読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

別府・日田 いい湯いい酒いい人旅 (第2回) 竹瓦温泉で出会った伝説の「あの方」、そして楽しかった呑み歩きとそのテンマツ

2018-02-25 22:31:52 | 旅のお噂
別府での初日夕方。別府駅前とは目と鼻の先にあるビジネスホテル「別府ステーションホテル」にチェックインいたしました。
わたしの旅では、飲み食いはあくまでも外でやりますので、宿泊先は眠ることさえちゃんとできればそれで十分。食べきれないほど豪勢な夕食はなくとも、お手頃価格で泊まることができる駅チカのビジネス系ホテルは、実にありがたい存在なのであります。
とはいえそこは、泉都別府のビジネスホテル。ちゃんと天然温泉の大浴場がございますし、ホテルの入り口にもしっかりと “手湯” があったりいたします。


チェックインしてしばし休憩したあとはいよいよ、お楽しみの呑み歩きに出陣であります。わたしはホテルを出ると、まずはアーケード街にある薬屋さんに立ち寄って「液キャベ」を一本買いました。呑んだあと、寝る前にコレを服用して寝れば、二日酔い防止になるというわけであります。買った「液キャベ」に、薬屋さんはビタミン錠を数個つけて渡してくださいました。ありがとうございます。
呑み歩きの前にまたひとっ風呂浴びようということで、別府を代表する歴史ある共同浴場にして、呑み屋街のそばに位置している「竹瓦温泉」に立ち寄ることにいたしました。とはいえ、このあたりも周囲に風俗店が集中しているエリア。オトコ1人であるわたしを狙いすまして声をかけてくる呼び込みのオニイサンたちを巧みに(笑)かわしつつ、竹瓦温泉にやってまいりました。
明治時代に開業し、昭和13年に建てられた堂々たる建物で観光名所にもなっているこちらもまた、ありがたいことにわずか100円で入浴できます。


脱衣場のすぐ下、やはり別府に多い半地下式の浴場に階段を降りて入っていきますと、浴槽にはすでに多くの入浴客がお湯に浸かっていて、憩いのひとときを過ごしておられました。わたしもその中に加わってお湯に浸かります。ここのお湯もけっこう熱めではあるのですが、この日はすでに3ヶ所で、熱々のお湯に浸かってまいりましたので、もうだいぶ慣れたのかゆっくり浸かることができました。いやあ、実に気分がいいですなあ。
そんな浴槽の脇で、入浴している方々へさかんに声をかけておられるおじさんがいました。県外から来た人と見るや「どっから来たの?」と声をかけたり、ちょっとでっぷりした体格のお兄さんを見受けるや、その肩をポンポンと叩きながら「お!三保ヶ関部屋?」などと言ったりしていて、まことに陽気で屈託がありません。
そのお顔といい声のかけ方といい、なんだか見覚え聞き覚えがございました。これはもしかしたら・・・ああ!このおじさん、もしかしたらあのお方じゃないのか?
脳裏にひらめいたのは、ちょうど1年前の昨年(2017年)2月に放送されたNHKのドキュメンタリー番組『ドキュメント72時間』で、竹瓦温泉を取り上げた回でありました(2017年2月10日放送の「別府 百年の温泉で」。番組サイト「2017年バックナンバー」を参照)。番組の撮影が始まったのは放送1ヶ月前の昨年1月9日。その前日にはわたしも竹瓦温泉に入っていて、番組の撮影が入ることが貼り紙で告知されておりました(下の写真)。好きなドキュメンタリー番組ということもあり俄然興味は湧いたものの、さすがに入浴姿を映されて全国放送されるのもこっぱずかしいので、その日に入ることは避けたのでありましたが・・・。


・・・で。この回に、入浴客をつかまえてはまことに気さくに、かつ陽気に話しかけていたおじさんが登場していたのですが、いま目の前におられるおじさんこそ、まさしくその『72時間』に登場していたおじさんに違いありません。番組を観ながら、「ああ面白いなあ、このおじさん。今度別府に出かけるときにでも見かけるといいなあ」などと思ったりしていたのですが、まさかこうも簡単に巡り会えるとは!
わたしの中ではすでに、一種の “伝説” となっていた方を目の前にしてにわかに胸は高鳴り「あのー、もしかしてNHKの番組に出ておられた方ですか?」などとお声がけしたい気持ちが湧き上がってはきたのですが、生来の引っ込み思案で小心者なわたしはなかなか、話しかけることができずにおりました。それに、もしこれが人違いだったりしたらまことに失礼ではありますし。・・・いや、もう99.9パーセント間違いないとは思いましたが・・・。
すると、件のおじさんがこうおっしゃいました。
「去年NHKを観てた人は、オレが誰なのか一発でわかる」
おお!やっぱりそうだったか!!そうとわかれば、もうためらうことはございません。「やっぱりそうでしたか!わたしも観てましたよ、あの番組!」と話しかけたのをキッカケに、そのおじさんとしばし、お話しすることができました。
「アレが放送されてから、北海道から来た人にも声かけられた。これはサスガ、全国放送じゃなあ、と。ローカル放送じゃこうはいかんわ」
おじさんがそうおっしゃいました。わたしの周りでも観ているという人が多い、けっこう人気のある番組だけに、やはり影響力は大きかったようですね。
よくここを利用されてるんですか?とお訊きすると、
「そう!きょうも朝、昼に入って、これで3回目」
とおっしゃいます。おお、やはり竹瓦温泉の超常連さんでおられるんですねえ。竹瓦温泉のほかにもあちこちの共同浴場を利用なさっておられるようで、午前中に入った不老泉も行きつけなのだとか。
ここは駅から近いとこにいい温泉がいっぱいあるのがいいですねえ、とわたしが言うと、おじさんは、
「田の湯温泉には入ってみた?」
と訊いてこられました。「田の湯温泉」もやはり、別府駅から歩ける場所にある共同浴場なのですが、わたしはまだ入ったことがございませんでした。「一度入ってみてごらん。ここと同じように浴槽が1つあってな」と、おじさんは教えてくださいました。
「そこの窓は閉めちゃダメ!湯気でみんなの服が濡れちゃうから!」
開け放たれていた脱衣場の窓を閉めようとした入浴客を、おじさんはそう言ってたしなめました。浴場と脱衣場は区切りがなく一体となっているので、窓を開けていないと湯気がこもり、脱衣場にある服が濡れてしまうというのが、その理由でありました。この時期は脱衣場の窓を開けっ放しにしてると冷えるんじゃないかなあ・・・などと思っていたのですが、なるほど、ちゃんと意味があるんだなあ。おじさんはこうやって、入浴についてのマナーを教える役目も、積極的になさっておられるようなのであります。
「70になると “高齢者優待入浴券” っつうのが貰えるようになる。いま68だから、あと2年じゃ」
とおじさんがおっしゃいました。別府市では70歳以上の方々に、竹瓦温泉をはじめとする市内10ヶ所の市営温泉を180回利用できるという「高齢者優待入浴券」が交付されるのだとか(別府市のホームページを参照)。それはますます、おじさんの温泉通いに拍車がかかることでありましょう。いいなあ。オレも歳とったら、別府に移住しようかなあ・・・。
おじさんとの会話をキッカケにして、やはりお湯に浸かっておられた県外からの入浴客の方とも、会話をすることができました。見知らぬ方との、お湯を介しての一期一会の出会いが味わえるというのも、こういう古くから続く共同浴場の楽しさだと、つくづく思います。
湯から上がり、着衣を身につけていると、やはりお湯から上がったばかりの件のおじさんが、開け放たれた脱衣場の窓からパンツ一丁のままで、外にいる子どもさんに「何年生?」などと、あくまでも屈託なく声をかけておられました。もうこのあたりで知らない人はいないんじゃないですか?というわたしの問いに、小さく頷かれたおじさんでありました。
『72時間』で、もとは福岡の人ながら仕事で体をこわし、湯治のため別府へ移住した、と紹介されていたおじさんでしたが、いまやすっかり別府人としてお元気に暮らしておられるんだなあ、ということが伝わってきて、なんだかしみじみ嬉しい気持ちになりましたねえ。
じゃあお先に失礼いたします、ありがとうございました・・・とアタマを下げたわたしに、おじさんは、
「ウン、ぜひまた来なさい」
と穏やかにおっしゃってくださいました。ええ、ぜひまたここに参上して、おじさんともっと言葉を交わさなきゃな・・・と強く思ったのでありました。

“伝説” となっていたお方との巡り会いを果たすことができ、ウキウキ気分で竹瓦温泉を出たわたし。さあ、この調子で酒場でも、嬉しいひとときを過ごしたいものであります。ホテルを出て空を見ると、ありがたいことに雲の切れ間からは青空が覗いておりました。いいぞいいぞ。
わたしは、今回別府に来たらまず入らなきゃ、と目星をつけていた居酒屋「美乃里」(みのり)を探しあて、入ってみました。


わたしがこのお店のことを知ったのは、これもちょうど1年前のことでした。昨年の別府行きのあと、宮崎市内にある行きつけのバーに、別府にある立命館アジア太平洋大学(APU)に通っているという女子学生さんが、お友だちとともに立ち寄ってこられました。1人で呑むのがけっこう好きだという、なかなか美形のお嬢さん。そんな彼女と別府ネタを語りつつ呑むことができて、すごく嬉しかったのでありましたが・・・。で、その女子学生さんから「ここがオススメですよ」と教えていただいたお店(全部で3軒ございました)の中で、一番立ち寄ってみたいと思っていたのが、この「美乃里」さんだったというわけなのであります。
中に入ると、8人がけのカウンターに、テーブル2つが並んだ小上がりという、思いのほかこじんまりとした店内。まだ開店まもない時間帯で、わたしがこの日最初の客のようでした。メニューを見ると、奇をてらわない親しみやすく家庭的な献立が並んでいて、お酒のアテに良さげな一品から麺類、ご飯ものまで品数も豊富。そしてカウンターの上には、美味そうな料理がてんこ盛りになった大皿が。わたしはその大皿の中で真っ先に目についたポテトサラダを、生ビールとともに注文いたしました。
「お客さん、宮崎からですか?」と、カウンターの中におられたお店のお姉さんがわたしに訊いてこられました。話すときのアクセントで、宮崎のヒトではないかと気づいたといいます。ああ、自分では意識しないけど、やはり生まれ育ちはコトバに出るもんなんだなあ。ともあれ、初めて入るお店にいささか緊張気味だったわたし、これでだいぶ和みました。お店はいつからやってらっしゃるんですか?と訊ねると「4年くらい前からです」とのこと。けっこう新興のお店であります。
そして、生ビールとともに出てきたポテトサラダをさっそくパクリ。


具材はシンプルながらしっかりとした味わいで、しっかりお酒のアテになるような美味しさです。ポテサラが美味いお店は、ほかのメニューもまず間違いなく美味しいはず。期待に胸躍らせつつ、カウンター奥のホワイトボードにある「本日のおすすめ」から〆さばを注文いたしました。肉厚の身には脂もしっかり乗っていて、噛み締めると口の中に旨味がいっぱいに広がり、さば好きには嬉しい限りであります。こちらは、大分の麦焼酎によく合いました。


〆さばを突っついていると、カウンターの中にもう1人、中年の男性が入って来られました。どうやらこの方がご主人のようです。ご主人もまた、他所から初めてやってきた一人呑みのわたしに、気さくな感じで話しかけてこられました。このお店はいい、というおススメをもらって来てみました、とわたしが言うと、ご主人は、
「ほんと、ありがたいことですわ」
と、少しばかり照れるようにおっしゃいました。
カウンターの上に乗っかっていた大皿の料理でもう一つ気になっていたのが、ハンバーグ。お次にそれを注文して食しました。こちらは画像を撮り忘れたのが残念なのですが・・・じゃがいもと人参を添えて出てきた煮込みハンバーグもまた美味しく、食べごたえもたっぷりでした。
しばらくの間、カウンターにわたし一人しかいなかった店内でしたが、その後次から次へとお客さんが入ってきて、いつしかもう満席状態。そのほとんどが、どうやら地元の常連さんたちのようでした。そのためでしょうか、店内は大いに賑わいながらも、なんだか和やかな空気が流れているように思われました。
このままずっと座っていたい気にもなりましたが、そうもいきません。わたしは最後にだし巻き玉子をいただきました。ふんわりとした優しい口当たりと味わいで、気分を和ませてくれました。


この、賑やかながらも和やかなお店の雰囲気、そしてお料理の見た目や味わいに、あるお店のことを思い浮かべておりました。別府で50年以上にわたり、観光客、そして地元の皆さんに親しまれながらも、2014年に惜しまれつつ閉店した大衆食堂にして大衆酒場「うれしや」です。わたしも一度だけですがこの「うれしや」を訪れ、その味と雰囲気に惚れ込んでおりました(そのときのことは「別府・オトナの遠足2014(第1回)老舗大衆酒場で惚れ酔い気分」に書きました)。それだけに、閉店したことを知ったときには実に寂しい思いがしたものでした(閉店についてはやはり拙ブログの記事「別府の名大衆食堂にして名酒場だった『うれしや』の閉店を惜しむ」を)。
実は、今回「美乃里」さんに入ろうと思ったのは、先にこのお店を教えてくださったAPUの女子学生さんから「このお店は前に『うれしや』で働いていた人がやってるんです」というお話を聞いたからでした。実際入ってみれば、活気がありながらも和やかな雰囲気といい、お料理の味わいや見た目といい、確かにどことなく「うれしや」を彷彿とさせるものがありました。お店が開業した時期も4年前といいますから、これも「うれしや」が閉店した時期と重なります。
以前「うれしや」におられたんですか?そうお訊きしようとも思ったのですが、ご主人もお姉さん2人も、お店いっぱいのお客さんへの対応に忙しくなっていたので、ここは遠慮することにいたしました。まあ、それは次の機会に、ということにいたしましょう。
そうこうしていると、さらに2人連れのお客さんが。とはいえ、満席状態の店内には2人分の席は空いていませんでした。少し前にわたしの隣にいた男性がお帰りになって1人分は空いていたので、ここでわたしが引き揚げれば2人分は空きます。あ、ならわたしはこのあたりで失礼しますのでお勘定を・・・とわたしが慌てて席を立とうとすると、ご主人は、
「あ、まだ焼酎残ってますよ」
と、カウンターの上にあったコップを指しました。そこにはまだ、呑んでいなかった麦焼酎が半分くらい残っておりました。わたしは椅子に座りなおして残りの焼酎をしっかりと頂きました。もしかしたら、「そんなに慌てて帰らなくてもいいよ」というお心遣い、だったのでありましょうか。
あらためて席を立ち、お勘定を済ませてお店を出る時、ご主人は、
「ぜひまた来てください」
とおっしゃってくださいました。ええ、ぜひまたお邪魔するつもりであります。
別府に来たら必ず立ち寄りたい、と思えるお店を再び見いだすことができたヨロコビをしみじみ噛みしめつつ、「美乃里」をあとにしたわたしでありました。・・・このお店をわたしに教えてくれた、美形の女子学生さんと再会できなかったのは、ちとザンネンではございましたが(笑)。



昔ながらの細い路地が入り組んでいる風情を味わいつつ、別府の呑み屋街をしばし散策したわたしは、2軒目となるバー「オードビー」に入りました。マスター氏とその娘さんの2人で営む、開業から30年以上になるゆったりした雰囲気のバー。わたしも2年前に初めて訪れ、たちまちお気に入りとなりました。昨年別府に来た時には、2晩続けてお邪魔したくらいであります。


カウンターに腰を下ろすなり、娘さんは「どうもお久しぶりです」と声をかけてくださいました。年に1回しか来ないヨソ者のわたしを、しっかりと覚えてくださっておりました。
ここに来ると飲みたくなるのが、マスター氏が考案された別府八湯(浜脇・別府・鉄輪・堀田・観海寺・柴石・明礬・亀川)をイメージしたオリジナルのカクテルです。別府オリジナルの麦焼酎をベースにした8品のカクテルは、それぞれの温泉エリアの個性をイメージした色合いと美味しさで、別府の温泉情緒を盛り上げてくれます。
この日は浜脇温泉を訪れたので、まず最初の一杯は「Hamawaki」を。アンズの種を原料にしたリキュール、アマレットを麦焼酎と合わせたもの。ちょっとまったりとした味わいが、かつて遊廓もあったという浜脇温泉の雰囲気を思い起こさせてくれます。


次に頂いたのが、この日メインで歩き回った別府温泉をイメージした「Beppu」。大分特産のカボス果汁や抹茶リキュールを合わせた和テイストのカクテルで、こちらもレトロ感あふれる別府の街の雰囲気に合っています。


カクテルを楽しんだあとは、おまかせでお選び頂いたウイスキーの水割りを口にしつつ、ゆっくりと憩いました。
今回は別府に1泊したら、明日には豪雨被害のお見舞いも兼ねて日田に向かうことを話すと、娘さんは、
「それが一番嬉しいことだと思いますよ。2年前の地震のあと、同じように別府に来てくださる人たちがいてくれたことはすごく嬉しく思いましたから」
とおっしゃいました。そう、別府も2年前の熊本地震では大きな揺れに見舞われた上、その後しばらくの間は観光客の減少に苦しみました。それを乗り越え、別府は再び全国屈指の温泉郷として復活したのです。かつて天領だった日田も、きっと豪雨災害から立ち上がることができるに違いありません。
「オードビー」もいつしか、カウンターがお客さんで埋まり賑わいをみせておりました。こちらもどうやら、その多くは地元の常連さんのようでした。その中の中年男女グループから、大きなフラワーバスケットがマスター氏に贈られました。なんとマスター氏、翌日の11日が78歳のお誕生日なのだとか。これは実に、嬉しいタイミングで来ることができました。
みんなでお花を囲んで記念撮影しよう!ということになり、グループの1人である女性の方が、
「宮崎のお兄さんも一緒にどうぞ!」
と声をかけてくださいました。かくて、そのときお店にいた皆さんに混ぜていただいて記念撮影をしたのですが、撮った写真を見ると、なんとわたしが真ん中近くに写っているというありさま。ううむ、これはなんだか申し訳ないですねえ・・・とわたしが言うと、グループの皆さんは「まあ、コレはコレでいいんじゃないですか(笑)」とおっしゃってくださいました。何はともあれ、こうやって居合わせた見知らぬ方々との楽しい交流ができるのも「オードビー」での楽しみです。
こうして「オードビー」でもまた、楽しい時間を過ごすことができました。

わたしが勝手に「心の師」と仰いでいる酒場詩人・吉田類さんがよくお使いになる言葉に「酒縁」というのがあります。文字通り、お酒がとり持つ人と人との縁(えにし)が「酒縁」。わたしも大好きな言葉であります。
この夜の「美乃里」でも「オードビー」でも、わたしはとても素敵な「酒縁」を結ぶことができました。また次回もこの2軒に足を運んで、素敵な「酒縁」との巡り合わせを楽しみにしたいと思っております。

最近は呑んだあとのシメを食べなくなってきたわたしでありますが、旅先では別。「オードビー」を出たあと、アーケード街にあるラーメン店「やなぎ家」さんでラーメンをいただきました。一見こってりしているようで、その実あっさりした旨味のラーメンは、呑んだあとにもうってつけでありました。


楽しく嬉しい夜を満喫し、ホテルに戻って床についたわたしでありましたが・・・未明に猛烈なムカつきで目を覚ましました。そう、二日酔いであります。なんたることか、せっかく「液キャベ」を買っておきながら、それを寝る前に飲んでおくのを忘れていたのであります。でも、自分ではけっして飲み過ぎてはいないつもりだったのですが・・・。楽しい時間を過ごすうち、ついつい杯を重ねていたのでありましょうか。
慌てて「液キャベ」を飲んだものの時すでに遅し。その後は喉から胃腸に至る猛烈なムカつきに七転八倒しつつ、朝を迎えることになってしまったのでありました。おかげで思いっきり寝不足のまま。ううう。
それでもなんとかムカつきも治まり、ホテルをチェックアウトしたわたしは、さっそく日田に向かうべく別府を離れることにいたしました。
今回は短い滞在時間、それも最後にはちょいとしくじりはいたしましたが、それでも別府はまた楽しい思い出を、わたしの中に残してくれました。
ありがとう別府!そして、また来年!


ということで、次回からは日田篇であります。およそ20年ぶりとなる日田の訪問もまた、楽しい思い出を作ることができました。


「別府ステーションホテル」ホームページ→ http://www.station-hotels.com/
「竹瓦温泉」温泉データ→ 別府市ホームページ「竹瓦温泉」https://www.city.beppu.oita.jp/sisetu/shieionsen/detail4.html
バー「オードビー」の紹介記事→ 別府市観光情報サイト 温泉ハイスタンダード!地獄極楽別府「Eau de vie (オードビー)」http://www.gokuraku-jigoku-beppu.com/entries/eau-de-vie


(次回につづく)

別府・日田 いい湯いい酒いい人旅 (第1回) 雨にも寝不足にも負けず、別府の熱〜い共同浴場をめぐり、美味にノドを唸らせる

2018-02-18 16:28:42 | 旅のお噂
暦の上では春にはなったものの、まだまだ全国的に厳しい冷え込みが続いていた2月の10日から12日の3日間、この時期の恒例である「おんせん県」大分県への旅に出かけてまいりました。
今回は、毎年出かけている別府市に加えて、福岡県に境を接する内陸の日田市にも行ってきました。日田市は、昨年(2017年)の九州北部豪雨で大きな被害を受けた場所でもあり(やはり被害の大きかった福岡の朝倉市や東峰村も近くにあります)、現地の状況がずっと気になっておりました。ここは現地に足を運び、とことん観光を楽しんで現地にお金を落とすことで、ささやかであっても応援ができれば・・・という思いもございました。
終わってみれば、今回の旅はいい温泉、いいお酒と食べもの、そしていい人との触れ合いに恵まれた楽しいものとなりました。これから何回かに分けて、その旅でのお噂のご報告、やっていくことにいたします。

2月10日・土曜日。この日の出発は早朝6時少し前という、かなり早いものとなりました。いつもだと、2泊3日間は別府でゆっくりと過ごすところなのですが、今回は別府での滞在時間はかなり限られており、そんな中で少しでも長く別府で過ごせるようにと、一番列車での出発ということに相成ったのであります。
出発が早いこともあり、前日の夜には早く床についたのですが、旅に出かける前のソワソワウキウキ感ゆえかなかなか寝付けなかった上、朝も1時間ほど早く眼が覚めるというありさまで、完全に寝不足状態。それでもそそくさとタクシーを呼び、支度を整えて家を出ました。
出発駅である南宮崎駅までわたしを乗せてくれたタクシーの運転手さんは話好きの方で、わたしが別府へ行くということを申し上げると、前の会社で別府に社員旅行に出かけたときの楽しかった思い出を語ってくださいました。駅で降りるとき、運賃をピッタリちょうどお支払いしようとサイフをあらためると・・・あれれ、10円だけ足りません。じゃあコレで、と2000円を出そうとすると、運転手さんは、
「ああ、いいですが。10円はまけときます」
といって、10円まけてくださったのであります。恐縮するわたしに運転手さんは、
「じゃあ、どうぞ気をつけて行ってきてください!」
と声をかけ、去っていかれたのでありました。いやあ、ありがたい。なんだか、幸先のいい出発の朝であります。
駅のそばにあるコンビニでお弁当と缶ビールを買い込んだわたしは、5時52分発の特急列車「にちりん」に乗り込み、別府目指して出発いたしました。外はまだ真っ暗。乗り込んでいる乗客も、この時間だとさすがに多くはありませんでした。
わたしは買ってきた唐揚げ弁当を開き・・・早朝から恐縮ではございましたが、缶ビールをプシュッと開けて、さっそく出発の乾杯。旅に出るときは、コレがまず楽しみなのであります。


6時を過ぎてからしばらくすると、東の空が少しずつ明るくなってまいりました。ですが、この日は天気がイマイチで、きれいな朝日を拝むことはできませんでした。前日まではけっこういい天気だったのですが、わたしが出発するとなると、いつも天気がイマイチになるのでありまして・・・。
宮崎市から大分への移動は、お隣の県とはいえけっこう長くかかります。読もうと思い持参していた、山下達郎さんの『サンデーソングブック』25周年記念特集の雑誌『BRUTUS』を開いて読み始めたのですが、寝不足に加えてビールの酔いも回ってきてウツラウツラ。結局、雑誌の中身をほとんど読むこともなく、列車は大分駅に到着したのでありました。
ここでいったん列車を降りて、博多行きの特急「ソニック」に乗り換えです。毎度のことではありますが、せっかく別府まであと少しだというのに、いちいち大分駅で博多行きに乗換えなきゃならないというのが、少々不便なのでありまして・・・。それでも無事に乗換えもでき、9時20分前には別府に到着いたしました。
駅前から街を見ると、かすかながら雨がパラついておりました。街歩きには特段、支障はない程度の降りかたではありましたが、このところのわたしの旅と同じく、やはり今回も雨の中でのスタートということに・・・。わたしのアタマの中では、またしてもASKAさんの歌う、
「♪は〜じ〜〜ま〜り〜はい〜つ〜も雨〜〜」
というフレーズがリフレインしてきたのでありました。
でも、せっかく別府に来たのだから、雨なんぞに負けずに楽しまなければ。わたしは、駅前に突拍子もないポージングで立っておられる別府観光の立役者・油屋熊八さんの銅像にご挨拶したあと、その隣にある「手湯」でお清めかたがた、両手を温めたのであります。


ここはさっそく、朝風呂ということにいたしましょう。わたしはまず、別府駅の真正面すぐにある共同浴場「駅前高等温泉」に入りました。大正13(1924)年に建てられた洋館建築が目を惹く、別府のランドマーク的共同浴場です。


建物の向かって右側が「あつ湯」、左側が「ぬる湯」に分かれていて、それぞれがさらに男女別に分かれているという構造。わたしは入浴料200円で券を買い、それを入り口の番台さんにお渡しすると、迷うことなく「あつ湯」のほうに入りました。別府のお湯は熱いのが身上。ここは「あつ湯」で、寝不足気味の馬鹿アタマをシャキッとさせたいところです。
まだ比較的早い時間帯ということもあってか、このときの入浴客はわたし一人。脱衣場のすぐ下にある、別府の共同浴場に多い半地下式の浴室に入り、カラダを洗って浴槽に浸かると・・・くぅ〜〜〜っ、これは熱い。お湯はしっかりとした熱さで、寝不足気味だったわたしのアタマをシャキッとさせてくれました。熱さとともに、「ああ、別府に来たんだなあ」という感慨が、ヨロコビとともにじんわりと湧きあがってくるのを噛みしめたのであります。

「駅前高等温泉」でポカポカに温まったわたしでしたが、午前中のうちにもう1ヶ所、共同浴場に入ることにいたしました。共同浴場めぐりでとことん温まって疲れを癒すというのが、初日のテーマでございましたので。ということでこちらも駅から歩いてすぐのところにある「不老泉」に立ち寄りました。


開業が明治時代初期という、やはり歴史と由緒のある温泉なのですが、建物自体は4年前にリニューアルした、バリアフリー対応の新しいもの。別府の市営共同浴場の中でも、とりわけ広々とした空間が特徴であります。午前中から入浴客が多く、駐車場に入りきれない車が数台、順番待ちしているという盛況ぶりであります。
入浴料100円を払って暖簾をくぐり、脱衣場でスッポンポンになり浴場内に入ると、湯気がもうもうと立ちこめる中にたくさんの入浴客の姿が。広い浴槽は真ん中から「あつ湯」と「ぬる湯」に区切られていて、わたしはここでも「あつ湯」に入ったのですが・・・いやはや、これはもうやる気まんまんな熱さ。浸かると即座に、カラダに喰らいついてくるような熱さであります。わたしはたまらずすぐに「あつ湯」を出ると、お隣の「ぬる湯」に移動いたしました。でも、「ぬる湯」もまた、一般的な基準からすればそこそこ熱いのでありまして・・・。
軟弱者のわたしは主に「ぬる湯」に浸かりながら、ときおり「あつ湯」に浸かってはすぐに出て、また「ぬる湯」に浸かることを繰り返す・・・という、なんとも落ち着きのない入りかたになってしまったのであります。こういう熱〜いお湯に日々浸かっておられる地元別府の皆さん、実にたいしたものです。もしかしたら、これが別府の皆さんの健康、そして「不老」のヒケツ、なのかもしれないなあ・・・とつくづく思うわたしでありました。

午前中から立て続けに熱々の温泉に浸かっているうちに、時刻はそろそろお昼という頃合いになってきました。さあ、ここは昼食かたがた、冷た〜い生ビールをぐいぐいといきたいところであります。わたしは、別府に着いたらお昼はまずここで、と決めている焼肉と冷麺の老舗店「元祖 アリラン」に立ち寄りました。
まずはさっそく生ビールを。熱〜い温泉で温まったところに飲む生ビールのうまさに、思いっきりノドが唸りました。


そして、ビールとともに焼肉を堪能いたしました。とろけるような甘さと柔らかさの黒毛和牛カルビ、コクのある旨さの豚カルビ、そして脂のとろみが絶品の牛ホルモンを口いっぱいに頬張る幸せ。あっという間に1杯目の生ビールを飲み干し、2杯目をおかわりしたのであります。


そして、このお店のもう1つのお楽しみは、締めにいただくさっぱり魚介系スープの「別府冷麺」。今回は通常の冷麺ではなく、8段階の辛さが選べる「ビビン冷麺」にいたしました。以前食べた時には「2辛」を選んだのですが、今回はもう一段辛い「3辛」にしてみました。


「2辛」は食べやすくてちょうどいい辛さでしたが、この「3辛」はちょいと刺激的な辛さ。でもそのぶん食欲も湧き、ヒハヒハ言いつつも箸が進んであっという間に完食。いやー、今回もお腹いっぱい、堪能させていただきました。

お腹いっぱいにはなったものの、やはり甘いモノは別腹。わたしはデザートとして、別府駅前の通りから伸びるアーケード商店街「ソルパセオ銀座」の中にある洋菓子店「パティスリー 夢の樹」の看板商品 “長すぎるエクレア” を買って食べました。


約30センチという長さながら、中に詰まったコーヒークリームは甘さ控えめで、一人でもペロリといけます。これを食べるのもまた、別府でのお楽しみなのであります。

到着した時よりも幾分、雨の勢いが増してはおりましたが、熱い温泉と美味しいもので元気も出てきました。ここはちょっとだけ離れたところにある温泉まで歩いて行くとするか・・・ということで、別府の中心街から1キロ近く離れている浜脇温泉に向かいました。
別府温泉のルーツ的存在でもある浜脇温泉。かつては朝見川に沿って旅館が立ち並び、遊廓もあって大層賑わっていたといいますが、現在は観光地っぽさを感じさせないくらい静かな、住宅街の中の温泉場といった雰囲気の場所であります。
住民の方々がときおり行き交う、高層マンションやスーパーのある小さな商店街のある区域。それに隣接する温泉スパ施設の一角に、共同浴場「浜脇温泉」があります。こちらも入浴料は100円。


建物の前に立っているアーチは、かつてこの場所にあった「浜脇高等温泉」入り口の一部です。昭和3年に建てられた「浜脇高等温泉」は、日本で初めてという鉄筋コンクリート造りの温泉施設で、そのモダンな外観は浜脇温泉のシンボル的な存在だったといいます。
温泉スパ施設の一角にある「浜脇温泉」は建物こそ新しいものの、中に入るとそこは古き良き銭湯そのものといった雰囲気です。広めの浴場におられる入浴客の多くは近所の方々という感じで、それらの人びとが三々五々訪れては、温泉で憩いのひとときを過ごす浴場内には、あくまでもゆったりとした時間が流れておりました。
とはいえ、やはりここもお湯は熱め。ずーっと浸かりっぱなしというわけにもいかず、ときどき上がってはカラダを少し冷まして、また浸かるということを繰り返すわたしではありました。しかし、このゆったりとした時間の中に身を置くことがしみじみと嬉しく、しばらくその居心地を味わっていたのでありました・・・。
地元の人たちの暮らしに密着した、ゆったりとして懐かしい雰囲気の「浜脇温泉」。近所にこういう場所があったら、ほんと毎日でも通いたいなあ。

かつては遊廓もあった浜脇界隈。その賑わいはすっかり、昔日のものとなってしまいましたが、細く入り組んだ街路や、それっぽい雰囲気を残している町家もちらほらとあって、当時の賑わいを偲ぶことができます。


浜脇温泉から歩いて、また別府の中心街へと戻ってまいりました。浜脇界隈の遊廓は昔日のものとなってしまいましたが、別府の飲食店街の場末あたりに集中して立ち並ぶ風俗店は、この日も明るいうちからせっせと営業していて、前を通りがかるオトコ衆への呼び込みにも余念がないようでございました。わたしも何回かお声がかかりましたが・・・それを華麗に(笑)やり過ごしつつ、再びアーケード街「ソルパセオ銀座」に至り、ジェラート店「ジェノバ」に立ち寄り、バナナのジェラートをいただきました。


なめらかな口当たりの中に、バナナとミルクの旨味がいっぱいに広がってまことに美味。上にちょこんと乗っけてくれる、別フレーバーの “おまけ” も嬉しいところでした(このときはチョコナッツのジェラート)。
冷たくて美味しいジェラートは、三たび温泉で温まったわたしのカラダにしっかり、沁みわたってきたのでございました。

次回は、別府を代表する共同浴場「竹瓦温泉」で出会うことができた、わたしの中では “伝説” となっていた「あの方」のことや、夜の呑み歩きについて、たっぷりご報告することにいたします。


「駅前高等温泉」の紹介→ 別府市観光情報サイト 温泉ハイスタンダード!極楽地獄別府「駅前高等温泉」http://www.gokuraku-jigoku-beppu.com/entries/ekimae-kotoonsen
「不老泉」温泉データ→ 別府市ホームページ「不老泉」https://www.city.beppu.oita.jp/sisetu/shieionsen/detail5.html
「浜脇温泉」温泉データ→ 別府市ホームページ「浜脇温泉」https://www.city.beppu.oita.jp/sisetu/shieionsen/detail1.html
焼肉・冷麺「元祖 アリラン」ホームページ→ http://www.b-ariran.com/
「パティスリー 夢の樹」ホームページ→ http://www.yumenoki.net/
「ジェノバ」の紹介→ 旅手帖beppu「ジェノバ」https://beppu.asia/spot/2440


(次回につづく)


【閑古堂アーカイブス】温泉観光都市の発展史を辿ることで、別府散策がさらに味わい深くなる『絵はがきの別府』

2018-02-09 22:31:16 | 旅のお噂

『絵はがきの別府 古城俊秀コレクションより』
松田法子著、古城俊秀監修、左右社、2012年


いきなりなのですが、今週末の10日・・・って・・・おっと、もう明日ぢゃないか(笑)・・・から2泊3日の日程で、大分県の別府市から日田市を巡る一人旅に出かけます。毎年出かけるたび、どこかホッとするような安心感がある別府も楽しみなのですが、かなり久しぶりとなる日田への訪問も大いに楽しみです。
その旅からのご報告は、当ブログでうるさいくらいに(笑)やることとして、別府に行く前に必ず読み返すようにしているのが、この『絵はがきの別府』という本であります。
著者の松田法子さんは、兵庫県有馬温泉を取り上げた先週末(3日)のNHK『ブラタモリ』に案内役として登場されたほか、同番組で熱海や別府を取り上げたときにもやはり案内役を務めておられた、温泉観光都市の歴史についてのエキスパートです。まことに凛とした美貌の持ち主で、番組に登場するたびに「宝塚の役者さんのよう」とネットで話題になったりしておりました。・・・実はわたしも密かにファンなのですが(笑)。

本書『絵はがきの別府』は、地元大分の郵便局に長くお勤めになっていた、古城俊秀さんの6万枚にのぼるという大分の絵はがきコレクションから、明治大正、昭和戦前期にかけての別府の風物を図案にした写真絵はがき600枚を厳選して紹介しながら、別府の観光都市としての発展史を辿っていくという一冊です。かつての別府の光景を題材にした数々の絵はがきからは、小さな温泉場集落から、近代的な観光都市として発展していった別府の歴史が生き生きと立ち上がってきます。
別府観光の大きな呼び物の1つだったのが、砂浜沿いに広範囲で行われていた天然砂湯。絵はがきにも、浴衣姿で砂湯に憩う人びとと、スコップで砂をかける「砂かけ」さんたちを写した構図のものがたくさんあります。中には、巡業に来たとおぼしき力士たちや、外国人浴客が砂にくるまっている光景を写した珍しいものも。

別府絵はがきに多く見られる図柄が、別府の各エリアに集中している温泉旅館や共同浴場の光景です。
当時の旅館の多くが3〜4階立ての木造で、そのたたずまいは風情と郷愁を感じさせるものがあります。今では、別府を代表する巨大リゾートホテル「杉乃井ホテル」が聳え立つ観海寺温泉も、かつては階段状の細い石畳の道に面して旅館や土産物屋が連なる風情ある光景の場所だったことが、当時の絵はがきからよく伝わってきます。
・・・でも、旅館を写した絵はがきに、建物の内外にいる浴衣姿の宿泊客が、一斉にカメラを向いた格好で写っている図柄のものが多くあったりして、それが妙に印象に残ったりいたします。当時の旅館絵はがきの流行りだったのかねえ、そういう構図。
「地獄めぐり」の中心エリアであり、湯治場風情の残る町並みで人気の鉄輪温泉に、大正中期から昭和初期にあったという「温浴室」の絵はがきはなかなか珍しいものがあります。一見普通の旅館の客室なのですが、室内が体温と同じくらいに調整された発汗を促し、ゆっくり時間をかけて身体を温めるという部屋。というとサウナのようなものを想像しがちなのですが、中にいる人びとは寝転んだり新聞を読んだりしていて、ずいぶん居心地良さそうだったりいたします。
そして、今も別府の街のそこここにある共同の温泉浴場。これらの共同浴場には、二階に公民館が設置されていたりもしていて、それらが観光資源であるとともに地域社会に生きる人びとの結びつきを深める場として作用していることを、本書は指摘しています。

戦前の別府には複数の遊園地も作られていました。その中で今も残っているのが、アヒルの競争などのあるレトロチックな遊園地として知られる「ケーブルラクテンチ」。かつては金銀を産出していた鉱山だったのですが、掘り進めるうちに温泉が湧いてくるようになり、既存の温泉源に影響を与える懸念から閉山となり、そのあとに遊園地として開発されたのが始まりでした(このことは別府を取り上げた『ブラタモリ』でも言及されてました)。
また、今は存在しない「鶴見園」という遊園地には「九州の宝塚」と称された少女歌劇もあったそうで、作家の大佛次郎らをして「ここの歌劇が、やがて宝塚の名を凌ぐやうになるのも、あまり遠くはないだらう」と言わしめたほど名高かったのだとか。かつての絵はがきにも、その華やかさの一端が残されています。
ほかにも、昭和戦前期に開催された2つの大きな博覧会を伝える絵はがきや、陸海軍の療養所の様子を写した珍しい図案の絵はがきなどもあり、近代日本を代表する温泉都市として意識的に開発され、発展してきた別府のさまざまな側面が、本書を通して見えてきます。

そんな別府の発展を促進させたのが、さまざまな交通インフラの整備でした。その先鞭をつけたのは、別府と大阪を結ぶ定期航路の就航。定期航路で活躍していた船や、その入出港で賑わう港の風景を写した絵はがきは、当時の活況を伝えてくれます。また、別府と大分を結ぶ電気鉄道の敷設・開業も、福岡から南下してきていた蒸気機関車が開通するより早かったとか。さらに特筆すべきは、民間航空路の開拓期に、別府と大阪・福岡を結ぶ飛行艇の定期航路があったということです。
今も別府観光の目玉である「地獄めぐり」も、自動車の参入により一気に輸送力がアップ。それを促進したのが、現在も別府を拠点にバス、ホテル事業を展開している亀の井グループでした。その創始者であり、別府観光の立役者でもあった油屋熊八のことにも、本書はコラムの形で触れております。別府駅前に突拍子もないポージングの銅像で立っておられるこの人物、なかなかユニークなお方だったようで、ぜひとも詳しい伝記が読みたいところであります。

別府黄金時代の活気を今に伝える貴重な絵はがきとともに、別府の歴史をしっかりと深掘りしている本書は、別府の街歩きをより味わいのあるものにしてくれることでありましょう。別府好きはぜひとも座右にどうぞ。・・・あ、もちろん松田先生のファンも(笑)。