毎日サイコロを振り、岩波文庫の「易経」を開いて
翌日の易を立てていますが、少しずつ解説部分も
読んでいます。 易は不思議な言葉遣いが多く、
ちょっと読んだくらいでは分からないからです。
たとえば悔(くい)と吝(りん)。 「悔い亡ぶ」とか「吝
なり」と言われても、どういうことなのか分かりません。
易経の解説・研究書である「繋辞伝」には、
悔いとは凶に居ながら後悔憂慮して吉に赴くこと
吝とは吉に居ながら逸楽猶予して凶に陥ること
とあります。
その状態から、自らの努力や行動によって反対の
状態に移る、もしくは移りかねない状態なんですね。
安っぽい運命論で、運命は決まっているもんだなど
と言う人もいますが、易では「あなた任せ」の運命論
は支持しません。
自分が置かれている状態をしっかりと把握し、それ
からどう生きるべきか、眼前の問題をどう処理すべ
きなのか、真剣に考え抜き判断していくべきだ、と
いうのが「易の指針」なのです。
翌日の易を立てていますが、少しずつ解説部分も
読んでいます。 易は不思議な言葉遣いが多く、
ちょっと読んだくらいでは分からないからです。
たとえば悔(くい)と吝(りん)。 「悔い亡ぶ」とか「吝
なり」と言われても、どういうことなのか分かりません。
易経の解説・研究書である「繋辞伝」には、
悔いとは凶に居ながら後悔憂慮して吉に赴くこと
吝とは吉に居ながら逸楽猶予して凶に陥ること
とあります。
その状態から、自らの努力や行動によって反対の
状態に移る、もしくは移りかねない状態なんですね。
安っぽい運命論で、運命は決まっているもんだなど
と言う人もいますが、易では「あなた任せ」の運命論
は支持しません。
自分が置かれている状態をしっかりと把握し、それ
からどう生きるべきか、眼前の問題をどう処理すべ
きなのか、真剣に考え抜き判断していくべきだ、と
いうのが「易の指針」なのです。