読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【わしだって絵本を読む】小さいけどしたたかでしぶとい、街のネズミたちに励まされる『月刊たくさんのふしぎ』7月号「街のネズミ」

2020-06-07 20:15:00 | 雑誌のお噂


『月刊たくさんのふしぎ』2020年7月号「街のネズミ」
原啓義 文・写真、福音館書店、2020年


福音館書店が出している絵本雑誌のひとつである『月刊たくさんのふしぎ』。その最新号として刊行された「街のネズミ」は、人間たちが活動する都会の片隅をすみかとしているネズミたち(おもにドブネズミ)の生態を活写した写真絵本です。
著者である原啓義さんは、巻末の紹介文によれば「会社員の傍ら、動物好きが高じて写真家として活動」しているという方だそうで、これまでに2回、街ネズミの写真展も開催しておられるとのこと。警戒心の強さから、めったに人間の前には姿を現さない「われわれのそばにいながら、どこか遠い存在」であるネズミたちの姿を、実にいきいきと捉えている本書の写真には、もう唸らされっぱなしでありました。

どちらかといえば夜行性というイメージのあった街ネズミたちですが、外が明るい時間帯にもさまざまな場所で活動しているようで、本書の写真の多くも日中に撮影されています。
エサを求めてゴミ箱のへりにぶら下がっていたり、すみかに運ぶつもりなのか大きめのサンマの頭を咥えていたり、2匹が後ろ足で立ち上がって小競り合いを演じていたり・・・。街のネズミたちはこれほどまで、いきいきと明るい日中にも活動しているのか、と驚かされました。

衛生上の理由に加え、電気のケーブルをかじったりすることで、「害獣」として自分たちを駆除の対象とするわれわれ人間に対して、ネズミたちは最大限に警戒をします。人間のことをいつも観察し、視線が自分たちの方に向いているときには動き出さず、別の方に注意が向いたことを確認してサッと移動するのだとか。
ネズミたちが警戒すべき相手はほかにもいます。エサ場をめぐって争うハトや、ネズミを襲って捕食するカラス、そしてネコ。本書には、エサを漁っているときにカラスにしっぽを突かれて、びっくりしてピョーンと飛び跳ねているネズミの写真もあって、よくぞこんな瞬間を捉えたものだと感心させられます。そして、2匹のネコに挟まれて窮地に陥っていたり、道路の真ん中でカラスの餌食となっている、哀れなネズミの姿も写し出されています。
とはいえ、ネズミもやられてばかりいるわけではありません。まだ狩りが上手ではない若いネコやハトに対して、強気な態度で威嚇しているネズミの姿も捉えられていて、ちょっと痛快な気分にさせてくれます。

「害獣」あつかいされて嫌われものとなっている街のネズミたちですが、狭い隙間から頭だけをちょこんと出して外を窺う姿や、両手で花を抱えながら食べている姿などは実に愛嬌があります。そういう姿を見ていると、「ああコイツらはコイツらなりに一生懸命、ガンバって生きているんだなあ・・・」といじましくなってきます。
思えば、街の中でさまざまな困難や難題に直面しながら日々を生きなければならないという点においては、街のネズミたちもわれわれ人間も同じではないでしょうか。そう思うと、「小さくてもしたたかで、しぶとい」街のネズミたちの姿に、なんだか励まされるような気がしてまいります。
そばにいながら遠い存在である隣人、街のネズミたちに対する見方が変わる写真絵本であります。


物事を正しく見極める統計的な考え方を、文系人間にもわかりやすく解きほぐした『Newtonライト 統計のきほん』

2017-09-13 12:45:50 | 雑誌のお噂

Newton増刊『Newtonライト データがわかる 数字に強くなる 統計のきほん』
ニュートンプレス、2017年


毎号美しい写真とイラスト、そしてわかりやすい語り口で、驚きに満ちた科学の面白さを伝えている老舗の科学雑誌『Newton』が、この夏から増刊号として『Newtonライト』という新しいシリーズをスタートさせました。
『Newtonライト』は、これまでの『Newton』本誌および別冊に掲載された記事を再編集し、読みやすくカジュアルな形にまとめたワンテーマ・マガジンです。大きさは『Newton』本誌よりちょっと小さめで、ページ数も60ページほどなので、ちょっとした時間を使ってサクッと読むことができます。定価も680円(プラス税)とお手頃価格なのも嬉しいところです。


その『Newtonライト』の第1弾として刊行されたのが、今回取り上げる『データがわかる 数字に強くなる 統計のきほん』であります。
さまざまな現象からデータを集め、その意味するところを一目でわかるように示すとともに、そこから未知の結果を予測していく・・・。そんな「複雑な自然界や社会にあらわれる出来事を正しく読み解き、さまざまな問題を解決する道具」(前説より)である統計と、その考え方の基本を、『Newton』ならではの豊富なイラストとともに解説しております。
「正規分布」や「標準偏差」「相関」といった、統計における基本的な概念でありながら、その理解となるとイマイチ「?」であった事柄や、偏差値や生命保険の算出法、世論調査や選挙の当確報道といった、身近ではあるけれども、その仕組みとなると「??」であった事象について、数字や数式に弱い文系人間のアタマにもすんなり入るように解きほぐしてくれています。・・・中学・高校時代にさんざん数学のテストで赤点を取ってきたわたしが申し上げるのだから間違いございません(笑)。

取り上げられたトピックの中には、統計学と意外な人物とが結びついた面白いエピソードも。データが左右対称の山のような形となる「正規分布」の節では、フランスの数学者ポアンカレが、1年間毎日買ったパンの重さを表したグラフが正規分布からずれていたことで、パンの重さをごまかしていたパン屋のうそを見抜いたのだとか。宇宙の形の証明という壮大な難問を提示した数学者の天才っぷりは、パンの重さの違いという身近で極小な事象においても発揮されていたようですな。
生命保険の算出に用いられる、年齢ごとの死亡率の一覧表である「生命表」を発表したのが、ハレー彗星にその名を残すイギリスの天文学者、エドモンド・ハレーであったということも、この『統計のきほん』で初めて知りました。

物事を正しく把握するために役立つ統計データも、読み方を誤ればかえって、間違った認識と判断につながってしまうことがあります。『統計のきほん』は、統計を読み解く上で陥りやすい「落とし穴」についてもしっかり触れております。
統計でよく使われる「平均値」という概念。その字面から、「平均値=多数派」だと勘違いしやすいのですが、平均値には極端なデータ(外れ値)の影響を受けやすいという欠点があることが、日本の勤労者世帯における貯蓄額のグラフを例にとって明快に説明されます。
また、Aの要素とBの要素に相関関係があることで、二つの要素に因果関係があるように見えてしまう「疑似相関」についても、例を挙げてしっかりと説明しています(たとえば「理系か文系かということと、指の長さの間には相関関係がある」といったような)。二つの要素以外の、因果関係に影響を及ぼす第3の要素(潜在変数)の可能性を、常に念頭におく必要がある、と。
二つの要素が相関関係にあることだけをもって、二つには因果関係があるのだ!と決めつけてしまうような物事の見方をしばしば目にしますが、それがいかに危ういことなのかがよくわかり、とても勉強になりました。

新しく始まったシリーズ『Newtonライト』に冠せられているキャッチコピーは「理系脳を鍛える!」。そう、数字や数式に弱いバリバリの文系人間であっても、適度な頭の体操をしつつ理系的な知識と考え方を身につけておくことは、世に溢れる怪しげな言説に振り回されないためにも大事なことだと思います。なにより、科学によって広がる驚きに満ちた世界を知ることって、とても楽しいことでもあるのですから。
統計についてもしかり。バイアスのかかった印象操作による誤った認識で判断を下していては、肝心の問題解決にも悪影響を与えてしまいかねませんし、数字に苦手意識があって近寄り難かった統計学の世界も、意外と面白く奥深いものであることがよくわかりました。
統計の基本的な考え方とその奥深さを、文系人間にもわかりやすく伝えてくれる『Newtonライト』第1弾『統計のきほん』、大いにオススメであります。
実はこの『統計のきほん』、買い込んではいたもののずっと積ん読のままであった統計についての本2冊を読むための「予習」のために読んだ次第でした。その2冊もなかなか興味深そうなので、おいおい読んでご紹介したいと思っております。

シリーズ『Newtonライト』は、第2弾となる『大宇宙への旅』がすでに発売中。第3弾の『超ひも理論』も、来週9月19日に刊行予定とのこと。今後も期待したいと思います。

【雑誌閲読】『月刊たくさんのふしぎ』2016年3月号「家をせおって歩く」

2016-03-06 16:41:38 | 雑誌のお噂

『月刊たくさんのふしぎ』2016年3月号「家をせおって歩く」
村上慧著、福音館書店、2016年


いや~~、これはマジでやられたわ。面白すぎる!

『こどものとも』シリーズをはじめとした、福音館書店から出ている月刊絵本雑誌の数々。その中の一つが、『たくさんのふしぎ』です。
先月(3月)に発売されていた、その『たくさんのふしぎ』3月号がやたら面白い!と熱っぽく教えてくれたのは、わが勤務先である書店の同僚でした。なんでも、作者であるアーティスト、村上慧さんを取り上げたラジオ番組もあったんだとか。それを聞いたわたしは、ふーん、と軽い気持ちでパラ読みしてみました。
村上さんが、発泡スチロールなどで自作した一人用の「家」をかついで、東京から東北各県を回り、日本海側から関西を経由してフェリーで九州に渡り、大分県やわが宮崎県にまで至る・・・という、2014年4月から1年間にわたった旅のことを、写真とイラストで綴っていくという内容でした。むむむ、確かにコレはかなり面白そうじゃないか!ということで即買いし、帰宅して晩酌かたがた読みました。じっくり読んでみると、パラ読みしたときに感じた以上の圧倒的に面白い内容で、すっかり引き込まれました。
小さな「家」を背負って各地を回るという行動自体も実に面白いのですが、何より面白かったのは、「家」の構造から持ち物、「家」を据える場所を確保する過程、食事、睡眠などなど、「家」とともに歩く旅(村上さんいわく「移住」)のディテールが事細かに伝えられているところでした。

発泡スチロールをベースに、骨組みとなる角材などで組み立てられた「家」には、郵便受けつきのドアや窓があり、屋根には瓦が乗っかっていたりしていて、小さいながらもなかなか本格的なつくりです。中で寝ることができるよう、マットと寝袋も据え付けられています。
とはいえ、好き勝手な場所に「家」を置いて寝るわけにはいきません。お寺や神社、お店などを訪ねては、土地の一部を借りて「家」を置いていいかどうか交渉します。もちろん断られることもありますが、どの町にも協力してくれる人がいて、中には「我が家へ立ち寄りませんか?」とメールで連絡してくれた人もいたのだとか。
場所を確保することができたら、トイレを借りることができる場所やお風呂(銭湯)の場所を描き込んだ「間取り図」をつくります。その場所がある町全体を大きな「家」と考える、というわけなのです。
本書には、1年間に「家」を置くことができた場所180カ所の写真が(写真を撮り忘れた1カ所を除き)ズラリと掲載されております。民家の庭やカーポート、集合住宅の階段の下、お寺の本堂の一角などなど。そうかと思えば橋の下や、周りに何もない空き地のような場所にぽつんと置かれていたり・・・といろんな場所があって、1カ所1カ所の写真を実に面白く見ることができました。

食事は基本的に、コンビニで調達したカップラーメンや飲料ですが、道ばたで農家の人から野菜や果物をもらったり、土地を貸してくれた人が食事に呼んでくれたりすることもあったそうで、その一部も写真で紹介されています。
そこにはのっけから、わたしの地元である宮崎県宮崎市の家庭での食事も出ていて、食卓の上には宮崎発祥のチキン南蛮と、南九州で食べられている「ガネ」とよばれるサツマイモとニンジンのかき揚げが。いかにも宮崎って感じの取り合わせで嬉しいですな。また、大阪の家庭でご馳走になったという、たこ焼き器で作るアヒージョも面白かったなあ。
ほかにも、接近してきた台風から「家」を守ったという話や、神戸から大分へ渡るフェリーでは「家」は手荷物扱いとなり追加料金は要らない、と言われたという話・・・など、綴られている内容にいちいち「ほほ~~」と感心したり、はたまた大笑いさせられたりして、読んでいてまことに楽しかったですね。

各地を移動し、「家」を置くための土地を借りる交渉を重ねる過程で、村上さんは地域の中に入り込んで、普段は知り合えない人たちと出会うことになります。
大阪で出会ったのは、村上さんの活動に刺激を受けて、自分が背負えるような「家」をこしらえたという小学2年生の男の子。まだその中で寝たことがない、という男の子に、村上さんは一晩その中で寝てみることを勧めます。
東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県大船渡市越喜来(おきらい)では、派手な外観の建物に出くわします。津波で流されてしまった家の柱や梁、窓、小学校の非常階段などで組み立てられ、滑り台やブランコを備えたこの建物。それは津波で遊ぶ場を失ってしまった子どもたちのために、地元で建設業を営む男性が自力で作り上げたものでした・・・。
そんな、旅先で出会った人々とのエピソードも、また実に印象的であります。

勤務先が福音館書店の特約店ということもあり、これまで商品としては馴染み深いものではあった月刊絵本雑誌。ですが、中身をちゃんとチェックしていたわけでもなかったので、この『たくさんのふしぎ』もまったくノーマークでした。
それだけに、こんな面白い題材を取り上げていたこともまったく知りませんでした。いやほんと、やられましたわ。これは子ども以上に、オトナが面白く楽しめる内容だと思いました。
これからしっかりチェックしとかなきゃいかんなあ、『たくさんのふしぎ』。ちなみに、発売されたばかりの4月号の題材は「昆虫の体重測定」。これもなんか面白そうだなあ。

【雑誌閲読】『SINRA』11月号 特集「森のいのち クマとシカが教える森の未来」

2014-11-22 15:09:24 | 雑誌のお噂

『SINRA』11月号(第2号)
編集・発行=天夢人、発売=新潮社


自然にまつわる森羅万象を、読みごたえのある記事とグラフィックな誌面構成で伝えてきた新潮社発行の月刊誌『SINRA』。1994年に創刊したこの雑誌、わたくしも愛読しておりましたが、6年後の2000年に惜しくも休刊してしまいました。
それから14年の時を経た今年の7月、玉村豊男さんを編集長に迎え、隔月刊誌として『SINRA』が帰ってきました。編集プロダクションの「天夢人」が編集と発行を手がけ、新潮社は発売のみという形態での復刊ですが、表紙に掲げられたロゴは紛れもなく以前と同じもので、かつて愛読していた身としても嬉しいところであります。

「田園生活」をテーマとした特集の復刊第1号に続く第2号の特集は「森のいのち」。クマとシカという2つの生きものを通して、森と人との関わりを見直してみようというものです。
まずスポットが当てられるのはクマ。玉村豊男さんの「怖いクマ、かわいいクマ」は、フランスの象徴博物史学者であるミシェル・パストゥローの著書『熊の歴史』(筑摩書房)を援用しつつ、かつては「百獣の王」と称され崇められていたクマが、鈍重で「かわいい」存在へと転落するまでの歴史を辿ります。それによれば、ヨーロッパにおいては自然崇拝の象徴であったクマは、多神教的アニミズムを認めないキリスト教勢力によって行われた大規模な虐殺により頭数を減らされたといいます。その上、サーカスなどで見世物にされたクマは「飼いならされた低い位置の動物」へと貶められていったのだとか。
ここで援用された『熊の歴史』という本、なかなか興味深い内容のようで読んでみたくなりましたが•••値段が5076円。うう、これはすぐに買って読むというわけにはいかんのう。

続く「“里グマ”の言い分」という記事は、昨今頻繁に見られるようになった、クマが食べものを求めて人里へと下りてくる事態の背景に迫ります。
人間の手による開発に伴う自然破壊で森が損なわれ、食べものを得られなくなったことで、クマは人里に出てくるようになった•••といった図式が頭に浮かびがちですが、日本の森は破壊され縮小しているどころか、ろくに手入れも利用もされずに「孤立し見放され、〝無干渉〟という状態」の中で、むしろ成長し拡大しているのだとか。加えて、自然界と人間との緩衝地帯であった里山に人が住まなくなったことで、クマが行動範囲を広めたのではないか、とも。
自然を台無しにする側のみならず、「自然や動物を守ろう」と唱える側も、実のところは図式的な理解だけで自然を見ていて、本当の自然というものをわかっていないのかもしれない。思い込みを排して自然に向き合うことが、クマをはじめとする動物たちと共存するしていくための第一歩なのかもしれない•••。この記事を読みながら、そんなことを思いました。

自然や動物たち同様に、いやそれ以上に、ある種の図式的な思い込みで見られているのが、ハンター=猟師たちではないでしょうか。特集では、そんなハンターたちにもスポットを当てています。
日本における農林業被害の、もっとも大きな原因となっているのがシカによる食害。過剰な保護政策により、かえって増え過ぎてしまったシカを適正な状態に保ち、森の生態系を守っていくために必要なのが、ハンターたちによる秩序ある狩猟なのです。それは決して、命を蔑ろにする行為ではありません。
特集には3人のハンターが登場して、それぞれの自然観や、命をいただく意味について語っています。とりわけ印象に残ったのが、ワナ猟師の千松信也さんのお話でした。
猟を始めて14年目になっても「動物を殺すという行為に慣れるということはない」という千松さん。猟は自然や山間部の人々の暮らしを守る上でも必要なものであることが認知されつつある、としながらも、「大義を掲げた狩猟にはもはや興味はない」と言います。

「森を守るためではなく、自分が食うために狩猟をする。家族や友人たちとしっかり食べられる量の肉が手に入ったらもうそれで十分である。自分の猟場で獲物を獲りすぎたら、次の年から苦労するのは自分だ。逆に獲物が増えすぎても良くない。森の食物が不足し、獲物自体が痩せてしまえば、おいしい肉が手に入らなくなる。」

余計なリクツを排した、このシンプルさこそ、あるべき自然との向き合いかたなのかもしれませんね。いやあ、実にカッコいいなあと思いましたよ。
自然界最強のハンターといえば、オオカミ。すでに日本では絶滅してしまった野生のオオカミを海外から導入し、森の生態系を回復、維持していこうという考え方も紹介されています。海外にいるオオカミたちも、かつて日本にいたオオカミとは生物的な違いはないようなのですが、環境省は「人間が一人でも襲われる可能性がある以上、オオカミの再導入など論外」という姿勢なんだとか。
日本オオカミ協会の会長である丸山直樹さんは、そんな環境省の姿勢について「オオカミの復活による鹿害解消の可能性について調査も研究も行わず、リスクを恐れてもっぱら無視を決め込んでいます。こうした非科学的な態度は、日本の生態系を滅ぼし、国民を不幸にするものです」と強く批判しています。海外からのオオカミ導入についてはまだ、その是非を判断できる材料に乏しいわたくしではありますが、さまざまな局面で見られる思い込みによる非科学的な態度(官に限らず、民の側にも存在する)への批判的問いかけは、傾聴に値するものがあるように思われました。

狩猟によって得られた獲物は、しっかり味わって食するのが礼儀でしょう。そんなわけで、狩猟による鳥獣肉=ジビエの楽しみ方もたっぷり取り上げています。ジビエの旬は秋から冬にかけての時期。そう、今がまさに食べごろの季節なのですねえ。
農林業被害を抑え、里山の環境保全に資するのみならず、地域活性化のカギともなりうるジビエ。現在27の自治体が、ジビエに対する安全基準を設け、その普及に向けて動いているのだとか。
シカの肉は低カロリーなのに高タンパクで鉄分も多めで、イノシシ肉も見かけのわりにはカロリーは牛や豚より控えめ。そんな優れた食材でもあるジビエを美味しく味わうレシピも紹介されています(鹿肉を使ったコロッケはなかなか旨そう)。また、ジビエが味わえる全国のレストランも紹介されていて、フレンチのみならず和風や中華風など、多様な形のジビエ料理が提供されているのを知ることができます。•••そういえばわが宮崎市にも、県の山間部にある西米良村で獲れたシカやイノシシが食べられるお店ができていたなあ。機会をつくって食べに行ってみたいですねえ。
ちなみに、独特の獣臭さから敬遠されることも多いジビエですが、内臓の処理が適切になされれば臭いも出ないとのことで、臭いのあるジビエは「B級以下」なのだとか。どうやらジビエについても、あらぬ思い込みから誤解していたところがあったようですね。

この「森のいのち」という特集記事、森とそこに生きる動物たち、狩猟という営み、そしてジビエに対して持っていた図式的な思い込みを改めさせてくれるいい企画だと感じました。これはぜひとも、多くの方に読んでいただきたい特集であります。
•••とはいえ、もう次号の発売が間近に迫っているわけで(発売は奇数月の24日)、いささか遅すぎるご紹介となってしまいました(大汗)。書店で買い逃した皆さま、どうかバックナンバー注文で入手していただければ幸いです。

特集以外の記事では、古代から続く狩猟文化と自然への畏敬を持つ「マタギ」の里である北秋田市の阿仁(あに)地区の探訪記事が興味深かったですね。阿仁地区を通る秋田内陸線の紹介もあって、彼の地への旅情も誘ってくれます。また、マレーシア、タイ、ベトナムの熱帯に生息する蝶たちを撮影した、昆虫写真家の海野和男さんの写真で構成されたグラビアは、大いに目を楽しませてくれました。

再スタートを切った『SINRA』。今後も、自然にまつわる森羅万象を取り上げながら、われわれの価値観を刷新してくれるような、見ごたえ読みごたえある誌面づくりを期待したいところであります。

【雑誌閲読】『本の雑誌』6月号 特集「事件ノンフィクションはすごい!」

2014-05-20 22:20:50 | 雑誌のお噂

『本の雑誌』2014年6月号
本の雑誌社、2014年


『本の雑誌』最新の6月号の特集は「事件ノンフィクションはすごい!」。社会に衝撃を与えたさまざまな事件の真相に、綿密な取材で迫った事件ノンフィクションの数々を紹介するとともに、書き手による取材ウラ話などの記事を盛り込んだ企画であります。

まず面白く読んだのが、オススメ本紹介サイト「HONZ」のレヴュアーとしてもお馴染みの書評家・東えりかさんと、大阪大学教授・仲野徹さんによるブックガイド対談。
連合赤軍事件やオウム真理教事件をテーマにしたものから、少年犯罪もの、冤罪事件ものなどなど、取り上げられているテーマや題材は多岐にわたっています。事件ノンフィクションの裾野の広さを実感するとともに、お二方の事件ノンフィクションについての該博な知識に圧倒されました。プロの書評家である東さんはまだしも、仲野さんがかくも事件ものに強かったとは。
お二方のお話は本の紹介にとどまらず、マスコミ報道のあり方や事件ものに強い版元の話題などにも及びます。中でも印象に残ったのが、マスコミによるセンセーショナルな報道により、固定化されたイメージが世論にも影響していく、ということを語ったくだりでした。仲野さんはこう言います。

「視聴者も悪いんでしょうけどね。最初は熱心に見てるけど飽きてしまうでしょう。飽きた時点以降の報道はあんまり聞いてないから、はじめのイメージだけが残ってしまう。だから事件ノンフィクションで知識を正していかないと」

ああそうか、事件ノンフィクションを読むということの意義は、そういうところにもあるんだなあ、ということを認識した次第でありました。

HONZといえば、硬軟幅広い本を取り上げるレヴューで人気のある栗下直也さんも、今回の特集に参加しております。
栗下さんの記事は、昭和13年の「津山事件」から、男性3人が殺された「練炭殺人事件」まで、昭和から平成にかけての事件史を、26冊の事件ノンフィクションを紹介しながら辿った5ページの力作です。HONZでも事件ものを得意なジャンルの一つにしておられる栗下さんの語り口もまた巧みで、読んでいて一冊一冊の本に興味が湧いてきました。
東さんと仲野さんの対談、そして栗下さんの記事に共通して挙げられている一冊が、事件ノンフィクションの名著として名高い本田靖春さんの『誘拐』(ちくま文庫)です。

1963年の「吉展ちゃん誘拐殺人事件」をテーマにしたこの『誘拐』、わたくしは結構前に購入してはいるのですが、いまだに読んでおりませんでした。これは、やはりきちんと読んでおかねばならんなあ。

そのほかに興味深かったのが、「尼崎連続変死事件」を取材した『家族喰い』(太田出版)を書いた小野一光さんの記事でした。事件取材を専門としているフリーのライターが、新聞やテレビといった大メディアの周回遅れから取材を始めながら、いかにして大メディアが取りこぼしたような真相を発掘していくのか、その方法論には面白いものがありました。
また、アメリカの事件ノンフィクションを紹介した柳下毅一郎さんの記事では、アメリカのローカル雑誌の優秀さや、主要な都市ごとに編集された事件ノンフィクションのアンソロジーの存在に興味が湧きました。

事件ノンフィクションというと、なにやら殺伐とした印象を持たれる向きもあるかもしれません。確かに読むのが辛くなるようなものも少なくありませんし、単なる興味本位だけで書かれたようなシロモノもあるでしょう。
ですが、しっかりした取材をもとに書かれた良質な事件ノンフィクションは、事件についての新たな視点を得ることができますし、社会や人間のあり方について考えさせてくれたりもします。
わたくしもこの特集で、ちょっと事件ノンフィクションを見直してみたくなってきました。