからこそ捉えることができた宮崎のなにげない風景と、人びとの息づかいが感じられる写真が溢れておりました。
撮影機材がフィルムからデジタルに変わろうとも、なにげない日常の風景といとなみを記録し、後世に伝えることの意味が変わることはないでしょう。「264時間の宮崎」が育んできたものが、デジタル機器の普及を得て再び芽吹き、さらに裾野を広げようとしているということにもまた、感慨を覚えます。

これからさらに、写真による生きた宮崎の記録が積み上げられ、未来へと繋がっていくことを楽しみにしたいと思います。
「264時間の宮崎」を集大成した写真集、いつの日か出るといいなあ。

宮崎県総合博物館の「岩合光昭写真展 ねこ」を観に行く

2016-03-21 22:30:24 | 宮崎のお噂
今月(3月)の3日から、宮崎県総合博物館にて開催中の「岩合光昭写真展 ねこ」、連休最終日であった本日(21日)観に行ってきました(会期は4月14日まで)。


野生動物の生態を腰を据えて記録した優れたお仕事と並んで、日本全国と世界の猫たちを取材した写真をライフワークとしておられる動物写真家・岩合光昭さん。今回の写真展は、岩合さんがこれまで撮り続けてきた猫写真の集大成ともいえる展覧会です。
犬も好きではありますが、どちらか一つだけに決めなさい!と迫られたら躊躇することなく猫のほうを選ぶくらい(←どんな状況だか)猫好きのわたし。開幕以来ずーっと、行きたい行きたいと思っておりましたので、わくわくしながら会場へと赴きました。
午前9時の開館からまもない時間に入館して観覧したのですが、初めは幾分か空いていた展示スペースも、観覧しているうちにいつの間にか人がいっぱいに。やはり、なかなかの人気ぶりでありました。連休でしたしね。昨日(20日)には岩合さんご本人が来場されてギャラリートークなどを行い、けっこう盛況だったようです。


会場には、地中海沿いの国々、そして日本各地の町や村で撮影された、約200点の猫写真が展示されておりました。
ゴロンと寝っ転がって呑気そうに目を閉じ、あーあと伸びをしている猫。真剣な表情で見事にジャンプを決める猫。干してある布団にぶら下がってじゃれている猫。真っ白な壁が美しい地中海の町にある家の窓から顔を出している猫。犬やニワトリと仲良く並んで写っている猫。赤とんぼやカエルにビビっている風情の猫。おばちゃんの背中におぶさって気持ち良さげな猫・・・などなどなど。
挙げていったらキリがなくなるくらい、バラエティ豊かな表情や動作の猫たちの写真一枚一枚に、猫好きのわたしの頬は始終ゆるみっぱなしでした。会場のあちこちからも、観覧客の発する「カワイイ~~♡」という声が。
中でもちょっと目を見張らされたのは、トルコの湖を泳いでいる猫を撮影した一枚でした。前をしっかり見据えながら泳ぐ姿が、実に堂々としていて見事なものでした。猫も泳ぐときには上手に泳ぐもんなんだなあ。ちなみに、その猫が泳いでいる湖の名前は「ワン湖」だとか(笑)。いいなあ。
猫の姿もさることながら、背景に写り込んでいる各地の風景や風物にも魅せられるものが多々ありました。富士山をバックに茶畑からヒョイと顔を出す静岡県の猫。伊万里焼でできた招き猫にマーキングしている佐賀県の猫。雪だらけになりながら動き回っている青森県の猫・・・。
猫たちもそれぞれの地方の風土の中で、たくましくしたたかに生きているんだなあ、ということが、観ていてしみじみと伝わってくるように思いました。
わが宮崎市や日南市で撮影された写真も、5点展示されておりました。懐かしさが残る県南部の町、油津(日南市)を歩く猫の写真なども、なかなかいいものでした。

岩合さんと妻の日出子さんが、かつて一緒に暮らしていたメス猫「海(かい)ちゃん」を撮影した一連の写真もありました。まだ子猫だったときに岩合家にやってきた海ちゃんは、生涯に6回の出産でたくさんの子どもを残すとともに、岩合さんたちにさまざまなことを教え、影響を与えた存在でもありました。
わたしが海ちゃんのことを知るきっかけとなったのは、以前出されていた岩合さん夫妻の写真文集『海ちゃん ある猫の物語』(新潮文庫、1996年刊。現在は品切れ)でした。


今回の写真展でも、16年間にわたって記録された海ちゃんの一生が、凝縮された形で展示されておりました。
子猫だった頃の愛くるしい姿から、子どもたちを産んで母らしいキリッとした表情をした姿まで。愛情と尊敬を込めて撮影されたそれらの写真を観ていると、あらためてジンとくるものがありました。

さらには、島民よりも猫の数のほうがずっと多いということで知られている、宮城県の田代島を取材した写真もありました。しっぽのあたりにハートの形の模様がある猫とその仲間たち。口にくわえた魚を引っ張り合っている2匹のオス猫。嬉しそうな表情で猫を抱っこしている地元の漁師さん・・・。
別の本で知ったことなのですが、東日本大震災による大津波はこの島にも襲いかかったものの、多くの猫は島の中心に建っている、その名も「猫神社」へと逃げて助かることができたのだとか(ムック『珍島巡礼』イカロス出版より)。田代島の猫たちと人たちとの穏やかな共存が、これから先も末長く続いていくことを願うばかりです。

最後に立ち寄った物販コーナー。何か写真集でもあれば買っていこうかなあ、ということで選んだのが、今回の写真展と同じ『ねこ』というタイトルの写真集(クレヴィス)です。


今回の写真展のベースとなったのがこの写真集のようで、展示されていた写真の多くがここに収録されていて、写真展の「図録」といってもいいものとなっています。内容が同じながら手頃な値段の文庫版もあり、どちらにしようか迷ったものの、やはり写真が大きくて見やすいほうがいいか、ということで、奮発して大きいサイズのほうを買いました。
そんなわけで、今夜はこの写真集と、かなり久しぶりに書棚から引っ張り出してきた『海ちゃん』のページをゆっくりめくりながら過ごしているわたしなのであります。ああ、やっぱり和むなあ。