韜晦小僧のブログ 無線報国

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断捨離最終処分につきオークション取引再開について(令和4年05月24日)

2022年05月24日 08時44分37秒 | 96無線コラム

断捨離最終処分につきオークション取引再開について(令和4年05月24日)

以前から断捨離を継続的に行っており、貴重品については既に公的機関へ寄贈し、不用品についてはyahooオークションで処分しておりますが、未だ倉庫が満杯状態です。
今回は最終処分して倉庫に眠っている不用品についてはできる限り断捨離することにしました。
yahooオークションの第一陣の商品として測定器関連として真空管式オシロスコープを引っ張り出してみました。
真空管式オシロスコープについては、20年前から収集するようになり秋葉原の篠塚電機の店主(海軍の元通信兵)に頼んでいたら、1点1万円でどんどん収集する羽目になった。
真空管オシロスコープの収集は、旧軍のレーダーの指示機を自作するための部品どりを目的としていたのですが、度を越えてどんどん収集に歯止めがきかなくなった次第です。
古い真空管式オシロスコープは今では動作品のものは皆無に近いのですが、修理はコンデンサーの交換で簡単に修理できますが、高耐圧のコンデンサーも高価なこともありあまりお勧めできません。
しかしながら、古い真空管式オシロスコープを一度修理するとその魅力ははまるかもしれませんね。

 


中国新聞社への投稿記事「今も耳に残る特攻隊の叫び」に関する30年後の考察について(令和4年05月19日)

2022年05月19日 08時08分26秒 | 96無線コラム

中国新聞社への投稿記事「今も耳に残る特攻隊の叫び」に関する30年後の考察について(令和4年05月19日)

平成3年(1991年)12月15日の中国新聞社の読者投稿欄に投稿された「今も耳に残る特攻隊の叫び」を掲載する。

中国新聞社に投稿された栗林登氏は、投稿当時68歳とのことなので、昭和19年当時であれば21歳で応召されたことになります。
ご存命されているのであれば、99歳となられると思いますが、日本は超高齢化社会なのでお元気で居られることをお祈り申し上げます。
今回は、本投稿記事を基に、あくまで軍用無線に関する事項を主眼として敗戦末期の陸軍小月飛行場に関連する当時の状況を出来る限り明らかにしたいと思います。

投稿記事の重要なキーワードを以下の3点として整理した。
1.昭和19年4月、下関小月旧陸軍航空隊に応召し、終戦まで通信兵として従事
2.昭和19年7月、旧八幡製鉄所の初空襲
3.小月から飛び立った1パイロットがB-29に初体当たりをし、これを機に特攻隊が編成され終戦までの約1年間に、多くのパイロットが北九州上空で散華した。
無線電話を通して、突入寸前に発する最後の肉声が、今でも耳に残る。

1. 昭和19年4月、下関小月旧陸軍航空隊に応召し、終戦まで通信兵として従事
小月航空基地の沿革
戦前
1937年(昭和12年)6月 - 逓信省の下関飛行場として着工
1940年(昭和15年)
3月 - 逓信省所管「下関飛行場」竣工
4月 - 帝国陸軍に移管され下関陸軍飛行場に改称。大刀洗陸軍飛行場より飛行第4戦隊が移駐
1941年(昭和16年) - 小月飛行場と呼称されるようになる
1942年(昭和17年)
4月 - 第4戦隊は二式複座戦闘機「屠龍」に機種改編
10月 - 第19飛行団司令部を配置
1944年(昭和19年)7月 - 第19飛行団司令部が第12飛行団司令部に昇格
※ 第4戦隊は本土防空飛行部隊として夜戦を含む練成にあたり、B-29による日本初爆撃である八幡空襲(1944年6月)に始まる本土防空戦に敗戦まで小月において従軍。

※コメント
下関小月旧陸軍航空隊とは、在内地航空部隊復員状況一覧表によると第6航空軍の第12飛行師団のことで終戦時約4,000名の人員を要する飛行師団であった。

終戦時の小月飛行場兵器集積現況表

※文字起こし版
戦闘機    
97戦           5機
1式単戦        6機 
2式単戦        1機
2式複戦         47機
3式戦         1機 
4式戦          18機 
5式戦         1機
練習機    
直協高練       8機
双練         7機
偵察機
軍偵         1機
百偵         4機
爆撃機    
99双軽             1機
機種不明   
B6N2                           1機 (※海軍艦上攻撃機 天山一二型のこと)
海軍中練          8機
合計         109機

※コメント
戦後、米軍への武器引渡しのために取りまとめた「小月飛行場兵器集積現況表」には、航空部隊の一般的な組織表にもTMとして対空無線の組織があるはずなのだが、無線通信機器に関する引渡し資料が何故かないこともあり、通信組織の実態が残念ながら本資料ではわからない。
しかし、引渡しには、表外との断わりがあるが「電波探知機3台」が含まれているが、陸軍では、通常は電波警戒機と電波標定機の2種類に区分されるが、その総称として電波探知機なる名称を使用している。
ここでは、基地周辺の対空警戒用の電波警戒機が配備されていたものと思われる。
ファザーさんのHPによれば、下関周辺では和久に電波警戒機乙要地用2台と電波警戒機甲1台の計3台配置されていたとのことから、このことを指しているのかも知れない。
なお、電波警戒機については第35航空情報隊が所管している。
参考情報 電波探知機の用語の使用例

更に、通信組織を調査するためアジア歴史資料センターのデータベースで検索すると第12飛行師団の組織表がヒットし、対空無線の組織は、第14対空無線隊(西部第109部隊)であることが判明した。
したがって、投稿者の方もこの第14対空無線隊に所属したものと思われます。
写真は熊本陸軍飛行場(熊本健軍飛行場)の通信室の運用状況

 ※文字起こし版
第12飛行師団
第12飛行師団司令部
独立飛行第19中隊
飛行第4戦隊
飛行第59戦隊
第41航空地区司令部
第4飛行場大隊
第64飛行場大隊
第65飛行場大隊
飛行第71戦隊
第142飛行場大隊
第148飛行場大隊
第162飛行場大隊
第172飛行場大隊
第173飛行場大隊
第174飛行場大隊
第248飛行場大隊
第57飛行場中隊
第19航空通信連隊(削除)
第6対空無線隊(削除)
第7対空無線隊(削除)
第14対空無線隊
第2航測連隊第2中隊(削除)
第193飛行場大隊
第194飛行場大隊

飛行第4戦隊の概要
飛行分科:偵察、戦闘
編成時期:1938年(昭和13年)8月31日(飛行第4連隊(4FR)を改編)
編成地:芦屋町
使用機種:九四式偵察機、九五式戦闘機、九七式戦闘機、九七式司令部偵察機、二式複座戦闘機「屠龍」
終戦時の所在地:小月(山口県)

当記事との関連を調べるため、戦闘機隊史を見ると「飛行第104戦隊が昭和19年7月26日小月の4戦隊内で編成に着手し、8月上旬第一次編制が完結し防空戦闘隊で、戦隊長に滝山和少佐が発令された。この間、中村和雄少尉は、8月20日のB-29来襲に際し、戦隊唯一の1式戦で八幡上空の迎撃に出動した。」とある。
その後104戦隊は満州防空を内示され、9月8日現在で、戦隊は奉天に進駐している。

独立飛行第19中隊/司偵防空戦闘機隊(靖第21204)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)、百式司令部偵察機改(百改)
◆部隊史
西部軍管区内の防空作戦に参加
◆編成/昭和19年7月30日小月
◆復帰/昭和19年9月15日、小月
◆歴代中隊長
自在丸庫一少佐

飛行第59戦隊
昭和19年7月18日付けで戦隊は第12飛行師団隷下に編入されて制式に防空任務を付与され、8月20日の昼間来襲時には稼働戦力21機で迎撃して、B-29の迎撃の戦果をあげた。北九州地区の防空にあたり、昭和20年7月10日現在の戦隊戦力は5式戦48機(うち可動機22機)、7月25日付けで、戦隊は第12飛行師団から第30戦闘飛行集団に転入。

飛行第71戦隊
昭和20年4月1日比島から帰還し、第12飛行師団の隷下にあって北九州地区の防空任務についたが、4月ごろの4式戦可動機は4から9機にすぎなかった。
5月中旬、戦隊は義烈空挺隊の出発援護のため熊本県の隈之庄に前進後、5月24日防府へ復帰した。8月13日戦隊は南九州防空のため、15日夕方から知覧に前進して迎撃戦闘に当たるべし、との命令を受領したが、準備完了後、終戦により中止命令を受けた。
5式戦への機種改変する計画であったが、結局実現を見ないままに終わった。

一式戦闘機
一式戦闘機は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ43。愛称は隼(はやぶさ)。呼称・略称は一式戦、一戦、ヨンサンなど。連合軍のコードネームはOscar(オスカー)。開発は中島飛行機、製造は中島および立川飛行機。

二式複座戦闘機
二式複戦は日本本土の防空部隊にも配備され、1942年(昭和17年)4月のドーリットル空襲の際には出撃したものの、会敵できずに終わった。B-29による本土空襲が1944年(昭和19年)6月に開始されると(八幡空襲)、二式複戦を装備する飛行第4戦隊や飛行第5戦隊、飛行第53戦隊といった部隊が戦果を挙げた。特に山口県下関市小月飛行場に駐屯する第12飛行師団隷下の第4戦隊は、日本の鉄鋼生産業の心臓部でもある北九州の八幡製鉄所を防空地区としていたこともあり、西部軍管区司令部直轄の来襲機情報の早期伝達、完全に整備された無線電話の積極的な活用、地上の戦隊長による戦隊指揮所から無線電話を利用しての部隊指揮、地上部隊(高射砲・照空灯)との緊密な協同戦、特に錬度の高い操縦者で構成されるなど、対B-29の本土防空部隊としては日本一の精鋭部隊とも称された。それらの準備は実戦においても生かされ、B-29の日本本土初爆撃となった1944年6月15日から迎撃戦に参加し、最多B-29撃墜王となった樫出勇大尉(B-29の26機撃墜を報告)を筆頭に多くのエース・パイロットを輩出し、以降終戦に至るまで連日出撃した。
しかし、高性能のB-29を撃墜するには速度・上昇力・高高度性能すべてが不足しており、有効な攻撃をかけることは難しかった。そのため、体当たり攻撃専門の空対空特攻隊(震天隊・回天隊)が一時編成された。通常攻撃の機でも体当たり攻撃は頻繁に行われた。

動画 日本軍] 二式複座戦闘機"屠龍" WW2 Japanese Kawasaki Ki-45"Nick"
https://www.youtube.com/watch?v=1aNk-qYSiKE


2.昭和19年7月、旧八幡製鉄所の初空襲
八幡空襲
八幡空襲は、第二次世界大戦中の1944年6月16日未明、アメリカ陸軍航空軍第58爆撃団の戦略爆撃機B-29が行った初めての日本本土空襲。九州北部の官営八幡製鐵所を第一目標とし計75機のB-29が出撃、うち47機が八幡市などを爆撃した。製鐵所の被害は極僅かだったが、爆撃は北九州5都市(八幡、小倉、戸畑、門司、若松)におよび、270名以上が犠牲となった。米軍側報告では作戦中の事故で5機のB-29が損失、2機が日本軍機により撃墜とされた。これに対し、日本側報告では撃墜6機(内不確実2機)、撃破7機、日本側被弾機1機と報じられた。
目標の八幡製鐵所コークス炉への命中弾はなく、空襲自体は不首尾だったが、同日サイパン島に米海軍の上陸を許したこともあり(サイパン島の戦い)、大本営は八幡空襲の報に衝撃を受けた。一方でアメリカや中国ではこの空襲の成果が大々的に報道された[4][5]。作戦中B-29の収集した情報によって日本本土の防空体制の脆弱さが明らかとなり、その後の大規模な本土空襲の発端ともなった。
八幡市は、1944年8月20日に中国から飛来したB-29によって2度目の空襲を受け、さらに翌1945年8月8日の3度目の空襲(八幡大空襲)ではマリアナ諸島基地発のB-29が焼夷弾爆撃を行い、罹災者数5万2562人、罹災戸数1万4000戸 死傷者は約2,500人の壊滅的な被害を被った。


3.小月から飛び立った1パイロットがB-29に初体当たりをし、これを機に特攻隊が編成され終戦までの約1年間に、多くのパイロットが北九州上空で散華した。
無線電話を通して、突入寸前に発する最後の肉声が、今でも耳に残る。

※コメント
投稿者は19年7月に初空襲で、小月から飛び立った1パイロットがB-29に初体当たりしたとありますが、実際は「飛行第104戦隊が昭和19年7月26日小月の4戦隊内で編成に着手し、8月上旬第一次編制が完結し防空戦闘隊で、戦隊長に滝山和少佐が発令された。この間、中村和雄少尉は、8月20日のB-29来襲に際し、戦隊唯一の1式戦で八幡上空の迎撃に出動した。」という記録がある。
一方、矛盾はあるのですが、飛行第59戦隊も、同日の8月20日の昼間来襲時には稼働戦力21機で迎撃して、B-29の迎撃の戦果をあげたとの記録もある。
77年前の戦争ですから、多少の誤謬があるのは当然の事で真相はわかりません。
なお、8月20日の体当たり特攻の記録については、確認できませんでした。

※コメント
投稿者の方も、「無線電話を通して」として強調されていますが、通常陸軍でも海軍でも無線通信はモールス信号による電信が主要な通信手段である。
しかしながら、陸軍航空隊の戦闘機と基地間及び友軍機間では無線電話が使用されている。
以下、99式飛行機用無線機について紹介する。
戦史叢書 陸軍航空兵器の開発・生産・補給からの抜粋
99式飛行機用無線機
99式飛行機用無線機は、昭和13年の研究方針に基づいて、航空が初めて審査を行った器材で、飛1号(遠距離用)、飛2号(中距離用)、飛3号(近距離用)、飛4号(編隊用)及び飛5号(指揮用)の5種があり、いずれも制式制定は昭和16年であった。
飛3号は雑音が大きく、周波数変動がはなはだしかったため、編隊通信を除いてほとんど戦闘機の要求を満足させ得なかった。飛4号は超短波を使用していたため、編隊構成時に他機の機影内に隠れた機とは通信が困難で、また、飛5号は出力が飛2号に及ばなかった。このため、飛4号及び飛5号に対する部隊の評価は芳しくなく、不必要という意見が出て、整備は途中から中止された。
ただ、99式の器材は部品の統一を図り、真空管も807A(送信用)、6F7(受信用)の各1種としたことで、補給は極めて容易となった。
機上用無線機に対応する対空用無線機として、地1号、地2号及び地3号が制定された。これらは従来のものより小型軽量となり、運搬が容易であった。
このほか、操縦訓練に使用する超短波無線機(操縦訓練無線送信機、同無線受信機、同無線車から成る)も制定された。

※コメント
陸軍の場合、航空機により飛1号(遠距離用)、飛2号(中距離用)、飛3号(近距離用)、飛4号(編隊用)及び飛5号(指揮用)の5種があるが、どの機種がどの無線機を搭載するような公式資料が全くない。
ただし、一式戦闘機「隼」については、飛3号(近距離用)が搭載されていることがわかっているが、二式複座戦闘機「屠龍」の搭載無線機については、永年不明であったが、今回の調査で下記の取扱法に飛3号を搭載するとの記録があった。

99式飛3号無線機の諸元については、下記のURLを参照願います。
99式飛3号無線機 https://minouta17.hatenablog.com/entry/2019/07/02/095059

※コメント
第6航空軍の第12飛行師団における飛行機搭載用の無線機及び対空通信用の地上部隊である対空無線隊の無線機の保守管理はどの部隊がおこなっていたのだろうか。
基本的には、飛行場大隊は飛行機の管理、航空部隊への支援、飛行場の整備などの保守管理を行う部門である。
第12飛行師団には、飛行場大隊として下記の大隊及び中隊がある。
第4飛行場大隊、第64飛行場大隊、第65飛行場大隊、第142飛行場大隊、第148飛行場大隊、第162飛行場大隊、第172飛行場大隊、第173飛行場大隊、第174飛行場大隊、第248飛行場大隊、第57飛行場中隊、第193飛行場大隊、第194飛行場大隊
この中のどこかの大隊が無線機の保守管理を行っていたと思われるが、第12飛行師団でのこれ以上の情報を探すことができなかった。
仕方ないので第5航空軍司令部での飛行場大隊の具体的な事例を調査することとした。
本資料は終戦後に飛行場大隊単位に中華民国への兵器引續目録表/兵器引續数量表(航空兵器)の中の通信兵器のみを抽出した資料である。
第5航空軍司令部
昭和19年(1944年)2月15日編成、在支航空戦力の増強を図るため、司令部を京城に置き、次の航空部隊を指揮した。(支那派遣軍戦闘序列内の第3飛行師団から格上げ)
第5航空軍直轄 第202飛行場大隊
地一号方向探知機(二型) 1組、地二号無線機(二型)1組、地二号無線機受信機乙1組、地二号無線機整流器、地二号無線機発動機属品箱
第5航空軍直轄 第221飛行場大隊
九九式飛二号無線機1組、 九六式飛二号無線機2組
第5航空軍直轄 第160飛行場大隊
地一号無線機受信機1組、地二号線機受信機4組、地二号線機送信機1組、地三号無線機7組、特殊受信機1組
第5航空軍直轄 第161飛行場大隊
地三号無線機1組
上記事例のように各飛行場大隊により、航空機搭載用無線機、対空通信用の地上無線機及び航測隊用の方向探知用無線機の保守管理を行っていることが分かる。

参考情報
陸軍戦闘機の無線兵装の実装の実態について
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2022/05/07/090806


その他気付き
二式複座戦闘機「屠龍」のコックピットの右サイドの配電盤の上部にはオリジナル機体には何もないが、米国でのテスト機には、米軍の送受信機用の遠隔操作部を新たに設置している。
送受信機本体については、後部座席の背面に設置されているものと思われる。
二式複座戦闘機「屠龍」は飛3号無線機を後部座席に設置している関係上、米軍のテスト飛行ではパイロット一人で操縦するため、日本のオリジナル無線機が使用できないことから、新たに米軍の無線機を設置したのだろう。
米軍も日本陸軍の航空機にも直流電源の24Vが使用されていることから、容易に無線機の追加工事が可能だったものと思われる。
なお、日本の海軍機は直流電源が12Vのためこのような互換性は確保できない。

二式複座戦闘機「屠龍」に搭載された米軍の無線機について
SCR 274-N
BC-450-4 送受信機用遠隔操作部

BC-453-B  BC-454-B  BC-455-B 受信機

BC-457-A  BC-458-A 送信機

BC-456-B 変調機

 


参考文献
戦史叢書 陸軍航空兵器の開発・生産・補給 防衛庁防衛研修所
日本陸軍戦闘機部隊 航空情報編集部 昭和52年3月
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15011097900、小月飛行場兵器集積現況表(航空兵器) 昭和20年10月5日現在(防衛省防衛研究所)」
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15011154700、12.昭和20年10月15日 在内地航空部隊復員状況一覧表(防衛省防衛研究所)」
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12121028700、第12飛行師団(防衛省防衛研究所)」
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15120130400、西部の部隊(防衛省防衛研究所)」
ファザーさんのHP http://www17.big.or.jp/~father/aab/FN/35FN/35FN.html
飛行第4戦隊 (日本軍) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E7%AC%AC4%E6%88%A6%E9%9A%8A_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)
二式複座戦闘機 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%BC%8F%E8%A4%87%E5%BA%A7%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F
一式戦闘機 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BC%8F%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F
八幡空襲 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A9%BA%E8%A5%B2
小月航空基地 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9C%88%E8%88%AA%E7%A9%BA%E5%9F%BA%E5%9C%B0
独立飛行中隊一覧データベース
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2018/01/post-f304.html
Yahooオークション

 

 


陸軍航空機のT式方向探知機(AN方式)器材の解説について

2022年05月12日 12時39分49秒 | 01陸軍無線機器

陸軍航空機のT式方向探知機(AN方式)器材の解説について

飛3号無線機を調べていると回路図の接続筐に1号航路標識受信機への接続インターフェースが記載されていることに気付いた。
99式飛3号無線機(2型)の回路図

以前ネットで航路計なるメーターを目にしていたことと、陸軍の航空機搭載用の型式不明の方向探知機を昔所有していたので、今回あらためて陸軍航空機の方向探知機に関する調査を行うこことした。
とはいっても、方向探知機など現代社会では完全に絶滅危惧種だろうが、昭和の生き残りのものとして、最後のあがきに記録資料として留めておくことにする。
航路計


飛2号方向探知機の初期型(?)

まずは、戦史叢書 陸軍航空兵器の開発・生産・補給 防衛庁防衛研修所からの抜粋する。
無線航法器材
地上用及び機上用方向探知機に次いで実用化された無線航法器材は、航法用送信機と盲目着陸装置であった。
航法用送信機は地上に設置して、A1電波を発射し、機上用方向探知機がこの電波を測定して飛行方向を決定するための航法用器材で、空中線電力を異にする2種類が制定された。
盲目着陸装置は、既に昭和10年ころ独国ロレンツ社製のものを購入し、同社技師指導のもとにまず狭山飛行場に設置して試験したことがあったが、これを原型として、昭和15年、日本無線株式会社が国産化した。
本装置の地上装置はラジオビーコン、着陸信号送信機及びこれらを遠隔操作する中央指令装置から成り、機上装置はラジオビーコン受信機、着陸信号受信機から成っていた。本装置は北海道方面に配置されたものの、航空部隊全般の計器飛行能力が伴わなかったので、あまり利用されなかった。

次に、公式資料である日本無線史9巻からの航空機用の方向指示関係器材を以下に抜粋する。
1.航法用1号無線機
本機は地上に設置してA1電波を発射し飛行機上にある飛1号方向探知機乃至飛3号方向探知機に依り電波を測定し方向を定め飛行方向を決定する航法用器材の1つである。
1.送信機(水銀蒸気整流器附)
方式 水晶発振-電力増幅
周波数範囲 265-1,500kc
空中戦電力 5kw(A1の場合)
電波形式 A1
2.空中線
形式 逆L型
柱高 必要に応じて定める

2.航法用2号無線機
本機の用途は航法用1号無線機
と同一である。
1.送信機(水銀蒸気整流器附)
方式 水晶発振-三段増幅
周波数範囲 265-1,500kc
空中戦電力 1kw(A1の場合)
電波形式 A1
2.空中線
形式 逆L型
柱高 必要に応じて定める

3.飛1号方向探知機(大型機用)
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2019/07/02/110530

受信機
方式 高周波増幅1段-周波数変換-中間周波増幅2段-オートダイン検波-低周波増幅2段
周波数範囲 550-1,200kc(1型)
      160-375kc  550-1,300kc(2型)
空中線
中径40糎(センチメートル)のループ
電源 直流変圧器
入力 24V 2.9A
出力 200V 40mA
   13V 1.8A

4.飛2号方向探知機(中型機用)
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2019/07/02/111052
受信機
方式 高周波増幅1段-周波数変換-中間周波増幅2段-オートダイン検波-低周波増幅2段
周波数範囲 200-375kc 550-1100kc
空中線
中径20糎(センチメートル)のループ
電源 直流変圧器
入力 24V 2.4A
出力 100V 40mA
   13V 1A
本機の外に飛3号方向探知機(本機の受信機に空中線として)中径10糎(センチメートル)の円筒状ループを有するもの)を小型機用として使用する如く制定したが遂に実用するに至らなかった。従って本機は小型機用にも使用された。
本機の空中線は流線形絶縁体の中に納められ飛行機機体外に装備された。

日本無線史の資料だけでは、航法用無線機がA1電波を送信し、その電波を航空機搭載の方向探知機が受信してホーミングの方向を決定するという大変アバウトな内容しか理解できない。そこで、ネット検索すると以下の2つのキーワードにつきあたった。
1.ドイツから輸入したテレフンケン社の機上方向探知機EZ-2を手本として開発
2.陸軍航空機の方向探知機はAN方式を採用

この結果、陸軍の方向探知機の中核技術は、AN方式ということになるが、ネットではこれ以上の情報はないようである。
そこで、昭和16年発行の無線工学ポケットブックを参照すると、テレフンケン会社の方式として方向探知方式とし、AN方式の記載があった。

以下文書にすると以下の通りである。
a.テレフンケン会社の方式
第24・71図に示す如く枠形空中線に垂直空中線効果を加え、その位相を転換器によって交互に逆転するものである。これによって第24・72図に示す如く2個のハート形受信特性が出来るから、この切換をA(- -)N(- -)の符合に従って行へば等強度線の方向から電波が到来した時連続音を聞き、これより左又は右にずれることによってA又はN音を聞くから、聴覚によってAN式帰還装置となる。又この切換を毎秒10回程度とし、出力直流電流計の極性を同期的に逆転すれば可視式となる。
通常状態では枠形空中線はその面が機体の方向と直交する位置に固定されるが、これを回転して方向探知を行うことも可能である。然し機械式切換装置を有するために切替時にクリックを発生し易い欠点がある。
本方式の代表的なものはテケフンケン会社製P-55N帰還装置で、その全重量は約27kgである。

この説明でANとはモールス符号の“A”と“N”のことだとやっと理解できた。

方向探知機の原理

飛2号方向探知機の回路図

回路図から枠型空中線と補助空中線の関係、使用区分として、以下の受信、A/N、∞の3モードがあるようだ。
受信モード:一般の放送や無線通信を受信モード(枠形空中線の切替なし)
A/Nモード:方向探知モード(枠形空中線の切替を行う)
∞モード:単一方向決定モード(枠形空中線に補助空中線を接続する)
上記から情報を総合的に判断して方向探知機の全体概要を解説するこことする。
航法用1号無線機、航法用2号無線機は、ホーミング用の電波発信源とし2ヵ所設置し、1つにはモールス符号のA(ト、ツー)を自動発振し、もう一つではモールス符号のN(ツー、ト)を自動発振する送信源として距離をあけて2局ほど設置する必要がある。
航空機搭載の方向探知の仕組みは下記のとおりである。
方向探知のシステム構成図

上記仕組みは、飛1号方向探知機として実現しており、指示器としては航路計として表示することができる。


飛2号方向探知機は、第24.71図のテレフンケン会社の帰還装置のS1を省略した簡易版として、指示器の代わりにモールス信号の音声で方向が分かる仕組みである。

枠型空中線と補助空中線の関係について
枠型空中線のみでは8の字特性しかなく、目的の方向及び180度の逆の2つの解が生じることになる。
このため、枠型空中線に補助空中線(無指向性)を同時運用した場合には、合成受信起電力がハート型の受信特性となり真の方向のみが表示されることになる。
このため、ANモードで方向決定したあと、∞のモードに変更して、その方向の真偽を確認することとなる。

 
参考資料
無線航法についての記述があるので添付する。(陸軍航空隊には航測隊なる支援部隊があったようだ)

<R04.05.14>追記
航測隊に入営、航測手として 南方方面転戦記 山形県 鈴木栄三郎
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/onketsu/07/O_07_195_1.pdf

地1号方向探知機
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2019/07/02/110328




参考情報
海軍航空機の無線帰投装置の考察

https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/04/10/093455

 


参考文献
「日本無線史」9巻 1951年 電波管理委員会
無線工学ポケットブック 社団法人日本ラヂオ協会 昭和16年7月発行 
横浜旧軍無線通信資料館 HP、掲示板、FB
戦史叢書 陸軍航空兵器の開発・生産・補給 防衛庁防衛研修所


陸軍戦闘機の無線兵装の実装の実態について

2022年05月07日 08時40分12秒 | 01陸軍無線機器

陸軍戦闘機の無線兵装の実装の実態について

陸軍戦闘機用無線機には、飛3号無線機が使用されており、通信距離100粁(km)、短波を使用、重量15kg以内、電話を主とし、電信の使用も可能というのが基本的な諸元である。
なお、通信距離100粁は対地通信の条件であり、編隊内電話通信については戦闘飛行団戦闘の要求(所要通達距離50粁)を満足させることは出来なかったとのことである。
今回は陸軍戦闘機に搭載された無線機がどのように実装されて、如何に使用されたかなどの実態を具体的に検討することとした。
まずは飛燕に搭載された99式飛3号無線機を参考に示す。

上記資料から飛3号無線機の受信機はパイロットのコックピットの前面フロントの真ん中下部に設置されている。
送信機はパイロットの背後の空きスペースに収容されている。
コントールBOXである接続筐は、右横の上部に配置されていることが分かる。
ここで疑問がでるのは、何故コックピットのフロントの重要な部分に、大きな体積を持つ受信機を設置する必要があったのかである。
日本海軍の戦闘機では、このような配置ではなく、96式空1号無線機の受信機と送信機をコックピットの右サイド下部に配置しているが、このため無線機の形状は奥行が極端に短い特殊な形状となっている。
このような無線機配置のため、無線機運用では操作性が悪くなっているのもパイロットからの不評の要因の一つである。
陸軍戦闘機のようにパイロットの正面に受信機があれば、操作性の問題はないだろう。

日本陸軍の戦闘機の無線運用は、基本的には無線電話が主体である。
飛3号無線機の受信機のフロントの操作としては、音量調整器、AVC(自動音量調整)のスイッチと同調ダイヤルの3点のみである。
ただし、同調ダイヤルは送信機の送信周波数と同一となるように事前に調整されており、ダイヤルはロックされている。
パイロットの無線電話運用で受信機のパネル操作は、通常飛行機相互の通信距離に影響されるが、通常運用ではAVCスイッチをONとしておけば問題ない。
ただし、飛行機相互の通信距離が極端に、近ければ音量調整器をさげ、遠かればAVCのスイッチをOFFとして音量調整を上げる必要がある。
このように飛行機の運用特性にあわせた受信機の運用のためには、パイロットが操作しやすい場所への設置は重要である。
本来なら、リモートコントロールBOX(陸軍では接続筐、海軍では管制器と呼称)の機能として遠隔操作できればいいのだが、大戦前や大戦当初の段階ではこのような運用の発想はなかったようだ。

陸軍戦闘機用の飛3号無線機の系統の変遷について
小型飛行機(戦闘機)用機上無線機
99式飛3号無線機 https://minouta17.hatenablog.com/entry/2019/07/02/095059
99式飛3号無線機は96式の性能を相当改善向上したものであるが、なおその装備と取扱とに細心注意となければ、機上雑音の大なるし周波数の変動の激しいとにより定格通話距離を確保することが難しく、実用価値乏しきの憾(うら)みがあった。然るに他方一式戦闘機-軽戦闘機と重戦闘機との中間物、所謂中戦闘機-及びそれ以後の重戦闘機に於ける戦闘法の一大転換に伴い所要通話距離が著しく増大した。かような次第で新たに4式飛3号無線機の制定をみることとなった。本機は周波数の変動を極端に抑制する如く構造し且つ出力を倍加したものであって、戦隊戦闘の必要は困難ながらこれを充たすことが出来た。但し機上雑音防止問題を解決しなければ、戦闘飛行団戦闘、戦闘(防空)飛行団戦闘の要求(所要通話距離50粁)は到底これを満足させ得ない状態であった。

送信機は、海軍の96式空1号無線電話機(試作会社は沖電気と思われるが)の回路構成がほぼ同一であり、本機の製作会社には、東洋通信機株式会社も参加していることから、飛3号無線機の試作会社はそのノウハウを利用した東洋通信機のものが採用されてものと思われる。

なお、受信機については、海軍の96式空1号無線電話機の受信機は適切な真空管を用いた優秀な通信型受信機であったが、陸軍ではドイツの影響を受けた万能菅の思想を受けた要求仕様が影響したのか、本機受信機には特殊なUt-6f7のメタル管US-6F7(日本独自管)を採用したため、保守運用は改善しているが受信性能は海軍の96式空1号無線電話機よりは低下している。
東芝のUS-6F7及び同型菅の日電(住友通信)のMC-804-A

したがって、総合的には、海軍の96式空1号無線電話機よりも陸軍の飛3号無線機のほうが性能は劣っている。
海軍の96式空1号無線電話機についてはパイロットから大変不評でたったように、やはり同規模の性能(出力7W程度)の陸軍の飛3号についても、ウィキペディア 「一式戦闘機」の無線の項に記載されているように陸軍のパイロットから評判が良かったわけではなさそうだ。
96式空1号無線電話機、飛3号無線機とも、編隊通信の通達距離は20km程度が安定的な運用の限界と思われるので、この通達距離内での編隊機同士の専用の無線電話機として活用を考えるべきであった。
しかも、送信機が非力であることを逆手にとって、無線封止の中でも、逆に編隊内通信は可能ということであったということを、航空部隊幹部が理解できていないことに問題があったのではないだろうか。

4式飛3号無線機 https://minouta17.hatenablog.com/entry/2019/07/02/095748
次に、4式飛3号無線機では、生産向上対策として、受信機の使用周波数範囲を4Mcから6Mcのみに限定し、受信機の使用真空管もメタル管US-6F7(日本独自管)を廃して、通常のST管のUt-6f7に変更している。
ST管のUt-6f7(3極5極複合管)

送信機は真空管UY-807A×2本から1本増設し、パワーアップをはかっている。
ただし、運用配置は、99式飛3号無線機と同様となっており、運用的な改善には至っていない。

ム-4 https://minouta17.hatenablog.com/entry/2019/07/02/095748
最後のバージョンであるム-4では、飛3号無線機を根本的に見直し、さらなるパワーアップを計っている。
送信機は専用の出力管をUY-807A×2本とし、新たに変調機を設けUY807A×2本を用いた終段C級終段陽極遮蔽格子同時変調を行い、本格的な無線電話運用が可能となった。
送信管UY-807A

受信機も4式飛3号無線機のST管のUt-6f7×4本から1本増設し、受信機機能の強化を図っている。
更に、今までの受信機をコックピットのフロントに配置した運用を見直し、完全な遠隔操作が可能となるように接続筐の機能改善を行っている。
これにより、送信機、変調器、受信機はパイロット席の背部に、機体へ直付けの直接設置方式、筐体はアルミ製から薄い鉄板に変更するなどの生産効率の改善が図られている。
これでやっと、米国並みの戦闘機用の電話無線機が完成したこととなったが、時期的には昭和20年当初以降の事と思われるが、ム-4に関する公式資料は全く存在しない。
なお、本機の製造会社は東洋通信機株式会社である。
ム-4の全体構成システム


リモートコントロール用の接続筐(海軍では管制器)

陸軍航空部隊地上通信部隊
地2号無線機・受信機の運用状況

参考に、平成3年(1991年)12月15日の中国新聞社の読者投稿欄に投稿された「今も耳に残る特攻隊の叫び」を掲載する。


その他気付き
写真の飛燕は戦時か敗戦後か時期は不明であるが米軍によりテスト飛行のためコックピット内の計器には英語表記が追記されており、飛3号の受信機の下部に米軍のDETROLA受信機(表面にTOWER-2との表記がある)が追加装備されている。
この事実から、米軍のテスト飛行では本機の飛3号無線機を使用してテスト飛行をしたことがうかがえる。
ただし、無線機故障対策として、米軍のDETROLA受信機を追加しているようだ。
米軍が日本の航空機をテストする時には、真っ先に日本の無線機を取外し、米軍のものと交換するとの記事を多く見るが、事実は全く異なるようだ。
この1枚の写真から、当時の日本製の無線機の信頼性が低かったわけではないことが良く分かる資料である。
なお、本飛3号無線機の受信機は周波数帯変更のためのコイルパックの交換用にU取手があるので、99式飛3号無線機でも初期型のものと推定できる。

DETROLA受信機の解説
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/01/27/161827
 



参考文献
丸 2020年9月号 日本陸海軍「航空機用無線機」発達史 野原茂
「日本無線史」9巻 1951年 電波管理委員会
岐阜かかみがはら航空宇宙博物館
銘球列伝 http://totron.sakura.ne.jp/index.htm
『ウィキペディア(Wikipedia)』三式戦闘機
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%BC%8F%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F
ウィキペディア 一式戦闘機 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BC%8F%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F

 


戦火のウクライナから当ブログへのアクセスあり(令和4年05月05日)

2022年05月05日 10時27分00秒 | 96無線コラム

戦火のウクライナから当ブログへのアクセスあり(令和4年05月05日) 

日本帝国陸海軍無線開発史(https://minouta17.hatenablog.com/)なるブログを別途に開設しています。
本ブログは戦時の旧軍の無線機や電波兵器に対して、大変中途半端な内容ではありますが、網羅的、体系的に情報を整理することに努めているところです。
アクセス対象も日本語オンリーで国内専用のつもりですが、海外からも少しはアクセスがあるようです。
その中でも、数年前からウクライナからの時々アクセスがあり、どんなかたが興味を示されているかと思っておりました。
しかしながら、今回のロシア侵攻でもはやウクライナからのアクセスなどの考えられないと思っていた矢先に、2020年5月3日にウクライナから当ブログへのアクセスがありました。


IPアドレスから場所は首都キーウの北東のNizhynという地名のようです。
キーウの北西のブチャーなどの悲惨な動画から想像もできないのですが、北東部の都市には被害が少なかったのかもしれません。


 
この戦時のウクライナにあっても、ネットワーク環境には問題ないことと同時に、気休めでも自分の興味のあるブログを見ることができる心の余裕に対して感心する次第です。


ロシアのウクライナ侵攻に関しては、あらためて歴史からの手がかりをえるため両角良彦氏の1812年の雪モスクワからの敗走と「バルバロッサ作戦-ソ連侵攻に賭けるヒトラー」を読んでいます。
ウクライナ侵攻ではテレビ解説のために軍事専門家なる人物による「バルバロッサ作戦」の引用がよくされていますが、当人らが本当に読んでいるのか疑わしい次第です。
例えば、今回のロシア軍のウクライナ侵攻でロシアの戦車にZやVのマークをした話が出ますが、パウル・カレルの「バルバロッサ作戦」を読めば、「ドイツ戦車に<白いG>と言って、大きく白く描かれた<G>は、装甲集団の全車両のマーク、<G>はグデーリアンのことである。こうすれば一見して味方戦車であることがわかる。」
今回のウクライナ侵攻でロシアの戦車の白地のマークについては、これが本当の起源のようですが、本を読めば、必ず評論すべき重要事項と思いますが、今日まで軍事専門家と称する人からのこのような発言はありません。
YAHOOニュースでは、50年前の1968年8月に当時のチェコスロバキアにソ連軍などが侵攻した時に、ロシア側の戦車が自軍の識別マークとしてペイントされたとの記録があったとのコメントがあっただけです。

ロシアは第二次世界大戦では新型のT-34の大量投入によりドイツを打ち破り、今度はロシアのウクライナ侵攻ではロシア側のT72やT-80の過信により新戦術であるドローンなどの新型兵器の投入により、進攻側のロシアのほうが今度は敗北の可能性さえある危機的状況となっています。
第二次世界大戦では当時のロシアは、米のレンドリース法により大量の新型兵器の供与により勝利に大変貢献しましたが、今回は英米を中心として西側陣営がウクライナへ新型兵器の大量提供を行っていますが、これが最後にウクライナの命運をきめる戦いになることだろう。
とはいっても、簡単に戦局が動くことはなく、まだまだウクライナの困難は続くだろう。
日本のように「ウクライナがかわいそうだから?」の理由で、ヘルメット、防弾チョッキと民生ドローンなどを提供しても、ウクライナ側は本心から感謝はできないのです。
武器がなければ、ウクライナはロシアに負け、そうなれば支援国への感謝は永久に出来ないのです。
その理屈が判らず、ウクライナからの感謝がないことへ文句をいっている平和なニッポン国民は本当に大丈夫なのだろうか。


参考資料
レンドリース法
オークションウォッチ WIRELESS SET No19 MARK Ⅱについて(令和4年03月02日)
https://blog.goo.ne.jp/minouta17/e/b72dc7f58e0d192f2bf83e64cdd6c4bc

 

参考文献
バルバロッサ作戦-ソ連侵攻に賭けるヒトラー パウル・カレル 松谷健二訳 1971/9
1812年の雪モスクワからの敗走 両角良彦