読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【閑古堂のきまぐれ名画座】50年経ってもまったく色褪せない、緊迫感あふれる面白さが素晴らしいスピルバーグの出世作『激突!』

2022-03-23 06:47:00 | 映画のお噂

『激突!』 DUEL (1971年 アメリカ)
監督=スティーヴン・スピルバーグ 
製作=ジョージ・エクスタイン 原作・脚本=リチャード・マシスン
撮影=ジャック・A・マータ 音楽=ビリー・ゴールデンバーグ
出演=デニス・ウィーヴァー、ジャクリーン・スコット、エディ・ファイアストーン、ルー・フリッゼル
Blu-ray発売元=NBCユニバーサル・エンターテイメント


平凡なサラリーマン、デイヴィッドが約束に間に合わせるために車を走らせていると、前方をゆっくりと走っている大型トラックが。デイヴィッドが何気なくそれを追い越していくと、追い越されたトラックが後ろから走ってきてデイヴィッドの車を追い越し、またゆっくりと走り出す。再びデイヴィッドがトラックを追い越すと、またもトラックがデイヴィッドを追い越し、ゆっくりと走り出す。苛立ちと焦りを募らせるデイヴィッド。
やがてトラックから手が伸びて「先へ行け」との合図が。「分かればいいんだよ」とトラックを追い抜こうとすると、対向車線から走ってきた車と危うく正面衝突しそうになる。トラック運転手の悪意を悟って愕然とするデイヴィッドをよそに、トラックは執拗にデイヴィッドを追い回し、殺意に満ちた行為をエスカレートさせていく。恐怖でパニックになりながらも、デイヴィッドはトラックとの一対一の〝決闘〟を決意する・・・。

ハリウッド最高のヒットメーカーとして、数多くの傑作や話題作を送り出し続けているスティーヴン・スピルバーグ監督が、弱冠25歳のときにTVムービーとして創った長篇デビュー作が、この『激突!』です。
当時のスピルバーグ監督は、『刑事コロンボ』などのTVシリーズを手がける無名の若手監督の一人に過ぎませんでした。しかし、この作品がテレビで放映されるや大きな反響を呼び、日本やヨーロッパでは再編集の上で劇場公開されることに。さらに、SFやファンタジー、ホラー、サスペンス、アドベンチャーといったジャンル映画に特化した映画祭として大きな権威を持っていた「アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭」の第1回グランプリに輝くという快挙も成し遂げました。
この作品によって注目されるようになったスピルバーグ監督は、その3年後に製作された『続・激突!カージャック』(1974年。なお、邦題が『続・激突!〜』となっているものの、内容は『激突!』とはまったく無関係な作品です)で劇場映画監督としてデビュー。そして次作として撮り上げた『ジョーズ』(1975年)のメガヒットによって、ハリウッド有数のヒットメーカーとしての地位を確立することになるのです。

わたしが『激突!』を初めて観たのは、かの『E.T.』(1982年)が話題をさらっていた中学生の頃のことでした。映画館で『E.T.』を観て感動したあとに、テレビで放映されていた『激突!』を観て、スピルバーグという人はこういう怖い映画も作っていたのか!と驚かされたことを思い出します。
その後もテレビで放映されるたびに観ていましたし、レーザーディスク(LD)で廉価版ソフト(といってもまだ5000円近くもしておりましたが)が出たときに購入して観たりしておりました。実のところ、数あるスピルバーグ作品の中で最も多く観ているのが、この『激突!』なのであります。今回Blu-ray(こちらは新品でも2000円ほどで買えます)でけっこう久しぶりに観直したのですが、そのシンプルでありながらも緊迫感にあふれた面白さにまたも惹き込まれてしまいました。
なんといっても、〝主役〟であるトラックの圧倒的な禍々しさが最高です。運転しているドライバーは、手足がちょっと映るほかは最後まで姿を現すことがなく、トラックそのものが得体の知れない恐ろしい怪物に思えてくる巧みな演出がまことに見事です。
そんな怪物トラックに執拗に追い回される恐ろしさもさることながら、助けを求めようとしても誰一人その状況を理解できず、かえってデイヴィッドを変人扱いするという絶望的な状況が、さらに恐怖感を高めます。トラックはデイヴィッド以外の人物がいるところでは牙を剥こうとせず、走れなくなっていたスクールバスを後ろから押してあげるといった〝親切さ〟を装ったりもするのですから。この「助けを求めようにも誰もわかってくれない」というシチュエーションが、わたしにはより一層リアルに恐ろしく感じられました。
弱冠25歳という若さで、かくも卓越した映画づくりの手腕を発揮したスピルバーグ監督の才能に、あらためてただただ舌を巻くばかりです。

トラックに追い回される主人公・デイヴィッドを演じたデニス・ウィーヴァーは、当時『ガンスモーク』(1955〜1964年)や『警部マクロード』(1970〜1977年)といったテレビシリーズで活躍していた中堅俳優。はじめのうちはトラックを小馬鹿にしたりしていたのが、やがて恐怖でパニック状態となりながらも、最終的にトラックとの〝決闘〟を決意するデイヴィッドを、説得力たっぷりに演じております。また、環境音楽やノイズミュージックを志向したというビリー・ゴールデンバーグの音楽も、大いに映画のサスペンスを盛り上げてくれます。
そして何より、姿を現さないトラック運転手役とスタント・コーディネーターを兼任してトラックに命を吹き込み、最高の〝悪役〟へと仕立て上げたスタントマンのケアリー・ロフティンの功績に、たくさんの拍手を贈りたいのであります。

製作から50年が経ってもなお、まったく色褪せることのない緊迫感あふれる面白さを味わえる、サスペンス・アクション映画の傑作『激突!』。これからもことあるごとに、何度も観直しては楽しむ一本となるでしょう。

宮崎には珍しい「日本酒バー」で、日本酒と美味しい肴を満喫した三連休初日の夜

2022-03-20 20:27:00 | 美味しいお酒と食べもの、そして食文化本のお噂
飲食の自由を奪うばかりで、「感染拡大防止」にはなんの効果も意味もなかった、いまいましい「マンボウ」こと「まん延防止等重点措置」の適用が、わが宮崎県では今月の6日にようやく終わりとなりました。
「マンボウ」が終わって最初の週末となった先々週末、さっそく外呑みを楽しんできたわたしでしたが、三連休の初日となる昨夜(19日)もまた、2週続けての外呑みを楽しんで参りました。
前回の外呑みでは、久しぶりとなる馴染みの大衆酒場で、生ビールと焼酎を呑みながらくつろぎのひとときを過ごしたのですが、今回は気になっていたけれどもまだ立ち寄ったことのなかったお店に入ってみよう、ということにしました。とはいえ小心者ゆえ(苦笑)、初めてのお店に一人で入るということにはいささかの勇気を必要といたします。
思い切って別のお店に入ってみようかなあ・・・それともやっぱり通い慣れたいつものお店にしとこうかなあ・・・しばしの逡巡ののち、思い切って入ることにしたのが、日本酒バー「糀素弓」(はなそゆみ)さんでした。
焼酎文化圏の宮崎では珍しい、日本酒を主体としたお店。前から興味を持ってはいたのですが、なかなか入るきっかけが掴めないままでした。日本酒を扱うお店らしく、店先には「杉玉」(もしくは「酒林」)が下がっております。
思い切って中に入ると、カウンターのほかに小さなテーブル席があるだけのシックでコンパクトな店内。お店をお一人で切り盛りしておられる女将さんはとても愛嬌のあるお方で、初めて入ったわたしにもとても気さくに、親切に接してくださいました。店内にテレビなんぞ置いていないところも好印象であります。
その時々によって異なる銘柄の日本酒を揃えておられるそうで、その日に扱う銘柄がホワイトボードに列記してあります。さあてまずは何をいただこうかなあ・・・としばし迷った末、手はじめに福島県二本松市の「奥の松 二本松限定純米酒」を注文いたしました。

とてもフルーティな呑み口の中に、お米の旨みをしっかりと感じる実に美味しいお酒。最初の一杯にこれを選んで大正解だったなあ、と嬉しくなりました。
メニューを見ると、お酒を引き立ててくれる肴の種類もけっこう豊富です。その中から、まずはシンプルなところで「板わさ」を注文。

板わさでお酒もずんずん進んだところで、次に注文した一杯は宮城県の「浦霞」純米生原酒。さきほどの「奥の松」同様、またも大きな地震に襲われた東北を応援するという意味もありました。キリッとした辛口ながらも飲みやすく、気分のいいお酒であります。

このあたりで二つめの肴として、新潟県の分厚い油揚げを使った「栃屋のあぶらげ焼」の黒豚味噌入りハーフサイズを注文。なるほどたしかにすごい厚みで食べ応えがありました。あいだに挟まった黒豚味噌の旨味がまた、お酒を進ませてくれました。

お酒が進んであっという間になくなったので、三杯目として再び福島県二本松市の「大七」純米生酛を。こちらはさきほどの「奥の松 二本松限定純米酒」とは対照的などっしりとした呑み口。日本酒というのは実に多彩な美味しさがあるんだなあということを、あらためて実感させられます。

この日はなんと、「奥の松」の営業マンの方がお見えになっておりました。その方から、まだ出来たばかりだという「奥の松 純米大吟醸」のお裾分けにあずかることができました。フルーティな美味しさにさらなる磨きがかかり、清涼感あふれる呑み口に魅了されました。これならいくらでも無限に呑めそうな感じがいたしますねえ。

そして、ひとまずの締めとして注文したのは、新潟県の「緑川」。こちらは久しぶりに呑んだのですが、安定した美味しさでホッとさせてくれました。一緒に注文した「チーズ豆腐」は冷奴そのものの食感ながらも味はたしかにチーズ、という面白い肴で、日本酒ともいい相性でありました。


ここにきてさらに、この日来られていたご常連と思しきお客さんがお持ち込みになったお酒のお裾分けが。北海道は函館市の蔵元「郷宝」の純米吟醸。「彗星」というロマンチックな名前のお米を使ったお酒で、かすかな酸味の中に旨味が感じられていい呑み心地の一杯でした。北海道にもこんな美味しいお酒があったとは!


今回初めて入った「糀素弓」さんでしたが、実に楽しく充実した時間を過ごすことができました。
美味しいお酒と肴の数々もさることながら、カウンターを通しての女将さんやお客さんとの交流という、コロナ騒ぎの中で忘れかけていた酒場ならではの楽しさもたっぷりと味わえたことは、とても嬉しいことでした。尊敬する居酒屋の師・太田和彦さんによる良きお店の定義「いい酒、いい人、いい肴」の三拍子を兼ね備えたお店ではないかと、しみじみ思いました。日本酒の持つ多彩な美味しさを再認識できたことも、大きな収穫でありました。
これからも時々、「糀素弓」さんには立ち寄ることにしなければな。

2軒目となる行きつけのバーに寄る前に、繁華街をブラつきました。宮崎市の呑み屋街であるニシタチ、中央通り界隈は若い世代を中心にたくさんの人が歩いていて、週末にして三連休初日の夜らしい賑やかさに包まれておりました。




「コロナ禍」ならぬコロナ騒ぎ禍によって受けた呑み屋街のダメージは、そう簡単には回復できないように思われます。しかし、美味しいお酒や食べもの、そして人と人との楽しい交流を求める人の営みが続くかぎり、呑み屋街は一歩一歩立ち直っていくだろう・・・と、この夜の街の賑わいを見ながら思ったことでありました。



別府→日田・2年ぶりの湯けむり紀行(最終回) 霧の三隈川に、日田人の粋で嬉しいおもてなしの心を見た

2022-03-13 23:21:00 | 旅のお噂
(第1回目はこちら、第2回目はこちら、そして第3回目はこちらであります)

江戸の面影を残す豆田町と、水郷の風情が漂う三隈川沿岸を散策して、4年ぶりとなる日田の情緒を満喫したわたしは、2日目の宿となる「亀山亭ホテル」さんにチェックインいたしました。三隈川のほとりに建つ、温泉と料理が自慢のホテルであります。
4年前に日田を訪れたときには、格安のビジネスホテルに宿泊したこともあって、温泉に入れずじまいに終わってしまいました(日田の温泉は、三隈川沿いにある数ヶ所のホテルでしか入ることができないのです)。今回は久しぶりの日田、そして2年ぶりの旅行ということもあって、日田の温泉を美味しい料理とともに楽しめる宿に泊まろうではないか!ということで、この「亀山亭ホテル」さんを選んだのであります。
チェックインのとき、フロントより4000円分のクーポン券をいただきました。前の年から始まっていた「新しいおおいた旅割」というキャンペーンが、このときには大分県民に加えて大分の隣県から来る観光客にも適用していただけることになっていましたので、宮崎から来たわたしもまた、この「亀山亭ホテル」さんの宿泊料が割引となった上に、商店や飲食店、観光施設などで使えるクーポン券までいただけるという、実にありがたいこととなったのでありました。
(もっとも、この頃から再び、全国的にコロナ陽性者が増加してきたこともあって、「新しいおおいた旅割」は一時的に停止という事態になってしまったのですが・・・)
部屋に入ってひと息つき、窓から外を眺めてみると、三隈川の風景が眼下に広がり、実にいい感じ。水郷日田の旅情を掻き立ててくれるのであります。

さあさあそれではさっそく温泉だあ!と、8階にある展望大浴場へ。肌にやさしいお湯にゆったりと浸かっていると、日田さんぽの疲れがゆるゆるとほぐれていくのを感じました。
露天風呂に出てみると、外から見えないようにという配慮なのか、正面には葭簀が張られていて少々見通しはききませんでしたが、それでも三隈川の流れを眼下に眺めることはできました。
時刻はちょうど夕刻でしたので、三隈川を包む夕焼けを見ながらの入浴を期待したのですが、午後に入ってからは曇り空となってしまったこともあり、残念ながら夕焼け空を眺めながらの入浴とはなりませんでした。まあしょうがねえか・・・と思いつつ、しばしのんびりと日田のお湯を満喫したのでありました。
お湯から上がって部屋に戻ると、時刻はちょうど5時。外からサイレンの音が響いてきたので、窓から顔を出してみると、眼下の三隈川には屋形船が一艘。水郷日田らしい光景に思わず「いいねぇ〜〜、粋だねぇ〜」と、ひとりごとを口にしたのでありました。


やがて時刻は6時。お待ちかねの夕食の時間がやってまいりました。ワクワク気分で夕食の会場へと向かい、指定されたテーブルについてみると・・・あるわあるわ美味しそうなご馳走が!


メインである黒毛和牛のミニステーキに鴨鍋、刺身の盛り合わせ、前菜の盛り合わせなどなど、口に入れる前に目に美味しいご馳走がズラリ。コーフンする気持ちを押さえつつ、まずは湯上がりの生ビールを。もちろん、ご当地にあるサッポロビールの工場で生まれた「黒ラベル」の生であります。
前菜や刺身で生ビールを楽しんでいるうちに、ミニステーキと鴨鍋に火が通ってまいりました。とろけるような脂身が旨い黒毛和牛と、具材全体に旨味が染みた鴨鍋でビールは空となり、2杯目にはハイボールを注文。



そうこうするうち、さらに鮎の塩焼きと揚げたて天ぷらも運ばれてまいりました。
ハイボールもあっという間に空となり、こうなるとまた日田の地酒が欲しくなってきました。ということで、飲み物のメニューにあった地酒の中から「山水」生貯蔵酒をいただきました。初めて呑んだ銘柄でしたが、スッキリとした飲み口で一杯、また一杯と盃が進みます。サッポロビールの工場はあるわ、麦焼酎「いいちこ」の蒸溜所はあるわ、さらに旨い地酒にも恵まれているわ・・・日田は酒好きにとっても天国みたいなところだなあ。

あたりを見廻すと、ほかのテーブルはご家族連れやお友達同士、さらにカップルといったグループのお客さんばかりで、一人で呑み食いしてるのははわたしだけ。はじめのうちは少々テレ臭いものがありましたが、酔いが回ってくるうちにもうどうでもよくなってまいりました。一人もんだろうと何人だろうと、美味しいものを味わって楽しく過ごせていればそれでいいのだよ諸君!!
お酒も一区切りついたところで、食事であるうなぎのせいろ蒸しをいただきました。・・・はい、お昼に続いてまたしてもうなぎで恐縮でございますが、2年ぶりの旅行ということでどうか大目に見てやってくださいませ。


最後はフルーツ盛り合わせとゼリーが乗っかったデザートまでいただき、お腹も気分もたっぷりと満たされたのでありました。

夕食が終わったあと、しばしホテルの外を散歩いたしました。ホテルや旅館が立ち並んでいる温泉街と向かいあうように、居酒屋やバー、スナックなどの飲食店が集中するエリアがあり、日曜の夜ではありましたがちらほら、営業しているお店がありました。
その中には、4年前に来たときに立ち寄って、美味しく楽しい時間を過ごさせていただいた居酒屋さんもありました。ちょっと覗いてみたくなりましたが、この日の夜は「貸し切りのみの営業」との貼り紙が入り口に掲げられていたので、入るのは遠慮いたしました。
ほかにも、ちょっと気になる感じのバーが数軒ほどあって、入ろうかどうしようかと迷ったのですが、結局は入ることもなくそのままホテルへと戻ったのでした。いま思えば、どこか一軒立ち寄っておけばよかったかなあ・・・。
ホテルに戻ったあと、寝る前にもうひとっ風呂浴びとこうと思い、再び大浴場へ。三隈川の対岸に見える家々の灯りを眺めながら温泉に浸かり、ゆるゆると酔いを覚ましたのでありました・・・。

そしてとうとう、旅行最終日の朝がやってまいりました。
早い時間に起床したわたしは、三たび大浴場へと上がって目覚ましの朝風呂に浸かりました。まだ暗いうちだったので外の景色はよく見えませんでしたが、夕方・夜・朝の3回にわたって日田の湯を堪能できて、満足でありました。
朝風呂のあとは、こちらもまたお待ちかねだった朝食を。朝食もベーコンエッグや小皿に盛り分けられたおかずセットなどなど、充実した献立が揃っておりました。

給仕をしてくださったスタッフの方が、「卵かけご飯にすると美味しいですよ」とおっしゃったので、ベーコンエッグの卵とは別に卵をもらって、それで卵かけご飯にいたしました。いい卵を使っているようで確かに美味しく、ついついご飯をおかわりしてしまいました。おかげさまで朝からお腹いっぱいであります。

朝食を食べながらふと、窓の外を見ると一面の濃霧。4年前の朝は降り積もった雪で、外が一面真っ白になっていて驚いたものでしたが(なんせほとんど雪を見ることのない南国の人間なもんで・・・)、濃霧で真っ白となった光景にもまた驚きました。
そんな濃霧に包まれた三隈川の川面を見ていると、そこには何艘かのカヌーが浮かんでおりました。

ああ、こんな見通しのきかない濃い霧の中でカヌーを漕ぐのは大変だろうなあ・・・などと思いながら見ていると、そのうちの一艘がこちらに向けて背中を見せるようにして漕ぎ出しました。立ち漕ぎしているそのカヌーイストの背中には垂れ幕のようなものがあり、そこに何か書かれています。おやおや?と思いつつ、窓に近づいて見てみると、そこには・・・。

なんとなんと!「ようこそ日田へ」との言葉が、にっこりマークの顔文字とともに記されているではありませんか!!地元有志の皆さまによる、観光客への歓迎パフォーマンスだったのです!おおお〜〜!なんという嬉しい趣向!!
朝食を食べ終わって部屋に戻り、窓から外を見てみると、くだんのカヌーイストの皆さまはやはり三隈川沿いに建っている、別のホテルのお客さんからの歓声に応えているようす。わたしは思わず、皆さんに向かって思いっきり手を振って見ました。すると、皆さん揃ってわたしの眼下へとお集まりになってくださいました。
カヌーイストの皆さまは全部で6人で、どうやら男女が半々といったところでした。例の「ようこそ日田へ」の垂れ幕の方は、あらためてその垂れ幕をこちらのほうへと向けてくださっております。そして、グループの一人である女性の方が「ようこそ日田へ〜!」とおっしゃってくださいました。
それに対して、どうもありがとうございます〜!と返してから、寒くはないですか?と訊ねてみると、声をかけてくださった女性の方が「寒いです・・・」とお答えになりました。そうだろうなあ・・・1月の朝の川面、それも濃霧の中だからなあ。そんな中で、このような粋な歓迎をしてくださる皆さまのおもてなし精神に、つくづく嬉しい思いがいたしました。どうか風邪をひかないでくださいね〜!と声をかけ、手を振ってお別れしたものの、あらためて皆さまにお礼を申し述べておきたいという気持ちになり、チェックアウトを済ませて三隈川のほとりに出てみました。しかし、霧の立ち込める三隈川の上に、すでにカヌーの皆さまの姿はありませんでした・・・。


水郷日田にふさわしい、粋で素敵なおもてなしをしてくださったカヌーイストの皆さま、本当に、本当に、ありがとうございます!!

三隈川をあとにしたわたしは、いま一度豆田町を目指して歩き出しました。
20分ほど歩いたところ、豆田界隈の入り口に差しかかる手前には、日田の生んだ儒学者にして教育家でもあった廣瀬淡窓が幕末に開いた私塾「咸宜園」(かんぎえん)の跡があります。

当時としては先進的な実力主義によるカリキュラムと、「敬天」の思想に基づく人間教育により、高野長英や大村益次郎、上野彦馬など、近代日本の礎を築いた多くの人材を輩出した淡窓。4年前の旅行のとき、ガイドの方の懇切丁寧な説明とともにじっくりと見学させていただき、淡窓の卓越した教育法と思想に感銘を受けたことを思い出します。
咸宜園跡を過ぎ、豆田の入り口にあたるところに、小さな運河が通っております。

ここはかつて、年貢米の輸送のために用いられていた運河だそうで、三隈川と花月川の間を結んで延びています。運河の途中には、荷物の積み下ろしが行われていたと思われる河岸の跡も見られました。当時は川幅も広く、河岸には米の蔵や計測所が立ち並び、港として栄えていたといい、「港町」というこのあたりの地名は、その名残りだとか。

かつては川舟が行き交っていたであろう運河は、住宅地の中に埋もれるかのように、少しばかりの水を静かにたたえているばかりでありました・・・。

そして再びわたしは、豆田の街並みの中に入りました。霧がかかっている豆田の界隈は、まだ早い時間帯ということもあってとても静かでした。


2度目の豆田散策で最初に立ち寄ったのは「天領日田資料館」。天領時代の栄華を物語る古文書や書画を保存、展示する資料館です。
「天領」としての政治的な位置づけもさることながら、その中で経済的にも大きな力をつけた日田という土地にさまざまな文化が花開き、多くの文人や書家、画家といった文化人が生まれていたことに、興味を掻き立てられました。
長きにわたる経済停滞に追い討ちをかけるかのように、コロナだオミクロンだの空騒ぎによる国富の破壊が重なって、これから貧乏な国へと転落していくであろうわが日本に、はたして良質の文化が生まれるのだろうか・・・ついそんなことを考えてしまったのでありました。

しかし残念ながら、最終日の豆田ではあまりゆっくり過ごすことはできませんでした。この日のお昼には列車に乗り込んで、日田を離れなければなりませんでした。
そろそろお土産を買っておかなければ、ということでまず立ち寄ったのが「御菓子司 京橘」さん。大福を中心にして、美味しく見た目もいい和菓子を商っておられるお店であります。

このお店の一番人気なのが、イチゴをまるごと一個くるんだ「いちご大福」。スイーツ好きとしても知られる、俳優の的場浩司さんもお気に入りという逸品です。その「いちご大福」と「みかん大福」を10個ずつ買い、ホテルでいただいていたクーポン券を使わせていただきました。
4年前にもお土産に買って帰ったらすごく好評でして・・・とお店の女性の方に申し上げると、「どうもありがとうございます」とおっしゃったあと、「ちょっとカタチが悪いものですが・・・」と、店の奥から「いちご大福」と「豆大福」を一個ずつ持ってきて、おまけとしてつけてくださいました。現金で支払ったわけでもないというのに、なんとも恐縮なことであります。
お店を出るとさっそく、いただいた2個をおやつとしていただきました。


まるごとイチゴを白餡でくるんだ「いちご大福」と、甘さ控えめのあんこと黒豆に懐かしさを感じる「豆大福」、どちらも美味しくいただきました。

霧に包まれていた豆田町の空は、もうすっかりと晴れ上がっておりました。そして、街歩きを楽しむ観光客も増えてきていて、この日の豆田界隈も大いに賑わいそうでした。

豆田の街並みが尽きるあたりに流れている花月川のほとりに、公衆トイレがありました。そこにかかっている表示を目にして、思わず笑いが漏れてきました。

「水郷の思案処」・・・こういうネーミングもまた、日田らしい洒落が感じられていいもんだなあ。

もうひとつなにかお土産を・・・ということで次に立ち寄ったのが「日田ロール 粋」さん。和菓子のお店が多い豆田では珍しい洋菓子のお店であります。

さまざまなロールケーキをメインとしたラインナップの中で人気なのが「チーズロール」。濃厚なチーズクリームを、こちらもチーズを練り込んだふんわり生地で巻いたロールケーキです。要冷蔵商品ということで、宅配便での発送の手続きをしたあと、買い食い用に小さくカットしたものを買って食べました。とろけるような口当たりと甘さがこたえられなくって、一本まるごとペロリといけそうな感じもいたしました。

日田を離れる時間が迫ってきておりました。できればお昼ごはんを食べてから離れたかったのですが、今回はお昼前には列車に乗り込まなければなりませんでした。
なにか列車内で食べられるようなものを・・・と立ち寄ったのが、前日のお昼ごはんで立ち寄った「いたや本家」さん。お店の横にあるお弁当売り場で、刻んだうなぎの蒲焼き入りの「うなぎの焼きおにぎり」を買いました。・・・なんだまたうなぎかよ、と呆れられそうなのですが・・・。

売り子の女性の方が「今年はうなぎのぼりで景気が良くなってほしいですね〜。コロナでいろいろと大変でしたからね・・・」とおっしゃるのに、いやほんとそうなってもらいたいですよね!と激しく頷いたわたしでありました。

こうしてわたしは、お昼前には日田駅から列車に乗り込んで、日田を離れました。
今回の訪問でさらに、日田という街に愛着が湧いていたわたしは、正直なところまだまだ日田で過ごしたいという気持ちが強かったのですが・・・旅はどこかで終わりにしなければなりません。
やってきた列車は、特急「ゆふいんの森」号。実は今回が初めての乗車でした。

デザインもさることながら、沿線に見える風景や名所についての説明アナウンスがあったり、記念撮影用のプレートを手にしたアテンダントの方がやってきたりと、観光列車としての楽しさを演出する工夫がさすがだなあ、と感じました。ビュッフェでは、お弁当などのさまざまな飲食物も販売されています。
列車が走り出すと、わたしは買ってきた「うなぎの焼きおにぎり」を、缶ビールとともにいただきながら、楽しかった日田での思い出に浸ったのでありました・・・。


コロナ騒ぎで水を差されるかもしれない・・・との不安の中で始まった(とはいえ、感染するかもしれない、などという心配は1ミリもございませんでしたが)今回の旅でしたが、終わってみれば楽しい思い出がたくさんできて、嬉しい限りであります。
夜の別府では、コロナ騒ぎによる呑み屋街の苦境や、大好きだったバーの閉業に直面するなど、寂しくも悲しいこともございました。ですが、今回の旅で出会った別府と日田の皆さんは、とても親切に接してくださいました。ここにあらためて、深くお礼を申し上げるとともに、観光文化都市としての魅力にあふれる別府と日田が、不毛なコロナ騒ぎを乗り越えて発展することを、願わずにはいられません。

                                   (おわり)




東北のうまい酒と肴で、ゆるゆるとウチ呑みを。

2022-03-06 16:58:00 | 美味しいお酒と食べもの、そして食文化本のお噂
昨日(3月5日)のこと。半ドン仕事の帰りがけに近所にあるスーパー「山形屋ストア」に立ち寄ると、毎年この時期にやっている「東北応援フェア」が始まっておりました。岩手・宮城・福島をはじめとする東北各県の美味しいものを集めたこのフェアは、わたしにとってこの時期の楽しみとなっております。
昨日の夕べは、その「東北応援フェア」で買ってきた福島県二本松市の日本酒「奥の松」と、宮城県塩釜市加工のサバ丸干しでウチ呑みを楽しみました。



酒どころ福島の名酒「奥の松 あだたら吟醸」(15度)は、キリッとした辛口の中に米の旨味がしっかり感じられる、わたしの好きな銘柄であります。そして塩釜加工のサバ丸干しは、食べごたえと旨味がたっぷりで、美味しいお酒をさらに美味しく、ぐいぐいと進ませてくれるのです。
サバ丸干しをあっという間に完食したので、勤務先の料理好きな同僚から分けてもらったポテトサラダの残りも引っ張り出しました。

ポテサラと日本酒という取り合わせはヘンだ、という向きもおられるかもしれませんが、このポテサラがまたお酒のアテにうってつけときてますし、こちらが美味しいと感じるのであればそれでいいのだよ(笑)。
かくして東北のうまいお酒と肴は、1週間の疲れをゆるゆるとほぐし、癒やしてくれたのでありました。

あの東日本大震災から、まもなく11年。あのとき感じた強い衝撃も、時を重ねていくうちに自分の中で薄れていくのを感じざるを得ません。
とはいえ、東北から遠く離れた自分にできることを、ささやかであっても続けていきたいという気持ちだけは、これからも忘れないようにしたいと思うのです。東北の美味しいものを買い求めることも、その一環であります。

宮崎県全域に出されていた、くそいまいましい「マンボウ」こと「まん延防止等重点措置」とやらもきょう(3月6日)でようやく終了。ということで今週末にはさっそく、久しぶりとなる呑み屋街での外呑みをたっぷりじっくり満喫するつもりであります。乞うご期待!・・・って期待してんのは自分なんだけど(笑)。

別府→日田・2年ぶりの湯けむり紀行(第3回) 古き良き情緒あふれる、日田の街歩きをとことん満喫

2022-03-06 15:44:00 | 旅のお噂
(第1回はこちら、第2回はこちらであります)

旅行2日目となる1月10日(日曜日)。朝早い時間に別府をあとにしたわたしは大分駅へ行き、そこから久大本線の特急列車に乗り換え、次なる目的地である日田に向けて出発いたしました。
大分駅を出てしばらくすると、のどかな田園風景や山里の風景が窓の外に広がってきます。旅の情趣をしみじみと掻き立ててくれる、久大本線のこののどかな窓外風景は、わたしの大のお気に入りなのであります。
大分を出て30分ほどすると、列車は湯平駅に停車いたしました。
リゾート地として高い人気のある湯布院の奥座敷ともいえる、山あいの小さな温泉郷である湯平。わたしは2年前の旅行で初めてここを訪れ、静かで風情あふれる雰囲気にたちまち魅了されました(その時のことは、当ブログにも詳しく記しました。→「別府→湯平湯けむり紀行」【その3】【その4】)。
それから半年も経たない2020年7月はじめ、九州を襲った豪雨によって、湯平を流れる花合野(かごの)川が増水、湯平は大きな被害を受けました。そのこと自体ショックでしたが、わたしが宿泊した旅館であった「つるや隠宅」さんのご家族4人が、増水した川に車ごと転落して亡くなられたことには、いまも辛さと悲しさで胸が締めつけられる思いがしてきます(そのことについても、当ブログのこちらの記事に記しております)。
実は今回の旅を計画していたとき、別府の次には湯平に行くことも考えておりました。しかし、2年ぶりとなる旅なのでとにかく楽しい思い出だけを残したいと思い、今回は湯平行きを見送って日田にしたのでした。
でも、次の機会にはぜひまた湯平に行きたいと思っております。そのときには、今回は果たさなかった「つるや隠宅」の皆さまへのお弔いを、必ずや果たすつもりであります。

湯平を出るとほどなく、列車は湯布院に停車。ここでたくさんの乗客が降りていきました。天気が良いこともあって、窓の外には由布岳がきれいに見えています。そういや、湯布院にももう長いこと行ってなかったなあ。久しぶりに湯布院でゆったり過ごすのもいいかもなあ。


湯布院を出た列車は、さらに大分の奥のほうへ。やがて、日田の少し手前あたりに位置している天ヶ瀬温泉郷が見えてきました。
玖珠川に沿って広がっているこの天ヶ瀬温泉もまた、2年前の豪雨によって大きな被害を受けました。川の両岸を見ると、ホテルが建っていたと思われるあたりで取り壊しの工事が行われていたり、新たに住居の建て替えが行われていたりしている様子を見てとることができました。

天ヶ瀬には、だいぶ前に一度訪れたことがあります。ここもまた、川沿いの温泉街ならではの情緒のあるいい場所でした。天ヶ瀬にもまた、機会をつくって訪れなければ。

大分駅を出て1時間40分、いよいよ日田に到着いたしました。日田を訪れるのは4年ぶり、3回目であります。

4年前に訪れたときの日田はかなり寒く、街を歩いているとチラチラと雪が舞ったりなんかして、朝ホテルで目覚めると外が一面の雪景色に・・・という、南国生まれ南国育ちの身には滅多に見られない風景に目を見張ったものでありました。しかし、今回訪れた日田は真っ青な空から日の光が降り注いでいてけっこう暖か。とはいえ、やはり別府に比べると幾分かは、空気がひんやりしているようにも感じられました。
日田といえば、昨年(2021年)の春に完結となった人気漫画『進撃の巨人』(講談社)の作者である、諫山創さんの出身地でもあります。なので、市内の至るところで作品とのコラボが見られました。

日田駅の前には、作品中の人気キャラクター・リヴァイ兵士長の銅像が立てられているほか、駅の構内にも作品のキャラを起用した、こんなパネルが。

そうだそうだ、久しぶりの日田をたっぷり楽しんで、悔いのない旅にしなくちゃなあ・・・そんな思いとともに、日田の街へと足を踏み出したのでありました。

日田に来てまず訪れたいのは豆田町。かつて「天領」として栄えた当時の面影を偲ばせる、風情ある古い町家が建ち並んでいて、観光客の人気も高いエリアであります。
日田駅からテクテク歩くこと20分、豆田の街並みが見えてまいりました。





江戸の面影を残す町家や蔵はもちろん、大正か昭和あたりのレトロ感が漂う建物もある豆田町界隈。こういう街並みの中を歩けることの至福感が湧きあがってきて、ワクワクした気分が高まってきました。

街歩きを楽しんでいると、「ひな人形ミュージアム〝雛御殿〟見ていかれませんか〜?」と、道ゆく人に呼びかける声が。ちょっと興味を惹かれ、入ってみることにいたしました。
日田を代表する行事のひとつに「天領日田おひなまつり」があります。かつて「天領」として栄えた日田には、豊かな経済力を背景とした町人文化が花開き、旧家には多くの古いひな人形が残されています。それらひな人形を一斉に展示・公開するのが「天領日田おひなまつり」で、毎年2月中旬から3月いっぱいにかけて行われます。
「ひな人形ミュージアム 雛御殿」は、そんな日田のひなまつり文化を反映させた施設といえそうなところ。貴重な江戸期の人形をはじめとして、人間国宝や現代の人形師による作品、猫やうさぎといった動物をかたどった人形、さらにはディズニーやハローキティ、リカちゃんといったキャラクターものでつくった変わり種まで、約4000体ものひな人形と、約4500点のひな道具が収集、展示されています。
運営しているのは、天保14(1843)年創業という老舗の醤油、味噌の醸造元「日田醤油」さん。入り口では味噌汁の試飲・販売も行われておりました。まろやかな甘味のする美味しい味噌でありました。
入場料を払って中に入ると、両側にはずらりと江戸期のひな人形が並んでおりました。典雅な趣きの古い人形は、かつての町人文化の繁栄ぶりを偲ばせる典雅な趣きが感じられました。
(内部は撮影OKということで、けっこうたくさん写真を撮らせていただきました。以下に掲げる画像は、そのほんの一部であります)

圧巻だったのは、歌舞伎や浮世絵を題材にして、厚紙に布を貼り合わせて作った「おきあげ雛」と、小さな人形を連ねた「吊るし雛」をいっぱいに飾った広間(下の画像では見切れてしまってよく見えないのですが、広間の両側には吊るし雛がずらりと下げられておりました)。
そしてさらに圧巻だったのが、日本最大級というふれこみの10段飾りが、室の中いっぱいに広がる大広間。そのスケールの大きさと絢爛ぶりには目を見張りました。とはいえ、いくら目を大きく見張っても、奥に居並んでいる人形たちがよく見えなかったりもするのですが・・・いやはやとにかくすごかったなあ。
微笑ましかったのが、小さく作られた木目込みの人形たち。デフォルメされたその姿は実に愛らしいのですが、女の子の表情が一様に、岸田劉生の「麗子像」風なのがちょっと笑えたりもして。そんなブキミ可愛さも、またいいのでありますねえ。
もうひとつ面白かったのが「見栄っ張り雛」。約230年前の享保時代に作られたもので、女雛の袖を長く広くすることで、大きく豪華に見せようとしたのだそうな。中でも、下に掲げた画像の女雛の「見栄っ張り」ぶりはかなりのもので、思わず笑ってしまいました。
現代作家の人形では、「藤匠」こと後藤由香子さんによる一連の作品が目を惹きました。ひな人形にウエディングのようなイメージを纏わせたものや、黒を基調にしたものなど、伝統的な技法と現代的なイメージをミックスさせた作風で、美しくも実に面白いものでした。

絢爛豪華なひな人形で目を楽しませているうちに、時刻は昼時分となりました。さてどこかのお店でお昼ごはんを・・・と思ったのですが、すでに多くの観光客が豆田を訪れていたようで、お目当てだったお店2軒はいずれも満席状態。ああこれはやはり予約しておいたほうがよかったかもなあ・・・と思いつつ、やや焦りながら別のお店をあたってみることに。
お店を探している途中、妙に目を惹く表示がありました。

なぬ?「足フェチ専門店」だとお?と思いつつ近づいてみると、上のほうに小さく「豚」の一文字が。実はこのお店、豚足を焼いて売っているお店のようで、店からは煙とともに美味しそうな匂いが漂っておりました。お店探しに焦りながらもこういう看板に目が惹かれてしまうわたしも、やはり相当「足フェチ」のケがあるようで・・・。
足フェチにココロ惑いながらお店探しを続け、気になっていたお店のひとつであった「いたや本家」さんに入りました。江戸期に創業して170年近い歴史を持つ、うなぎと川魚料理の老舗であります。
幸いなことに席が空いておりましたので、ホッと一安心して席についたところで、まずはやっぱり生ビール。ご当地に工場があるサッポロビールの「黒ラベル」の生とともに注文したうなぎの肝焼きは、炭火の香ばしさがビールを進ませてくれます。

そして運ばれてきたのが、このお店の看板メニューである「天領せいろうな重」。せっかく「天領」にやってきたんですから、ここは奮発して「上」にいたしました。長年使いこまれたと思しき〝せいろ〟が、またいい感じでありますねえ。
蒸しあげられてふっくらとした、うなぎの身の美味しさは格別で、まんべんなくタレが染みこんだごはんの美味しさもまた最高。こうなるとさらに日本酒が欲しくなり、こちらもご当地を代表する地酒である「薫長」純米酒を注文いたしました。スッキリした飲み口は、うなぎとも良く合うのであります。

美味しいうなぎとお酒を堪能することができたわたしは、ほろ酔いとなったアタマの中で「余は満足じゃ〜〜」とつぶやきつつ、お店を出たのでありました。
お店を出ると、豆田の街は多くの観光客で賑わっていて、狭い道にはクルマや観光バスがしきりに行き交っておりました。そりゃ飲食店も満席状態になるわけだわなあ。何はともあれ、コロナ騒ぎに負けずに日田が賑わいを見せ、観光客がみんな楽しく過ごせるのは良きこと良きこと・・・と、なんだか嬉しい気持ちになったのであります。

真っ昼間からほろ酔い気分になったところで、いま呑んだばかりのお酒が生まれる場所へ行くべし!ということで、やはり豆田の中にある「薫長」の醸造元に向かいました。

こちらもまた、江戸時代から続いている老舗の蔵元。現在使われている5つの酒蔵は、いずれも江戸から明治、大正にかけて建造されたもので、一番古い蔵は元禄15(1702)年の建造といいますから、その歴史の長さに驚かされます。
その歴史ある蔵のひとつは資料館となっていて、かつて酒造りに使われていたさまざまな道具が保存、展示されています。それらの道具からは、往年の蔵人たちの息づかいが伝わってくるかのようでした。


日本酒や焼酎、酒粕などを直売している売店には、ちょっとしたカフェスペースもあって、そこではご夫婦連れと思われる先客が日本酒の飲み比べセットを賞味しておられました。わたしはここで「吟醸酒アイス」を味わってみました。吟醸酒の酒粕と、お酒で炊いた赤米を用いたアイスは思いのほか清涼感があって、昼食後のいいデザートになりました。


「薫長」の醸造元を出たあと、次に訪れたのは「岩尾薬舗 日本丸館」。かつて「日本丸」という薬の製造・販売元であった薬屋さんで、木造3階建ての母屋は江戸時代の長屋をベースに明治時代に改築、以後昭和初期に至るまでに幾度かの増改築を経たもので、国登録有形文化財にも指定されております。
内部は資料館となっていて、昔の生活用具や薬に関する資料、さらには「日本丸」に関する資料が多数展示されています。入り口で入館料を払って見学いたしました。
昔の薬に関する資料を集めた「薬品室」には、明治から昭和にかけて実際に販売されていた薬の袋や箱、瓶などのほか、薬の広告や看板といったものも展示されていて、レトロ好きにはなかなか楽しいのであります(こちらも内部は撮影OKでした)。


とりわけ楽しかったのが、ネズミを駆除する「猫イラズ」のパッケージ。猫イラズのためにお役御免となり、「免職」と書かれたリボンを付けられてつまらなさそうにアクビする猫と、「ハライモノ」というリボンを付けられたネズミ捕りのイラストがかわいいのであります。

もうひとつ面白かったのが、どこかで見たようなネーミングの名前とデザインの鎮痛薬の袋。某「ケロリン」の模倣品がいろいろとあったことが窺えて、ちょっと笑いました。

ここがかつて製造、販売していた「日本丸」は、鹿から取れた麝香(じゃこう)やカモシカの角、熊の胆、真珠などの動物漢方に人参などの薬草を配合して作った赤い丸薬。最盛期には大都市圏である東京・大阪・京都・名古屋・札幌に加え、当時の満州や京城(ソウル)にまで販売店があったとか。
この「日本丸」を世に出した、岩尾家15代目の岩尾昭太郎はなかなかの傑物だったようで、首相だった吉田茂や日銀総裁だった一万田尚登といった政財界人、さらには詩人の西条八十といった文化人まで、実に幅広い人物との交流があったことを示す資料もございました。

母家の3階には展望楼があって、そこからは豆田の街並み、そして日田の山々が一望のもとに見渡せます。江戸から近代にかけての日田を代表する豪商ともいえそうな、岩尾家の権勢ぶりが窺えるかのような見事な屋敷でありました。


資料館を出るとき、いやーこれだけのものをよくぞ集めましたねー、と受付の女性に申しますと、「ありがとうございます。でも維持するのがけっこう大変で・・・」と笑いながらおっしゃいました。そうだろうなあ。公的な資料館ではなく、個人で運営しているわけだしなあ。

と、こんな感じで豆田町散策を満喫したわたしは、この日の宿泊先であるホテルにチェックインすべく、三隈川に面した日田温泉へと向かいました。
日田温泉へ向かう途中、日田駅からほど近いところにある「西洋菓子処 MOMO」さんに立ち寄りました。このお店の人気商品であるシュークリームが目当てでしたが、残念ながらすでに売り切れ。それならと、あまおう苺のプリンを買い、それを三隈川まで持って行って賞味いたしました。コクのある甘さとイチゴの酸味がマッチした、とろけるような美味しさでありました。

プリンを味わったあとは、しばし三隈川沿いを散策して、今度は水郷日田の情緒をじっくりと味わったのでありました・・・。




                              (最終回につづく)