読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

『すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ』 江戸の四大名物食を辿ることで見えてくる、外食文化の豊かさと大切さ

2020-05-31 14:35:00 | 美味しいお酒と食べもの、そして食文化本のお噂


『すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ  江戸四大名物食の誕生』
飯野亮一著、筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2016年


日本各地はおろか、世界中から美味しいものが集まってくる大都市東京。その中にあって、江戸時代から現在に至るまで、〝江戸前〟と呼ばれるような東京の名物料理として認識されているのが、寿司・天ぷら・蕎麦・うなぎの蒲焼であります。わたしも以前、仕事がらみの用件で東京に赴いたおり、浅草の商店街にある老舗のお蕎麦屋さんで日本酒とともにお蕎麦を食し「ああこれが江戸前の正統派蕎麦なんだなあ」と感慨にふけったことを、今も昨日のことのように思い出します(また行ってみたいなあ、あのお蕎麦屋さん)。
そんな江戸の四大名物食をそのまま書名にした本書『すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ』は、これらの料理がどのようにして生み出され、江戸の名物食として定着していったのかを、膨大な量の文献史料を繙きながら明らかにしていく、文庫書き下ろしの労作です。

まず最初に登場するのが蕎麦。そばの名産地である信州で生まれたそば切りは、江戸においてはまずお寺で始まり、やがてそば切りを生業とするお店が現れるようになりました。
もともと、穀類を粉に挽いて麺状に加工することは小麦のほうが早く行われていて、そば切りの名が文献に現れるのは、うどんから遅れること200年以上経ってから。その上、うどんを食べていた上方方面から集まってきた人が多かったり、そば切りは「下々の食べ物」とみなされていたりしたこともあって、江戸でもしばらくはうどん屋のほうが優勢だったようです。その後、そばの値段が安定して江戸市民に馴染み深い食べものとなったことに加え、低廉なお店から高級店まで多様な業態のお店が現れ、幅広い客層が形成されたことで、江戸はうどんの町からそばの町へと変貌を遂げたのだとか。
江戸時代におけるそば屋を象徴する存在だったのが「二八そば屋」。その名称については、そば粉と「つなぎ」である小麦粉の原料配合割合を表しているとする説もあるのですが、本書は当時のさまざまな文献を参照しながら、これがそばの売値(二×八で十六文)を意味するということを立証していきます。諸物価が高騰していたインフレの時期に(1710年からの6年間で、白米や醤油などの日用品が2〜3倍に値上がりしていたのだとか)、二八で十六文を看板にしたそば屋のアイディア商法が当たって話題を呼んでいたのでは、と本書は推測します。
江戸時代のそば屋を象徴するもう一つの存在が、「夜鷹そば」や「風鈴そば」と呼ばれていた夜そば売り。担い棒の両端に小さな屋台を取り付け、そばを売り歩いていた夜そば売りは、火災の原因になるとしてお上から度々禁じられながらも、「江戸の東や西、市外の橋のたもとにまで、月夜でも雨夜でも風鈴を鳴らし、風鈴のならない場所はない」といわれるほど、数多くの夜そば売りが江戸の広い範囲を売り歩いていたのだとか。
二八そば屋や、高級店であった手打ちそば屋が午後十時頃まで営業した後は、夜鷹そばのような夜そば売りの本格的な出番となり、「江戸市民は昼夜を分かたずそばが食べられた」というから驚きです。まさしく、蕎麦は江戸時代におけるコンビニエンスなファストフード、だったんですねえ。

次に登場するのがうなぎ。本書で取り上げられる四つの食べものの中で、一番はじめに「江戸前」を売りにするようになったのが、うなぎでした。隅田川や深川、築地あたりで獲れるうなぎを上品な「江戸前」と称してもてはやし、それ以外は「旅うなぎ」として低いランクづけがされていたとか。江戸前うなぎは、現在見られるような「関あじ」「大間まぐろ」といった地域特産の「ブランド魚」化のはしりでもあったということを、本書は指摘しています。
「江戸前」を看板にしたことに加え「土曜丑の日ウナギデー」を年中行事として定着させたことにより、うなぎの蒲焼は江戸の名物料理として発展していくことになります(なお、「土曜丑の日ウナギデー」の発祥説としてよく語られている「平賀源内発案説」については、裏付けとなる文献が残されていないことなどを理由に、本書では疑問符をつけています)。
うなぎがより一層広まっていく要因となったのが「付けめし」。もともとうなぎは酒の肴として、串に刺したものをそのまま食べるのが主流でしたが、蒲焼に飯を付けた「付けめし」を始めたことで、酒を呑めない人、女性や子供にまで客層を広げることができたのです。やがてそこから鰻丼が生み出され、その後のどんぶり物文化に先鞭をつけることになります。
蒲焼人気が広まっていくにつれて、焼き方やタレにも工夫が凝らされるようになっていきます。焼きだけでなく蒸しの技術が確立したり、醤油にみりんを加えて甘辛くしたタレが普及したことで、蒲焼人気はさらに高まっていったのだとか。

次に登場するのが天ぷら。天ぷらはもともと、四文銭一枚のワンコインで食べられるファストフードとして屋台で売られることで、人気を博していました。当初は武家の奉公人や商家の丁稚といった低所得層が客の中心でしたが、やがて女性や武士にまで客層が広まっていったことが、当時の文献に描かれた絵から見てとれます。
天ぷらに欠かせない天つゆと大根おろしも、すでに天ぷらの屋台で提供されていました。特に大根おろしは、油っこい天ぷらをさっぱりと食べさせるための工夫として、天ぷらの普及に果たした役割は大きいと、本書は指摘します。
天ぷらが広まっていく中で生み出されたのが、そばと組み合わせた天ぷらそば。日本橋南詰にあった天ぷら屋台の名店「吉兵衛」の隣にそば屋の屋台が出ていて、そば屋でそばを買った客が「吉兵衛」の天ぷらをトッピングして食べたことが、天ぷらそばが生まれるきっかけになったのだとか。
天ぷら人気が広まり、高級志向の天ぷら店が出現する中で登場したのが「金麩羅」。当時はまだ高価だった鶏卵をコロモに使った黄色い天ぷらに、高級感を強調するようなネーミングを施したのが「金麩羅」でしたが、鶏卵の値段が安くなり、コロモに鶏卵を使うのが当たり前になってからは使われなくなっていったそうな。

そして最後に登場するのがすし。もともと、塩漬けにした魚を飯と一緒に長期間漬け込み、発酵、熟成させる「なれずし」として生み出されたすしでしたが、やがて魚や飯に酢を加えて一晩漬け込んだだけの「早ずし」が考案され、それは箱に詰めて重石をかけて作る押しずしとして普及し、江戸の市中でも売り出されるようになりました。
押しずしもまた、屋台でテイクアウトされる形で売られていたのですが、徐々に立ち食いさせるスタイルへと変化していき、そこから「忍術使いのような手つき」ですしを握り、その場で食べさせるというアイディアが生み出されることになります。握りずしの誕生です。
握りずしが生み出されたことですし人気は爆発。それまで江戸の飲食店ではそば屋の三分の一以下にすぎなかったすし屋の数もまた一気に増え、ついにはすし屋の数がそば屋を上回ります。幕末頃には、江戸の四大名物食のうち、すし屋が一番店舗数が多かったようだ、というからすごいものです。
江戸で握りずしが人気となった要因の一つが、白米の普及です。江戸の町には多くの搗き米屋があり、すし飯に使う上質の白米が安易に入手できたとか(鰻飯が人気を呼んだのも、この白米の普及があってのことでした)。
そしてもう一つの要因が、江戸前の豊富なすしダネの存在。かつては下魚とされながらも、すしダネになることで上魚へと出世したマグロをはじめ、アワビ・車海老・白魚・コハダ・アナゴ・小鯛・タコ・アジ・サヨリ・キス・赤貝・サバといった魚介類を、それぞれの素材に見合った「仕事」ですしダネに仕立てることで、握りずしは江戸の名物食になっていった、と。
ちなみに、昔の握りずしはかなり大きかったようで、「とうていひと口では食べられず、ひと口半ないしふた口でやっとという大きさ」だったのだとか。アナゴなどは一匹丸ごと甘煮にされてご飯の上に乗っかっていたそうで、なんとも豪快なことであります。

著者である飯野亮一さんが、同じくちくま学芸文庫で出した『居酒屋の誕生』と同様、本書にも江戸時代の文献史料から引用された図版が豊富に散りばめられております。
夜鷹そばの屋台で買ったそばをすすりながら、焚き火で暖をとっている人たち。蒲焼屋の二階で蒲焼と付けめしを前にして酒を飲んでいる男。油煙が上がる屋台で天ぷらの立ち食いを楽しむ人たち。色とりどりのすしが並んだすし屋の屋台ですしを選んでいる人・・・。そんな光景が描かれている絵を眺めていると、その中に飛びこんでそれぞれの食べものを心ゆくまで味わいたくなる気分になってきます。

本書で取り上げられた食べものはいずれも、江戸が誇る外食文化の中から生み出され、発展していったという点で共通しているように思います。天ぷらそばが生み出されたのも、腕を磨いたプロの作り手と、より美味しく食べたいという食べ手との幸福な出会いと化学反応から、食の世界が広く豊かなものとなっていくことの好例であるように、わたしには思えます。
翻って現在。新型コロナウイルスの感染拡大を理由とした〝休業要請〟やら〝自粛〟やらによって、飲食店の多くが苦境に立たされています。長年にわたって親しまれてきた老舗のお店が廃業するなどといった痛ましい話が聞こえてくる一方、なんとか生き残ろうと試行錯誤を重ねるお店も多くあります。
たしかに家庭で食する料理も食文化の大きな柱であり、テイクアウトでプロの美味しさを気軽に楽しむのも、またいいものではあります。ですが、過剰なまでのコロナパニックの中で、作り手と食べ手の出会いと化学反応から広がっていく、外食文化の豊かさや意義深さが見失われるのであれば、食の世界はなんとも味気ないものとなってしまうのではないか・・・と危惧いたします。

江戸が誇る四大名物食が発展していく歴史を辿った本書『すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ』は、外食文化の豊かさと大切さを再認識させてくれます。
本書の序章には、『気替而戯作問答』(きをかえてげさくもんどう)という絵草紙の一節が引用されているのですが、これが実にいいのです。
「たとへ吉野の花がいかほどみごとじやとてもひだるい(ひもじい)ときは一本のあやめだんごにしかず。楊貴妃や小町がなんぼ美しくても、腹のへつたときの夜鷹蕎麦一つぱいにはしかず。花より団子、色気より食い気とは此ゆへなり。稼がずに喰はふと思ふはむり。ずいぶん稼いで大飯を喰らひたまへ」
緊急事態宣言も解除されたことですし、いつまでもコロナに過剰に怯えるのは終わりにして、みんなで「ずいぶん稼いで大飯を」食べようではありませんか。日本を立て直して元気にするためにも。


【関連おススメ本】

『居酒屋の誕生 江戸の呑みだおれ文化』
飯野亮一著、筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2014年

江戸の外食文化が発展させたもう一つの業態、居酒屋。それがどのように生まれ、発展していったのかを、数多くの文献史料から辿っていく一冊です。同じ著者による『すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ』と同様に図版が豊富に引用されて、当時の空気感がいきいきと伝わってきます。当ブログの紹介記事はこちら。→ 【読了本】『居酒屋の誕生』居酒屋の歴史と江戸人の呑みっぷりを生き生きと伝える一冊

【読了本メモ的レビュー】 海外との関わりから〝日本料理〟としてのカレーを考えさせてくれる『カレーライスと日本人』

2020-05-24 23:53:00 | 美味しいお酒と食べもの、そして食文化本のお噂


『カレーライスと日本人』
森枝卓士著、講談社(講談社学術文庫)、2015年
(原本は1989年に講談社現代新書として刊行)


一見小難しそうに見える本ばかりではなく、じつは食に関する書物も多い講談社学術文庫。子どもも大人もみんな大好きなカレーライスについての本も、2冊入っております。
一冊は、以前当ブログでご紹介した『カレーライスの誕生』(小菅桂子著)、そしてもう一冊が、今回取り上げる『カレーライスと日本人』です。1989年に講談社現代新書として刊行された元本に、その後の取材で明らかとなった事柄を盛り込んだ「補遺」と、カレーに関する書籍紹介を加えて文庫化したものです。1989年に現代新書版で出て間もない頃に買って読んで以来、30年ぶりの再読となりますが、あらためて興味深く、面白く読むことができました。

『カレーライスの誕生』が、豊富な文献資料をもとにしてカレーの日本伝来から現代までの歴史を辿った〝文献探究型カレー本〟だとするなら、東南アジアを中心に食文化についての取材を続けている写真家・ジャーナリストの森枝卓士さんによる本書は、いってみれば〝行動探究型カレー本〟。カレーのルーツを探るため、インドやイギリスへと足を運ぶなどの実地取材と検証から、カレーと日本人との関わりを探っていきます。

インドではさまざまな家庭を訪問して、実際にカレーが作られ、食されるところを取材します。そこでまずなされることは、マサーラ(スパイス)を調合して、石臼もしくはミキサーでそれらをすり潰すこと。インドにおいては、「どんなスパイスを選ぶか、どう調合するか、そしてすりつぶしぐあいといった一連の作業がもっとも重要なプロセス」なのだといいます。
使われるスパイスの量はかなり多いとはいえ(とある家庭では「店でも開こうっていうのかしら」と思うほどの多さだったとか)、それは辛さを強調するためではなく、あくまでも香りを強調するため。また、小麦粉でとろみをつけることもせず、「西洋料理のソースのようなものがからんだ肉や野菜の料理であるか、汁状のもの」のいずれかであって、日本のカレーと似ているか近いと感じられるものは見られなかったとか。これらのことから森枝さんは、インドのカレーは日本のカレーの御先祖様ではあっても、直系の親戚か祖先というより「昔は血のつながりもあったらしい」というほどのかなり遠い親族ではないか、と考えるに至ります。
それほどまでに違うインドと日本のカレー事情ですが、ためしにさまざまなインドの人々に日本式のカレーを食べてもらったところ、「味は悪くない」「美味しい」という反応が圧倒的だったそうな。なんだか妙にウレシイ話でありました。

日本で記録の残る最古のカレー調理法である、カエルの肉を使ったカレー(明治5年刊の『西洋料理指南』に出てきます)。その明確なイメージを掴もうと、当時のレシピを参考にしながら、カエルカレーを実際に作ったりするところも、まさしく〝行動探究型〟である本書の面目躍如です。カエル肉の入手にはずいぶん苦労したようですが(結局は川魚専門店で入手)、味のほうは「まずいものではなかった」とのこと。このカエルカレー自体、インドというより英国、ヨーロッパの流れを汲んだ〝西洋料理〟としてのカレーを日本化したものであるといいます。
日本におけるカレーの歴史を辿った記述で興味深かったのは、明治31年に出された『日本料理法大全』という、文字通り日本料理のオンパレードである書物の中にも、カレーの作りかたが登場しているということ。かなり早い時期から、カレーはれっきとした「日本料理」だったわけなんですねえ。

本書の後半では、カレーが「日本料理」として受容されていった理由についての考察がなされます。国を根底からゆるがすような歴史的大転換が、この一世紀ほどの間に集中する中で勢いのあった日本の国民が、外に対して開放的になり何でも受け入れていく時期に、カレーもまた受容されていったのでは・・・などと。
森枝さんは、日本料理の代表のようにいわれるテンプラや寿司も、そのルーツを辿れば外国へと行きつくことを指摘して、外国からさまざまなものを受容しながら独自に発展させていく日本文化のありようを評価し、次のように述べています。

「テンプラや寿司は日本料理で、カレーやコロッケはちがうという発想にみなおちいりがちだ。しかし、それはちがうということである。偏狭な国粋主義では何もみえてこない。テンプラやカレーも同じ次元で考えなくてはならない。ここまでみてきたカレーの物語が、ほかの食べ物にも同じように存在したのではないかということである。そういった意味では、カレーが日本で受け入れられたことは、それほど大変な変化ではなかったということではないだろうか」

国単位の狭い視野で見るのではなく、海外から伝わったことも受け入れながら発展していった過程に目を向けることで、日本の食の世界はより一層豊かな形を持って見えてくるのではないか・・・そんなことを教えてくれる一冊であります。


【関連おススメ本】

『カレーライスの誕生』
小菅桂子著、講談社(講談社学術文庫)、2013年(原本は2002年に講談社選書メチエとして刊行)

講談社学術文庫のもう一冊のカレー本であり、学術文庫版『カレーライスと日本人』巻末のカレー関連書籍紹介でも触れられているのが、こちら。日本最古のカレーレシピであるカエルカレーについてのお話を含めた、日本におけるカレーの歴史が網羅的に記されていて、とても勉強になります。当ブログのレビューはこちらを。→ 【読了本メモ的レビュー】『カレーライスの誕生』

『ジャーナリストの生理学』 昔も今も変わらないジャーナリズムの病理を、完膚なきまでに暴き出したバルザックの怪著にして快著

2020-05-18 22:41:00 | 本のお噂


『ジャーナリストの生理学』
オノレ・ド・バルザック著、鹿島茂訳、講談社(講談社学術文庫)、2014年
(原本は1986年に新評論より『ジャーナリズム博物誌』として刊行、1997年に『ジャーナリズム性悪説』と改題してちくま文庫に収録)


『谷間の百合』『ゴリオ爺さん』などの作品で知られる作家バルザックが、彼の生きた19世紀のパリに跳梁していたジャーナリストや批評家の生態を活写しながら、皮肉の効いた語り口で徹底した批判を加えていくのが、本書『ジャーナリストの生理学』です。
バルザックはまず、ジャーナリストを「政治ジャーナリスト」と「批評家」という二つの属に分け、それぞれに属する亜属(前者だと「新聞記者」や「大臣亡者の政治評論家」など、後者だと「由緒正しい批評家」や「学芸欄担当者」など)ごとの特色や生態を、当時実在していた新聞や書き手の実名を挙げながら描き出していきます。

本書を読んで驚かされるのは、バルザックが描くところの19世紀パリのジャーナリストの特質や生態の数々が、現代のジャーナリストにもそっくりそのまま当てはまるということです。
たとえば、「新聞記者」の変種として挙げられている「冒頭社説記者」。バルザックは、冒頭社説には「野党型と与党型」の二種類のタイプがあると指摘した上で、それぞれについてこう述べます。

「野党側の冒頭社説の記者は、政府が何をしようと、必ずなにか難癖をつけ、非難し、叱責し、忠告しなければならない。一方、政府側の冒頭社説の記者は、政府がどんなことをしでかそうと、必ずそれを弁護することになっている。前者は常に変わらぬ否定であり、後者は常に変わらぬ肯定である」

まさしく!この文章における「野党側」と「与党側」それぞれの類型に当てはまるようなメディア(新聞に限らず)の実例は、現在のわが日本においても馴染み深いものなのではないでしょうか。
そして、社説を書く者は「みずからの考えを述べる機会はほとんどなく、予約購読者の大多数が抱いている考えを言葉にすることにひたすら心を砕かなければいけない」と述べた上で、このように畳みかけるのです。

「事実を書かないという点では、野党新聞も与党新聞もまったく選ぶところがない。ジャーナリズムは、内外で「報道の自由」という言葉から人が想像するほど自由なものではないのである」

まさしくの2乗!と膝を打ちたくなる指摘であります。「報道の自由」や社会正義を掲げながら、事実よりも自分たちのイデオロギーや、主要な読者(あるいは視聴者)の考えに阿っているだけという、昔も今も変わらないジャーナリズムの欺瞞を、痛烈に言い表しているように思いました。
「政治ジャーナリスト」の亜属「信念を持つ著述家」の変種として挙げられている「狂信者」の定義もなかなか、皮肉が効いております(ヴォルテールの悲劇に登場する人物の名をとって〝セイド〟と名付けられています)。

「セイド〔狂信者〕とは、いつまでも若者気質の抜けきらない人間のことである。すなわちセイドはひたすら信じ、常に熱狂している。(中略)師に対してすっかり入れこんでいるので、障害など気づきもしない。その献身ぶりは時に軽率な振舞いにまで及ぶこともあるが、自分ではイエス・キリストのように、人類のためとあらばいつでも身を犠牲にする覚悟でいるのである」

うはは、あるある〜!こんなふうに特定の主義主張の虜になって、それに身も心も捧げているような向きもまた、現代でも見かけますよねえ。
そして極め付きの「あるある」な類型なのが、「批評家」属の亜属である「小新聞記者」の変種として挙げられている「お調子者」。「世論の尻馬にのって見当違いな誹謗中傷を行」い、「あくまで自分の楽しみのため」に人を攻撃するという「お調子者」の生態を、バルザックはこのように記します。

「なにかスキャンダルの種になりそうなことがあると、それが小指も通らぬような小さな穴でも、むりやり腕をつっこんで広げ、たいした悪いことでなくとも極悪非道の大罪のように書きたてる。(中略)人にどれほどの苦しみを与えているのかほとんど意識もせずに、短マントのポケットに手をつっこんで葉巻をくゆらせながらブールヴァール(引用者註:大通りのこと)を闊歩し、どこかに天誅を加えるべき馬鹿はいないかと、もっぱら犠牲者探しにうち興じる」

このくだりなどはジャーナリズムのみならず、SNSあたりで他者を中傷することに汲々としているヒトたちにも、ピッタリと当てはまるのではないでしょうか。目下のところでいえば、新型コロナをめぐる〝自粛〟をしないお店や人に対して非難や中傷を行う〝自粛警察〟あたりも、この類型の一種という感じがいたします。されば、ああいうヒトたちには〝自粛警察〟という呼び名よりも、それこそ〝自粛お調子者〟の方がよりふさわしいように思えるのですが。
さまざまなジャーナリストや批評家の類型を分析したあと、バルザックは「結論」の中でこのような〝公理〟を示します。

「ジャーナリストにとって、ありそうなことはすべて真実である」

事実を伝えることよりも、いかにもありそうな憶測や、それぞれのイデオロギーの都合のいい形に加工した〝真実〟を喧伝することにこれ努めるジャーナリズムの病理を、実に簡潔かつ的確に言い表した言葉であるように、思えてなりませんでした。

巻末では、訳者の鹿島茂さんが本書の成立事情について行き届いた解説をお書きになっていて、これもまた読みものとして実に面白いものでした。
解説を読むと、本書においてジャーナリズムをケチョンケチョンにこき下ろしていた他ならぬバルザック自身、さまざまな新聞に寄稿したり、自らも個人雑誌を創刊したりと、ジャーナリズムの世界に深くコミットしていたことがわかります。そして、ジャーナリズムへ惹き寄せられる時のバルザックには「金と権力」への欲望が働いていたということや、ジャーナリズムの世界で成功できなかったことが、ジャーナリズムに対する憎しみとなって表れているという「身も蓋もない」事情も、しっかりと記されています。
自らもジャーナリズムにコミットする中でその表と裏に通じ、野心と挫折をたっぷりと味わったからこそ、現代にまで通じるような本質を突く洞察が生まれたんだなあ・・・そう納得したのでありました。

昔も今も変わらないジャーナリズムの病理を、完膚なきまでに暴き出したバルザックの怪著にして快著である『ジャーナリストの生理学』。ジャーナリストは「正義と真実の味方」だという思い込みから覚めるための、得難い一冊であると思いました。

『学術の森の巨人たち』 学術書の編集人としてのあるべき姿を体現した、講談社学術文庫編集者の随筆集

2020-05-16 11:07:00 | 「本」についての本


『学術の森の巨人たち 私の編集日記』
池永陽一著、発行=熊本日日新聞社、発売=熊日出版、2015年


青い背表紙にトキのマークでおなじみの、講談社学術文庫。1976(昭和51)年の創刊以来コンスタントに刊行を続け、発行点数は今年(2020年)5月現在で2600点近くに達しています。まさしく、学術・教養系文庫を代表するレーベルといえましょう。
その講談社学術文庫の創刊から長きにわたり、編集者として携わってこられたのが、本書『学術の森の巨人たち』の著者である池永陽一さんです。本書は、学術文庫の立ち上げ当時の奮闘や、編集を手がけた書物と著者との出会いにまつわるエピソードなどを綴った随筆を一冊にまとめたものです。

「学術をポケットに!」をモットーに、近寄りがたい学術書を文庫という親しみやすい形で提供する講談社学術文庫ですが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。
創刊当初は、出版大手の講談社が学術部門にまで進出してきたということで、自分たちの領域が侵されると感じた学術系の出版社、とりわけ中小の版元の反発が大きかったといいます。他社から刊行されたものを学術文庫に収録しようとしても、相手の出版社から版権を譲ってもらえないことも多くあったとか。その一方で、学術部門では後発の講談社には専従の部署がなく、学術文庫とともに医学系事典の企画・編集を掛け持ちするなど、編集体制も一定せず流動的だったりして、池永さんら編集メンバーも大いに苦労なさったようです。
そんな中でも、できるだけ読者の便宜を図ろうと原本にルビや注、付表や写真を盛り込むなどの編集を施し、物によっては原稿の手入れに一日に3、4ページを費やすことも多かったとか。そういった地道で良心的な仕事の積み重ねが、今に続く学術文庫の基礎と評価を築き上げたのだなあ、と感じ入りました。

池永さんら編集メンバーによる丹念な仕事によって生み出された、学術文庫の一冊一冊にまつわるエピソードも実に興味深いものがありました。
福島県に生まれ、早稲田大学を首席で卒業したのち渡米して、エール大学の歴史学教授となった朝河貫一が、日露戦争後に世界から孤立する道を辿る祖国日本への忠告と批判を試みた『日本の禍機』。池永さんですら全然知らなかったというこの書物を「時代こそ違えまさに今日の日本への警鐘だ」と推薦したのは、英文学者の由良君美さん。学術文庫として刊行後、「朝河の予見の確さと祖国愛には学ぶべきものが多い」と高く評価されたこの本は、現在もロングセラーとして読み継がれています。わたしも、この本のことはまったく知りませんでしたので、大いに読んでみたくなりました。
トロイア遺跡発掘の過程を綴った『古代への情熱』で有名なシュリーマンが、幕末の日本を訪れたときの記録『シュリーマン旅行記 清国・日本』が学術文庫に収められていたことも、本書で初めて知りました。この本のもととなったのは、翻訳者である石井和子さんの私家本。子供の頃からシュリーマンに憧れていた石井さんの息子さんがパリの国立図書館で見つけ、母親である石井さんに訳を託したものだったのだとか。これも読んでみたいなあ。

池永さんが熊本のご出身ということで(本書の中心をなすエッセイの多くは、熊本の地元紙である熊本日日新聞に連載されたものです)、熊本ゆかりの人物についての文章もいくつか収められています。その一人が、現在の益城町に生まれ、明治から昭和にかけての日本に大きな影響を与えた言論人、徳富蘇峰です。
皇室中心主義を唱え、大東亜戦争のイデオローグとして戦犯に指名された一方、歴史を見る眼の確かさや視野の大きさが評価されてもいる蘇峰。学術文庫では、その蘇峰の代表作である『近世日本国民史』(50巻まで刊行されるも未完)に加えて、敗戦後に記された『終戦後日記 ー 頑蘇夢物語』が収められています。
この本は、蘇峰が「自分の死後100年経ってから出版するように」と柳行李に保管していた原稿を、「蘇峰の名が人々の記憶にある今のうちになんとか本にして残しておけないだろうか」というお孫さんからの相談を受けて書籍化したもの。この中で蘇峰は、勝者による一方的な裁きである東京裁判の不当性を激しく弾劾する一方で、当時の天皇をはじめとする指導者らの戦争敗北の責任も厳しく指摘しているのだとか。蘇峰に対してある種の固定観念を持っていたわたしですが、これもまた、なんだか読んでみたいという気になりました。
熊本ゆかりの人物で意外な存在なのが、日本人として初めてアフリカ航路を開いたという船長、森勝衛(かつえ)。「海の上でも、陸の上でも常に日本男児としての誇りを持ち、毅然として生きる」「熊本人ならではの男らしい『もっこす』」だったというこの人物、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』のもととなった小説の作者、ロレンス・ヴァン・デル・ポストと寄港先で知り合い、以来戦争という時代を挟みながらも50年もの長きにわたり、厚い友情で結ばれていたのだとか。ううむ・・・熊本はそのような人物も輩出していたのか。

本書『学術の森の巨人たち』の巻末には、全6巻の『小泉八雲選集』などで学術文庫とも縁が深い比較文化論の大家、平川祐弘さんによる解説文が収められています。それによれば、「真面目人間であればあるほど観念の色眼鏡でものを見る度合いが強くなり、それが正義と思い込む」「視野の狭い活字社会」(←いささか手厳しい物言いではありますが、たしかにこういう一面があることも否定できない気がいたします・・・)にあって、池永さんは「どうしたわけかイデオロギー的自家中毒の気配がな」くて、「右にも左にもぶれない」お方なのだとか。
そんな池永さんのお人柄は、本書にも十分に表れております。ともすれば「戦犯」として否定されてしまうような徳富蘇峰の業績をきちんと評価する一方で、2001年に山手線新大久保駅のホームから線路に転落した男性を身を挺して救い、電車にはねられて亡くなった韓国人留学生とその両親への畏敬の念を語ったり、ドイツの文化人や出版人とも交流する「インターナショナリスト」(平川さんの解説文より)の池永さん。まさしく、学術書の編集人としてのあるべき姿を体現した方だなあ、という思いがいたしました。

本書を読んでいると、取り上げられている講談社学術文庫を読んでみたくなってきます。上に挙げた書物のほかにも、哲学者・木田元さんの『反哲学史』や、やはり熊本出身である幕末の思想家・横井小楠の『国是三論』、俳句初心者の紋切り型表現から俳句の真髄を説く『俳句ー四合目からの出発』(阿部宵人著)、森鷗外が処世の術を211の箴言の形でまとめた『森鷗外の「知恵袋」』、『日本の禍機』の推薦者でもある由良君美さんの著書『言語文化のフロンティア』、ドイツとドイツ人の厚みのある文化の特性を解き明かす『ドイツの都市と生活文化』(小塩節著)・・・などなど。さらには本書に出てくる書目以外の学術文庫や、他社から出ている学術・教養系文庫にも、いろいろと食指を伸ばしたくなります。
「学術の森」の豊饒な深みを垣間見せてくれる一冊でありました。

【閑古堂の気まぐれ名画座】3時間超をぐいぐい見せるストーン監督の力量にあらためて感服した『JFK』

2020-05-05 09:35:00 | 映画のお噂


『JFK』JFK(1991年、アメリカ)
監督=オリバー・ストーン 製作=A・キットマン・ホー、オリバー・ストーン 脚本=オリバー・ストーン、ザカリー・スクラー 原案=ジム・ギャリソン『JFK ケネディ暗殺犯を追え』、ジム・マース『CROSSFIRE』 撮影=ロバート・リチャードソン 音楽=ジョン・ウイリアムズ
出演=ケヴィン・コスナー、シシー・スペイセク、トミー・リー・ジョーンズ、ケヴィン・ベーコン、ゲイリー・オールドマン、ローリー・メトカーフ、ジャック・レモン、ウォルター・マッソー、ジョー・ペシ、ドナルド・サザーランド
ブルーレイ発売元=20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン


数あるNHKスペシャルの中でもとりわけ好きなシリーズ企画である『未解決事件』。未解決のまま終わり、いまなお多くの謎を残す事件の真相に、膨大な取材に基づいた実録ドラマとドキュメンタリーで迫っていくというシリーズです。
これまでずっと、国内の未解決事件を取り上げてきたこのシリーズが、はじめて海外で起こった事件に挑んだ「JFK暗殺」篇が、4月29日と5月2日の2夜にわたって放送されました。新たに発掘されたという機密資料などをもとに、単独の暗殺犯とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドの知られざる足跡を丹念に辿るとともに、キューバ侵攻の失敗からケネディに強い反感を抱いていた一部のCIAメンバーが暴走し、オズワルドを〝捨て駒〟としてケネディ暗殺に利用した・・・という事件の構図を明らかにしていて、まことに見応えがありました。
番組の中で、CIAメンバーの関与を暴露した元CIA高官は「オリバー・ストーンの映画のように複雑なものではありません」などと語っていました。タイミングのいいことに、そのオリバー・ストーンの映画『JFK』のブルーレイをしばらく前に購入しておりましたので、久しぶりに観直してみることにいたしました。1991年に劇場で観て以来、およそ30年ぶりの再見であります。

1963年11月23日、テキサス州ダラスでジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される。それから2時間もしないうちに、警官殺しの容疑者として逮捕されたリー・ハーヴェイ・オズワルドが、ケネディ暗殺の犯人ということにされるが、そのオズワルドも2日後に射殺されてしまう。その後発表された、オズワルドをケネディ暗殺の単独犯と結論づける「ウォーレン委員会」の報告の内容に疑念を持ったニューオーリンズの地方検事、ジム・ギャリソンは真相追及に動き出す。陰に陽に圧力を受けながらも、ギャリソンは少しずつ事件の核心へと迫っていき、ついに実業家クレイ・ショーを暗殺の共謀者として告訴することに・・・。

ベトナム戦争をテーマにした『プラトーン』(1986年)以降、社会性の強い題材で映画を撮り続けているオリバー・ストーン監督によるこの作品。映画の主人公であり、実在する地方検事ジム・ギャリソンの『ON THE TRAIL OF THE ASSASSINS』(邦訳『JFK ケネディ暗殺犯を追え』ハヤカワ文庫NF、現在は品切れ)と、ジム・マース『CROSSFIRE』という2冊のノンフィクションをベースに、ストーン監督のチームによる調査の結果を加えて映画にまとめ上げたものです。
この映画で描かれた事件の構図は、たしかにNスペ『未解決事件』で提示された構図からすればいささか複雑なものではありますが、にもかかわらず記録映像や再現シーンなどを巧みに組み合わせながら、3時間を超える時間(ブルーレイに収録されているのは、劇場公開版より17分長い206分のディレクターズ・カット版)をダレることなくぐいぐいと観せるストーン監督の力量に、あらためて感服いたしました。

豪華なキャスト陣による演技合戦も大いに見物でした。
主人公であるギャリソンを演じるのは、当時キャリアの絶頂期を迎えていたケヴィン・コスナー。真相追及に向けて一心に突き進む熱血漢的なキャラクターは、まさにハマり役といっていいものでした。ギャリソンというより、ストーン監督の主張を代弁するかのような終盤の法廷シーンでの大演説には、観ているこちらにも力が入る気がいたしました。
共演陣も本当にスゴい。ギャリソンの妻を演じるシシー・スペイセクをはじめ、トミー・リー・ジョーンズ、ケヴィン・ベーコン、ゲイリー・オールドマン、ジョー・ペシ、ドナルド・サザーランド、ジョン・キャンディ、それにジャック・レモンやウォルター・マッソー・・・。
オズワルドを演じたゲイリー・オールドマンは、写真で見るオズワルドのイメージとまさに生き写しという感じの見事ななりきりぶりでしたし、ふてぶてしい態度を見せるクレー・ショーを演じるトミー・リー・ジョーンズの芝居にも、さすがと唸らされました。
『ホーム・アローン』(1990年)の間抜けで愛すべき泥棒役の印象も強いジョー・ペシは、本作では暗殺に関わっていたデイヴィッド・フェリーの役ですが、ギャリソンに証言したことで命の危険を察して怯えまくる、迫真の演技を見せてくれます。『フットルース』(1984年)などの青春映画のスターという印象があったケヴィン・ベーコンも、本作以降「演技派」という認識が広がったように思います。
ちなみに、本作には原案者であるジム・ギャリソンもちょこっと出演しております。演じるのは、自身が疑念を持ったウォーレン報告書をまとめた張本人である、最高裁長官のアール・ウォーレンというのが、まことに皮肉であります。

本作が描き出した事件の構図には、おそらく賛否両論があることでしょう。わたしには、それらの当否を判断することはできませんが、ケネディ暗殺の闇にあらためて光を当て、真相究明への機運を高めたという功績は否定できないでしょう。その意味においても、本作は問題作にして傑作だと思います。