読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

熊本よかとこ味なとこ、がまだせ!応援旅(第5回)文化の都・熊本の豊かさと底力を実感した、中心街の書店めぐり

2016-09-29 22:14:46 | 旅のお噂
朝から藤崎八旛宮秋季例大祭の神幸行列をたっぷり見物することができた、熊本旅2日目。この日の街歩きのテーマは、熊本の文化的な面をつぶさに見ていこうというものでした。ということで、わたしは熊本市中心街の書店を何軒か訪ねることにいたしました。
中心街から書店が次々になくなっている、地方都市のまことに寂しい現状の中で(わが宮崎市でも、中心街にあるのはチェーン店の蔦屋書店とヴィレッジヴァンガードくらいだもんなあ)、熊本市の中心街には老舗を含め、多くの書店が頑張って営業を続けております。街歩きを楽しみながら、ふらりと立ち寄ることができる本屋さんがいくつもあるというのは、実に羨ましいところであります。


(1)想像以上に豊かな文化的空間だった、蔦屋書店熊本三年坂店

まず最初に立ち寄ったのは、下通のアーケード街から伸びる三年坂通りにある商業施設「カリーノ」にある「蔦屋書店熊本三年坂店」です。
店名にあるように、ここも蔦屋書店グループのひとつなのですが、品ぞろえがなかなか素晴らしいという高い評価を受けていて、気になっていた書店のひとつでした。
全国各地の書店をイラストとともに紹介した『本屋図鑑』(得地直美・本屋図鑑編集部著、夏葉社)でも、その品ぞろえの素晴らしさ、とりわけ海外文学棚の充実ぶりが伝えられていて、それもぜひ見ておこうと思っておりました。
地上3階、地下1階にまたがる書店フロアには、文具やファッション関連の販売店やカフェなど、15のテナントが併設されております。

1階は雑誌や話題の新刊書、文芸書、文庫を中心に揃えたエリアです。

フロアをひとわたり廻ったあと、高い評価を受けていた海外文学の棚を拝見いたしました。
あとから聞いた話では、今年(2016年)の6月にリニューアルされた際、それまでよりは少々スペースが小さくなっている、とのことでしたが、古代から現代までの海外文学の歴史と流れを、目に見えるように示してくれている配列(それも、ハードカバーの書籍や文庫といった異なる判型の本を取り混ぜた)には、思わず「むむっ」と唸りましたね。前よりいささかスペースは小さくなっているとしても、海外文学へのこだわりっぷりは、しっかりと守られているように思われました。
その海外文学棚の隣には、「本」や「本屋」「出版」「編集」にまつわる本を集めた棚がつくられておりました。この棚にも、本に関心のある向きなら思わず手に取りたくなるような本がズラッと揃えられていて、感服いたしました。
これら文芸書の棚からは、とことん本がお好きな担当者が、しっかりとこだわって棚つくりをしているなあ、という印象を受けて、素直に嬉しい気持ちになりました。

雑誌コーナーには、さまざまなジャンルの雑誌の最新号はもちろんのこと、『pen』や『BRUTUS』『POPEYE』などといった高感度系雑誌のバックナンバーが平積みしてあったりして、いろいろと手に取ってめくってみたくなってきました。

ビジネス書や、教養系の新書や文庫、専門書、資格試験関連の本などを集めた地下1階は、1階よりも照明が落ち着いた感じで、ゆっくりと本選びができそうです。腰かけて本を閲覧したり、ひと息つけたりできるスペースが広めに設けられているのも嬉しいところでしょう。


そして、わたしがもっとも目を見張ったのは、女性向けのファッションやコスメ、ライフスタイルに関する本を陳列する2階エリアでした。
ここでは、化粧品やアクセサリーなどのテナントの中に、それぞれに関連した本が一緒に陳列されているという趣向がなされておりました。


それぞれの商品と書籍が、互いの魅力を高め合うかのように並べられた陳列の妙。これにはかなり、惹かれるものがありました。
単に書店とテナントが併設されているというだけにとどまらず、それぞれが融合しているかのような売り場づくりの面白さ。これにはただただ、お見事と言いたい気持ちがいたしました。
これに加えて、コミックやライトノベル、ゲーム関連、そしてDVDやCDのレンタル&販売をメインとする3階エリアが続きます。

本や雑誌をゆっくり選び、気になるDVDやCD、ファッションやコスメをチェックしつつ、カフェで憩いの時を過ごす・・・。その気になれば一日中ゆったりできるような、思っていた以上に豊かな感じの文化的スポットであるなあ、という印象を、三年坂の蔦屋書店から受けました。


(2)祈再開!休業中の金龍堂まるぶん店で滂沱の涙

三年坂の蔦屋書店を出たあと、下通エリアから上通エリアへと移りました。上通のアーケード街にも、ぜひ訪ねてみたい書店がありました。
しかし、そのうちの一軒は現在休業中。店先には、シャッターが下ろされたままの状態でした。熊本の老舗書店の一つである「金龍堂まるぶん店」です。

店先に立つカッパの像とともに、多くの人から親しまれていた「まるぶん店」。わたしも、単身赴任で熊本に住んでいた25年ほど前に立ち寄った記憶がございます。
しかし、「まるぶん店」は熊本地震により店舗に損傷を受けたことで敷地への立ち入りが禁止となり、営業の休止を余儀なくされておりました。現時点で、再開の見通しも立っていない状況だといいます。
地震により閉ざされたままの「まるぶん店」のシャッターに、いくつかの紙が貼られているのが見えました。近づいてみると、そこには「まるぶん店」の復活を願う人たちからの、たくさんの応援メッセージが書き込まれておりました。




「熊本の本好きがみーんなでまってます。光が消えたみたい・・・一日も早い再開を願ってます」
「学生の頃からお世話になってます。今は東大阪から応援してます!!頑張れ!」
「少しずつ、ゆっくり、ともに回復していきましょう!」
「まるぶんさん、いつまでも開店するのをまっとるばい」
「まるぶんのない上通りなんて、ありえなーい 再開を祈ります!」
「宮崎から来ました!また来ます!ガンバレ!!」
「足のわるい人も ゆっくりできる 本屋が必要です」
「早く再開できますように。そしてまたみんなと会えますように」

・・・地元の方々はもちろん、県外からやってきた方々からも寄せられていた、「まるぶん店」への愛着と再開への願いがこもったメッセージの数々。それらからは、このお店が長きにわたって人びとから愛され親しまれ、かつそれらの方々の支えともなっていたことが、じんじんと伝わってきました。
これらのメッセージを読んでいるうちに、人通りの多い上通の真っ只中であるにもかかわらず、涙があふれ出てきて止まらなくなりました。熊本旅から1週間ちょっと経った今、こうして思い返していても目頭が熱くなってくるのを感じます。お店を再開できない状況を余儀なくされているスタッフの方々も、さぞかし悔しさと無念の思いを抱いておられるのではないかとお察しいたします。

一日も早く、「まるぶん」さんが完全復活を果たすことを、そして次に熊本にお邪魔するときには、復活を果たした「まるぶん」さんに立ち寄ることができるよう、降りたままのシャッターの前で願わずにはおれませんでした。
涙目のわたしがメッセージを目にしていた前で、一人の女性が持ってきていたペンで、紙にメッセージを書き込んでおられました。



(3)「麺処 眞力」の赤牛カレーライスに舌鼓(生ビールも)

時刻はお昼近くとなってきておりました。ひとまずここで昼食を食べることにしたわたしは、上通アーケードの中にあるうどんと丼物のお店「麺処 眞力」に立ち寄り、「赤牛カレーライス」をいただきました。

ワインで煮込んでいるという赤牛の肉は柔らかく、噛むほどに旨味がじわじわと口の中に広がりました。カレーもスパイスが効いていて美味しゅうございました。・・・で、またも真っ昼間から生ビールもいただいたり。


(4)お宝本がけっこうありそうだった古書店・舒文堂河島書店

昼食を終えて書店めぐりを再開したわたしは、上通アーケードを抜けてすぐ、並木坂に入ったところにある古書店「舒文堂(じょぶんどう)河島書店」に入ることにいたしました。店先からして正統派の古書店、という感じで、強く惹かれるものがございました。

「書物文化の愉しみをひろげる店」をモットーとして掲げるこの古書店、中に入ると、主力として扱っている歴史関係の書物の品ぞろえに圧倒されました。地元熊本や九州を中心にして、古代から近現代までのさまざまなテーマの歴史書がズラッと並ぶ書棚は、じっくり時間をかけて見ていけば、あまり見かけないようなお宝本がいろいろと出てきそうでした。
歴史のほかには文学関係の書物もかなりありましたが、入り口近くの棚に並んでいる映画関連書の品ぞろえも、なかなかの充実ぶりでした。

いろいろと見ているとあれもこれも買いたくなってはきましたが、あいにく資金と抱えられる荷物には限界がございます。少々迷った末、『日本百年写真館』I・II(朝日文庫、1985年)を買いました。これらもすでに絶版となっているので、ささやかとはいえ嬉しい買い物でした。

お会計のとき、9月末から10月はじめにかけて、中心街の鶴屋百貨店で開催される古書販売会のチラシをくださいました(舒文堂さんを含めた5軒の古書店の共催のようでした)。まことに残念ながらそれには行けないのですが、ちょっと覗いてみたい気もいたしましたねえ。
熊本は古書文化のほうも、なかなか豊かなようであります。


(5)地域密着の老舗店の気概を感じた長崎書店

舒文堂河島書店を出たあと、上通でもう一軒立ち寄ってみたかった書店である「長崎書店」に入りました。
創業が明治22年というかなりの老舗であるお店ですが、明るくきれいな店内は、ことさら「老舗」くささのようなものを感じさせないような雰囲気でした。

入ってみて驚かされるのは、入り口のすぐ左側に、美術やデザイン、建築関係の書棚や平台が設けられていることです。その品ぞろえも、なかなか充実しているようでした。
一般的な書店では、入り口近くには話題の新刊書だったり、雑誌の最新号あたりが並べられていることが多く、美術やデザインに関する本のコーナーはお店の奥のほうに、それもこじんまりと設けられていたりします。ところが長崎書店は、お店の顔である入り口近くに、美術関連のコーナーを大々的に展開しているのです。

入り口右側のほうには、熊本に関する本や雑誌を集めたコーナーがありました。
熊本の情報誌をはじめ、熊本の歴史や文化、風土についての本、熊本ゆかりの作家たちの作品、さらには水俣病に関する本がしっかりと揃えられています。上通商店街の歴史を語った証言集など、ほかではまず見かけないのではないかという本も。熊本のことをもっと深く知りたいと思う向きには、なかなか重宝するコーナーではないかと思いました。
少し奥に進むと、報道写真集を中心にした熊本地震関連の出版物と合わせて、地震のメカニズムについて書かれた本や、地震への備えを説いた本などを特集したコーナーも。

話題の新刊書を陳列した一角を見ると、そこにはなんと村上春樹さんのサイン入り色紙が。熊本を訪れたおりに、この長崎書店にも立ち寄られたというのです。
色紙には日付とお名前とともに、「長崎書店さん、がんばってください」という言葉が、訥々とした字で記されておりました。
また、7月に亡くなられた永六輔さんを追悼したコーナーも、わりと目立つところで展開しておりました。
文芸書や人文系の書物の品ぞろえもけっこう充実していて、良質の書籍をしっかりと売っていこうという気概のようなものを感じることができました。

店内には、『すすめ!!パイレーツ』や『ストップ!!ひばりくん!』などの作品で人気を博すとともに、さまざまな媒体でイラストやデザインを手がけている、熊本出身の漫画家・江口寿史さんのポストカードやTシャツを集めたコーナーもありました。熊本市現代美術館が開催する江口さんの展覧会「KING OF POP」に連動したコーナーのようでした。
美術館のギャラリーを中心にして、上通のさまざまな店舗が連動するという、ユニークな趣向の江口さんの展覧会。ぜひ観覧してみたくなりましたが、会期はわたしが熊本旅から帰ったあとの、9月22日から11月6日まででありました。・・・うう、あとちょっとだけ、開幕を早くして欲しかった・・・。

一見「老舗」っぽさを感じさせないような、明るくきれいな雰囲気の長崎書店。しかしそこからは、地元熊本に根を下ろしながら、地域文化をしっかりと担っていこうという、老舗ならではの気概を感じとることができたのでありました。

ということで、駆け足で数軒回った程度ではありましたが、熊本市中心街の主だった書店を訪ねてきました。
そこから感じたのは、しっかりと良質の本を提示して売っていこうとするそれぞれの書店の気概であり、そういった書店が成り立っている熊本という街の、文化的な豊かさと底力といったようなものでした。
地震によって大きな被害を受けた熊本ですが、この文化的な豊かさと底力によって災いを糧となし、きっとよりよい復興を遂げていくことができるのではないか。そう思えてくるのであります。

(6)「積読書店員ふぃぶりお」さんとの出会い

熊本中心街の書店めぐりを一通り終えたわたしは、以前から畏敬の念を持っていたお方と待ち合わせるべく、再び蔦屋書店熊本三年坂店に入りました。熊本の現役書店員さんである「積読書店員ふぃぶりお」さんであります。

「ふぃぶりお」さんは本業のかたわら、本や出版、書店に関する情報を丹念に集めては、ツイッターでこまめに発信しておられる方であります(ツイッターのアカウントは「 @fiblio2011 」)。「ふぃぶりお」さんが発信してくださる情報は、わたしにとってもすごく参考になるものが多く、実にありがたいのであります。
その「ふぃぶりお」さんが熊本の方だと知ったのは、熊本地震のあとのことでした。熊本地震以降は、出版関係の情報に加えて、熊本の現状を伝える情報の発信もこまめになさっておられます。
「ふぃぶりお」さんが熊本地震のあとにブログにアップした「わが人生の「教科書」井上靖『あすなろ物語』を再読して蘇る青春の記憶」と、「本読みの人が、熊本と熊本の本屋を支援するための6つの方法」という2本の記事には、書物と本屋、そして熊本への愛着が溢れていて、ぜひとも多くの方にお読みいただきたいと願うところです。

そんな畏敬の念を持っている方との初対面ということで、緊張しきりだったわたしの目の前に現れた「ふぃぶりお」さんは、理知的でありながら穏やかな表情をたたえた好青年でありました。蔦屋三年坂店の中にあるカフェでしばしの間、お話させていただくことができました。
「ふぃぶりお」さんとのお話でとりわけ印象に残ったのは、そのフットワークの軽やかさでした。
気になる人物やイベントがあれば、それが遠方であろうと足を運んでみるという「ふぃぶりお」さんの姿勢。時間やお金の不足を言いわけにしつつ、狭い行動半径の中で生きているわたしとしては、大いに学ばねばならないなあ、と思ったことでした。
(ちなみに、この日は休日だったという「ふぃぶりお」さんは、このあと南阿蘇鉄道の駅舎にある古書店「ひなた文庫」でのイベントに参加すべく、阿蘇へと足を伸ばされておりました)
いや、フットワークの軽やかさだけでなく、張り巡らせるアンテナや好奇心の広さという点でも、「ふぃぶりお」さんからは学ぶべきところが多々あるように思います。
短い時間ではありましたが、「ふぃぶりお」さんと出会ってお話できたことは、今回の熊本旅の大きな収穫のひとつとなりました。

夕方の飲み歩きのとき。「ふぃぶりお」さんから「ちょっと覗いてみては」と勧められていた「橙書店」に行ってみることにいたしました。
飲み屋街の真っ只中にある、カフェと雑貨店を兼ねた小さな本屋さんでしたが、別の場所へお引っ越しということでひとまず閉店し、中では移転のための荷づくりが行われている最中のようでした。

村上春樹さんが詩の朗読会を開くなど、文学好きには定評のあった「橙書店」。次に熊本を訪れるときにはぜひ、新たな場所で再開したお店に立ち寄ってみたいな、と思います。


(第6回に続く)

熊本よかとこ味なとこ、がまだせ!応援旅(第4回)復興に向かう元気に満ちた藤崎宮の飾馬行列、そして傷ついていた城下町

2016-09-26 21:52:35 | 旅のお噂
熊本旅2日目となる、9月18日の朝7時前。宿泊先のホテルで目を覚ますと、なんだか外が賑やかです。鐘や太鼓の音色とともに、拡声器を通した掛け声のようなものも。
「あっ!これはもしかして・・・」
慌てて身じたくを済ませてホテルの外に出ると・・・ああ、やはりそうでした。藤崎八旛宮の秋季例大祭の呼び物である「神幸行列」が、ホテルのすぐそばに伸びている下通のアーケード街を練り歩いていたのです。


今年は9月の13日から開催が始まっていた藤崎宮の秋季例大祭。1000年以上の長い歴史を持つという、熊本でも最大級のお祭りである例大祭のクライマックスとなるのが、この神幸行列であります。
華やかに飾り立てた奉納馬を先頭に、それを威勢よく追う「勢子」(せこ)の人びとがあとに続きます。手づくり感溢れる山車に立つ人からの掛け声に合わせ、周りの勢子の人びとも声をあげたり、踊ったりしながら練り歩きます。鐘や太鼓、そしてラッパが大きな音を響かせていて、いやもうとにかく、底抜けに賑やかなのでありますよ。



・・・しかしそれにしても、まさかこんな朝早くから、しかも中心部のアーケード通りを貫いて行列が行われるとは。調べてみると、早朝6時から藤崎宮を出発して御旅所に向かい、夕刻には再び中心街を抜けて藤崎宮に戻るんだそうで、まさに一日がかりなのであります。
何はともあれ、旅先で地元の大きなお祭りに出会えるというのは実にいい機会です。わたしはそのまま、行列が尽きるまで見物することにいたしました。
華やかに飾り立てたお馬さんと、威勢よく掛け声や鳴り物を響かせるお兄さんお姉さん、おじさんおばさんの一団が次から次へと通り過ぎていくようすを見ていると、なんだかこっちまで楽しい気分になってまいりましたね。「ノッてるか〜い?」とわたしに向かって声をかけてきたお姉さんに「イェ〜イ!」なんて返してみたり。・・・それにしても、おそろいのハッピに身を包んだお姉さんたちには、華やかで艶っぽいお方もけっこうおられましたねえ。けっこう美人さんが多いですな、熊本は。
大人たちの勢子さんたちに混じって、やはり揃いのハッピを着た子どもの姿もチラホラ。中には、お母さんの背中におんぶされながら、周りの賑やかさもどこ吹く風、とばかりに眠っている赤ちゃんもいたりして、実に微笑ましかったですねえ。


神幸行列に参加した団体には、熊本復興へ向けてのメッセージを記した横断幕やのぼりを掲げているところも、いくつか見受けられました。



震災の影響で開催が危ぶまれていたという、今年の例大祭。地元紙・熊本日日新聞の記事(7月20日掲載の「飾り馬奉納『半減』 藤崎宮例大祭」。リンク切れの説はご容赦を)によれば、「震災被災者の心の慰め、熊本・大分の早期復興を祈る特別な例大祭」と位置付け、被災した方々に配慮した上で、6月下旬に開催を決定したものの、参加団体は前年の65団体から大きく減り、35団体にとどまることになったとか。
上の記事では、「地震と祭りの捉え方はいろいろ。心がひとつにならないならばやめたほうがいい」と行列を自粛するところと、「少しでも熊本に元気を与えられる」「伝統を引き継いでいくべきだ」と参加を決めたところと、奉納団体において対応が分かれたことを伝えていました。また、企業や店舗などからの寄付金が集めにくかったことも自粛に影響した、とも。
そう、前日の夜に立ち寄った居酒屋でも、まだ祭りをやるのは早すぎるのではないか、という会話がありました。震災から半年も経っていないこの時期、少しずつ前を向いて進んでいこうという動きと、まだまだそれどころではないという動きが交差する、「いま」の熊本の現実が、ここにもありました。

そういった現実を踏まえながらも、あくまでもヨソ者の立場からでしかない僭越な感想を申し上げれば、わたしは今回の例大祭および神幸行列をやっていただいたことは、やはり良かったのではないのだろうか、と思うのです。
もちろん、震災により大きな影響や不幸を被り、まだまだそこから立ち直れずにいる方々がおられることを、軽く見たり忘れたりするようなことがあってはなりません。
その一方で、たとえ規模は小さめであったとしても、震災で辛い思いをなさってきた地元の皆さんの気持ちの拠り所となるような、伝統のお祭りやイベントを開催していくことの意味も、決して小さくはないように思うのです。そのことで、少しずつ時間はかかるとしても、「次」への一歩を踏み出す力が多くの人びとに共有されていくはずだ、と信じたいのです。
神幸行列を見ながら、この熱気が熊本の復興と発展を後押しするパワーとなっていくよう、願ったのでありました。


行列を見続けること2時間ちょっと。そういえば、まだ朝食を食べていなかったことに気づきました。さすがにお腹が減ってきたので、前日も立ち寄った熊本城そばの「桜の馬場 城彩苑」で、ちょいと買い食いすることにいたしました。

時刻はまだ10時前後ということで、飲食店の多くはまだ準備中でしたが、テイクアウトできる食べものはいくつか買えるようでした。わたしは、天草産のウニがコロッケの中に入っているという「うにコロッケ」を買いました。通常サイズのやつと、大きさはもちろん中身のウニも増量という「プレミアム」の2個です。


クリームベースのコロッケに旨味たっぷりのウニが相まって、実に濃厚な美味しさ。「プレミアム」のほうは、かぶりつくと中からあふれ出てきたほど、ウニがたっぷり詰まっておりました。これはいい小腹塞ぎになりましたよ。
わたしはさらにもう一つ、熊本のスイカ果汁を使用した「スイカサイダー」を買い求めました。きれいな赤色に惹かれ、ついつい飲んでみたくなったもので。

ほどよい甘さのスイカの味に、スッキリ炭酸がよく合っていて、濃厚な旨さに酔いしれていたノドを心地よく潤してくれました。


さて、この日は熊本の文化的な側面を見聞すべく、このあと熊本中心街にある書店を何軒か巡ったのでありますが、そのお噂は次回まとめてお伝えすることにして、ちょっとだけ時間を先に進めてお伝えすることにいたします。


この日、書店巡りを一通り終えたわたしは、市内を走る路面電車に乗って、中心街からちょっとだけ離れた「洗馬橋」に向かいました。

「♪ 船馬山には狸がおってさ〜」
と歌われる肥後手まり唄『あんたがたどこさ』の舞台ともなったのが、このあたり。市電の停留所には、歌に出てくる狸をかたどった像も立っていたりします(うっかりして写真を撮りそびれました・・・)。
朝、市内中心街を練り歩いていた神幸行列の復路が、その洗馬橋を通っておりました。

洗馬橋の下を流れている坪井川は、かつて船運が盛んだったという場所。橋から眺める風景も、なんだかかつての面影をとどめているかのようでした。

坪井川に沿った「旧市街」といわれるこのあたりは、城下町だった昔の風情がそこかしこに残る場所でもあります。町名にも「唐人町」「鍛冶屋町」「呉服町」「紺屋町」と、昔をしのばせる名前が残ります。わたしは、この旧市街を散策することにいたしました。

皇居の二重橋を手がけた熊本の石工・橋本勘五郎によって造られた石橋「明十橋」(上の写真)のそばには、なんともレトロチックなレンガ造りの建物が。

ところどころに、歴史を感じさせる古い建物が残る旧市街。しかし、それゆえに地震によるダメージは大きかったようです。旧市街のあちこちで、大きく壊れた状態のままとなっていたり、修繕中であったりする古い建物を目にいたしました。



やはり坪井川に架かっている石橋である「明八橋」は、欄干の一部が落下していて立ち入りができない状態となっておりました。


歴史の風情漂う散策を味わおうと足を伸ばした旧市街。そこではあらためて、震災から半年経っていない中での「いま」の現実を突きつけられることになりました。賑わいを見せる中心街から少し足を伸ばしたところではまだまだ、震災による爪痕が生々しく残っておりました。
「地震からまだ半年も経っていないのに、まだまだお祭りどころではない」という、前夜の居酒屋で耳にした話が、切実な響きとなって脳裏に蘇ってきました。
熊本の真の復興はまだまだ、これからが本番なんだなと、旧市街を歩きつつ感じました。

修繕中の建物の側面に、復興へのメッセージを添えた大きな絵を見つけました。「OKAYAMA」「徳島」と書き込まれているところをみると、県外から支援にやってきた方々が描いたのでしょうか。

いくらかの時間がかかるのかもしれませんが、城下町の歴史を伝える旧市街がもとの風情を取り戻すことができるよう、願うばかりでした。


(第5回に続く)

熊本よかとこ味なとこ、がまだせ!応援旅(第3回)懐かしい風情漂う子飼商店街、そして呑み歩き第1ラウンド

2016-09-24 18:22:17 | 旅のお噂
熊本城を一回りしたあと、わたしはそのままテクテクと、北東の方向へと歩みを進めました。今回の熊本の旅でぜひとも立ち寄ってみたかった場所の一つ、子飼商店街へ行くためでした。
藤崎八旛宮からすぐ北のほう、国道3号線から細い道に入り込んで少し歩くと、金属製のアーチが見えてきました。そこが、子飼商店街の入り口でありました。
熊本大学からもほど近い場所にあるこの商店街は、「昭和レトロ感が漂う商店街」として、熊本県外でもよく知られているところであります。

アーチをくぐってそのまま進むと、クルマ1台がやっと通れそうなほどの細い道(実際、午前10時から夕方の7時までは歩行者天国とのことでしたが)に沿って、大小のお店がズラッと立ち並んでおりました。


青果店に鮮魚店、精肉店、漬物店、洋品店、生花店、薬店などのお店、それに食堂や寿司店、うどん屋といった飲食店。それらの店先はいずれも、まさしく昭和の頃の商店街にあったお店そのままの雰囲気で、見ていてしきりに、懐かしい気持ちがこみ上げてまいりました。商店街の中にはいくつかの椅子が置かれた休憩所や、小さなお寺も。
八百屋さんの前では、お店の方と買い物客の方が、地元のことばで会話を交わす光景も。そこには、人びとの営みに寄り添ってきた商店街ならではの温かみが伝わってくるようでした。ああ、こういう商店街が自分の身近にあったらなあ・・・つくづく、そう思わずにはいられませんでした。
おっと、焼き鳥などで呑ませてくれるという居酒屋さんも一軒ございましたね。営業時間を見ると午後3時から。こういう商店街の雰囲気の中で明るいうちから呑むっていうのも、なかなかオツな感じでいいですなあ。ちょっと気持ちが動きましたが、呑むのは夜の部までガマンすることにいたしました。

商店街の一角には、古本屋さんもございました。これがまた嬉しいことに、小さいながらもしっかりした正統派の古本屋さんで、名前は「古懐書林」。「古懐」はおそらく「子飼」のもじりなのでしょう。

中に入ると、並んでいる本はハードカバーも文庫も新書もコミックスも雑誌も、すべて一冊100円という貼り紙が。さらに嬉しくなったわたしは一通り、棚を見ていくことにいたしました。
一冊100円均一とはいえ、見ているとところどころにお宝っぽい本もあったりして、なかなか楽しいものが。わたしは文庫の棚から、とっくに絶版となっている『落語文庫本 竹の巻』(講談社)と『日本美術案内』(現代教養文庫)の2冊を買いました。

おばあちゃんに連れられてやってきていた子どもも、お目当てのものが見つかったのか、嬉しげになにか買っていっておりました。いい光景だったなあ。

そんな子飼商店街にも、地震の被害は及んでおりました。商店街の一角には、完全に倒壊してしまった建物が一軒ありましたし、補修中の建物もありました。
しかし、懐かしさに溢れた人情商店街は、それぞれのお店の方々の努力もあってか、しっかりと風情ある雰囲気が守られておりました。そのことに、しみじみと嬉しい気持ちが湧いてまいりました。
いつまでもいつまでも、地元の人びとの暮らしを支え続ける場所でありますように。


子飼商店街から中心市街地に戻ったわたしは、宿泊するホテルにチェックインすることにいたしました。下通アーケードのすぐ近くにある「ホテルサンルート熊本」。今回はここでの2連泊であります。
チェックインしてシャワーを浴び、しばし休憩したあと、いよいよお待ちかねの熊本呑み歩きの時間がやってまいりました。熊本での呑み歩きは生まれて初めてのこと。もう心は弾み足取りは軽く、でありますよ。
下通のアーケード街は日中と同様に人びとで溢れ、そこから左右に伸びる呑み屋街も、徐々に人通りが増してきているようでした。
もうとにかく、お店の数がハンパなく多い熊本の繁華街。どのお店に入ったらいいのかかなり迷うところなのですが、わたしはあらかじめアタリをつけておいた「料理天國」という居酒屋さんに入りました。お店の名前にも、なんかこう惹きつけられるものがあったもので。


生ビールで喉を潤しつつメニューを拝見すると、定番料理に加えて熊本の郷土の味がズラッと並んでおります。ここはやはり、熊本ならではのうまかもんを、たっぷりと味わいたいところであります。わたしはまず、「一文字ぐるぐる」を注文いたしました。

江戸時代に倹約料理として考案されたという「一文字ぐるぐる」。文字どおりぐるぐる巻きにして茹でたネギに、酢味噌をつけていただきます。ネギのシャキシャキ感と酢味噌が相まって、お酒のお供にはまことにうってつけであります。
続いて注文したのは、「天草大王」という地鶏を使ったタタキです。

文字どおり、天草で生み出されたこの「天草大王」。かつては博多の「水炊き」用の鶏肉として人気があったそうですが、昭和になって一度は絶滅してしまいました。ですが、かつての資料をもとにした交配の甲斐あって、平成になって復活することができたのだとか。
実はわたしも、その存在を知ったのは熊本へ出かける直前になってからのこと。これはぜひ一度賞味してみなければ、と注文した「天草大王」のタタキを口にしてみると・・・いやもうこれはアナタ(←誰に言ってんだ)、驚くほどの美味さでしたよ。噛めば噛むほど、濃厚な旨味がお肉からじわじわ、じわじわと染みてきて、口いっぱいに広がってきました。
こんなに美味い地鶏だったとは!食べてみて良かったです!と、思わずコーフン気味にカウンターの中におられる料理人の方(けっこう気さくなお方でした)に言うと、その方はこうおっしゃいました。
「ありがとうございます!いや〜、宮崎から来た方にそう言っていただけると嬉しいですねえ」
・・・あ、もちろん、宮崎の地鶏も美味いんですよ、すごく。でもね、この「天草大王」の濃厚な美味さにはやられてしまいましたよ、ほんとに。復活することができたのは慶賀の至りであります。
ここまできたら、やはり馬肉料理もいただきたいところです。ということで注文したのは、馬のたてがみの刺身。ずいぶん久しぶりに味わう馬肉料理であります。滑らかな口当たりと濃厚な味わいは、すっきりした球磨焼酎の水割りによく合いました。

さらにもう一品、なにか食べたくなってまいりました。なんてったって「料理天國」ですからねここは。メニュー見てるといろんな料理が食べたくなってくるんですよ。
そのメニューの中で、なんだか気になる一品であった「サラダちくわ天」を注文してみました。ちくわの中にポテトサラダを詰めて天ぷらにしたものです。

料理人の方によれば、もともとは熊本のお弁当チェーン店である「おべんとうのヒライ」の人気惣菜だったもので、やがて熊本の飲食店でも広く食べられるようになったのだとか。
口にしてみると、これがまた想像以上の美味しさでした。そのままでも十分いけるのですが、添えられたウスターソースをつけて食べると、また一味違う美味さに。
熊本のうまかもんの連続攻撃に、もうやられっぱなしでございました。球磨焼酎はぐいぐいと進んでしまいましたし。いやもうまいった。降参。

カウンターでは、このお店の常連さんと思しき初老の男性が、わたしの隣で焼酎を楽しんでおられました。その方と料理人さんが、翌日の日曜日に開催される藤崎八旛宮の秋季例大祭での飾馬行列についてお話になっていました。
まだ地震から半年も経っていない段階で、お祭りどころではないという人もまだまだいる。今年は参加する団体も少ないし、いったん休みにしてからでもいいのではないか・・・お二方のお話を要約すると、そういう感じでした。
復興に向けて前向きに進もうという動きがある一方で、まだまだそれどころではないという方々もおられるという、震災から半年足らずの現実を、思い知らされることになりました。
「まさか熊本でこんなことがあるなんて思ってもいなかった」という、その初老の男性は、わたしにも地震に遭ったときのことを語って聞かせてくださいました。住んでいた自宅も大きな被害を受け、現在は別のところに住んでいるといいます。
「まあ、住むところがあるだけマシだと思いますよ、ええ」
確かにそうなのかもしれません。しかしそれはそれで、やはり大変な思いをなさっておられるのではないかとお察しするばかりでした。
「同じ九州の者同士、頑張りましょう!」
男性はお店を後にするとき、そう言ってわたしにハイタッチをしてくださいました。ほろ酔い気分の胸の中に、なんだか熱いものがこみ上げてくるような気持ちがいたしました。

美味しい料理とお酒、居心地のいい雰囲気、そして地元の方とのふれあい・・・。三拍子の嬉しさを味わうことのできた「料理天國」。ぜひまた来たい、と心から思えるいいお店でありました。・・・で実際、翌日の夜にも立ち寄ることになるのでありましたが。


「料理天國」を出て次へ行こうとしていると、いつしか外はすごい土砂降りに。近づきつつあった台風16号の間接的な影響だったのかもしれません。こりゃかなわん、としばし下通のアーケードで土砂降りをやり過ごすことに。
雨が弱まったところでアーケードを出ると、2軒目のお店に寄る前にラーメンを食べておきたいと思い、「天外天」というラーメン屋さんに入りました。細長いカウンターだけの小さいお店ですが、ご当地ではけっこう人気のあるお店だとか。

ここのラーメンは一見こってりしていそうですが、スープを口にしてみるとびっくりするくらいあっさりとしていました。トシをとったせいか(泣)、飲んだあとのラーメンはお腹にもたれてダメになってしまったわたしですが、このラーメンは細麺とともにスルスルとお腹に収まりました。うまかった〜〜。


ラーメンを食したあと、2軒目に立ち寄ったのは「Glocal Bar 芋Vibes」という焼酎バーでした。
焼酎にはひとかたならぬこだわりをお持ちのマスター氏が選び抜いた、熊本の米焼酎や鹿児島の芋焼酎を、お寿司とともにリーズナブルなお値段で呑むことができるというお店です。古い付き合いの友人から教えられ、立ち寄ることにいたしました。

ところが、たまたまではありましたが、この日はイベントDAY。アメリカ人ながら焼酎の魅力に取り憑かれ、自ら蔵元を回ったりして焼酎のガイドブックを出版した方と、球磨焼酎「極楽」の蔵元の方を招いてのトークイベントが開催されるというのです。
店内には地元のご常連さんたちに加え、外国人の皆さんも詰めかけておりました。普段のわたしならちょっと、後ずさりしてしまいそうな雰囲気ではありましたが、すでにお酒も入っていい気分だったこともあり、よっしゃ、ここはこの雰囲気を楽しんでみることにしようかな、と参加してみることに。

この夜の主役となった「極楽」という球磨焼酎。すっきりさっぱりという米焼酎のイメージとは異なる、どっしりしっかりとした味わいで、米焼酎にもいろいろと個性があるんだなあ、と実感させられました。
招かれていた蔵元の方のお話では、この「極楽」というネーミング、先々代の社長が酔った勢いで喧嘩になったりすることを嫌い、気分良く呑んでもらえたらという願いを込めて、このネーミングにしたんだとか。いやあ、いい話だなあ。さらに言えば、「適飲保健」という言葉が記されたラベルも味わいがあって、実にいい感じだなあ。
歓談タイムでは、アメリカからやって来られたという男性が話しかけてくださったりもしたのですが、英語がロクに話せない上に、基本人見知りなもんで緊張したりしていて、まともにお話できなかったのが悔やまれました。ああ、ちゃんと英語が話せるようになっておくべきだったよなあ。
とはいえ、よくこのお店に寄るという地元のご常連さんや、イベントを取材しに来られていた業界紙『醸界タイムス』の方とお話できたりして、なかなか面白い時間を過ごすことができました。昆布と鰹節からしっかり出汁をとった、上品な味わいの味噌汁も振る舞われたしな。

ということで、普段のわたしからすればちょっぴり刺激的な体験で、初日の熊本呑み歩きを終えたのでありました。


(第4回に続く)

熊本よかとこ味なとこ、がまだせ!応援旅(第2回)傷ついてもなお、威容を誇る名城だった熊本城

2016-09-22 20:44:06 | 旅のお噂
下通アーケード街にある中華料理店「紅蘭亭」の太平燕で腹ごしらえしたあと、まずはさっそく熊本城へ足を向けることにいたしました。
熊本地震により、石垣や塀が崩れるなどの被害を受けてしまった熊本城。その被害を伝える映像や写真は、何度となくメディアを通して目にしてはおりました。ですが、実際に目にした熊本城とその周辺の被害は想像以上のものでした。しかし、しっかりと地震に持ちこたえることができたところも多く、そこからは昔からの知恵と技術の底力のようなものも感じられ、大いに感銘も受けたのでした。

目抜き通りである通町筋から歩いてきたわたしは、まず長塀に沿って歩みを進めました。


現存する城の塀では日本一の長さという、国指定重要文化財の長塀は、地震により途中から無残に倒壊してしまいました。崩れた部分はすべて、シートにより覆われておりました。接近しつつあった台風への備え、ということもあったのかもしれません。

長塀に沿って歩いていくと、飯田丸五階櫓が見えてきました。石垣が大きく崩壊しながらも、両側に積み上げられた大きい石の列により櫓自体の崩壊を免れることができ、「奇跡の一本柱」として多くの人に希望を与えた、あの櫓です。しかし、櫓自体は手前に茂る木によって残念ながらよくは見えませんでした。ただ、建物の倒壊を防ぐための鉄骨製の支えに守られた櫓の一部を、かすかに窺うことはできました。
そして、続いて見えてきたのは馬具櫓です。ここも中の小さめな石が溢れ出るように石垣が崩れていますが、やはり隅に積み上げられた大きい石の列が、建物の倒壊を防いでおりました。

やがて、城の敷地の中に至る行幸坂の手前にたどり着きましたが、現在はそれ以上敷地の中に立ち入ることはできません。そこに立っておられた、ボランティアのガイドと思しきおじさまは、城の見取り図が描かれた案内板を示しながら、外から建物を見学できる場所について、まことに気さくに、かつ親切にお教えくださいました。

ありがたいことに天気は晴れではありましたが・・・いやはや、そのぶんけっこう暑かった。ちょいと冷たいものでもいただこうかなと、お城に隣接している観光スポット「桜の馬場 城彩苑」の一角「桜の小路」に入りました。

熊本のうまかもんやお土産を売るお店が横丁風に立ち並んでいる「桜の小路」。そこで、阿蘇産の牛乳からつくられたというソフトクリームを買って味わいました。・・・ははは、どこかに出かけると必ず食べたくなるのよね、ご当地のソフトクリームを。

コクのある甘さが口いっぱいに広がる、濃厚なミルクの風味が最高なソフトクリーム。おかげさまで身体も冷えて元気も出ました。

同じく「城彩苑」の一角にあるのが、アトラクション型の歴史体験施設「湧々座」(わくわくざ)。こちらも地震の影響か、入ることができないスペースがございましたが、入館自体は大丈夫でした。
ここには、地震によって落下した石垣の石や、天守の瓦がいくつか展示されておりました。

上の写真は、天守の最上階付近から落下した瓦です。そこには、墨で書かれた個人のお名前や住所の一部が。昭和34年に天守の復元工事が行われるにあたり、市民から寄付を募る「瓦募金」が行われたそうで、寄付を寄せた方々のお名前と住所が、天守を葺いた瓦の裏面に墨書きされたのだとか。そこからは、当時の熊本の皆さんが天守復活へ寄せた想いが伝わってくるようでした。

こちらは、崩落した石垣の石から見つかったという人物の図像。推定では加藤清正公により築城されていたころ、石垣の末永い安泰を祈念すべく石工が彫刻したのではないか、との説明書きが添えられておりました。ちょっとユーモラスな感じですが、その表情はなんとも穏やか。石垣再建のときには、きっとまたその一部として組み込まれて、再び石垣の支えとなってくれることになるんだろうなあ。

お城の横に広がる「二の丸広場」に沿って歩くと、再び天守が見えてきました。

天守を背にして伸びる塀と石垣にも、崩壊している箇所がございました。

さらに歩みを進めていくと、「戊亥櫓」(いぬいやぐら)が見えてまいりました。

ここもまた、隅に積み上げられた大きい石の列により、石垣の崩壊による櫓の倒壊をしっかり防ぐことができておりました。
石積みに活かされた昔からの知恵と技術が、建物の倒壊を食い止めているさまを目の当たりにして、思わず目頭が熱くなってくるのを感じました。

そしてたどり着いたのは、熊本城を築城した加藤清正公(地元の皆さんからは敬意と親しみを込めて「せいしょこさん」とも呼ばれております)を祀った加藤神社です。

神社へと続く参道からは、石垣とともに大きな木が根元から倒れているさまが見えました。また、参道沿いには崩れた石や土砂を詰めたと思われる黒い袋も、うず高く積み上げられておりました。


加藤神社の境内からは、目下のところは立ち入ることのできない天守を、けっこう間近で見ることができました。

確かに天守は、瓦の多くや鯱が落ちてしまっている上に、最上階の窓ガラスも割れてしまっているという痛ましいありさまでした。
ですが、真っ青な空を背景にそびえ立つその姿から、威風堂々とした美しさまでが奪われてしまったわけではないということも、つくづく感じ取ることができました。地震で傷ついていてもなお、熊本城は紛れもない「名城」でありました。
「せいしょこさん、どうか熊本の皆さんを、自然の猛威からお守りくださいませ。そして、今回の熊本の旅が良いものとなりますように・・・」
加藤神社での参拝で、わたしはそう願いをかけたのでありました。

加藤神社をあとにして、車道に面した北東側を歩むと、そこにも崩壊している箇所がありました。

国の重要文化財に指定されている「東十八間櫓」と「北十八間櫓」。いずれも、石垣とともに建物自体も無残に倒壊してしまっておりました。修復には、かなりの時間を要することでしょう・・・。

実際に自分の足で歩き、目の当たりにした地震による熊本城の被害。メディアが伝えた映像や写真だけではわからなかった被害の大きさを実感し、大いに衝撃を受けました。
ですが、被害を受けている箇所が多い一方で、しっかりと地震に持ちこたえている箇所が多かったのもまた、紛れもない事実でありました。昔から伝えられてきた技術と知恵は、激しい自然の猛威に対して無力なだけではなかったのです。
熊本城の全体が元の姿に戻るには、20年ほどの時間がかかるだろうといわれます。しかし、昔からの知恵と現代の英知、そして熊本の皆さんをはじめとする多くの人たちの熱意で、間違いなく美しい熊本城が蘇っていくことでしょう。
わたしもこの先、少しずつ蘇っていく熊本城の姿を、しっかりと見届けていきたいと思ったことでした。

(第3回に続く)

熊本よかとこ味なとこ、がまだせ!応援旅(第1回)いざ出陣!震災から5ヶ月の熊本へ

2016-09-20 22:44:08 | 旅のお噂
先週末の17日から19日までの3日間にわたって、熊本市を旅してまいりました。
わたしにとって25年ぶりとなる熊本訪問は、あの熊本地震から5ヶ月を迎えた熊本市の「いま」を目にする旅でもありました。
震災からの復興にはまだ時間がかかりそうな「いま」の現実とともに、前を向いて日常を取り戻そうとされている、熊本の皆さんの明るさにも触れることができた今回の旅。熊本のいいところや美味しいもの、そして素敵な人たちとの出会いもいろいろとあり、想像以上に楽しく思い出深い3日間となりました。
これから何回かにわたり、熊本旅でのお噂のご報告、ゆるゆると綴ってまいりたいと思います。

わたしと熊本との最初のかかわりは、はじめにも申しました通り25年前に遡ります。当時勤めていた会社から単身赴任を命じられ、やってきたのが、熊本市から阿蘇に向かう途中に位置する熊本市のベッドタウン、大津町でありました(ああ、そういえばこの大津町にも、熊本地震による被害が及んでいたのでした・・・)。
大津町での単身赴任暮らしは1年ほどでありましたが、熊本市からは少々離れていたこともあり、当時は熊本市へ出かけることがほとんどありませんでした。加えて、慣れない土地での一人暮らしの心細さに職場への不適応が重なり、精神的に不安定だったヤワなわたしは、熊本の街を楽しむような心の余裕もございませんでした。いま思えばずいぶん、モッタイナイことであったなあと悔やむばかりなのですが。・・・まだお酒もロクに飲めなかったからなあ、あの頃のオレは。
その後は、長きにわたって熊本に出向く機会がありませんでした。ここ数年の旅といえば鹿児島と別府ばかりで、同じ隣県であっても熊本にはなかなか足が向きませんでした。・・・熊本と宮崎のあいだには、険しく深い山が横たわっておったのでありますよ。地理的にも、心理的にも。

そんな、険しく深い山を乗り越えようと思うキッカケとなったのが、4月に起こった熊本地震でした。
同じ九州の、それも一度はかかわりを持ったことのある隣県の熊本で、二度にわたって震度7の大地震が起こったという現実に、少なからずショックを受けました。
とにかく自分にできる支援をと、ささやかながら義援金の寄付や熊本県産品の購入をやってはきましたが、それだけでは不十分ではないのかという思いが、わたしの中にはありました。
隣の県なのだし、ここはやはり一度は直接、熊本へ出向いておくべきなのではないか。そこでささやかながらもお金を落とし、現地の皆さんとも触れあいながら、熊本の「いま」をすくい取ることで、微力ながらも自分なりに「がまだす」(熊本のことばで「がんばる」という意味です)熊本を応援できないだろうか・・・。
かくてわたしは、秋に考えていた東京行きの計画を棚上げにして、熊本へ出かけることに決めたのでありました。

とはいえ、25年という長きにわたって足を運んでいなかった熊本行き、それも普段は鉄道派のわたしにとっては不慣れな高速バスでの旅ということで、出かける前は楽しみにしつつも若干、緊張気味ではありました。・・・慣れないコトをやろうとすると妙に肩に力が入るタチなもんで。
その上、出かける直前になって発生し、近づきつつあった台風16号の動きにも、ずいぶん気を揉まされました。当初の進路予想では、連休中には九州直撃という最悪の展開であったのが、その後は徐々に速度が遅くなり、なんとか連休中は影響は免れそうだな、というありがたい展開へと変わってきました。よしよし、そうでなくちゃいけんよ、という嬉しい気持ちで、予定どおりに出発を決行することにしたのでありました。

迎えた9月17日の朝。出発地点の宮崎駅前に、熊本行きの高速バス「なんぷう号」が止まっておりました。近くのコンビニで缶ビールとおつまみを買い、予約しておいた座席に身を沈めました。
車体の横っ腹には「熊本・大分の皆様に元気を‼︎」というメッセージが。

そう、大分も地震で大きなダメージを受けた場所でありました。次は大分(といってもわたしの場合、まずは第二の故郷たる別府ということになるのですが・・・)にも出かけなくっちゃな。
7時半前、バスは熊本へ向けて発車いたしました。ありがたいことに、出発の朝の宮崎市には青空が広がっておりました。

熊本に向け、九州自動車道を快調に走り続けていた「なんぷう号」でありましたが、熊本市までもうしばらく、というところで渋滞に巻き込まれました。場所は、震度7の激震に二度にわたって襲われた益城町の近く。そう、まずここで、震災から5ヶ月となる熊本の現実に接することになりました。


九州自動車道の益城熊本空港ICから嘉島ICの一部は、まだ災害復旧の真っ只中。本来なら上下2車線ずつの道路は片側のみとなり、そこで1車線の対面通行規制が行われていたのです。その手前ではズラリと車が詰まっていて、けっこうな渋滞ぶりでありました。これも間違いなく、震災によりもたらされた「いま」の現実。受け入れなければなりません。
そのあたりではさらに、震災がもたらした「いま」の現実を目の当たりにすることになりました。

屋根をブルーシートで覆った住宅や、取り壊し中の住宅でした。
通行規制区間を過ぎ、高速道を降りて熊本市内に入ってからも、屋根をブルーシートで覆った住宅や、倒れたままの墓石が目立つ墓地を車窓から目にしました。一連の地震がいかに只事ではなかったのかを、あらためて思い知らされたのでした。

予定の時刻から30分以上遅れてではありましたが、無事に熊本市の目抜き通りである通町筋に到着することができました。

幸いなことに、熊本城の上に広がる空も明るい晴天。そう、この景色に会いたかったのですよ。
時刻はまもなく正午という頃合い。ここはまず、熊本のうまかもんで腹ごしらえをしなければと、たくさんの人で賑わう下通アーケード街へと足を踏み入れました。
何を食べようかと思案しつつ歩くことしばし。まずは「太平燕」(たいぴーえん)からスタートしてみるか、と老舗の中華料理店「紅蘭亭」に入りました。
太平燕とは、中国福建省の料理をオリジンとして、明治時代に熊本に伝わったという麺料理。春雨を使った麺の上には、炒めた豚肉や魚介類、野菜がたっぷりと盛られ、揚げたゆで卵が添えられます。
ここ「紅蘭亭」の太平燕、スープは一見こってりとしているようですが、その味は実にスッキリ、それでいて旨みもしっかりあるという優れものでした。上にたっぷり盛られた具も嬉しい限りでしたねえ。
そして、一緒に注文した蒸し餃子も、中の具がしっかり詰まっていて食べ応えがありました。おかげで生ビールが美味しいこと美味しいこと。真っ昼間からしっかり、2杯飲んでしまいました。


震災から5ヶ月後の「いま」の現実に揺れ動いていたわたしの気持ちに、熊本のうまかもんはしっかりと、元気を与えてくれました。
熊本城の前に立つ熊本信用金庫の壁面には「がんばろう!熊本」の文字とともに、でっかいくまモンが微笑んでいたのでありました。


(次回に続く)