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戦争後期の謎の28号(TYPE 28)レーダー開発に関する考察について(令和4年11月08日)

2022年11月08日 14時37分57秒 | 03陸海軍電探開発史

戦争後期の謎の28号(TYPE  28)レーダー開発に関する考察について(令和4年11月08日)

旧軍のレーダー関係の資料を整理していると1枚のブロックダイヤグラム図に目が留まりました。

本資料については、あまりにもアバウトな内容しかなく、しかもタイトルがTYPE 28とあるだけで日本無線史などの公式資料にも掲載されていないことから長い間放置しておりました。
最近は陸海軍の射撃管制レーダーに関する資料の分析を多くしていた関係上、再度あらためて目を通すと達磨さんの絵のようなものに目が留まり、これは明らかにパラボラアンテナを示していることに気づき、本機は大変貴重な新型のセンチ波レーダーであることを認識しました。
今回はこの1枚のブロックダイヤグラムの情報を元に、TYPE 28レーダーの実態を明らかにすることにしました。
最初に本レーダーの開発元は、陸軍なのか海軍なのかを明確する必要があります。
本資料の出典元については、Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946の付属資料のようです。

 
この資料からTYPE 28は海軍が所管し開発したレーダーであることが判明しました。
海軍であれば、海軍技術研究所・電波研究部の組織表(昭和19年2月)からの研究内容を確認します。
昭和19年2月の時点では、107号、109号、23号、24号がメインテーマの研究課題のようです。
従って、28号(TYPE 28)は昭和19年2月以降に新たに研究対象として計画されたことが判ります。


次に、ブロックダイヤグラムに記載されている英文のキーワードを列記します。
TYPE  28 
Details of selector and range unit are almost similar to those of L-3
Switching Box
Receiver L.O  LD1 Mixer Crystal RH8 IF. Amp.
Oscillator  LD212C Modulator Unit Discharge Tube Pulse Amp.
Power Supply
W.L Motor Selsyn Gen Bearing Rotaing Joints
Range Selsyn Range Handle SSF75G Ranging Unit Selector Unit
Controlling Panel Limitter Coth Fol
W.L Control Handle   Bearing Unit
Wave Length  28cm
Power Output  1kw
Pulse Length  2μsec
Range          11Km(Destroyer → Destroyer)
Accuracy      ±100m ±0.3°

上記キーワードから、今度は開発メーカーを特定します。
一般的に日本海軍の見張用レーダー開発については、艦船用、航空機用、地上用は日本無線と東芝が独占して開発・製造を行っています。
なお、地上用の射撃管制レーダーについてのみ日本電気が一括受注しています。
基本的には、東芝、日本無線及び日本電気の大手3社が開発・製造を一手に担ってしましたが、戦争後期には川西、日立、安立、日本音響、沖、富士通、三菱や七欧無線なども参入しています。
Details of selector and range unit are almost similar to those of L-3のメモにより、本機はL-3こと4号電波探信儀3型改2の機能を移植していることが判ります。
この4号電波探信儀3型改2(L-3)の開発メーカーは、日本電気(当時は住友通信)であることからTYPE  28も日本電気が開発を担当したことが有力です。
もつ一つのキーワードは、SSF75Gでこれは日本電気特有の75mmブラウン管の呼称で、他のメーカーは制式名称のBG-75-Aを使用するはずです。
更に、Receiver L.O  LD1 Mixerとあるように、受信機の局部発振部にLD1なる真空管が採用されています。
送信機のOscillator  LD212C とあるLD212Cなる送信管があるが、このLDの名称は日本電気が採用している真空管(送信管)の商標の一部です。
このような事実から、本機TYPE 28の開発メーカーは日本電気(当時は住友通信)で間違いないでしょう。

 
ただし、LD1については、日本電気の真空管ではなく、ドイツのウルツブルグレーダーで使用している真空管の可能性が高いので、日本無線からこの真空管の提供を受けたと思われます。

このように昭和18年後半からは、センチ波の射撃管制レーダーは、陸海軍とも急速に開発を行う機運が高まったので、このことに関連した当時の開発状況について紹介します。
「元軍令部通信課長の回想」からの抜粋です。
陸軍は早くから射撃用レーダーの開発に重点を置いており、独軍レーダーを導入して国産開発に資したいと考え、独空軍に交渉して同レーダーの開発に従事したテレフンケン社のフォーデルス技師の派遣方諒承を取りつけ、交渉に当たった陸軍の佐竹中佐と同技師は昭和18年(1943年)6月ボルドウ出港のイタリア潜水艦リキ・トルリ号に便乗して日本に向かい同年8月30日シンガポールに到着した。それより4日後の9月3日にイタリアは降伏し、この潜水艦はドイツ海軍に接収されたが、佐竹中佐とフォーデルス技師は共に9月12日航空便で無事日本に帰着、携えて速国産化への準備に着手した。研究グループは佐竹中佐を長として12名ほどで編成、日本無線の協力を得、シンガポール攻略時入手した探照灯連動の英軍SLCレーダーの研究に従事した山口直文技術大尉もこれに参加した。その後、陸軍へ譲渡の独軍レーダーの実物見本を積んだ伊号第8潜水艦が18年12月21日無事呉に帰着、レーダーは海軍技術研究所を経由して陸軍の多摩研究所に届けられた。この時点で、陸海軍は同レーダーの国産化に対する方針を協議、陸軍は独軍のものを忠実にコピーし国産化することとし、海軍はこれを参考にしてわが高角砲に適応した射撃用レーダーを開発するこことなった。
射撃用レーダーの開発には、既に見張用電探の改善・流用の失敗しており、技術的手詰まり情況に対して、戦局はいよいよ逼迫しつつあった。この窮地を打開するため、昭和19年3月、射撃用電波探信儀促進に関する会議が海軍省で開かれた。そこで重量と容積に対する制限は著しく緩和され、精度も多少悪くとも一応射撃ができる電波探信儀を6月末までに整備すべしという厳重な決議が採択された。
この結果、東芝製の2号3型、日本無線製の3号1型、3号2型、3号3型が新規開発されたが、結局は完成期日の遅れや能力不足などのため実効を収めるまでに発展することはできなかった。

以上が日本無線史などに記載されている公式資料の内容ですが、昭和19年3月以降においてこれらの機種以外にも海軍技術研究所では28号(TYPE 28)を企画して、日本電気に開発を依頼したものと思われる。
このように昭和19年初頭からは、センチ波を使用した射撃用管制レーダーの本格的な開発が始まった契機は、ドイツのウルツブルグレーダーの技術導入であった。

ここからは、本ブロックダイヤグラムについて技術的な検討を行います。


まずブロック図を見ると、艦船上部に設置する受信用と送信用パラボラアンテナと受信機の混合部から中間増幅部までのブロックと送信部全体を一体化した構造物として、この構造物が回転できる構造体となっている。
この利点は送受信とアンテナ間の導波管や高周波ケーブルなどによる伝送損失を極力低下させることにあるようである。
下部構造物として、選択機、測距機及び方位角測定用指示機などは艦船内部のレーダー室に設置している。
受信用アンテナは円形のパラボラアンテナではなく、上下をカットしているのは方位角の情報のみ必要なので仰角(高角)を測定する必要がない対艦船用の射撃のためと、搭載面積を減少させる2つの目的のためである。
受信アンテナの放射器として1/2λのダイポールアンテナが2本あるが、これはSwitching Boxを経由して交互に受信して等感度方式による計測の精度を高める技法である。
28cmの波長を使用することから、このダイポールアンテナは14cmの長さのものとなる。
参考資料 パラボラアンテナ事例
森田清氏は昭和10年(1935年)6月~7月には東京工業大学に於いて試作した放物線反射鏡付波長68cm電子振動型、出力3wattの発振器を以て東工大、茨城県筑波山頂間の80kmに亘り通信実験を行った。
送信は工大側より行なったもので電話としての出力は1~2wattであろうが、受信機に超再生検波二段のものを用いて充分山頂で拡声器が働いた。

受信機
混合部には空洞共振器(記載なし)を介して局部発振としてLD1、ヘテロダイン検波として鉱石検波器が採用されており、以下RH-8を使用した中間周波増幅5段の構成である。
RH-8の真空管事例

 
具体的な参考事例としては、東芝製の陸軍航空機用タキ14の詳細なブロック図を示す。
なお、タキ14では、Switching Boxは、機械式ではなく電子スイッチ式が採用されている。

 

送信機
同期パルスを元に、変調器で増幅し、Discharge Tube(放電管)0XG4を介して同期パルスが通過する時のみカットオフから開放され発振器LD212Cが動作する仕組みである。
システム構成は既存の設計のものと変わらず、特にコメントすることもない。
 
選択機(Selector Unit)、測距機(Ranging Unit)については、4号電波探信儀3型改2(L-3)と同機能であるので、そちらの内容を参照願います。
4号電波探信儀3型改 0、1、2  (Mark 4, Model 3 Modifications 0, 1, and 2 ) (L1, L2, L3)の解説
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022323.html
選択機の事例(L-1)

測距機の事例(L-1と同時期の米軍のSCR-270/271)

セルシン(シンクロ)機構について
ブロックダイヤグラムから2つのセルシン機構(シンクロ)が採用している。

W.L Motor Selsyn Gen Bearing  W.L Control Handle  のキーワードについて
W.Lは、Wheel 車輪のことを意味しそうですが、実際は上アンテナ部の部構造体を左右に動かくことで方位角の測定に使用する。
まず、艦船内のレーダー室では、方位角指示器を見ながら、等感度方式の反射波の受信レベルを平衡にするようにアンテナの向きを調整するため、室内に設置したW.L Control Handleを操作し、上部構造体を電動モーターで回転させる。
その動きに同期するようにセルシンモーターが動作し、防空指揮所の受信用セルシンが動作し、方位角を正確に読み取ることができる。
Range Selsyn Range Handle のキーワードについて
一方、測距器には、測距用指示器の反射波の位置まで位相調整用のゴニオメーターにより移動させれば、その移動量がセルシン送信器により防空指揮所の受信用セルシンが動作し、目標物までの距離を正確に読み取ることができる。
防空指揮所では、この基本情報をもとにアナログ計算機の高射算定具により未来位置を予測して射撃を行うこととなる。
空母葛城の事例

参考資料 セルシン機構(シンクロのこと)

最後に、続日本無線史<第一部> 昭和47年2月発行の無線機器製造会社から下記の重要なヒントを発見しました。
日本電気株式会社(住友通信工業株式会社)
海軍関係(レーダー関係)
S-3装置 150Mc帯、高角砲用、航空機標定電波探信儀、地上用 数組
S-24送信機 150~200Mc帯、電波探信儀送信機 100数十台
L-1金物 電波探信儀用指示器 数百台
M-22号、M-130号、M-213号指示器 電波探信儀用指示器各種
R金物、β金物 電波探信儀用精密測距器
SH-4金物 波長10cm、速度変調管使用、電波探信儀用受信機
241号金物 波長28cm、艦船用電波探信儀

ここで、最後に掲載された「241号金物 波長28cm、艦船用電波探信儀」は波長28cmであり、他のレーダーで波長28cmは使用例がないことから、TYPE28(28号)そのものと断定できる。
なお、民間企業で軍需品を生産する時には、「241号金物」のような秘匿名称が通常使用されるが、もしかしたら、軍の制式呼称は、2号電波探信儀4型改1と呼べるのではないかもしれない。
28号の諸元を整理すると以下の通りとなる。
諸元表
略称---------------------------------------------- 28号
目的----------------------------------------------艦船用対水上射撃用(小型艦艇用)
周波数 ----------------------------------------- 1071Mcs
繰返周波数------------------------------------- 不明cps
パルス幅 ----------------------------------------2.0μs
尖頭電力出力-----------------------------------1 kw
測定方式----------------------------------------等感度法
出力管------------------------------------------ LD202C
受信機検波菅----------------------------------鉱石検波器(OSC:LD1)
空中線 -----------------------------------------送信用と受信用パラボラ 
IF、mcs .---------------------------------------?Mcs
受信利得---------------------------------------? db
最大範囲----------------------------------------駆逐艦11km
測距精度----------------------------------------±100m
測方精度----------------------------------------±0.3°
電源----------------------------------------------
重量----------------------------------------------
製造----------------------------------------------住友通信(日本電気)
製作台数----------------------------------------


<新たな謎の24号について>
「日本電気ものがたり」からの電波兵器の関連のところを抜粋
小林正次さんの「日記」<未完の完成>から、研究所生田分所の解説から終戦にいたる経緯を辿ってみます。
昭和18年12月20日
真鶴に行き25センチの対空試験を行う。15粁まで中型攻撃機が追跡できる。空二四号として飛行機搭載を決める。
昭和19年5月2日
犬吠埼にタチ二〇の実験、三〇〇〇メートルの飛行機を50キロまで高度を正確に追いかけることが出来た。
昭和19年7月8日
タチ二〇は急速整備をすることとなった。一〇〇キロまで高度が測定できるものは世界に類がないので大いにやることになる。
昭和19年8月15日
タチ二〇は最重点兵器となった。伊藤大佐同行、横須賀-野比に行き二四号の対艦試験を行う。対駆逐艦二六キロの成績を得た。二四号も重点兵器となる可能性あり。 
昭和19年12月6日
昨日イ号が熱海の玉の井旅館に命中して火事を起こしたという。B二九の電波暗視機を見る。波長三センチ、受信管は金属管を用いた導波管を使いこなしてある。大変参考になる。
昭和20年7月9日
原島君から波長五センチの受信管の完成報告を受ける。外国にも例のない立派なものが出来上がった。大変愉快である。これによって重要兵器が出来上がるであろう。
昭和20年8月15日
我が国は、あまりにも科学技術を軽んじた。今後の行きかたは科学技術の育成ということを第一にかんがえなければならぬ。各人の仕事に改めて目標を至急着けてやる必要がある。新しい日本への具体的な仕事の目標を示してやる必要がある。

日本電気株式会社(住友通信工業株式会社)の海軍関係(レーダー関係)の生産情報では、28cmのセンチ波のレーダーは、「241号金物 波長28cm、艦船用電波探信儀」しかありません。
しかしながら、日本電気の小林正次氏(元日本電気(NEC)専務取締役)の日誌では、「空24号」として波長25cmのセンチ波の航空機搭載型のレーダーの軍の立合試験に臨んでおり、制式化の可能性にも触れておられます。
日誌の情報はごくわずかですが、下記の仕様として整理してみました。
本機の仕様は、波長25cm、航空機搭載用レーダー、探索距離15km(対中型攻撃機)、26km(対駆逐艦)
この仕様のレーダーの目的を考えるとあまりに機能が中途半端で警戒用レーダーとしては、探索距離が短すぎ、射撃管制レーダーとしては探索距離が長すぎてなんの目的のレーダーかわからない。
想像するに航空機に小型の大砲を装備した火器管制レーダーとしか考えられない。
しかし、伊藤大佐といえば、海軍技術研究所電波研究部の責任者であり、メーカーの開発責任者とも、この試験結果に満足しているような結果が記録されている。
更に、海軍技術研究所・電波研究部の組織表(昭和19年2月)からの研究内容にある第六科(航空用探信儀)第二班24号(新川)とあるように、日誌にある「空24号」は24号と同一のものと思われる。
ただし、ここでも更に疑問なのが、昭和19年度時点では、本来航空機用レーダーの所管は、海軍航空本部の航空技術廠のはずだが、何故か海軍技術研究所では航空機搭載用の23号と24号の開発を行っている。
勿論、海軍内部の人事交流もあると聞いているが、海軍技術研究所では空技廠ではできない高度な技術のものをテーマに研究していのだろうか。
ただし、24号については航空機搭載用レーダーを断念し、駆逐艦などの小型艦艇用の射撃管制レーダーに用途を変更して、新たに28号の型番を付与して制式化をめざしたのかもしれない。
そうすると、「空24号」が「24号」そのものであり、かつ「241号金物 波長28cm、艦船用電波探信儀」でもあり、かつ「28号」と考えると、実は全て事柄のつじつまが合うように思われる。
これ以上考えても、新たな資料が出て来ない限り謎のままで終わりそうです。


<参考情報>
第二海軍技術廠の敗戦時の電波兵器研究実験の状況について(GHQ報告資料)
http://minouta17.livedoor.blog/archives/28875362.html

 

<R05.03.19>追加資料
「日本無線史」9巻には、下記に示す「タセ7」の記載がある。
タセ7:船舶用電波標定機
海軍側担任(対艦船105-S2、対艦対空両用S3 相当)
第二次兵器として研究中、陸軍としては生産化に至らず。
標定距離対大艦30km、対小艦20km、測距精度±50m。
測角精度±0.5°。
因みに右に相当する独逸の制式は、標定距離最大(対中艦)20km、測距精度±50m、測角精度±0.1°(?)。
本資料から、開発は陸軍では行わず、海軍側の担当となったとあるが、この陸軍のタチ7相当品を、海軍が28号(TYTP 28)として開発したのが事の真相ではないだろうか。




参考文献
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
仮称4号電波探信儀3型 取扱説明書 ⑥兵器 475 防衛省戦史資料室
機密兵器の全貌 昭和51年6月 原書房
「ケンさんのホームページ」 真空管「Hシリーズ」 http://kawoyama.la.coocan.jp/tubestoryhsiries.htm
グランパーズ・シャック Grandpa’s shack
http://www.grandpas-shack.com/parts/item.php?itemid=7493
北鎮海軍工廠(防空指揮所)
http://blog.livedoor.jp/hokutinkaigun/archives/55668311.html