韜晦小僧のブログ 無線報国

真空管式ラジオ、軍用無線機やアマチュア無線機の修復の記録
手製本と製本教室の活動の記録
田舎暮らしの日常生活の記録

スペクトラム アナライザ TinySA 私も買いました!!

2021年05月31日 18時55分40秒 | 96無線コラム

スペクトラム アナライザ TinySA 私も買いました!!

この頃は、毎日健康維持のためウォーキングに出かけます。
時々途中で馴染みの本屋さんで立ち読みですが、“激安・多機能測定器使いこなせ”のタイトルの雑誌に目が止まり、本スペクトラム アナライザ TinySAの購入に至りました。
スペクトラム アナライザについては、以前アドバンテストのスペクトル・アナライザー R4131を所有していましたが、購入時動作に問題がなかったのですが、数年後に必要な肝心な時には動作不良となっており、泣き泣き手放した苦い思い出しかありません。
今回は激安との言葉でリスクも少ないことから再度挑戦するこことしました。
流石に中国製のため偽物もあるようなので、購入にあたっては最安値のものより8千円台でも高めのネツト業者のEliklivから購入しました。
翌日には自宅には配達完了。
早速開封したところ、使用説明書が全くありません。
あるのはtinySA® wiki!の英文のURLのみです。
ネット情報である程度の初期対応は理解していましたので、先ずは充電からといっても、USBケーブルはありますが、充電器はありません。
どうも、百均の5Vのスマホ用の充電器で充電できそうです。
次に、SELF TEST. と LEVEL CAL.実施し、初期設定は完了となります。
どうやるかというような操作説明書もありませんが、総てタッチスクリーンが必要な項目が表示できるので操作は容易です。
参考までに、周波数のSTOP周波数の設定の画面を掲載しておきます。
試しに、455KhzのIFTの周波数特性の実験例を掲載します。
ケーブルが2本ありますが、1本は途中で切断し、みのむしクリップを取付けます。
まあ、なんとか実用性がありそうですがLEVEL CAL.した割には、周波数測定誤差があります。
なお、アンテナがあるので、盗聴器の発見器として利用できそうです。
PCの連携には、tinySA-App をダウンロードすればいいようですが、下記のアドレスへhttp://athome.kaashoek.com/tinySA/Windows/
アクセスするとダウンロードできるとのことでしたが、個別のソフトがあるだけでとのように設定するのか説明がありません。
どうも、ダウロードエリアにロードし、自分で任意のホルダーに設定して起動すれば利用出来そうです。
もう少し、調査・検討してダウンロードを実施して見ます。

 


参考文献
tinySA® wiki!  https://www.tinysa.org/wiki/
JH1LHV  https://www.jh1lhv.tokyo/entry/2020/11/04/230630

 

 

 


捷號作戦戦訓抜粋(電波兵器)(昭和19年11月11日)に関する考察

2021年05月28日 18時51分14秒 | 03陸海軍電探開発史

捷號作戦戦訓抜粋(電波兵器)(昭和19年11月11日)に関する考察

まず、捷號作戦について基本情報をネット情報で確認すると以下の通りです。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』レイテ沖海戦からの抜粋
レイテ沖海戦(レイテおきかいせん、英語: Battle of Leyte Gulf)は、第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)10月20日から同25日にかけて、フィリピン周辺の広大な海域を舞台にして、日本海軍とアメリカ海軍及びオーストラリア海軍の間で交わされた一連の海戦の総称である。フィリピン奪回を目指して侵攻するアメリカ軍を、日本海軍が総力を挙げて迎撃する形で発生した。 
この6日間の海上戦役は、シブヤン海海戦、スリガオ海峡海戦、エンガノ岬沖海戦、サマール沖海戦といった四つの海戦で構成されており、その他に基地航空部隊による交戦も頻繁に行われていた。また、神風特別攻撃隊が初めて組織的に運用されている。連合艦隊の残存戦力の全てをつぎ込んだ決死の海上展開は「捷一号作戦」として発動された。日本海軍の艦隊戦力はこのレイテ沖海戦を最後にして事実上消滅し、10月20日にレイテ島に上陸したアメリカ軍のマッカーサーは、25日に同島に司令部を設置した。

この作戦による戦訓が下記のように取り纏められています。
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. C08030036800、昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(3)
本資料から第一機動艦隊により、昭和19年11月11日付で捷號作戦戦訓抜粋(電波兵器)として取りまとめられた資料である。

捷號作戦戦訓抜粋(電波兵器)(昭和19年11月11日) 
https://blog.goo.ne.jp/minouta17/e/60da1ec9184cfb03210ddc576be286e7


報告書にあたり、残存艦である大淀、日向、若月、霜月及び伊勢の5艦の艦歴の参考情報を以下に示します。
大淀
軍艦大淀は日本海軍の軽巡洋艦である。1945年(昭和20年)2月下旬に内地帰投後は呉練習戦隊に編入され瀬戸内海(呉)に停泊し、昭和20年7月28日の呉軍港空襲で大破横転、沈没した。

日向
日向(ひゅうが、命名時のかな艦名表記はひうか)は、大日本帝国海軍の戦艦。伊勢型戦艦の2番艦。太平洋戦争中盤、航空戦艦に改造されたが、「航空戦艦」という呼称は便宜上のものであり、正式な艦籍は戦艦のままであった。
通常の空母の半分以下の長さしかない飛行甲板では艦載機の着艦はできない。飛行甲板はもっぱら航空機整備・発艦作業用のスペースである。
昭和20年7月24日の呉軍港空襲でアメリカ軍空母機の波状攻撃を受け、日向の草川艦長も戦死した。

若月
一等駆逐艦「若月」は、秋月型駆逐艦の6番艦である。
昭和19年11月11日、多号作戦に従事中の「若月」は、米軍機の空襲により島風型駆逐艦「島風」等と共にレイテ島オルモック湾で撃沈された。

霜月
一等駆逐艦霜月は秋月型駆逐艦の7番艦である。
10月から11月にかけて多号作戦において、秋月型駆逐艦は霜月を含め4隻(秋月、初月、若月、霜月)が沈没、2隻(涼月、冬月)が被雷損傷するという損害を蒙った。

伊勢
伊勢(いせ)は、日本海軍の戦艦で伊勢型戦艦の1番艦である。
昭和20年3月19日、呉空襲で伊勢は直撃弾2発を受け、呉港外・音戸町坪井沖にて特殊警備艦となり燃料不足とアメリカ軍の機雷封鎖で行動不能な状態のまま防空砲台となった。 

捷號作戦戦訓抜粋(電波兵器)の所見の項目を以下に抜粋する。
3.所見
(イ)電測指揮所を設け各電探を統一使用すると共に射撃機関、見張機関に対し更に密接なる連携を可能ならしむる如く改善の要あり
(ロ)敵艦隊は数隻毎に1隊をなし概ね日(出)没(前)後約1時間及び正午頃一斉に電波探信を行い同時に探信を以って通信(通話)をなすものの如し
   長時間連続電波を探知する場合又は感度に高低を感ずる場合は概ね敵電探探信可能距離に在り電探に依り連絡をなす場合は補足されたる算大なる場合の認められる
(ハ)電探に対する敵飛行機の反射波は味方飛行機に比し顕著なる特徴を呈するに依り味方識別可能にして機数、編隊数を概ね判別し得たり(霜月)
(ニ)敵飛行機は味方識別を使用せるものの如く13號電探に現れたる反射波は絶えず点滅を繰返しつつ接近せり
   但し21號には此の種の現象を認めず(若月)
(ホ)敵飛行機よりの反射波は友軍機の夫れに比し感度極めて良好なり(若月)
(ヘ)敵飛行機は約40粁附近より欺瞞体を投射しつつ15粁附近迄接近すると例とせり此の際小編隊を誤りて大編隊として報告せることあり(若月)
(ト)24日夜間敵水上部隊に近接せる際200,150,120Mcの電波を感5にて探知せり
200,150Mcは音色清澄(ピーピー)、150Mcは「ヂ―」音何れも味方のものに比し勢力強く前者は旋回時隔探信、後者は常時探信を実施しありき
時隔探信電波輻射時間は概ね30秒以上3乃至5分程度なり(日向)
(チ)対空見張用電探は13號に統一(21號廃止)の上左記事項に関し考慮の要あり
(一)艦船装備所要数(最小限度)
   大型巡洋艦以上  5基
   小型巡洋艦以下  3基
(二)1基に対する配員標準は長1、測2、伝令1、計4名の適常とす
(三)兵器の固有能力は装備高よりも寧ろ整備調整状態に左右せられるるところ大なり
(四)電探活用の適否は有能なる電探指揮官及各電探指揮通信装置の適否に左右せられる所最も大なり
(リ)電波探知機は極めて有効に利用せられたるも尚将来左記改善を要す
(一)受信感度を現用電探受信機程度に向上せしむる要あり
(二)音量調整を更に微細に実施可能ならしめ距離推定を容易ならしむる要あり
(三)指向性空中線を21號電探空中線上に装備せるものは方向測定遅鈍にして不便なり
    別個に装備を要す
(四)「ブラウン」菅指示装置を附加し味方識別を容易ならしむること肝要なり
(五)各種電探に電鍵装置(出来得れば交話装置)を附加し味方識別を可能とならしむる如く改善の要あり
(六)探知機活用の為左記実験調査し味方識別上の参考資料を獲得し置くこと緊要なり
(1)電探源の距離対高調波数
(2)味方各種電探に対する受信特性


上記所見の中で、重要と思われる項目に関して考察する。
(ニ)敵飛行機は味方識別を使用せるものの如く13號電探に現れたる反射波は絶えず点滅を繰返しつつ接近せり
   但し21號には此の種の現象を認めず(若月)

孤独な戦闘機 電探早くの声にこたえて 連合艦隊司令部付 海軍大尉 立石行男からの抜粋 
夜間でも射撃用電探によって射撃しようとする米国では、この味方識別を重視したらしいのであって、編隊には必ず味方識別の電探を発射する装置のある飛行機がはいっておった。米国の見張電探では味方機が近づくと、その反射波と同時に味方識別電波が重なってブラウン管に出る来るので、ハッキリと味方だと判る訳である。
ところがこの味方識別の電波が、日本にとっては却って好都合なところとなった。というのは、ソロモン方面の作戦以来、米軍飛行機の来襲のあるときは、大抵、日本の見張用電探が極めてハッキリと、数秒間に1回位の割で、点滅して表れるからである。はじめは何だか判らなかったが、段々米機の味方識別電波だと判ってて来ると、この電波が出ただけで空襲警報を出すようになった。距離もかなり遠くから現れ、150粁とか200粁位のところから現れていたようである。B-24、P40、PBY等の飛行機のときは極めて鮮明に出たが、ボーイングB-17は余りはっきりと出なかった。何れにしても面白い現象だったと思っている。

 
この資料により、1942年(昭和17年)8月9日 - 第一次ソロモン海戦(サボ島沖海戦)から11月14日~15日 - 第三次ソロモン海戦(第二次ガダルカナル海戦)間の海戦において日本海軍では米海軍の敵味方識別信号の使用を認識するこことなったようだ。

ここで米海軍の敵味方式識別装置(I.F.F)の概要を紹介する。
IFF Mk III 使用周波数 157-187 MHz, I Band 


 
 157 to 187 Mc/s continuously swept in 2.5 seconds.
Flyback time less than 0.5 second (HT is switched of during this time)
157~187 Mc/sを2.5秒で連続掃引。
フライバック時間(応答時間のことか?)0.5秒以下(この間にHT(キーワード不明)はオフになる)

このIFF信号を13號電探の指示器で表示(第2図)したことになる。
では13號電探の受信機の受信範囲を調査すると145Mhzから155Mhzの範囲であることが判るが、これでは米海軍のIFF信号を受信することは理論的には出来ない。


 

 少し矛盾を感じるが、13号受信機で受信できたとの事実から、どちらかの使用周波数が丁度一致したと電波であったということだろう。
なお、21號電探にこの現象を認めずとあるのは、21號の使用周波数が200Mhzのため受信できないのは当然のことである。


(ト)24日夜間的水上部隊に近接せる際200,150,120Mcの電波を感5にて探知せり
200,150Mcは音色清澄(ピーピー)、150Mcは「ヂ―」音何れも味方のものに比し勢力強く前者は旋回時隔探信、後者は常時探信を実施しありき
時隔探信電波輻射時間は概ね30秒以上3乃至5分程度なり(日向)

米海軍の初期のレーダー開発の歴史を紐解くと
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』CXAMからの抜粋
CXAM - Wikipedia
1936年8月、アメリカ海軍は、周波数200メガヘルツ(波長1.5メートル)の実験機であるXAFを製作し、1937年4月より駆逐艦「リアリー」に搭載しての洋上試験が開始された。また1938年末には、戦艦「ニューヨーク」に搭載されて演習にも参加した[1] 
これを元にした実用機としてNRLが開発したのがCXAMである。製造はRCA社が担当して、1940年5月より実艦搭載を開始し、8月までに戦艦「カリフォルニア」など戦艦・航空母艦・重巡洋艦 計6隻に搭載された。なお「カリフォルニア」は真珠湾攻撃で大破・着底したが、搭載するCXAMは回収されて、空母「ホーネット」に移設された[2]。 
また、1941年末からは、反射板をスクリーンとし、アンテナ旋回機構にも改良を加えたCXAM-1の引き渡しが開始され、こちらは1943年まで運用されていた[2]。
CXBE (SA)
CXAMはあまりに大掛かりであり、装備するには巡洋艦以上の大型艦である必要があった。このことから、より小型の艦にも搭載できるよう、アンテナを小型化して開発されたのがSAである。製造は引き続きRCA社が担当しており、1942年9月より引渡しが開始されて、最終的には計400基が生産された。その後、平面位置表示器(PPI)の導入などの改良を加えたSA-2(865基)、SA-3(225基)へと発展した[2]。 
また、さらにアンテナを1.52 m×1.83 mに小型化、重量45 kgに軽量化したSA-1も配備された。周波数も182 MHz(波長1.65 m)に変更されたが、アンテナの小型化(ビーム幅は45°×52°に太くなった)と相まって方位角精度3°に低下した[2]。 
CXBD (SC)
ゼネラル・エレクトリック社によって開発されたCXAMの小型化版がSCである。1941年後半より配備が開始された。また1942年1月には、出力を倍増することで、探知距離をほぼ倍増するなどの改良を加えたSC-1が開発され、既存のSCはいずれもこちらに改装された[2]。 
その後、SC-1をもとにアンテナを大型化したSC-2(415基生産)、電子防護能力強化などを施したSC-3(200基生産), SC-4(250基生産)が順次に配備されたほか、新開発のSRレーダーの計画遅延のため、さらにSC-5も100基生産された[2]。 
CXFA (SK)]
ゼネラル・エレクトリック社によって、いわば同社のSC-2をもとにCXAMと同大のアンテナを備えるものとして開発されたのがSKであり、大戦中のアメリカ海軍大型艦の標準的なレーダーとして広く配備された。 
また海兵隊の地上配備用レーダーとしてSK-1M(後にAN/MPS-24に改称)も開発・配備されたほか、サイドローブ削減のため、ディッシュアンテナに変更したSK-2,-3も開発・配備された。
型式    周波数                    パルス繰返し周波数
CXAM    200Mhz                     1640
SA    220Mhz                      60
SC-1    195から205Mhzまたは215Mhzから225Mhz     60
SC-2    195から205Mhzまたは215Mhzから225Mhz     60
SK     不明                                              不明

200Mcの音色清澄(ピーピー)については、CXBD (SC)のレーダーであれば、195から205Mhzの周波数を使用しており、同じ周波数帯を使用している日本海軍の21號電探で探知することは可能となる。
なお、CXBD (SC)は、VHF波ではあるがすでに平面位置表示器(PPI)機能を有しており、アンテナを回転し走査するため、傍受側の日本海軍の21號電探では定期的に感度が高低することにより旋回時隔探信なることが判断されたことになる。

USS Ranger (CV-4) 8 November 1942
<CXAM-1とYE-ZBホーミング・ビーコン装置>

 

USS Guadalcanal (CVE-60) underway on 28 September 1944
<1944年9月28日に航行中のUSS Guadalcanal (CVE-60)>

 

SCもしくはSK

150Mcの音色清澄(ピーピー)については、米海軍で回転系電波発信源は特定できないが、我が軍の別の艦船からの13号レーダー波の輻射を受信した可能性が高い。

150Mc(120Mcの誤記のように思われる)の「ヂ―」については、常時探信とのことであるが、これも電波発信源は特定できないが、120Mcの電波を感5にて探知せりとのことであれば、米海軍の帰投装置であるYE-ZBホーミング・ビーコン装置の使用周波数が234〜258 MCであり、この高調波120Mcを受信した可能性があるが、日本側では逆探装置を使用したのであれば、この電波を特定した可能性がある。
ただし、YE-ZBホーミング・ビーコン装置は、回転系電波発信源であるので常時探信であれば矛盾する。
なお、「仮称電波探知機(逆探)」E-27受信機は80~400MHzの主としてVHF波を受信するものである。

※YE-ZBホーミング・ビーコン装置

https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/08/03/161705

 


(チ)対空見張用電探は13號に統一(21號廃止)の上左記事項に関し考慮の要あり
(四)「ブラウン」菅指示装置を附加し味方識別を容易ならしむること肝要なり
(五)各種電探に電鍵装置(出来得れば交話装置)を附加し味方識別を可能とならしむる如く改善の要あり
(六)探知機活用の為左記実験調査し味方識別上の参考資料を獲得し置くこと緊要なり

上記捷號作戦戦訓に基づき海軍の味方識別装置が開発された。
機密兵器の全貌 昭和51年6月 元海軍技術大佐 伊藤庸二からの抜粋
第二部 電子技術兵器の実態
第三節 電波応用兵器 P152
一. 味方識別装置
昭和16年の夏伊太利海軍からの情報で、英国では味方識別装置とも称す可きものが使用されて居ることが判った。
一部省略
ところが、電探の出現によって、敵味方識別の方法に急に曙光がさした。電探との併用が今迄色々提案されたものの内の最も積極的な解法であるらしく見えたのである。海軍技術研究所は極めて簡単であったが伊太利情報を基として電探と組合せ、16年末には既に之が具体的計画を進めたが、或る目標が電探の電波に曝された場合にそれに応えて全く同じ波長の電波を送り返す技術が未解決であった等、色々の問題が残されたままに17年5月の伊勢、日向の電探実験に望んだ。そして此の実験の時にようやく技術上の一案が提起され、直ちに之を試作した。併し関係者が審議した結果は
(a)応答率が100%でないから応答しない場合は味方を攻撃してしまう。
(b)各電探に一様に応えることが困難である。
との理由で、兵器採用は見合せられた。これは英国では夙(しゅ)くこれを使って居るとの情報を耳にしたあとの判断である。
一部省略
味方識別装置は自己を曝露する恐れが多い。軽々には用いてならないと云う自重論である。
一部省略
處が19年秋の情報は敵が此の味方識別装置を盛んに使用して居ることを続々報じたのである。かくなると又問題がせわしくなる。研究再開が命じられた。そして追いかけ50基の兵器生産が緊急命令として発令されたのである。如何にも泥縄式である。此の場合斯(か)くなるには研究者側にも相当の責任があるにはあった。併しその本質は用兵者に技術の見透しがあまりに欠けて居た為である。尚日本人の考え方の特徴である他のものを兼ねさせる。所謂一石二鳥を善なりとする考えが此の場合に基調となって居たことも見逃せない。此の処置は折柄熾烈に展開することになっていた。比島方面の戦闘に単座戦闘機を偵察に用いる為、味方識別機をして電信機をも兼用せしめようとするものであった。
本来充分な準備なく、直ちに量産に移ることは技術者の決してとる可き道ではない。併し切羽つまった用兵上の要求は、遂にそれを邁進せざるを得なくした。幸に実験も順調に進み、翌20年1月には地上試験を行い、予期の性能が得られたので、更に次の実験にうつったが、一部要求性能をみたし得ず、而も比島方面の戦況も一変して、渡洋爆撃の機会も少なくなり、遂に試用の形で終戦に至ったのである。
味方識別装置は用兵者と技術者の物の考え方に不一致を来し、実現す可くして実現されなかった最も顕著な例の一つである。初めは用兵者が非常に厳格な条件を固持してゆずらず、戦力化に協力せず、必要に迫られて、用兵者が一歩譲った時には戦局が緊迫化して兵器製作が後手、後手となり、何等戦力に寄与し得なかったものである。
味方識別装置は戦術上の要求から陸海軍共通のものを是非用いたかったものであるが、両者は遂に一致し得なかった。それは電探発達の経緯が夫々異なり、その上に立つ味方識別装置は自ら違わざるを得ない為であつたのである。此の事については陸海軍電波技術委員会は極めて慎重に協議した。そして、何れ第二段の階程に於て一致させようと決めたのであった。併し運命は第一段をも完了させることなく、すべてを終わらせたのである。之程の利器に技術研究陣としては真の斧銊(ふえつ)を加えることもせず、用兵者としては先見を失い。遂に敗退し去ったのである。かっての国防責任者の動きとして実にも慚愧の極みである。

5試味方識別装置1型 M-13 IFF(Prototype 5 Model 1 IFF)
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022303.html

味方識別装置の具体的な運用は、まず対空見張用電探は13號(12號の方が可能性は高い)を使用してレーダー波を放射すると、航空機に5試味方識別装置1型 M-13 IFFを搭載させていることにより、13號のレーダー波を味方識別装置が受信し、その応答信号をパルス波として送信することで、13號の指示装置に表示することができる。(上記第2.18図のとおり)


その他気付き
第一機動艦隊により、昭和19年11月11日付で捷號作戦戦訓抜粋(電波兵器)では、3式1号電波探信儀3型(13号)と2式2号電波探信儀1型(21号)の2機種のみの報告しかない。
基本的には、糎波レーダーである2号電波探信儀2型(22号)が全艦艇に装備されており、本来であれば22号についての戦訓が記載されていないということは、捷號作戦では活用されていなかったということなのだろうか。
大和『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、レイテ沖海戦では、1944年(昭和19年)10月25日シブヤン海で大和が戦闘中、大和はアメリカ軍の駆逐艦が発射した魚雷に船体を左右で挟まれ、魚雷の射程が尽きるまでアメリカ軍空母と反対方向に航行することになった。さらにアメリカ軍駆逐艦の効果的な煙幕や折からのスコールによって、光学測距による射撃は短時間に留まった。
戦闘の後半で、仮称二号電波探信儀二型を使用したレーダー射撃を実施した。
上記が事実であれば、捷號作戦戦訓抜粋(電波兵器)に22号の記載がないのか何故なのだろう。
その答えは、艦隊同士の決戦はソロモン海戦(ガダルカナル島の奪回をめぐる海戦)以来絶えてなく、以後航空機中心の戦闘ばかりである。
艦隊決戦など日本海軍が待望していただけで、アメリカはとっくに空母中心の戦術に切り替えおり、戦艦や巡洋艦は空母を護衛する地位に成り下がっていたことによる。
このため、13号、21号の対空見張レーダーによる対空警戒の機能が重要であり、水上見張兼射撃用レーダーである22号には出番がなかったことを意味することになる。
なお、糎波を利用した22号レーダーは、既に最新のスーパーヘテロダイン方式になっていたが、電磁ラッパ、円形導波管を含めた受信機までの総合利得不足のため、艦船の検知はできても航空機の検知ができず、対空見張の機能としては不適格のレーダーであったとうことである。


参考情報
隼鷹の艦橋付近のレーダーのアンテナ群

13号

21号

22号

 


参考文献
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. C08030036800、昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(3)
孤独な戦闘機 電探早くの声にこたえて 連合艦隊司令部付 海軍大尉 立石行男
機密兵器の全貌 昭和51年6月 元海軍技術大佐 伊藤庸二
特攻 1988年11月 御田重宝
New England Wireless & Steam Museum
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 


オークションウォッチ 日本無線 V-2型単球受信機について

2021年05月04日 08時45分08秒 | 10オークションウォッチ

オークションウォッチ 日本無線 V-2型単球受信機について

断捨離中につき入札ご法度の身でありますので、入札に参戦せず下記Yahooオークションの推移を見守り、記録するだけとしました。
十数年前の真空管式ラジオブームでの高額取引を思い出させるような高額な取引が行われ、びっくりしている次第です。

真空管ラジオ 日本無線 Type V-2★未テスト
商品情報
個数:1
開始日時:2021.04.06(火)10:00
終了日時:2021.04.10(土)22:45
自動延長:あり
早期終了:あり
返品:返品不可
入札者評価制限:あり
入札者認証制限:あり
落札者:o*Z*l*** / 評価 2665
開始価格:1,000 円(税 0 円)
オークションID:q434631786
入札件数96入札履歴
残り時間 終了 
詳細 
現在価格251,000円(税 0 円) 
出品者情報落札率が高い直近3ヶ月に出品した商品の70%以上が落札されています。bbsfq612さん フォロー 
総合評価: 2321 
良い評価 99.7% 
出品地域:愛知県
商品説明
カテゴリ 家電、AV、カメラ オーディオ機器 ラジオ アンティーク
状態 目立った傷や汚れなし 
大正14年頃のラジオ。真空管UV-199がありませんが、かなり状態は綺麗です。整備できる方に。ゆうパック着払い予定です。

入札者の順位   すべての入札履歴
 1ページ中 1ページ目を表示 (入札合計:11件)
入札者 / 評価   入札額 個数 最後に手動入札した時間
 o*Z*l*** / 評価:2665 最高額入札者  251,000 円 1 4月 10日 22時 36分
 r*0*C*** / 評価:172   250,000 円 1 4月 10日 22時 36分
 L*_*E*** / 評価:666   200,001 円 1 4月 10日 22時 27分
 3*f*1*** / 評価:1266   176,000 円 1 4月 10日 22時 25分
 1*y*7*** / 評価:458   83,000 円 1 4月 10日 21時 58分
 s*d*U*** / 評価:105   56,000 円 1 4月 7日 17時 00分
 g*8*2*** / 評価:602   8,500 円 1 4月 6日 21時 16分
 g*4*A*** / 評価:110   8,250 円 1 4月 6日 13時 39分
 G*5*f*** / 評価:11   8,000 円 1 4月 6日 12時 08分
 7*d*a*** / 評価:90   5,000 円 1 4月 6日 10時 23分
 Y*7*8*** / 評価:787   1,000 円 1 4月 6日 10時 21分
1ページ中 1ページ目を表示 (入札合計:11件)

本機は、放送開始直前の1925(大正14)年3月4日に型式証明を受けた単球式受信機です。
真空管は欠落していますが、大正12年12月1日改訂の日本無線電信電話株式会社の資料によると、筒型参號B(形態:100mmx31mmφ)なる真空管と思われます。
ただし、この真空管は普及せず、UV-199にソケットアダプターを使った使用法が一般化していようです。


参考文献
YahooオークションID q434631786 
”電子管の歴史、資料編”、日本電子機械工業会 電子管史研究会 編