読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

NHKスペシャル『病の起源』第2集「脳卒中 ~早すぎた進化の代償~」

2013-05-26 23:32:23 | ドキュメンタリーのお噂
NHKスペシャル『病の起源』第2集「脳卒中 ~早すぎた進化の代償~」
初回放送=5月26日(日)午後9時00分~9時49分
音楽=羽毛田丈史 、ナビゲーター=室井滋、語り=伊東敏恵


現代人を悩ませ続ける病の起源を探り、人類進化の視点から正体に迫っていくシリーズの第2集。今回取り上げたのは、毎年世界で1500万人が発症するという脳卒中です。

2年前、脳卒中を発症して手術を受けた北海道の男性。それは、0.2㎜というごく細い血管に生じた「微小動脈瘤」という膨らみにより血管が詰まり、それが破れたことによって引き起こされたものでした。脳の血管は、心臓などの体の血管と較べると壁が薄くできていて、それゆえ破れやすいというのです。なぜ、脳の血管の壁は薄いのでしょうか。
4億年前に脊椎動物として進化した魚類は、脳の血管も体の血管も同じ壁の厚さでした。それが哺乳類へと進化を重ねていく過程で、体の血管の壁は徐々に太くなっていきます。運動による筋肉の発達が、より多くの血液を必要とし、その圧力に耐えられるために変化していったのです。しかし、脳にはそのような変化が起こらなかったことが、脳の血管の壁が薄いままとなった理由でした。

哺乳類の中でも、人類はとりわけ脳卒中になりやすいといいます。それは、共通の祖先であるチンパンジーの3~4倍の大きさという「哺乳類では異常といえる進化」を遂げた、人類の脳の巨大化が引き起こしたものだというのです。
人類の脳は、200万年前から飛躍的に大きくなっていきました。それにより毛細血管の数も劇的に増え、それは総延長600㎞(ハッブル宇宙望遠鏡の位置と同じ高度!)に達するまでになりました。これにより大量の血液が必要となった脳の血管には、幹から枝分かれする部分を中心に高い圧力がかかるようになりました。そのことが動脈瘤の原因をつくり、脳卒中になりやすくなってしまった、といいます。

脳卒中により生じる影響で代表的なのが、手足や口が動かせなくなってしまう運動麻痺。それは、人間の運動能力を司る脳の運動野に血液を送り込む「レンズ核線条体動脈」の破れや詰まりにより、運動神経ネットワークが働かなくなることにより生じる影響でした。脳卒中は、主にこの場所に集中して発症するといいます。
250万年前に初めて石器を作り、それを使うことを覚えた人類。やがて脳の運動野が発達していくにつれて、より手が動かしやすくなっていき、さらに複雑なモノを作り、使いこなすようになっていきました。
脳卒中は、そんな「ヒトの脳で最も進化し、発達したところで起こりやすい」病でもあったのです。

さらに脳卒中を引き起こす頻度を高めることになったのが、6万年前の「出アフリカ」により、人類が容易く手にできるようになった塩でした。
もともと、アフリカには限られた場所にしか塩はありませんでした。現在でも昔ながらの狩猟採集生活を営む、カメルーンのピグミーにも、脳卒中はほとんど見られないといいます。高齢になっても、血圧はあまり上がらないことがその理由でした。
血管における微小動脈瘤の原因となるのは高血圧で、それを引き起こすのが過剰な塩分の摂取です。血中のナトリウムを薄めるために、より多くの血液が必要となり、それにより高血圧になる、というわけです。
さらに、近年は首の動脈が詰まることにより起こる脳卒中も増えてきているといいます。肉や脂の摂り過ぎにより血管に溜まったコレステロールが、血流を詰まらせてしまうのです。
欲望のままに暴走気味となり、偏ってしまっている現代人の食生活が、脳卒中のリスクを飛躍的に高めてしまったのでした。

脳卒中が引き起こされるメカニズムを踏まえた対策や治療法の模索も、番組の最後に取り上げられていました。
九州大学は、福岡県の久山町で50年にわたり、8000人の町民を対象にして脳卒中の発症リスクを調査してきています。それによれば、肥満度が低い人や、週3回以上の運動をしている人は、脳卒中の発症リスクが低いといいます。
そして、アメリカでは幹細胞を脳に送って新たな毛細血管をつくることにより、神経ネットワークを再生させ、手足や口を動かせるようにしていく、という最先端医療が試みられています。

脳卒中の起源とメカニズムをたどったことで、現代における「ぜいたく」がこの病を引き起こす大きなリスク要因となることをあらためて知ることとなりました。
かく言う自分自身も、ついつい塩気と脂っこさのある食物を摂りがちなところがあるだけに、こちらも決して他人事には思えません。
美味しく、かつ体に負担をかけない食のありかたにも気を配らなければいけないな、と思ったことでありました。•••言うは易し、行うは難し、なことではあるのですが。

別府・オトナの遠足 ~路地裏、温泉、ふやけ旅~ 第3回・路地裏酒場で夜はふけて

2013-05-26 20:00:28 | 旅のお噂
【おことわり】
このブログは、閑古堂の主観的、かつ酔いどれながら飲み食いした上での意見・感想であり、お店の価値を客観的に評価するものではありません。あくまでも一つの参考としてご活用ください。 また、このブログは、閑古堂が最後に訪問した'13/5当時のものです。 内容、メニュー等が現在と異なる場合がありますので、訪問の際は必ず事前に電話等でご確認ください。


日中の街歩きをひとまず切り上げたわたくしは、この日宿泊する「ホテルエール」へチェックインいたしました。ホテルや旅館が立ち並ぶ海岸近くにあるホテルであります。
こちら、宿泊料はビジネスホテル並みにリーズナブルなのですが、ありがたいことに屋上には展望露天風呂があり、翌朝まで好きなだけ入れるというのです。ええ、言うまでもなく天然温泉です。わたくし、ここでこの日4度目となるお風呂に浸かりました。•••いやはや、一日でこんなに温泉浸かったのは初めてでありますよ。もう、身もココロもお湯でふやけまくり。

いやあ、別府湾と高崎山の景色を真近に眺めながらのお風呂も、なかなか結構でございましたねえ。わたくし、この後に控える飲み歩きに思いを馳せつつ、しばしお湯に浸かったのでありました。

さあ、温泉もたっぷりと堪能しました。まだ明るさが残る中、わたくしは別府の飲み屋街へと出陣したのであります。

別府駅前の通りから南側のあたりには、懐かしさを感じさせるアーケード商店街が2ヶ所伸びています。そこへいくつかの細い通りが交差し、たくさんの飲み屋が立ち並んでおります。さらにそこから、クルマも入れないような細い路地があちらこちらに入り口を覗かせていて、その奥にも小さい飲み屋がしっかりと看板を出していたりするのです。

細い路地に入り込んでいくうちに、まったく知らない場所に出くわしたり、かと思えば先ほど歩いていたはずの場所にまた戻ったり。まさしくラビリンスのごとき路地裏は面白さと魅力に溢れていて、これはハマりますねえ。
•••でも、歩き回るのに夢中になっていると、どこに入ろうか迷いに迷ってしまうんですよね。さて、どこに入ろうか。路地裏歩きを楽しみたい気持ちと、早く最初の一杯にありつきたい気持ちが千々に乱れてワタシどうしましょ、という感じになってくるのでありますよ。
迷った挙句、目星をつけていたいくつかの店の一つである「チョロ松」というお店に入ることに決めました。

店内に入ると、カウンターには既に常連さんとおぼしき方が数人、いい感じでくつろいでおられます。そんなカウンターの一角に座り、まずは生ビールを注文。食べたいと思っていた「とり天」はなかったものの、「豚天」というのがあったのでそれを注文することにしました。
このお店ってけっこう長いんですか?とカウンターの中で立ち働くおかみさんに尋ねると、こうお答えになりました。
「もう40年以上は経ってますよ。•••あ、でも昭和30年代にできたんだから、えーと、そうするともう50年は過ぎてるのかなあ」
とまあ、いまいちハッキリとはしなかったのですが、いずれにせよ長く続いているお店であることは間違いなさそうでありました。ちょっと可愛らしさを感じる店の名前は、先代が飼っていたというネコの名前からとったそうな。
そうこうしているうちに「豚天」がやってまいりました。揚げたてアツアツが、金属製ジョッキの冷えた生ビールに合って、まずまずの美味しさでありました。
次にこのお店の名物料理という「かも吸」を注文。麦焼酎を飲みながら待つことしばし、ついにご対面となりました。

鴨の肉や内臓、ガラをゴボウや豆腐などと煮込んだ小鍋料理。口にしたとたん、そのコクのある味わいのトリコになりましたねえ。これは絶品でございました。スッキリした味の麦焼酎にもよく合って、いやあ、これは酒が進みましたね。
「かも吸」はやはり人気料理のようで、後から来たお客さんのほとんども注文していた様子でした。いや、これは人気があるのもわかりますよ。本当に美味しゅうございました。
カウンターの中では、中国などから来ている留学生が数人、バイトとして頑張っておりました。さすがは立命館アジア太平洋大学(APU)のある土地柄でありますね。その中でも一番ベテラン格といった感じの中国人の女の子は、日本での就職が決まったんだとか。いやあ、それはよかったなあ。国と国とのあいだは相変わらずギクシャクとしておりますが、どうか負けずに健闘してくれたらなあ、と思うばかりであります。

「チョロ松」を出たあと、もう一軒どこか居酒屋に寄ろうかなと思ったのですが、けっこう満腹感があって、ひとまず食べるほうはもういいか、という感じになっておりました。
でも、せめてバーに寄りたいなあ、とあちこち歩き回った末、かつてのメインストリートであった流川通り沿いに立つ、ビルの2階から見える灯りに誘われるように「ミルクホール」というバーに入りました。

店内に入ると天井が高く、カウンターのほかにボックス席やグループ客向けの個室まであり、思いのほか広いお店でありました。が、大人がゆっくりとくつろぐのにふさわしい本格派バーの雰囲気が、そこにはありました。うん、ココはいい感じだぞ。
聞けば、こちらは開店から20年以上になるとのことで、ここでバーテンダーとして働いたあと、独立してバーを営む方が何人かいるそうです。別府のバー文化を牽引しているお店、といえそうなのでありますね。
余計なことはおっしゃらないながらも、初めてのお店におっかなびっくりやってきたわたくしに、まことに穏やかかつ親切に接してくださったマスター氏。お酒についても並々ならぬ選択眼をお持ちのようで、出して頂いたお酒はいずれも身体に沁み渡るような美味しさでございました。
スッキリした味わいのカクテルを、とのこちらの所望に、「これからの時期にはこちらがオススメですよ」と作って頂いたモヒートは、スッキリした中にラムのコクも感じられて、期待以上の美味しさでした。
ウイスキーを注文すると、「ちょっとめったに手に入らないやつがありますので•••」と、インペリアル(だったと思うのですが•••なにしろ酔っぱらっていたのでいささか正確さに欠けるかも•••)なるウイスキーをストレートで勧められました。これがまた、味はもちろん香りも素晴らしく、舌と鼻を喜ばせてくれましたね。
わたくしより少しだけお若いバーテンダーさんはとても気さくで楽しい好青年でありまして、おかげさまで肩の力を抜いてくつろぐことができました。奇遇なことに、バーテンダーさんのお友達は、なんと宮崎市内で天ぷら屋さんを営んでおられるとか。「竹はら」という繁華街にあるお店だそうでして、そこにもぜひ足を運ばなければいけませんな。
で、楽しい夜を満喫させていただき、お会計ということになりました。めったに入らないというウイスキーまで頂いたので、少々高くなっても仕方がないかなあ、と恐る恐るお会計を見ると•••わたくしが普段通っているバーと同じくらいの、実に良心的なお会計でありました。いやあ、嬉しかったなあ。
「ミルクホール」、ほんと大正解だったなあ•••。わたくし、満たされた気分でホテルに戻り、部屋に入るなりベッドに倒れこみ、そのまま眠りに落ちたのでありました。

さて、2日めは市の北にある鉄輪温泉に向かい、温泉場風情あふれる町並みと地獄めぐりを楽しむことになります。そのお噂はまた次回に!


NHKスペシャル『病の起源』第1集「がん ~人類進化が生んだ病~」

2013-05-19 23:25:16 | ドキュメンタリーのお噂
NHKスペシャル『病の起源』第1集「がん ~人類進化が生んだ病~』
初回放送=5月19日(日)午後9時00分~9時49分
音楽=羽毛田丈史、ナビゲーター=陣内孝則、語り=伊東敏恵


人類を悩ませ続ける数々の病の起源を、生物進化の観点から探っていくシリーズ『病の起源』。
2008年に放送された最初のシリーズから5年を経て、待望の新シリーズが始まりました。昨夜放送されたプロローグに続いての第1集は、日本人の死因のトップであり、人類最大の脅威でもある病、がんの起源に迫ります。

現代病と思われているがん。しかしその歴史はかなり古く、アメリカで発見された1億5000万年前のディプロドクスの化石からも、骨の組織を崩したがんの痕跡が見つかっています。
近年の研究によれば、5億5000万年前の多細胞生物の出現に、がんのルーツが求められるといいます。
多細胞生物は、細胞が失われると細胞分裂により、新たな細胞が補われるのですが、その際に細胞のコピーミスが生じることがあります。それがもととなってがん細胞が生み出され、増殖していくことになるのです。
生物は多細胞化することでさまざまな機能を獲得し、バリエーションに富んだ進化を遂げるというメリットを得ましたが、その代償として、がんになる宿命を背負うことになった、というのです。

多細胞生物の宿命であるがん。その中で、人類は特に大きいがんのリスクを背負っています。遺伝子の99%が同じという人類と共通の祖先、チンパンジーと較べても、ずば抜けて高いリスクです。
その違いは、精子が持つ遺伝子の変化にありました。人類は、700万年前に二足歩行を始めるようになって以降、絶えず精子が増殖していくように遺伝子を変化させていきましたが、がん細胞もそれと同じ仕組みを利用し、増殖できるようになっていったのです。
では、精子が絶えず増殖できるように変化していったのはなぜか。それは、人類の繁殖戦略の変化が原因だといいます。
チンパンジーは、繁殖期になるとメスの生殖器が肥大化するという目に見える変化が生じます。しかし、人類のメスにはそのような外見上の変化は見られなくなりました。それによりオスは交尾のタイミングがわからず、狩りをして得た食料をメスに与えつつ、ひんぱんに交尾をして子孫を増やしていきました。
この繁殖戦略の変化が、結果として人類ががんのリスクを高めた最初の要因となりました。

2つめの要因は、人類の脳の巨大化にありました。
人類は脳を大きくしていく過程で道具を生み出していき、やがては文明を築き上げていくことになります。
その脳の巨大化は、FASという脂肪酸を作り出す酵素がもたらしたものでした。人類のFASは、他の動物よりも多くの脂肪酸を作り出すことができ、それにより細胞が活発化します。そのことで神経のネットワークが生み出され、やがて脳も巨大化していきました。
ところが、がん細胞はFASによる細胞の活発化のメカニズムをも取り込むようになり、さらに増殖する力を持つようになっていったのです。
生命の維持と進化のシステムを逆手に取る、「したたか」ともいえるがん細胞の進化ぶりには、驚きを覚えるばかりでした。

人類ががんのリスクを高めた3つめの要因。それは6万年前の「出アフリカ」にありました。
人口の増加により、日差しの強いアフリカを出て地球のあらゆるところへと移動していった人類。しかし、紫外線の弱い場所にも住むようになったことから、紫外線により生成されるビタミンDが不足するようになり、それががんのリスクを高めるようになった、というのです。
紫外線は浴び過ぎても皮膚がんのリスクを高めますが、浴びなくなることもまた逆効果となるのです。

そして現代になって加わった、がんのリスクを高める要因のひとつが、ライフスタイルの変化でした。
近年、夜勤で働く人たちはがんのリスクが高まる、という研究結果が明らかになっているといいます。女性の場合は乳がんの、男性の場合は前立腺がんのリスクが高い、と。
それらの要因は、睡眠をつかさどる物質であるメラトニンの不足にあるとか。メラトニンにはがんの増殖を抑制する働きもあるのですが、夜間に電気の明るさの中にいることでメラトニンの生成が抑えられ、それによりがんリスクが高まる、ということがわかってきました。

がんの起源とメカニズムが明るみになっていく中で、それをもとにしたがん治療法も模索されてきています。
脂肪酸で細胞を活発化させるFASの研究をしている研究者により開発された「FAS阻害薬」は、FASのみをターゲットにしてその働きをブロック、がん細胞の増殖を抑え、死滅させるというもので、現在臨床試験中とのことです。実用化されればどんな効果が見られることになるのでしょうか。注目したいところです。

人類の進化と歩調を合わせるように増殖力を高めていった、がんの起源と歴史には、あらためて驚かされるばかりでありました。
とはいえ、がんにはまだまだ、わからないことがたくさんあります。ここで明らかになったことをもとにして、さらにどんなことがわかってくるのか。そして、そこからどんな、がんに対抗する手段が生み出されていくのか。
がんという、決して他人事ではない病のリスクを抱える人間の一人として、注目をしていきたいと思います。

別府・オトナの遠足 ~路地裏、温泉、ふやけ旅~ 第2回・温泉三昧でカラダも熱く

2013-05-19 20:05:04 | 旅のお噂
つつがなく別府入りを果たし、到着後まもなく一番風呂にも入ったわたくし。さあ、これから本格的に別府の街を歩こう、ということにしたのでありますが、時刻はお昼時。ちょっと腹ごしらえを、ということで、別府駅にほど近いところにある焼肉と冷麺のお店「アリラン」に入り、「別府冷麺」と焼肉を頂きました。昭和25年創業の老舗であります。
別府で名高い名物のひとつである別府冷麺。戦後まもない時期、旧満州(中国東北部)から引き揚げてきた人たちが、朝鮮冷麺を和風にアレンジして作り始めたのが最初だったそうです。
冷麺専門店をはじめとして、ラーメン屋さんや焼肉店などがメニューに加えていたりするなど、別府の街中には別府冷麺を食べさせるお店がたくさんございます。麺やスープ、トッピングにはいろいろとバリエーションがあるようですが、この「アリラン」の冷麺は、朝鮮冷麺同様にそば粉入りの、ツルツルシコシコと食べ応えのある麺。これが魚介系のあっさりとしたスープによく合って、いやあ、まことに美味しかったですねえ。トッピングのチャーシューとキムチもなかなかいけましたよ。

冷麺は人気メニューのようで、わたくしが食しているときにも冷麺だけを食べていく人たちがいましたが、このお店、焼肉もなかなかのお味でございましたよ。カルビもホルモンも、とろけるような甘さとコクがあって、いやはやビールが進むこと進むこと•••ってまたビール飲んでたワケですが。
ちょっと贅沢で、なかなか充実した昼食を頂くことができましたよ。


腹ごしらえが済んだあと、別府を代表するランドマークである別府タワーに登りました。
東京タワーや大阪通天閣と同じく昭和30年代始めに建てられ、設計者も同じというタワー兄弟のひとつでございます。高さは90メートル。国の有形登録文化財にも指定されております。
360度の眺めが楽しめる展望台に登ると、けっこう観光客で賑わっておりましたね。眼下に眺める別府の街や海の景色はなかなかの絶景でありました。•••が、展望台に嵌め込まれている窓ガラスに、 ところどころヒビ割れが走っているのが、50年以上になる歴史を感じさせるというか、ちょっとばかりスリリングといいますか。そろそろ化粧直ししてあげたほうがいいのではないかと、思ったりしたのであります。
とはいえ、絶好の天気の中で眺める素晴らしい景色は、別府気分を大いに盛り上げてくれましたよ。

展望台には、見学に訪れた地元の子どもたちの感想が張り出されておりました。その中に「三たろうさんにあえてうれしかったです」と書かれているのがいくつかありました。「三たろうさん」って誰だ?と思いつつ見回すと、こういうのが立っていました。

このお方、別府タワーのイメージキャラクターである「別府三太郎」でありまして、この方が「三たろうさん」の正体でございました。
昨今大人気の「くまモン」のようなファンシー風でもなければ、もちろん美少女系でもないオジサンがキャラクターというのが、なんだかいいなあ、と思ったのでありますよ。ガンバレ、三太郎さん!

別府タワーを後にしたわたくしは、街の中心部から少し南に下った浜脇温泉に向かいました。
別府にある温泉の中では特に古い歴史を持つところで、かつては遊郭もあってたいそう賑わったそうですが、今は「湯都(ゆーと)ピア浜脇」という大きめの温泉施設があるほかは観光地らしさもあまりなく、いたって静かな住宅地でありました。
湯都ピア浜脇と同じ建物の一角に、共同浴場「浜脇温泉」がありました。入り口に立つアーチは、昭和3年に立てられた日本初の鉄筋コンクリート製の共同浴場「浜脇高等温泉」の一部とか。わたくし、ここでこの日2回目となるお風呂に入ることにしました。

親切で愛想のいい番台のおばちゃんに案内されて中に入ると、中は古き良き銭湯といった雰囲気でありましたねえ。入っていたのはほとんど近所の方々といった感じ。近くにあったデイサービスに通う方でしょうか、職員の手助けを受けつつ、お湯を楽しんでいるお年寄りもおられました。
湯に浸かると、午前中に入った駅前高等温泉よりも熱めでありました。番台のおばちゃんが中に入ってきて「熱くない?」と訊いてきたので、大丈夫ですよ~、と答えたのでありますが•••ずっと浸かっているとちょいと、熱さがカラダに沁みてきて長くは浸かれませんでしたね。ええ、軟弱者なもので。
ですがわたくし、近所の人びとが普段着で憩う、この浜脇温泉が醸し出す雰囲気に、なんともいえない居心地のよさを感じておりましたね。近所にこういう場所があれば、毎日でも通いたいくらいでありますよ。人びとの暮らしの中に溶け込んでいる温泉、まことにいい湯でございました。

お湯から上がったあと、かつて遊郭で賑わったとおぼしき辺りを歩いてみたのですが、こちらも実に静かで地味な住宅地となっておりました。しかし、碁盤の目のように細く入り組んだ路地が、かつての来歴を静かに語っているかのように思われましたね。建物のいくつかにも、当時の名残が残っているように見えました。

こういう遊郭のあった場所を歩いていると、かつては数知れないほど多くの色と欲、そして喜怒哀楽を飲み込んできたであろう、その町の歩んできた栄枯盛衰の歴史というのを、肌で感じることができるんですよね。そこに、人生のごとき滋味深さがあるのであります。
道端をふと見ますと、一匹のノラ猫が訝しげな目をしながら、見慣れない存在であるわたくしをじーっと見つめておりました。

再び街の中心部へと戻ったわたくしは、別府温泉の顔ともいえる共同浴場、竹瓦温泉へとやってきました。この日3回目のお風呂であります。明治12年に創設され、現在に残る建物は昭和13年のもの。歴史と風格を感じさせるのであります。

別府を代表する観光名所のひとつなのでありますが•••まわりにはオトナのオトコどものための風呂屋•••おソープやらなんやらといったフーゾクが集中していたりするのであります。こっちはオトコ1人なもんですから、歩いていると呼び込みのお兄さんやらオジサンから「さ、どうですか?」とか「いいコいるよ~」とか、やたら声をかけられまして、苦笑しながら通り過ぎるばかりでありましたよ。
でも中には、10メートルばかりついてきて誘ってくるツワモノもおりまして、まあしつこいというか熱心といいますか。•••あのショーバイ熱心ぶり、オレも仕事で見習ったほうがいいかなあ。
呼び込みを振り切りつつ竹瓦温泉へ。昔をしのばせる柱時計があるロビーを抜けて浴場に入ると、これまた昔のままの素朴な温泉場という感じでありましたね。
お湯に浸かってみたのですが•••ここのはさらに熱いお湯でありましたね。浴槽の脇に「42度に調節しております」という表示があったのですが、体感的にはもうちょっとあったような。わたくし、1分浸かるのがやっとでございましたよ。ええ、繰り返しますが軟弱者でして•••。無論、地元の方とおぼしきご高齢の方々は、軟弱者のわたくしを尻目に泰然自若としてお湯に浸かっておられましたね。
祖父に連れられてやってきていた幼い兄妹は、「あちゅ~い」などと言いながらも「いーち、にー、さーん•••」と数を数えつつ頑張って浸かっておりました。見ていると100を数えるまでしっかりとお湯に浸かっていたのでありまして、1分しか浸かれなかったわたくしはその子たちにも及びませんでした。いやはや情けないのでありまして•••オレ、あの子たちに弟子入りしてくりゃよかったなあ。

さてこの後、うまいお酒と料理を求め、いよいよ夜の別府へと繰り出すことになるのでありますが、そのお噂はまた次回の旅のこころだァーッ。•••って、いいかげん小沢昭一さんのマネすんのやめなさいよ。

別府・オトナの遠足 ~路地裏、温泉、ふやけ旅~ 第1回・ヤッターマンと油屋熊八

2013-05-14 23:27:34 | 旅のお噂
木々の緑が美しい季節であります。
生命感に満ちたみずみずしい草木の匂いに鼻腔をくすぐられていると、仕事していたり家に籠っているのがもったいなくなってきまして、しきりと旅心が疼いてくるのでありますよ。
とはいっても、時間とお金に限りあるカナシイ身分。近場であっても気分よく過ごせる場所がいいのであります。
されば、景色よし、街よし、温泉よしの三拍子揃った別府に出かけてみようじゃないか。そしてラビリンスのごとき路地裏散策を楽しみ、温泉に入りまくってふやけようじゃないか!
そんなわけで、なんとかとることができた連休を使い、今月の6日と7日にかけて別府へと行ってまいりました。これから何回かに分けて、別府へのひとり旅•••といってもたいして遠くまで行ったわけじゃないので、せいぜい「オトナの遠足」といったところなのですが•••のご報告を、つらつらと綴っていこうかと思います。

初めて別府を訪れたのは、中学の頃の修学旅行の時でありましたな。名高い地獄めぐりに、昭和4年から続く老舗遊園地・ラクテンチを型通りに回りましたね。
次に訪れたのが、ひとり旅をするようになった20歳くらいの頃でしたかな。まだ早朝の大分駅で、別府へ行く乗り換えの列車を待っていると、ホームレスのおじさんが話しかけてきたのでありますよ。
「これからどこに行くの?」
「あ、えっと、別府に行くんですよ」
わたくしが答えると、そのおじさんは少々声を落として言いました。
「別府に行くんだったら、夜は出歩かんほうがいいぞー。危ないし、何があるかわからんからよ」
現地のことをよく知るヒトからのありがたいアドバイスということで、わたくし、スナオにそれを聞き入れ、夜はホテルから一歩も外に出ずにおとなし~く過ごしたのでありましたよ。なんせ、当時のわたくしは臆病な紅顔の美少年、しかもお酒なんぞも飲めませんでしたからね。
まあ、おかげで危ない目には遭わずに済みましたが、いま思い返せばこのときの旅のことも、その前の修学旅行のことも、これといって印象が残ってはいないんですよね。地獄めぐりのことと、ホームレスのおじさんとの会話のことしか記憶にないのでありますよ。
そんな別府への印象が大きく変わったのは数年前のこと。別府駅の周辺に広がる、ひと昔前の風情が色濃く残ったアーケード街や飲み屋街、そこから網目状に分かれている路地裏を歩き回り、そのラビリンスのごとき混沌さと、昭和を思わせる懐かしさにイカレてしまったのであります。やはり別府というところは、自分の足で街を歩き回ってこそ本当の面白さがわかる、ということを思い知り、この街のことが大好きになりました。
また機会をつくって別府に行かねば、とことあるごとに思い続け、ついにやってきた別府再訪の機会。否が応にも気持ちは踊ったのでありますよ。•••とまあ、いささか前置きが長くなりました。

大型連休も終わろうとしている5月6日。早朝5時起きということでキチンと起きられるか心配でもあったのですが、目覚ましが鳴る30分前にはしっかり目が覚めたのでありますよ。いやー、気持ちが踊っていると早起きも苦にはなりませんね。そして5時57分、南宮崎駅を朝一番に発車する特急列車へ無事乗り込みました。天気は快晴、気分は上々、さあ出発だ!と高揚した気持ちを抱きつつ、一路別府へと向かったのでございます。
もう気持ちが踊ってるもんですから、朝っぱらから車内で缶ビールをプチンと開けて飲んだりなんぞしていたのでありまして•••。普段ならいくら休日であっても朝から酒なんぞ飲みはしないのでありますが、まあこれも旅ならでは、というところですね。
そうこうしながら3時間近くが経ち、列車はついに別府に到着いたしました。
さあさあ着いたぞー!と久々の別府にはやる気持ちのわたくしを駅構内で出迎えたのが•••なんとテレビアニメ『ヤッターマン』のキャラクターたちが描かれた「顔出し」なのでありました。

なんでまた、よりによって別府駅にヤッターマンの顔出しが置いてあるのでありましょうか。さらに駅の前には、ヤッターマンやキャシャーンなどのタツノコプロのアニメ作品のキャラが描かれた幟もたくさん立っているのであります。さらにさらに驚かされたことに、このあと歩き回ることになる別府の街中の至るところで、タツノコキャラをあしらったポスターや顔出しを目にすることとなったのです。
どうやら、別府市とタツノコプロがコラボしての観光キャンペーンをやっているようでありまして•••いやはや、いろいろと考えるもんでありますなあ。まさか、子どもの頃に楽しんでいたタツノコアニメのキャラクターたちに別府で再会することになるとは。
で、わたくし、別府駅前にあったこの幟にくぎ付けになったのでございますよ。

いやあ、このドロンジョ様、実に実にいい感じじゃないですか。この幟、貰って帰りたいくらいだったのでありますが、商店街の一角にあったタツノコアニメ関連の展示スペースで、同じ絵柄のポストカードを無料配布していましたので、これ幸いと貰ってきたのでありまして、めでたしめでたしでした。
それにしても、別府の街のどこかに、こういうお姉さまがいるような飲み屋さんかなんかがあれば、ぜひぜひ立ち寄りたいところでございましたが•••。どうですか、今からでも遅くないので、ドロンジョ様のミニ浴衣コスプレ飲み屋っての、つくりませんかね、別府市の飲食業界の皆さま。けっこうお客を呼べそうだけどなあ。

別府駅前でもうひとつ、異彩を放っていたのが、この銅像であります。

なんともインパクトのあるポージングのこの銅像の人物は、一大観光地としての別府を作り上げた立役者である油屋熊八であります。
1863年、愛媛県宇和島に産まれた熊八は、地元で家業の米穀・肥料商や町会議員を務めたのち大阪へ渡り、新聞社の経済記者を経て株式仲買人として開業します。そうとう羽振りはよかったようでしたが、4年後に相場に失敗して多大な損失を被り廃業。その後アメリカでの放浪などを経て明治43年(1910)、47歳のときにやって来た別府で、熊八は大仕事を成していくことになります。
別府に来た翌年に熊八がささやかに開業した「亀の井旅館」は、やがて大型の宿泊施設へと成長していきました。さらに熊八はバス事業にも乗り出し、日本で初めてとなるバスガイドによる観光案内や、地獄めぐりバスなどの画期的なアイデアを次々と実行に移していきました。さらにはゴルフ場の開発や由布院の開拓までを手がけ、別府を全国でも有数の観光地へと発展させていきました。今に至る別府の基礎を築き上げた、まさに立志伝中の人物なのでありますよ。
熊八さんは子どもたちのためにもさまざまなことをやっていたようですね。童話や演奏などを聞かせる会を立ち上げたり、クリスマスのときにはサンタに扮して水上飛行機で降り立ったりもしたそうな。銅像の台座には「子どもたちをあいしたピカピカのおじさん」とありましたが、このポーズを見るとなんだか熊八さんご本人が子どものごとき、天真爛漫なヒトだったのではないかと思えてくるのでありますが•••。
それにしても、なかなか面白そうな人物でありますよ、熊八さん。この人の伝記が出ているのなら、ぜひとも読んでみたいものですなあ。

別府に来たのだからさっそく温泉に浸かろうと、別府駅前の通り沿いにある「駅前高等温泉」に入り、この日最初の温泉に入りました。

なんともレトロな建物は大正13年(1924)に建てられたもの。入浴料200円を払って中に入ると、「ぬる湯」と「あつ湯」に分かれています。わたくし、移動疲れのアタマをさっぱりさせたいと「あつ湯」に入りました。
浴槽と洗い場は一段低くなっております。「半地下式」といって、別府の共同浴場では一般的な構造だそうです。おそらくは地元の方でありましょうか、先客が2人いらっしゃいました。湯に入ると、あつ湯とはいえ割とよい加減で•••いやあ、実に気持ちよかったですねえ。
「くぅ~~、オレは別府に来たんだなあ~」
湯の中でわたくし、しみじみと別府に来ることのできたヨロコビを噛み締めたのでございました。

さあ、この後はいよいよ、別府のレトロな路地裏ラビリンスと、共同浴場をめぐる散策へと踏み出していくことになりますが、そのお噂は次回の旅のこころだァーッ。