韜晦小僧のブログ 無線報国

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54年前の未完成の自作807送信機の修復作業 その4(令和3年07月31日)

2021年07月31日 11時07分55秒 | 07アマチュア無線機

54年前の未完成の自作807送信機の修復作業 その4(令和3年07月31日)
電源部と送信部の配線作業と試験運転について

今回の自作送信機の製作のコンセプトは、高校生時代に製作したものをそのまま活かすことと手持ち部品のみで製作することです。
ただし、事前に変調部については構成変更のためとあまりに密結合の配線のため、一旦既存の部品と配線をすべて撤去します。

 

すっきりした状態で、電源部の配線を行います。
なお、ヒーターについては、総ての真空管ソケットに配線をおこなっておきます。

送信部については、空中配線が少し醜いですが既存の配線を活かし、不足した箇所のみ対応するこことしました。
昔のことなので、どんな形態の送受の切換制御方式を考えていたのか忘却しておりましたが、配線を追っかけてやっと判ったことですが、グリッドにマイナスのバイアス電圧を与えることで制御する方式を取っていました。
今回は、先祖返りではないのですが、9R-59とTX-88Aレベルの送受切替方式を採用するこことしました。
これは大変原始的ですが、電源トランスのB電圧のアース側をON/OFFすることで送受信を制御します。
欠落部品で困ったことは、終段のタンクコイルが欠落しており、かつ送信部の狭隘なところにコイルを設置する必要がある点でした。
手持ちのエアーコイルは直径20mmのもので、Qの低下が想定されますが、狭隘部への配置には最適なので採用してみました。
ただし、当初予定のタンクコイルに7、3.5、21Mhz対応のタップの工作が困難なため、7Mhz専用の送信部とならざるを得なくなりました。


 

ダミーによる送信テストについて
早速、高校生時代に唯一使用していた虎の子の水晶片(3525kc)を挿入して送信試験を行います。
とはいっても、最初の火入れの前に、必ずB電源がショートしていなかいかどうかテスターで確認が必要です。
火入れをして、6AR5の発振段の調整と807の調整を行うと、見事にダミー用電球が光ります。
オシロで波形と発振周波数を確認すると、7,050Khzのはずですが7,049Khzを示しています。
パワー計で確認すると、約10Wを示しています。
まずは順調の出だしのようで、送信部の製作は問題ないようですので、次は変調部の配線に取り掛かります。

 

 


広島戦時通信技術資料館及は下記のアドレスです。
http://minouta17.web.fc2.com/

 


D DOLITY LCメーター の購入について(令和3年07月30日) 

2021年07月30日 16時46分07秒 | 07アマチュア無線機

D DOLITY LCメーター の購入について(令和3年07月30日) 

LCRメーターについては、25年前に秋葉原のガード下の東映無線という販売店で株式会社CUSTOMのデジタルLCRメーターELC-121を13,650円にて購入して今まで使用しています。
買った後で分かったことですが、インダクタンス測定がmHまでであり、μHの測定ができません。
これでは、短波通信などで使用するコイル測定はできません。
このため、同調コイルについてはFとCからHを逆算するしかありませんでした。

 

今回も自作送信機の製作にあたり、タンクコイルの測定のため、新たにLCRメーターを購入しようと、ネットで検索すると下記の製品がヒットしました。
中国製のD DOLITY LCメーター(LCD静電容量インダクタンスメーター)ですが、測定範囲が 1pF-100mF 1uH-100Hの機能で、しかも1,760円という低価格です。

 

発注して1週間後に到着したので早速試験してみました。
毎度のことですが、中国では、どうも梱包という概念がないのか、裸に近いかたちで商品が発送されます。
マニュアルが添付していないので、使用方法が判りませんが、とにかくコイルとコンデンサーを測定してみました。
それなりの測定数値が出ています。
測定精度を確認するとコンデンサーでは少しだけ少ない値のようです。
コイルについては、180μHのピーキングコイルを測定するとほぼ近似値が表示されます。
どうも、測定前にZEROボタンを毎回押下する必要があるようです。
とりあえず、作成したタンクコイルの測定に利用するこことしました。

 


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昭和22年度製東芝漁船用中波(ZS-1009)・短波(ZS-1010)受信機について

2021年07月18日 08時36分31秒 | 04戦後の軍用無線機

昭和22年度製東芝漁船用中波(ZS-1009)・短波(ZS-1010)受信機について

札幌市のNさんから下記の情報・資料提供をしていただきました。
今、家にある受信機、「漁船用短波受信機 ZS-1010 東京芝浦電気 昭和22年」構成は9球全てRH-2(実際はソラ×8,RH-2×1)筐体は左右に3個ずつゴム掛け用の丸いボビンが付いていて、航空機用にしか見えません。
ジャックの表示も受聴器です。
ただ、コンデンサ等は戦後製も混じっているので、戦後製造されたことは間違いないようです。
私は書物やネットで「ソラ」に関する記事のなかで海軍のいろいろな機器に使用されたと書かれていますが、FM2A05Aを使った通信機は見たことがありますが、「ソラ」を使用したものは今まで観たことがありません。

東京芝浦電気製受信機の画像をお送りします。
短波用、中波用の2種類ありまして、形番号は、短波:ZS-1010、中波:ZS-1009
受信周波数は、短波:2Mc-12Mc(2-5Mc、5-12Mcの2バンド)
       中波:350Kc-2Mc(350Kc-850Kc、850Kc-2Mc)
サイズが245×375×160ミリ(左右の突起部含まず)重さ6から7キロ程度、
製造番号は、昭和22年5月が1026,1033。昭和22年9月に1065を確認。
固定抵抗器をシャーシにネジで固定するといった軍用通信機に見られる組立方がされています。

提供して頂いた東芝漁船用中波・短波受信機の写真を以下に示します。

 

本機東芝の漁船用中波・短波受信機の全容を手持ち資料とネットの力で整理してみました。
開発の背景
札幌市のNさんのご指摘のとおり、戦時中の軍用無線機の製造技術を踏襲した業務用受信機です。
なお、本機の使用真空管は銘板からRH-2と記載されていますが、工場出荷の段階ではRH-2または「ソラ」が混在した状態で実装されたものと思われます。
設計段階では、RH-2で設計したものの、工場の在庫では大量の「ソラ」があったので同規格の「ソラ」を使用で代用したのが実態ではないでしょうか。
この時代的な背景を考慮すると、まず、昭和22年といえば、敗戦によるショックから立ち上がり、軍需製品の需要が皆無の中、なんとか民需製品を自ら発掘して開発・製品化する必要があったことによります。
製品化にあたっては、戦後の物資不足にあっても、敗戦までに、受信用真空管といえば、レーダー用や無線機用として大量生産され、昭和22年でも工場には大量のストックがあったものと推定でき、その真空管を再利用したい考えたものと思われます。
次に、陸軍を主体として、開戦当初から既存の真空管でも、保守性、生産性の観点から同一管のみでの受信機の開発も進められていました。
たとえば、陸軍航空機用の飛1号受信機はUt-6F7×5本、飛3号受信機はUS-6F7A又はMC-805-A×5本、陸軍の地4号受信機はUZ-6D6×6本などが代表的な事例です。
勿論、電気的性能は最適化した真空管構成の受信機と比較するとかなり劣ることとなります。
大戦後期になると、この受信用真空管は軍の指導やドイツ無線機の影響もあり、万能管の製造を目指し、日本無線ではFM2A05Aの開発を行ったが、歩留まりが悪く、別系統の東芝のH管からソラへの展開に続くこととなった。
たとえば、海軍航空機用96式空2号無線電信機受信機では、当初は最適化した真空管構成(6D6、6L7G、6D6、6B7、41、76、76、76)であったものを、96式空2号無線電信機受信機改では無理やり万能管のFM2A05A×8本に換装しましたが、FM2A05Aの調達が間に合わず、敗戦末期においては万能管ソラ×8本に変更しています。
この流れとは別に、電波兵器としてのレーダー用真空管も多品種、大量生産の必要性から万能管思想の東芝のH管やソラが大量に採用されることとなりました。
たとえば、東芝が開発した仮称三式一号電波探信儀三型受信機では、150Mc帯の高周波部はエーコン管ですが、IF以降は全てRH-2×7本の真空管構成を採っています。
上記背景を基に、戦後の東芝では業務用受信機の製造には、色濃く旧軍の設計思想を引きずった通信型受信機が設計されたものと思われます。
ただし、昭和27年頃になると、RCAやGEからの技術導入が行われ、和製真空管は完全に一掃されることとなります。
この結果、ST管からGT管やMT管への生産が主流となります。


なぜ漁船用中波・短波受信機を開発したのか
漁業無線機は、戦後飢餓迫る日本民族を救うため、魚を捕らえて食糧にとGHQの命を受けた水産庁が、数千隻から300隻に激減した漁船を急造していた。
それに無線機をつけて漁獲を倍増しようとした。
このためには、水産庁による漁業無線認定会社が前提であり、銘板にも漁船用を明記する必要があったのだろう。
無線機製造会社がこの漁業無線の市場に新規参入しており、東芝も同様であった。
東京芝浦電気株式会社八十五年史にもこれを裏付ける記述として、「終戦から昭和23年まで」の項で、漁業用無線機の関係を抽出すると、漁業用無線機(10W、100W)、漁業基地用無線機、漁業用波長計などの生産記録があります。
社史の記録には漁業用無線機(10W、100W)に2種ありますが、本受信機はかなり小型な製品なので漁業用無線機(10W)の受信機に該当する可能性が高いと思われます。
なお、本機漁船用中波・短波受信機には、旧軍の航空機用無線機で採用されていた吊り紐懸架方式のために両側面に3つの端子と同じものを特別設けていますが、これは外洋用小型船舶(例えば外洋のトロール船や南氷洋の捕鯨用キャッチャーボートなどで母船との通信確保)に搭載して防振対策を施したということかもしれません。
そうゆう意味では、戦時の航空機搭載無線機のような軍用レベルの品質を有した業務用受信機が必要だったのだろう。
これを裏付ける資料として、同じく東芝の社史の「終戦から昭和23年まで」の項の中に、昭和23年に、「船舶用ことにキャッチャボート用、貨物船用の無線機の製造を開始している」との記述があります。
このことから、本機はやはり外洋とくに南氷洋での使用を想定したキャッチャボート用の無線機の受信機と想定できますが、本機の製造年月は昭和22年5月と9月などであり社史との矛盾があり断定には至りませんでした。

型名の短波:ZS-1010、中波:ZS-1009の「ZS」について
戦前の東芝の業務用製品の型名は第1字目がG:送信機、S:受信機、第2字目がR:無線関係、第3字がP:電話、T:電信となっており、GRT15BやSRP201などと称していた。
以下戦前・戦時中の生産事例を示します。
東京電気 SRT-655A スーパーヘテロダイン短波受信機 (昭和17年7月製) 東京電気株式会社

 
戦後は、型名の書式は、第1字目がZは無線機関係を、第2字目がSは受信機を示しているように思われます。
東芝のZS受信機の年度別代表的な製造品目は以下のとおりです。

東芝ZS-1004A型 7球3バンドスーパー(1946-47年) 東京芝浦電気(株)
真空管構成6D6 Ut-6L7G 6C6 6D6 75A(6ZDH3) 42 80
東芝ZS-1004C型 7球3バンドスーパー(1947-48年) 東京芝浦電気(株)
真空管構成6D6 Ut-6L7G 6C6 6D6 75A(6ZDH3) 42 80
東芝中波:ZS-1009(1947)
 真空管構成RH-2×9本
東芝中波:ZS-1010(1947)
 真空管構成RH-2×9本
東芝ZS-1123G 1951
 真空管構成GT管13本
東芝ZS-1204G 1951
 真空管構成GT管6本
東芝ZS-1205G 1951
 真空管構成 GT管12本
東芝ZS-1214D 1954
 真空管構成MT管17本 2/3重スーパー
東芝ZS-1227/C 1953
 真空管構成GT管13本
東芝 全波受信機 ZS-5523A 1963年設計
真空管構成MT管×13本


 真空管RH-2とソラの関係
けんさんのホームページの真空管「Hシリーズ」物語にRH-2→RH-2-GT→ソラの関係を説明されていますが、基本的には互換があったものと思われます。

 

戦時中のソラの使用例
戦時標準型商船用「松下無線RM-40L型中長波電信電話受信機」昭和19年製

 

短波:ZS-1010、中波:ZS-1009のブロックダイヤグラム
RH-2高増管 RH-2第一検管 RH-2第一中増管 RH-2第二中増管 RH-2第二検波菅 RH-2低増管 RH-2出力管 
RH-2第一局発管 RH-2第二局発管
中間周波数は463kcとなっていますが、これは戦後東芝が中心となってスーパー標準と決めた中間周波数の463kcと一致します。このことから、本機の設計自体は戦後に行われたことがわかります。
なお、この中間周波数は漁業無線による妨害が生じたため、1951年に国際標準の455kcに変更されています。


参考文献
真空管顛末記(ケンさんのホームページ) http://kawoyama.la.coocan.jp/tubes.htm
幻のレーダーウルツブルグ 昭和56年12月 津田清一
日本無線史 第11巻 無線機器製造事業史
東京芝浦電気株式会社八十五年史 1963年
日本の業務用受信機 金道英雄 1997-7

 

 

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54年前の未完成の自作807送信機の修復作業 その3(令和3年07月15日)

2021年07月15日 14時46分55秒 | 07アマチュア無線機

54年前の未完成の自作807送信機の修復作業 その3(令和3年07月15日)
欠落部品の実装と今後の展開について
欠落部品補充のため家中のジャンク部品をあたり、主な部品を探しました。
主要部品である電源トランスは新品のものですが容量が120mAと少し非力ですが仕方ありません。
変調トランスも最後にと残置したもので今回のために使用します。

欠落部品装着前の送信機の状態と欠落部品について

第2号機の送信機を検討するなかで正面のパネルのSW部品では機能不足のため、トグルスイッチと電信用のkeyジャックなどの追加加工を行います。
また、変調部のPP用入力トランスが手に入らないため、増幅不足が懸念されます。
このため、フロント増幅として6AV6を1本追加するため7ピン用の穴加工を事前にやっておきます。
また、シャーシ加工については、アンテナ用端子などもついでに加工しております。
欠落部品を装着した送信機について


最後に、急いで全体回路図を作成したため、機能については不備があるかもしれません。
制御系としては、下記の機能を設けています。
電源起動SW
受信/送信モード切替SW
電信/電話切替SW
VFO/水晶発振子切換SW
キャリブレートSW(ただし、水晶発振子では適用不可)

 

回路図的には、シングルバンドの送信機を目指しておりましたが、シャーシの内部をみると発振コイルにタップを付けて3.5Mhz、7Mhz、21Mhzとタップ切換が可能です。
よくよく考えると、殆どの部品は54年前の1号機の送信機の部品を流用しており、この発振コイルも同様のようです。
このような発想は当時発行の「初歩のラジオ」からの影響ですが、CQ誌では高校生の我々にとっては技術的レベルが高すぎて理解するのが困難だったのかもしれません。
バンド切換SWがあればいいのですが、このように狭隘のエリアでのロータリーSWの追加は不可能ですので、タップによる手動切換方式をこのまま採用します。
今後の運用目標としては、7195kHzでの電話運用と3.5Mhz、7Mhz、21Mhzの電信運用についてチャレンジします。

 


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54年前の未完成の自作807送信機の修復作業 その2(令和3年07月13日)

2021年07月13日 16時55分33秒 | 07アマチュア無線機

54年前の未完成の自作807送信機の修復作業 その2(令和3年07月13日)
VFO回路の実装について
当時高校生時代の本電話送信機2号機の計画については、VFO機能は付加したいのですが、明確な設計イメージはなく、ダイヤル構造とVFOのアネミボックスを製作したままで放置していたようです。
今回新たに設計しようとしましたが、以前Yahooオークションで落札した商品のおまけとして、下記のVFOの機構部だけを頂いたことを思い出し、まずは引っ張りだしてみました。

 

頂いたVFO機構部の内部に簡単な回路図と発振周波数(6.8Mhzから8.1Mhz)のメモがはいっていました。
今回は7.000Mhzから7.200Mhzのアマチュアバンドをカバーする帯域の発振器が必要なので、頂いたVFO機構部をそのまま流用するこことしました。
非常に小さいVFO機構部であることから、トランジスター用のVFO機構部と思っていましたが、回路図からクラップ回路による真空管を想定しているようです。
取り敢えず、VFO機構部を利用してトランジスターによるVFOを試してみることとしました。
やってみると発振周波数が5.693Mhzから6.256Mhzとなり7Mhz台の周波数を得る為には、CかLを変更する必要があります。
ここからドツボにハマることとなり、色々CやLの変更を実施した結果、最後は発振動作そのものが停止してしましました。

 

思考錯誤の結果、コイルのまき直しをして、やっと所定の発振周波数を確保することができました。
最後に本機のVFO部に収容して完了としました。

 


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