読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【閑古堂の年またぎ映画祭&映画千本ノック20・21本目】『ベン・ハー』『タイタニック』

2024-01-07 18:01:00 | 映画のお噂
年末年始に行った個人的な映画祭「年またぎ映画祭」。大晦日から元日にかけては、映画史に輝く叙事詩的スペクタクル大作2本をたっぷりと堪能いたしました。

年またぎ映画祭4本目&映画千本ノック20本目『ベン・ハー』Ben-Hur(1959年 アメリカ)
監督:ウィリアム・ワイラー
製作:サム・ジンバリスト
原作:ルー・ウォーレス
脚本:カール・タンバーグ
撮影:ロバート・L・サーティーズ
音楽:ミクロス・ローザ
出演:チャールトン・ヘストン、スティーヴン・ボイド、ジャック・ホーキンス、ハイヤ・ハラリート、ヒュー・グリフィス、マーサ・スコット、キャシー・オドネル
Blu-ray発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント

強大なローマ帝国の支配下にあったエルサレム。裕福な商人の息子であったジュダ・ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)は、ローマの軍司令官となっていた旧友のメッサラ(スティーヴン・ボイド)と久々の再会を喜び合う。しかし、冷徹なローマの権力者と化していたメッサラは、ベン・ハーがローマに反抗的な人間の密告者となることを拒んだことをきっかけとして、ふとしたことでベン・ハーとその母と妹を投獄した上、ベン・ハーは奴隷の身となってガレー船の漕ぎ手にされてしまう。だが、海戦の最中に総司令官のアリウス(ジャック・ホーキンス)の命を救ったことからアリウスに取り立てられ、戦車の御者となる。そして、いまや仇敵となったメッサラへの復讐を果たすべく、ベン・ハーは戦車競争でメッサラとの対決に臨む・・・。

南北戦争の将軍であったルー・ウォーレスの小説の三度目の映画化(一度目は1907年、二度目は1925年で、のちに2016年にも映画化されています)にして、史劇スペクタクル映画の最高峰です。公開されるや、製作国のアメリカはもちろん日本でも大ヒットし、アカデミー賞においては作品賞、監督賞、主演男優賞など11部門で受賞し、見事オスカーの最多受賞記録を打ち立てました。監督は、『ローマの休日』(1953年)などの名作を世に送り出した巨匠、ウィリアム・ワイラー。

4時間近い長さの映画ではありましたが、不屈の精神でさまざまな苦難に立ち向かっていく主人公ベン・ハーのドラマに惹きつけられ、夢中で楽しむことができました。
なんといっても素晴らしかったのが、語り草となっているクライマックスの戦車競争シーン。広大かつ巨大な競技場のセットを実際に建設し、数多くのエキストラを配した上で、危険なスタントにより撮影された戦車競争シーンは、いまの映画製作事情ではとうてい不可能であろう迫力に溢れています。このほかにも、巨大なセットや多数のエキストラによって撮影されたシーンがところどころにあって、そのスケールの大きさに圧倒されました。もっとも、後半における宗教色の強い展開には、正直ピンとこなかったことも事実なのですが・・・。
フルスケールのスペクタクル場面がある一方で、海戦シーンは精巧なミニチュアによって撮影されていたり、作画合成による遠景の表現があったり(例として、戦車競技場の遠方に見える山並みなど)、特殊撮影も効果的に使われております(アカデミー賞では視覚効果賞も受賞)。

3年前に公開された『十戒』(1956年)と本作とで、一躍史劇スペクタクル映画の顔となったチャールトン・ヘストンの存在感はさすがで、ベン・ハー役はもうこの人以外には考えられないくらいのハマりっぷりです。また、スティーヴン・ボイドが演じている仇敵メッサラのキャラクターが、単なる悪党ではなくベン・ハーに対する複雑な感情を持った人物として描かれているところも興味深いものがありました。実際、ノンクレジットで脚本に関わった作家のゴア・ヴィダルによれば、メッサラとベン・ハーとの間には「男と男の愛情」がある、と説明されていたのだとか(スティーヴン・ジェイ・スナイダー総編集『死ぬまでに観たい映画1001』に収録されている作品の解説文より)。


年またぎ映画祭5本目&映画千本ノック21本目『タイタニック』Titanic(1997年 アメリカ)
監督:ジェームズ・キャメロン
製作:ジェームズ・キャメロン、ジョン・ランドー
製作総指揮:レイ・サンキーニ
脚本:ジェームズ・キャメロン
撮影:ラッセル・カーペンター
音楽:ジェームズ・ホーナー
出演者:レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット、ビリー・ゼイン、キャシー・ベイツ、ビル・パクストン、グロリア・スチュアート
Blu-ray発売元:20世紀フォックス ホーム エンターテイメント(現 ウォルト・ディズニー・ジャパン)

1912年4月10日、「史上最大の豪華客船」との呼び声の高かったタイタニック号は、イギリスのサウサンプトン港からニューヨークに向けての処女航海に出る。その一等船室には、名家の令嬢であるローズ(ケイト・ウィンスレット)が母親や婚約者らとともに乗船していたが、家の虚名を守るためだけの結婚を前にして気持ちは沈んでいた。思いあまったローズはデッキから身投げを図るが、三等船室に乗り込んでいた画家志望の青年ジャック(レオナルド・ディカプリオ)に止められる。このことをきっかけに、ローズとジャックは身分の差を越えて惹かれ合い、やがて結ばれる。しかし、タイタニック号は氷山と衝突して浸水し、沈没することが避けられなくなってしまう。阿鼻叫喚のパニックの中、ローズとジャックの決死の脱出劇が始まる・・・。

・・・などといったくだくだしい内容紹介などいまさら不要であろう、ジェームズ・キャメロン監督による90年代最大のメガヒット作であります。こちらも公開されるや大ヒットとなり、アカデミー賞では作品賞、監督賞など11部門で受賞し、『ベン・ハー』と並ぶオスカー最多受賞作品の栄誉に輝きました(そしてその6年後、『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』がやはり11部門で受賞し、3本目の最多受賞作品となりました)。セリーヌ・ディオンが歌った主題歌「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」も映画とともに大ヒットしたのも、皆さまよくよくご存じのことでありましょう(こちらもアカデミー歌曲賞を受賞)。

今回、かなり久しぶりに観なおしたのですが、ローズとジャック二人の恋愛模様に割かれる時間がちょっと長すぎるかなあ、と感じられました。でも、タイタニックの浸水と沈没によるパニックを描き出す、後半部におけるつるべ打ちのスペクタクルはやはり大迫力で、こういうところはさすがキャメロン監督だなあ、とあらためて唸らされてしまいました。
そのタイタニック沈没のスペクタクルは、当時の最新VFX(視覚効果)技術によって、実に見応えたっぷりの映像に仕上がっています(キャメロン監督らが設立したデジタル・ドメインや、ジョージ・ルーカスにより設立されたILMなどのVFX工房が参加)。
その一方で、長年タイタニックを追い続けてきたキャメロン監督の執念とこだわり(ちなみに、冒頭で潜水艇が海底のタイタニックを探索する場面では、キャメロン監督本人が撮影した実際のタイタニックの映像も使われております)により、実物大のタイタニックを再現した巨大なセットや、当時の内装を極力忠実に再現した船室内のセットも建造され、それが作品にさらなる迫力とリアリティをもたらしています。

本作で一気に大スターとなったジャック役のレオナルド・ディカプリオと、後半ではなかなかタフなヒロインぶりを発揮するローズ役のケイト・ウィンスレットも魅力的ですが、ローズの老年期を演じた、当時87歳のグロリア・スチュアートの情感あふれる演技(アカデミー助演女優賞にもノミネートされ、最高齢でのノミネート記録となりました)も素晴らしいものがありました。
また、スティーヴン・キング原作のスリラー映画『ミザリー』(1990年)では怖〜い女性を演じていたキャシー・ベイツは、本作では陰ながらジャックを手助けする気のいい女性を演じていて、好感度大でありました。


このあとも、お正月のうちに何本かの映画を観るつもりでありましたが、年明け早々に立て続けに起こった、能登半島地震と羽田空港での衝突事故という大惨事の報道を目の当たりにして、映画を観ようという気持ちが失せてしまいました。
かくして、今回の「年またぎ映画祭」自体も、そのまま終わりということになったのでありました・・・。


【閑古堂の年またぎ映画祭&映画千本ノック17・18・19本目】『暴力脱獄』『明日に向って撃て!』『スティング』

2023-12-31 10:44:00 | 映画のお噂
年末年始のテレビはロクなのがないわ〜、とお嘆きのそこのアナタ、年末年始は映画三昧に限りますぞよ!ということで今年もまた、個人的年越し映画祭「年またぎ映画祭」をやることにいたします。
まず最初のパートは「永遠のヒーロー、ポール・ニューマン&ロバート・レッドフォード特集」。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの共演作2本と、ニューマンの単独主演作の特集であります。

年またぎ映画祭1本目&映画千本ノック17本目『暴力脱獄』Cool Hand Luke(1967年 アメリカ)
監督:スチュアート・ローゼンバーグ
製作:ゴードン・キャロル
原作:ドン・ピアース
脚本:ドン・ピアース、フランク・R・ピアソン
撮影:コンラッド・ホール
音楽:ラロ・シフリン
出演者:ポール・ニューマン、ジョージ・ケネディ、J・D・キャノン、ストローザー・マーティン、ジョー・ヴァン・フリート、ハリー・ディーン・スタントン
Blu-ray発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント

社会や権力が押しつけるルールに対して反抗的な姿勢をとるルーク(ポール・ニューマン)は、パーキングメーターを壊した罪で捕まり刑務所へ収監される。はじめは顔役的存在であるドラッグ(ジョージ・ケネディ)をはじめとする囚人たちから「新入り」として軽く扱われていたルークだったが、刑務所長(ストローザー・マーティン)や看守らによる非人間的な扱いにも屈しない彼は、やがてドラッグをはじめとする囚人たちから尊敬されていく。そしてある日、ついにルークは刑務所からの脱走を試みるのだったが・・・。

1960年代という時代を反映した反体制的ヒーロー像を描き出し、多くの人たちから支持された傑作であります。人懐っこい笑顔を見せながらも、ルールや規則の押しつけ、そして権力の横暴には不屈の反骨精神で抗っていく、ポール・ニューマン演じる主人公ルークのカッコいいこと。いくら不合理でおかしなことであっても、「ルール」と言われれば何の疑問も持たずに、羊のごとく従順になってしまう骨のないヒトたちばかりの(コロナ莫迦騒ぎにおいてあからさまとなりましたねえ)令和ニッポンにおいて、あらためて観直されるべき一本でありましょう。
共演陣も実力派揃いです。後年は『エアポート』シリーズ(1970〜79年)などのパニック映画の常連となったジョージ・ケネディですが、本作ではルークと深い絆を育んでいくドラッグを人間味たっぷりに演じていて、実に魅力的でした(本作でアカデミー助演男優賞を受賞)。また、刑務所長を演じたストローザー・マーティンの悪辣ぶりもお見事で、ルークに向かって放った「ここにいるのは言葉のわからん男だ」は、映画史に残る名セリフとなっています。まだ有名になる前のデニス・ホッパーや、原作者であるドン・ピアース(共同で脚本も担当)も、囚人役で出演しております。

年またぎ映画祭2本目&映画千本ノック18本目『明日に向って撃て!』Butch Cassidy and the Sundance Kid(1969年 アメリカ)
製作:ジョン・フォアマン
監督:ジョージ・ロイ・ヒル
製作総指揮:ポール・モナシュ
脚本:ウィリアム・ゴールドマン
撮影:コンラッド・L・ホール
音楽:バート・バカラック
出演者:ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロス、ストローザー・マーティン、ジェフ・コーリー
Blu-ray発売元:20世紀フォックス ホーム エンターテイメント(現 ウォルト・ディズニー・ジャパン)

盗賊団のリーダーとして銀行強盗を繰り返し、西部中に悪名を轟かせていたブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)とサンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)のコンビ。盗賊団のメンバーから持ちかけられた列車襲撃に成功し、二度目の列車襲撃を試みたブッチとサンダンスだったが、鉄道会社が差し向けた最強の追跡者たちが延々と二人を追っていく。逃げきれないと判断した二人は、教師のエッタ(キャサリン・ロス)を伴って、南米のボリビアで再出発を図ったのだったが・・・。

現在もなお伝説的な存在として語られ続けているアウトロー、ブッチとサンダンスの実話をもとに描いたジョージ・ロイ・ヒル監督の名作であります。バート・バカラック(今年2月に逝去)の音楽によって醸し出されるノスタルジックなムード、撮影監督コンラッド・L・ホールによる美しい映像、そして至る所に散りばめられたユーモアが素晴らしく、悲劇的な結末にも関わらず、観終わった後に一種の心地よさが感じられました。
ポール・ニューマンが演じる機転の効くブッチと、ロバート・レッドフォード演じる早撃ちの名人サンダンスのバディぶりが最高です。ボリビアに渡った後、最初に働いた銀行強盗で現地の言葉に悪戦苦闘するくだりや、警官隊に追い詰められながらも「次はオーストラリアに」などといったやりとりをする最後の場面など、いい場面がたくさんありました。
なによりも素晴らしかったのが、いまや映画音楽の名曲として知られる「雨にぬれても」をバックにして、ニューマンがキャサリン・ロス演じるエッタを前に乗せて自転車を走らせる場面。これを観ていると、なぜだか目頭が熱くなってしまったのでありました・・・。
これから先、何度でも観直したい一本であります。


年またぎ映画祭3本目&映画千本ノック19本目『スティング』The Sting(1973年 アメリカ)
監督:ジョージ・ロイ・ヒル
製作:トニー・ビル、マイケル・フィリップス、ジュリア・フィリップス
製作総指揮:リチャード・D・ザナック、デイヴィッド・ブラウン
脚本:デイヴィッド・S・ウォード
撮影:ロバート・サーティース
音楽:スコット・ジョプリン(作曲)、マーヴィン・ハムリッシュ(編曲)
出演:ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、ロバート・ショウ、チャールズ・ダーニング
Blu-ray発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント

詐欺師のジョン・フッカー(ロバート・レッドフォード)は、通りすがりの男から大金の入った封筒をせしめるが、それは大物ギャングであるドイル・ロネガン(ロバート・ショウ)へと渡されるはずの金だった。そうとは知らずに金を我がものとしたフッカーだったが、そのことで自らの師匠的な存在だったルーサーを殺されてしまう。復讐に燃えるフッカーは、ルーサーから紹介されていた「大物詐欺師」のヘンリー・ゴンドーフ(ポール・ニューマン)に協力を依頼する。はじめは乗り気でなかったゴンドーフだったが、やがてロネガンに対する敵愾心に火がついていく。かくて二人は多くの仲間とともに、ロネガンを陥れるべく大バクチに打って出ることに・・・。

『明日に向って撃て!』に続き、監督のジョージ・ロイ・ヒルと主演のポール・ニューマン&ロバート・レッドフォードがタッグを組んだ、犯罪サスペンス・コメディの傑作です。
まことにお恥ずかしいことに、今回が初めての鑑賞となったのですが、脚本のデイヴィッド・S・ウォード(1989年の『メジャーリーグ』とその続篇では監督も手がけました)による完璧な物語構成と、それを入念に映像化したヒル監督の職人技によって作り上げられた本作の面白さにとことん酔い、二転三転する後半のどんでん返しに「だまされる快感」をたっぷりと味わうことができました。そして観終わったあと即座に「これはまた最初から観なければ!」と思った次第であります。
洗練されたユーモアによるコミカルな味わいもさることながら、果たしてゴンドーフたちの計画は成功するのか、フッカーは追っ手から逃れられるのだろうか、といったハラハラドキドキのサスペンスも最高でした。スコット・ジョプリンの作曲した曲を、マーヴィン・ハムリッシュが編曲した(本作でアカデミー編曲・歌曲賞を受賞)ラグタイム・ピアノの音楽も効果的に使われていて、本作のムードと魅力を大いに高めてくれています。
ブッチとサンダンスをさらに洗練させたかのようなバディぶりを見せてくれる、ニューマンとレッドフォードの主演コンビも魅力的ですが、『007/ロシアより愛をこめて』(1963年)や『JAWS/ジョーズ』(1975年)でも存在感を見せつけていた名優、ロバート・ショウによるロネガンの演技も素晴らしいものがありました。「コイツを怒らせるととんでもないことになりそう」という雰囲気を感じさせる貫禄と迫力はさすがで、巧みな計略と機知によって強い者に一泡吹かせる、本作の面白さと醍醐味を引き立ててくれました。

【閑古堂の映画千本ノック】16本目『東京物語』 「いやなことばっかり」な世の中で生きることの意味を問いかける、小津安二郎監督の代表作

2023-12-24 21:14:00 | 映画のお噂

『東京物語』(1953年 日本)
監督:小津安二郎
製作:山本武
脚本:野田高梧、小津安二郎
撮影:厚田雄春
音楽:斎藤高順
出演者:笠智衆、東山千栄子、原節子、杉村春子、山村聡、三宅邦子、香川京子、東野英治郎、中村伸郎、大坂志郎、十朱久雄、長岡輝子
DVD発売・販売元:松竹


尾道で暮らす平山周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)の老夫婦は、離れて暮らしている長男の幸一(山村聰)や長女の志げ(杉村春子)らに会うため、20年ぶりに東京を訪れる。迎える幸一や志げは最初こそ歓待するものの、それぞれの仕事や生活を優先させたい彼らはだんだん、周吉ととみに対して冷淡な態度をとるようになっていく。そんな中、戦死した次男の嫁である紀子(原節子)だけが、老夫婦に対して親身になって世話をするのだった。やりきれない思いとともに尾道へと帰る老夫婦だったが、その途中でとみが体調を崩し、その後危篤状態となってしまう・・・。

巨匠・小津安二郎監督の代表作であり、日本映画を代表する名作として、国内外の多くの映画ファンに愛されるとともに、ヴィム・ヴェンダース監督や周防正行監督などのクリエイターにも多大なる影響を与えた、映画史に輝く金字塔的な作品であります。
にもかかわらず、まことに恥ずかしながらわたしはこれまでずっと、本作をきちんとした形で観てはおりませんでした。普段から観ているジャンル(SFや特撮もの、アクションもの等々)からするとひどく「地味」に思えた上に、インテリ諸氏によって熱心に語られる小津監督とその作品に、どこか近寄り難い印象を持ち続けていたことが、その理由でした。
しかし、小津安二郎生誕120年・没後60年(小津監督は生誕日も没日も12月12日)の節目を迎える中で、やはり代表作ぐらいは観ておかねば・・・ということで、ようやく本作『東京物語』をDVDで鑑賞したという次第。なるほど確かに素晴らしい映画であり、またも「もっと早く観ておくべきだった!」と後悔することしきりでありました。

家族関係や人の心が変わっていく中で、老いていくことの寂しさと無常感を抱く老夫婦の姿・・・。描きようによってはいくらでも湿っぽくなりそうな題材でありながら、本作は感情や情緒に溺れることなく、むしろ冷徹なまでに淡々としたタッチで、変わりゆく家族のありようを見つめていきます。そのような本作の作風に、強く惹かれるものがありました。小津監督独特の、ローアングルで固定された画面構成や、抑制された音楽の使い方もまた、作品の淡々としたタッチに貢献しているように思えました。
押し付けがましさのない抑制された作風であるからこそ、主人公である老夫婦の切ない境遇や、老いていくことの寂しさが、笠智衆さんと東山千栄子さんの名演とともに効果的に伝わってきます。妻を失ってがらんとした家の中で、笠さん演じる周吉がぽつねんと座りこんでいるラストシーンは、深く長い余韻を心に残します。

笠さんと東山さん以外の出演者による名演も見応えたっぷりでした。
とりわけ、長女志げを演じる杉村春子さんの「悪意のない酷薄さ」を表した演技(とみ危篤の報を受けて尾道に向かおうとする折、兄の幸一に「喪服どうなさる?」などと訊いたり、とみが亡くなった直後にずけずけと「形見分け」の話をはじめたり)は見事というほかありません。また、周吉の旧友・沼田を演じた初代黄門さま・東野英治郎さんのとぼけた味わいもさすがでありました。
そして何より惹きつけられるのが、原節子さん演じる紀子のキャラクターです。物語の終盤、兄や姉たちの身勝手さに憤る次女の京子(演じるのは初々しい香川京子さん)に理解を示しつつも、紀子は兄や姉たちにもそれぞれ事情があるということを説き聞かせます。
それでも納得できずに「そんなふうになりたくない」という京子に、紀子はこう語りかけます。
「でも、みんなそうなってくんじゃないかしら。だんだんそうなるのよ」「なりたかないけど、やっぱりそうなっていくわよ」
それを受けて、「いやあねえ、世の中って」と嘆く京子に、紀子は笑顔とともにこう返します。
「そう。いやなことばっかり」
邪険にされる老夫婦をいたわる心優しさとともに、「いやなことばっかり」な世の中に対して、どこか達観した視線を持った紀子というキャラクターは、原さんの美しさと相まってとても魅力的でありました。

時代とともに否応なく変わっていく、家族のありようや人の心は、この映画が作られてから70年経った現在、さらに大きく変わりました。いくら「昔はよかった」などと嘆いてみたところで、かつてのような家族の姿を取り戻すことは難しいでしょう。
家族や人の心が変わっていく「いやなことばっかり」な世の中で、それでも人間らしく生きていくことの意味を、本作『東京物語』は静かに問いかけているように、わたしには思えました。

【第29回宮崎映画祭&閑古堂の映画千本ノック11・12本目】『鴛鴦歌合戦』『幕末太陽傳』 日活が生んだ不朽の傑作喜劇映画2本を堪能

2023-11-19 19:00:00 | 映画のお噂
『ゴジラ−1.0』の紹介と感想を綴ったりしていて後先になってしまいましたが、第29回宮崎映画祭で観た作品のご紹介の続きであります。

第29回宮崎映画祭の初日であった11月3日、3時間超におよぶ『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』に続いて観たのは、往年の日活映画2作品でした。
いずれも、日本映画史上の傑作として高く評価され、語り草になっている作品でありますが、恥ずかしながらわたしは今回が初の鑑賞であり、これほどの傑作をいままでキチンと観ることなく馬齢を重ねるばかりだったオノレの不明を、深く深く恥じることとなりました。

『鴛鴦(おしどり)歌合戦』(1939年 日本)
モノクロ、70分
監督:マキノ正博(雅弘、雅裕)
脚本:マキノ正博(「江戸川浩二」名義)
撮影:宮川一夫
音楽:大久保徳二郎
出演:片岡千恵蔵、市川春代、志村喬、香川良介、服部富子、遠山満、深水藤子、ディック・ミネ
※2023年11月3日、第29回宮崎映画祭の上映作品として、宮崎キネマ館にて鑑賞

堅苦しい宮勤めはごめんだ、と長屋でのんびりと暮らしている浪人・浅井禮三郎(片岡千恵蔵)。その隣には、傘張りで得たお金で怪しげな骨董品を買っては悦にいっている志村狂斎(志村喬)と、それに困り果てている娘のお春(市川春代)が暮らしている。お春は浅井に想いを寄せているのだが、商人の香川屋(香川良介)の娘・お富(服部富子)も浅井に惚れこんでいる上、武士の遠山(遠山満)が娘の藤尾(深水藤子)と浅井を結婚させようとしたりしていて、お春は気が気ではない。そんな中、ひょんなことから志村の骨董好きを知った殿様・峯澤丹波守(ディック・ミネ)が志村の長屋を訪れ、お春に一目惚れしてしまう・・・。

江戸時代を舞台にした時代劇でありながら、登場人物が全篇にわたってジャズのメロディに乗って歌って踊るという、奇想天外なオペレッタ、ミュージカル映画の傑作であります。
冒頭から、お富(演じるのは、当時テイチクレコードに所属していた歌手の服部富子さん)と若者たちとが歌いながら掛け合いを演じ、続いて大歌手ディック・ミネさんが演じる殿様と家来が歌いながら登場。そして、主人公をめぐる恋の鞘当てが笑いとともに展開され、映画の最後には登場人物が勢揃いして歌い踊る「カーテンコール」で幕・・・。そんな斬新な構成は、今の眼で見てもまったく古さを感じさせませんでした。映画全体のトーンもきわめて明るく、観終わる頃には幸福感でいっぱいとなりました。
1939(昭和14)年といえば、2年前に始まった日中戦争に続き、2年後には太平洋戦争も始まろうという時期。そんな暗くて窮屈な時代に、よくもまあこのようなモダンで明るく楽しい、幸福感に溢れている映画がつくられたものだと、ただただ驚かされるばかりでした。

主人公の浪人・浅井を演じるのが、時代劇から現代劇まで多数の作品に出演して人気を得た大スター・片岡千恵蔵さん。とはいえ、撮影当時は急病により休養していたそうで、出番は意外に少なめ。
そのかわり、『生きる』(1952年)や『七人の侍』(1954年)などの黒澤明作品をはじめ、『ゴジラ』第1作(1954年)などで知られる名優・志村喬さんが、大いに存在感を発揮しております。この志村さんの歌がもう上手いのなんの。伸びやかな声で朗々と歌う、志村さんの歌声の素晴らしさにも、大いに驚かされました。志村さん演じる狂斎の娘・お春役の市川春代さんの可憐さも最高でしたねえ。
これからまた、何度でも観直したくなる映画の一本となった作品であります。



『幕末太陽傳』(1957年 日本)
モノクロ、110分
監督:川島雄三
製作:山本武
脚本:田中啓一、川島雄三、今村昌平
撮影:高村倉太郎
音楽:黛敏郎
出演:フランキー堺、左幸子、南田洋子、石原裕次郎、芦川いづみ、梅野泰靖、金子信雄、山岡久乃、小沢昭一、岡田真澄、二谷英明、小林旭
※2023年11月3日、第29回宮崎映画祭の上映作品として、宮崎キネマ館にて鑑賞

時は幕末の品川。妓楼「相模屋」に仲間とともにやって来た佐平次(フランキー堺)は、芸者を呼び込み盛大にどんちゃん騒ぎを繰り広げるが、支払いの段になって金がないなどと言い出し、そのまま「相模屋」の“居残り”として、さまざまな雑用や難題を要領良くこなしていく。一方、同じ「相模屋」に身分を伏せて長逗留していた長州藩士・高杉晋作(石原裕次郎)は、同志とともに英国公使館の焼き討ちを計画していた。ひょんなことから高杉らの計画を知った佐平次は・・・。

古典落語の「居残り佐平次」や「品川心中」などをベースにした、楽しくもどこかシニカルな視点が光る喜劇映画の傑作です。2011年、日活100周年を記念して東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)との共同により製作された、デジタル修復版での上映でありました。
独特の作風による喜劇映画に才能を発揮し、45歳という若さで早逝した川島雄三監督の代表作にして、日本映画史上のベスト作品として挙げられることも多い名作にもかかわらず、わたしはこの宮崎映画祭で鑑賞するまで、まだキチンと観ておりませんでした(ああ、オレはなんと映画を観ていないことか・・・)。のちに大監督となる今村昌平さんも、共同脚本と助監督として参加しております。

なによりキャスト陣が秀逸です。“居残り”として要領良く振る舞いながら、実は重い肺病持ちという主人公・佐平次を演じたフランキー堺さんは、もうこの人以外考えられないというくらいのハマりっぷりで、大いに楽しませてくれました。肺病によってどこか死の影を漂わせながらも、それを吹き飛ばすかのように知恵と度胸でしたたかに立ち回り、最後には「地獄も極楽もあるもんか!」などと言いつつ突っ走っていく佐平次の姿は、新型コロナにただただ怯え、生きるエネルギーや活力を衰弱させるばかりだった、臆病で偽善的な令和ニッポン人へのアンチテーゼのように個人的には感じられて、実に痛快でありました。
攘夷の志士・高杉晋作に扮しているのが、若き日の石原裕次郎さん。当時すでに大スターでありながら、本作では脇に回った感のある裕次郎さんですが(そのこともあって、川島監督と製作会社の日活との間で軋轢が生じ、川島監督は日活を離れることになるのですが・・・)、颯爽としたカッコよさはさすがなのであります。
そして、わたしが大好きな役者さんである小沢昭一さん!本作では、左幸子さん扮する落ち目の女郎・おそめに心中を持ちかけられ、さんざんな目に遭ってしまう(いうまでもなく、落語「品川心中」から採られたエピソードです)お人好しの貸本屋・金蔵を、あざといまでのアバタだらけのメイクで快演していて、大笑いさせてくれました。こちらもまた、小沢さん以外には考えられないほどのハマりっぷりであります。そんな金蔵を翻弄するおそめと、南田洋子さん扮する売れっ子の遊女・こはるが、妓楼中を駆け回りながら取っ組み合いの大ゲンカを演じる場面も見ものでした。
『幕末太陽傳』もまた、これから何度でも観直したいと思える一本となりました。

【閑古堂の映画千本ノック】15本目『ゴジラ−1.0』 シリーズ第1作『ゴジラ』や前作『シン・ゴジラ』にも匹敵する傑作

2023-11-14 07:00:00 | 映画のお噂

『ゴジラ−1.0(マイナスワン)』(2023年 日本)
監督・脚本・VFX:山崎貴
製作:市川南
エグゼクティブプロデューサー:臼井央、阿部秀司
企画・プロヂュース:山田兼司、岸田一晃
撮影:柴崎幸三
音楽:佐藤直紀、伊福部昭
出演者:神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介
2023年11月11日、ワンダーアティックシネマ宮崎にて鑑賞


日本の敗色が濃厚となっていた太平洋戦争末期。大戸島の守備隊基地に、特攻作戦に従事していた敷島浩一少尉(神木隆之介)が操縦する零戦が着陸してくる。機体の不調を訴える敷島であったが、機体を調べても不具合が見当たらないことに、ベテラン整備兵の橘宗作(青木崇高)は不審を抱く。その夜、高さ15メートルに及ぶ恐竜のような生物が基地を襲う。島の言い伝えで「呉爾羅」(ゴジラ)と呼ばれていたその生物の襲撃により基地は破壊され、敷島と橘以外の整備兵たちは全滅してしまう。終戦後、辛くも生き残り、空襲で焦土と化した東京に帰ってきた敷島は、闇市で出会った大石典子(浜辺美波)と、彼女が抱えていた赤ん坊の明子とともに共同生活を始める。やがて、日米双方によって海上に敷設された機雷除去の職を得て、安定した生活を送ることができるようになった敷島たちだったが、米国によるビキニ環礁の核実験によって、さらに強大となったゴジラが東京を襲撃。戦争によってゼロからの再出発を余儀なくされた日本は、ゴジラの脅威によってさらに「マイナス」の状況へと追い込まれるのであった・・・。

シリーズ第1作『ゴジラ』(1954年)から70周年の記念作として、そして前作『シン・ゴジラ』(2016年)から7年ぶりとなるシリーズ第30作目として製作された『ゴジラ−1.0』。第1作目の公開日でもある11月3日の封切りからおよそ1週間後の11月11日、ワクワクしながら鑑賞に臨みました。期待していた以上の面白さと出来の良さで、興奮と感慨とで満たされた気分となり、劇場をあとにすることができました。
監督と脚本、そしてVFX(視覚効果)を兼任しているのは、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズ(2005〜2012年)や『永遠の0』(2013年)、『STAND BY ME ドラえもん』シリーズ(共同監督、2014〜2020年)などといったヒット作を手がけてきた山崎貴監督。もともと特撮・VFXスタッフとしてキャリアをスタートさせ、監督デビュー作である『ジュブナイル』(2000年。わたしのお気に入りの作品でもあります)以降、一貫して監督や脚本とともにVFXの制作を兼任するスタイルにより、映画作りを続けている方です。
山崎監督はこれまで、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)の冒頭でゴジラを“復活”させているほか、西武園ゆうえんちのアトラクション『ゴジラ・ザ・ライド 大怪獣頂上決戦』での映像を手がけるといった実績がありました。その上、今回は第1作目(昭和20年代の末期)よりも前の時代となる敗戦直後が舞台ということもあり、一体どのような作品になっているのかと興味津々でありました。
近代兵器はもちろん自衛隊すら存在せず、武装を放棄した空白状態の日本に、もしもゴジラというとてつもない災厄が襲いかかったら・・・。山崎監督は、当時の時代状況と「ゴジラ」というファンタスティックな存在とをうまく結びつけ、そこに主人公である敷島と典子をめぐるドラマをしっかりと組み合わせることで、本作を実に見応えのあるゴジラ映画にしています。
ゴジラ生誕70周年記念というメモリアル作品にして、大ヒットした『シン・ゴジラ』のあとを受けてということもあり、山崎監督には相当なプレッシャーもあったことでしょうが、そういう中で本当によくやってくれたと、大きな拍手を贈りたい思いです。

今年4月から9月まで放映されていた、NHK連続テレビ小説『らんまん』でも共演していた
(といっても、出演のオファーと撮影は本作のほうが先だったそうですが)、主演の神木隆之介さんと浜辺美波さんの好演が光ります。とりわけ神木さんは、特攻から生き残ったことに負い目を感じ、生きることに実感を持てずにいた敷島の人物像を、しっかりと演じきっていたように思いました。その敷島とは因縁の存在となる、整備兵の橘を演じる青木崇高さんや、悪態をつきながらも敷島たちに手を差し伸べる江戸っ子気質の女性・澄子を演じる安藤サクラさんも、ドラマを引き締めてくれています。
全体としてシリアスなドラマの中で、掃海艇の艇長である秋津を演じる佐々木蔵之介さんは、巧みな芝居でユーモアとテンポを作品に与えていて、楽しませてくれました。同じく掃海艇の乗組員で、かつては技術士官だった(そして、後半の展開において大きなカギを握ることになる人物でもある)野田役・吉岡秀隆さんの飄々とした存在感も、いいですねえ。
そして、真の主役たるゴジラは、前作『シン・ゴジラ』に続きフルCGによって表現されています。これまでのゴジラらしさを踏まえたデザインでありながら、傷ついた細胞を瞬時に再生させたり、放射能火炎を吐くときに背びれが青く光りながら突き出してきたりといった、新たな生態を見せてくれます。その一方で、走行している列車を口で咥え込んだり、銀座の破壊をレポートしているラジオ放送のクルーが破壊に巻きこまれてしまったりといった、第1作目へのオマージュ的シーンを演じたりもしていて、思わずニンマリしてしまいました。

音楽の佐藤直紀さんや撮影の柴崎幸三さん、美術の上條安里さん、照明の上田なりゆきさん、エグゼクティブプロデューサーの阿部秀司さんといったメインスタッフの面々は、これまでずっと山崎作品に関わってきている常連の方々。中でも音楽の佐藤さんは、あえて感情過多なメロディを排し、無機質な中に恐怖感や荘厳さを醸し出す劇伴でドラマを盛り上げてくれます。
そしてゴジラ映画に欠かすことのできない、あの伊福部昭さん作曲のゴジラのテーマ曲も、しっかり使われております。とりわけ、ゴジラが銀座一帯を破壊する場面にこのテーマ曲が流れたときには、完成度の高いVFX映像の迫力と相まって、この上ない高揚感をもたらしてくれました。

映像の迫力もさることながら、本作の基調をなすドラマがまた、実に魅力的でありました。
「お国のため」に死ぬことが当然のように言われ続けた戦争によって心身ともに傷つき、多くのものを失ってしまった上に、ゴジラという人智をはるかに超えた存在により、極めて絶望的な状況へと追い込まれてしまった敗戦直後の人びとが、生きる希望を未来へと繋ぐために、力を合わせて立ち向かっていく・・・そんな後半の展開には、胸が熱くなりっぱなしでありました。
そんな本作のドラマには、情報統制によって煽り立てることで国民の自由な精神と生きる希望を奪い、「特攻」に象徴される、勝ち目などまるでない無謀な「死ぬための戦い」へと否応なしに駆り立て、多大なる犠牲と被害を出すこととなった、戦時中の(そして、今もなお本質的には変わっていない)日本という国のありかたへの批判的視点が含まれている(それは佐々木さん演じる秋津や、吉岡さん演じる野田のセリフに顕著に表れています)ことを見逃すべきではありません。それによって本作は、観るものに深い余韻を残してくれる作品にもなっています。

上質な空想特撮エンターテインメントと、現実の社会や時代に対する鋭い批評精神を両立させた第1作目の『ゴジラ』と、前作『シン・ゴジラ』にも匹敵するくらいの、シリーズ屈指の傑作に仕上がった『ゴジラ−1.0』、必見であります。