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宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

『科学絵本 茶わんの湯』 今も輝きを失わない、寺田寅彦の子ども向け科学読みものの秀作

2019-11-10 22:39:00 | 本のお噂


『科学絵本 茶わんの湯』
寺田寅彦(文)、髙木隆司・川島禎子(解説)、髙橋昌子(絵)、窮理舎、2019年


11月の2日から2泊3日の日程で、岡山県の倉敷市に出かけてまいりました。昨年初めて訪問し、すっかり魅せられてしまった倉敷へ再訪できて、嬉しい限りでした。
蔵や町屋が立ち並ぶ、風情ある美観地区の散策。大原美術館などのギャラリー鑑賞。瀬戸内の海の幸やお菓子、地酒などの食べ歩きに呑み歩き・・・。倉敷のお楽しみはいろいろとあるのですが、その中でも外せないのが古書店「蟲文庫」さんに立ち寄ることです。
美観地区のはずれのほうにある「蟲文庫」さん。昔ながらの町屋を用いた店舗に入ると、中には文学や自然科学、思想、芸術を中心とした古本や、店主である田中美穂さんがセレクトしたこだわりの新刊本やCD、さらには岩石の標本などの面白いグッズ類が、所狭しと詰まっています。そこは、たくさんの観光客が行き交っている表通りの喧騒を一瞬忘れさせるような小宇宙、といった趣です。

今回ご紹介する『科学絵本 茶わんの湯』は、その「蟲文庫」さんで見つけて買ってきた本の一冊であります。といっても本書は古本ではなく、今年(2019年)の5月に刊行されたばかりの新刊本です。
地球物理学者にして、夏目漱石門下の文人でもあった寺田寅彦が、鈴木三重吉主宰の児童文学雑誌『赤い鳥』のために書いた科学読みものを、描き下ろしの絵とともに絵本仕立てにした一冊。版元の窮理舎は、物理学者による随筆を掲載する雑誌『窮理』をはじめとした、物理方面の出版物を出している栃木県足利市にある新興の版元です。
寺田の随筆が好きなわたしですが、迂闊なことに『茶わんの湯』はまだ読んだことがありませんでした(かつては中学の検定国語教科書にも採録されていたようですが)。そんなこともあって、店頭にあった本書に強く惹かれ、購入いたしました。

「ここに茶わんが一つあります。
中には熱い湯がいっぱいはいっております。
ただそれだけではなんのおもしろみもなく
不思議もないようですが、
よく気をつけて見ていると、
だんだんにいろいろの微細なことが目につき、
さまざまの疑問が起こって来るはずです。
ただ一ぱいのこの湯でも、
自然の現象を観察し研究することの好きな人には、
なかなかおもしろい見物(みもの)です。」

このような書き出しではじまる『茶わんの湯』。前半は茶わんの湯から立ち昇る湯気にスポットを当てます。湯気は水蒸気が冷えた滴が群がってできているもので、雲や霧と同じようなものであること。霧や雲の芯になるゴミのようなものが、空気中にたくさん浮遊していること。湯気をよく見ることで、湯の温度が熱いかぬるいかがわかること。湯気が上がるときにできる渦が大きくなったような存在が、庭先に風が吹き込むときにできる渦であり、雷雨のときに起こる渦であること・・・。そして後半では、茶わんの底に見えるゆらゆらした模様を手がかりにして、茶わんの中で起こっている熱対流や光の屈折現象についての話となり、それが地球規模の気象現象の話へと展開していきます。にもかかわらず、小難しい専門用語はほとんど使われず、記述はあくまでも平易です。
茶わんの湯という身近で小さな存在から、地球規模のスケールの大きな話へと展開していく巧みな構成、そしてそれを子ども向けにわかりやすく述べていく語り口が、実に見事です。本書のために描き下ろされた髙橋昌子さんの絵も、やさしい色づかいで好感が持てました。

本書の後半には、科学的な側面と文学的な側面からの、2種類の解説が収められています。
科学解説を担当した理学博士の髙木隆司さんは、『茶わんの湯』本文の内容をページごとに詳しく補足し、解説していきます。水の分子についての話や、水中での光の屈折、表面張力や対流についてのことといった話がわかりやすく述べられていて、とても勉強になります。
この解説の中で、髙木さんは寺田が伝えたかったことを以下のように代弁しながら、科学的にものを見て考えることの秘訣を説きます。

「自然の中で起きることには、いろいろな種類があり、そのしくみもさまざまです。しかし、それを理解しようとするときには、自分の身のまわりに起きることを注意して観察し、そのしくみを自分で考えるようにするとよいでしょう。それによって、もっと複雑な、見慣れない現象について考えるための、良いトレーニングができるのだということですね

文学的な側面から解説を加えるのは、寺田の郷里である高知県の高知県立文学館の学芸員である川島禎子さん。ここでは、正岡子規(こちらも寺田とおなじく四国の人です)の俳句にまつわる寺田の随筆を引用しつつ、自然の美を見たままに味わい、日常の何気ないものから自然の深い秘密へ到達しようとする子規の姿勢が、寺田にも影響を及ぼしていることを指摘していて興味深いものがありました。
また、初出の媒体となった『赤い鳥』を創刊した鈴木三重吉との関係についても述べられています。『赤い鳥』には毎月一編ずつ、さまざまな分野の科学教育の文章が掲載されていたそうで、『茶わんの湯』もその中の一編でした。児童文学の雑誌の中に、子どもにもわかりやすい自然科学についての記事を掲載し続けた三重吉もまた、実に先見の明のある人だったんだなあ、という思いがいたします。
さらに巻末には付録として、寺田の弟子にあたる物理学者であり、やはり多くの優れた随筆を書き残した中谷宇吉郎が『茶わんの湯』について述べた随筆も収められています。中谷は『茶わんの湯』について、「文章の良い悪いなどの問題では勿論なく、又内容が高級で表現が平易であるなどといふことを超越した(中略)藝が身についた人の藝談にあるやうな生きた話」と評しています。

日本人がノーベル賞を受賞すると大いに騒ぎはするものの、その足元では科学離れやら、科学リテラシーの欠如が言われたりもしている、わが日本の寂しい現状。その中にあって、自然の持つ不思議さや科学的なものの見方や考え方を、子どもにもわかりやすい語り口で伝えてくれる『科学絵本 茶わんの湯』は、今もって輝きを失っていないと感じました。ぜひとも広く読まれて欲しい一冊です。

本書を選んで「蟲文庫」の店頭に置いておいた田中さんのセンスにも、さすが、と思ったことでありました。


【関連おススメ本】


『寺田寅彦随筆集』(全五巻)
寺田寅彦著、小宮豊隆編、岩波書店(岩波文庫)、1963年(初版は1947〜1948年)

寺田寅彦の遺した数多くの名随筆のなかから百十余編を選び、執筆・発表順に五巻にまとめたロングセラーです。『科学絵本 茶わんの湯』を読んだら、こちらのほうもまた読み直してみたい気持ちになってきました。