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韜晦小僧のブログ 無線報国

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ガイアの夜明け MRJ TV放送についての感想 

2018年12月03日 23時23分10秒 | 98新聞記事コメント

ガイアの夜明け MRJ TV放送についての感想 

MRJに関するマスコミはマイナス面の報道が多い中、ガイアの夜明けだけは50年ぶりの悲願!国産ジェット旅客機MRJのテスト飛行に密着放送があった。
新型飛行機を製造すれば、なんども計画遅延があるのはボーイングでもエアバスでも何度も実証されている。
にもかかわらず、なぜ日本のマスコミはMRJに関してマイナス報道するのか全く理解できない。
ただし、今回の放送で延期の理由には大変驚いた。

以下「へろへろblog」さんのMRJ5回目の納入延期:理由とその考察(延期の理由の抜粋:参照#1)
延期の理由は
今回の延期理由は、搭載機器の配置変更と、これに伴う電気配線(ワイヤハーネス)の全面的な見直しという設計変更のためだという。
航空機の飛行制御コンピュータなど重要な電子機器は、1台が故障しても機能を失わないように、3台あるいは2台が積まれて、冗長性を持たせている。
MRJでは、冗長化したこれらの機器を一箇所の電子機器室にまとめて置いていたが、これを機体の前後に分散配置するように改め、単一箇所への水漏れなどで全部が一度に故障することを防ぐ、ということだ。
また、これに伴ってワイヤハーネスも全面的に変更されることになる。
MRJは、日本の航空局(JCAB)の耐空証明に加えて、アメリカ連邦航空局(FAA)の耐空証明と、欧州航空安全機関(EASA)の耐空証明を取得することになっているが、アメリカFAAの耐空証明を取得するためには、この設計変更が必須になったものと思われる。
しかし、なぜ今ごろになって、こんな大きな設計変更を迫られる事態になったのだろうか。

この問題を負自分なりに以下分析する。
50年ぶりの悲願!国産ジェット旅客機の開発はYS-11以来の新規開発のため開発ノウハウがないことなど大きなハンディであることは理解できる。
しかしながら何故、搭載のディジタル電子機器載機器の配置変更と、これに伴う電気配線(ワイヤハーネス)の全面的な見直しという設計変更に至ったのか。
近年の新型ボーイング機での日本企業の製造参画を考えるとこのような開発遅延を引き起こすほど技術がなかったというには腑に落ちない。
ただ、日本企業がボーイングの単なる下請け業務をしているとしたら納得できないこともないのだが・・・
飛行機開発には全く知識はないが、これだけは指摘しておきたい。
まず、近年のフライ・バイ・ワイヤの導入(A320や777では昇降舵や補助翼のような主操縦翼面の操舵にもFBWが採用されている)により、ディジタル電子機器の重要性が従来よりも拡大した。
このため、アメリカ連邦航空局(FAA)の耐空証明の合格基準も、フライ・バイ・ワイヤの導入などの技術革新や実際に起きた事故や危険事象を反映して、年を追うごとに更新されているはずである。
このようなアメリカ連邦航空局(FAA)の情報を常にキャッチアップしなくてはいけないのであるが、これができていなかったといこうことか。
TV放送によるとディジタル電子機器は飛行機の中央に冗長設計で2台セットしていた。
これを飛行機の前後に分散配置するように設計したようだ。
主信号線は現在では光ケーブルが主流であると思われるが、末端のセンサーや制御機器へのワイヤハーネスの設計変更には大変な時間がかかるはずである。
最初から前後にディジタル電子機器を分散配置できなかったのか大きな問題点である。
できなかった原因は過去のボーイング737などの旧式の飛行機の設計をそのまま採用したことにあるのではないか。
フライ・バイ・ワイヤの導入の意味を本当に理解せず、冗長設計したと考えたのではないか。
このような設計ミスは若くて頭でっかちの技術者集団による設計行為をベテランの技術者が統御できなかった結果であろう。
信頼性設計においては、単にディジタル電子機器の電気的故障対策のための冗長化と思っているようだが、機体の損傷(テロ行為や戦闘機の機銃掃射)よる物理的な分散措置が重要ことが理解されていない。
やはり、危機的な戦争行為の経験が全くなくなった日本ではこのような配慮ができないのかもしれない。
今はMRJは苦しんでいるが、やがて光がみえるはずである。
とにかく頑張ってほしい。
でも、ブラックボックスやボイスレコーダは依然アメリカのハニウェル社なのだろうか。
ディジタル電子機器、通信機器、レーダ機器も海外製なのだろうか。
なかなか国産化というのも難問かもしれない。


最近ヤフーオークションで、「三菱 F1ジェット戦闘機 HUD 射爆照準器 放出品」(ヤフーオークションID u227755775)が出品されていたが、本機はフランスのトムソン社製のようだ。
なかなか国産化というのも課題があるようだ。

 

広島戦時通信技術資料館及は下記のアドレスです。
http://minouta17.web.fc2.com/


参考文献
参照#1 MRJ 5回目の納入延期:理由とその考察 https://booskanoriri.com/archives/2961
50年ぶりの悲願!国産ジェット旅客機MRJのテスト飛行に密着「ガイヤの夜明け」 https://dogatch.jp/news/tx/57409/detail/
悲願の国産ジェット...日の丸主義から脱却:ガイアの夜明け http://www.tv-tokyo.co.jp/plus/business/entry/2018/018395.html
航空実用事典 フライ・バイ・ワイヤ(FBW:fly-by-wire) http://www.jal.com/ja/jiten/dict/p215.html

 

 


 


パナ、プラズマ年度末撤退(中国新聞社の記事コメント)

2013年10月11日 16時53分09秒 | 98新聞記事コメント

パナ、プラズマ年度末撤退(中国新聞社の記事コメント)

平成25年10月10日の中国新聞社の記事のコメントです。
記事の概略は、パナソニックがプラズマテレビ向けのパネルの生産を2013年度末で打ち切る方針を固めたことがわかった。
尼崎第3工場の建物は年内にも売却する方向のようだ。東芝や日立もすでに国内での組み立て工場はない。
遅かれ早かれ、あと10年もすれば完全に日本メーカーのテレビ事業はなくなっているだろう。
以下単なるボヤキです。
2013年(平成25年)は、日本において家電産業の中の基幹部門であるテレビ製造事業の解体の始まる年としての記念されることになるでしょう。
50年後には、この業界の歴史検証をする人がいれば、日本の家電産業の衰退時期はという問いに対する回答は、2013年(平成25年)がターニングポイントであったということになるのではないでしょうか。
今、我々はこの家電業界のありようを目の当たりにしていますが、残念に思う人は多いとは思いますが、ある意味必然と考えている人のほうが多いのではないでしょうか。
まさに、1970年代のアメリカの家電産業と同じことが、日本で行われようとしてる瞬間に立ち会っているのです。
1989年発行の「日米逆転(ダイヤモント社)」によれば、アメリカのテレビメーカーの数は、1960年には27社であったものが、1980年には3社(GE,RCA,ゼニス)だけとなり、その生産活動の大部分はアジアで行われるようになったとある。
そして、1986年から87年にかけて。GEがRCAを買収し、そのテレビ部門をフランスに売却した結果、ゼニス社の1社となりました。
1990年前後には、最後に残った米国メーカのゼンス社もテレビ部門はやがて韓国企業の傘下に入ったとのことです。
カラー・テレビについては,米国企業は残念ながら1990年代にすべて市場から撤退しました。
幸いにして、アメリカの技術者と違い、戦後の家電産業の興隆を牽引した団塊の世代の技術者の引退とともに家電産業の幕引きをしたいっても過言ではないことだと思います。
逆に言えば、団塊の世代の技術者の引退がなければ、会社の経営層もこのような対応を決断できなかったのかもしれません。
やけくそだけど、団塊の世代の技術者の皆様へ今までのご苦労に対して大変感謝申し上げます。

Newssource01


複写機交渉中止(中国新聞社の記事コメント)

2013年09月20日 16時29分38秒 | 98新聞記事コメント

複写機交渉中止(中国新聞社の記事コメント)

平成25年8月29日の中国新聞社の記事のコメントです。
記事の概略は、経営再建中のシャープが資本・業務提携した韓国サムソン電子と、複写機事業に提携を拡大する交渉を打ち切ったとのことでした。
本題とは別ですが、複写機分野の市場動向の中にゼロックス(富士ゼロックスを含む)の販売シェアが16.1%しかなく、その他のシェアのほとんどは日本のメーカのようです。
複写機分野では、昭和50年代でも、圧倒的にゼロックスがつよく、複写することを「ゼロックスすると」と表現していたものでした。
日本メーカーは、昭和50年代以降からゼロックスの特許群をかいくぐり、今日の興隆を勝ち得えました。
日本の電機メーカの衰退が顕著となっていますが、まだまだ産業基盤が強固な複写機分野のようですが、あと10年、20年後はどのようになっているのでしょうか。

Comenth250920