Samuel Wells Williams(1812-1884)アメリカン・ボード宣教師。
1833年中国広東に渡り、出版事業のかたわら中国研究。
後に日本人漂流民から日本語を学び、創世記、マタイ伝他の和訳
をなした。1837年(天保8)の夏、モリソン号に乗り、ギュツラフ、
パーカー、キング夫妻と共に日本人漂流民7名(力松、音吉その他)
をともなって江戸湾にきた。この両名は日本人最初のプロテスタント
になったとウィリアムズは述べている。
またウェルズはペリー艦隊が1853 年日本に来航したとき、
通訳をつとめた。
ウェルズは1854年随行日記(「清末・幕末に於けるS・ウェルズ・ウィ
リアムズ生涯と書簡」フレデリック・ウェルズ・ウィリアムズ著宮沢眞一訳
(高城書房2008)261ページ)に以下のように記している。
「下検分の目的でモーリー氏が、上陸しようとすると、一群の島民たちが、
海岸近くで待ち構えていた。彼らは武器を手にして、彼らの上陸を阻止しよ
うとした。火縄銃を持っている者がいたり、先頭の指揮者らしい男は、一本刀
を差している。他の連中の手にしているものは、石、棒、槍の類である。すぐに
サム・パッチ(仙太郎)は、僕たちの目的の性格を告げて、彼らの誤解を解いた。
まもなくして、僕たちの大半が、上陸をすませると、島民たちは、水際まで食料品
を運んできた。・・」
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