大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

読んだ本-ー「ニッポンの裁判」(瀬木比呂志;講談社現代新書)

2015-03-15 16:18:51 | 本と雑誌
昨年の「絶望の裁判所」の姉妹書です。「絶望の裁判所」が制度批判のものであったのに対して、本書はその制度のもとで行われている裁判を批判するもの、ということです。
民事、刑事、行政のさまざまな裁判について、そのおかしい所、そのようなものになってしまう理由が示されています。

「コモンセンス、良識を欠いた非常識な判決」の「象徴的なケース」として、「認知症の老人がわずかな隙をついて、外に出、電車にはねられた事件で、JRの家族に対する損害請求を認めた名古屋地裁(2013.8.9上田晢裁判長)、名古屋高裁(2014.4.24長門栄吉裁判長)の判決」が挙げられています。
この判決については、私も新聞で読んで、ひどい判決だと思い、「法律判断としてはそういう風にならざるを得ないのか?」という疑問を持ったので、必ずしもそういうことではない、ということがわかって、少しはほっとしました(反面やりきれなさも残りますが・・)。

こういうことが起きてしまうのは「2000年代以降急速に裁判官の質が劣化したこと」によるのだとされ、さらにそれは「偏差値の高い変わり者」が閉鎖的な社会の中で最高裁判所事務総局のつくりあげたヒエラルキーのもとで「上に従う」よう仕込まれ続けたことに「根拠」があるものとされています。

このことを含めてさらにとても興味深く思ったのは、「裁判官の判断」に関する次の指摘です。

「裁判官の判断は、判決に記されているように、個々の証拠を検討して、あるいはいくつかの証拠を総合評価して断片的な事実を固めた上でそれらの事実を総合して再構成して、事実認定を行い、それを法律に当てはめて結論を出しているのだろうか?それとも、そのような積み上げ方式によってではなく、ある種の総合的直感に基づいて結論を出しているのだろうか?」
「裁判官は、主張と証拠を総合して得た直感によって結論を決めているのであり、判決に表現されている前記のような思考経過は、後付けの検証、説明にすぎない。」「要するに、人間の思考は、まず結論があって後からその検証、理屈付けが行われるのであり、裁判の場合もその例外ではない。」

とのことです。

この本の中で、ある若手弁護士が「裁判官って、主張や証拠を入れてあげれば当然正しい判決を出してくれる機械みたいに考えていた」と言っていた、ということが紹介されていますが、私もそのように思っていたところがあります。そういうものではない、ということをきちんと認識したうえで、「よりよい裁判」が実現されるよう、裁判の内外で追求していくことが求められている、と思いました。


4年

2015-03-11 05:22:14 | 日記
東日本大震災から4年が経ちました。

昨日の安倍首相の会見を聞いていると、この4年間に復興に向けたさまざまな取組みがなされ、それ相応の「成果」を挙げてきていることが強調されており、一つの真実なのだろうと思います。その反面、原発被害など許しがたいほどに遅れていることも多くあります。

その中で、4年前に感じたこと、考えたことをもう一度思い返してみる必要があるように思います。

4年前、東日本大震災の大きな被害を見て聞いて、私は「人生観が変わった」と思いました。では、その「変わった」はずの「人生観」にもとづくこの4年間の「人生」はどうだったのか?今はどうなのか?今後の「人生」はどうしていくつもりなのか?

個人的なことだけでなく、社会そのものとしても「変わった」し「変わらなければならない」と考えたのだと思います。「このままではいけない」ということは、自分の利益に汲々とするのではなく、違う方向を目指すものであったように思います。

4年前を振り返って考える、ということは、この4年間を考える、ということであり、今をはさんで続いていく未来を考えることでもあります。今日、「3月11日」をそういう日にしたいと思います。

今週の予定

2015-03-09 16:53:33 | 日記
3.10 筆界特定制度に関する打ち合わせ

3.11-12 韓国から地籍制度に関する官民の関係者が調査・研究のため来日されますので、接遇を含めた日調連としての対応にあたります。

3.14 地籍問題研究会の総会、研究会です。中央工学校で地籍調査関係の報告を中心に開催されます。

60歳!

2015-03-07 06:53:51 | 日記
3月4日は、私の誕生日で、60歳!になりました。若い頃60歳まで生きているなどとは思わなかったことを考えると感慨深いものもあります。
「60歳」と言うと、一般的に「還暦」と言われますし、昔は、♪♪村の渡しの船頭さんは今年60のお爺さん。歳は取ってもお船をこぐときは元気いっぱい櫓がしなる。それギッチラギッチラ♪♪と歌われていた齢です。一昔前なら「定年」で悠々自適の生活に入っていてもいい年齢です。
最近は「年齢」を感じることも多くなりました。60歳の誕生日を含む数日は風邪で絶不調でした。しばらく風邪などひいたことがなかったのに、今年はすでに3回目です。ものすごくいっぱい寝てるのに朝起きて疲れが残っていると思う日が多くなりました。根を詰めた仕事、というものができなくなってきたように思えます。せめて「櫓を握ったらギッチラ」できるようにしたいとは思うのですが・・・。
そのようなわけで(というのは、風邪をひいたので、ということです)、明日出走エントリーしていた「岡の里竹田名水マラソン」への出走も断念しました。60歳になるとエントリーのカテゴリーが変わるので「60代初のマラソン」と思って楽しみにしていたのですが、他の用事もあるし、完走できるほどの練習ができているわけでもないし、走れる条件が何もないままの出走断念です。3年前には「目標は60歳でのサブ4」と思っていたのが遠い昔の夢のように思えてしまいますが、目標を「70歳での完走」にして、じっくり60代を走って(歩くようにですが)行きたいと思います。

今週の予定

2015-03-01 14:04:36 | 日記
今週の予定
3.4-5(水・木) 日調連では制度改革関係の検討を行ってきており、その中の一つの重要な課題として「境界立会の代理」という問題に関する整理を行っています。これまでこの課題に取り組んできた関係者で課題を絞った検討会議を開きます。
地方での人口減、大都市への一極集中という社会構造の変化のなかで、昔のような土地と人間との濃密な関係性がなくなり、土地管理を十分になしえない現実が広く存在するようになっている現在、土地家屋調査士という専門家が介在することによって境界問題を円満に解決していける、という社会的現実を形成していくことが私たちの課題として浮かび上がってきています。
それは「筆界」を基礎にして私法上の関係についても合理的に解決していく、ということであり、その中における土地家屋調査士の役割が重要になっている、ということなのだと思います。「境界立会(その代理)」という問題は、この中で出てくる問題です。
これまでも現実の問題として、「境界立会」は、土地家屋調査士の業務にとって、中心的な業務内容としてありました。それにより現実的に問題の解決が図られてきた、というのがこれまでのあり方だったと言えるのだと思います。しかし、逆に言うと「現実的解決が図られてきた」ということによって、逆にその本質的な意義についての掘り下げた検討と共有化が十分とは言い難かったのが、これまでの実情ではなかったのか、という気もします。
これまでの現実的な意義をきちんと振り返りながら、今後求められていくであろう課題への回答を準備していくものとして、会議での整理を行っていきたいと思っています。

3.5-6(木・金)  日調連ブロック協議会会長会同。全国8つのブロック協議会の会長が一堂に集まり、各調査士会―ブロック協議会―日調連を貫いての組織的方向性を協議する会議です。全国のそれぞれの会の活動が一体になっていくような方向を探っていきたいと思います。