読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

本当に必要な被災地支援とはどうあるべきかを、冷静に考えさせてくれる良記事

2017-07-08 09:59:19 | この記事はいいぞ。
九州北部を襲った記録的な豪雨により、福岡と大分が甚大な被害を受けております。亡くなった方や行方不明の方が出ているほか、これを書いている8日現在も土砂崩れにより孤立状態の地域があり、いまだ被害の全容がつかみきれていないという状況にあります。
熊本と大分を襲った地震から1年あまり、またも九州を襲った自然災害(ことに大分は、地震と豪雨のダブルパンチを受けたかたちです)。つくづく、天を恨めしく思いたくなります。同じ九州に住む人間の一人としても、気持ちが締め付けられる思いがいたします。
被害に遭われたすべての地域にお住まいの皆さまに、心からお見舞いを申し上げるとともに、亡くなられた方々にお悔やみを申し上げます。そして、行方不明となっている方々が一刻も早く見つかるよう、願ってやみません。

甚大な被害の状況が伝えられる中で、被災した地域に何か支援を・・・とお考えの方も多くいらっしゃることとお察しいたします。しかし、たとえ善意からくる支援であっても、それが本当に被災した地域と人びとの役に立つとは限りません。
ファイナンシャル・プランナーでウェブメディアの編集長でもある、中嶋よしふみさんがお書きになった「九州で発生した大雨の災害で、シロウトが被災者支援をすべきではない理由。」(Yahoo!ニュース、7月7日掲載)という記事は、被災した地域と人びとに本当に役立つ支援のあり方はどうあるべきなのかを、冷静に考えさせてくれる良記事です。

中嶋さんは、何かを選ぶことは別の選択肢(とそこから得られるメリット)を捨てること、という経済学における「機会費用」という考え方を紹介し、それを被災地支援に敷衍して論じます。
災害時、輸送インフラが限られてしまっている状況で、必要なのかどうかわからない物資を送ろうとしたり、むやみにボランティアと称して現地へ行こうとすることで、結果的に役に立つ支援を邪魔してしまう可能性がある、と中嶋さんはいい、復興支援においても「機会費用」の考え方が重要であることを強調します。
続けて、メディアやSNSで「◯◯が必要」「◯◯が足りない」といった情報が拡散され、そこで挙げられていた特定の物資ばかりが被災地に集中して届く、といったことが、結果的に他の物資が届くことを邪魔してしまう、と中嶋さんはいい、そのことを工場の生産現場で使われる「ボトルネック」と「リードタイム」の考え方で説明していきます。
全国から集まってくる大量の支援物資を仕分けし、それらを被災地に送り届けることには膨大な手間がかかるため、それが制約=ボトルネックとなってしまいます。そして、現地で必要とされる物資は刻一刻と変わるため、必要な物資の要請を受けてから被災した人びとに届けるまでの時間=リードタイムを考慮せず、数日前の情報に基づいた支援をしようとすることもまた、他の支援物資の輸送の邪魔をしてしまう、と。
中嶋さんは以下のように述べます。

「この記事を書いている時点では、一般人からのボランティアや支援物資の受け入れが出来る状況ではないようだ。善意で何かをしたいという人には不快な話かもしれないが、善意が迷惑になってしまっては不本意だろう。それでも何かをしたい、というのは迷惑を顧みない自己満足に過ぎない。
自衛隊並みに自力で完結するだけの支援能力を持っていないのであれば、節約をしながら募金の開始を待つ、くらいの対応で十分だ」


中嶋さんは最後に、元防衛相の石破茂氏が、災害支援のために常設の防災省を作るべきでは?とコメントしていたことに触れ、次のように述べておられます。

「ここ数か月、国会という希少なリソースを消費して話し合われたことは国民のためになっていたのか。もし、防災省はどう作ればいいのか? 次の災害が起きる前に早く作るべきでは? という建設的な議論がなされていたら、被害の規模はもっと抑えられたのではないか。
おそらく機会費用の考え方を最も理解すべきは国会でスキャンダルを追及し、追及されていた政治家だろう」



この中嶋さんの記事は、被災した地域と人びとのためになるような支援について、あらためていろいろと考えさせてくれる、実に有益なものでした。
メディアから伝わってくる、深刻で悲惨な被害の状況を知るにつけ、とにかくなんとかしなければ、という思いに駆られることはよく理解できますし、わたしもこの数日、何もできないことにもどかしい思いを募らせてもおりました。
しかし、それがいかに善意に基づいたものであったとしても、被災した地域と人びとにとって本当に役立つものとならなければ、やはりそれは「ありがた迷惑」にしかならないということは、肝に銘じておかなければいけないなと思いました。自分のやろうとしていることは、本当に被災地のためになることなのか、それとも単なる自己満足に過ぎないのかという問いかけは、折に触れてなされる必要があるのでしょう。
個人ができることには限りがあるのですから、自分がやれないことは専門のノウハウやスキルを持つ方々や組織に任せながら、自分ができる範囲のささやかな支援(義援金や現地の産品購入など)に徹することが一番なのではないか、そう考えております。
中嶋さんが最後になさっておられた政治に対する問いかけにも、政党の党利党略や、偏狭で視野狭窄なイデオロギーで停滞するいまの政治の不幸を思い、頷きつつ溜息をつくばかりでした。

このような時こそ、被災した地域と人びとを想う「熱い心」と、本当に必要とされる支援とは何なのかを見極める「冷たい頭」を持つことが大切なのだと、中嶋さんの記事を読んで思います。
ぜひとも、多くの方々に読まれて欲しいと切に願います。

自分を見失い気味だったわたしをラクにしてくれた3つの記事

2017-06-24 11:01:10 | この記事はいいぞ。
紙の本と雑誌をこよなく愛するわたしではありますが、Webメディアから発信されている記事の中にも、紙の媒体に負けず劣らず質が良く、学ぶところの多いものが多々ございます。
ともすれば、情報の洪水の中で一過性のものとして忘れられてしまいがちなそれらの良記事を、少しでも広く長く共有したいということで、当ブログでは「この記事はいいぞ。」というカテゴリを設けて、これから時々、それらを取り上げてご紹介していくことにしたいと思います。
その第1回は、このところ自分を見失い気味だったわたしの気持ちに響き、ラクにしてくれた3本の記事をまとめてご紹介していきたいと思います。

まずはじめは、今月(6月)に著書『自分を好きになろう うつな私をごきげんに変えた7つのスイッチ』(KADOKAWA)を刊行された作家・岡映里さんと、同書の漫画パートを手がけた漫画家・瀧波ユカリさんの対談記事「『朝のニュースは見ない』 ネガティブ思考のやめ方」(日経WOMANオンライン「この人に聞きたい!」、6月15日掲載)であります。
「うつ」状態と、その対極の「躁」状態を繰り返す双極性障害と診断された岡さんと、昔から落ち込みやすい癖があったという瀧波さんが、互いの経験から生み出した、心をラクにする秘訣や考え方を語り合った対談記事の前編です。

母親の闘病などもあり、気持ちが沈みがちだったという瀧波さん。落ち込みやすい癖を変えるべく「ネガティブ思考をやめよう」と決意した瀧波さんは、「『今、自分が考えるべき問題』以外からは距離を置くようにしました」といいます。

「ニュースに振り回されるのが、心底嫌になったんです。で、もうやめようと。もちろん日々のニュースの中には考えるべき課題もたくさんあるけれど、差し迫って自分の今日や明日には関係ない。なんでもかんでも深く考えて落ち込むのをやめよう、って」

それを受けて、岡さんも次のように語ります。

「私も、朝のニュースを見るのをやめたんです。テレビをつけると、遠く離れた場所で起きたつらい事件の情報とかがワーっと入り込んでくるじゃないですか。テレビがなければ知り得ないような遠くのつらい事件とか。それを考え出すと、すごく心が疲れるんだと分かって」

瀧波さんはさらに、このように語ります。

「自分の世界の中に、無理やりつらいことを入れずに、うまく距離を取ればいいんですよね。そのためには、『自分を一番大事にする』という気持ちを真ん中に持つこと。『今、私はその話を聞きたくないから』と言えることが重要じゃないかなと」

お二人のこの一連のお話に、わたしは大いに共感いたしました。
もちろん、社会や政治の動きにしっかり関心を持つことはとても大事なことですし、幅広いことへの好奇心を持つことも、生きる上での大切な知恵であることは間違いありません。
しかし、日々洪水のごとく流れてくるニュースや情報(その中には、深刻でつらく悲しいことや、腹立たしくなってくるようなことも少なくありません)に気持ちを揺さぶられることは、それなりにストレスとなるのも事実でしょう。むろん個人差はあるのですが、気持ちが疲れ切り、参っている方にとってはなおさら、強い精神的な負担となるのではないでしょうか。
だから、日々流れてくるニュースや情報の洪水から、時には適切な距離を置いて自分の気持ちを守る、ということも、自分を見失わないために必要な、大切な生きる知恵だとわたしも考えます。そもそも、いかに重要な問題であろうとも、そのことに関心を持つことを押し付けがましく無理強いされるいわれはないのですから。
そんなこともあり、昨日(23日)に日本中を駆け巡った、フリーアナウンサーの若すぎる逝去のニュースについての過剰報道にも、努めて距離を置くようにしております。亡くなったご本人、そしてご家族などの当事者がつらい思いをなさっておられるであろうことはわかりきったこと。そっとしておいた上で静かに悼みたい、と思うのです。

対談記事の後編「自分の嫉妬心に気付いたら 体育会系の対処法がいい」(6月16日掲載)にもまた、実に有益なアドバイスがいっぱいです。岡さんの、

「自分を大事にすることは、得意なことや才能を謙遜せずに認めることだと思うんです。そして、欠点を受け入れて、できないことや恵まれなかったことで自分を裁くのをやめること」

というお言葉と、瀧波さんの、

「『誰とでも仲良くしよう』って無理に思う必要はないですよね。自分と合わない人には必要以上に接触しないと決めることができれば、『誰にでもいい人』でいる必要はなくなるし、嫌な相手を遠ざけることもできる」

もまた、自分を見失い気味だったわたしを勇気づけてくれました。


もう1つご紹介するのは、ライフネット生命の会長(今期限りで退任されるとのことですが)兼CEOにして、書評家としてもご活躍の出口治明さんが、さまざまなお悩みに答えるという「おしえて出口さん!」(Wedge)6月16日掲載の相談へのご回答です。
「人は生まれながらにして境遇に差がある」という意識から、「他人と自分を比較する」ことが避けられない、という相談者の方に、出口さんは、

「『済んだことを愚痴る。人をうらやましいと思う。人にほめてほしいと思う。人生を無駄にしたければ、この3つをたくさんどうぞ』という言葉がとても好きです」

と前置きした上で、

「比較する時間があったら、人は人、自分は自分ということですから、自分が楽しい人生を送るためにはどうしたらいいんだろうかと、自分の夢のほうに考えを集中するほうが、人生を幸せに送れると思います」

とアドバイスを贈っておられます。このお言葉にも、とても気持ちがラクになりました。
職場などでの顔の見える人間関係に加えて、SNSにおける不特定多数とのつながりの中で、ついつい他人を意識しすぎて窮屈になり、あげく自分を見失っていたところが、このわたしにもありました。それだけに、「人は人、自分は自分」というお言葉が、すごく気持ちに響いてまいりました。

そう。人は人、自分は自分。これからはもっと自分を大事にしながら、やりたいことやるべきことに集中していきたいと思っております。よりよい未来をたぐり寄せるためにも。