静岡時代のクラーク
クラークの代表的著書
①"Life and Adventure in Japan"1878,ニューヨーク、American Tract Society出版
http://www.archive.org/details/lifeandadventur00clargoog
「日本滞在記」E・W・クラーク著飯田宏訳(講談社)
第3章「寺院生活」(39ページ)「わたしが忘れずに語らなければならないもう一人の家族は召使であった。まったく珍しい経験の男だった。 『サム・パッチ』(三八)という名で、私の料理人をしていた。年齢はわたしの二倍くらいで、いつも剽軽な態度と、珍しい話で皆を面白がらせた。・・・・・・」
(46ページ)「一日の任務が終わると、馬と別当が玄関にやってきて、わたしはティーに帰った。寺ではいつも、サム・パッチが焼きたてのライスケーキに蜜をつけたのや、うまい物を沢山用意して待ていた。」
第12章「日本よさようなら」(221ページ)
「かくて哀れなサムの地上の生涯は終わった。その妻は墓前で焚く香を買う金をわたしに求めた。わたしは、サムの死体の上に十字架を立てさせ、その上にサム・パッチとだけ記させた。」
訳者飯田氏は解説の中で以下のように述べている。
「彼が日本人に対して深い愛情を抱いていたことは、その著書中各所に認めることができるが、殊に勝安房に対する敬愛の念、通訳下条およびコック三八(仙太郎)に対する言動に表れている。」
②Katz Awa "The Bismark of Japan "or the story of a Noble Life.1908、ニューヨーク、B.F.Buck & Company 出版
http://www.archive.org/details/katyawabismarck00clargoog
「勝安房ー日本のビスマルク、ある高貴な生涯の物語」村瀬寿代訳(未出版)
(「本道楽」大正16年1月号以下に高橋邦太郎訳で連載されたこともある)
本著第4章「勝安房の家庭生活とキリスト教入信」には勝海舟が主イエスを受け入れて永遠のいのちを得た時の感動的な様子が記されている。村瀬氏による訳を引用させていただく。
「親しい友人のジョージ・C・ニーダム師(1)が、数年前、福音伝道旅行で日本を旅した とき、勝安房のところに行き会ってきて欲しいと手紙を書いておいた。静けさの中に あるその質素な家を、勝を殺すためにせよ、救おうとするにせよ、かつては多くの著 名な人物達が訪れたものであった。私はニーダム氏に紹介状を送った。彼は日本人の 牧師を通訳として伴い、すぐに勝に会いに行った。
勝安房は紹介状を読み、信仰深い訪問者達を丁重に迎え入れた。一時間かそれ以上 も、ニーダム氏が語る福音の真理に耳を傾けた。対談は、フィリポと宦官の会話のよ うに(2)、(後出の手紙に見られるように)短くはあったが、たいへん印象的なもので あった。ニーダム氏は終わりに、少し躊躇しながら、勝安房に跪いて祈りたいかどう かを尋ねた。勝は即座に同意し、祈りのことばは日本人の牧師により一行ずつ訳され た。彼らが立ち上がると、勝は涙に濡れた目をして立っていた。ニーダム師の手を握 り締め、人生で一番すばらしい恩恵のときだと、低い、静かな声で感謝を表した。日 本人はめったに感情を見せない。ここにいるこの人物は、刺客ともなりうる者達に、 臆せず立ち向かってきた。それが、キリスト教の説教一つで討
ち負かされたのだ。ひとたび真理を知ること、それは神の力がなす業であり、救いへ と導かれる。
(1)George Carter Needham
(2)使徒言行録8章26~40」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます