goo blog サービス終了のお知らせ 

韜晦小僧のブログ 無線報国

真空管式ラジオ、軍用無線機やアマチュア無線機の修復の記録
手製本と製本教室の活動の記録
田舎暮らしの日常生活の記録

海軍戦闘機用無線電話機の問題点の本質について

2022年04月17日 19時15分45秒 | 02海軍無線機器

海軍戦闘機用無線電話機の問題点の本質について

海軍局地戦闘機2022年4月21日発行 野原茂氏の文庫本の新刊が書店にあったので、なんとなく購入してしまった。
第一章三菱局地戦闘機「雷電」の章の諸装置の項には、無線電話機装備とあるのでこの項の全文をまず問題提起として掲載する。
雷電の無線機ユニットは、零銭と同じくJ2M2の初期までが96式空1号、それ以降は3式空1号を搭載した。空1号という共通名称は、小型単座用を示している。
96式では送受話器がそれぞれ別個に設置されており、送話口は酸素マスクに組み入れてあった。3式になって、送受話器は小型のボックス1個にまとめられ、送話口が咽喉マイクロホンに更新された。
3式の各ユニット配置を示したのがP125図。送受話器は、操縦室内航法の台上に備え付けられ、管制器は同室内右側にあり、搭乗員は右手でこれを操作した。
装置はともかくして、日本の航空無線機、とくに小型単座機用のそれは、感度がきわめて悪いのが定評(?)で、96式空1号は実際にはほとんど役に立たず、無用の長物だった。
零銭も、ソロモン戦域の基地航空隊所属の多くが、無線機を取外してしまったくらいだから、その役立たずぶりは察せられる。
この感度不良の原因は、真空管の不良とアースの不完全さに起因していたのだが、3式空1号になって、真空管の出来は改良されたものの、アースの不完全さは直らなかった。
302空隊員の回想では、昭和20年2月以降、日本本土に来襲するようになった米海軍艦上記が撃墜され、その期待を詳しく見分した結果、アースの適切な処置がわかり、ただちにその通りに改修してようやく用をなすようになったと記している。
ということは、太平洋戦争の大詰めに至るまで、日本海軍戦闘機の無線機はほとんど用をなさなかったことになり、まことに情けない話ではある。

 
また、野原茂氏は丸 ソロモン航空戦 2020年9月号に日本陸海軍「航空機用無線機」発達史を寄稿されています。
大変詳細な資料を基に旧軍の航空機無線機を解説されており、この中にも最後の総括の項で同様に無線電話の問題点を指摘されており、もし関心があれば一度本誌をお読みいただければ幸いです。
ただし、とても残念なことですが、無線電話機の問題を「アースの不良」のせいにされていることに関して、これを機会に本来の問題点の本質を究明することにした。

文中での問題点を項目だてして下記のように整理した。
①日本の航空無線機、とくに小型単座機用のそれは、感度がきわめて悪いのが定評(?)で、96式空1号は実際にはほとんど役に立たず、無用の長物だった。
②零戦も、ソロモン戦域の基地航空隊所属の多くが、無線機を取外してしまった
③この感度不良の原因は、真空管の不良とアースの不完全さに起因していたのだ。
➃96式空1号無線電話機関連で本指摘以外に考えられること
⑤3式空1号になって、真空管の出来は改良されたものの、アースの不完全さは直らなかった。

問題の本質を考えるために、零戦などの海軍戦闘機に搭載された96式空1号無線電話機について検討する。
96式空1号無線電話機の概要は下記のurlに掲載している。
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2019/07/20/083614
なお、重量は18Kgで、通達能力は対地上約50浬(92km)とのことである。
昭和15年度当時とすれば、96式空1号無線電話機は、他国に比較しても遜色がない航空機用電話無線機といえる。
日米開戦初頭の比島攻略による米軍無線機の鹵獲による陸軍技術研究所の分析情報であるが、米軍無線機にはリモートコントロール機能(管制器)が既に用意されているのが分かる。反面、米軍は自励発振式だが、日本のものは完全水晶発振式のため運用では日本の方が優れているなどの差異がある。
S.C.R.430型無線機 航空機用
元来航空機用の機械であるが、地上に於て使用していたものである。
電信・電話共可能で、性能、構造等参考になるところがある。
周波数範囲 200Kc から 7700Kc
使用真空管 (送信)VT-25 2個
          VT-52 2個
      (受信)VT-49 4個
          VT-37 1個
          VT-38 1個
送信出力  約10W  
電源    直流24V


 本機は沖電気株式会社(昭和15年10月)製作のもので、左側が受信機、右側が送信機

 1941年12月7日の真珠湾攻撃で、オアフ島フォート・カメハメハに墜落した「零戦」のコックピット内部。右舷に設置された96式空1号がある。無線機(左が受信機、右が送信機)

受信機の特徴
戦闘機用のパイロットが運用することを考慮して、受信操作は最低限機能に限定している。
上段、左から音量(減と増の切替SW方式)、受信モード(電話と電信の切替SW方式)、受信用の水晶発振子収納ボックス、空中線端子(2個)
中段、左から音調調整器(電信受信時、受信音のピッチを変更して自分の聞きやすい音に調整する)、同調蓄電器(同可変蓄電器を変化して該当する受信周波数に合わせる。セット後は固定する)
下段、左から電源SW(断と接)
受信部は高周波増幅部と混合部との同調回路が連動した可変蓄電器(2連)のみで、スーパーヘテロダイン用の局部発振部は非同調の水晶発振となっている。
このため、水晶発振子の発信周波数-中間周波数(450Khz)が受信周波数となるので、2連の可変蓄電器を調整して、目的の受信周波数レベルを最大化する調整が必要となる。
通常運用での受信操作は、受信周波数は事前の調整で固定にしているので必要はなく、電話運用の受信操作は、受信音の受信レベルの減と増の切替SW方式を操作するのみである。
ただし、操作の簡便化をやりすぎたため、機体操作するパイロットに、無通信時でも常に一定のレベルの雑音を聞くことになり大変苦痛であったとの記録が戦記に残っている。
やはり、操作は多少煩雑でも、通常の音声調整ボリュールで音声レベルの可変になるような改善をするべきであったように思われる。
このことが、戦闘機パイロットの無線電話機の使用を嫌がる主原因ではないだろうか。
受信機の正面

送信機の特徴
戦闘機用のパイロットが運用することを考慮して、送信操作は最低限機能に限定している。
上段、左から受話空中線(受信機の空中線用の接続端子)、空中線電流計(max0.8A)
中段、左から同調(送信周波数に送信用同調回路を調整、その後固定)
下段、左から送受話機転換器(送信か受信かのモードの切替)、電信電話切替器(電波形式を電信、電話に切替)
なお、送信機の運用は、下段の送受話機転換器と電信電話切替器(通常は電話運用のため使用しないはず)を操作するだけである。
このため、送信モードで送信し、受信モードに戻さないとすべての編隊機は同じ周波数で運用しているため、利用できないことになる。
この誤操作を危惧した記録が戦記にあるが、このような通信運用はひとえに訓練で取得できる範囲のことであり、他国の戦闘機の電話運用でも同様なことである。

送信機の正面

各問題点への検討について
①日本の航空無線機、とくに小型単座機用のそれは、感度がきわめて悪いのが定評(?)で、96式空1号は実際にはほとんど役に立たず、無用の長物だった。
原因分析
96式空1号無線電話機の受信機については、設計通りの製造ができていれば、受信性能に問題はなく、感度不足などという評価はありえない。
ただし、送信機については、送信菅UY-503を使用しているのにもかかわらず、少しパワー不足であるため、編隊内通信では遠距離通信では少し困難な場合も想定される。
96式空1号無線電話機の設置個所は、コックピットの右側面の狭隘箇所のため、上部は壁面に沿って湾曲し、奥行も15cm程度しかない筐体により製造する制限がある。
また、送受信の切換スイッチは、送信機の正面左下にある。
昭和15年ということもあり、パイロットは遠隔装置により送受信の切換を可能として、無線電話機本体はパイロット背後に設置することができなかったために、このような制限された筐体による設計になったことが大きな原因である。
パイロットは無線機運用上で最低限の調整で運用されるように配慮されており、一見すると、このままでの通信運用には問題がないように思われる。
しかしながら、無線機の調整や保守運用が戦闘機航空隊の整備担当には通信機の専門整備が可能だったのか、それとも航空隊の電信員が対応したのかよくわからない。
ただし、パイロットも当然モールス通信などの通信訓練を受講しているので電信員並みの無線技術があってもおかしくないのだが実態どうだったのだろうか。
民間メーカーの工場出荷の段階では無線機の運用周波数は決定できていないので、戦闘機部隊の運用先で周波数の決定と必要な水晶発振子は、海軍からの配給となるはずだ。
このため、水晶発振子を装着した時点で受信機と送信機で使用周波数に合致させて同調回路の調整が必須となる。
艦船や多座の航空機ではあれば、通信士がその役割を果たすはずであり、当然通信学校での厳しい技術・運用教育課程を通過しているはずである。
果たして、戦闘機航空隊の整備兵・電信員やパイロットへ無線通信の教育は実施されていたのだろうか。
内地ならともかく、外地での戦闘機の無線通信機器の保守運用はどのような実態だったのだろうか。
航空機自体のメインテナンスの保守要員は、育成していて十分な配置がなされていても、無線機となると通信士がいないとメインテナンスできないのではないだろう。
96式空1号無線電話機でも周波数変更による無線機の調整となると最低でも簡単な信号発生器やテスターなどの測定機が必要となるが配備されていたのだろうか。
96式以降の1式空3号隊内無線電話機や3式空1号無線電話機など水晶発振子を使用する無線機には、受信周波数を較正する専用の較正器が付属しているが、96式空1号無線電話機ではそのような付属機器が提供されていない可能性が高い。
このため、新品の動作良好な無線機が、単に調整されていないためだけで雑音しか受信できないポンコツ無線機と誤解される結果を生じることになる。
このように本機のように水晶制御の受信機は事前に要調整する必要があるが、水晶制御方式を採用していない一般的な受信機(96式空2号無線電信機など)では調整しなくても受信できるので、このへんの理屈が判らないパイロットが96式空1号無線電話機は受信できない欠陥品と思い込んだふしがあるようだ。
また、無線機を運用すれば、真空管もエミ減したり、ヒーターの断線のために交換する必要があるがこのようなメインテナンス体制が整備されていたのだろうか。
このような体制がとれていないと、単に無線機が動作しない事態になれば、戦闘機のパイロットからみると使い物にならない、いらない、撤去せよとの行動につながることになる。
較正器の事例

②零戦も、ソロモン戦域の基地航空隊所属の多くが、無線機を取外してしまった
これについては、海軍通信作戦史の第4節ソロモン方面作戦の通信の指摘が真実ではないだろうか。
ガダルカナル島方面での抜粋
(ト)戦闘機の無線通信は当方面の作戦には殆ど使用されなかった。
敵の空襲激烈化するに及び戦闘機の地上指揮を強調されたが電話機に対する不安と戦闘機の性能伯仲し性能の極小なる優勢も空戦に影響する処大なるを飛行隊指揮官主張し相当の論議を致されたが整備力小なる為実際に使用の状況に立至らざる処あり、取止めとなり、戦闘指導上大なる不便を敢えて忍ばざるを得なかった。
当方面に作戦する戦闘機は基地の関係上進出距離500浬と言う如き不利なる戦闘をなしたのであらゆる犠牲を忍び航続距離の延伸を重視したが為又止むを得ざる状況と言わざるを得ぬ。
原因分析
戦闘機は基地の関係上進出距離500浬(南太平洋でラバウルとガダルカナル島の距離は片道約1040km)とれば、本機の諸元のとおり通信距離約50浬のため、戦闘機と地上指揮間の無線通信連絡は不可能である。
無線機は20kg程度のものであるが、戦域で滞空時間を許す限り残すためには搭載重量の軽減のための無線機の取外しと機体の空気抵抗を減らすため空中線支持棒などの切断は必要事項だったのだろう。
勿論、パイロットの無線電話機への不信も多少影響したのは事実であろう。


③この感度不良の原因は、真空管の不良とアースの不完全さに起因していたのだ。
原因分析
アースの問題のあるのであれば、他の航空機搭載用無線機である96式空2から空4号無線機の動作に問題がないことと矛盾する。
艤装の問題でいえば、機体各部のボンディングの例が多く挙げられているが、ボンディング対策は機体の電蝕対策であり、本来は受信機の雑音対策には該当しないのではないか。(ただし、この方面の専門家ではないので的外れの回答かもしれませんが・・)
したがって、艤装に関するアースの不完全による感度不良についての影響度は低いように思われる。
ただし、発動機点火燈のシールディング対策がなければ、雑音発生の原因で受信機に重大な影響がでることは事実である。
また、艤装の問題が発生するのは、戦闘機を中心に大量生産が行われるとともに徴兵のために工場の熟練作業員までもが大量動員の対象になった昭和18年末期からのことではないだろうか。
なお、戦後になってから、第二復員局残務処理部史実班から「海軍通信作戦史」昭和24年3月 発行の航空機無線兵器諸問題の項を下記のurlに掲載しているので参考にしてほしい。
航空機無線兵器諸問題
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/04/12/092031

 


➃96式空1号無線電話機関連での本指摘以外に考えられること
96式空1号無線電話機の設置個所は、コックピットの右側面の狭隘箇所のため、上部は壁面に沿って湾曲し、奥行も15cm程度しかない筐体による製造の制限がある。
原因分析
受信機については、いわゆる標準的な高1中1の5球のスーパーヘテロダイン方式であり、奥行も狭いながらも、非常にコンパクな筐体に全ての部品がきれいに配置されている。
さすがに沖電気さんのみごとな仕事の無線機です。
問題は送信機にあるようです。
原因は筐体の制約のため、10Wクラスの小型送信菅UY-503が2本だけで構成されている。
昭和時代のアマチュア無線技師であれば、10Wクラスの無線電話機を2本のST管の真空管で製作せよといっても、まず無理ですとの回答をするしかありません。

それを昭和15年当時、沖電気さんはこの要求仕様を満たす送信機を無理やり製作したということである。
しかも、変調には陽極変調を採用した本格的な音声用(AM)送信機なのである。
しかし、これはやはり相当な無理な設計といわざるを得ないだろう。
たとえば、発振と電力増幅をUY-503の1球にすれば、発振入力不足による電力増幅不良や全体の発振の安定性不良、変調部も陽極変調であるが、入力はカーボンマイクの高出力といっても、安定的な入力レベルには程遠い。
しかも、カーボン・マイクではエンジン音などの騒音の軽減対策が難しく、本来の咽喉マイクなどの採用のためには最低でも低周波増幅用の真空管が1本追加する必要となる。
これらを総合的な判断すると、送信機の出力、安定度、雑音対策などで運用上大きな問題が発生してもおかしくないといえよう。


⑤3式空1号になって、真空管の出来は改良されたものの、アースの不完全さは直らなかった。
なお、海軍通信作戦史の航空機無線兵器諸問題の項にも同様な記述があるので引用する。
p118 (ホ)兵器関係の諸問題
1.戦闘機電話の能力向上
3式空1号が出て能力も向上し取扱も容易となったが、此の整備に力を注がず放置し、特に電磁遮蔽に意を用いない為に通達不良の部隊が大部分で、無線に就ては他機種よりも一段遅れた状態で終始した。
3式空1号無線電話機の概要は下記のurlに掲載している。
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2019/07/20/084146

原因分析
電磁遮蔽が発動機点火燈のシールディング対策のことを意味するのであれば、無線機自体ではなく、航空機の艤装の問題となる。
3式空1号無線電話機については、日本無線が製造する真空管FM-2A05Aの歩留まりが改善しないため、大戦末期にはソラに変更されるに至ったように生産での不手際があった。
3式空1号無線電話機では、管制器が導入されたため、無線機本体はパイロット席の後部の空きスペースに配置されている。

 
管制器

 
管制器はコックピットの右側に配置して、送受信の切換や音量調整が可能となり、微弱な信号で音声通信が困難な場合には、管制器の下部に附属している電鍵によりモールス通信も可能である。
技術的には、大変優れた設計思想であるが、大戦末期の生産であることから部品の不良品、製造の不良などで、特に使用する受信管「FM2A05A」の製造に問題が多かった。
更に、海軍通信作戦史で指摘しているように、3式空1号が出て能力も向上し取扱も容易となったが、此の整備に力を注がず放置したのが最大の原因のようだ。
他の機種では、海軍の戦闘機以外の2座や3座などの航空機やそれ以上の大型の航空機用の無線機であることから、電信員が必ず乗務しており、問題があれば自己解決できたということだろう。
やはり、戦闘機航空隊の運営組織自体でメインテナンスをやらせるのは無理があったということだろう。


<追記>R04.04.21
何故、96式空1号無線電話機は評判が悪かったのか、現代の視点で考えるやはり理解できない。
零戦・隼なんでも来い100問100答(出所資料不明)
質問22
零戦の通信機は、96式空1号無線電話機1組を搭載していたが、能力は非常に低く、空中で単機相互の交信は、ほとんど不可能であった。基地からの指令は、高度3,000メートルで約320kmの地点まで受信可能であった。
戦後の零戦の資料では、一般的な上記の内容が流布されており、誰もが納得しているようだ。
これでは、96式空1号無線電話機は、能力が非常に低くにもかかわらず、約320kmの地点まで受信可能だが、近距離の友軍機との交信はできない不思議な無線機ということなのだろうか。
勿論、近距離の通信は電話(A3)であり、遠距離受信は電信(A1)であるのだろう。
したがって、96式空1号無線電話機の電話送信機に問題があるかもしれないが、仕様から出力7W程度ではあるが陽極変調したA3電波で近接の友軍機との相互通信ができないことは理解できない。
それでも通信できないのであれば、カーボンマイクに発動機からの騒音などの混入などが考えられるが、それでは他国である米・英・独の戦闘機用電話無線機で利用できることからこの問題も除去できる。
ただし、後継機の3式空1号無線電話機では、カーボン・マイクから咽喉式マイクに換装しているが、よほど声高い人の声でないと聞き取れにくく、実戦ではあまり使用されなかったとの記録がある。

ここからは、現代的視点を排除し、戦時の時点から再度96式空1号無線電話機の通用を考察するこことした。
海軍通信作戦史から戦闘機関連の通信関係文書を抽出する。
ハワイ作戦の通信(p53)
戦闘機の通話は電話通信を原則とするが、制空隊として攻撃隊と共同する為約200浬進出作戦する為電話の通信は通達不能であるので止むを得ず電信によることとし訓練を重ね略語通信の様式を確立した。一様に全機の電信による交信を訓練練成したため電信機の取扱兵器の整備等の関係上全機電信を採用し上空直衛指揮も電信に依ることとした。

決号作戦(本土における防衛作戦の呼称)の準備(p89)
無線電話通信を全面的に採用之が利用に努む。

本土防空作戦の通信(P113)
防空戦闘機の地上指揮通信系
少数なる防空戦闘機の機動戦に応ずる為、情報放送通信系を新設、各地域毎に情報中枢より防空戦闘に無必要なる情報を放送し、該地域に行動する戦闘機は之を傍受行動す。

飛行機隊の通信(P114)
搭乗電信員の技量は其消耗累加するに従い逐次低下するに至り。結局航空通信組織は技量に応じ簡略化して行った。特に航空通信能力を著しく低下させた他の原因には発動機関係よりの雑音であり、之が消去対策は研究し力策確立し居りたるに拘わらず、航空機の大量生産が行わるるに至って全然顧みられざるに至り、技量低下と相俟て急激に通信能力を低下せしめた。

兵器関係の諸問題(p118)
戦闘機電話の能力向上
戦闘機用電話は空戦並びに邀撃戦を行う上に是非共必要なものであるにも拘わらず、余り良く通達しないとの理由で使用しない部隊が次第に増加し、元来戦闘機搭乗員は無線に対する観念に乏しく、兵器の不完全と云う点も影響したが、之をこなして活用しようと云う熱心な士官は微々たる状況で、之が戦闘機通信の不良の無最大原因であった。
3式空1号が出て能力も向上し取扱も用意となったが、此の整備に力を注がず放置し、特に電磁遮断に意を用いない為に通達不良の部隊が大部分で、無線に就いては他機種よりも一段遅れた状態で終始した。

航空機用隊内電話の電波を統一す(p130)
船団上空直衛機と護衛艦艇の緊密なる協力実施上、護衛総航空隊の隊内電話の電波を護衛艦艇の隊内電波と同一なる41,350kcに統一す

上記の海軍通信作戦史は戦後に元軍令部の通信担当による作文であるので、全て信憑性があるわけではない。
たとえば、兵器関係の諸問題(p118)では、96式空1号無線電話機の電話運用の困難性をもっともらしく語っているが、本来96式空1号無線電話機は自機と航空母艦や地上基地との遠距離通信連絡を意図したもので、文中の「空戦並びに邀撃戦を行う上に是非共必要なもの」は運用対象外であったはずである。
この目的のための無線機は、1式空3号隊内無線電話機と98式空4号隊内無線電話機の2機種しかない。
友軍機同士の相互通信は、隊内無線電話機の呼称で、しかも、使用周波数はVHF(超短波帯)を使用することにより、通信範囲を近距離通信に限定している。
これは、作戦運用中の無線封止のための重要な対策であるが、この隊内無線電話機は戦闘機などの単座には設置されていない。
以上のことから、これらの文面は、戦後の米軍の戦闘機の無線運用を知ってからの作文と思える。

次に、零線の真実(坂井三郎)の戦記から96式空1号無線電話機の運用実態をみると
零線の真実 坂井三郎 1992年4月20日 発行
空中電話
日本海軍戦闘機隊でもっともお粗末と思われる機器は、戦闘機用無線電話機であった。
その主たる原因であるが、これは一に電波の検波・増幅を行う真空管の劣悪さにあったのである。雑音の発生と音質の悪さは何とも最低であった。
レシーバー装着時の違和感、操縦しながらの送受信の切り替え操作の煩雑等々、無線電話は戦闘機パイロットが操縦に専念する心を乱す原因とも考えられる長く続いた。
空戦中の無線電話
空中電話を活用すれば、果たして空戦がうまくいったか?
空中戦の渦の中、自分の身を守ることも精一杯の状態の中でしは三機か四機の同じ小隊(編隊)内でさえむずかしいのに、他の編隊の一機に注意を与えるようなゆとりがあったら、それは名人中の名人だろう。
太平洋戦争中、よく大きな空中戦になると、その空戦の渦の輪から離れて、高度1000メートルぐらいの上空に一機、時には二機の敵機がいることに私は気がついた。はじめの頃、私は卑怯者で「修羅場から逃げている奴」と思っていたので、空戦が終わるとその上空に逃れている敵機の死角、後下方から近づいて一撃で撃墜したことが何度もあった。中島飛行隊長が名づけた「坂井の落穂拾い戦法」がこれである。不意を突かれやられた相手こそ災難であったが、この種の飛行機は戦後知ったことだが敵の空戦指導員、監視通報員であったらしく、空戦圏外の上空から、味方機に対して警告を発していたようだ。
編隊飛行を行っている状態では、原則として、全機が「受」にスイッチを入れて傍受の態勢になり、情報待ちとなって飛び続け、迎撃戦であれば、味方基地指揮所より敵情通知を待ち、敵発見と同時に指揮官がはじめて攻撃の方法を送信機によって全編隊に指示を下すが、その指示が終われば指揮官といえども他機と同じく「受」の情報待ちとならなければならないのである。この場合、もし、編隊の中の不注意な一機が、何かの間違いで「送」にいれたままの状態で飛行しているのを他機が注意をしようとしても、二人以上が同時に「送」に入れることになり、その注意も届かないことになるというもどかしさがあって、なかなか単座戦闘機の無線電話使用はむずかしいものであった。

この事実から日本海軍の戦闘機パイロットの戦法は昔ながらの一騎打ちのみで、このためには個人の空戦技量のみが尊重されたようだ。
米軍のように編隊による集団戦法でその中核が指導機による無線電話指令による攻撃方法であったことを、著者は戦後知ったとのことである。
ようは日本海軍には、このような集団戦法が無かったということであり、空中戦には、無線電話機を使用すること自体存在しなかったということだろう。

今思えば、イフはタブーなれど、96式空1号無線電話機を名称だけ96式空1号隊内無線電話機と呼称し、集団戦法には友軍機同士の無線電話で大変有効であり、非力な送信機は電波封止対策に逆に有効となっただろう。

 

参考文献
本邦軍用無線技術の概観 大西 成美
海軍通信作戦史 昭和24年3月 第二復員局残務処理部史実班(一等警備正 石黒進)
日本帝国陸海軍無線開発史 航空機無線兵器諸問題(資料)
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/04/12/092031
横浜旧軍無線通信資料館 HP、掲示板、FB
Type 96-1 Modification-1 Radio Transmitter http://www.kaijuzoo.com/radio/
米国の国立原子力博物館 
零線の真実 坂井三郎 1992年4月20日 発行
中国新聞の記事
比島方面に於て鹵獲せる米軍無線機に就いて
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/02/17/205739


特設監視艇の無線兵装について(令和3年11月02日)

2021年11月02日 14時26分12秒 | 02海軍無線機器

特設監視艇の無線兵装について(令和3年11月02日)

ネット検索していると、九六式空二号無線電信機新設工事開始や九六式空三号無線電信機新設工事(09.07まで)の項目でヒットする特異なHPがありました。
このHPは「大日本帝國海軍 特設艦船」のことで、戦時徴傭船の特設艦船に関する膨大なデータベースを構築されております。
この徴傭船の中で「九六式空二号無線電信機」や「九六式空三号無線電信機」の搭載されたものは特設監視艇のみです。
「九六式空二号無線電信機」や「九六式空三号無線電信機」などの無線機は、本来は海軍の多座用航空機に搭載されるもので、何故このような徴傭船の特設監視艇に搭載されたかということについての歴史の一幕を紐解くことにしました。

まずは、HPの大日本帝國海軍 特設艦船の中から、特設監視艇に関する特徴を整理すると、以下のとおりです。
鰹・鮪漁船、延縄漁船、底引き網漁船、トロール漁船などの遠洋漁業に従事していた漁船を徴傭した特設監視艇については、船体構造は鋼船や木造船からなり、総屯数は概ね50屯から200屯、長さ23mから30m、公称馬力は30から200馬力で、呼出符号を持っていることから旧式でも長・中波帯の通信設備と通信士が常駐しているようです。
参考に当時の漁業用受信機の事例を示します。


兵器の装備に関しては、鳥海丸(鋼船、136屯)の事例では、19.10.末で 山内式六糎砲1門、九六式二十五粍単装機1基、九三式十三粍単装機銃1基、 九二式七粍七単装機銃1基、三八式小銃5挺、拳銃2丁、九五式爆雷改二4個、電波探信儀1基。
無線兵装については、記述はありませんがすべての特設監視艇に昭和十七年十月ごろから「九六式空二号無線電信機」もしくは「九六式空三号無線電信機」が、昭和十九年九月以降には電波探信儀(制式名称は対空警戒用の三式一号電波探信儀三型)が設置されているようです。
なお、船の大小に関係すると思われますが、武器については型式・台数も異なっています。
また、仮称電波探知機や簡易式水中聴音機二型の装備も少数だが設置されている船もあるようです。
漁船時代の第二十三日東丸

監視艇の配置イメージ


「九六式空二号無線電信機」

「九六式空三号無線電信機」

「三式一号電波探信儀三型」

 

「日本無線史」10巻を調べると艦船無線兵装標準(昭和十八年六月起案)の記載があり、ここに特設監視艇の無線兵装は、(機上用)空二号又は三号とあり、この基準に基づいて設置されたことが裏付けできました。
なお、監視艇は海軍の全艦種の中では最下位のレベルの兵装標準に位置づけられています。

 

また、この背景については、元軍令通信課長の回想からの抜粋分が参考になりそうなので掲載しておきます。
艦艇別整備状況
特設艦艇
戦時船舶徴用により整備すべき特設艦艇に装備する無線兵器は、毎年改定さける出師準備計画要領に基づいて、艤装の時必要なものを軍需品整備品その他の予算で調達し、年々在庫品に加えられていた。
支那事変勃発後、国際情勢が険悪となるに伴って徴用される船舶も逐次増加し、昭和十五年から十六年にかけて特設艦艇の数はおびただしい数に上がった。
これらの特設艦艇の無線兵装整備に際しては主な問題点としておおむね次のようなことがあった。
特設艦艇の無線整備は、船固有の無線兵器は成るべくそのまま使用し、不足しているものだけを増備する方針で準備していたが、実際には固有無線電信機には満足なものが少なく、新兵器と換装する必要なものが多く、ために所要兵器数と整備工事量は著しく予定を超過した。
このように固有の送受信機には旧式で使用に堪えないものが多かったばかりではなく、ほとんど全部の船で送信機は改造して波長範囲を拡げる必要があった。
また役務予定の変更に伴って水師準備計画要領記載以外の無線兵器を増備した艦艇も少なくなかった。
これは小艦艇において特に甚だしかった。
しかし別に準備してあった九五式特五号送信機および九二式特受信機が相当数あったので兵器準備の上からはほとんど支障を感じなかった。
大部分の徴用船は短波送受信機を持っていなかったので艤装の際これを増備したのであるが、小艦艇においては電信室を拡張することが困難なものが多く、艦橋や乗員居住室などの一隅に応急的に装備したものも少なくなかった。
特設掃海艇、特設駆潜艇、特設監視艇などの小艇において最も困難を感じたのは電源の問題であった。
これらの船の一次電源は多くの場合電圧が特種なもので、しかもその容量にはほとんど余裕がなかった。
したがって無線兵器の増備又は換装と同時に電源も増設しなければならなかったが、重量容積の関係上一・五から六キロワットの発電機と二次電源を主として使用した。
太平洋戦争がはじまってからも引き続いて船舶の徴用は盛んに行われ、特設艦艇として作戦に使用された。
戦争中期以後は戦局の推移と船の消耗のため、これらの特設艦艇の任務の変更に応ずる無線兵器の移装が多くなり、そのつど関係者は送信機周波数帯の拡大改装工事に忙殺され、また戦争末期には船の固有兵器の老朽による換装および消耗品、特に真空管の補給難による兵器の換装を余儀なくされる事態を生じた。
電波兵器の整備は軍艦優先であったので、昭和十八年春に二号一型を赤城丸(特巡)に装備したのが最初であった。
その後特別任務艦には全般的に普及の方針であったが、行動が不足、在泊期間が短いなどのためこれを装備したのは特設監視艇のほか十数隻に止まった。
昭和十九年秋以来洋上見張としての特設監視艇を増強することが必要となり、二十年一月から一号三型の試験装備を始めて六四隻に装備した。
しかし耐波性、凌波性に乏しく、動揺のため安定性を欠いたばかりでなく、取扱調整がきわめて困難で有効な働きは望めなかった。

追加資料として、特設監視艇仮称三式一號電波探信儀三型空中線旋回式装備報国の無線資料を掲載しておきます。


 

気付き
特設監視艇については、B-24、B-25や米潜水艦の攻撃による損傷や沈没し、この結果により除籍となりますが、最後に海軍の事務手続きにより「解傭」とあります。
勝手に国は船舶を徴傭しておきながら、沈没すれば「解傭」です。
なんと情けない言葉ではないでしょうか。
これでは、徴傭された人員や船はたまりません。


参考に、HPの大日本帝國海軍 特設艦船の中から、特設監視艇の無線兵装(電波兵器を含む)に関する事項で代表的なものを抽出すると以下のとおりです。

特設艦艇 → 特設特務艇 → 特設監視艇 
特設監視艇(その1)
特設監視艇は昭和9年に設定された船種で洋上哨戒にあたるのを任務としました。
特設監視艇となったものは延べ431隻(実数408隻)ありますが、そのうち>第十一號琵琶丸は大東亜戦争前に役務を解かれました。
また、第一笹山丸、第貮天侑丸、潤德丸は昭和15年の海軍大演習の際、2~3週間の期間限定で特設監視艇として指定されたものです。

海和丸の船歴  一号電波探信儀三型1基装備

榮吉丸の船歴  (19.09.30) 一号電波探信儀三型1基装備

第三松盛丸の船歴   18.09.04:九六式空三号無線電信機新設工事(09.07まで)  
                   19.09.22:一号電波探信儀三型新設工事(09.30まで)

第貮海南丸の船歴  17.03.01:九六式空二号航空機用無線電信機搭載工事(03.02まで)  
                  17.12.27:横須賀~      
~12.28 無電洋電池故障、送信不能~ ~12.31横須賀  
                  19.02.21:戦時編制:聯合艦隊北東方面艦隊第二十二戦隊第一監視艇隊  
                  19.08.01:軍隊区分:第七基地航空部隊第一哨戒部隊第一直哨戒隊

第二海鳳丸の船歴  17.10.24:九六式空三号無線電信機新設工事開始  
                  17.10.27:九六式空三号無線電信機新設工事完了
                  (19.09.30) 一号電波探信儀三型1基装備。

勝榮丸の船歴    電波探信儀1基。

鳥海丸の船歴  (19.10.末) 山内式六糎砲1門、九六式二十五粍単装機1基、九三式十三粍単装機銃1基、 九二式七粍七単装機銃1基、三八式小銃5挺、拳銃2丁、九五式爆雷改二4個、電波探信儀1基。

第二幸昌丸の船歴   16.08.12:徴傭  
                   16.09.20:入籍:内令第1093号:特設監視艇、呉鎮守府所管    
                   20.04.13:沈没
                   20.07.10:除籍:内令第624号
                   20.07.10:解傭
                   喪失場所:N38.27-E142.13 宮城県金華山北東49km付近 
                   喪失原因:米潜水艦Parche(SS-384)の砲撃 

第五笹山丸の船歴   17.08.26:無線兵装換装工事(08.29まで)
(20.04現在) 山内式短六糎砲1門、九六式二十五粍単装機銃3基、十三粍単装機銃1基、 九二式七粍七単装機銃1基、小銃1挺、拳銃1丁、電波探信儀、爆雷投下台、九五式爆雷改二4個

第二旭丸の船歴  17.04.04:釧路~「ヲ」哨戒線哨戒~
           ~04.18 1055(N36.30-E152.50)対空戦闘:留式七粍七単装機銃1基、無線受信機対空戦闘により破壊、後檣半折損、弾痕150、爆弾破孔、機銃48発、小銃30発発射~
                17.10.24:九六式空三号無線電信機新設工事開始
                17.10.27:九六式空三号無線電信機新設工事完了

第二千代丸の船歴   17.10.21:九六式空三号無線電信機新設工事開始 
                   17.10.24:九六式空三号無線電信機新設工事完了

第三千代丸の船歴   18.01.12:九六式空三號無線電信機新設工事開始 ?
                   18.01.05:九六式空三號無線電信機新設工事完了 

第一龍重丸の船歴   17.10.24:九六式空三号無線電信機新設工事開始 
                   17.10.27:九六式空三号無線電信機新設工事完了

目斗丸の船歴  (20.04.12) 山内一号六糎砲1門、九六式二十五粍単装機銃1基、十三粍単装機銃1基、九二式七粍七単装機銃1基、爆雷24個、投射機1組、爆雷投下台2基、 簡易式水中聴音機1基、軽便探信儀1基。

瓊山丸の船歴   19.08.21:浦賀船渠にて上架
         仮称軽便探信儀一型改一、簡易式水中聴音機二型取付、
         九三式十三粍単装機銃増備、船体一部改造工事(09.09まで)

第二昭和丸の船歴   (19.10.現在) 仮称軽便探信儀三型、二式爆雷改一12個。
                   (最終時) 短八糎砲1門、九三式十三粍単装機銃1基、九二式七粍七単装機銃1基、九四式投射機1基、二式爆雷改二18個、爆雷手動投下台一型2基、仮称簡易式聴音機二型1基、仮称軽便探信儀三型1基。

陽光丸の船歴      (最終時) 短八糎砲1門、九三式十三粍単装機銃1基、九二式七粍七単装機銃1基、 九四式投射機2基、二式爆雷改二20個、仮称簡易式聴音機二型1基、仮称軽便探信儀三型1基。

第十六長運丸の船歴   (18.10)十三粍単装機銃1基、九二式七粍七単装機銃1基、小銃、仮称軽便探信儀1基、仮称簡易式水中聴音機1基
                     (20.04.20)九六式二十五粍単装機銃1基、十三粍単装機銃1基、九二式七粍七単装機銃1基、小銃、仮称軽便探信儀1基、仮称簡易式水中聴音機1基

第十拓南丸の船歴    19.10.10:九七式特五號送信機新設工事(10.19まで) 
                    19.11.08:軽便探信儀三型送波器発受振装置修理(11.13まで)
                    20.01.29:2200 対空戦闘:B-25 3機に対し全機銃にて射撃開始              缶室後部兵員室入口爆雷砲台、右舷後部水線付近に被弾、舵取機械破壊、気噴出、航行及び無線通信不能
                    20.01.30:0200 第五十二號驅潜艇が曳航を試みるが錨鎖切断、曳航不能
                         0320 負傷者6名を第五十二號驅潜艇に移乗、機密図書処分、排水作業
                         0420 後部沈下により上甲板から浸水、船体傾斜
                              0445 軍艦旗降下、総員退去下令、乗員の3/4を第五十二號驅潜艇に移乗
                         0500 沈没 
                  (19.12)短八糎砲1門、九六式二十五粍単装機銃2基、九三式十三粍単装機銃2基、七粍七単装機銃1基、二式爆雷改二、軽便探信儀。

第八昭南丸の船歴    20.02.22:浦賀船渠にて入渠
              船体機関各部修理(03.20まで)
              三式探信儀三型に換装、船艙内の改造工事(03.20まで)
              簡易式水中聴音機修理(03.20まで)
              仮称電波探知機修理
                  (20.03)二十五粍機銃、九三式十三粍単装機銃、 簡易式水中聴音機1基、三式探信儀三型1基、仮称電波探知機、二式爆雷。

旺洋丸の船歴        19.11.30:呂宗海峡部隊電令作第54号:
                        1.タマ三三船団30日2200高雄発1日0900ワイアミ島以後南下
                        2.今明日I及M(東側)哨区第二哨戒配備となせ
                        3.第四十一號掃海艇、高知丸、旺洋丸は前路哨戒に引続きバタン島附近まで側方警戒に任ずべし
                        4.電探機哨戒中に付、夜間上空灯点出すると共に味方識別に注意すべし
                            ~12.02 0300(N21.13-E121.06)ワイアミ島の276度48浬にて荒天の為漂泊するが燃料不足のため「第四十一號掃海艇」が先行~
                 ~12.02 1200 台東沖にて反転~
                 ~12.02 2330 枋寮沖仮泊~
                 ~12.03高雄
            20.05.10:沈没
           21.04.30:除籍:内令第59号
           21.04.30:解傭
           喪失場所:台湾沖
           喪失原因:要調査

王田丸の船歴     19.08.--:大湊工作部占守分工場にて修理(七粍七機銃、九二式四号送信機改一修理不能)
          
第十七明玄丸の船歴    18.09.07:呉防備戦隊電令作第321号:
                1.隼鷹、谷風、左に依り沖ノ島北上の予定(中略)
                2.雲鷹、曙、漣、10日0930北緯31度48分東経134度40分1600沖ノ島北上の予定
                3.10日1300迄に第二哨戒配備Aとなせ
                4.第四特別掃蕩隊(鷺、由利島〉第一特別掃蕩隊(大衆丸、第十六明玄丸、第十七明玄丸、麻豆丸)は別令所定に依り艦隊航路上の掃蕩を実施すべし
                5.第三十四掃海隊の二隻は10日午前中に七番浮標以南の東水道を掃海したる後、艦隊沖ノ島北上までE2北半の哨戒に任ずべし
                6.伯空司令は9日、10日は主として艦隊航路附近を哨戒すべし

第三日之出丸・第三號日之出丸の船歴   18.12.21:呉防備戦隊電令作第415号:深島の145度17浬に於てオ一〇六船団雷撃を受く
                   1.伯空司令は直に全力を挙げて敵潜を撃滅すべし
                   2.佐伯防備隊司令は第三號日之出丸、麻豆丸、恒春丸を以て掃蕩隊を編成、敵潜を撃滅すべし
                   3.第三十一掃海隊司令は由利島、第八拓南丸、第七玉丸を指揮し準備出来次第出撃、敵潜を撃滅すべし
                   4.佐伯防備隊司令は山水丸、大衆丸をして人員の救助に努べし
                   5.第三十一掃海隊司令は対潜攻撃に関し佐伯防備隊掃蕩隊を区処すべし


早鞆丸の船歴             19.09.01:海防機密第010657番電:1100出港、甲哨区にて「第二百五十一號」驅潜特務艇を目標として探信儀試験を実施
             19.09.01:由良内~探信儀公試~
             19.09.01:海防機密第011215番電:試験を実施しつつ由良内回航~09.01由良内
              (19.11.30現在)
             短八糎砲1門、九二式七粍七単装機銃1基、九五式投射機1基、簡易式水中聴音機1基、軽便探信儀1基。

第二十二南進丸の船歴     17.03.01:九六式空二号航空機用無線電信機搭載工事(03.02まで)

第二十七南進丸の船歴   17.03.02:九六式空二号航空機用無線電信機搭載工事(03.03まで)

第一日東丸の船歴      17.10.21:九六式空三号無線電信機装備
             20.03.26:横浜~
              ~03.26 1220 (N31.10-E137.00)B-24 1機発見、対空戦闘~
              ~03.26 1231 打方始め~二十五粍機銃45、十三粍機銃95、七粍七機銃80発発射~
              ~03.26 1245 打方止め~
              ~03.27 南哨区着~
              ~04.01 1115 (N29.55-E136.30)B-24 1機発見、対空戦闘~
              ~04.01 1200 打方始め~二十五粍機銃105、十三粍機銃150、七粍七機銃145発発射~
               九六空三号送信機及び受信機被弾故障、檣中間索切断その他被弾10数箇所
              ~04.01 1208 打方止め~
              ~横浜

富士丸・い號富士丸の船歴   17.10.21:九六式空三号無線電信機装備

高貴丸の船歴    17.09.30:九六式空二号無線電信機装備 18.06.01:軍隊区分:機密北方部隊哨戒部隊命令作第14号:泊地哨戒隊南口哨戒隊
                18.08.05:軍隊区分:第二基地航空部隊電令作第24号:第二基地航空部隊哨戒部隊第一哨戒隊
                19.08.01:軍隊区分:第七基地航空部隊第一哨戒部隊第一直哨戒隊
                19.08.03:九六式空二号電信機修理(08.12まで)
                20.01.01:軍隊区分:哨戒部隊第一直哨戒隊
         20.01.07:横浜~
           ~01.24横浜
                20.02.11:横浜~
          ~02.25 1855 敵潜水艦と交戦中~
               20.02.25:沈没

第一黄海丸の船歴    19.04.29:航続力18日、空四真空管なく無線使用不可能なまま片岡湾に回航

第二澎生丸の船歴   17.03.04:九六式空二号航空機用無線電信機搭載工事(03.05まで)
                   18.08.05:軍隊区分:第二基地航空部隊電令作第24号:第二基地航空部隊哨戒部隊第一哨戒隊

第十二號八龍丸の船歴    19.11.15:0840(N34.05-E137.28)敵浮上潜水艦発見
                             0910 敵潜見失う
                             1145(N30.03-E137.32)敵浮上潜水艦発見
                             1202 敵潜と交戦
                             1225 更に1隻発見
                             1228 敵潜と交戦
                             1230 中部電信室に被弾、電波探知機破壊
                             1257(N30.10-E137.25)敵潜2隻と交戦
                             1311 敵潜見失う
                             1409(N31.11-E137.25)敵浮上潜水艦3隻発見
                             1425 攻撃を受ける
                             1430 南の敵に射撃開始 
                              1515 一番機銃西、二番機銃南の敵に射撃開始
                             1535 前甲板一番機銃附近に被弾、断片による破孔21から浸水を生じ人力排水
                             1542 左舷前部舷側に至近弾、艇首水線に破孔1 
                             1600 艦橋右舷側に至近弾、前部檣右舷水線に破孔1
                             1620 右舷後部舷側に至近弾     
                             1730 艇長及び見張2名を除き全員排水作業(浸水1時間4噸)
                             1830 敵潜見失う
                              (二十五粍機銃1,620発、十三粍機銃2,110発発射)
                          ~11.19横浜
                        19.12.27:横浜重工業にて上架
                        20.08.10:特設監視艇隊編制:内令第729号:特設監視艇隊編制を廃止
                        20.08.10:除籍:内令第730号
                        20.08.10:解傭
                        20.08.15:残存


最後に、アニメーションの巨匠、宮崎 駿さんが約30年前に描いた「最貧前線」という、太平洋戦争の末期、「特設監視艇」という任務に当てられた漁船がモデルしたわずか5ページの漫画の数シーンを参考のため掲載します。
この中にも、無線機を運用しているシーンがあります。


 

参考資料
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030217200、特設監視艇新勢丸奮戦録

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C08030217200

 


参考文献
大日本帝國海軍 特設艦船 DATA BASE http://www.tokusetsukansen.jpn.org/J/index.html
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
New England Wireless & Steam Museum
特設監視艇仮称3式1号電波探信儀3型空中線旋回式装備報 防衛省戦史資料室
わしら「人間レーダー」だった舞台は訴える https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_49.html
戦う日本漁船 2011年10月 大内健二


広島戦時通信技術資料館及は下記のアドレスです。
http://minouta17.web.fc2.com/

 


海軍艦船搭載用「2号無線電話機」について

2020年05月16日 04時16分36秒 | 02海軍無線機器

海軍艦船搭載用「2号無線電話機」について
真空管式ラジオの収集や修復を趣味でやっていると、どんどん歴史をさかのぼり過去のラジオにのめり込んで行きます。
そうすると、当然真空管もMT管からGT管、メタル管、ST管、ナス管となり最後は鉱石検波器の収集とさかのぼることとなり歯止めが利かなくなります。
このような真空管の収集の過程で、初期の真空管であるナス管の201Aも結果として多数収集することとなりました。
この201Aの真空管の中に、海軍の錨マークのついたものが1本みつかりました。
しかも、この1本は昭和の初期のものではなく、今次大戦で使用されたもののようです。
何故こんな初期の真空管(昭和初期)が逆に今次大戦の無線機に使用されたいのか、長年興味をもっておりましたが、今回手持ち資料とネットの力で整理してみました。

趣味の時代の「国産古典ラジオ昭和初期5球ブローニングドレーキ式受信機」の紹介

 
 

今回、雑誌「船の科学」のシリーズ・日本の艦船・商船の電気技術史の中に真空管201Aを受話機に使用した2号無線電話機の記述を発見しました。
少し2号無線電話機の内容を紹介します。
2号無線電話機
上記の無線電話機で、送話用空中線および受話用空中線を各単独でも使用出切るに改造したものが制式に2号無線電話機と呼称された。
昭和2年大沢、大野によって開発された。
その後発振真空管を換えて翼板電圧(海軍呼称で陽極電圧と同じ)を1,000V、出力を25Wとし(改1)、電鍵操作を空中線の接地側を接・断して行っていた。
(改2)改3では電鍵操作を格子回路の接・断とした。
なお改1、改2は後にはほとんど全数を改3に改造した。
また、受話機改1は高周波増幅1段、再生検波、低周波増幅2段とし、同改2は周波数範囲を増大した。
票7・14は送信機改3、一型および受話機改1、改2の要目を、図7・27は改1の内部結線を、7.28は外観を示す。

追加資料 2号無線電話機 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会からの抜粋
中波無線電話機で、出力30W、送話機改1は翼板電圧を500Vより1000Vに増大したもの、送話機改2は自励式で電信は空中線電鍵操作のもの、同改3は格子電鍵操作に改良したもの、受話機改1は高周波増幅1段、再生式検波、低周波増幅2段のもの、同改2は周波数範囲を拡大したもの、送話機改3に原振器を附けたものを送話機1型と呼ぶ。

 

2号無線電話機は昭和2年に開発され継続的に改良が図られ、参考資料1の艦戦無線兵装標準(昭和18年6月の改訂版)にも記載されています。
また、戦艦から海防艦まで幅ひろく本機が搭載され、艦隊内での通信に使用されていたこともわかります。
艦隊行動に伴う無線封止においても、連絡のため本機は利用されていことでしょう。
ただし、参考資料3の艦船並びに一般通信(海軍通信作戦史抜粋)に「90式超短波及び2号電話機の如き電波の漂変甚しき電話は隊内電話として取扱困難であった」との記載もあり本機の運用には問題があったことは事実のようです。
本機の受話機(受信機)は古典ラジオである真空管201Aを採用し続けられ、根本的に改善されることはありませんでした。
これでは戦時に国民が使用した放送局型123号受信機のほうがよほど高感度のラジオです。
放送局型123号受信機の事例紹介


このような古典ラジオ如き2号無線電話機の現役採用は海軍でも稀有なことですが、終戦後に記録された海軍通信作戦史に問題を認識しただけで記録する前に用兵側の軍令部の部員は何の対処もしていないところに問題の本質がありそうです。
受話機の4号検波菅(UX-201A)×4

 

送話機
発振または増幅 21号発振3型(UN-151B)
型番、仕様 :UN-151B(UN151B)
メーカー名 :東京電氣(現、東芝)
品名 :電力増幅3極送信管

 

参考資料1 艦船無線兵装標準 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会からの抜粋
艦戦無線兵装標準(昭和18年6月の改訂版)による船種別二号電話機の設置台数
戦艦(艦隊旗艦)・・・・・・・・・・・・二号電話機×2台
戦艦(戦隊旗艦)・・・・・・・・・・・・二号電話機×2台
戦艦・・・・・・・・・・・・・・・・・・二号電話機×2台
巡洋艦甲(艦隊旗艦)・・・・・・・・・・二号電話機×2台
巡洋艦甲・・・・・・・・・・・・・・・・二号電話機×2台
航空母艦甲(艦隊旗艦)・・・・・・・・・二号電話機×2台
航空母艦甲(戦隊旗艦)・・・・・・・・・二号電話機×2台
航空母艦甲・・・・・・・・・・・・・・・二号電話機×2台
航空母艦乙(戦隊旗艦)・・・・・・・・・二号電話機×2台
航空母艦乙・・・・・・・・・・・・・・・二号電話機×2台
駆逐艦・・・・・・・・・・・・・・・・・二号電話機×1台
海防艦甲・・・・・・・・・・・・・・・・二号電話機×1台

参考資料2 海防艦(新型)の無線兵装「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会からの抜粋
海防艦は従来一般に老杆艦を以て当てられていたが、対潜警戒、海上警備の重要性あり、新艦の建造が計画せられ、昭和15年まず4隻の完成を見た。
無線兵装は送信機は短3号、長波4号各1台と2号電話及び超短波電話機各1台、受信機は4台程度で、小型艦の割合に大勢力送信機を搭載し、前後楼間の距離又極めて短いため、自艦送信妨害の問題と、能率良き空中線展張の問題で、装備上色々苦心が払われた。
太平洋戦争中期以後は護衛艦としての整備に重点が置かれるようになり、対飛行機協同用電話機及び応急用小型電信機の増補が積極的に行われた。
又任務の変化に伴い、艦型は縮小の一途を辿り、短波送信機も特5号送信機に換装せられた。
その結果自艦送信妨害は大いに緩和せられた。

参考資料3 艦船並びに一般通信(海軍通信作戦史抜粋)
護衛艦艇の隊内電話に航空機用隊内電話を採用し水上艦艇、航空機共同一電波使用に統一す。
昭和19年秋迄の護衛艦艇は未だ海防艦、駆逐艦等の編成なく個々の艦艇の寄せ集め式護衛船団にして、且1月の中殆碇泊休養の時間も少ない為、教育訓練の機も尠く思想の統一もなき為、之等船団部隊に於いては90式超短波及び2号電話機の如き電波の漂変甚しき電話は隊内電話として取扱困難であったので、取扱容易なる水晶制御式航空機用隊内電話を使用せしむることとし、極く一部の特設艇を除き之を装備し且護衛部隊の隊内電波を水上艦艇及び航空機共41350kcに統一し航空機との緊密なる連絡に資した。
右電話は之を重要船団にも装備せんとし、電話員の養成を開始したが、時恰も米軍沖縄作戦を開始し、南方よりの還送航路を遮断せるを以て実現に至らずして終わった。


気付き
今日、新型コロナ対応で厚労省は右往左往していますが、平時の感覚で現行の法律と組織体制の中で問題に対処しようとしため、負荷が一機に保健所に向かいパンク状態となって居ます。
国民が如何にPCR検査を望んでも、某大臣は国民側が誤解しているとの一言で何の責任感もありません。
どうして、韓国、ドイツ、英国、アメリカなどの国で1日に何万人のPCR検査ができるのでしょうか。
平時ではない戦時の意識が日本にだけないことに根本問題にありそうですが、戦後長年の平和ボケの政府、国民も少し覚醒する必要がありそうです。


参考文献
雑誌「船の科学」のシリーズ・日本の艦船・商船の電気技術史
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
海軍通信作戦史 昭和24年3月 第二復員局残務処理部史実班
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
日本のラジオ https://radiomann.sakura.ne.jp/HomePageVT/Radio_tube_1_201A.html
グランパーズ・シャックGrandpa's shack  http://www.grandpas-shack.com/parts/item.php?itemid=4387

 

 

 

 

 

 


海防艦「占守」の無線兵装について

2020年05月12日 15時33分29秒 | 02海軍無線機器

海防艦「占守」の無線兵装について
海防艦「占守」電探室異状なし(北村栄作 1990年6月 光人社)を読んで以前から気になって居たところを、今回手持ち資料とネットの力で整理してみました。
まずは海防艦「占守」のことを今まで恥ずかしながら“せんしゅ”との読みと思い込んでいました。
海防艦の艦名の付与は、本邦の島からとっており、占守島から命名されています。
今回の調査で占守は、“せんしゅ”ではなく、“しむしゅ”と呼ぶことが判明しましたが、戦後生まれの方ではこれを読むことが出来る方は大変歴史通の方ではないでしょうか。
それでは、本邦内の占守島はいったいどこにあるのでしょうか。
正解は千島列島北東端の島で、敗戦後ロシアの実効支配下にあります。

海防艦「占守」の艦型概観

占守竣工時(レーダーなし)

戦後の占守(引揚船用に改造、22号レーダーあり)


「占守」はその後も引揚船として、武器は全部とりはずされ、甲板上に木製のデッキを急造して、五、六百人くらい乗艦できるように改造した。
そして、南方の島々に残留の旧陸軍部隊の復員艦として涙の汗を流し活躍したが、昭和22年7月に賠償艦としてソ連に引き渡された。


海防艦(新型)の無線兵装(日本無線史抜粋)
海防艦は従来一般に老杆艦を以て当てられていたが、対潜警戒、海上警備の重要性あり、新艦の建造が計画せられ、昭和15年まず4隻の完成を見た。
無線兵装は送信機は短3号、長波4号各1台と2号電話及び超短波電話機各1台、受信機は4台程度で、小型艦の割合に大勢力送信機を搭載し、前後楼間の距離又極めて短いため、自艦送信妨害の問題と、能率良き空中線展張の問題で、装備上色々苦心が払われた。
太平洋戦争中期以後は護衛艦としての整備に重点が置かれるようになり、対飛行機協同用電話機及び応急用小型電信機の増補が積極的に行われた。
又任務の変化に伴い、艦型は縮小の一途を辿り、短波送信機も特5号送信機に換装せられた。
その結果自艦送信妨害は大いに緩和せられた。

搭載無線機の概要
YT式短3号
出力1KWの自励式短波送信機であるが、明昭電機株式会社の製作にかかるものである。
使用周波数 4,000 ~ 15,000Kc
構成は、原振、増幅方式の電信専用である。
使用真空管は、発振器UX-202A、増幅菅UV-814、12号発振(UX-860)、電力増幅UV-812、整流菅HV-972、KN-158、HX-966である。
※ 東洋無線電信電話株式会社と明昭電機株式会社は姉妹会社であるが、両会社は昭和13年11月に合併して、資本金400万円なる東洋通信機株式会社となった。
同社製一連の無線機は“YT式”と呼称された。

長波4号
概要
自励連結式の所謂簡単式長波送信機(3号は出力1KW、4号は出力0.5KW)で優秀品とは云えないが、十年以上も使い慣れたもので艦船及び陸上に装備されて実用されている。
92式4号送信機  出力500Kw 自励

特5号送信機
長波、短波兼用送信機の特徴を生かして、電波特に短波の安定性を向上した兵器の要望があったので、これに応えて完成したものが本機である。
本機は長波は91式特送信機と同じく、単なる自励発振型送信機であるが、短波は原振器附になっており、駆潜艇その他小型水上艦艇に装備された。
97式特5号送信機  出力150w

2号無線電話機
中波無線電話機で、出力30W、送話機改1は翼板電圧を500Vより1000Vに増大したもの、送話機改2は自励式で電信は空中線電鍵操作のもの、同改3は格子電鍵操作に改良したもの、受話機改1は高周波増幅1段、再生式検波、低周波増幅2段のもの、同改2は周波数範囲を拡大したもの、送話機改3に原振器を附けたものを送話機1型と呼ぶ。


追加工事
2号2型電波探信儀

艦戦無線兵装標準(昭和18年6月の改訂版)
甲海防艦
送信機   短波4号(1/2kw)1台
短波7号     1台
中波5号(1/4kw)1台
2号電話機 1台・・・・・・・・・・・・・・・・・・実用品ではなく運用に難あり
隊内電話機(機上用)1台・・・・・・・・・・・・・・実際は配備されていない
受信機   長短兼用受信機(92式特受信機)  3台
同上 水晶制御式(3式特受信機) 1台 ・・・・・ ・未配備可能性あり
電波探信儀 対飛行機用(1号3型)2台・・・・・・・末期の海防艦にのみ設置
      対水上艦用(2号2型)1台
電波探知機 米波用 1台・・・・・・・・・・・・・・米国側で使用していない波長
      糎波用 1台


92式特受信機の概観
 


隊内電話機(機上用)の捕捉説明
.艦船並びに一般通信(海軍通信作戦史抜粋)
(ロ)護衛艦艇の隊内電話に航空機用隊内電話を採用し水上艦艇、航空機共同一電波使用に統一す。
昭和19年秋迄の護衛艦艇は未だ海防艦、駆逐艦等の編成なく個々の艦艇の寄せ集め式護衛船団にして、且1月の中殆碇泊休養の時間も少ない為、教育訓練の機も尠く思想の統一もなき為、之等船団部隊に於いては90式超短波及び2号電話機の如き電波の漂変甚しき電話は隊内電話として取扱困難であったので、取扱容易なる水晶制御式航空機用隊内電話を使用せしむることとし、極く一部の特設艇を除き之を装備し且護衛部隊の隊内電波を水上艦艇及び航空機共41350kcに統一し航空機との緊密なる連絡に資した。
右電話は之を重要船団にも装備せんとし、電話員の養成を開始したが、時恰も米軍沖縄作戦を開始し、南方よりの還送航路を遮断せるを以て実現に至らずして終わった。
※ 98式空4号隊内無線電話機
 

2号2型電波探信儀の概観
 

1号3型電波探信儀の概観
 

1号3型電波探信儀の搭載参考事例
海防艦(丙型)第225号は昭和20年5月に竣工した。後楼13号レーダーを装備するためマストの高さも増し、三脚楼の形状も異なっている。
 

電波探知機 糎波用
 


“海防艦「占守(しむしゅ)」電探室異状なし”から関連項目を抜粋し紹介します。
「占守」は排水量1020トン、全長78m、最大幅9.1m、喫水3.05mの小型艦ながら、艤装、構造ともにこったものであり、建造時には軍艦ということで船首には菊の御紋章がかがやき、外観も風格を備え、艦長室の造作も、他の艦とかけはなれた立派なものだった。
艦橋塔は3層になっており、1層目に通信室、2層目に海図室、電探室、3層目が艦橋となっており、その後部が旗甲板で、上部には3mの測距儀が装備されていた。
上甲板全部には艦長室と士官室があり、兵員室は下甲板前・後部が当てられ、荒天通路に接して烹炊所、医務室、浴室などがあり、中部最下甲板は機関室で、デーゼル機関2基、発電機があった。
6m内火艇1隻、カッター2隻、通船1隻がそれぞれ両舷に搭載され、前檣に電探のラッパ管、その後部に探照灯などが設けてあった。
・・・・・・・・・
22号電探は、電気的振動を発振・増幅されて、それを電波にかえて檣楼(しょうろう)にあるラッパ管内の送信アンテナより発信する。
波長8cm(誤記で実際は10cm)といわれる極超短波は光のように直進して、物体に当たると、山ビコと同じ原理で、ハネ帰ってくる特性を利用し、受信用のラッパ管内のアンテナで受けて、ブラウン管に映し出す。
その波型で距離、ラッパ管の方向で物体の方位を知るものである。
このため、発振器・増幅器・整流器・送信器・受信器・受像器など、20もの機械があり、電探室は足の踏み場もない。
それらの器械には、今日のようなICも半導体もない。
すべて真空管・抵抗体で、その種類も何十種類、数も百ちかく、機内は電線が縦横に走っている。
機械を作動すると真空管に火がともり、それから発する熱気で、頭が痛くなってくるしまつ。
そして無理な作動を繰り返すと、真空管や抵抗体が「ボー」と燃え切ってしまうといった具合で、まったくむりがきかない。
・・・・・・・・・・
「占守」は僚艦とともに商船を護衛し、占守島の片岡湾をめざして大湊を出港した。
水中探信儀、電波探知機の性能を発揮し、見えない島嶼あるいは海底の起伏を精測して艦位の測定に大きい役割を果たした。
艦長はとっさの敵潜にそなえ、防寒服をまとって、つねに艦橋の椅子に待機していた。
目的地に着くという前夜、電波探知機のブラウン管に味方艦艇以外に、1隻の映像を右30度、距離5000mに発見、直ちに艦橋に報告する。
・・・・・・・・・・・
「占守」はその後も引揚船として、武器は全部とりはずされ、甲板上に木製のデッキを急造して、五、六百人くらい乗艦できるように改造した。
そして、南方の島々に残留の旧陸軍部隊の復員艦として涙の汗を流し活躍したが、昭和22年7月に賠償艦としてソ連に引き渡された。


結言
占守は海防艦(甲型)の一番艦として、昭和15年6月に三井玉野造船所で竣工しました。
昭和16年12月にマレー上陸の陸軍輸送船の護衛をはじめ、その後ビルマ方面等の船団護衛に従事してまいりました。
昭和19年11月にマニラ湾南方で雷撃を受け損傷するも昭和20年8月北海道方面で終戦を迎えるこことなりました。
昭和20年10月除籍後、復員輸送艦となり、昭和22年7月賠償艦としてソ連に引き渡されました。
海防艦の一番艦として従軍し負傷しながらも終戦を迎え、戦後も外地からの復員輸送に従事しつつ、その後は責任を取って戦勝国へ賠償として引き渡れ、その外地で必死に働きかつ当地にて最後に死すといったところでしょうか。
海上自衛隊でも海上保安庁でもいいですが、小型艦で結構ですが、是非、新造艦に「占守」の命名をしてもらえれば、海防艦「占守」のことを後世に伝えることができるでしょう。
決してソ連の行為を含め過去の歴史を忘れてはいけません。

 


参考文献
海防艦「占守(しむしゅ)」電探室異状なし 北村栄作 1990年6月 光人社
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
海軍通信作戦史 昭和24年3月 第二復員局残務処理部史実班
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
丸スペシャル 海防艦 1979年6月 潮書房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』占守島、占守型海防艦
Yahooオークション出品情報

 

 

 


96式空2号無線機復元作業 修復作業記録 その9(平成30年11月17日)送信部前面パネルの加工とケース塗装作業

2018年11月18日 09時51分37秒 | 02海軍無線機器

96式空2号無線機復元作業 修復作業記録 その9(平成30年11月17日)送信部前面パネルの加工とケース塗装作業 

平成22年6月に修復作業を開始し、平成23年1月で一時作業を中断していた。
7年後の今年から修復作業を再開するこことしたが、大変気長な話ではあるが目標を諦めることはありません。
受信部はオリジナル部品を活用した修復作業とし、送信部は欠落していたので、新規作成としてSSB化を目指します。
今回は、送信部の前面パネルの部品配置の決定とその加工を行い、ケース全体の塗装を実施した。

 

なお、SSB化の根幹であるフィルターの採用を検討した。
現在所有しているのは、メカニカルフィルターの国際電気の2種、コリンズの2種とクリスタルフィルターの1種の5つである。
MF-455-10AZ28はトランジスター用のためそのまま使用できない。コリンズ製は整合回路のQが低いこと、クリスタルフィルターは規格が不明であることから不採用とした。
このことから、国際電気のMF455-10Kを採用するこことする。時間があれば、それぞれのフィルターも実験したい。


96式空2号無線電話機改
http://minouta17.web.fc2.com/navy_96-ku-2.html

広島戦時通信技術資料館及は下記のアドレスです。
http://minouta17.web.fc2.com/


参考文献
SSBハンドブック CQ HAM RADIO別冊 昭和44年12月発行 CQ出版社
アマチュア無線技術ハンドブック 無線と実験編 昭和37年7月発行 誠文堂新光社