韜晦小僧のブログ 無線報国

真空管式ラジオ、軍用無線機やアマチュア無線機の修復の記録
手製本と製本教室の活動の記録
田舎暮らしの日常生活の記録

敗戦末期の日本陸軍の電波兵器の生産状況について

2022年03月20日 10時51分33秒 | 03陸海軍電探開発史

敗戦末期の日本陸軍の電波兵器の生産状況について

敗戦末期の日本陸軍の電波兵器に対する生産情報を下記の資料である昭和20年度重点兵器生産状況調査表(造兵課)、昭和19年12月26日作成の電波器材(陸軍兵器行政本部)、電波対潜兵器資材整備予算・その他(陸軍省)を使用して紹介する。
本資料は、基本的には陸軍省の外局である陸軍兵器行政本部が文書作成したものと思うが、造兵課の正式の上位部門は不明である。
※ 原資料では判読が困難なことから、Execl表で再作成した。

陸軍としては電波兵器としては下記の整備計画を企画している。
昭和19年末の陸軍の電波兵器全体の整備計画(電波器材)を示す。
昭和19年12月26日作成の電波器材(陸軍兵器行政本部)

 

この中で、重点兵器生産状況を把握するため、下記の資料の中でタチ6、タチ18、タチ31、タチ35の4機種を重点兵器として生産管理を行っている。
昭和20年度重点兵器生産状況調査表(造兵課)

 
※ 製造所別の中で「第二」は東京第1陸軍造兵廠 第2製造所(通信)、「第二電子工業」、「電子工業」とは陸軍多摩陸軍技術研究所川崎研究室と東芝の総合研究所のなかの電子工業研究所が合弁で研究および量産する組織し「電子工業」と称した。
※ 「芝通」とは東芝の前身の東京電気株式会社が東芝通信工業支社と称したことにより、一方「芝電」とは東芝の電子工業のことを意味している。

タチ6  http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022255.html
タチ18  http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022257.html
タチ31  http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022269.html
タチ35   http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022259.html

本資料は、陸軍兵器行政本部が昭和20年度重点兵器生産状況調査表(造兵課)として、毎月の生産計画と実績を管理する目的で作成したものである。
勿論、昭和20年8月の終戦までの記録となるが、住友通信(日本電気)、芝通東芝通信工業支社)のタチ18、35の生産、芝電(東芝電子工業研究所)は、4月から生産が出来ない状態に陥っている。
しかも、軍需工場に配置されている管理用の軍人から、陸軍兵器行政本部への月次報告さえもない状況となっている。
この原因は米軍の戦略爆撃による工場被災により工場が稼働できなくなったことがことによることは明らかである。
なお、生産が継続しているメーカーは、日本無線のように早期の工場疎開が実施されていたり、松下や岩崎通信のように軽微な被災で工場の生産活動が継続できたケースもあったが、主要メーカーである東芝、日本電気の工場被災は重大なダメージとなった。

ここで、メーカー各社の社史で被災状況を紹介すると以下のとおりである。

日本電気株式会社百年史の抜粋から
兵器生産の崩壊
機種別にいうと、海軍電波兵器、海軍無線通信兵器の実績が良好であった。
真空管でも海軍向けの実績が高く、相対的に良好な状態であった。
いずれにしても、最重点の電波兵器生産でも、1944年には崩壊の危機に瀕していたが、四半期別のデータによると、無線装置、真空管、音響機器の3機種すべてで、生産数量のピークは44年度第Ⅲ四半期に記録された。
そして、第Ⅳ四半期にはこれら3機種の生産は、前期比で57%も減少し、住友通信工業の崩壊に向かっていった。
後述のように、原材料・部品不足、物資配給の混乱、熟練労働者不足、労働の希釈化、さらにはアメリカ軍の重爆撃による被災、工場疎開などの生産活動の大きな制約となったのである。

東京芝浦電気株式会社八十五年史の抜粋から
第2節 生産の低下
1 労務事情の悪化
昭和18年ごろから労務の充足は、量の確保がかろうじて得られる程度で質的労働力は弱化の一方であった。
これは就労年齢の引き下げによる幼・少年工の激増のほか、徴用工・挺身隊・勤労報国隊・学徒動員、ひいては囚人・捕虜などによるものであった。
19年後半にはいると食糧事情は極度に悪化し、従業員の家族疎開も相つぎ、また、空襲による従業員の動揺などもあり、出勤率はきわめて悪くなった。
欠勤率は鶴見・川崎地区では毎月25から30%に及び、特に長欠者の増加したのが目立った。
19年後半には当社の全生産力は、あげて航空機用通信機器に集中された観があったが、その他の部門はすべて下降傾向を示しているのは、すでに見たとおりである。
2 戦災
昭和20年、敵機の空襲は激烈を加えてきた。
投射が本格的な空襲の被害を受けたのは昭和20年1月29日であった。
この時は白昼、銀座付近一帯が襲撃されたが、本社社屋であった当時の東芝館(現マツダビル)が多少の損害を受け、銀座配給所が全焼した。
その後、同年3月9日夜半の江東地区一帯にわたる大空襲で、亀戸・砂町・深川の諸工場が崩壊した。
さらに4月4日の空襲で、川崎京町工場の一部が損害をこうむった。
特に被害の大きかったのは、20年4月15日夜半の横浜・川崎地区における大空襲であった。
この時、当社主力工場は激烈な打撃を受けた。
すなわち、京町工場・富士見町工場は全焼、川崎本工場(現 堀川町工場)・柳町・小向の主力工場も80から90%の大損害をこうむった。
その結果、重電部門を除く当社の生産は殆ど停止するに至った。

電子工業
第2編東京芝浦電気改部式会社の発足と戦時下の歩み 第3章民需から軍需へ
第4節 電子工業研究所の生産
前に述べたように、昭和18年後期になると航空機優先となり、したかって、その耳目となる電波兵器・無線機・真空管の生産が急務とされた。
当社ではこれに対処して、東京電気(無線)のちの通信工業支社が主としてこれにあたり、川崎支社では、真空管工業主管のもとで受信管のみを生産していた。
そしてこれらの高度の技術研究は、総合研究所のなかの電子工業研究所(以下電子研と称す)があたっていた。
多摩技研研究室の開設
しかし、電子研では軍、特に陸軍からの要請がますます強くなってきたので、研究のみならず生産にも乗り出すことになった。
すなわち、18年9月、多摩陸軍技術研究所川崎研究室が川崎本工場内に設けられ、軍・民共同で電子工業(電波兵器)の研究および量産にあたるこことなった。
電子研の独立
18年12月1日、電子工業研究所を総合研究所から独立させ、川崎支社の「真空管工業」を電子研に包含させた。
そして、その活動の徹底と強化・敏速を期するため社長直属の機関とし、理事 浜田成徳が所長に任命された。
なお、通信工業支社と密接な連絡をたもつため、電子研・通信工業支社および川崎支社からそれぞれ委員を占守さし、真空管生産会を組織して、生産分野その他を協議決定するこことした。
また、その活動を徹底強化するため、関係重役及び理事をもって理事会を設けた。
電子研の製品
電子研の製品別売上高は、第Ⅱ-14表に見るとおりで、これらのうち、通信機製造所とは別に、電子研で製作電波兵器および特殊真空管であるソラ真空管について簡単に述べる。
電波兵器-電子研が、試作または内示をうけて生産したものは、つぎのとおりである。
多摩技研  第一造
タセ3号         10台   20台
タチ23号(G2)         5台    -
タチ31号(G4)     10台   25台
タチ25号(ち8号)    1台
ソラ真空管-電子研の製品のなかでも特筆すべきものは「ソラ」真空管である。
これはRH-2形を改良した万能の受信管であったが、生産がようやく軌道にのりだしたとき、空襲がはげしくなり、生産も意のようにならず、そのうち終戦を迎えるに至った。
戦後は、12G-R6という名で生産された。


岩崎通信機株式会社
https://www.city.suginami.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/022/256/01_1215.pdf
杉並区空襲リスト
昭和20年4月19日
機銃弾 久我山三丁目 岩崎通信機株式会社久我山工場、機銃掃射を受け職員2名死亡、3名軽傷

空襲の激化
19年7月にサイパンが陥落して以後、アメリカ空軍は同島を高速長距離重爆撃機B-29、B-25等の日本本土攻撃のための前線基地として使用し、同年12月には早くも東京空襲が開始された。
大都市では空襲対策のため市街地の建物疎開を実施したり、あるいは学童疎開にふみ切るなど決戦体制に入った。
また主要都市の重要工場に対しても19年1月に発令された防空法に基づき、疎開命令が次々と出された。
当社は都心から離れたところに位置しているため、当初は比較的安全とみられていたが、度重なる爆撃は20年に入ると艦載機の攻撃をもともない久我山地区にも及び、最重要兵器のレーダ工場であった当社は当然のことながらアメリカ軍機の攻撃目標となった。
そして4月には艦載機の機銃掃射による規格課長ほか1名の犠牲者を出した。
さらに5月25日夜から26日未明にかけての空襲の際には同日昼の艦載機の機銃掃射につづき、夜に入ると工場内に数百発の焼夷弾が落とされ、その数発は油倉庫に命中し全工場が炎上の危機にさらされた。
幸いに従業員の決死的な防火作業によって火災は未然に消し止められ、最小の被害にとどめることができた。
2名の従業員が殉職した。
また、同夜は千歳烏山にあった社宅十数軒が被害炎上したが、中野、杉並を含め近傍の大半が焦土と化したことを考えあわせると、むしろこの程度の被害ですんだことは幸運というべきであった。
その後も爆撃はますます激しさをまし、物資の欠乏は日によって深刻化し、通常の生産活動はすでに限界に達しつつあった。
ここにおいて当社も工場の疎開を決意し、その準備を始めたが、これが具体化する前に終戦となった。

日本無線株式会社
第4節 太平洋戦争下の開発と生産
当社は昭和16年(1941)太平洋戦争勃発以来陸海軍の監理工場となり、更に19年1月、軍需会社に指定され、全機能を挙げて生産を軍需一本に集中した。
軍需以外では、僅かに船舶用無線機を準軍需品扱いとして生産したのみであった。
無線兵器全般に亙(わた)って、当社に対する軍当局の期待は大きかったが、戦局の重大化に伴い、勝敗の奇数を決するとまで云われた電波兵器レーダの開発、増産の要請は愈々(いよいよ)急なものがあり、当社はこのレーダの開発と大増産に精魂を傾けた。
当社は開発した腫瘍製品としては、艦船用マイクロ波レーダ、陸上用マイクロ波レーダ、航空機用超短波レーダがあり、何れも相当量の生産を挙げた。
然しながら、戦況は次第に不利となり、生産、研究開発共一掃困難の度を加えるに至った。
当社は度重なる悪条件にも拘わらず、レーダの新製品開発に力を尽くし、艦船用並びに沿岸防備用と、航空機用の射撃用レーダ、陸上用の対空射撃用レーダ、航空機用レーダのPPI化などの生産を重点的に進めた。
斯(か)の如く、当社はレーダを主体として、その他各種の機器の開発と生産に全社一丸となって努めたが、度重なる空襲のため生産力の低下著しく、地方への工場疎開を図り、極力増産に努めたが、やがて終戦を迎え、茲に当社挙げての努力も空しく、結実を見ぬままに終わった。


参考文献
日本電気株式会社百年史 2001年12月 日本電気社史編纂室
東京芝浦電気株式会社八十五年史 昭和38年12月 総合企画部社史編纂室
岩崎通信機株式会社五十年史
日本無線株式会社 五十五年の歩み
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14011031700、重点兵器生産状況調査表 昭和19年度(防衛省防衛研究所)」
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13120838500、重点兵器生産状況調査表 昭和20年度(防衛省防衛研究所)」
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13120839800、電波器材(防衛省防衛研究所)」
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12121805400、電波対潜兵器資材整備予算・その他(防衛省防衛研究所)」

 


第二海軍技術廠の敗戦時の電波兵器研究実験の状況について(GHQ報告資料)

2022年03月15日 09時19分32秒 | 03陸海軍電探開発史

第二海軍技術廠の敗戦時の電波兵器研究実験の状況について(GHQ報告資料)

昭和20年8月 研究実験の状況(電波兵器関係)第二海軍工廠のPDF版
https://drive.google.com/file/d/14CfJOQK4nzOKV6zSX8rmLVBP_dNNCSZg/view?usp=sharing

下記に文字起こし版を示す。
昭和20年8月 研究実験の状況(電波兵器関係) 第二海軍工廠
一.研究項目
(イ)小型機哨戒機用電探(FK3)
(ロ)小型機哨戒機用電探(N6及びN6改1)
(ハ)小型機攻撃用電探(FD2)
(ニ)大型機哨戒用電探(FK4)
(ホ)大型機用電波暗視機(五一號)
(ヘ)電波識別機(M13)
(ト)機上用電波探知機(FTB及びFTC)
(チ)無線帰投装置(FP)
(リ)味方誘導装置(濱六二號)
(ヌ)電波誘導装置(濱六三號)及び電波誘導装置高度測定用(濱六一號)
(ル)遠距離哨戒用電探(濱一四号)
(ヲ)潜水艦用電探能力向上
(ワ)潜水艦用電波探知機
(カ)軽便短方位測定機
(ヨ)艦艇誘導装置(TH)
(タ)電波高度計
(レ)夜間戦闘機用電探(玉三)

二.研究経過
(イ)大東亜戦争勃発数年前より電探の基礎研究に着手、仮作品に依る実験研究を進めつつありしも概ね他兵器研究の余暇を以って之に充てた為其の進捗跡見るべきものなし。
然るに大東亜戦争勃発と共に研究も急速に進展し先ず一號一型(陸上固定波長三米)次で一號二型(陸上移動波長一、五米)の完成を見、第一線及び内陸に装備せられれに至れり(十七年後半)
(ロ)右と概ね併行して艦船用電探の急速完成に着手せる処、装備容積の関係上之が実現に多大の難色を示せり。差当り対空見張用として二號一型(波長1、五米)の戦力化を見たるは十八年なり。爾後之を対艦船射撃化する為多大なる努力を傾注せるも空中線膨大となる。一方一、五米の受信感度低き為、遂に要望を満足せらるるものの実現を見ざりき並びに於て二號二型(糎波)電探一本にて差当り戦力化するの方針を採り実験実験を進むる一方量産実施概ね所要艦船への装備を完了せり(十九年)
(ハ)陸上装備対空射撃用電探の外地等一線に供給せられたるは十八年初期なるも之が性能改善に俟ち量産に到れるは十九年なり。
「マリアナ」失陥に伴うB-29の内地爆撃に備え要所への整備に急ぎ概ね管制を見んとせる際妨害欺瞞に備せられ其の効力も亦大いに削減せらるるに至り今日に及ぶ(同避策は成案を得つつありしも兵器化未ず)
(ニ)其の間航空機用電探の研究は比較的低調にして現用空六號四型(H6)唯一種にておおがた、籠田共賄費居りし惨状なりき。
其後艦船作戦の縮小に伴い航空機優先に邁進、H6の外小型哨戒、攻撃用等として各々独得のものの研究完成将に装備に着手せんとしつつありし時、遂に今次の停戦令せらるるに至る。
(ホ)其他の主要兵器として電波暗視機の試作管制等一同飛行実験七月実施せるに成果不良、爾後性能改善に努力なり。
(ヘ)稟(ヒン、リン、うける)之開戦当初に於ては電波兵器は皆無なりしため新兵器研究に没頭せるも現在においては戦局の現状に鑑み既製兵器整備に関する事項を練急順序第一とせる為、先ず生産次いで性能改善、新研究の順序等以て技術陣容に督励せる処、重要工場(研究所)の戦災相次ぎ疎開作業に防災生産研究共大幅に低限せられ全力を挙げて之が復急対策に努力近く目安を得んとしつつありし実状なり。

三.成果概要
(イ)小型機哨戒用電探(FK3)
昭和十九年末二座及三座機用としての哨戒電探試作に着手、二十年二月試作品完成概ね所期の成果を得たるも今尚機上実験中なり。
別に量産に着手せしも未だ実機には装備せるものなし。
波長  二米      尖頭出力  二KW
能力  対編隊八〇粁  対艦船四〇粁    精度±五度以内

(ロ)小型機用海洋電探(N6及N6改一)
昭和十九年七月試作に着手昭和十九年十一月試作完了、実用実験終了せるも能力不足にして兵器に採用せられず、一応戦力化することを取止め研究続行のこととす。
波長  一、二米      尖頭出力  二KW
能力  FK3に略同じ

(ハ)小型機攻撃用電探(FD2)
夜間用接敵用電探として十八年末試作に着手十九年五月試作完了、実用実機せるも能力不足にして兵器に採用せられず研究中止。
波長  六〇糎      尖頭出力  三KW
能力  対航空機三粁   対艦船十粁    精度±〇.五度以内

(ニ)大型機哨戒用電探(FK4)
昭和十九年六月頃多座機用とし研究に着手のH6の能力を向上せるものに付、鋭意試作中なりしも之が「トランス」の戦災のため完成せざるため試作品のみに付、実験を終了し研究中止
波長    二米      尖頭出力  二〇KW   空中線未決定
能力(予想)  対編隊一五〇浬   対艦船八〇浬

(ホ)大型機(ママ;船)用電波暗視機(五一號)
十九年七月研究に着手、試作機、実用実験中なるも識別能力不足
波長  一〇糎      尖頭出力  五KW 磁電管方式
能力  未定

(ヘ)電波識別機(M13)
増加試作略軌道に乗らんとつつありしも戦力化に至らず
波長    二米   有効距離約一〇〇粁(高度三〇〇〇米)

(ト)機上用電波探知機(FTB及FTC)
十九年六月試作に着手、二十年二月完成頃完成、二十年七月一応審査終了、戦力化せることを決定し逐次実機に搭載決定なりし物なり、但し空中線には未だ相当の難点あり。
波長    三.七米から〇.五米

(チ)無線帰投装置(FE)
十九年五月試作完成
二十年七月一応審査終了、差当たり兵器に採用、戦力化することに決定

(リ)味方識別装置(濱六二號)
十九年末試作完成、二十年六月実用実験終了、兵器として戦力化することに決定、実機五機に搭載済

(ヌ)電波誘導装置濱(六三號)及電波誘導装置高度測定用(六一號)
地上哨戒電探一號一型を改良し測距並びに測角度を向上せるものを試作す、二十年七月兵器として採用、之が所要の改造を実施中なり。(六三號)
他に高度測定用として波長六〇糎の電探を研究し、二十年四月概ね所期の成果を得たるを以って兵器生産中なりしも戦災の為、進捗せず。(六一號)

(ル)遠距離哨戒用見張電探(濱一四號)
二十年二月頃試作に着手、鋭意之が完成に努力五月末一応完成用実験終了、所期の成果を得たるを以って逐次各地に整備中なり。

(ヲ)潜水艦用電探能力向上
潜水艦用電探一三號(対航空機)、二二號(隊水上艦艇)は初期に於ては故障多かりしも十九年後期よりは逐次に安定し空中線系の改良等により其の能力も逐次向上せり。

(ワ)潜水艦用電波探知機
艦船用探知機と略同種類のものを潜水艦にも装備中の処、其の後逐次改造し現在に於ては方向性を有するものと無指向性のものとの二種を整備中

(カ)軽便短方位測定機
十九年末試作完成、本年五月兵器に採用、増加試作中

(ヨ)艦艇誘導装置(TH)
艦艇を誘導すべき装置に付、
十九年五月研究に着手、現用兵器のL3(照射用電探電探一M一三號集め利用試作完成、性能実験終了、能力不足に付、兵器に採用するに至らず。
波長  一、五米      尖頭出力  一、五KW   能力 誘導能力一五粁
精度±一度以内

(タ)電波高度計
周波数変調方式に依り低高度用のものとして約二〇から一〇〇米を目途として計画され、一部戦力化されたるも大量生産に至らず。

(レ)夜間戦闘機用電探(玉三)
十九年九月研究着手、昭和二十年五月試作完了、同年七月机上実験終了せり。
尖頭出力  約三KW     探信能力 約四粁 円形指示方式を採用す。


参考資料
海軍電波兵器の関係部署
艦政本部第三部
呉工廠電気部
佐世保工廠造兵部
舞鶴工廠第一造兵部-----------------空二四号(※注1)の開発?
大湊工作部
第四工作部
技研電波研究部
技研電気研究部
技研横須賀出張所
空技廠支廠電気部
沼津無線部-------------------------1号電波探信儀3型を製造
横工廠造兵部
横須賀海軍通信学校(回覧先からはずされている)
横須賀、舞鶴工場(回覧先からはずされている)

 

※注1
「日本電気ものがたり」からの電波兵器の関連のところを抜粋
小林正次さんの「日記」<未完の完成>から、研究所生田分所の解説から終戦にいたる経緯を辿っての記録。
昭和18年12月20日
真鶴に行き25センチの対空試験を行う。15粁まで中型攻撃機が追跡できる。空二四号として飛行機搭載を決める。


本文へ


参考文献
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011008900、技術資料調査表(防衛省防衛研究所)」
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011009000、研究実験の状況(防衛省防衛研究所)」
仮称1号電波探信儀2型資料2点(装備要領と改造報告)PDF版
https://drive.google.com/file/d/1KipaQHw-1dF9ywITK_GO0vmQ6aBqWL_G/view?usp=sharing
日本電気ものがたり 昭和55年2月 

 

 


オークションウォッチ WIRELESS SET No19 MARK Ⅱについて(令和4年03月02日)

2022年03月02日 18時58分50秒 | 10オークションウォッチ

オークションウォッチ WIRELESS SET No19 MARK Ⅱについて(令和4年03月02日)

断捨離中につき入札ご法度の身でありますので、入札に参戦せず下記Yahooオークションの推移を見守り、記録するだけとしました。

米陸軍真空管無線機器ワイヤレスユニットMk2、シグナルコープ製
個数:1
開始日時:2019.12.31(火)23:43
終了日時:2020.01.05(日)21:43
最高額入札者:なし
開始価格:1,000 円
オークションID:443405679
落札合計金額:0円
米海軍真空管無線機、型式不明
詳細 
現在価格 1,000円(税 0 円) 
出品者情報
ikgm33さん フォロー総合評価: 379 
出品地域:岐阜県
商品説明
カテゴリ ホビー、カルチャー アマチュア無線 その他
状態 目立った傷や汚れなし 
米陸軍真空管無線機器
シグナルコープ製
ワイヤレスユニットMk2
真空管欠品、みられますが外観からは程度まずまず。作動未確認、ざっと見て真空管欠品ないと思います。写真参照下さい。
サイズ約31×43×20㎝
商品画像
小さな画像をクリックすると、下に拡大表示されます。
本体部

 
 電源部

 

現在、戦後の真空管式無線機を体系的に整理しており、真空管式無線通信機開発史(http://minouta17-01.blog.jp/archives/4764264.html)として取りまとめおります。
既に、アマチュア無線(一部のみ)、自衛隊の無線機を取り纏めが完了したので、現在、米軍の無線機に取り掛かっております。
この米軍無線機のオークション情報のデータ・ベースの中で、本機は、オークション出品の商品名「米陸軍真空管無線機器ワイヤレスユニットMk2、シグナルコープ製」とあったのですが、フロントの写真を見ると、とても米軍のものとを思われず、名称も「WIRELESS SET No19 MARK Ⅱ」とあり米軍の名称付与基準には該当しません。
本来、無線機にWIRELESS SETと表記するのは英国のはずです。
もう一つの違和感は、フロントの写真のプレートは英語とロシア語の2か国表記されていることです。
一体この無線機はどこで製作されて、誰が使用していたのでしょうか。

ネットで検索していると、WIRELESS SET No19 MARK Ⅱ(As Manufactured in Canada and U.S.A.)のWORKING INSTRUCTIONS(取扱説明書)がみつかった。

 このことから、本機は1942年頃のカナダもしくは米国製であることがわかりました。
なお、下記に示す取扱説明書の序文でもわかるように、本機のオリジナル製品は英国製であり、これをカナダと米国で改良版として大量生産を企画したものであるようである。

取扱説明書の序文 
ワイヤレスセット No.19, マークII 
(カナダおよび米国で製造されたものである。) 
1. 機械的、電気的に互換性があるにもかかわらず、主要な部品は、いくつかの改良が必要であると考えられ、製造前に組み込まれた。
カナダとアメリカでは、主にこれらの変更が行われた。カナダとアメリカの製造工程に対応するために導入された。
2. オペレーターの立場からすれば、英国製セットとカナダ製セットに違いはない。そのため オペレーターがセットの操作を早くマスターできるように、そして、現場での性能を最大限に引き出すことができる。
操作説明が多少なりとも記載されている。
イギリスのパンフレットより、より詳細に書かれている。
3. メンテナンス担当者を支援するために、表が追加された。
カナダセットとアメリカセットの主な変更点を記録した表XIを追加した。

生産の根拠は以下の経緯による。
武器貸与法(レンドリース法)
レンドリース法(レンドリースほう、英語: Lend-Lease Acts)、または武器貸与法(ぶきたいよほう)は、アメリカ合衆国が1941年から1945年にかけて、イギリス、ソビエト連邦(ソ連)、中国、フランスやその他の連合国に対して、イギリスの場合はニューファンドランド、バミューダ諸島、イギリス領西インド諸島の基地を提供することと引き換えに、膨大な量の軍需物資を供給するプログラムのことである。

1939年9月の第二次世界大戦勃発から18ヵ月後の1941年3月から開始された。 
総額501億USドル(2007年の価値に換算してほぼ7000億ドル)の物資が供給され、そのうち314億ドルがイギリスへ、113億ドルがソビエト連邦へ、32億ドルがフランスへ、16億ドルが中国へ提供された。
逆レンドリース(Reverse Lend Lease)は、航空基地を提供するなど、アメリカに対するサービスで構成されている。
額にして78億ドル相当で、そのうち68億ドルはイギリスとイギリス連邦諸国によって提供された。
これとは別に、返却と破壊に関して規定する協定により、プログラム終了日までに到着した物資については返済は行われなかった。
終了日以降の物資については、イギリスに対して割引価格の10億7500万ポンドで、アメリカからの長期融資により売却された。
カナダも同様のプログラムで47億ドル相当の物資をイギリスとソビエト連邦に提供したが、代金は支払われなかった。

例えば、ソ連は鉄道輸送に強く依存していたが、兵器生産に必死であったため、戦争の全期間を通じてたったの92両の機関車しか生産できなかった。
この点で、アメリカの支援した1,981両の機関車の意味が理解できる。
同様に、ソビエト空軍は18,700機の航空機を受け取り、これはソビエトの航空機生産の14 %、軍用機の19 % を占めた。
赤軍の戦車のほとんどはソ連製であったが、アメリカからM3軽戦車、M3中戦車、M10駆逐戦車などが貸与され、特にM4中戦車はその性能と信頼性の高さからエリート部隊である親衛戦車師団(機甲師団)に優先配備された。

この武器貸与法(レンドリース法)により、基本的には英国への武器貸与として戦車も含まれており、戦車(M4中戦車を含む)の車載無線機には英国の部隊運用に合わせて、英国仕様の無線機を生産して提供したことがわかる。
なお、連合国側として当時のソ連へもM4中戦車へ提供しているので、ソ連版の無線機についてはロシア語表記をつけて特別に生産されたものと推定できる。

本機はA装置とB装置から構成されており、其の諸元は下記の通りである。
A装置
使用周波数: 2から8Mc
用途:部隊から部隊本部(基地)へ、部隊から部隊への通信
電波形式:R/T(Radio-Telephone電話のこと) CW MCW
運用距離:各車両に8フィートのロッドアンテナを備えて、移動中の車両間の10マイルのR / T
使用真空管事例 6K7G

B装置
使用周波数:230から240Mc
用途:部隊内の車両間の通信のみ
電波形式:R/T(Radio-Telephone電話のこと)
運用距離:半波長のアンテナで移動中の各車両間で1,000ヤード
使用真空管事例 E1148 or CV6

A装置は、短波帯のスーパーヘテロダイン方式の受信機と807の送信菅から構成されており、標準的な構成であることから特に指摘する必要もない。
問題は、B装置の構成であるが、230から240McとVHFでも広域の周波数帯を使用した超再生方式のトランシーバーを採用している。
ただし、回路は単純化できるが、運用については、クェンチング発振のために安定性に問題があるだろう。

しかしながら、車両や航空機にとっては、無線通信による部隊運用のためには、前線と部隊本部間の通信と、部隊内の車両や航空機間の同時通信が可能なことが理想的であることはゆうまでもない。
本機は、A装置とB装置を無理やり1つの筐体に押し込んだ感はあるももの、この問題を英国の本機は見事に実現していることは注目に値する。
なお、この2チャンネル化の問題を日米ではどのように対応したのかというと、まず、日本では、短波帯を利用した2チャンネル化をめざし、受信機では高周波増幅と混合部と局部発振部を2重構成し、後段の中間周波増幅段以降は共通化している。
送信機は、回路構成は単純なので、同調部の可変コンデンサーを機械的機構により、2チャンネルに変化するように対応している。
最大の欠陥は、使用周波数帯域を短波帯としたため同調回路がチャンネル単位に必要になったため、構造が複雑したことであろう。
参考事例として日本陸軍 車輛無線機乙


このような思考は、ドイツの無線機も同様であったと記憶している。

米国は、この問題を解決するため、使用周波数帯を準VHF波(実際は20Mhz以上)とし、2チャンネルどころか多チャンネル化を簡単に実現している。
やはり当時から自動車大国だった米国では、車載用ラジオの生産ノウハウも高く、μ同調と機械的選択機構により、多数の放送局に対応した多チャンネルの選択の仕組みを作ることは容易なことだったのだろう。
車輛無線機としては、BC-603受信機、BC-604送信機が代表的な無線機である。
参考事例 BC-603受信機

 

最後に本機は如何なるメーカーが製造したのかを考えていることにしよう。
メーカーを特定したいのですが、銘板には、メーカー名が記載されていません。
本体部の銘板は不鮮明ですが、電源部の銘板に以下の情報が記載されている。
SIGNAL CORPS
WIRELESS SETS No.19 MK. Ⅱ
SUPPLY UNIT NO.1 P.C.75450C
CZR 12440-PHILA-44
この情報から、まずSIGNAL CORPSとあるので米国通信隊と訳すべきか米国通信本部とすべきか迷うところですが、基本的には米国陸軍の無線機であることが分かります。
以下参考に陸軍の銘板を掲載しますが、時代により記載方法が異なるようです。

9枚の銘板の事例中1段目と2段目の6枚には、メーカー名が記載されています。
しかし、3段目の3枚にはメーカー名がありません。
その代わり、CNO 1749  CDC 11414 WF-43  CHW 33546-PHILA-43と記載されたSIGNAL CORPSとの契約番号が記載されています。
3文字の英字は、C:Contractor(契約者)+2桁のメーカー名の略称
残りの数字5桁は契約内容のようです。
このことから、本機の銘板のCZR 12440-PHILA-44からZRがメーカー名の略称と判断されます。
それでは、ZRといえば、Zenith Radio Companyが想定されますが、事実かどうかはわかりません。

 

時事論評
ロシアのウクライナ侵攻について
80年前のドイツのロシア侵攻に対応し、連合国側として米国はロシアに軍需物資の支援を行ったが、本機はこの時にロシアに提供した無線機であることを明らかにした。
本機がどのような経緯で日本まで流れて来たのか不明であるが、来歴を知りたいものである。
今度は逆にロシアが兄弟国であるウクライナに侵攻する結果となった。
2月24日に侵攻を開始し、直ぐにキエフの陥落が予想されたが、予想外のウクライナの善戦により進撃がとん挫しているようだ。
しかし、ウクライナ単独では自ずと限界があるだろう。
真に残念なことだが、これが現実世界であるということだ。

 


参考文献
WIRELESS SET No19 MARK Ⅱ  ws-19_mk2_USER_1942https://drive.google.com/file/d/1FX6sZ0v4WvLHPr2oYg4ak4yOr1j9A03o/view?usp=sharing

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E6%B3%95