読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【閑古堂アーカイブス】わたくしに生きる力を与えてくれた古典・名著 ③ B・ラッセルの『幸福論』

2015-11-06 20:03:15 | 本のお噂

『ラッセル 幸福論』
バートランド・ラッセル著、安藤貞雄訳、岩波書店(岩波文庫)、1991年


「幸福論」と銘打った書物はいろいろとあるのですが、その中でも数学者・哲学者にして平和運動にも尽力したバートランド・ラッセル(1872ー1970)の書いた『幸福論』をオススメしたいのは、この本が「合理的・実用主義的(プラグマティック)な幸福論」(巻末の訳者による解説より)だからであります。
「幸福論」というと、いささか説教くささのある宗教的なものや、もってまわったもの言いの哲学的・文学的なものが多かったりいたします(むろん、それらの中からも有益な知恵を汲み取ることはできるのですが)。ラッセルの『幸福論』は、合理的かつ実用主義的であるがゆえに、誰しもが可能でもある方法と考え方によって、幸福を得ることができるということを説いていきます。その語り口は、哲学書の一種とはいえ非常に明快で、読む人はここから多くのヒントや知恵を得ることができるに違いないでしょう。

前半の第一部「不幸の原因」では、現代人を不幸にしている諸原因を列挙、分析し、それらへの対策が示されていきます。
競争、疲れ、ねたみ、被害妄想、世評に対するおびえ・・・。不幸の原因として挙げられているそれらについてのラッセルの分析を読んでいると、本書の原書が1930年に刊行されたものとは思えなくなるほど、今の日本に生きる人びととの共通性を強く感じます。
ねたみの結果期待される「公平」とは「不運な人たちの快楽を増すよりも、幸運な人たちの快楽を減らすことを旨としている」、ひいては「公的生活をも破壊するものである」と述べられているところ。また、「重大な問題でもささいな問題でも、他人の意見が尊重されすぎている」ことにより「自ら進んで不必要な暴力に屈」して「あらゆる形で幸福をじゃまされることになる」という記述。いずれも、今の日本の少なからぬ人びとが抱えている状況と重ならないでしょうか。

本書の後半、第二部の「幸福をもたらすもの」の中で、ラッセルが幸福獲得の条件として強調して説いているのが、「自分の殻に閉じこもらずに、外の世界に関心と興味を向けること」です。
「幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人である」と定義するラッセルは、幅広い事柄へ関心と興味を向けることの効用を、随所で熱っぽく語っています。
いくつか引いてみましょう。

「この世界は、あるいは悲劇的、あるいは喜劇的、あるいは英雄的、あるいは奇怪または不思議な事物にみちあふれている。そこで、世界の提供するこの壮大なスペクタクルに興味を持てない人びとは、人生の差し出す特典の一つを失っていることになる。」

「人間、関心を寄せるものが多いほど、ますます幸福になれるチャンスが多くなり、また、ますます運命に左右されることが少なくなる。かりに、一つを失っても、もう一つに頼ることができるからである。」

「幸福の秘訣は、こういうことだ。あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、できるかぎり友好的なものにせよ。」

さまざまなことに関心や興味を向けることで、生きることが楽しく豊かなものになるということを、さやかながら実感しているわたくしにとって、ラッセルの説く幸福の秘訣はとても納得と共感を覚えるものでした。

いま、少なからぬ人びとが不安や不信にさいなまれる一方で、自分の身の回りを中心にした内向きで狭い範囲のことばかりにとらわれ過ぎているように思えてならないところがあります。
・・・などと申しているわたくし自身も、ここしばらくはあまりにも瑣末なことに目が向いたり、気持ちを奪われすぎていたりしていたことで関心や興味が狭いものとなり、結果として自らの内面が澱んでしまっていることを、久々に開いた本書を通じて自覚せざるを得ませんでした。
関心や興味が狭いものにとどまってしまうと視野も狭くなり、ちょっとしたことで行き詰ってしまうことが増えるように思います。それよりなにより、幅広い関心や興味、好奇心を持たないと面白くもないですし。
人生への熱意を取り戻し、もっとしなやか、かつ楽しく有意義に生きていくためにも、ラッセルの説く幸福への処方箋が多くの人に読まれてほしいと願います。そしてわたくし自身も、思考と視野が狭くなっているようなときには本書に立ち返り、精神の糧としていきたいとも思います。
最後にもう一つ、少々長くなるのですが引かせていただきます。いま、なんらかの不幸に沈む人たち、そして、今後なんらかの不幸に直面するであろう全ての人に、さらにはわたくし自身にも自戒を込めつつ、この言葉を。

「十分な活力と熱意のある人は、不幸に見舞われるごとに、人生と世界に対する新しい興味を見いだすことによって、あらゆる不幸を乗り越えていくだろう。その興味は、一つの不幸のために致命的になるほど制限されることは決してないのだ。一つの不幸、いや数度の不幸によってさえ敗北してしまうのは、感受性に富むあかしとして賞賛されるべきことではなくて、活力の無さとして遺憾とされるべきことである。」

【閑古堂アーカイブス】わたくしに生きる力を与えてくれた古典・名著 ②『自助論』と『論語と算盤』

2015-11-05 20:03:51 | 本のお噂

『自助論』
サミュエル・スマイルズ著、竹内均訳、三笠書房(知的生きかた文庫)、改訂版2002年(四六版もあり)


『論語と算盤』
渋沢栄一著、KADOKAWA/角川学芸出版(角川ソフィア文庫)、2008年
(書影は、わたくしの手元にある旧カバーのものです)


さまざまな既成の枠組みが揺らぎ、激変に晒され続ける現代の社会。そのような状況にあると、人間として基本的に持っていなければならないであろうことが、往々にしてなおざりになってしまうようなところがあります。
されば、現代と同じく社会の仕組みや人間の生き方が大きく変わっていく中にあって、人間として大切な知恵を見失わずに、希望や意欲を持って生きていくことを説いた先人の書物を読んで、生きるための糧とするのもいいのではないでしょうか。

産業はもちろん文化の面でも、「ユニオン・ジャックの翻るところに太陽が没することはない」とまで言われたほどに勢いがあった頃のイギリスで書かれた、著述家サミュエル・スマイルズの代表作が『自助論』です。さまざまな分野の歴史上の人物を取り上げ、それらの人物たちがいかなる努力と創意を積み重ねて成功へと至ったのか、その道のりをたどりながら、自助努力によるによる自己実現を説いた一冊です。
無為な生き方を厳しく戒め、忍耐と勤勉、自己修養こそが人生を切り拓いていくのだ、と訴える語り口は、直球すぎるくらい直球です。「飲酒は、誘惑の中でも最悪の部類に入る」と飲酒の害を強調し、「節酒ができないなら酒を断つべきだ」とまで言い切るくだりなど、酒呑みの端くれとしては身が縮まる思いがしたりいたします(まあ確かに、飲み食いに「しか」興味がないというのもどうかとは思いますけれども・・・それにしても、ねえ)。
むろん、本書に書かれていることをそのまま実行したからといって、本の中に取り上げられた人物たちのような成功が得られるとは限りません(これは、いわゆる「自己啓発書」や「なんとかの成功法則」ものを読むときには、忘れないほうがいい視点だと思います)。
とはいえ、人間としての基本がないがしろにされがちな昨今だからこそ、

「どんな逆境にあっても希望を失ってはならない。いったん希望を失えば、何ものをもってしてもそれに代えることはできない。しかも、希望を捨てた人間は人間性まで堕落してしまう。」

というような、直球にして力強い語り口が響いてくることも確かです。自分を見失いそうになったとき、気持ちが沈んだり低きに流れようとしているようなとき、本書は心の糧となってくれることでしょう。
また、時間の浪費を戒め、「一時間といわず、一日のうち十五分でもいいから自己修養に向けよ」と、時間を有効に活用することの効用を説いたくだりにも、大いに教えられるものがありました。そう、ダラダラとつまらないことに浪費するような時間があるんだったら、それを少しでも有益なことに振り向けたほうがいいに決まっていますからね。
この『自助論』は、明治4年に中村正直の訳により『西国立志編』の題名で刊行され、当時の人びとに大きな希望を与えたといいます。こちらも講談社学術文庫で読むことができますが、現代の読者には古めかしい感じの文語体は読みづらいところがあるでしょう。完訳というわけではないのですが、かつて科学誌『ニュートン』の編集長としても知られていた竹内均さんが訳した三笠書房版が読みやすくてオススメです。

明治から大正時代にかけて、500を越える多数の企業の創立に関わるとともに、日本女子大学や理化学研究所の設立にも関わった、日本の実業界や資本主義の父、渋沢栄一。その渋沢が折に触れて行っていた講話、講演を書物にまとめたのが『論語と算盤(そろばん)』です。
わたくしの手元にあるのは、サブプライム問題にリーマンショック、相次ぐ企業の不祥事などで、国内外で企業や経済のありかたが問われるような動きが相次いでいた2008年に、角川ソフィア文庫で刊行された文庫版です。『論語』をベースにした道徳と倫理観で、企業活動と社会貢献のバランスがとれた経営を説いた渋沢の哲学に、再評価の機運が高まっているのを受けての復刊だったといえるでしょう。
本書はもちろん、企業やビジネスのありかたを問い直し、考えるためにも読まれるべき名著でありますが、個人の生きかたについても大いに示唆を与えてくれるところも多々あります。
とりわけ強く惹きつけられたのは、スマイルズの『自助論』とも共通する、自助努力によって自分で自分の道を切り拓いていくことの重要性を説いたくだりです。ちょっと長くなりますが、ここに引かせていただきます。

「世の中のことは多く自働的のもので、自分からこうしたい、ああしたいと奮励さえすれば、大概はその意のごとくになるものである。しかるに多くの人は自ら幸福なる運命を招こうとはせず、却(かえ)って手前の方から、ほとんど故意に侫(ねじ)けた人となって、逆境を招くようなことをしてしまう。それでは順境に立ちたい、幸福な生涯を送りたいとて、それを得られる筈(はず)がない。」

「ある書物の養生法に、もし老衰して生命が存在しておっても、ただ食って、寝て、その日を送るだけの人であったならば、それは生命の存在ではなくして、肉塊の存在である。ゆえに人は老衰して、身体は充分に利かぬでも、心をもって世に立つ者であったら、すなわちそれは、生命の存在であるという言葉があった。人間は生命の存在たり得たい。肉塊の存在たり得たくないと思う。これは私ども頽齢(たいれい=心身ともに衰えた年齢のこと)のものは、始終それを心掛けねばならぬ。まだあの人は生きておるかしらんといわれるのは、蓋(けだ)し肉塊の存在である。もしそういう人が多数あったならば、この日本は活き活きはせぬと思う。」


超高齢化が進行し、成熟社会になってきているといわれる今の日本。他者から何かをしてもらうことを「当たり前だ」と思い、心をもって世に立とうとしないような「肉塊の存在」が、老いも若きも問わず増えてしまっているのではないでしょうか。
もちろん、世の中には個人の努力や勤勉さだけでは、どうにもならないことがあるというのも現実です。他者や国からの助けを借りなければならないほど追い詰められたときには、ためらうことなく助けを求めることも、また大事なことだと思います。とはいえ、安易に他者や国をアテにしてばかりいる姿勢からは、なにも生まれてはこないであろうことも確かでしょう。
やはり、まずは自分で自分を助けることが基本にあってこそ、充実した人生を送ることができる、ということを、忘れないようにしなければ。これからも『自助論』と『論語と算盤』を座右に置いて、自己点検のために繙いていきたいと思います。

【読了本】『教養は「事典」で磨け』 大人の教養は一朝一夕にしてならず!

2015-11-03 19:59:15 | 「本」についての本

『教養は「事典」で磨け ネットではできない「知の技法」』
成毛眞著、光文社(光文社新書)、2015年


ちょっとした調べものなら、たいていはネット検索で済んでしまう昨今。事典・辞書をじっくり繰ってみるということが少なくなった、という向きも多いのではないでしょうか。かく言うわたくしめも、事典・辞書で何かを調べるということがめっきり減ってしまっていて、机の上にある事典類はすっかりホコリをかぶってしまっているというありさまです。
事典を引くことが減った理由には、ネットでの検索が増えたことに加え、だいたいの意味ならわかっているからわざわざ事典を取り出して引くまでもないや、で済ませてしまうということもあるかもしれません。ある程度の意味さえわかっていればそう不都合もなかろう、という感じでしょうか。もっとも、わたくしの場合たいていそれは「わかっているつもり」にしか過ぎず、あとで恥をかくことも少なくないわけですが・・・。
そんなわたくしに、事典類はすごく面白くて使えるものなのだ、ということを久々に思い起こさせてくれたのが、この『教養は「事典」で磨け』です。
著者は実業界ピカイチの読書家にして、書評サイト「HONZ」を主宰している成毛眞さん。本書では、数多くある辞書・辞典・事典・図鑑の中から精選した、56冊の面白い事典類を紹介しつつ、楽しみながら教養を身につけるための事典類の活用法を伝授しています。

本書のメインである、成毛さんオススメの事典・図鑑類を紹介した第2章は、見開き2ページに書影と書誌データ、紹介文に加えて、取り上げた事典の本文ページの見開き写真、さらには新書とのサイズ比の図が盛り込まれていて、それぞれの事典の特徴をわかりやすくつかむことができます。
事典は引くものではなく、一般書のように面白く読むものだ、という成毛さんがセレクトしている、56冊の事典・図鑑類。中には白川静氏の『常用字解』(平凡社)や、『理科年表[ポケット版]』(丸善出版)といったよく知られているものもありますが、わたくしも初めてその存在を知った事典類も数多くありました。いずれも調べものに使うためのレファレンスブックとして以上に、読みものとしての興味と知的好奇心が湧いてくるようなラインナップとなっています。
トップバッターで紹介されている、国立民族学博物館が編纂した『世界民族百科事典』(丸善出版)は、日々のニュースで伝えられている民族がらみの国際問題などを理解するための情報源として重宝しそう。また、約5000もの比喩表現をテーマごとに分類した『分類 たとえことば表現辞典』(東京堂出版。ここも面白そうな事典類をたくさん出している版元ですね)や、“てにをは”といった助詞を挟んでどんな言葉を結びつけることができるのかを教えてくれるという(たとえば「真相」だと「口走る」「問い質す」「穿つ」といったように)『てにをは辞典』(三省堂)あたりは、文章を書く上でもかなり役に立ちそうです。
見て楽しみながら知識を得られる図鑑類にも、面白そうな物件がいろいろ。「ポスト構造主義」だの「プラグマティズム」だのといった、考えるだけでもややこしそうな哲学の用語や概念をわかりやすい図とともに解説した『哲学用語図鑑』(プレジデント社)や、キリスト教美術に込められた意味を、写真やイラスト、漫画を駆使して解説した『鑑賞のためのキリスト教美術事典』(視覚デザイン研究所)は、馴染みにくい対象を自分に引き寄せ、興味を拡げるのに良さそうです。また、美しい写真と洗練されたブックデザインでさまざまな種類の花を紹介した『ENCYCLOPEDIA OF FLOWERS 植物図鑑』(青幻舎)は、成毛さんがおっしゃるように自宅に飾ったり、プレゼントするのにも向いていそうです。
知識を得るのではなく、純粋に読みものとして楽しむための変化球的事典もラインナップされています。筒井康隆さんの『現代語裏辞典』(文藝春秋)は、「コンピューター」を「して欲しいこと以外は大概のことができる機械」、「注目」を「他に見るものがない」といった調子で、森羅万象の事柄を筒井さんならではの毒とエスプリで定義した、まさしく筒井版の『悪魔の辞典』。かつては筒井さんにハマりまくっていたわたくしでしたが、5年前に出されていたこの辞典は迂闊なことにノーマークのままでした。これは早く買っておかねば、と慌てて注文して購入し、現在少しずつ読んでいるところです。いや~、これはすごく面白いわ~。

オススメ事典類をズラリと列挙した第2章に先立つ第1章では、引いたり調べたりするだけにとどまらない「読んで面白い本」である事典類を楽しみながら、ネットに頼っているだけでは得られないような、大人にとって必要な教養を身につけるための方法論が語られています。
なるほど!と思ったのは、事典による小刻みな知のインプットが与える効果について述べているところです。疲れていたりして読書が思うように進まないようなとき、ひとつの項目が短く完結している事典を読むことでウォーミングアップするのもひとつの手だ、というのです。また、広く浅く小さな知識を仕入れることで、ものごとを俯瞰して捉えることができるようにもなる、と。

「ひとつの物語に狭く深くのめり込むと、それはそれで楽しいのだが、近視眼的になりがちだ。一方、雑多な知識をつまみ食いしていると視野が広がり、それに伴って楽しみの幅も広がっていく。
そのためボクは、何かに集中しすぎているときや気分転換が必要なときには、事典を開くことにしている。そこにある多様性が、自分が取り組んでいることの小ささを気づかせ、大きなことを考えるきっかけを与えてくれるからだ。」


そうだよなあ。ひとつのことに集中、熱中することはもちろん悪いことではないのですが、しばしばそのことで視野が狭いものになりがちでもあります。そんなとき、まったく異なる分野の知識や情報に接することは、アタマに良い刺激を与えてくれたりいたしますからね。この考え方は大いに参考になります。・・・一方で、あらゆる本をバリバリ読みこなしておられる成毛さんでも、読書が進まないようなときがあるんだなあ、という妙な感慨も少々湧いたりいたしましたが。
事典は大きければ大きいほどいいという成毛さんですが、その一方で価格が手頃で集めやすい文庫、新書版の事典をコレクションし、並べることを提案している箇所にもそそられるものがありました。成毛さんもおっしゃっていますが、ちくま学芸文庫や講談社学術文庫には事典としても面白そうな物件がけっこうありますからね。

確かに、ネットによって迅速に、さまざまな情報に接することが容易にはなりました。ですが、大人にとって必要なしっかりとした教養は、やはり一朝一夕に身につくというわけではないんですよね。そもそも、求める情報を的確にネットで検索する上でも、もととなるしっかりした教養や知識が不可欠だったりいたしますし。
じっくりと時間をかけて、入念なチェックを経ながら編まれる事典や図鑑によって、少しずつでも着実に大人の教養を身につけることの楽しさに、あらためて気づかせてくれた一冊でした。
そういえば以前、自分にも事典などのレファレンス・ブックにハマっていた時期があったなあ、ということを、本書によって思い出しました。10年近く前、ノンフィクション作家・日垣隆さんの『使えるレファ本150選』(詳しくは下のほうで)に紹介されていた事典などのレファレンス・ブックの中から、面白そうなものを何冊か買い集めたりしたものです。
『教養は「事典」で磨け』を読んで、再び「事典熱」のようなものがぶり返してきたわたくし。手元にある事典類をかき集め、机の上にどーんと並べました。これからまた少しずつ、面白そうな事典を買い集めていこうと思っております。



・・・それにしても、こうやって見てみると古くなって買い替えなきゃいかんものもあるよなあ。『新明解国語辞典』なんてもうすでに第7版が出ているというのに、手持ちのやつはいまだに第3版ときているしな(苦笑)。


【関連本】

『使えるレファ本150選』
日垣隆著、筑摩書房(ちくま新書)、2006年
✳︎現在は品切れ

わたくしに最初の「事典熱」を与えてくれたのが、この『使えるレファ本150選』です。辞書、事典、年鑑、便覧、図録、ハンドブック、白書、統計集、教科書といったレファレンス・ブック(レファ本)からセレクトした150点を(日垣さんならではの視点と語り口で)一挙に紹介した一冊です。書名にあるように、読んで楽しめるというよりも、ものを書いたり調べたりする上で「使える」レファ本が取り上げられていますが、読んでみると面白そうかも、という物件もけっこうあったりいたします。
刊行からすでに10年近くが経っていて、内容的には古くなっているところもあったりして(まだ『現代用語の基礎知識』と『イミダス』と『知恵蔵』が出揃っていた時期です・・・)、そのためか現在は残念ながら品切れ。ですが、言葉はもとより政治、経済、社会、流行風俗、文学、歴史、科学などを幅広くカバーした網羅性は魅力ですし、「ほー、こんなのもあったのか」ということを知るだけでも、けっこう参考になりました。古書市場で見かけましたら、どうぞ。

生賴範義さん、本当にありがとうございました。

2015-11-02 20:13:00 | 宮崎のお噂
先週、10月28日の朝のことでした。地元紙である宮崎日日新聞の第1面を目にして、愕然といたしました。



日本国内はもとより、海外からも高い評価と注目を集めていた宮崎市在住のイラストレーター、生賴範義さんがお亡くなりになった、というのです。享年79歳。前日の27日に肺炎のためお亡くなりになったとのことでした。
数多くの映画ポスターや書籍の表紙イラストなどを手がけてこられた生賴さん。細部までゆるがせにしない緻密な技法で描かれる、イマジネーションを刺激してやまない作品に、わたくしも長らく魅了されてきました。
昨年、そして今年には、これまでの生賴さんの画業を振り返る大々的な展覧会が宮崎市で開催され、あらためてその業績が多くの人たちの目に触れることになりました。わたくしもじっくり鑑賞し、それぞれについての紹介と感想を拙ブログに綴らせていただきました。
「生賴範義展 THE ILLUSTRATOR」を観に行く
みやざきアートセンターで「生賴範義展Ⅱ 記憶の回廊」をじっくりと観る

SF好きの端くれとして、そして宮崎市という九州の一地方から、日本のみならず世界に向けて素晴らしい作品を発信し続けた生賴さんを、宮崎に住む人間の一人としても敬愛してやまなかったわたくし。訃報を知ってから数日は、仕事が終わったあとは喪失感から何もする気になれませんでした。2回にわたる「生賴範義展」のときに購入しておいた図録(いずれも宮崎文化本舗・刊)を酒を飲みながらめくり、その偉業を偲び続けていました。



生賴さんの名前が日本に、そして世界に知れ渡るきっかけとなったのが、映画『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』(エピソード5、1980年)のポスターアートでした。シリーズ第1作となった『スター・ウォーズ 新たなる希望』(エピソード4、1977年)が日本で公開されたとき、徳間書店の出版物のために描かれた映画の口絵イラストを目にした監督・プロデューサーのジョージ・ルーカスが、自ら直々に生賴さんに依頼したのが『帝国の逆襲』のポスターでした。緻密で的確な描写力により、作品の世界観を1枚に凝縮させたような生賴さんの作品は、一般のファンはもちろんのこと、もととなる映画を生み出したクリエイターをも深く魅了したのです。
『スター・ウォーズ』シリーズをはじめとして、生賴さんはたくさんの邦画・洋画の宣伝ポスターやイメージイラストを手がけてこられましたが、特撮映画好きとしては1984年の『ゴジラ』を皮切りに手がけてきた、平成ゴジラシリーズ10作品のポスターアートに魅了されました。
とりわけ、新宿の高層ビル群を見下ろしながら咆哮するゴジラを描いた、1984年版『ゴジラ』のポスターアートは、当時中学生だったわたくしを虜にした傑作でした。昨年開催された最初の「生賴範義展」でこのポスターの原画を見たとき、あたらめて震えがくるような感銘が湧き上がったものでした。
(以下の画像は、生賴範義展の図録から引用させていただきました)



これまで多くの優れたイラストレーターがゴジラを描いてきていますが、わたくしは今でも、生賴さんが描いた荒々しい魅力に溢れたゴジラが一番カッコいいと思っていますし、これからもわたくしの中でゴジラのイメージとして生き続けていくことでしょう。

生賴さんは書籍・雑誌のイラストも数多く手がけてこられました。特に有名なのが、小松左京さんや平井和正さんといった、日本を代表するSF作家の著書の表紙イラストです。小松さんは自らの著書を飾った芸術性豊かな生賴さんのイラストを見て、はじめはそれが日本人画家の手になるものだとは思えなかったとか。平井さんも、代表作である『ウルフガイ』シリーズの装画に描かれた主人公・犬神明のイメージがことのほかお気に入りだったといいます。
書籍や雑誌のイラストでは、作品の世界観を凝縮した緻密な画風のほかにも、作品に合わせて多彩な作風でイラストを描いておられたことを、2回にわかる展覧会で知ることができました。
生賴さんが描いてきた書籍や雑誌、出版広告のイラストは、間違いなく日本の出版文化を支え、高めてきたと思います。そのことにも本好きの端くれとして、そして書店で働く人間の一人として、深い敬意を抱いております。

今年開催された2回目の生賴展で、深く心に刻まれたのが、日中戦争やベトナム戦争などの戦場写真をモティーフにしたオリジナル作品数点でした。幼い頃に空襲を体験した生賴さんの、人間を破壊する戦争に対する強い思いがストレートに伝わってきて、しばしその場を離れることができませんでした。
戦後70年という節目の年に、それらの作品に接することができたことは実に意義深いことだったと、あらためて思います。

質量ともに圧倒される生賴さんの作品群を振り返って驚かされるのは、主要な作品の多くが、1973年に宮崎市へ居を移してから生み出されたものだということです。『スター・ウォーズ』シリーズやゴジラシリーズのポスターアートも、すべて宮崎のアトリエから生み出されました。
正直に申し上げて、九州の一地方たるわが宮崎は文化的な面において、大都市圏に比べるとあまりに貧弱だと言わざるを得ないところがあります。しかし、そんな地方からであっても、人を得ることで質の高い発信をすることは可能であるということを、生賴さんは教えてくださったように思います。そのことにも、宮崎に住むものの端くれとして、深い敬意と感謝の念を覚えております。

こうしてあらためて振り返ってみても、生賴さんが遺したものの大きさ、素晴らしさが、より一層輝きを増して迫ってくるのを感じます。
いま一度、生賴さんが絵筆を取ることができる日を心待ちにしていただけに、ご逝去はまことに残念ですし、喪失感も大きいものがあります。
ですが、生賴さんが生み出した作品の数々は、これからも永遠に色褪せることなく、多くの人びとに伝説として語り継がれていくことでしょう。

生賴さん、お疲れさまでした。そして、本当に、本当にありがとうございました!

明日へ ー支えあおうー 『被災地 極上旅 ~福島県いわき市編~』

2015-11-01 13:10:09 | ドキュメンタリーのお噂
明日へ ー支えあおうー 『被災地 極上旅 ~福島県いわき市編~』
初回放送=2015年11月1日(日)午前10:05分~10:53分 NHK総合
出演=秋元才加


映画『フラガール』で一躍有名となったハワイアンリゾートがあり、東北最大規模の水族館・アクアマリンふくしまや、“美人の湯”とよばれる温泉があることでも知られている、福島県いわき市。ここでは、観光マップやガイドブックには載っていない、地元の人たちだけが知るスポットや味覚を紹介した「裏マップ」が話題になっているといいます。4人の地元女性により取材、編集されたその『いわきうふふ便』というマップは、今年9月に発行されて観光案内所などに置かれるや、たちまち評判となって初版分はなくなり、さらに1万部も増刷されるほどの人気ぶりなのだとか。
その『うふふ便』に掲載されている、いわき人だけが知る隠れ名所を、編集した女性たちとともに女優の秋元才加さんが訪ねたのが、この『被災地 極上旅 ~福島県いわき市編~』でした。

まず最初に訪れたのは、“いわきの赤い彗星”の異名を持つ、真っ赤なつなぎがトレードマークである農家の男性の畑。赤いつなぎは太陽をイメージしたもの、なのだと男性は言います。
その畑で里芋を掘り、採れたての里芋に舌鼓を打つ秋元さんに、男性は「美味しいのは里芋だけじゃない。実は土も美味しい」と言います。おそるおそる土を口に運んだ秋元さんでしたが、これもまた美味しい、と満足気な表情です。「土が苦いと野菜も苦くなる」というその男性は、美味しい土を使って野菜を栽培することが「自分ができる、食べてくれる人への敬意」だと語ります。
男性は、自分の畑へ積極的に、外から来た人たちを招き入れているのだとか。それを通じて得た実感をもとに、男性はこう語りました。
「まだまだ風評被害があるのは確かだけど、ここに来てくれる人たちと接していると、本当に風評被害なんてあるのかな、と思う。最後は風評被害なんて言葉は忘れてもらって、美味しさだけが残ればいい」

続いて秋元さんらが訪れたのは、1日1組限定で営業しているフランス料理のお店でした。
先の“いわきの赤い彗星”と呼ばれる農家の男性が栽培した里芋を使った料理は、塩を軽く振った里芋の上にカリカリの衣をまとったサンマが乗っかった一品。とはいえ、ここでのサンマは「ソース」であり、主役はあくまで里芋だとか。他の料理も魚や肉を使ってはいても、メインとなっているのは地元の農家が丹精こめて育てた野菜のほうです。他にも、「ドライトマトのオリーブオイル漬け」などの、野菜を使った加工品も人気です。
店主の男性は毎朝、地元の生産者の畑に直接出向き、吟味して野菜を仕入れているそうで、そのため1日1組が限界なのだとか。「だから自分の料理ではなく、生産者と一緒に作っている料理」と店主は語ります。
震災後、自分には外から仕入れる食材を使うという選択肢もあった、という店主でしたが、表情は笑ってはいても土気色をしていた地元農家の方々を見て、地元産100%でいこうとの決意を固めたのだとか。店主のこのお言葉が印象に残りました。
「いい生産者がいわきにいて、僕は幸せです」

次に訪ねたスポットは「いわき回廊美術館」。震災後に設けられた入場無料の施設で、100m以上にわたって続く木の回廊にはたくさんの作品が展示されています。また、隣接した広場には、急斜面のてっぺんに設えられた「空中ブランコ」があり、眼下にいわきの自然を眺めながらのブランコ漕ぎは「(アニメのアルプスの少女)ハイジの気分」を味わえそうな迫力っぷり。
ここは、いわきに桜の名所をつくるために活動している市民プロジェクトの拠点でもあります。その代表の男性は、原発事故の影響により「自分のふるさとが、誰も来たくないような場所になったのかと思うと気持ちにズンときて、悔しかった」といい、「誰もが来たくなる場所を」つくろうと、このプロジェクトを始めたのだとか。
99,000本の桜を、1人につき1本、100年がかりで植えていくという、子どもや孫の世代を見据えたプロジェクト。回廊美術館の回廊には、子どもたちが描いた満開の桜の絵もたくさん展示されておりました。

「地元の人しか知らないところをどんどん紹介して、こういうステキなところもあるんだよ、と提案できたら」との思いで企画された『いわきうふふ便』。しかし、すべてが順調に運んだわけでもありませんでした。掲載依頼に対して「震災と関連づけられるのであれば載せないでほしい」と断るお店もあったのです。
震災に対して、地元には複雑でデリケートな感情があることも、確かな現実でした。しかし、4人の女性たちはその現実を踏まえながらも「普通に暮らしている現実もあるのだから、それをオープンにしていきたい」ということを『うふふ便』編集の基本に据えることにしたのでした。
番組では、月に一度開催されているという「うみラボ」というイベントも紹介していました。いわきから船に乗って福島第一原子力発電所の海上1㎞にまで接近(陸上とは違って線量が低いので、そこまで近づけるのだとか)、そこで船釣りを体験します。その後、釣れた魚を水族館・アクアマリンふくしまに持ち込んで検査し、その結果を知るところまでが一体となったイベントなのですが、検査検査を待つあいだ、安全が確認された魚介類を使用したパスタなどの料理が無料で振る舞われるとのことで、それを目当てに参加される人も多いとか。ちなみに、取材時の検査結果は国の基準である100ベクレルを大きく下回る8ベクレル少々でした。
「うみラボ」を主催するフリーライターの小松理虔(りけん)さんはこう語ります。「僕らの日常生活と変わらないということを出していかないと(外の人たちと)つながっていけない」

秋元さんたちが最後に訪ねたのは、『うふふ便』スタッフの1人の地元という小名浜にある魚屋さんでした。このお店は干物、とりわけメヒカリの干物が看板商品。「干物風」と呼ばれる、冷たく乾燥した風で一気に干されることで旨味が増すというメヒカリの干物は、やわらかく脂が乗った美味さで大人気なのだとか。
「100枚も200枚も(メヒカリを)さばいてると、俺なにやってんだろうなあ、と思ったりもするけど、お客さんから“うまい”と言われるのは嬉しい。おだてられると、どこまでも登るからね」と愛嬌たっぷりに語る魚屋さんでした。
魚屋さんを紹介した『うふふ便』のスタッフのお一人が言いました。「わざわざ声を出して言うことでもない、と思っていたものが、実は一番すごいものだった」
秋元さんは、旅を振り返りつつこう言いました。「実際、いろんな情報があったりするけれど、自分の目で見て何を感じるかが一番大切だと思う」

番組で紹介されたスポットと、美味しそうな味覚の数々。主に20~30代の女性をターゲットにしたものということですが、40ウン歳のオトコであるわたくしも、強く惹きつけられるものがありましたね。
それとともに、東日本大震災や福島第一原発事故という大きな災厄を経験し、身近にあるものの素晴らしさと価値に気づいた、4人の女性たちのいわきへの思いが、観ていてしみじみと胸に沁みてくる思いがいたしました。
そして、いわき市をはじめとする福島県のことを、そして東北のことを本当に知ろうとするのであれば、やはり自分の目で見て、味わい、感じるということが大事なのだな、ということを、あらためて思いました。それが、被災した地域の外に住むわれわれができる、一番の応援の仕方なんですよね。
東北からは遠く離れた、九州の片隅に住むわたくしですが、なんとか機会をつくって福島、そして東北への旅を実現させたいと思っております。番組は、そんな思いを大いに掻き立ててくれました。この『被災地 極上旅』、第2弾以降もぜひやってもらいたいなあ。
『いわきうふふ便』は、こちらのいわき市観光情報サイトでも閲覧、ダウンロードが可能です。ぜひご覧になってみてくださいませ。
・・・メヒカリの干物。ゴハンのお供にも良さそうけれど、お酒と一緒に食べてみたいなあ。