音叉発振器について
電波探儀機に使用するパルス発生用主発振回路については、LC自励発振回路による正弦波発生と音叉発振器によるものとにわかれている。採用の是非は不明であるが、航空機搭載用の一部の小型電波探儀機(H6,FD-2等)には音叉発振器が採用されていることが確認できる。13号電波探儀機のような地上部隊及び艦船用のものについては、LC自励発振回路が多く採用されているが、ただし、海軍レーダ徒然草のHPには、13号電探指示装置甲1型では音叉発振器が採用されているとのことだ。なお、甲2型以降については、LC自励発振回路に変更されているとのことである。音叉発振器については、東京のバザーラで十数年前、店の親爺も使用用途がわからないまま販売していた。この時購入しておいたものを写真に示すが、日本測定器株式会社の昭和19年から昭和20年3月の製造日付のはいったSB型音叉発振器である。終戦間際であるが、驚くことに品質の高い材料による大変きれいな仕上げで製造されている。ただし、誘導コイルが断線しており、このままでは使用することはできないようだ。
ここで、この音叉発振器を製造した日本測定器株式会社なる会社を調査するため、インターネットで検索してみると1件のみヒットした。
http://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/prospectus.html
なんと、ソニーの公式ホームページの設立趣意書のページであった。
以下ホームページの設立趣意書の関係箇所のみ抜粋する。
東京通信工業株式会社設立趣意書 - 井深 大
戦時中、私が在任していた日本測定器株式会社において、私と共に新兵器の試作、製作に文字通り寝食を忘れて努力した技術者数名を中心に、真面目な実践力に富んでいる約20名の人たちが、終戦により日本測定器が解散すると同時に集まって、東京通信研究所という名称で、通信機器の研究・製作を開始した。
最初は、日本測定器から譲渡してもらったわずかな試験器と、材料部品と、小遣い程度のわずかな資金をもって、できるだけ小さな形態で何とか切り抜けていく計画を立てた。
われわれが過去に属した日本測定器株式会社は、この数少ない測定機器製造業の中でも屈指のものであって、わずかな資本と貧弱な設備を持って、極めて短日月の間に驚くべき発展を遂行し得たのも、時局とはいえ、ひとえに測定機器部門の持つ経営的特性によったものと断言でき得るのである。
日本測定器株式会社の主要製品の一つたる超短波用の真空管電圧計は、われわれの10年近い年月と血の滲むような努力の結晶であって、その一般における絶大な定評は言わずもがな、まさにわが国の世界に誇り得る測定器の一つであることは、今回米国進駐軍がこれに対し異常な感心を持ち、参考のため本国に持ち帰った事実によっても、雄弁に物語られるところであろう。
簡易重畳(ちょうじょう)電話装置
これは、現在の電話線になお一通話増して、二重通話を可能ならしむる(現在の線路を使用して倍の通話を可能とす)非常に簡単な装置で、すでに日本測定器株式会社において、全く他の目的を持って多年研究されたるある種の兵器を若干改良すれば、この目的を充分果し得られるのである。目下盛んに試作中なるも、これもまた当社技術陣の独壇場、お家芸の一つであって、完成の上採用となれば、その需要度は恐るべきものであろう。
プログラム選択受信方式
これも日本測定機器株式会社において研究完成したる兵器の応用品である。放送局において、そのプログラムごとに異なった周波数の音(例えばニュースならば「ド」、音楽ならば「レ」のごとく)を放送前にちょっと出す(ピアノを叩く程度にてよし)と、受信側ではその音の高さによって動作する周波数継電器が動作して受信機が働く。それゆえに聴取者は自分が聞きたいと思うプログラムだけのボタンを押しておけば、自動的にラジオのスイッチが入って、そのプログラムのみ聞くことができる。それが終わればやはり特定音を出し、また自動的にスイッチを切ることになる。その他、この装置を用い自動的に時報に時計を合わせることも可能である。
その他特殊部品
音又発振器、濾波(ろは)継電器、音又時計等のごときは、当社独特のもので、戦争目的をもって研究・製作してきたもののうち、今後の通信技術方面に転換利用可能なるもの数多くあるをもって、各方面の要求に応じ、逐次製作していく予定なり。
この音叉発振器の現物をみると、日本測定器株式会社なくして、ソニーの創建はなかったということがよくわかる。ただ、今日のソニーの凋落については残念でたまらない。もう一度、創業の精神に戻ってもらいたいと祈るばかりである。
音叉概観