JA4GGCのブログ 無線報国

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オシロスコープで時計を「SGX-03Aオシロ時計」の購入について

2018年09月16日 14時51分25秒 | 96無線コラム

オシロスコープで時計を「SGX-03Aオシロ時計」の購入について
以下ヤフーオークションにて購入し、自機に実装してみました。
大変ユニークな商品で気に入っています。
☆オシロスコープで時計を SGX-03A オシロ時計 信号発生器基板☆
商品の情報 
現在の価格  :  1,800円(税0円)
即決価格  :  2,000円(税0円)
残り時間 :  終了 (詳細な残り時間)

入札件数 :  1 (入札履歴)

詳細情報
個数  :  1
開始時の価格 :  1,800 円
落札者 :  miXXXXXX7 / 評価:191 (評価の詳細)

開始日時 :  2018年9月 6日(木) 21時 42分
終了日時 :  2018年9月 9日(日) 21時 41分
入札者評価制限:  総合評価での制限 あり (評価の合計がマイナスの方は入札できません)
早期終了 :  あり
自動延長 :  あり
オークションID :  v567491484
商品の状態 :  新品
返品の可否 :  返品不可
出品者の情報
出品者 : takechin614 

評価 : 816 ( 816 -  0)
送料、商品の受け取りについて

商品発送元地域 : 石川県
商品説明
SGX-03Aは、PICを使用した信号発生器用ユニットです。
オシロスコープのXY機能を使い、オシロ時計を描画する信号を出力します。
RTCモジュール(オプション:+300円)を接続することで、時間の読書きが可能となり本格的なオシロ時計になります。
RTCモジュールはボタン電池でバックアップできますので、電源をOFFしても時間はカウントします。
概略仕様は、以下の通りです。
 ◆ ノーマルモードでは、24種の矩形波信号を生成。4種を同時に出力。
 ◆ RTCモードでは、6種の矩形波信号を生成。RTCモジュールとI2Cで通信し、時間の読み書きが可能。
 ◆ オシロ時計を描画する信号は、1000ドット40フレーム/秒で両モード共通。
 ◆ SW1・SW2のスイッチは、出力信号の切替やオシロ時計の操作に使用。
 ◆ LEDの点滅回数で、今どの状態(ポジション)かを識別。
 ◆ 8MHzのクリスタルを使い、内部で4倍し32MHzで動作。
 ◆ 電源電圧は 、3V~5.5V。
 ◆ 消費電流は無負荷で約8mA(LED点灯時は約11mA)。
 ◆ 厚み1mmのガラエポ基板を使用し、両面に緑色のレジスト・部品実装面に白色のシルク印刷あり。
 ◆ 部品実装済みのサイズは48.3mm×38.1mm×約10mm、重さは約8gです。
本品には説明書等は同梱されていませんが、以下よりダウンロードできます。
http://takekit.web.fc2.com/SGX-03A2/stand/SGX03A-CMP.pdf
オプションや仕様・回路図などは、以下のホームページでご覧いただけます。
http://takekit.web.fc2.com/SGX-03A2/index.html
実装部品は形や色が写真と違う場合が有りますが、仕様や性能に違いは有りません。
趣味で製作したものであることをご理解の上、ノークレーム・ノーリターンでお願い致します。
ホームページのギャラリーに、ご落札頂いた方のオシロ時計の写真が有ります。
配送方法 クリックポスト   送料全国一律:185円(税込)
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1,800 円 1 9月 8日 13時 23分
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以下愚痴ですが、バックアップ用のデジタルオシロを久しぶりに起動試験したらバックアップRAMエラーで起動できなくなっていました。
残念ですが処分します。

 

 

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NHK戦争証言アーカイブス 電探訓練

2018年09月05日 09時02分59秒 | 03電探関連資料

NHK戦争証言アーカイブス 電探訓練

ニュース映像
電探訓練 再生テキスト
午前8時。
作業始め。
きょうも数え切れぬほどの海の精鋭が、電波探信儀と取り組むのだ。
空と海、そこではまず電波が戦う。
「きょうは電波探信儀の概論の話をする。
現在の戦闘において、電波兵器が非常に戦局の左右をしつつあるところであるが、この電波探信儀の原理は、結局山彦(やまびこ)における、音波が山にぶつかって返ってくると同様に、電波探信儀の電波が、電気の導体であるところの飛行機とか、艦船とか、そういうものにぶつかると反射してくるという原理を使ったのである。」
すなわち、送信機から送られた発射電波は、敵機や敵艦にぶつかると、反射波となって跳ね返る。
この反射波を機械自らの直接波とともにブラウン管に映し出し、映像間の距離を求めれば、相手の所在がたちどころに示される。
(急速設置訓練 風景)
電探の理論をこなすにも増して、辛苦に満ちたことがある。ここに見る急速設置訓練のように、速やかな移動と、計器の設置には、いつでもむしろ一番不便な土地が選ばれる。
すなわち、島や岬の突端、しかも電波を遮るもののない丘や山頂。
送信、開始。ブラウン管の反射波が敵機の動きを刻々報告する。
ひとたび地の利を得れば、科学兵器のこの先兵は、星一つない暗夜にも、雨風すさまじい嵐の日にも、四方八方、敵の隠密飛行を封鎖する。
さればこの兵器の操作に携わる科学戦の先兵に、国民の期待はいや増しに大きくなっていく。

 

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訓練映像では、43号と13号電波探信儀が撮影されている。
なお、検閲のためレーダー機器の全体像は写っていない。


日本海軍レーダー解説
http://minouta17.web.fc2.com/aradar_main_navy.html

広島戦時通信技術資料館
http://minouta17.web.fc2.com/

 


参考文献
[g11] NHK戦争証言アーカイブス 電探訓練 https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300347_00000&seg_number=002

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レーダーの運用面からの日本側の資料について

2018年09月03日 15時10分45秒 | 03電探関連資料

レーダーの運用面からの日本側の資料について
(日本の潜水艦と艦船搭載レーダー)

潜水艦作戦 2013年11月 潮書房光人社
用兵者側から見た日本海軍の潜水艦技術 海軍大尉今井賢二氏からの抜粋である。
レーダーの運用面からの日本側の資料があるので以下に紹介する。
電波兵器のうち潜水艦レーダーは、昭和十七年秋、当時、私が航海長だった伊号第百五十八潜水艦(伊一五八)にはじめて取り付けられたが、機器本体の図体が大きく、司令室には納まり切れずに、私のベッドも占領された。導波管が浸水したり性能も悪く、とても使い物にはならなかった。
一年後、伊二六潜では一三号対空、二二号水上レーダーが装備されたが、性能的には未だしの感があった。
さらに一年後、艦長だった伊二〇二潜にも取り付けられた。
今度はスーパーヘテロデインの完成により、比較的安定した性能が得られた。
機器も小型化し、二二号は導波管と電磁ラッパを一個として送受信に共用する方式が採用され、しかも昇降したので、水中抵抗を減少した。
一三号は通信用の短波マストに取り付けられ、もちろん昇降可能である。
伊予灘で訓練行動中に、一三号は空母や沖縄からの編隊を百マイル附近でとらえ、警戒警報よりも早いことがあった。
指示画面などは今から見ると、まことにお粗末であったが、白く光ってピンピンと踊るように動く画面には、なんとなく神秘なものを感じた。
逆探という電波探知機は、横浜に寄港したドイツ仮想巡洋艦からヒントを得て研究をはじめ、昭和十八年秋に潜水艦に装備された。艦橋の四隅に受信機があり、概略の方向がわかるが、伊二六潜では敵機のレーダー使用法に慣れるにしたがい、電波の感度によって概略の距離がわかるようになった。
こんな兵器がもっと早く出てきたらと思ううち、敵さんもさるもの、サンチ波レーダーを使うようになり、いままでのメーター波探知機には入らない。
昭和二十年春にサンチ波用逆探知機が開発された。
大きな王冠のようなアンテナは、はじめは艦橋への持ち運び式で、電線が艦橋ハッチを通っていたので、急速潜航時間が数秒のびたが、終戦前には水防が完成し、艦橋トップに固定された。
兵器ではないが、レーダー防止の塗料はあまり効果がなく、艦橋側面の傾斜を変えるのがいくらか効くというので、天蓋を撤去、外に開いた朝顔型に改造した艦もあった。

 

日本海軍レーダー解説
http://minouta17.web.fc2.com/aradar_main_navy.html

広島戦時通信技術資料館
http://minouta17.web.fc2.com/


参考文献
潜水艦作戦 2013年11月 潮書房光人社
用兵者側から見た日本海軍の潜水艦技術 海軍大尉 今井賢二

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国産家電各社の液晶テレビ製造衰退考

2018年07月04日 16時44分10秒 | 96無線コラム

国産家電各社の液晶テレビ製造衰退考

このブログは独り言の単なる愚痴にすぎません。
NECのテレビ付きのパソコンのシステムディスクが損傷し、システムが立ち上がらくなった。
なんとか、システムの初期化によりパソコン自体は復旧したが、テレビのドライバーソフトを含めAPは全て消去されためテレビ機能も失われてしまった。
よくよく考えるとテレビとパソコンの複合機能では使い勝手が悪くお互い単独機能のほうがいいようだ。
仕方がないので、リサイクルセンターで中古の液晶テレビを購入するこことした。
今いくと、中古の液晶テレビは2011年モデルが多数展示されていました。
2011年モデルというと、ちょうど2011年7月24日までに現行のアナログテレビ放送を終了し、地上デジタルテレビ放送に転換した年に当たる。
国内家電テレビメーカーも大増産の真っただ中でした。
液晶方式、プラズマ方式、挙句にもう誰も知らない幻のSED:surface-conduction electron-emitter display)方式など、どの方式が勝利するか各社切磋琢磨した時代だ。
また、液晶では3Dも盛んに喧伝されていた。
巨大な液晶・プラズマ工場への投資など国内家電テレビメーカーには常に話題で一杯だった。
それなのに、2018年には、国内家電テレビメーカーはある意味では全滅したといっても過言ではないだろう。
どうしてと反芻すると、この契機が2011年の液晶テレビにはっきりとみられることが分かった。
ちょうど、今リサイクルセンターで多数の2011年モデルをみていると、国内モデルがほぼ2万円程度で出品されている。
ただ同じ2011年モデルなのに1台だけ大変スリムで、且つ1万5千円と安価なテレビがあることに気付いた。
なんと韓国のLG製のテレビである。
2011年頃、テレビコマーシャルでパネルが1.5cmの超薄型モデルを宣伝したいことを思い出した。
また、インターネットの操作にも特徴あるインターフェースを宣伝していた。
今回初めて国内メーカーのものではなく、このLG製のテレビを購入してみたいと思った。
製造的には、デジタルテレビはどこのメーカーでも同じハードウェア技術レベルと思っていたが、LG製をみると国内メーカーに比べ圧倒的な高密度実装技術を実現している。
これでは国内メーカーは、情けない話ではあるが、海外では競争できるわけはない。
デジタル技術の世界であれば、今度はソフトウェア技術の優劣が大きなファクターとなる。
試しに、番組表の画面と操作性を比較すると、残念ながな国内T社は最低のインターフェースと判断される。
こんなメーカーはテレビ生産の世界からそうそう撤退されたほうがいいだろう。

 


ネットに各社の対応があったので紹介する。
パナソニック(パナソニック プラズマディスプレイ)
 売却に向けて右側面のロゴが消された、旧尼崎工場尼崎市にプラズマテレビの新工場を設立し、大幅に増産と拡販をしていく方針であったが、プラズマテレビのシェア縮小により、2011年に尼崎第3工場と第5工場でのプラズマディスプレイの生産を中止し第4工場に集約することを決定した。
これにより42インチ換算で合計年間1380万台だったパネル生産能力は720万台に半減した。
2013年10月8日、生産拠点の尼崎工場売却とともに生産停止が日本経済新聞で報道され[6]、事実上国内大手最後のプラズマテレビの販売元であったパナソニックも生産撤退し、日本国内におけるプラズマテレビの時代の幕を閉じる。
その後、パナソニックプラズマディスプレイは、2016年11月に製造業では過去最高となる約5000億円の負債を抱えて倒産した。
プラズマテレビに参入した大手メーカーの中では、プラズマテレビの国内・国外ともに最大手として、プラズマディスプレイに社運をかけていたパナソニックは特に痛手が大きく、2014年12月には、中華人民共和国におけるテレビ受像器の生産そのものを停止するなど[7]、テレビ事業が大幅に縮小することとなった。

日立製作所(日立プラズマディスプレイ)
2005年4月に合弁会社富士通日立プラズマディスプレイの富士通が所有する発行済株式の30.1%相当を取得し、子会社とし日立プラズマディスプレイ株式会社に商号変更した。
2008年9月18日に年度内のプラズマディスプレイパネル生産からの撤退を発表した。
その後も国内での回路の生産とプラズマテレビセットの組み立て、販売は継続していたが、2011年3月には完全に海外に生産を委託し、テレビ受像器の生産からは撤退することとなった。
ただしブランドの維持・販売は継続し、パナソニックからのOEM供給を受けていた。

ソニー
プラズマテレビよりも、液晶テレビに注力していく方針に転換し、サムスン電子と合弁で設立したS-LCD(2012年合弁解消)の本格始動に併せてプラズマテレビの生産、販売から撤退した。

東芝
プラズマテレビの生産、販売から撤退し、SEDに注力していく方針に転換したが、2007年1月29日に製造販売会社SEDの全株式をキヤノンに売却し、SED事業からも撤退した。

シャープ
2001年に発売した「PZ-50BD3」と「PZ-43BD3」の2機種のみでプラズマテレビの生産、販売は終了した。

LG電子
需要の減少のため、2014年11月末にプラズマテレビから撤退。

サムスン電子(サムスンSDI)
2014年11月末に、プラズマテレビから撤退[10]。


広島戦時通信技術資料館は下記のアドレスです。
http://minouta17.web.fc2.com/

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5.日本レーダー開発で見える日本の真の姿とは

2018年06月11日 09時30分22秒 | 03電探関連資料

5.日本レーダー開発で見える日本の真の姿とは

1941(昭和16)年12月の日米開戦により、技術情報は遮断されが、この間陸軍では、超短波警戒機甲の配備と乙の整備中であった。
ただし、日本の早期警戒レーダーはおおよその方位と探信距離のみの機能であり、高度測定やその精密な測定精度などの機能はなかった。
初戦におけるシンガポールとフィリピン占領により、英国のSLC(サーチライト・コントロール)とGL(射撃管制)や米国のSCR268、270の鹵獲により技術水準レヘルの差を自覚するに至った。
当然ながら、鹵獲した射撃管制レーダーと同等なものを目指し製造を開始した。
しかしながら、終戦時までにおいて、多種多様なレーダー機器を開発・整備したが、残念ながら、基本的には初戦に鹵獲した英・米国のレーダーの水準を超えることはなかった。
ただし、海軍においては一部マグネトロンによるマイクロ波によるレーダーなどの開発が行われたが、早期警戒機能のレベルのままであった。
この4年間において、英・米国のレーダーは飛躍的技術進歩を達成し、マイクロ波技術、PPI、精密レーダー射撃管制さらにはVT信管などの新技術開発が行われた。
この差はいったいどうして起きたのか自分なりの分析を行おうと思う。
戦争といった異常事態に一定の期間で戦争目的のための技術革新による電波兵器の獲得にアメリカは何を行ったのか。
逆に日本は何故技術革新ができなかったのか。
レーダー開発に限定して考える、ドイツを除き1941年時点で各国VHF波の150Mhz前後の周波数のレーダーであった。
この周波数に対応するため高周波増幅段の真空管にはエーコン管である954、955 が必要であるが、勿論日本でもRCAからのライセンス生産している。
戦争初期のスタート時点では、射撃管制レーダーの差はあるがほぼ互角といっても過言ではない。
ここから、レーダーのあるべき姿の目標設定であるが、理想的には細部分析ができるマイクロ波の採用、PPIによる平面表示装置、軽量化による機上搭載、最後に精密な射撃管制の利用などが考えられる。
まず、日本では戦争遂行関係者として陸軍、海軍、製造会社、学界が考えられるが、まず、陸軍と海軍は完全に別個の組織であり、国運を賭した危機的事態となっても共存で目的遂行することができなかった。
このため、製造会社であるメーカーは、二つの顧客に対応するため生産設備も二重投資となってしまった。
人、もの、金が完全に分散し、決して集中することができなかったし、その成果も少ないこととなる。
アメリカでは、まず、大学を閉鎖し研究員を研究目的別に集中させ、新しいアイデアを大胆に取り入れたという。
勿論レーダーも例外ではなく、研究機関の活躍も大きな成果をもたらした。
また、真空管にはJAN(Joint Army & Navy)マークとして陸軍・海軍で共用使用できる。
通信機器やレーダー機器についても、AN/XXXとしてArmy & Navyで陸軍・海軍で共用使用できるものを製造した。
日本 陸軍の検収年月に桜印、海軍はいかり※マーク共用使用の概念はない

 

米軍の主力メタルチューブ
JAN(Joint Army & Navy)マーク、海軍いかりマーク、陸軍VTマーク

 

米軍の銘板AN/XXXの事例を示す。

 

兵器廠などの調達部門に強大な権限を与えたものと思われるが、この政策により、メーカーは効率よく生産活動が可能となる。
ようは、組織論が重要で戦争遂行組織をどう形成するかにかかっているように思われる。
では、何故、戦後急速な経済的・技術的発展が可能となったのか。
あれほど遅れをとった通信機器・電波兵器についても、1951年には(戦後6年後)には米軍に携帯用無線機を供給しているほどになっている。ようは手本があればすぐに追いつく技術には大変たけている。
勿論、朝鮮戦争用に砲弾の製造や車両、戦車の修理なども行っている。

米軍に納入したJBC-1000の事例です。

 

 

同年ごろ、家電ではラジオ大量生産や白黒テレビジョンの開発などが開始されている。
この理由としては、各社がアメリカの企業からのライセンス生産を基本に技術導入を行ったことにある。
また、品質管理の手法も学んだ。
アメリカにしてみれば、トップ製品の技術ではなく、普及品のライセンス販売が以外として儲かったということであり、決してライバルになるなどと想定していなかった。
日本が家電製品の輪出を開始すると安価で品質も悪くないことから輸出が急成長するこことなる。
このキーポイントは、安価と品質である。特に白黒真空管テレビの輸出では、真偽はわからないが国内価格を高めに設定し、その利益で海外販売をダンピングしていという。

 

1960年代になると「ポストカラー」としてご存知の方をおられると思いますが「絵の出るレコード」としてのビデオディスクやレーザーディスクを本家RCAが夢を見た。
最終的には、日本のVTRに敗退したが、この膨大な開発費がもとで疲弊し、1986年GEに買収された。
買収したGEも1年後フランスの会社へ売却し、アメリカの家電テレビメーカーは最後には消滅した。
ここから日本家電メーカーが世界を席巻するこことなるが、もはや手本はなく、完全に目標がなくなりここから漂流するこことなる。
日本はここでNHK推奨のハイビジョンとして高品位テレビ(MUSE)の開発を突き進むこととなるが、1995年アメリカのデジタル化に対応し、1996年日本政府は2000年までに完全にデジタル・システムに切り替えると発表し、アナログのMUSE方式は否定された。
日本の家電メーカーは膨大な投資と利用中の10万世帯に迷惑をかけた。
今度は、日本の家電テレビメーカーの没落となっていくこととなる。
NHKが悪いのか、メーカー自身も悪いのかわからないが、ここで得意なアナログ技術に固執したことが多くの原因である。
デジタルテレビの生産となると部品を組み立てることさえできれば、品質も確保できることから、単なる製品の価格だけとなるが、日本メーカーはこれを理解できなかったのかもしれない。
依然、高品質、高解像度である高価格帯テレビの製品開発・販売を続けることになる。
最後はアメリカの家電メーカーの運命に続くこととなった。
製品はまず安価であるという原則を誰も忘れてしまったようだ。
ここでも、大企業特融の事業部制などの組織細分化による無責任体制で企業の力を最大限発できていないことが原因でもあるが、根本的には日本の組織では、手本の改善はできても革新はできなかったということである。ウォークマンは作れても、ipodは創造できないということか。本来なら、技術革新としてデジテル・テレビの開発に邁進する必要があったが、誰も決断・実行できなかった。戦時中の日本のレーダー開発の運命に重なる思いだ。革新の本質は、生存本能そのものであり、欧米と日本の差は、この闘争文化(戦争力)の差といえるのかも知れない。

 

日本陸軍レーダー解説
http://minouta17.web.fc2.com/aradar_main.html

広島戦時通信技術資料館
http://minouta17.web.fc2.com/

 

 

 

 

 

 

 

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